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mauさんのレビュー一覧

投稿者:mau

71 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本海からの贈物 改版

2001/04/12 14:05

女という枠組みをさらに越えて

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 現代は、この作品を正しく理解するのには難しい時代かも知れない。男女間の差異や関係を「比喩」で語ること、それ自体には何の必然性は無く、展開によっては危険でさえある。トンガッたフェミニストなら、これだけで一刀両断に切り捨ててしまうだろう。

 前提となっている古き良き家族モデルも今では崩壊の一途で、現代は新しい家族の形を早急に認識する必要に迫られている。

 それにも関わらず読み進めるうちに切々と胸を打たれるのは、女という枠組みをさらに越えてひたむきに生きてきた、一人の人間の誠実さを感じとれるからだ。訳者(吉田健一!!)のあとがきに、ただ肯くばかり:

 「…ここで語っているのは経歴などというものを一切取捨てた一人の女であり、また一家の主婦であって、(略)一人のアメリカの女と言い直す必要さえなくて、ここでは、現代に生きている人間ならば誰でもが直面しなければならない幾つかの重要な問題が、(略)世界のどこへいっても今日では大して変りがない日常生活をしている一人の人間の立場から、自分自身に語り掛ける形で扱われている。」(p.116)

 自身も女性飛行家として活躍した彼女。日本では著者名が「アン・モロー・リンドバーグ」ではなく「リンドバーグ夫人」になっているのが何とも皮肉。

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紙の本

紙の本The Blind Assassin

2002/03/19 17:02

二十世紀を締めくくるにふさわしいブッカー賞受賞作

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 2000年度ブッカー賞受賞作。
 「大戦が終わってから十日後、妹のローラは車ごと橋から転落した」。
 そこから始まる物語は現在八十を越えた姉の日常と当時の回想、それを客観的に裏付ける新聞記事、そして妹が書き残した小説 "The Blind Assassin"のテキストが交差しながら進んでいく。

 二十世紀初頭、釦工場の成功で一時は裕福だったチェイス家も時代の波に取り残され、新たに台頭してきたグリフィン家に半ば乗っ取られる形で吸収される。チェイス家の二人姉妹のうち、姉のアイリスはほとんど強制的にグリフィン家に嫁がされる。敬虔であるがゆえに奇矯な行動を繰り返す妹のローラは、社会主義者として追われているアレックスという男に出会う…。

 粗筋だけ追っていくと、レトロな話ではある。しかし著者の残酷なまでに詳細な筆致は、読者を有無を言わせずに物語の渦にねじ込んでいく。当時の名家女性に対して世間が無意識に強制する抑圧の重さ(それこそ「足を見せるのはふしだらだ」から始まる)、そして現在、語り手が老い衰えて人の助けなしで通常の生活が営めなくなる過程などは、げんなりするほどリアルでぞっとする。

 作中に挟まれる"The Blind Assassin"はローラが書いた物語なのだが、身分違いの男女が人目を避けて逢瀬を繰り返す中、男が戯れに女に語る「寝物語」として登場する。つまり作中小説の、そのまた作中小説という設定。従ってこれをSFと呼ぶには余りに他愛ないのだが、その刹那的な部分が、行き所のない男女の絶望を象徴しているように思えて、かえってやるせない(この辺、周りがSF色を強調した15年前の作品『侍女の物語』のパロディというか脱構築の形なのかもしれない)。

 このように幾つもの話が交錯しながら集約・融合していく最後の数章は、予想通りとは言え、圧倒的な感慨をもたらしてくれる。まさに二十世紀最後の受賞作品にふさわしい。現代小説の御手本のように、極めて上手く構成され、読み応えがあり、そして何より読んで面白い。かなり重厚だが最後まで読み通す価値のある作品だ。

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紙の本

TVメディアとの奇妙なシンクロ

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 超能力者。その言葉にまとわりつく胡散臭さを振り払いつつ、彼らの日常を追うTVドキュメンタリーを撮ろうと著者は葛藤する。しかし振り払った先に見えてくるものもまた、TVといういかがわしさをまとったメディアなのだ。

 いつからTVは、ここまで信用されないメディアになってしまったのだろう? 「百聞は一見に如かず」、つきつけた画は嘘をつかないという信念はもはや消え失せてしまった。ハッタリやヤラセは当然入っているもの、と視聴者は誰もが「お約束」を黙認した上で楽しみ、観終わった後はさっさと忘れてしまう。

 そのTVが一時期、頻繁に特集番組を組んでいた「超能力」。TVが無ければ70年代のユリ・ゲラーのブームはなかっただろう。所詮トリックだ手品だと叩かれるようになり信用されなくなる経緯は、TV自身の辿った道筋と不思議なくらいシンクロしている。

 TVの実演シーンを観ても超能力の存在を全く認めない人も、実際に目の前でスプーンが曲るところを見ると激しく動揺し、あっさり主旨替えしてしまうことも多いようだ。一体何を信じるのか、何だったら信じられるのか。著者は絶えずメディアの内側から問いかける事を止めない。

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紙の本

紙の本パリ左岸のピアノ工房

2002/02/16 01:17

ピアノは家族の一員

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 自分のピアノを手に入れる、というのは、新しい家族を迎え入れるのと同じことなのかもしれない。ピアノが家族になる、というのは、思い出がいつだって音楽と一緒になって立ち上ってくることなのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれる、心温まる話。

 パリに居を構え、妻子との生活も落ち着き、昔好きだったピアノをもう一度習おうかと考えていた著者の前で開かれた、小さく謎めいた工房の扉。そこで出会った若き職人リュックに導かれて知るピアノの、そして音楽の新しい世界。

 年代ものの高価な楽器でなくても、一台一台に個性があり、物語がある。工房へやって来るのは、何らかの理由で持ち主が手離さざるを得なかったピアノ達だ。そこには悲しい別れがあり、また著者のように喜ばしい出会いもある。

 「時は流れ、ピアノもわたしたちと同様にすり減っていき、ときには運命の渦に巻き込まれて破壊される。わたしたちはやりなおしができるし、いい楽器さえ見つかれば、音楽の世界への道はふたたびひらかれるだろう。けれども、この巨大な木と鉄の塊がわたしたちにさまざまな思いを呼び起こす力は、ひとつひとつの楽器の中に宿っているのである。」(p.194)

 楽器という「うつわ」に託して語られる音楽への愛情は、具体的で気取りがない。工房に集まってくる人達も、なんとも個性的で良い感じだ。今宵も修理中のピアノの山を肴に、密めやかな会合が開かれているのだろう。

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紙の本

どこまでいっても泡なのね

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 すぐに影響されるのは私の悪いクセだが、この本を読んだ後では身の回りの何を見ても泡のことばかり考えてしまう。ああ、あれも泡、これも泡、みーんなみんな泡なのね。そのくらい実例が具体的で、つい分かった気にさせられてしまう。

 カプチーノやビール、パンやメレンゲという美味しいところから始まって、シェービングクリーム、発泡プラスチックといった実用的な泡、そこから「頭がアワアワ」の狂牛病や「体がアワアワ」の潜水病、さらには海の泡、宇宙の泡へとどんどん話がスケールアップしていくこの気持ち良さ。こりゃ著者みたいに泡にとりつかれる科学者が出てくるのも不思議じゃない。

 最終章の言葉、「通常のものと見慣れないもの、人間的なものと宇宙的なもの、私たちが知っていることと知りたいこととのギャップに橋を架け」られる本こそが優れた科学書だということを、そのまま実践している本。理系じゃなくても全然問題なし。読んでて楽しいです。

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紙の本

紙の本愛の続き

2002/01/24 17:48

絶妙な仕掛けのストーカー小説

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 簡単に言えばストーカー小説である。しかも男が男を。しかも「あなたのために3分間どころか一生祈らせて下さい」と、文字どおり狂信的な情熱を持って接近してくるのだ。これで怖くならないはずが無い。

 しかしマキューアンの面白さはその特異な設定だけにあるわけではない。主人公がそのストーカー男に接触するきっかけとして、冒頭である「事件」が語られるのだが、その事件というのが巧妙というか奇妙というか、とにかくなんとも絶妙なのだ。

 本筋と同時並行で語られるこの「事件」の展開こそが、安易な展開に陥りがちな(精神病者としてのストーカーの行動パターンはほぼ一定している。詳細は『ロマンティックは狂気は存在するか』(春日武彦、新潮OH!文庫)など参照のこと)凡百のストーカーものと本書を明確に分ける鍵となっている。

 恋愛と狂気は紙一重、という陳腐な結論以上の豊かな物語がここには約束されている。ヒヤヒヤされられる割には読後感は意外とさわやか。良いです。

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紙の本

伝統と合理化の間で

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ユーロ導入、パスポートの提示廃止など統合の動きが進む欧州の現状を、経済・政治の両面から見据えたルポ。2002年からはいよいよ一般にもユーロ通貨解禁ということで、今後どのような変化が起こるかますます目が離せない現状の中、これまでの影響を手際よくまとめた本書は、素人にも分かり易く、また面白く読める内容になっている。

欧州ならではの伝統的な経営方針を大切にする一方で、米国の合理性も取り入れなければ競争には勝ち残れない。中道左派といっても必ずしも労働者に親切にしてばかりはいられない。試行錯誤を繰り返しながら、米国とは違う独自路線を模索している欧州の等身大の姿が読み取れる。

とはいえ、今回の米国同時テロの報復措置に同調することによって、欧州は図らずしも一層「米国側」に引き寄せられてしまったような気がする。もちろん国ごとに言い分もスタンスも微妙に異なるが、全体としては反対できない立場にあったことは否めない。これが今後の米国との関係にどう影響していくか、多少不安を感じつつ、今後の展開を見守っているところだ。

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紙の本

紙の本偽史冒険世界 カルト本の百年

2001/11/29 22:01

トンデモを笑いのめす健全な精神力

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 いわゆる「トンデモ本」解読の中の一冊。義経=ジンギスカン説、日本−ユダヤ同祖説といった著名な? 珍説を、近代日本の領土拡張思想を透かし見にしながら解体していく。

 原書の発行は96年。その裏には95年をピークにオウム真理教が引き起こした一連の事件への衝撃が如実に反映されている。オウムで信じられていた終末思想のお粗末さと、にもかかわらずエリートと呼ばれる人がうまうまと引っかかり、あのような大それた事件を起こしてしまったことへの驚愕。ここで容疑者と自分との線引きを明確にせねば、いつか自分も知らぬ間にアッチの世界へ行っているのではないか、そんな恐れがオウム容疑者の同世代を次々と自己分析へ向かわせる。

 著者や「と学会」達のとった行動、つまりドグマに凝り固まった思想を「トンデモ」と銘打って笑い飛ばすことで解体する、という芸風は、今ではかなりの知名度を得ていると思う。しかしトンデモ本自体が減ったとか、トンデモ思想家が反省したという実感はない。トンデモを笑いのめすには健全な精神力が必要だが、段々惰性で笑い疲れてきたような。ここらでもう一度笑いの破壊力を取り戻さねば、そう気を引き締める意味で今回の文庫化の意義は大きい。

 個人的には第二章「なぜ『南』は懐かしいのか?」を興味深く読んだ。一連の沖縄ブームに私もすっかりハマった口で、そんな自分自身に不可解なものを感じてもいたのだが、南進思想と絡めた本論にはかなり納得できる部分が多かった。『「大東亜民俗学」の虚実』(川村湊、講談社選書メチエ)辺りと併読してみるのも面白いかもしれない。

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紙の本

紙の本すべての美しい馬

2001/10/11 04:22

青春小説の傑作

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 1949年、祖父の牧場が人手に渡り、カウボーイでありたいと願う十六歳の少年は、自分の本当の居場所を求めて、親友と国境を越えメキシコへ旅立つ。そこで知る出会いと別れ、純粋な愛情と降りかかる暴力。

 当時ですら既に、カウボーイは時代遅れな職業となっている。けれども主人公は馬と共にある事が自分の天職だと知っている。自分の居場所はここではない、どこか他のところにある、という強烈な自意識。その若さゆえの確信が少年を突き動かし、越境へと導いていく。

 ストーリー自体はレトロなほどに素朴だが、過去の因襲、不条理な対決などにはフォークナー的な一面が感じられるし、恋人の大叔母アルフォンサの語りはガルシア=マルケスのリアリズムを思い起こさせる。決して単純な物語ではない。

 地の文は途切れなく延々と続くが、挟まれる会話の(特に親友との)なんとシンプルで美しく、かっこいいことか。こういう会話が出来ることが青春なのだと、惜しげもなく言ってしまおう。

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紙の本

紙の本玉蘭

2001/09/29 01:46

熟成感漂う傑作

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 甘く噎せかえるような玉蘭の香りに導かれて交差する二つの愛。一つは現代、もう一つは1930年前後、いづれも魔都・上海を舞台に、プライドと劣等感を渾然と抱え持つ女と、彼女を持て余す男達の物語。

 これまでの桐野作品とは一味違った熟成感。上海という土地がそうさせるのか、しっとりとした叙情すら漂う。時空を超えた人物同士の邂逅も無理なくごく自然に描かれている。最終章の唐突感は相変わらずだが、嫌味はない。

 話の核となる女達はやはり桐野キャラらしく、「女のエゴ」を剥き出しに日常を戦っている。
 特に有子の方は、地方出身の若い女が一人で生き抜くしんどさを「東京戦争」と呼び表し、恋人にも頑なでガードを外そうとしない。全てを言葉で解決しようともがく姿に、昔の自分をひしと見せつけられた気がした。

 質と行生の愛と死を巡る会話は、静謐さの中に不気味なほどの迫力を帯びて秀逸。桐野作品らしくないという評もあるが、もはやミステリの枠を外した彼女にはこのまま新境地をどんどん開拓してほしい。

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紙の本

紙の本ファイアボール・ブルース 2

2001/09/25 22:59

苛立ちが諦めに替わったとき

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 女子プロレスの世界を描いた異色シリーズの第二弾にして完結編。ミステリー色は薄まり、かわりに前作では狂言廻し的な存在だった近田の心の動きに焦点が当てられる。

 先輩・火渡への畏れと憧れ、同期への嫉妬、勝てない自分へのコンプレックス…相変わらず桐野夏生は女性の持つ負の感情を、嫌というほどえぐり出してくる。自分には才能がない、その残酷な事実を受け止めるしかない近田の気持が痛いほどに沁みる。

 帯にもある火渡のセリフが作品の全てを言い尽くしている:「怒れよ、おまえ。怒らない近田はもうすでに違う世界にいるんだよ」。
 そういえば桐野作品の登場人物は常に苛立っている気がする。現実に対して、他人に対して、そして自分自身に対して。苛立ちが諦めに置き替わったときに、物語は失速し、終息する。

 最後の「近田によるあとがき」のエピソードは、切ない。全てが終わってしまったあとで、ゆっくりと悲しみが押し寄せる。

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紙の本

紙の本わたしたちが孤児だったころ

2001/09/25 22:48

引き裂かれる自意識

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 10歳の時に上海で両親が失踪し、孤児となったクリストファー・バンクス。名探偵としてイギリス社交界でも知られるようになった彼は、両親救出のために戦時下の上海へ舞い戻る…。

 と、粗筋を書くとハードボイルドかミステリーか、という感じですが、なんてったってカズオ・イシグロですから、展開の意地悪いことこの上ない。
 例えば主人公は学生時代からうまく周りに溶け込んでいたと信じているが、誕生日には友達に「君は探偵志望の変わり者」と拡大鏡をプレゼントされてたりして、つまりバレバレってことじゃん(笑)。この辺の自意識と、周囲の認識の差が物語を素直に読むことを終始妨げる。

 後半になると、主人公の築いていた記憶や認識はズタズタに引き裂かれていく。ともすれば突拍子もなくて難解な話になりそう(前作『充たされざる者』はそんなところがあった)なところを、「探偵もの」という型を借りることで、読者の興味を逸らせることなく最後までひっぱっていく。見事だ。

 「探偵もの」風といえばポール・オースターのNY3部作もそうだと言えるが、オースター作品が登場人物の内面へ内面へと向かうのに対して、こちらはあくまで外界とのズレにこだわる。両者の違いをここで改めて読み比べるのも面白いかもしれない。

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紙の本

ハヒハヒと食べる幸せ

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 純和食も嫌いではないし、イタリアンやフレンチも好きだけど、私が一番食べ飽きないのは実は「アジアごはん」ではないか、と最近思っている。
 激辛に挑戦するまでの気合はないけれど、スパイシーな料理をハヒハヒ汗をかきながら食べるのが結構病み付きだ。

 今はドイツに暮らしていて、よく食べるのはタイ料理やインド料理だが、最近は韓国料理も食べる機会が増えた。ここには「韓国料理→焼肉→オヤジ」といった偏見もないし、韓国人もかなり住んでいる(アジア系食材店はほとんどが韓国人経営)ので、ヴァラエティに富んだ本格的な料理が楽しめる。

 そんな訳で、もう少し色々知りたいなと思っていた矢先にこの本を読んだ。

 チベット編・遠野編(わさび)・信州編(辛味大根)も面白いが、やはり圧巻なのは分量の約半分を占める韓国編。これでもかこれでもかと押し寄せるトウガラシ攻撃は、辛い・痛いを通り越してすでに恍惚に近い(アブナイ…)。

 なんてことない庶民の食べ物を、いかにも美味しそうに楽しそうに食べることにかけてシーナさんに敵う人はいない。大勢の愉快な仲間たちをひきつれて食べ進むうちに、まさに身(腹?)を持って分かってくる韓国の風土や文化にも心惹かれるものがある。

 精のつく食べ物をぐるぐる掻き混ぜてせっせと食べる食べ方、包丁よりハサミを多用する調理法、一度に山ほど出てくる給仕、オンドル(床暖房)の心地よさ…。好奇心満載のシーナさんは何にでも飛びついてみて、良いものには素直に感動する。その率直さがまた、気持ち良い。

 読むうちに韓国料理を色々試したくなるし、韓国のことも知りたくなってくる。辛いもの好きの人はもちろん、色んな人に読まれて欲しい一冊。

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紙の本

紙の本火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者

2001/06/30 15:40

脳への、人間への素直な驚嘆

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 サックス氏の『妻を帽子と間違えた男』(晶文社)を読んだときは、本当に驚いた。だって、奥さんを帽子と間違えて被ろうとするんだから! そんなの普通、ナンセンス小説だって考え付かない。しかしそれは現実、圧倒的に現実なのだ。

 彼のエッセイを読むたびに、「人間ってすごい」と驚嘆させられる。ここに紹介される人達は、皆なんらかの形で脳機能にある障害を抱えており、いわゆる健常者と同等の生活を営むことは出来ない。しかしそれを補うだけの柔軟性を発揮し、時に思いがけない才能を開花させるのも、また脳の働きに負うものなのだ。取扱説明書の通りにしか作動しない機械とは比較にならない可能性の固まり。それが脳であり、ひいては人間でもある。

 サックス氏も医者という立場からどんどん離れて、一人の人間として相手に関わり合おうとしていく。表題のエッセイで最後に彼の取った行動は、(ちょっとクサイけど)やはり感動した。

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紙の本

神と民衆との仲介者

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 聖書の大筋は把握できても、その後うわうわと出てくる聖者や殉教者まで覚えていられない、と悲鳴を上げる私にとって、『絵画で見る聖書』(中丸 明、新潮文庫)巻末の「聖人列伝抄」は、とってもお役立ちの一章だった。主要な聖人のエピソードや絵画鑑賞用のポイントが要領よく押さえてある(しかも笑える)。五十音索引風に並べてあるのでちょっと調べたいときにも便利便利。

 さて、その聖人の中でも特に著名な(といっても日本人に馴染みがあるのは聖ヴァレンタインと聖ニコラウス→サンタクロースくらい)人物を取り上げて、その背景を詳しく探ったのが本書。聖者の単なる紹介にとどまらず、伝説の背景を解き明かしているのが面白い。

 本来一神教であるキリスト教の厳しさを和らげるために、神と民衆との仲立ちをする聖者が必要とされたこと、その原型を異教の民間信仰に求めたことなど、言われてみると合点のいくことばかり。異端のレッテルを貼られて廃絶の憂き目に遭いながら、実はしたたかに生き延びている民衆の素朴な祈りの形に、思わずニヤリとする。

 しかしそれと同時に、キリスト教がヨーロッパに与えた影響(というか、キリスト教が「ヨーロッパ」を作ったと言う方が正しいのだろうが)の深さには、改めて畏敬の念を覚えざるを得ない。

 どうやらこの本、現在は入手困難らしいが、キリスト教文化入門書の一冊としてぜひ復刊してほしいと思う。

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