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20代をエイジスで真面目に過ごした私には、いかにこの不毛な日々を茶化せるかが全てであった。生活を茶化し、自分を茶化し、死さえ茶化して怒られ、マジックレアリズムに触れることにより生み出されたのが、魂のアプリ2.0であった。この2.0というのは、当時フェイスブックでノマドとか良く分からないネットのセミナーの話ばかりしている同世代のことを、羨望の眼差しを向けつつ茶化しているというか馬鹿にしているのに他ならないのであるが、では魂のアプリというのは一体何なのかといえば、「BGM」や「時空の歪み」などであり、他にもたくさんあったが他はあまりにくだらないために忘れてしまった。「BGM」というのは、例えば夜勤明けの帰り道、中西のカーラジオからカーリー・ジラフのmy dear friendが聴こえてきたとする。その時たまたま信号待ちで目の前の横断歩道を、競輪をやりにサテライトへ向かう紺のシャカジャンを着たジジイが自転車に乗って横切っていく。その瞬間、my dear friendはこのジジイのBGMとなり、私はその後長く退屈な生涯において、my dear friendを聴く度に、あのシャカジャンのジジイを思い出すのである。聴かないけど。「時空の歪み」は、大学3年の夏、友人と図書館前のベンチに座っていると、10歳くらい年上の明らかに学外者の2人の男がニヤニヤしながら近づいてきて、「かわいい女の子いる?」って聞いてきたから、もう仕方ないなーと一緒に自販機で白BOSSを買って、ベンチに4人並んで座ってただ通り過ぎていく女の子を見ていたとする。そして10年後、30歳手前になった自分と友人が仕事の休みに思い立って母校へ向かい、同じことをしようとしていたことに気づき、あああの時の2人組は、時空を越えてやってきた私たち自身だったんだなと思うことである。あまりに不毛な日々はしかし、風だけは心地良く、心は優しさを保ち、『百年の孤独』は全くの不毛から上記の如きさらなる不毛を産み出す、恐るべき語りの力であった。
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