サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. みなとかずあきさんのレビュー一覧

みなとかずあきさんのレビュー一覧

投稿者:みなとかずあき

1,436 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本時には昔の話を

2010/03/07 23:14

映画を補完する本として、こんなの見たことないでしょう

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

映画『紅の豚』が公開された当時に刊行されたものだ。
映画の主題歌と登場人物の1人・ジーナの声を担当した加藤登紀子と、映画の脚本・監督の宮崎駿がコラボレートした、その名も「中年の絵本」だ。
2人とも戦時中の生まれと言う同世代で、映画公開頃に50代となったばかりというところだ。
加藤登紀子の詩と映画の中で使われた歌、そして映画の音楽作りのヒントとして宮崎駿が久石譲に手渡したという詩が6編。さらに映画のエンディング用に宮崎駿が描き下ろしたイラストに、2人の対談が収められている。
個人的な趣味から言えば、宮崎駿のイラストがカラーで収められているのが一番うれしい。アニメーションとして描かれた絵にも魅力はあるのだけれど、そうでないイラストも宮崎独特のタッチで描かれていて一幅の絵として楽しめる。そんなイラストがページをめくる毎に現れるのだから、それだけで十分とも言える。
詩は、『紅の豚』の世界を彷彿とさせるもの(宮崎駿の詩はそう思わせて当然なのだけれど)が並んでいるようにみえる。
最近にはめずらしい箱付きハードカバーで、ハトロン紙もかけられているというところが、また大人の雰囲気を味あわせてくれるとでも言えるか。
装丁も赤と黒を基調にしていて、一見目立たなさそうだけれど重みを感じさせてくれて、これもまた大人の本という印象を強くさせる。
映画『紅の豚』がジブリ作品の中でもやや特異な大人の雰囲気を漂わせる映画だったが、その雰囲気をもっと具体的に手にとってわかるようにしたのがこの本だとも言えるだろう。
多分に映画の宣伝というか便乗商法の1つだったのだろうが、そんなものでもこんな本を作り上げてしまうというところが、スタジオジブリのすごいところだと言える。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

これって私のことですか

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何ともやっかいな本だと思います。
昨年刊行されて比較的すぐ読んだのですが、どうにも書評が書きづらく、今日までためらってしまいました。ですが、このまま放っておくのも居心地が悪く、何とか落としどころを見つけたいと思うのですが。
何がそんなに書きづらいかと言えば、この本のタイトルを読めばたちまち私にとっては『私は腹の底で何を考えているか』になってしまいますし、あるいは『同僚は腹の底で何を考えているか』とか『部長は腹の底で何を考えているか』や『医局長は腹の底で何を考えているか』とか『教授は腹の底で何を考えているか』と、本当のタイトルの「精神科医」のところに何人も具体的な名前が浮かんでしまうため、読めば読むほどその誰かのことになってしまうからです。まあ何と言っても私自身に突き付けられているようでしんどいというところなんでしょう。
それだけ内容は、さすが(?)ずっと精神科臨床を行ってきた著者ですから、これまでいろいろな本で語られてきた精神科医よりはるかにリアリティに富んでいます。すでに私自身が感じていたことや常日頃考えていることに近いことも書かれていて、
「けれども精神科医が動じることなく、一貫した態度を取り続けることは重要だと思う。そのことで、精神的な視野狭窄状態になっている患者へ視野の外に潜在している可能性を示唆することの出来る医師こそが、良い医者なのだと思う」(p.39)
とか、
「所詮は他人事でしかない。だが、せめて他人の心を推し量ることはとんでもなく難しいのだという「謙虚さ」を持っていなければまずいだろう」(p.58)
といった言葉には改めて考えさせられるところがありました。
一方で、「そうでもないだろう」ということもあるにはあるのですが。
本書の最初のうちは比較的客観的に精神科医療一般の現状や問題点、課題を挙げているような書き方だったと思いますが、後半へ進むにつれて著者自身の問題や反省、課題が語られているような印象もあり、そこがまたリアルで余計考えさせられるところでもあります。
この本の他の書評やコメントを見ると、この本が誰に向けて書かれたものなのかと疑問を呈しているものがあります。私も読んでみて確かにその点は感じました。この本を一般の人が読んでも何を言っているのかと思うだけのような気がします。多少精神科医療に関心があったり直接関わりのある人(患者、医療関係者)ならば、精神科医が確かに「腹の底で何を考えているか」を知って今後に役立つこともあるかもしれません。
けれども、私がこんなに考えさせられ、いろいろと思いめぐらしたのだということを考えると、これは実は精神科医へ向けられた本なのかもしれませんし、もっと言えばこれは春日武彦が自身に向けて書いたものではないかとも思えます。そんな話に付き合わされる読者はたまったものではないかもしれませんが。

この本の帯などには「100人の精神科医」が登場するとなっており、実際本文中にゴシック体でいろいろなエピソードを持った医者の姿がかっこ書きされ、さらにご丁寧に巻末にも100人のリストが挙がっていますが、ただ羅列されているだけでこの100人(というか医者のエピソードと言うべきか)が良い医者なのか悪い医者なのかは明確にされていません。新書としてアピールするにはこのように一見わかりやすそうな記述の仕方が必要だったのかもしれませんが、わざわざ「100人の精神科医」などと挙げる必要もなく、いつもの春日武彦の文章だけで十分伝わるのではないかと思います。
ちなみに私自身はこの100人のエピソードの半分以上が当てはまりそうな気がします。著者は「およそ3分の3はわたしの分身としか思えない」と書いています。だからどうだ、というわけではありませんが。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

あまりの壮大過ぎて、どう理屈をつけていいのかわからない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その昔、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』だったかで、雑誌連載の時には連載の1回ずつに見せ場がなくてはいけなくて、特に最後は続きを読ませたいという気持ちにさせるような終わり方をしなくてはならないというようなことを読んだように思う。そんなことをこの第2巻を読んで思い出してしまった。
以前からその傾向はあって、それが時に批判的にも言われているのだけれど、浦沢直樹の作品は基本的に雑誌連載をベースにしているので、1話ごとに見せ場や決めのコマなどがある。それが大きな物語全体として伏線になったり、サイドストーリーになったりするのだから、そのような物語を作り出し描くことができる浦沢直樹はやっぱりすごいと思う。
だけど、いくらなんでもこれはないでしょう。
1冊の中に、敢えて言えば4つも物語を詰め込んでしまっているのだ。
どこまで書くとネタバレになるのかわからないので、帯にある文章をそのままのせると、その4つの物語がある程度わかるだろうか。

六十年前、戦後最大の闇の中を跋扈し、
二千年前、救世主と信じられた男の運命を紡ぐ……。
そして五十年前のニューヨークでは、恋人たちに光をもたらす……。
はたして謎の漫画・ビリーバットの正体は!?
人類にとって、その存在の理由は!?

そうか、これだけ読むと4番目の物語が何かわからないか。
4番目は何と戦国時代なんだな、これが。
もちろん、浦沢マンガなので、これらはすべて伏線であるだろうとは思うけれど、どうやって収拾していくのか今から心配になってしまう。
まあ、そんな心配も杞憂なんでしょうけれど。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本音楽は自由にする

2009/10/31 18:13

坂本龍一も自伝を出すような年齢になったんです

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

坂本龍一の自伝だ。
まさか、そのような本を読むことがあろうとは。
これまでもメディアのジャンルを超えて様々な作品などを残してきた人だし、本本堂を起こした人であるし、村上龍などとコラボレートした本もすでに出している人なので、本を出版することに違和感はないのだけれど、それにしも「自伝」なのだ。坂本龍一もそんな本を出す年齢になったのかと思うと感慨深い。そして、そんな本を読みたくなってしまう自分の年齢も考えてしまう。
このところYMOが復活(?)したりして、確かに坂本の過去を振り返るような発言もあちこちで見られたり、聞かれたりはしていたが、これだけまとまって過去を振り返るという作業はなされていなかったと思う。
幼少期から思春期にかけてのエピソードなどを知ると、やはり坂本だなあと思うところと、意外なところとあって興味深かった。けっこうテレビ番組にはまり、バスケット部に入りといった普通の少年をしていたかと思えば、早くからピアノに触れ、クラシックになじみ、作曲までしていたという環境にあったというのは普通でないようにも思える。時代のせいもあるのだろうけれど、ジャズ喫茶に入り浸り、演劇にも関わっていたということなどもやや意外ではあった。もちろん、YMO以降も本人だからこそ、そして今だからこそ語られるエピソードもあり、リアルタイムで知っているからこそ、時間を振り返りながら読み進めてしまった。
そんな中、気付くのは章立てとなっている時間の区切り方だ。
1章が1952―1969年、2章が1970―1977年、以降1978―1985年、1986―2000年、2001―年。単純に坂本の生まれてから高校生くらいまで、大学から大学院時代、YMO時代、「ラストエンペラー」からその後ニューヨークへ移った時代、そして最近と考えてしまえば良いのかもしれないが、これこそが坂本自身が感じている自身の人生の転回点ということなのだろう。この時間の区切りごとでの活動の振幅こそが坂本龍一そのものなのかもしれない。
彼は確かに音楽家であるし、音楽をメインにすえた活動をしているが、その内面にはこれだけの振幅を抱えながらやってきた人なのだということを知れたことこそ、この本の意味ではないかと思うし、読み終わった今さらに坂本の活動を追い続けていきたいという気持ちにさせられた。

ところで、前から思ってもいたのだけれど、ひょっとして坂本は自分でもう少し歌を歌うのがうまいと思っていたら、もっとポップスのフィールドで活躍していたのではないだろうか。
それが良かったのか悪かったのかはわからないけれど、もしそうだったらもっと良質なポップ・ナンバーが聞けたかもしれないと思うと残念だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

別冊付録の表紙を見ただけでワクワクしてしまった

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いやあ、終わりました!
この頃の浦沢直樹は雑誌連載と言う制約のせいもあるものの、話がどうしても冗長気味になっていましたが、これは8巻できっちり終わってくれました。もちろんオリジナルである『鉄腕アトム 地上最大のロボットの巻』自体が現在のマンガの尺でいくと短めの話ですから、どんなにがんばっても話の伸ばしようがないということもあったのでしょうが。
それでも7巻から引き続き、物語が確実に収束へ向かっていく雰囲気というかリズムが感じられて、これまでのエピソードを積み重ねていくストーリーよりも小気味よい読みやすさがあります。
そして何と言ってもアトムの活躍があるからこそ、小気味よさが伝わってくるのかもしれません。
当初物語はゲジヒトをメインに話が進んで行きましたし、彼の記憶が重要な役割を果たしているので、あたかもゲジヒトが主人公と思って読み続けてきましたが、やっぱりアトムですよ。
確かに最後にきてアトムの活躍で締めてしまうと、ゲジヒトの苦悩はどこへ行ってしまったのか、人工知能が感情を持つことがどんな事態をもたらすのかといったこの物語で何度も語られてきたものがどこかへ行ってしまったような気もします。
それでも、アトムで締めてしまう。そこか『鉄腕アトム』のアトム足るところだと思いますし、浦沢にとってのアトムもこのアトムだったのだろうと思います。

最終巻の豪華付録は何と2冊!
雑誌連載の最終回と最終回1回前の分がそれぞれ1冊になり、往年の月間少年マンガ誌の付録のような装丁で付けられています。
この作品を一気に楽しむという点では、この肝心の2回分を分けてしまうのは勢いを削がれる感じもありますが、これもまたアトム足るところなのでしょう。そう、昔はこの別冊付録こそがマンガの醍醐味だったのですから。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

終わりだ、終わりだ。そしてアトムの復活だ。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

確実に物語が終わりに向かっているというのがわかる時があります。最初から完結している本ならば、ページを読み進めていけば残りページが少なくなっていくので感じるまでもありませんが、結末の見えていない物語でも何か収束へ向かっていく雰囲気というものがあります。
『PLUTO第7巻』は、そんな感じの1冊です。
もちろん世界最強と言われていたロボットが次々と破壊されてゆき、残ったのがイプシロンですから、それだけでも終わりが近いということがわかります。
もともとの『鉄腕アトム』のエピソードをなぞるようにして描かれてきた話ですから、『アトム』のストーリーを思い出せば、それでも終わりが近いということがわかるでしょう。
でも、それだけでない何かがここにはあります。
そうそう、表紙にも描かれているので書いてしまってもいいかと思いますが、PLUTOがようやく姿を現わします。ただし、それは見た目の姿であって、内面(ロボットに内面があるのか?人工知能として描かれているので、それもありか?)はまだ複雑で、それこそがこのマンガのテーマだったのかと思わせられます。
それにしても、イプシロンは悲しい。『鉄腕アトム』でもそうでしたが、とても悲しいキャラクターだということを、改めて感じさせられました。

豪華版の付録は、なんと『PLUTO設定画集』です。これなら、付録の付録たる面目躍如のような気もします。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本ガン病棟のピーターラビット

2009/04/29 00:19

それでもがんと闘い続けていく意志表明の1冊

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2008年に新たに創刊されたポプラ文庫の書き下ろしで、2007年秋から冬にかけての中島梓のガン闘病記です。ポプラ文庫としてはこちらが先に刊行されましたが、同じくポプラ文庫に収められた『アマゾネスのように』から続けて読むと、それだけで中島梓のガン体験記が一まとめに読めることになります。中島梓はスーパーウーマンのように思っていましたが、55年の人生で2回もガンの手術をし、今も尚薬物療法を続けてみえるわけで、けっこう病者だったのだと改めて気づきました。
そんなことを改めて気づくほど、基本的には人生に対して積極的に向かっている人なので、ガン体験記とは言えあまり暗いとか辛いとかいった印象はありません。しかし、前作(?)『アマゾネスのように』ではひたすら前向きだった著者が、この本では何だか達観したかのような文章がところどころに出てきます。まあさすがに37歳と54歳では思うところが違って当然なのでしょうが。
また以前の乳がんとは異なり、今回はすい臓がんであったためか、内蔵に触れる(と言うより取り除く)手術を経験するとどのように大変なのかを知ることができました。やむを得ないこととは言え、食事が摂れず、体も衰弱して起き上がるのも困難な状態が続くと言うのは、自分の命を守るためであっても辛そうです。そのあたりが、作家という仕事を持った人の手によって詳細に書かれているのは、同じ病を経験したり、今後そうなるかもしれない私たちに非常に参考になるのではないでしょうか。
残念なのは、この本のあとがきで肝臓へのがんの転移が明かされていることです。手術や化学療法が無駄であったとは云えないものの、はかばかしくない結果を知らされるのは、他人のことであってもうれしくはありません。それが中島梓/栗本薫のことであるというのが、また一層辛くなります。彼女にはこのような体験記はもちろんですが、もっともっと私たちが待ち望んでいる物語を多く書き続けてもらいたいからに他ないからです。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

この映像作品がDVD単体でなく、書籍として発表された理由

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

圧巻は、何と言っても3枚のDVDでしょう。この本はこのDVDにこそ価値がある、と言っては言い過ぎかもしれませんが、何度見てもその美しさに見とれてしまいます。かと言って映像にだけ頼った作品ではなく、きちんと言葉でも解説されているので、この本のタイトル通り「見てわかるDNAのしくみ」がわかったような気分になります。
最新の知見を入れた表現は、学生時代に教科書などで見た図や絵では理解しきれなかったDNAの姿を十分教えてくれます。パソコンやCGなどの技術は、こういうところにこそ使われてしかるべき、と思わせられます。学生時代にこれがあれば、もっと興味を持って理解できたのではないでしょうか。
であるならば、これをわざわざ書籍として発表することはなかったようにも思えますが、それもまた浅はかな考えであるようにも思えます。
第1部ダイジェスト編はDVDから抜粋してきた絵や図が収められており、ここだけでもビジュアル科学雑誌のようで、昔ならこれで十分理解の足しにしていたのでしょう。
そして第2部メーキング編を読むことで、DNAをいかに理解していくべきかを、この映像作品の制作過程を知ることによって同時に知るようになっていると見えます。そう、この作品が単にDVDだけで発表されたのではなく、書籍という形をとった理由もここにあると思えます。
さらに、中村桂子氏の「あとがき」にはDNAやこの映像作品のことだけでなく、生命科学が目指していくべき方向性(それを中村氏は「生命誌」と名付けて近年活動をしてみえるのですが)が丁寧に語られており、ここまですべて含めて理解することが大切なのだと思わせられます。
それにしても、やはり圧巻はDVDに収められている映像作品です。何度も何度も見入ってしまいます。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本戦争と罪責

2006/10/03 22:21

戦争における罪を感情を伴って認めることの大切さこそ、今重要なこと

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小泉さんの信念があるともないとも言えない行動のお蔭で、中国や韓国がなぜあんなに靖国に拘るのかということを改めて考えさせられた。もちろん外交とか政治の問題は単純ではないので、靖国問題も一言では片付けられないのだが、少なくとも日本人が戦争と言う時にアメリカやヨーロッパの国々を相手にしたことしか考えないというのは方手落ちのように思えてならない。私たち日本人が中国大陸や朝鮮半島で行ってきたことをきちんと考える必要が、やはりあるのではないだろうか。
 正面切って、歴史的事実として日中戦争を知るという方法もあるだろうが、それよりも何故今に至るまで日中戦争について公に語られることが少ないのかを考えてみたくて、この『戦争と罪責』を読んでみた。
 正直、辛い。
私たちは結局、単に日中戦争について語らなかっただけでなく、抑圧してきただけだったのではないか。そうしなければ戦後を生きていくことがむずかしかったと言うこともできるのだろうが、じゃあそう言ってしまえば許されるのだろうか。中国や韓国が今も尚私たちに問うていることの中には、そこの問題があるのではないだろうか。
 この本に登場する人の中には、自分が戦争中に行ったことの残酷さ、悲惨さを自ら引き受けて生きている人がいる。戦後世代である私たちは、彼らの話を真摯に受け止め、その上でどのように現在を生きていくのかということを、何度も何度も問い続けなければいけないのではないのだろうか。
 この本の中で語られている、中国に抑留された人たちが戦犯管理所等で経験した中国人の対応に驚かされる。自分の身内を殺したかもしれない日本人に罪の意識を抱かせ感情を取り戻させる為に根気良い対応をしている、その内に秘められた悲しみや怒りがどの程度のものなのか。それを知れば、今中国や韓国が、日本の総理大臣の靖国神社参拝を問題視するのも当然のように思える。
 すぐに答が出るものでもないのだろうが、改めて60年、70年前に私たち日本人が大陸で、世界で何をしてきたのか、歴史的事実としてだけでなく、そのような過去の延長線上にいるのが自分だと言うことを肌で感じながら考えることが必要ではないかと思い知らされた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本旧約聖書を知っていますか

2006/08/06 00:16

旧約聖書を知った気にさせてくれる本

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

キリスト教系の学校に籍を置いたことがあるので、聖書の講義を受けたこともあるし、少しばかり読んだこともある。だが、それきりだった。正直どこから手をつけてよいものかわからなかったのだ。
それがこの本を読んで、非常にすっきりした。旧約聖書は神話と歴史書と預言書の3部構成の本なのだ。
と言い切ってしまいたくなるほど、阿刀田高の語り口は明快だ。もちろん著者の大胆な推測や解釈が織り込まれているので、ここに書いてあるものをそのまま旧約聖書として理解していいわけではないが。
それでも、古典と呼ばれるものをこれだけ明快に表わしてくれれば、少しは「原典に当たってみてもいいかな」という気になる。この感じをどこかで経験したことがあると思い返してみると、手塚治虫の『火の鳥』や『ブッダ』などに通じるものがありそうだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

紙の本すき 谷川俊太郎詩集

2006/06/26 23:09

ごめんなさい。わたしはこのほんをしゅっぱんしゃのつうしんはんばいでかいました。だって、サインいりだったものだから。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

谷川俊太郎の詩は、声に出して読むのがふさわしいと思う。
小難しく頭の中で反芻するよりも、声に出して読むと谷川俊太郎の気持ちがすっと私たちの心に入ってくるように思う。
それは、大人でも子どもでも、きっと同じだと思う。
でも、子どもに読んでもらうためには難しい漢字は禁物だ。
だから、谷川俊太郎の詩はかなで埋め尽くされている。これできっと、かな文字を覚えたばかりの子でも声に出して読むことができるのだ。
そんなことを意図してか、ここに収められている誌は可能な限りかな文字で埋め尽くされている。題名も「いる」「すき」「いま」「いちからはじめる」「やま」「かわ」「うみ」「そら」と小さい子どもでも十分読むことができるもので占められている。
それに、校歌も収められている。歌になって、声に出して。やっぱり、それが谷川俊太郎の詩にはふさわしいということを改めて知らせてくれる。
そして、変に大人になってしまうと、このかなばかりの詩が読めなくなってしまうのではないだろうか。
そうならないように、時々この本を開くことにしたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

私は映画版をロードショーで見て、このマンガも読みました

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今更ながらの『ナウシカ』です。
映画版も含めて『ナウシカ』については多くの人が語っていますし、いろいろな見方があるのだということも「今更」だとは思います。ですが、だからこそ、個別の読み方を絶えず提示していくことは、この『ナウシカ』という物語を真に理解するのに資すること大だと思います。
ただし、個別の読み方を提示してこの物語に何か資するもものを提示するには、読み手の立場、背景もある程度提示しておく必要があるのかもしれません。
私は、この物語を読むのは(少なくともマンガ版1〜4巻あたりまでは)2度以上になります。映画版はロードショーで見ましたし、その後もテレビや何やらで何度か見ています。
さて、それでこの第1巻です。懐かしさと共に映画版との異同がチラチラ頭をかすめてしまいます。映画はもちろんアニメなので各々の絵がシャープですが、このマンガ版はペンタッチがはっきりとわかる微妙な線で描かれています。これが色の付いていない世界なのに陰影をはっきりさせているようにも見えます。私たちが生きているのではない世界を描くのに適しているようにも見えます。
物語そのものは、まだまだプロローグという感じですが、すでに腐海の秘密が語られ始め、王蟲も「話す」ことをします。映画版よりも複雑さを垣間見せているようです。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

藤原カムイ版『ドラゴンクエスト』の世界を楽しむための1冊です

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まるでアニメ本みたいな表紙で、あの藤原カムイ版『ロトの紋章』が帰ってきました。
中身もアニメ映画の解説本みたいに、3編のマンガの合間には本編のストーリーが要領よく載せられています。この本を読んで、また気持ちも新たに本編に戻るというのも一興かもしれません。
確かこの『ロト〜』は藤原カムイが本格的に少年マンガに取り組んだ作品だったと思います。だからなのか、ゲームのコミック化という取り組みそのものに思い入れないし思い残しがあったのか、描き足りなかったものをここで描いてみたという感じが伝わってきます。それだけ、ここに収められている3編のマンガにはキャラクターの性格付けなどがしっかりなされているということがわかります。
同時発売で、『ロト〜』の続編も刊行されましたし、『エデンの戦士たち』のシリーズもあり、しばらくは藤原版ドラクエの世界が続いていくのだなあということを、強く感じさせてくれる1冊でした。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

電子書籍

夫であり、身近な編集社であった今岡清氏が編者となった栗本薫の異色短篇集

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

栗本薫/中島梓が亡くなって、もう9年になる。時間が経つのは早いものだ。訃報を聞いた時に何故だが放心状態になってしまったのがついこの間に様に思えてならないのだが、そうかもう9年も経ってしまったのだ。そして、彼女が亡くなった年齢に自分が達してしまったと言うのも不思議な感覚だ。ケンタロウス野
グイン・サーガを初めとして人気作家だった栗本薫だけれど、亡くなってしまうと徐々に本屋の棚からその名前が消えつつあった近年だったが、ここへ来て電子書籍の全集が出たり、新装版が出版されたりしていたこの頃、こんな1冊が加わった。
長編小説を手がける作家のような印象が強いが、栗本薫にはいくつもの短編も存在する。そんな短編のうち、彼女の夫であった今岡清氏が編者となり集められたのがこの短篇集だ。なので、少し趣の違う点から集められた短編ということになる。
「ケンタロウスの子守唄」は、雑誌『SFマガジン』に初めて収録された栗本薫の作品だということだ。しかも、筒井康隆作詞の歌をモチーフにしているというものだ。今岡氏の解説にあるように、栗本薫のSFに対する、ましてや『SFマガジン』に対する深い思い入れによって書かれた作品だと思うとなんだか感慨深い。3つの短編からなるオムニバスになっているが、そのどれもが古き良きSFを感じさせてくれる。
「エンゼル・ゴーホーム」は、一転して軽いタッチでややハチャハチャっぽいところもあるが作品で、一気に読めてしまった。こうしたものまで手がけることができたというのは、栗本薫がSF作家である以前に、かなりのSFフリークであったということを思い出させてくれるようだ。
「パソコン日記」に至ると、どこまでが事実でどこからが小説なのか、読んでいるうちにわからなくなる(そんなわけはなく、あくまでもフィクションと頭ではわかっているのだけれど)面白さがある。
この短篇集の極めつけの1作が「手間のかかる姫君」だろう。冒頭部分しかない未完の小説で、グイン・サーガの外伝になったと思われるものだ。本当に冒頭部分しかないので、果たしてどんな作品になったのか今では知るよしもないが、これが書かれたきっかけとなったことなどが解説で述べられているので、それと合わせて1つの作品と思えばいいのかもしれない。
そして、「滅びの風」ということになる。これも、かつての海外SFの翻訳調のようにも思える作品だ。なぜだか哀しい気分になってくる短編だった。
というわけで、この本は今岡清氏の解説も含めて、1つのまとまりのあるものとなるように思えるくらい、栗本薫と今岡清の長年にわたるかかわりの中から生まれた短編を集めたということになる。全集や長編シリーズもいいけれど、こんな短編も栗本薫の作品としていつまでも残っていって欲しいなあと思えてしまった。
そうそう、最後には栗本薫描くマンガまで収められている。これが読めるという意味でも、いつまでも残っていって欲しいなあと思ってしまう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

電子書籍

電子書籍日本沈没 決定版【文春e-Books】

2017/12/08 00:05

今こそまたここに書かれていることを真剣に考えてみる必要があると教えられた

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小松左京の代表作にして、1973年の超ベストセラー。それを21世紀になって、読み返すことになろうとは。光文社カッパ・ノベルス版の初版で読んだのは、もう数十年前のことだったと思う。その時にどんなことを感じていたのか今はほとんど覚えていないが、最後に主人公(?)がシベリアへ向かう列車の中にいて、日本がもう沈んでしまったのだということを考えているというシーンがきっと想像もできないような寒さの中でのことだったのだろうなあというところだけが何故か印象深く頭の中に残っていた。当時10代だった私にしてみると、一種のSFパニック小説というイメージだったのかもしれない。
それから数十年。その間に阪神大震災も東北大震災も経験し、世界の情勢もある種様変わりし、自身の年齢もたくさん重ねてから読み直してみたら、バリバリとは言えないまでもしっかりハードSFであり、日本が沈んでいく理論というか理屈がしっかり書かれているし、後半に行くに従いポリティカル・フィクションの様相を呈してきて、ただ怖さや不安を煽ったりするような小説ではなかったということに改めて気づいた。特に前半で日本が沈没する可能性を検討している人びとが交わす話には教えられることも多く、いちいち納得しながら読んでしまった。小松左京が単に日本が沈むというフィクションを著そうとしたのでなく、日本や日本人のあり方に言及しようとしてこの小説を書いたというのは有名な話だが、この歳になり読んでみるとその意図がストレートに伝わったような気がする。
この電子版で特筆しておくべきは、小松左京のご子息であり、小松左京のの作品等の整理・分析をしている小松実盛氏が解説を書いていることだろう。単なる解説でなく、一編の小松左京伝になっており、これを読むだけでも非常に興味深い。
さらに、本編や解説に貴重な写真等が付けられており、これもまた小松左京という作家を知ったり、『日本沈没』という作品を楽しむのに役に立つ。
『日本沈没』が世に出てすでに40年以上経過しているのだが、今読んでも日本が世界の中で置かれている位置などについて何も変わっていないのがわかるし、だからこれからの日本や我々日本人はどうしていかなければならないのかということを考えさせられるという、ずっと色褪せない小説なのだと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

1,436 件中 16 件~ 30 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。