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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

コマツバラさんのレビュー一覧

投稿者:コマツバラ

5 件中 1 件~ 5 件を表示

ニーチェが泣くとき

2006/11/30 19:06

ニーチェが泣くとき

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨今、テレビでは精神科医が次々に登場する。あなたなら、誰に治療を依頼したいだろうか?香山リカ?斉藤環?それとも、フロイトやユング、ラカンに想いを寄せるかもしれない。
 この小説では、「ヒステリー研究」をフロイトと編んだ、ブロイアー医師の元に、大哲学者ニーチェが偏頭痛の治療にやってくる。もちろん、フィクションで、こんな事実はない。つまり歴史小説でもないし、サイコセラピーや精神分析の入門書でもない。
 この小説で描かれるのは、「生きるのが苦しいのはなぜか」という普遍的な人間の問題に取り組む、二人の中年男性の葛藤である。ブロイアーは、ニーチェを騙すために、自らの悩みを吐露し、「私の魂を救って欲しい」と願い出る。ニーチェは自分の思想を通して人を救うことができるのかという、実験を始める。ところが、思惑とは裏腹に、二人は探求にのめりこみ始める。ブロイアーを悩ませる女性の妄念は、ニーチェを苦しめる女性の妄念と重なり合い、いつしか、二人はお互いを鏡のように、人生の模索を映しあうのだ。
 著者は有名な心理療法家でありながら、その限界に挑戦しているようにみえる。治療者こそが、クライアントに癒され、癒された治療者に、クライアントは癒される。相手が問いの答えを探すのを辛抱強く待ち、苦痛に耐えられるように励ます。そして、治療者とクライアントは、共有できない孤独を抱えながらも、点と点で触れ合う一瞬の接点に希望を見出すのだ。
 ここには、現代の精神医療への鋭い指摘が垣間見えないだろうか?治療者が癒し、クライアントが享受する。その一方通行の中に回復はありえるのか?私はニーチェに治療を依頼したいと思った。

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紙の本ツレがうつになりまして。

2006/11/30 19:27

笑わなくていいが、泣かなくてもいい

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「私の大切な人がうつ病になったら?」
 そんな不安はよぎらないだろうか。大丈夫、そんなことはありえない、と言いつつ、うつ病チェック表に恐る恐る手を伸ばす。私は大丈夫。でも、パートナーは…?
 実際に、夫がうつ病になった漫画家のエッセイ漫画である。うつ病を扱った本でありがちな、精神科医とのやり取りは省かれうつ病の夫と暮らす、著者の日常生活にスポットが当てられる。
 当たり前だが、うつ病の全ての人が、毎日を暗く過ごしているわけではない。調子がいいときは、笑ったり、何かに興味を持つこともある。例えば、夫が炭酸飲料ばかり飲み始めたこと、カメを飼うと主張すること。一見、とっぴだが、著者は夫の関係の中で、うつ病になって現れた夫の変化を、新たな発見として驚きと共に受け止めようとうするのだ。
 さらりと描こうとしているが、重たいエピソードもある。夫が自殺を試みた話は、著者にとって描くことは容易ではなかっただろう。苦しみを吐き出すのではなく、作品に昇華しようとする著者の営みに心打たれる。
 著者は、うつ病を夫にとって、人生を見直すきっかけになったと描く。大事なのは、うつ病の原因や、脳の仕組みを解明することではなく、起きてしまった状況を、どうやって受け止めていくのかである。
 うつ病の漫画というよりは、困難にぶつかった夫婦の営みの記録だろう。夫が文章で振り返った、結婚記念のイベントでのエピソードは、人が人と暮らすこととは何かを、問いなおす。

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もはや、労働者の敵は資本家でない。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近頃の若者は文句が多く、働かない…というのは本当なのだろうかと、常日頃思っている。確かに、愚痴は多いかもしれない。しかし、彼らは、直接的な対立が起きる前に、勤務先を去っていく傾向があるように感じる。
 著者は自らがバイク便ライダーの若者として、労働に従事する中で、気付く。良いとは言えない労働条件の中、彼らは「好きでやっている」と述べることである。不満はあるが、「好き」なのだから、文句は言えない。
 それでは、若者達は企業に操られているのだろうか?著者はそうではないと言う。企業の偶然の施策が、若者を競争に追い込んでいく。悪い資本家が、貧しい労働者を苦しめているのではない。若者は、資本家に騙されたり、命令されたりするのではなく、自らを資本主義システムに同化させていった結果、搾取されている格好になったのだ。
 支配は、「被支配者が、まるで自分が望んでいるかのごとく、支配者に従属する」ことで究極の形をとる。若い労働者の敵は資本家ではない。自らに巣食う、献身的な資本主義への傾倒である。
 著者は、この問題の処方箋として、同胞との連帯、つまり労働組合の復活を呼びかける。もちろん、それは有効な手段となるだろう。自分達の労働条件は、自分達で守らなければならない。
 しかし、そのような自己の利益保持で問題は解決するのだろうか?お金が欲しい。だから稼ぎたい。それは、資本主義社会ではまっとうな欲望である。この欲望を生み出すシステムが搾取の病巣だとすれば、それに真正面に向き合わずに、治療はできるのだろうか?

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紙の本「普通がいい」という病

2006/11/15 23:56

精神科医による、現代精神医療への疑問と提案

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 書店に行くと多くの精神科医の書いた本が並んでいる。「早期治療が大切」「薬を飲みましょう」これらの文言で息苦しなるのは、「私の言う事を聞かないと大変なことになる」というメッセージを読み取るからか。
 泉谷は、現在の精神医療ブームに、精神科医として疑問を投げかける。異常とは何か。病とは何か。泉谷は、治療とは「悩みをなくして楽になる事」ではなく、「悩む力をつけること」だとする。患者は自分の悩みを奥深く隠してしまったり、自分を痛めつけることしかできなかたりする。悩む事を恐れず、自分と向き合うプロセスをサポートするのだという。
 泉谷は具体的なアドバイスや治療方法を示さない。治療者自身が、自分と深く向き合い、その姿をみせることで援助するという。自分と向き合う中で、自分が「普通」ではないと感じるかもしれない。その時に、「普通でなくてもいい」と言葉をかけるのではなく、治療者自身が「普通」でないという孤独に耐える実践者として、その身を晒す事を提言している。
 泉谷の文章は平易だが確信に満ちている。泉谷自身が、医業を中断してのフランス留学という「普通」でない道を歩み、その自分を肯定的に捉えている実践のあらわれかもしれない。治療実績ではなく、「私は私の人生を悔いなく生きている」という静かな自信が、心地よく読み手に伝わる。
 ただ、多様な引用文に比べると、泉谷の文章は冗長に感じた。名文に拮抗する強度を持てば、もっと泉谷生き様が浮かび上がる鮮明な文章になるのではないか。抽象的な説明での未整理な部分も目に付いた。

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少し、考えないといけない

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 内容の前に、驚くことがある。
 臨床例で登場する女性が、パンタロンを履いている。別の臨床例の20代の女性の、元恋人が学生運動に打ち込み、実存的悩みで自殺未遂をする。
 これは、2004年に発行された本である。内容以前に、検討すべき点はないだろうか?
 10章の著者の体験は、深く感慨深い。この章だけが、際立って、人の心のひだ模様が伝わってくる。それだけに、他の章の分析は残念だった。あまり、現代の若い女性にこだわらず、著者と年齢の近い女性と共に歩む記録を残したほうがいいのではないだろうか。

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