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韓国の人類学者が書いた北朝鮮の政治文化とその歴史。
日本の植民地時代、満州のパルチザンだった金日成を起点とし、その革命史を主軸に打ち立てられた”遊撃隊国家”は一見特殊に見えるけれど、その特殊性というのは、他国では一定の期間で終わってしまう個人のカリスマ国家が世襲で継続している点だと分析。植民地支配のために故郷を背にして散らばった民族の悲しみを革命指導者が包み込み、希望と情熱を回復するというアリランの”物語”は、旧約聖書のエクソダスの救済の美学と驚くほど類似する、と説明している。
ポストコロニアルな歴史という意味では、制度的秩序としての植民地主義が終息し、政治的自治が成し遂げられた以後も、文化としての植民地主義が継続している、という理解だ。歌や演劇、映画、大衆集会、大規模行事などを通して思想普及と宣伝を行う「劇場国家」。
なるほど、と思ったのは、北朝鮮は戦争犠牲を記念しない、という点。国民に戦争がいかに大きな代価を払ったかを想起させ、戦うことを躊躇させるからだ。敵への怒りは奨励するが、死者たちのための涙は奨励しない。革命烈士陵は、朝鮮戦争ではなく、むしろ満州パルチザン、金日成の同士たちのための墓であるとされているのだそうだ。
北朝鮮ではポストコロニアルな状況が続いているという認識がこの本の底流にある。現状だけを見て”異常な王朝国家”と見るのは簡単だが、植民地支配の旧宗主国である日本の戦後世代にとっては、改めて考えるべき視座を与えてくれている一冊。