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  3. 吉野桃花さんのレビュー一覧

吉野桃花さんのレビュー一覧

投稿者:吉野桃花

53 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本天国への階段 上

2001/10/24 11:52

男ってこんなに間抜けなの?そして女は恐い

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 今年、あまりに話題になった本なので、流行ってるならやめようと思っていたんだけど、復讐の話だというのが気にかかり読んだ。
 うーん、前半はクールに作戦を展実行する柏木に引き込まれたのだけど、彼はどんどん良い人になってしまって、馳星周好きの私にはちょっと物足りない感じが。出てくる人がみんな「いい人」なんだよなあ。復讐の物語というよりは、血をめぐる人情話といったほうが正確だと思う。これでもかと「情」に問いかけてくる。え? それでどうなるの? 事実はどうなのよ? と 読んでしまうが、ラストはちょっとやりすぎでは…? 思わず「んな、アホな」と呟いてしまったよ、私は。まあ人間、そうそう悪になりきれるもんでもないけどねえ。
 読後いちばんに思ったのは「男は結婚や子供を育てる覚悟が決まるまで、絶対避妊を忘れずに」ってことだった。上下2巻の大作を読んで、この感想、自分でもあまりに間抜けだと思うが、ほんと「くわばら、くわばら」って感じ。
 うん、読んで損したとは思わないし、面白かったって気持ちはあるんだけど、感動とか感心とか、心にきゅっとくるものはなかった、というのが正直なところ。でも、人にすすめて「ねえねえ、どう思う? これ?」と聞いてみたいという興味は強いなあ。すすめるのに難しい本だ(笑)。

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紙の本そして粛清の扉を

2001/07/17 11:57

復讐はごもっとも。だけど残る後味の悪さ。

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 「バトル・ロワイヤル」とよく比較され評された作品であるらしい。でも。大量に人が死ぬってところが同じだけで、全く違う物語だ。私には、ほとんど共通点は見られなかった。

 これは復讐の物語である。最近の犯罪は、加害者自身、それを犯罪と認識してないケースが多いように思う。罪を犯してしまった、というよりも、マズったな、どうやってこれを切り抜けようかな、という感じの反省の弁。厚かましく、自らも何かの被害者のような理屈をこねて、罰を逃れようとする姿勢。やむにやまれず犯してしまった、というような後ろ暗さが全くないのだ。
 私だってこんな奴らは許せない。正直言って「お前が死ね」と思うこともしばしばだ(言葉悪いですね。ごめんなさい)。
 この物語では、そういうのうのうとした奴らを、スカッと殺してくれるのである。そりゃあもう、バシバシと。しかし、そこで私が「よっしゃ! やれ! もっと!」とワクワクしたかというと、それは違うのである。なんだか嫌な気持ち。我ながら戸惑うほど、妙に重苦しい気持ちになった。
 「こんな奴、殺されて当然でしょ?」「ロクでもないこといっぱいしてるんだよ?」
 だけど、藁人形のごとく次々と撃ち抜かれていくのを、とても正とは受けとめられないのであった。
 「北斗の拳」の悪役がやられるのには「ざまーみろ!」と素直に楽しめたのだけど、何故これは楽しめないのか。それは復讐者が普通の人間だからなのかもしれない。ケンシロウのように、超越した力を持つわけでもなく、生まれながらに闘いの宿命を持っているわけでもない。
 家族を失った悲しみと加害者への憎しみだけに自分を集中させ、無理矢理に冷酷な殺し屋になっているのである。その無理の部分が切なく、単純に仕返ししてスカッと、とは感じられないのではないだろうか。復讐なんてものは、そう簡単に背負えるものではないのである。

 物語の構成のことを言えば、もっと書き込んで欲しかった部分がある。ごく普通のおとなしい女性教師が、突如コマンドーになって復讐におよぶのだけど、その豹変する過程と、どうやらその後ろにあるらしいある組織のこと。
 作者は「復讐(あるいは私刑)もありではないか。被害者は泣き寝入りのように成り行きを見ているしかないのか?」という問題を投げかけていると思うが、その復讐側の状況や事情をもっと詳しく明らかにすると、テーマが際立ち面白くなったと思う。

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紙の本黒い仏

2001/01/25 14:01

なんじゃこりゃ!?

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 読み終えて、呆然。こんなのあり?
 九世紀に天台僧が唐から持ち帰ろうとした秘法が、福岡の小さな寺にあるらしい、と調査を依頼された石動は福岡に飛ぶ。そこで起こっていた殺人事件。どうやら天台僧の間での秘宝をめぐっての対立が関係しているらしい…。
 おお、宗教がらみか、これは古文書の解読とか細々出てきて読みでがあるぞお。うん?それにしてはページ数が少ないなあ。などと、思って読んでいたら、いやあ、ものすげえラストだった。
 “驚愕の結末!”じゃなくて、もう思いっきりハシゴをはずされた驚き、ね。うう、オチを言えないのがつらいが、こりゃ確かに究極の名探偵だわ。ほとんど反則なんですけど。
 これって「鉄鼠の檻」(京極夏彦・講談社ノベルス)のパロディ?それとも嫌味?(勘ぐりすぎか?)この作者、一体何を考えてるんだろう。
 うそ!反則やんそんなの、と思いつつ、やはり次に何を出すのか、まだまだ気になるのだった。でも次は図書館で借りるわ(笑)

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紙の本嫌われ松子の一生 上

2004/10/06 19:00

端から批判することは簡単だが、どんな人生にも思いがある

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

故郷で教師をしていた松子は、ある事件をきっかけにクビになり失踪してしまう。数十年後、故郷にその安否が知らされたのは、松子が殺害されたという一報だった。松子の甥の笙は初めて伯母の存在を知り、その身辺の整理を頼まれたことをきっかけに松子の一生を追い始める。

絵に描いたような転落劇である。失踪から亡くなるまでのフローを作ったら、すごく簡単に作れてしまう。どのポイントで間違えたのかが明白なのだ。とにかく松子は、人生において決定的なポイントで行っちゃいけない方ばかり行く。自分でこの方向に行こう!というのがなくて、自分で選んだようで人の思惑に乗せられてばかりなのだ。自分はこうしたいというのはないのに、一旦ある場所に落ち着いてしまうと妙に真面目に取り組んでしまう。
この物語を読んで思ったのだが、芯のところでは真面目に自分を考えているけど毎日の生活や仕事はぐちゃぐちゃ、というのと、自分の芯は持ってないけど指示されたり追い込まれたりしたら妙にそれを毎日真面目にやる、っていうのとで、どっちがどん底まで落ちないかといえば、前者なんだろうな、ってことだ。くだらないことや、やんなくてもいいことを真面目にやってしまって気付いたらどん底(例えばヤミ金を真面目に返しちゃう人とか。借りるのが悪いと言えば悪いのだが)、となるのが後者なんだろう。

それでも、読後じめじめした嫌な感じは残らなかった。暗い話を読んでしまった…、ってぐったりくる感じがない。何故だろう。
それは、現在の笙の捜索の様子と松子の一人称によって語られる過去が交互に出てくるという構成にあると思う。笙が調べて明らかにできた松子の生活。そして実際の松子の生活、思い。積み重ねられていくうちに、松子のすべてを知りたくなってくる。笙の存在は大きい。最初面倒だなあと思っていた彼も、伯母がいたこと、その生き様に、どんどん引き込まれていくのだ。笙に引っ張られて私も引き込まれて行く。知れば知るほど滅茶苦茶なんだけど惹かれる。
そして犯人は誰なのか? ラスト、犯人に対する笙の憤りと伯母への気持ち、そして松子が決して不幸な気持ちのまま、自分の人生の齟齬を全部人のせいにしたまま亡くなったのではないことが、この物語を単なる悲惨なミステリーではないものにしている。このラストでなければ、松子は単なる愚かな女で、読後感は気分の悪いものになっていたと思う。

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紙の本犯人に告ぐ 1

2004/11/24 15:10

理論と情の間で

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最も冷静にかつ的確に判断し仕事を進めていかなければならないのが、警察、教師、医者といった職業だろう。ある意味個人の感情をすべりこませない方がいいとさえ言える。かわいそうだ、見ていられないなどとなっていては仕事にならないが反面、猛烈に批判されるのもその点だ。他人事だと思って。被害者の、家族の気持ちを何だと思っているんだ。
私は常々このような職業についた人の決断ってすごいなと思う。人々のためになくてはならない仕事だけど、一度でもミスすれば強烈な批判にさらされる職業によくぞ!と。そこまで考えて決心する人は少ないのかもしれないが。私がそんな緊張の連続の仕事についてたらとてももたないだろうと思うので、少なからず感謝の気持ちがあるのだ。

ある誘拐事件でのミスで一線から外された巻島が、6年ぶりに呼び戻される。連続男児殺人事件の解決に向け、神奈川県警は前代未聞の作戦を開始する。その前面に立つ役者として巻島は呼ばれた。
犯人を追い詰めることばかりに気がいくと被害者の感情を損ねることになったり、だからといってお気の毒です分かります、あなた方の嫌だということは一切やりませんとか言っていたら捜査は進まない。個人的な家庭の状況が影響して感情的になることもある。そのバランスがうまく取れずに6年前の巻島は失態を演じてしまったのだ。今回はどう対応していくのか。

犯人逮捕。その気持ちは警察も被害者も変わらないはずだ。その2者だけならある程度嫌なことを堪えての両者の協力も可能なのじゃないだろうか。ここにマスコミが入ってくるから話はややこしくなるのだ。最もらしいことを言いながら、警察にとっても被害者にとっても報道されたくないことを我先にと争って流す。報道の自由の名のもとに。自由がときには暴力的だということはみんな知っていると思うのだけど。事実でも言う必要のないことは沢山あるのだ。

ラストの巻島には、本当になんて重いものを背負う職業なのだろう、という思いでいっぱいだった。もちろん理や利に逃げてやり過ごすという職業人生もあっただろうが、巻島は自分を許さなかった。犯人を追うということを止めなかった。こういう真面目さってあまり人にわかってもらえないよなあ、本人もわからせまいとしているようなところがあるし。かっこいいヒーローではない。でも、犯罪を許さないという強い気持ちが胸を打つ。
捜査における理性と人間としての感情。このバランスがこの物語のミソだ。作者が強く結末を限定していないので、読者それぞれの感想が出てくる物語だと思う。私は、ぽっと灯る蝋燭の火のような安堵を感じる読後だった。

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紙の本池袋ウエストゲートパーク

2001/07/26 16:54

断片的な語り口が心地よくサラサラと読める

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 ヒーローであるマコトがすごくかっこいい。どのチームにも属さず、けれど一目置かれている存在。
 売春していた女の子が殺されたり、地元のやくざとのからみがあったり、チーム同士の抗争騒ぎがあったりと、穏やかではないのだけど、何故か爽やかなのは、マコトがヒーローとして描かれているからだ。
 中立の立場でありながら顔がきく、というのは現実ではなかなか有り得ないことだ。しかし、マコトはこの物語のなかで、生き生きと「ひとり」で動いている。「ひとり」でありながら、みんなのため街のために動くのだ。これに魅かれずにいられようか!
 また、マコトが池袋で生まれ育ったというのも重要なポイントだ。自分もやんちゃはしているけど、このオレの街を、なんだか訳のわからないものがぐにょぐにょしている街にはしたくない、という気持ちが、ぐっとリアルに感じられる。
 プツプツと断片的に語られる物語なのだけど、物足りなさはないし、状況がわかりづらいということもない。
いつの間にか、登場人物それぞれのキャラクターも人間関係も、すっと頭に入っているのである。とっても読みやすい。
 物語の筋も面白いが、それ以上に文章を読む心地よさを味わえた。
 これはドラマ化されたが、その時は「チームの話なんて見たくもない」と全く見なかった。ドラマにも、このすうっとする爽やかさがあったのだろうか。もしそうだったら、私は大変損をしたと思う。

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紙の本手業に学べ 地の巻

2001/01/16 13:45

ただ生きる、ただ作る、その素晴らしさ

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 全国各地の伝統的な技を持った職人から話を聞いた、聞き書きの本。著者の意見や考えは、あとがきで少し述べられているだけで、本文はすべて職人さんの語りという形で書かれている。もちろん実際にはインタビューしたのであるから、著者の質問によって引き出された言葉なのであろう。(講演のまとめの場合もあるが)がしかし、インタビュー形式で書かれていないところが、うまいなあ、と思う。職人さんそれぞれが、問わず語りにぽつぽつと話しているような、そういう雰囲気がいい感じである。

 蔓細工や織物に特にひかれた。みなさん材料からすべて自分の手で作るのだ。1年の生活のサイクルの中で、何月にはこれをする、というのがきちんと決まっている。自然に逆らわず、その時々の様子を見ながら、材料を揃え作品に仕上げていく。そうして人が手仕事でできる範囲のことをやるだけなら、いくら蔓をとってこようと自然破壊になんかならないのである。
 織物に使う糸だって、自分で材料を育てちゃうんだから。そしてやはり自分の手でできる範囲を逸脱しない。「手仕事でできる範囲」を守っていれば、充分自然と共生できるのになあ、と感じる。
 でも、それは綺麗ごとにすぎないとも、同時に思う。職人技は日常ではなくて、もはや芸術工芸品としてしか生き残らないのは事実。というぐるぐる考えが回っちゃいそうなことは置いておいて。
 ただもくもくと物を作っている人の話はやはり面白い。何故かみなさんに共通しているのは強い自己主張がない、ということ。「なーんかね、こうなっちゃったんだよ。」という感じで。いちいち、自分の才能は何かとかどう生きるべきかとか、考えるのはナンセンスなのかも、という気がしてきた。
 そういうものは、ちゃんと前を向いて生きてたら後からついてくるんじゃないか?はじめっから決めてスタートする必要はないんじゃないか?

 この「手業に学べ」は他に、天の巻、風の巻、月の巻、とある。私はわりに手仕事の方に興味があったので、ヤマブドウ蔓細工、芭蕉交布、杞柳細工などが載っている本書を読んでみた。ご自分の興味に合わせて、ぱらぱらめくって見てはいかが?

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紙の本ダイバー漂流極限の230キロ

2000/12/22 17:38

生命力の強さとは余計なことを考えないことかもしれない

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 身ひとつで、新島から銚子沖まで流されたダイバーの生還までのルポ。

 ダイビングって、リスクの大きいスポーツなんだなあ、と初めて知った。いい加減なことをしてたら死ぬ可能性があるということを、いつも強く意識してなければならないスポーツ。
 潮のきつくないところで浅く潜るだけなら危険は少ないんだろうけど、もっと難しいところに挑戦したいという、初心者レベルを脱したころ、危険はぐんと大きくなるようだ。

 ひとり船から離れた場所に浮かび上がってしまった福地は、流れの速い黒潮につかまり、あっという間に船からはるか離れてしまう。最初は、こうして浮いていれば、すぐ救助がくるだろう、と呑気にしていたのだけど、いっこうにその気配はない。こうして、流されていることを仲間は分かってくれているのだろうか。次第に不安と焦燥が襲ってくる。

 漂流者のほとんどは、水も食料もあっても、絶望のあまり3日以内に絶望して自殺してしまうという。
 しかし、この福地さん、豪胆というか呑気というか。強い精神力、というような気取った言葉ではしっくりこない“鷹揚さ”がある。
 まず、死ぬかもしれないということを、一日以上過ぎてからやっと考え出す。
 サメに襲われるかもしれない、などとはツユも思わなかった。
 いったん不安に襲われても、何らかのきっかけ(くじらがいたとか、カニがいたとか)でいとも簡単に立ち直ってしまう。
 ギリギリ耐えるとか、自分をコントロールできる、という感じが全くしない。(あれ?これって結構失礼な言い方。いい意味ですよ。いい意味。)
 福地さんは沖縄出身なのだそうだ。理屈でなく、ただ今ここに生きていることのみを考える逞しさ(それもちっとも頑張ってるって感じじゃないのよね。しつこいけど。)は南国の人っぽいなあ、と感じた。
 生命力の強さとは、余計なことを考えない、ということかもしれない。

 そんな福地さんでも、最後救助された時点では幻覚を見ていたようだ。救助した船員と福地さんの証言が異なるのだ。もう少し早く、幻覚が現れていたら福地さんは生還してなかっただろう。
 本当に極限の230キロ。福地さんの素晴らしい“鷹揚さ”をぜひ感じて欲しい。

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紙の本おかしな男渥美清

2000/12/22 17:32

おかしなのはあなたの方だ

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小林信彦が自分自身が付き合って感じた部分だけで、渥美清を描き出した作品。ほとんど事実に違いないことでも、自分が直接見聞きしたこと以外は書かない、という姿勢である。

 私などは、寅さん映画も1本も見たことはなく、ただ後年の“日本人の情緒の象徴としての寅さん”というイメージしかなかった。
 野心家で負けず嫌いで、才気ばしった若い頃の渥美清を堪能させてもらった。
 その頃、夜中まで2人で笑いの話をし合ったというのだから、小林信彦が渥美清に与えた影響は少なくないだろうし、普通だったらそのまま親しく付き合うような気がする。
 でも、後年の“寅=渥美清”のころになると、著者は明かに渥美清とは一線を引き、振り払うようなまねまでするのである。

 正確ではないのだけど、この作品の中で小林自身が“僕には奇妙なくせがあって、人をエスカレーターの上に乗せるまでは、あれやこれやと世話をやき、いったん乗せてしまうと、もう一切関係なく自分とは違う高みにいる人として見ていたいのである。”という内容のことを書いていて、私は、あっ!と思った。これだよ。これ。
 横山やすしを書いた『天才伝説 横山やすし』のなかでも、映画に出ろ出ろと話を進めときながら、映画が順調に進みだすと、すっと側からいなくなるのである。
 その後、映画(唐獅子株式会社だったかな?)の2作目の話が上手く進まなくなって、そこからやすしはなんだか転げ落ちるように不幸な状況になっていくわけだけど、フォローもなし。
 正直、けしかけといてそれはないだろう、と思ったのだった。

 そうか。そういうことだったのか。
 なんだか、小林信彦の方がよっぽど“おかしな男”なんじゃないか、と思い始めてしまった。
 十数年後に小林信彦が亡くなって(勝手に死後のこと考えてすみません)、小林信彦のことを書いた本が出たら、絶対読もうと思う。
 自伝は書いてるから、ともかくそれは読んでおこうっと。

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紙の本ドミノ

2001/11/08 11:17

次々と軽快に倒れるドミノから目が離せなくなる。一気読み必至!

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 「風が吹けば桶屋が儲かる」的なコメディ。全く面識のない人々が、偶然の成り行きからコツンコツンとぶつかって、あら、なんか大事になってますけど、という感じ。ドミノが倒れきったとき、そこに何か絵が浮かんでくるのか、といえばそうではないのだけど、単純に楽しめる。俯瞰する楽しさ。
 冒頭に「登場人物より一覧」というイラスト&その人物の一言のページがあるのだけど、これおもしろい。最初にさらっと一読、読後にもう一度読むと「なるほど。うんうん」とまた楽し。
 物事の当事者は絶対俯瞰できないのよね。例えば、阪神大震災のとき。被害にあった方には情報が届かず、テレビの前にいる私には中継でガンガン情報が入ってきていたという皮肉。メディアによって、私たちは色々な出来事をかなり早い時期に俯瞰できるようになっているけど、だからといって何かができるわけではない。ただ見ているだけという居心地の悪さもある。報道って、わりと外部に「こんなことが起こってますよ」と伝える側面が強いような気がするんだけど(火事見物の野次馬根性ね)、その事態の最中にいる人々に「今、こういうことになっています」と伝えることが同じくらい重要だろう。
 阪神大震災のときに、地元のラジオ局が大活躍をして、ヘリコプターで乗りつけて中継で重々しく喋り風のように去って行ったキャスターが批難されたっけ。キャスターの人たちって、「現場で喋る」ってことに異様にこだわるもんなあ。事態を直接見ないと語れないことがあるのもわかるが、そうじゃない役目もあるだろうと思うのだが。
 なんてことを、ついつらつらと考えてしまったけど、この本はそんないきり立った本じゃない(笑)。単純に、パタパタ倒れていくドミノたちの様子を楽しもう! ちょっと疲れているけど何か読みたいなあ、なんてときにも楽に読めます。

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紙の本プラナリア

2001/07/26 16:52

いやーな感じなんだけどツボにくる

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 5編の短編からなる1冊である。
 もう性格悪い人がいーっぱいでてくる。ちょっとお近づきにはなりたくない。普段、こういうことすると嫌われるだろうな、と人々が謹んでいる部分を、思いっきり開放させたような感じ。病気ネタで人を凍らせる春香、仕事にばかり熱心で他人を見下した感じだった涼子、結婚に対して夢と打算のうずまく美都と浅丘のカップル。みんなロクなもんじゃないのである。
 そんなに全開にしていたら、さぞかし楽だろうと思うのだけど、本人が全開状態を自覚していないだけに、それなりに「私は辛い」と思っているんだよね。人と妙なかけひきしてみたり、人を試すようなことをして自分の首しめたり。そうはなりたくない、と思っていながらも、それが案外、普通に生活している人々の姿なのかもしれない。
 嫌な部分は誰にだってある。それをすくって、ぎゅっと煮詰めたような感じ。それを、身につまされるんじゃなくて、うっわー嫌なやつ! なんじゃそれ! と読んだ私は、相当おめでたくてオレ様かも(笑)。

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紙の本ピリオド

2001/07/17 11:58

戻れはしないし本気で戻りたいとも思わない故郷を切なく思う秀作

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 地方から東京に出てきた葉子。田舎に嫌気がさしてでてきたものの、結婚・流産・離婚・不倫と経験し、1人の今、故郷というものがとても大事なものに思えてきた。
 しかしまた、自分が東京で過ごしてきた20年程の年月は、田舎の家にも等しく流れ、もう戻ることができないのもわかっているのである。

 切ない。自分の家なのになんとなく居心地が悪くて、とにかく家を出たくて、大学へ行くことを半ば口実のようにして、東京に来た自分と重なるのである。
 20代までは、母とうまく折り合えなかった。ちょっとしたことで、口ゲンカばかりするのがとても嫌だった。だけど、子供もできて、私はもう東京でずっと生きていくんだ、と思ったとき、少しさみしかった。
 祖母、父、母、みんな年を取った。父と母は、まだまだ気弱になるような年ではないが、病気をしたり、あちこち痛かったりと、心配なことも増えてきた。
 弟、妹も結婚し、子供が生まれ、それぞれの家庭で頑張っているが、時にはちょっとした揉め事もある。もちろん、お祝いなど嬉しいことも沢山ある。
 その、嬉しいとき悲しいとき大変なときに近くにいられないのが、最近なんだかとても切ないのだ。何もこんなに遠くまで来ることなかったのにな、と思ってしまう。
 しかし反面、面倒な親戚付き合いや近所付き合い、派手な行事のない、今の生活もまた好きなんである。自分で選びとって、今がある、という自信もある。
 ただふとしたときに、感傷的になってしまうのは、やはり故郷を思い出したときなのだ。
 いざとなったら(ってどういう状況なのか(笑))、田舎に帰って妹の家の近くに住もう、なんて考えるだけでも、何か心が温かい。
 「姉ちゃん、勝手なこと言うて。こっちはこっちで付き合いとかけっこう大変なんよ。」と苦笑する妹が目に浮かぶようだが、あくまで心の遊びのなかでの話。
 息苦しくなったときの、気持ちを逃がす場所として、私にとって大切な場所なんだと思う。自分の都合のいいように田舎を利用するんじゃなくて、共にそこに居るくらいの気持ちで大切にしたい。

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紙の本カリスマ 上

2001/05/30 12:02

カリスマって結局自分の心を投影する道具なのかも

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 100%インチキな宗教団体が舞台。教徒には私は神だといい、嘘と屁理屈で固めた教義を駆使して、自らの欲望を満たすことしか考えていない教祖・神郷。ただ神郷は、自分はインチキで、欲望にまみれたただのおっさんだということを十分認識している。
 でも教徒とは恐いもので、教祖自身すら「どう考えたって信じてもらえないだろう」という嘘でも、呑み込んでしまうのである。特に、幹部教徒である氷室は、あんたこそ教祖じゃないの?ってくらいに、修行によって力を得、教義をすべて真だと受けとめている。言ってる本人もバカバカしいと思っている言葉に、癒され救いの道を見る教徒。恐い。
 デタラメな理屈の羅列のなかにでも、聞いている人間が何かを感じてしまったら、もうそれは真実になってしまう。カリスマがどういう姿かたちをしていようと、実はどんなにくだらない人間であろうと、受け手側が一度そこに真実を感じてしまったら(あるいは錯覚してしまったら)、教義は受け手それぞれの中で熟成され、揺るぎないものになってしまう。その時点でカリスマはもう必要ないのかもしれない。ただ、己の心の正しさを確認するよすがとして、形だけそこにあれば。
 カリスマとして君臨し、わが世の春を謳歌している人間と、それを不可欠なアイテムとして崇め、実は自分のために利用している人間。宗教のかたちをかりた、全くよくできたシステムだ。

 しかし、この教祖・神郷を描写する文章の下品さといったらたまらない。それが、俗物教祖をあますところなく伝えてくるのだけども。それにしても読むのがつらい部分もあったことを告白しておく。

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紙の本ぐるぐる日記

2001/03/23 16:55

両極にあるようなことが平気で並行する日常のおもしろさ

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 鬼怒川の奥、川治温泉という鄙びた温泉の宿でこの本を読んだ。自分は非日常の静かな場所にいて、他人の怒涛の1年を読む。なんて面白いんだろう。
 「日記」を読むのは好きだ。人は本当にいろんなことを考えている。洗濯ものを干しながら、ごはんを作りながら、生協の注文シートに書き込みながら。
 ばかばかしく現実的なことをしながら、心(頭?)のなかではものすごく様々なことを考えている。ちょっと高尚なことから、めちゃくちゃくだらないことまで。日常の細かな用事、カッとなって吐いた言葉、真剣に真面目に考えた事柄、全部が入り混じって混沌としている「日記」を読むと、なんだか「うーん、みんな生きてるんだなあ」って嬉しくなる。

 「人生はミックスサンドのようなもの」というのには、まさに!と思う。おいしくタマゴサンドを食べていたり、ほんとはあまり食べたくないんだけどってレタスサンドを食べていたりする。他人をうらやましがる人は、きっと他人がタマゴサンドを食べているところばっかり見ているんだろうなあ。そいで「私も食べたい。でも作れない。誰か作ってくれないかな。」とばかり思っているんだろう。

 あと、同じメールマガジンの発行者として(もちろんレベルも立場も違うけれど)、そうそう!と思うことが沢山あった。以前「読んでて嫌な気持ちになった」というメールをもらって、すごーく嫌な気持ちになった。でも、バックナンバーも公開しているんだし、自分が好きそうかどうかはわかるだろう。自分で選択して、しかもタダで読んでいるくせに、自分の判断ミスを私のせいにしないでよ! と、ムカムカしてたまらなかった。
 自分の嫌な気持ちを誰かに回さないと気が済まない人って、けっこう沢山いるんだな。そこで何度かメールのやり取りをして意見交換ができる人もいるけど、大体の場合、こっちからのメールに返信はない。自分の気持ちだけぶつけといてどういうつもりだろう?と思うけど、そういう人に何を言っても仕方がない。
 読者からのメールは、いつも開けるときにドキドキする。どういう距離感で付き合えばいいのか、今だによくわからない。ランディさんが出した「意見があるのだったら、あなたも発信者になって下さい。」というメールに返事はきたのだろうか。きてないんだろうなあ。それに返事を出す人だったら、すぐに発信者になるだろう。発信者になることなんて、自分が出したような嫌なメールを受け取ることだけ覚悟すれば、簡単なことだもの。

 最後に「この日記は99%真実です。」とある。でも「ランディの生活の99%」ではないんだよなあ。こんな凄い量の日記でも、ランディさんのある一面、でしかないような気がする。
 たった人ひとりのことですら書ききれるもんじゃないんだろうなあ、人間って一体どれ程の容量があるんだろう。書ききれやしないから、私もこうして日々せっせとものを書いているんだろうなあ。数年経って、書いたものを積み重ねたときに、きっとそこにはすべてを貫く1本の棒があって、その棒の部分を伝えようとして書き続けていくんだと思う。

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紙の本ぼっけえ、きょうてえ

2001/01/25 14:00

恐怖が笑いになっちゃう紙一重のところ

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 遊女が寝物語で、ぽつぽつと語る自分の半生。貧しい農村。因習のなかで差別される生活。うすら寒い。

 あまりにも「恐い恐い」という評ばかり読んでいたので、期待がふくらみすぎた。なあんだ、そんなに恐くないじゃん、というのが正直なところ。確かに、明治の寒村の因習の恐さ、当時は当たり前の日常が現代からみるとそら恐ろしい、という感じの恐怖はある。
 でも、怪談としての恐さではないな、と思う。
 表題作「ぼっけえ、きょうてえ」のラストは、いかにも怪談のオチではあるが、ちょっとやりすぎ。即物的なオチは文章では難しいような気がする。漫画なら絵のインパクトでいけるんだけど。
 私は、子供の頃読んだ「日本のこわい話」を連想してしまい、可笑しくなってしまった。どう言えばいいんだろう。ああ、子供んときはこういうのが恐かったんだよなあ、っていうような。(そのこわい話というのは、嫁が夫の留守に米を一升炊いて頭にある口からバクバク食ってる、って話。米の減りが激しいのを不審に思った夫が覗き見して腰を抜かす。ほら、なんかこう書いちゃうと可笑しいでしょう?)
 でも、じゃあつまんなかったのか、もう次作は興味ないのか、と聞かれると、そうではないのだ。土俗的な信仰や寒村の因習、といった舞台設定は大好き。その世界を描き出す文章にはひかれる。これからに期待。
 くだらないことだけど、岩井志麻子という名前、そして彼女のルックス、ホラーの人って感じよね。

 ああ、こんな感想を持ってしまったのは、書評を読みすぎたせいなのよ。私のなかで、「ぼっけえ、きょうてえ」は“ものすごく恐い怪談”ってイメージができあがってしまって。自分も書評を発表していて、こんなこと言うのもヘンだけど、書評を読みすぎるのはいかんね。いくつも同じ作品の書評を読むと、それだけでもうその作品を読んだような気になってしまう。恐い恐い。

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