おめでとう(新潮文庫)
著者 川上弘美
小田原の小さな飲み屋で、あいしてる、と言うあたしを尻目に生蛸をむつむつと噛むタマヨさん。「このたびは、あんまり愛してて、困っちゃったわよ」とこちらが困るような率直さで言う...
おめでとう(新潮文庫)
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商品説明
小田原の小さな飲み屋で、あいしてる、と言うあたしを尻目に生蛸をむつむつと噛むタマヨさん。「このたびは、あんまり愛してて、困っちゃったわよ」とこちらが困るような率直さで言うショウコさん。百五十年生きることにした、そのくらい生きてればさ、あなたといつも一緒にいられる機会もくるだろうし、と突然言うトキタさん……ぽっかり明るく深々しみる、よるべない恋の十二景。
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軽々としていて、とっても気持ちがよくてせつない短編集
2003/08/09 18:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
身内に不幸があって、飛行機、新幹線、ローカル線を乗り継いで、兵庫の奥の小さな町に帰った。鞄の中に一冊の文庫本が入っていたが、自身の身内の不幸で疲れている家人の横で本を開くにはためらいがあった。まして、その本の題名が「おめでとう」となると、なおさらである。本を読むのも結構難しい。
「軽々としていて、とっても気持ちがよくてせつない短編集」。これは朝日新聞(7月27日)の読書欄に掲載された「燃えるスカートの少女」(エイミー・ベンダー)という本の書評の中の一節である。評者は川上弘美。この「おめでとう」の著者である。川上が自身の作品をどの程度意識したかはわからないが、その書評で彼女が書いている表現のどれもがこの「おめでとう」という彼女自身の短編集のことを書いているようで、まるで作者による作品解題とも読める。
この短編集に収められた「どうにもこうにも」という一篇は、モモイさんという幽霊にとり憑かれた女性の不思議な日常を描いた作品だが、「だいたい、私たちの現実の日常だって、よく考えてみればシュールなできごとに満ちているのだ」と川上は思っているようだから、嫉妬心で成仏できない幽霊が登場する物語も川上ワールドでは違和感はない。むしろ川上がそのようなシュールさを楽しんでいるようでもある。
そのような作品だけでなく、不倫の関係にある男女のあわあわとしたたった一日の逢瀬を描いた「冬一日」という作品でも、二人が過ごす数時間は川上にとって日常とは切り離された異界なのだろう。「奇妙、というのだろうか。いや、不思議、という言葉の方がぴったりするような気がする。冷ややかな異質さではなく、なつかしいような異界」である。川上弘美の文章をそのまま書くと、この「おめでとう」という短編集は「真夜中になる少し前、お腹のあたりがしんとする時刻に読むと、いいかもしれない」。
*この書評で引用した川上弘美の文章はすべて朝日新聞(7月27日)の読書欄からのものです。
『おめでとう』を読んで
2011/01/23 11:28
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
今僕はひどい状況にいる。
各種相談機関に相談しても決定的な解決などもたらされない。
そんな中で、日々、侵食されている。攻撃されている。
そんな日々だからこそ、本を読むのはやめられない。
川上弘美の『おめでとう』は読んでいる途中に、胸をつかれる感じだった。
淡い感情が取り巻いている。
でもそこには決定的な「別れ」の予感がある。
人には言えない恋がある。
一件平易な日本語だからこそもつ「強さ」のようなものを感じた。
僕の地獄のような日々はまだ続きそうだ。
だから、本を読むのだ。
たとえアイヨクに溺れたとしても
2003/07/10 22:43
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KANAKANA - この投稿者のレビュー一覧を見る
存外な、という言い方をしたくなるほど、川上さんの作品には愛を交わす人々の話が多い。それが男女の恋人であれ、不倫であれ、はたまた同性同士であれ。ただし、たとえくちびるが重ね合わされ、背中に巻きついた腕がきつく相手を抱きしめ、「アイシテイマス」という言葉が吐息のはしからもれて、やがてコトに及ぶような次第になったとしても、互いの結びつきはあくまでも淡く淡く、どこまでいって交じり合わない。
自分のことしか考えていないからではと問われれば、そういうわけでもない。
妻子もち十歳としうえの井上と、少し前につきあっていたというだけで、かつて同じく関係のあった幽霊のモモイさんにとり憑かれてしまった、『どうにもこうにも』の私。もう井上に未練はないのに、「あたしは幽霊だからものも持てないし」というモモイさんに代わって、なぜか無言電話をかける仕儀にいたったように、けっこうお人好しだったりする。
定見をもてないことで、いわれのない非難を受けることもある。
『天上大風』の私は、彼の浮気を疑って相談してきた後輩の女の子に、「その一。本当に浮気しているかどうか確かめること。その二。浮気していたら別れるか別れないかを検討すること。その三。もしも浮気でなかったのならば、疑惑に陥りやすい自分について反省すること。その四。浮気かどうか不明の場合は、観察を継続すること。」と即座に答えて次の日、恐ろしく冷酷で功利的な人間であるという風評を会社中に立てられる羽目になる。
事実イコール真実ではないとわかっているからこそ、まずは材料をかき集めてから判断してはどうだろうと言っただけなのに、「論理的思考などというものは、実生活にはほとんど役立たないもの」なのである。
睦言をいくら重ねても他人とは永遠にわかり合えない、人は所詮一人で生きて一人で死ぬものよと力説するほど、ペシミスティックではないつもりだけれど、十二編に映しだされた「私」「わたし」「あたし」の恋の風景には、じんわりとした淋しさがしみこんでいる。
たとえアイヨクに溺れたとしても、いじらしさとわずかなうとましさを同時に抱え込んでしまうこと。薄ぐもりの夕焼けのような、どっちつかずの微妙な間合いが、川上作品の魅力なのだと思う。
いじらしい、と同時に、うとましい
2004/10/03 17:03
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
12編の短編に出てくる女たちは皆、少しだけ妖怪じみている。けっして生臭くはないけれど、ひんりと冷たくて、見てはならない剥き出しのものを感じさせる、なまなましい肌をもっている。そして、『天上大風』の「私」がそうだったように、ものごとに対する定見がもてず、実生活にはほとんど役立たない論理的思考を標榜して、いつも行動と気分の間に大きな齟齬をきたしている。だから、『冷たいのが好き』の「僕」が章子に感じるように、いじらしい、と同時に、うとましい。彼女たちは、この世のものとは思われない世界とつながっている。それは、冒頭の『いまだ覚めず』で、タマヨさんと「あたし」が一緒にうたった歌が、妖怪どうしの性交の比喩であったらしいことと関係している。──「歌の音はふしぎ。遠くからきたような音です。自分のなかに、遠くのものがあるのは、ふしぎ」。西暦三千年一月一日のわたしたちへ向けた最後の『ありがとう』では、そう書かれている。
色んなカタチ
2023/05/15 22:24
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
短編集の中に、恋愛、不倫、同性愛、LGBT、そして死も含まれています。どれも、重そうなテーマばかりなのに、川上弘美さんの、文章のタッチが軽いので、さらりと読めました。重いテーマを軽く読みたい方へオススメ。