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もとイベサー代表の荒井さんの著書。
渋谷センター街を中心に活動するイベサー、ギャルサーなどを文化人類の観点から論評。元サークルに所属してた実績や現在のサークルメンバーの引用文やあることから、文章に説得力があった。w
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かなり面白かった!
サークル、イベサーの人たちとはまったく接点がない、
というか周りでそんな存在を知らなかったので、興味深かったです。
実は、一流大学の両家の子女が多いんですね。
知らなかった~
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いやー、すごいっすね、イベサー。
そんなものになんの接点もなかった僕だけど、
大学時代にもっと学べることは本当にたくさんあったように
思えた。なんだろう。
ほんとうにいろんなものが、
いろいろ面白いと思えてくるのなぁ。
渦中にいるとそんなことには気づきもしないんだなぁ。
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文化人類学というよりは、深いフィールドワークを通したルポ。ギャルやギャル男の生態についてよくわかります。サー人の評価基準である「ツヨメ」「チャラ」「オラオラ」は、なにも「サー人」のみに限った話ではなく、意識的・無意識的の差はあれども現代若者の多くに共通する部分があると思った。少なくとも、自分の所属するサークルは関西圏だしイベサーではないが、所属しているメンバーや共有されている価値観の中に「サー人」と共通する箇所はいくつかあるし、自分自身の中にも「ギャル」の価値観の一部が存在すると自覚した。情報社会が進んでリアルなコミュニケーションが減少傾向にある現代で、自分の存在をアピールして、存在価値・存在理由が欲しいと思う若者は多いと思う。精神医学や心理学の方面からこうした「サー人」を深く分析すればもっと面白いと思う。
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都心(渋谷)で名を馳せたイベサー代表が紹介するギャル男/ギャルたちのサークル事情本。彼らの思想や活動内容、組織の様子が示されている。どんな様子なのかざっくりと知れる本としてよかった。文章はかっこよい言葉使いしようとして(偏見?)いるように感じられ、上手くはない。
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[ 内容 ]
真っ黒な肌、奇抜なメイクにド派手なファッション。
ストリートにたむろし、クラブでパーティー―。
日本を席巻し始めたギャル文化の象徴「イベサー」を、かつて集団のトップを務めた男がフィールドワーク。
数百人のギャルの肉声から、現代の「未開の部族」の内面に迫る。
「やっぱり礼儀と学歴は大事」「いかに早く遊んで落ち着くか」など、その奔放なセックス観から意外に保守的な未来像まで、彼らの素顔を大解剖。
[ 目次 ]
第1章 インカレ発チーマー経由イベサー行―イベサーの起源(イベサーが特別なわけではない;「傾奇者」から「チーマー」まで ほか)
第2章 ギャルは結構忙しい―イベサーの組織と活動(イベサーの組織;イベサーの活動 ほか)
第3章 ツヨメでチャラくてオラオラで―サー人の価値観(逸脱とギャップ;サー人のファッション ほか)
第4章 ギャルだって成り上がりたい!―サー人とキャリア(イベサーの「シゴト」は将来に役立つのか;社会人デビューはマジでみっともない ほか)
第5章 ストリートが学びの場―サー人たちの視線と課題(もうひとつの学校;サー人の理想像 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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その時、その時代、流行廃りはあるが、大概日本の文化、特に若者文化は、形は変われど、大きく変わりなく、同じように過ごして行くもんなんだなあ、と読んでつくづく思った。自分も、もう、気がつけば、十数年も前の話しとなってしまうが、こんなことをやっていた。。から良くわかる。ただ、やはり、刑事事件に発展してしまうようなこと、人生崩壊してしまう、というところまで、格好つけても後で後悔することになる。まあ、頭の中ではわかっているが、若いときは、ある意味、怖いもの知らずなところがあるからね。ただ、若い時にやれること、遊ぶだけ遊んだ方が良い、というのは、そうだと思う。しかし、その分、引きずらず、ある段階から、しっかり切り替えて、社会人として活躍していかねばならない。人生は、社会人からが本当の勝負だからね。
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イベサーって大変なんだ。
醤油とか海水とか飲むのしんじゃうんじゃ...?
渋谷ギャルの世界も、役割とかシゴトとか交流、会議(?)...
色々と忙しいようだ。
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ギャル・ギャル男というサブカルチャーを文化人類学に昇華?させた一冊。
何だか、温かい思いと切ない思いが。
サー人のご発展をお祈り申し上げます。
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筆者がイベサーの元代表で、渋谷サークル界のトップを指揮したというだけあり、様々なギャル・ギャル男たちの声を取り入れることに成功している。
あたかも学力を競う為により良い大学に入るように、よりいけているようになる為に、イベサーに入るようである。そこは大学と同様に指向性の同じ人間の集団であり、そこで学習できることはある意味ではまっとうに生きる為に逸脱行動を奨励するという、倒錯的な思想がある。
それでいながら、集団の中で上手くやっていくという技術を獲得していくのだ。
願わくば、イベサーに入る殆どの人間の親は社会的に高い地位についている、という曖昧な表現ではなく、統計的データを収録して欲しい。数値データが多ければ、より正確な内情を考察する手掛かりになるはずである。
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黒い肌と白っぽい髪とメイク、露出の激しいファッションで夜通し遊ぶ若者たち。そういうギャルとギャル男、中でもイベント・サークルで活動する人々=サー人を、元サー人の慶応大院生が参与観察した修士論文だそうです。
イベサーの歴史や実態を説明する1章・2章はそこそこですが、その行動原理や価値観を考察する3章・4章は興味深い。彼らの価値観の問題に憤慨している5章は、まあわからんでもないが…うん。
サー人の価値観・評価基準をサー人へのインタビューをもとに「ツヨメ」「チャラい」「オラオラ」と分析したのは本書の一番すぐれているところだと思う。それぞれ、社会的・性的・道徳的逸脱を示しているのだという。
それに合わせて彼らの行動やファッションが説明され、彼らの将来設計に対する影響も指摘され、そのあたりはおもしろかった。
「昔はチャラかったけど、今は落ち着いてる」、「イケイケだけど礼儀正しい」といった人が評価されるというギャップ戦略やその内容はどこのヤンキーや不良文化にも見られるけど、ここで主な対象としている東京の、それも比較的社会的階層の高い若者たちにとっては、話の規模や一般社会からの評価の気にしどころが大いに違う。
そこが面白いところなんだろうけど、ゆがんだ特権意識のようなものも見て取れる(特権意識に筆者は気づいているのだろうか)。
サークルの代表まで勤めて、イケイケながらも「落ち着いた」著者近影でサー人本まで出す筆者は、多分、彼らのなかではかなりイケてる人なんだろう。5章が微妙なのは、そういうほほえましい自分アゲがほの見えるからでもある。
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最近バキバキのギャル男をあまり見ない。ギャル男やるのも金がかかるという実態を知り、不景気が理由なのかなと思った。
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元・サー人(イベント・サークルのメンバー)=ギャル男による自伝的記憶と取材に基づくエスノグラフィーである。「ギャルとギャル男の…」というタイトルではるが、このような事情により「ギャル男」カルチャーについての記述と分析がメインとなっている。
本書を読んでいるとどうしてもポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』を思い出し、比較せずにいられない。どちらも学校カルチャーにおける尺度とは異なる尺度をつくりだしそれに準拠することで一見、彼ら自身の文化でのサクセス・ストーリーを歩んでいるように見えるけれども、その実、マクロな社会全体で見れば、社会の下層階級に向かって身体化されていくというその矛盾。その矛盾がさらに残酷なかたちで、日本社会のなかで現出している…そんな印象を持った。
おそらくそれは、本書の多くが自伝的エスノグラフィーとして記述されていることと無関係ではないかもしれない。元「サー人」である著者は一見、「サー人」たちのカルチャー独自の美学や価値観を、ひとつの「価値あるもの」として記述しようとしながらもそれに失敗(本書では「中立的」と記述されているが、私はあえて「失敗」だと言いたい)しているように思える。最終章で筆者は、親をはじめとする「大人」たちによる救済を訴えているが、自分たちがはじめに自ら背を向けた「大人」たちに、さらなる救済の手を求めなければならない文化とはいったい何なのか。
そのような意味で、社会の「悪」の部分に抵触する文化を記述することについて考えさせられる本だった。
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これはなかなかおもしろかった…
ギャルなんて、バカ、とか、勘違い、とかで一括りにしてたけど、
とてもわかりやすく解説されていた。
彼らは彼らなりに、憧れや将来像を持っていた…
23 BLEA
188 成功をつかむためには、読み書き算数ができるだけの…良い子ちゃんではダメだ…多少悪いことも出来るほうが出世してる
209 サー人の理想像
意外にまともな人が多く挙がってて驚き
223 参考文献の多さに驚き