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  3. hisaoさんのレビュー一覧

hisaoさんのレビュー一覧

投稿者:hisao

106 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本明治維新 1858−1881

2011/02/15 17:46

開国・近代化を保証するもの

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1858年 日米修好条約を皮切りに蘭露英仏との通商条約が相次いで調印された
1881年 “明治14年政変”を機に憲法制定・議会開設・産業民営化に向かっての路線が確定
1858年以前を開国以前、1858-1881年を“開国の衝撃を受けての変革期”、1881年以降を実践期とする
1858年日米修好条約締結は別として、1881年の年号は私ども素人にはちょっと馴染みの薄い年号である
1868年(明治元年)、1872年(廃藩置県)1877年(西南戦争終結)でもなく1889年(憲法発布)でもなく
大隈重信敗れ伊藤博文・井上薫らにより憲法制定・国会開設への工程に決着を見た1881年を維新“変革”の終了とされている点、まずもって著者のユニークな視点が有る
“ここで云う“変革”とは開国のインパクトに対応するために政治体制を再編し、国家目標を立て直し、
 その具体的内容、優先順位、工程表及び実施者につき合意決定する過程をさす“
日本は“明治維新”によって圧倒的な欧米圧力に対峙しながらも政治的独立を守り、社会を西欧化・近代化する事で逸早く欧米列強にキャッチアップ出来た
近代化と云うよりも極めて短期間に“富国強兵”を実現できたことは奇跡的驚異であり、中国・朝鮮等東アジア諸国の羨望の的にもなった
明治時代が“排他的・強権的な藩閥政権”による経済・軍事の近代化であったとする通説がある
著者は反論する
明治の変革は(第2次世界大戦後の東アジア諸国に見られた強権的近代化)=“東アジア型開発独裁”によるものでない
では日本が明治維新で“開国”・“近代化”に成功した理由は何か
著者はその秘密を国家目標が“富国強兵”“公儀輿論”二つに軸足を持っていた事に求める
二つの軸足をめぐって苛烈な“権力闘争”が戦われたが、紆余曲折を経ながらも国家全体としてバランスのとれた近代化路線を引く事が出来たとするのである
“富国強兵”路線の裏に“公儀輿論=明治デモクラシー”あり
2つ或いは4つの国家目標が拮抗する柔軟性、それを可能にした変革リーダー達の柔軟な戦略、幕末“藩”組織の合従連衡
著者は日本の変革主体がこの様な柔らかな“構造”を持っていた事が近代化を成功裏に導いたと考える
その視線は柔らかい社会的・精神的構造から硬質的な構造に陥った昭和の歴史への反省であり、昨今情報遮断・反政府に対する弾圧を繰り返しながら“近代化”を勝ち取ろうとしている“独裁国家”に対する警鐘である

さて 著者による維新変革主体の構造分析である
明治革命主体の圧倒的部分は士族(サムライ)であるが、変革に向けての人材育成・ネットワーク形成の孵化器の役割を果たした有力藩主の役割を大きく評価する(特に島津久光・松平春嶽・山内容堂らは封建商社の設置についても封建議会の準備においても強いリーダーシップを発揮した)
もとは旧制度の枠内に有った下級藩士や雄藩藩主が幕藩体制の外圧に対する軍事的無力・保守性に国家崩壊の危機を認識、権力闘争の中で覚醒して行ったと云う所だろうか
旧体制に帰する公卿、幕府学者、在野学者、豪商、豪農等や一般大衆の政治的貢献は余り評価していない
著者は明治日本の国際統合が成功した理由は、それが国際社会への受動的な“組み込まれ”ではなく、能動的な“翻訳的適応”として実行されたからだとする
翻訳的適応=“既存のシステムの担い手が、西欧文化=文明の各要素を自らの世界観のなかで読み換えて理解し、既存の制度をずらしながらもその原理を維持し、それに対応=適応してきた”
能動的“翻訳的対応”はどの様にして成し遂げられたか?
黒船来航と云う外的ショックを前に、幕末変革勢力の戦略は公儀輿論と富国強兵(現代風に云えば日本が民主主義を導入する事で経済大国・軍事大国になる事)だった
この目標は政争の過程で四つの目標、四つの勢力を形成する
憲法制定(木戸派)、議会創設(板垣派)、殖産興業(大久保派)、対外進出(西郷派)
特徴的な事は、これらの国家目標が同時並立的に追及された事、諸藩の合従連衡(例えば薩長同盟や薩土盟約)連携の組み換えの中で追求された事又リーダーたちによる目標の優先順位の自由な変更の下に追及された事である(良く云えば状況適応悪く云えば状況に応じてブレまくったかも知れない)
一つの目標の挫折は他の目標推進でカバー、一つの勢力の突出は他の連合で封じ込めると云う“柔構造”によって達成された
“柔構造”故に政治闘争は長期の内乱突入、その隙に乗じて外国勢力の介入と支配を招くと云った事態を回避できた

では何故日本は“柔構造”を持ちえたか?
1. 日本と西欧が広大なユーラシア大陸の東と西両端に位置する地理的条件に注目、大陸から遠すぎも近すぎもしない絶妙な距離が先進文明の吸収及び侵略と破壊からの防衛と云う2つの目的に極めて有利な条件を提供してきたとする(梅棹理論)
2. 両者に見られる封建制(土地に対する権益の授受を媒介とする主従関係)は地方勢力の割拠の下に政治経済力の底上げを可能にし、近代的工場制工業の成立にとっての前段階を提供した
江戸時代は決して閉鎖的硬直的な社会ではなく、市場経済・手工業の発展により近代的条件が徐々に醸成されつつあった
そこにもって外圧を契機とする徳川政権の軍事的無力露呈、更に外交的・政治的・経済的失策である
旧来の幕藩体制や身分秩序に縛られない政治闘争を許容する社会的環境はすでに生み出されていたのだ
3. 日本は外的要素の吸収と内的転換の繰り返す事で累積的重層的な社会構造を作り上げて来た
古い要素と新しい要素の柔軟な共存させながら、民族的アイデンティティを保持できた(翻訳的適応)
良く云えば柔軟性・包容性・プラグマティズム、悪く云えば原理の欠如・節操の無さ・雑種性
このような条件のもとに
4. 諸藩士の上下の交流、有力藩間の左右の交流による協力関係が形成されていた
5. 遠心的政治闘争は、支配階級の一部を構成する下級武士及び知識階級である豪農、豪商、在村知識人らが広く共有するにいたった民間ナショナリズムと云う求心的な精神基盤の中で進行したため、最後の一線を踏み越えることなく国家利益を目的に競われた

更に著者は変革期においては組織が“柔構造”である事の“強み”を五大藩の比較分析によって立証する
ここまで来ると薩摩藩は何故強かったか?越前藩・佐賀藩は何故弱かったかの下世話話のようにも思えた
寺田屋騒動、薩会同盟、薩土同盟、薩長同盟、西南戦争等を乗り越えて権力を握った薩摩の同志的団結に“公儀輿論”が有ったのだろうか
確かに“可変”しても“安定”している”柔軟な“運動体が強いのは当然だが、著者の云う”明治デモクラシー”が、それを保証したと云えるのか、何とは無しに割り切れない
ぶれても、分裂しても国家や組織の求心を保証するものは何か?
近代史そして開発経済学の練達の著作を前にして、思いは巡る

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経済ナショナリズムの勧め

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

“金融権力”でサブプライム不況をアメリカ金融資本の本質から抉りだした本山先生と“国家とは何か”“権力の読みかた”で暴力装置としての“国家”を暴いた気鋭の哲学者・萱野氏、“ご馳走”な対談である

*“今回の金融危機はアメリカ国家戦略の必然の流れ”
第2次世界大戦後の軍事ケインズ主義、ヴェトナム戦争の行き詰まり、1971年ブレトンウッズ体制崩壊、変動相場制への移行、プラザ合意でのドル安政策、一向に収まらぬアメリカの財政・貿易双子の赤字
主とするターゲットは日本、アメリカは日米構造協議で強引に日本の内需拡大、金融緩和を求めた
しかし事態は裏目に出る、80年代半ばより日本はバブル経済に突入
アメリカはどのような戦略で経済危機を乗り越えようとしたか?
売るものとてないアメリカガ目をつけたのは“金融立国”
国内にギャンブル場をつくり、世界のマネーをアメリカに集める体制をつくろうとする
1999年“金融近代化法”はその象徴である

*“アメリカが推し進めようとしたグローバルな金融システムとは?”
債券の証券化(ABS・CDOによるリスクの第三者への転化)
その証券の安全性を保証するモノライン(金融保証会社)、格付け会社、CDS
 CDSによって支払保証が商品として第三者に転売(なんとデフォルトが起これば儲かるのだ)
巨大化する先物市場、デリバティブ市場
結果、リスクは“ネズミ講”的に転化・拡散・蓄積されていった
両氏の主張の力点は、このような金融の“カジノ化”はアメリカの“国家戦略”として推し進められたと言う事だ
“国際金融は時の政治権力のもくろみや利益追求に依拠しながら発達する”
“市場主義はアメリカと言う国家が自らの金融権力と経済的ヘゲモニーを確立するために、
他国の市場への介入を批判するという文脈で出された方便である“
市場主義と言う旗印の下に推し進められたグローバリズム、実はアメリカ国家の帝国主義的野望だったのか?
そして今回のサブプライム不況によって“カジノ”経済が崩壊した

*“グローバル金融の頂点に立とうとしたアメリカの日本抑制戦略”
BIS規制(国際決済銀行の貸付は自己資本の12.5倍を超えてはならない)
 一方でアメリカは投資銀行のファンドやSIVで巧妙にBIS規制を回避
郵政民営化の要請(日本保険市場への参入が目的)
アメリカ金融資本にとって都合の良い時価会計導入
アメリカ“格付け会社”による日本金融機関の格付け
日本に求められた規制緩和と民営化(経済開放)

*盟友・日本はひたすらアメリカに追随、“アメリカ流グローバリズムの美名に翻弄される”
金融の基本は間接金融から直接金融、長期金融から短期金融に移行
(金融機関の企業育成の責務は放棄され、短期的利殖追求と保身に走る)
財政政策は禁じ手とされ金融システム保全のため厖大な公的資金が特定金融機関に注入
弱者は弱いが故に切り捨てられ、日本戦後の福祉国家的枠組みは崩壊する
建設業はじめ地元中小企業の破局、地域間格差の増大

*“アメリカはどう変わろうとするのか?”
アメリカは孤立から逃れるべく焦っている
投資銀行の消滅(その投資銀行を日本の金融機関が買収・てこ入れしようしているが訳が解らない)
オバマはニューディール政策復権を掲げようとしている
金融当局は規制強化の流れを強めよう
アメリカ資本が本国に逃げ帰っている状況下で現在はドル高、ドルの新しい使い道として資源開発とCO2排出権取引が有力視されている

*“さて日本は?”
アジアが世界に於ける経済成長の拠点になる可能性が大である
通貨取引所、石油取引所、天然ガス版OPECと、ルーブルを基軸通貨にする要素をすべて揃えようと狙うロシア、アジアのヘゲモニーを握ろうとする中国
アメリカ弱体化を前にして、それぞれの国が国家戦略で経済覇権を握ろうとしている
その中にあって、日本に国家の戦略が有るのだろうか?

*萱野氏による“経済ナショナリズム”の勧め
市場原理主義は誤りである(価格は需要供給のみで決定されるのではなく、“儲かる”という動機に従っての行動が合理的であるとも言えない)
しかし今度の危機で資本主義が崩壊するとは考えられない、資本主義の本流に戻る
資本主義の本流は福祉型資本主義である、徴税による再分配、財政支出など強制的な富の移転がなければ資本主義は成り立たない
国家と資本は対立するものではない、強制力をもった権力機構によって資本主義をコントロールすべきである
具体的戦略として“地元地域経済自立への枠組み”“食糧自給率の向上”“ESOP(従業員株式所有制度)”“アジアへのシフト”“アジア共通通貨圏設立”を挙げられています

*“感想”
アメリカ国家が打ち出した(似非)グローバリズム=市場原理主義の崩壊を受けて、“経済ナショナリズム”は、大いに“時代受け”する理論と思います
本山氏の今回金融危機必然性のスッキリした説明、萱野氏の(似非)グローバリズム(市場原理主義)に対する的を得た批判には思わず拍手したくなりました
国家戦略もなく、選挙戦を前にして単に見栄えの良い税金分配政策を羅列する政治家諸氏に飲ませたい薬でもあります
しかし国家の“介入”“強権”が国家共同体成員わけても弱者の利に積極的に結びつくかどうか、昔から論じ尽くされ、なお答えの見つからぬ問題には直接の言及がなく、気になる所であります

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紙の本司法戦争

2009/05/21 17:58

今日、裁判員法が施行されました

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いよいよ実施される“裁判員制度”
なんとなく納得行かなかったのだが、こう言う事だったのだ
現職弁護士の手になるこのリーガル・サスペンスを通して、とても解りやすく面白く“法の真実”を教えて頂いた
“裁判員制度”は何故強行されたのか?
司法官の加重労働、花形弁護士との経済格差
福祉・地方自治などに浸透されて来た“経済原則”、司法にも求められる“経済性”解決策の一つとして浮上した“裁判員制度”
有り体に言えば“裁判員制度”は“安上がり”なのだ(民主主義という表面を装ってではあるが)
間違いなく人の一生を左右する“司法領域”に“経済原則”を持ち込む事が許されるのだろうか
多数決という“安上がり”な“民主主義”で人を死刑・無罪・裁く事が許されるのだろうか
“裁判員制度”にはどのような危険性が潜んでいるのか?
殺人事件にはおよそ似つかわしくない美しい沖縄の海岸で最高裁判事が殺される、東京地検、法務省、内閣情報室、警視庁、日本中が巻き込まれる巨大な陰謀
今、あなたの目前に司法の実態が暴かれる、“裁判員制度”の問題点が浮き彫りにされる
恐ろしいけれど、目をそむける訳にはいかない

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紙の本脳の若さを保つ心のメカニズム

2008/06/14 17:01

”脳”を犯す病魔と闘う文化を!

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

秋葉原“通り魔”殺人事件、又また悲しい事件が起きてしまいました。
マスコミが連日“容疑者”の孤独のうめき、見勝手な”自己弁護”などを報道しています。
だからと言って勿論犯した大罪を免罪出来るはずもありませんが、
彼を殺人に駆り立てたのは脳の“病気”だと思います。
赤の他人をそして自分自身を殺傷するに到るまで破壊された“脳”。
偶々大脳生理学の権威による頭書の医学エッセーを読んでいました。
暴れる子供(行為障害)たち、鬱病、記憶障害、痴呆、狂気の大脳生理から
”自己という意識”成立のメカニズム、右脳左脳、男女の脳の違い、宗教の効果、天才の脳など、とても興味深い話題が解りやすく語られています。
現代のどうしようもなく膨れ上がったストレスが弱い“脳”を損傷する過程が明かされています。
破壊された“脳”が凶刃をふるわせたと言っても、責任はその“脳”の持ち主にあります。
社会的ストレスが根因だからと言って、社会の責任にするのはお門違いというものです。
しかし この“脳”の病、まさに恐るべき“人畜有害”の病です。
放っておけば人類の“死に至る”病です。“どげんかせにゃいかん”のです。
刑罰で押さえ込もうとしても“死刑になりたいから殺人する”変な人まで現れます。
昔も結構“狂人”が居ました。
狂人は隔離された上、催眠療法、麻薬療法、インスリン療法果ては
電気ショック、ロボトミー(前頭葉切断術)と言う荒っぽい手術も行われました。
今は大脳生理学の発達で心の安定・健常性を保つセロトニン神経やドバーミンを増やす薬剤が開発されているそうです。
勿論まだ手探り状態であり、脳の病気の治療は最も難しいものの一つだそうです。
先生の力点はやはり“予防医学”です。
ストレスは環境からの一方的な攻撃ではありません。
ストレスとの作用反作用、他から己を閉ざし、己自身を攻撃する事が“脳”を損傷させる事、”通り魔”の底知れぬコンプレックスを見ても明らかです。
先生の言う“心(脳)の健常性を保つ”予防療法“
1.プラス思考
(イヤな事は忘れる人が勝つのです、“いいかげんさ”を保つ事は“脳”を守る大きな手段です)
2.人の愛情”を感じて育つ事
3.光を浴びて、明るい光をイメージせよ
4.心の活性化に欠かせない肉食
5.十分な睡眠
6.規則的な刺激、手足の意味ある動き
7.一酸化窒素が海馬を刺激する(呼吸法)
その通りとは思いますが、この厳しい世の中にあってなかなか難しいクリア条件です。
“脳の健康”は長期的・社会的に取り組まねば解決が難しい課題です。
先生の本を読んで思います。
今こそ学校・家庭・社会教育の見直し等“命を守る文化”の建設が急務です。
大脳生理学の成果の上に立って壊れやすい“脳”を病魔から守らねば成りません。
ところで“福田総理問責決議”を受けて小泉前総理が“これはイジメです。イジメに負けてはいけない、逆境が人間を強くする”と息巻いていました。
確かに日本経済不況のまっただ中、小泉さんの飛び抜けた明るさに多くの日本人が救いの光を見た事でしょう。でも救われたのは有る程度“強い脳”の持ち主でした。
これからのリーダーには“弱い脳”を襲う病魔との戦いが求められています。

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紙の本会社法はこれでいいのか

2008/06/07 15:10

現代資本制は何を目指しているのだろうか?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

明治以来の商法を抜本的に改定して平成18年5月1日に施行された新会社法。
浜辺先生はまず会社法の立法がバブル崩壊に陥った日本経済が自由化、柔軟化を徹底的に推進(規制緩和)して外資導入を図るのが目的であったと強調しています。
まさに経済という下部構造の変化が法律という上部構造を動かした訳です。
専門外の人でも解りやすく新会社法の問題点、そしてこの問題ある会社法をどの様に使いこなすかを解説されています。
総じて会社法は規制緩和、“形式より実質”重視、極めて自由度の高いものになっています。
1.最低資本制が撤廃、代表取締役1名でも設立が可能になった事など誰でも簡単に会社が作れるようになりました。
2.定款により自由な機関設計、種類株式の発行が可能になりました(定款自治)
3.ちょっと意外な事に定款で株主総会の権限も縮小する事すら可能になりました(経営の効率性追求)
4.M&A時代に対応して三角合併、株式買取請求権、株主代表訴訟等の規定も整備されました
企業防衛としては定款に株式譲渡制限を定める事で非公開会社とする道が開かれています
5.資本金5億か総負債200億以上の大企業は監査システム・内部統制システムの整備を義務づけられますが、その具体的方法は企業に任されています
6.決算書フォームが変わりました
浜辺先生は、新会社法は理系のお役人が作ったためか“因数分解的手法”で作られ“読めば読むほど解らない”複雑な構成、尋常でない難解さになっている、難解な法文を読解出来る専門家を雇えるお金持ちのために作られた法律だと酷評されています
実際に立法に関係された葉玉匡美弁護士のブログ、“会社法であそぼ”
http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/  では 浜辺・葉玉両先生の本書を巡っての生々しい論争が紹介されています。
この論争で浜辺先生は最低資本制撤廃等につき“高給役人が利益団体の要請で作ったもの”“格差拡大、弱者切り捨ての法”だとまで言いきっておられます。
最低資本制を撤廃すれば、かって真面目な企業家がなけなしの資本を投入して設立した“株式会社”というブランドが無くなり、無計画に設立された会社やダミー会社が横行するようになると反対されるのです。
しかし最低資本制撤廃は株式発行価額規制廃止、法定準備金規制緩和、自己株式取得緩和等の一連の商法改定の流れの終着点です。“資本金”そのものが殆ど無意味になってきた経済実態を追認して形式的な規制を撤廃したのが“最低資本制撤廃”の様です。
だから借入金で“見せ金”を容易に調達出来る1000万や2000万の“資本金”に今更“株式会社”と言う勲章を付けて何の意味があるのか、資本金の多寡で企業の何が解るのかと言う反批判も成り立つ訳です。
それにしても本書は“法”というものが人間の営みの中から誰かが何らかの意図をもって形成されるという事を改めて教えてくれています。
逆に言えば“法”を解明する事で現代資本制の意図する所が読めるはずです。
資本制の象徴とも言える“資本”概念まで稀薄にしてしまう“法”を作り上げた現代資本制は何を目指しているのでしょうか、そしてそれが“格差拡大、弱者切り捨て”とどの様に繋がっていくのか、先生が次回著作でより突っ込んで具体的・実証的に検証される事をお待ちしています。

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この“闇”は心底辛くて暗い

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

正直 何とも悲しい気持にさせてくれるものだ。
私と同世代であるだけに、尚更に暗澹たる気持になる。
1943年、長崎平戸に生まれ、戦後の赤貧の中から這い上がった人生。
地方大学を苦学の上卒業、国家権力の象徴検察庁・特捜部に任官。
佐賀県知事汚職・阪大ワープロ汚職・文部省ノンキャリア汚職・撚糸工連事件・平和相銀不正融資・三菱重工CB事件・福岡苅田町長汚職事件などに活躍、“正義の味方”として“鬼検事”の勇名をはせた辣腕検事。
1987年、検察上層部の事件“揉み潰し”への嫌気と金銭的魅力から検事退官、弁護士となる。
一転して山口組若頭宅見勝、イトマン元常務伊藤寿永光、コスモポリタン池田保次、地上げ帝王末野謙一、“光進”の小谷光浩、詐欺漢代議士の山口敏夫などバブル時代に暗躍した“紳士”達に密着、“闇社会の守護神”としての人脈を広げ巨富を稼ぐ。
年貢の納め時か“国策捜査”か、許永中との接近も徒となって2000年、石橋産業手形詐欺事件逮捕、2006年実刑判決上告中の身である。
元特捜検事・弁護士の田中森一氏の半生記というか、不当逮捕への弁明書、“虎の尾を踏んだ”政財界に向けての暴露本である。
60年安保闘争の学生時代の逸話が語られる。昼は学校側の用心棒として学生達に殴り込みを掛け、夜は女子学生目当てのデモに参加。
当時のうぶな一般学生の生態、よーく解る。
田中先生はそうした姿勢を終生通されたようだ(60年安保世代の限界?)
私の貧困な経験から言っても、当時の官学貧乏学生の屈折した意識は相当なものだった。
不思議な事にエリートと言われる東大・京大出身者にして、より一層屈折していた。
“今に見ろ、きっと這い上がってやる”と言う社会的嫉妬心はエリ-ト意識の屈折した半面だったのだ。
戦後赤貧の中で鍛えられているから有能なのだ、実行力もある。
生の権力欲・金銭欲、屈折した上昇志向がやむにやまれぬ“イケイケドンドン”で成長期日本の波を駆け上がる。
検事時代の田中先生、“上”に上がろうと頑張った訳ではない。
彼にとって既成の権力構造なんて“キサマ、何様やと思うとるんや”と殴りかかる存在でしかない。
しかし“正義”のために頑張った訳でも無かろう。
権力から容認されて国家権力の暴力機構を蹂躙出来た“驕りの満足”だったかも知れない、兎にも角にも有能な“兵士”だったのだ。
国家は権力である、権力や金銭は“悪”であると見据えた上で、“場”を得る事で大活躍されたのだ。
“病弱の母親を看たい”という契機で弁護士に転じ、金銭渦巻く世界に身を投じる事になる。
年俸何億と言う収入を不動にし、故郷に豪邸を建てたが母親と同居したという話はない。
節税のため日本有数のヘリコプターを購入したが仕事で乗り回していた訳でもない。
マンション1棟分の金銭を賭けた賭けゴルフ、高級クラブ・ホステスへの蕩尽、名刺代わりにン十万から1000万もの金がやり取りされる政財界。ヤクザ・政治家・バブル紳士との交際。
億単位の金が乱れ飛び、万円が百円にも値しない金銭感覚、勿論そうでなければ生きていけない世界だったのだろう。
司法試験受験時代食わせてくれた糟糠の妻は去り、息子達にも背を向けられる。
お祭りは終わった、国策でバブルをあおり立てた国家権力が反転する。逮捕・拘留。
先生は刑務官に怒鳴る“俺の体に指一本でも触れてみろ。ただではすまんぞ”
単なる強がりでもなかったようだ。
実刑判決と引換に、政財界の巨悪が実名入りで本書等に暴かれる事になる。
法破りの弁護士、転じてベストセラー作家である。
確かに我々庶民、“あの先生は裏社会ではそんな事をしていたのか?”と情報を頂き、“金を儲ける”とは、“権力を握る”とはこう言う事なのだと、あからさまに教えて頂く事は有り難い。
でも現実は直視せねばならぬが、これは手に余る現実だ、救いようのない程腐れ果てた現実だ。
赤貧の田舎から青雲の志に燃えて出てきた有能な青年でさえ陥った“落とし穴”に通ずる“闇”
この“闇”は心底辛くて暗い。
この腐れ果てた現実を暴露する田中先生は“悪”は“悪”でも“必要悪”だと言って憚らない。
だから自分の行いも“必要悪”だと弁明されているかのようだ。
“ちんぴら”の“悪さ”を牽制してくれる本物の“ヤクザ”達。彼らがやり取りする巨億の金はどこから吸収された物だろうか?この金があればどれ程多くの若者が救われただろうか?
どれ程多くの人達が安心出来る老後を送れただろうか?
闇社会の住人は“社会的弱者”だと、弁護士をやめても“弱者”救済に生涯をかけられる決意の先生だが、
本当の“弱者”は誰か、先生だって良く解っている筈だ。
“俺には力がある、俺は強い力の結晶だ”と日夜念仏を唱えられる先生は所詮“強者”の“用心棒”だったのか?




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紙の本犯人に告ぐ 1上

2008/01/18 14:04

メディアの”陥穽”

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

“劇場型犯罪”“劇場型政治”
恥ずかしながら私も“劇場型経営”を主張しています。
“劇場型捜査”も当然有ってしかるべきと思います。
ただ“劇場型”と言う限り、語りかけるべき“お客様”は誰か?
TVと言う公共媒体を使っての演出が語りかけるのは一般大衆の筈ですが
主人公ヤングマン刑事のターゲットは勿論目に見えぬ犯人・誘拐魔のみ。
公開捜査が狙いではありません、傲慢にして臆病な顔を出さない犯人に向けた直接的な陥穽です。
主人公はいかに恰好よくてTV映えしようとも、シャイで孤高なサムライです。
決してメディア向きの男ではありません。
しかしこの不具合が小説として思わぬ面白さを引き出します。
自らの過去に生真面目な“落とし前”を付けようとする主人公。
利用しようとしたメディアから、大衆から逆に追いつめられて行く主人公。
うまく行かなければ牙をむく組織の長。
メディアの”陥穽”は主人公自身にも用意されていたのです。
その畳みかける筆力はミステリーと言うよりも心理小説として、
とても面白く読めました。

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紙の本チーム・バチスタの栄光 上

2008/01/07 19:37

面白いですよ

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いいですね。
限りなく重い主題を軽快にコミカルに溶きほぐす文体。
人物造型が素晴らしい。
狂言回しはお医者さんには珍しい?無欲でシャイで心優しいが打たれ強い硬骨漢。(これってまさか現役医師である作者の実像?理想像?)
したたかで食えないが誠実な病院長。
医師の誉れ、“神の手”を持つ天才外科医師。
そしてプライドと実力を破天荒なまでに振りかざして
密室殺人に挑む“超”役人は“ゴキブリ”と称せられる“ロジック・モンスター”
信じられないが、こう言う人達結構居ますよね。
こう言う人達があり得ないと言うか決して有ってはいけないが、結構ありそうな犯罪現場で踊る、殴り合う、喚く、泣く。

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”人の子”イエス

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

様々な聖書入門書がありますが、さすが小説家の手になるだけあって、とても美しく解りやすい”イエスへの誘い”の書です。
神学上最大のテーマ、イエスは“神の子”か“人の子”か?
三田氏はイエスは“神の子”ではなく人の”弱さ・罪”と闘った一人の革命家と考えてみます。
伏線として3つの物語があります。
まず神と最初に契約したと言われるアブラハム(旧約聖書)
神はアブラハムの忠誠を試すため最愛の子イサクを生贄に捧げることを命じます。
神は残酷です。契約の証は常の人の血を求めるのです。
2つ目、預言者ヨハネによる新たなメシア到来の預言。
ダビデやソロモン王再来による救いを求めるユダヤの民衆に対し
イザヤの描く救世主は威厳も美しさもなく忌み嫌われ侮られる人物だったのです。
栄光の過去、他国の民を殺し贅沢に溺れたユダヤ人に今、神は今過酷な試練を与えられている。
罪を自覚し、神に謝罪し、贖罪するため使わされるメシアは
すべての民の罪を一身に背負って犠牲の子羊になる弱々しい英雄でなければならない。
これは預言というより一つの思想です、十字架のイエスがこの思想を体現する事になります。
そしてイエス教団筆頭の弟子ペテロに見る人の“弱さ、罪”
“最後の晩餐”で死に至るまでの忠誠を誓うペテロにイエスが言います。“きょう鶏が鳴くまでにあなたは三度私を知らないと言うだろう”
ペテロはイエスの預言通り捕縛され死に臨むイエスとの関わりを否認してしまいます。
強調されるペテロの卑しさ弱さ、イエスだけがペテロの罪、人の罪を認識していたのです。
すでに自らの死を選び取ったイエスが教団の後継者、人間の“罪”に見せた苛立ちが印象に残ります。
暴動を恐れ早々と死刑を宣告して身の安全をはかる保守権力者と迷妄の群衆。
さて三田氏はイエスが永遠に生きる神の子なら、そのかりそめの死にどれ程の意味があろうかと問いかけます。イエスは神の子ではなくマリアが生んだ私生児と考えてみます。
彼は一種の革命家で民衆を組織して叛乱を企てた、しかしユダヤ中の民衆が一致団結してもローマに勝てるわけがない。その事に気づいたイエスの驚異の戦略。
ダビデの再来としてユダヤの王としてローマと闘うのではなく、かってイザヤが予言した“犠牲の子羊”として自らが犠牲となり、そのことで世界中の民を救うという企て。
武力で勝てないローマに対し残された唯一の武器は死で購う“言葉”と“行い”
イエスの死はすでに彼自身自ら揺るぎなく意図されたものだったのです。
しかしイエスの意図は彼の使徒にさえ想像を絶するものでした、一人孤独に十字架に上るイエス。
生身のイエスが最後の瞬間に思わず漏らしたうめきが私達を震撼させます。
“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”“我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか”
 “人の子”イエスから生身の赤い血が流れます。
イエスの預言通りイエスを否認して逃れた身を隠しながらペテロが、そして多くの人がイエスの血を見てはじめて自らの罪を自覚しイエスの意図に覚醒します。
この瞬間神と人間との間に“新たな契約”が成立します。
かってアブラハムが我が子イサクを犠牲にして神との間に最初の契約を結んだ様に神は“我が子”イエスを犠牲にして人間との間に永遠の契約“新約”を結んだのです。
“人の子”イエスは神の“我が子”になったのです。

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歴史への酩酊

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ソ連崩壊時、在ロシアの外務省国際情報局主任分析官として類い希な活躍をしながら(同氏の”自壊する帝国”に詳しい)、2002年鈴木宗男氏との癒着を取りざたされ背任容疑・偽計業務妨害容疑で逮捕、2005年2年4ヶ月の執行猶予付有罪判決を受け現在控訴中である。
下世話に申せば“転んでもただでは起きない”人である。控訴中に数々の“内幕もの”を起筆、“歴史証人”の役割を果たす。
本書は北方領土問題、田中真紀子と鈴木宗男の確執、自らの情報活動と逮捕に至った経緯、保釈を拒否しての512日間におよぶ独房生活と検事との闘争、外務省の裏切りなど世間にこんなに喋っても構わないのだろうか思う程書き込んだ氏のベストセラー第1作である。
情報・諜報活動には膨大な“機密費”が必要な事が窺われます。“インテリジェンス”の世界は法を遵守し法を執行する事を使命とする“お役人”なんかに決して出来る仕事じゃないようです。
だから仕事の出来る“情報マン”は世間の暗黙の了解の中で自由で縦横な働きをものにします。
でも危険極まりない仕事です。やりすぎる程やらないと仕事にならないのですが、やりすぎると落とし穴が待っています。
落とし穴を用意したのは“国家”でした。国家にぶらさがる“お役人” の嫉妬と“ごめんなさい”とは決して言わない佐藤氏のタフネスが事態を更に深刻にしました。
はからずも検事自身が口にした“国策捜査”(国家がいわば“自己保存の本能”に基づいて“時代のけじめ”として検察を道具に政治事件を作り出していくこと)
国家が鈴木宗男とそれに連なる佐藤氏をターゲットにして“大衆劇場”と“断罪の物語”を創出します。“国策捜査のターゲットになり検察に蟻地獄を掘られたら、そこに落ちた蟻は助からない、このゲームのあがりは全て地獄の双六なのである“
何故“国策捜査”が行われたか?法廷に於いて情報分析官佐藤氏が怜悧な分析をします。
小泉政権による本格的構造変換によって内政面ではケインズ型公平配分政策からハイエク型傾斜配分、新自由主義への変換が行われ、外交面では排外主義的ナショナリズムが主流となった。
贄にされたのが公平配分論者であり国際協調主義者、悪く言えば地方から選出され地盤の利権を喧しく主張する旧体質保守政治家の鈴木宗男とそれに連なる佐藤氏であった訳です。
にわかに信じがたい思いもしますが、外務省上層部の鈴木氏や佐藤氏への嫉妬・反乱そしてそれを契機としての政治の官にたいする主導権争いと見ればうなずけます。
国家は官僚を直接支配したがるものです。そして国家はその気になれば何でも出来る暴力装置を本質的に抱えているのです。
それにしても佐藤氏のタフネスはどこから出てくるのでしょうか?
近年IT企業に対する連続手入れも“国策捜査”だと言われています。逮捕されたIT企業主が追求したのはあくまでお金でした。しかし佐藤氏はカネや出世を動機とした訳ではありません。
ただひたすらに“国益追求”に走った結果が運悪く法に触れたと言う事を主張されているようですが、佐藤氏程頭の切れる方が単に“国益”のみを信条として逮捕されるに至ったとはちょっと思えません。
私の思うに氏を突き動かしていたものは“歴史への酩酊”のように思えます。
ウオッカを痛飲しながらソ連崩壊を見届けたように“歴史”に立ち会い自ら歴史を創り上げようとする“酩酊”とも言える様な“のめり込み”が氏を行動に駆り立てているように思えます。

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紙の本死ぬことと見つけたり 上巻

2005/06/25 14:07

何故に死人になってまで”使命”を守り抜こうとするのか

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

武士道と言えば“葉隠”
江戸 享保年間、肥前鍋島藩士山本常朝の談話を同藩士田代陳基が筆録した武士の修養書である。明治以降 昭和の戦時、特攻的尚武の精神を高揚するためのバイブルになったそうである。三島由紀夫が愛読、入門書を書き遺し“葉隠”精神で割腹自殺を遂げたのが1970年。“葉隠”に“武士道とは死ぬことと見つけたり”
降慶一郎がこの“葉隠”を翻案して小説としたのが“死ぬことと見つけたり”
あの降慶一郎が“葉隠”に入れ込んだと言うから意外である。
鍋島武士の鑑、鉄砲の名手 斉藤杢之助は “朝毎に懈怠無く死して置くべし”常住坐臥死人となる事をイメージする事を日課として生き抜いていく、老中松平伊豆守の野心、鍋島家本家・支藩をめぐるお家騒動を見事切り抜いていく。
剣豪にニヒルな所など微塵もない。
死に急ぐわけではない。“もともと死体ならその上殺そうとする奴もあるまい”
死人で無い限り 使命を全うして生きていく事の出来ぬ時代である。
例えば売られた喧嘩に刀を抜かなければ“卑怯”の誹りで死を賜り、刀を抜けば“喧嘩両成敗”で死を賜る。“常在戦場”武をもって“平和”を維持しているだけに何ともやりきれない世の中である。
斉藤の友人 能吏・中野求馬は もっと変わっているではないか。ヒラでは殿に意見も出来ぬ、殿に讒言して死を賜る事を目的に立身出世を願うのである。そして これも 死を覚悟した見事な働きで家老にまで登り詰め 藩を立て直す。
平時の世でも 人間にとって最も確かな事は“いつかは死ぬ事”で有ってみれば 如何様に死ぬかを人生の最大目標とする事は間違っては居ない。
死に急ぐわけではない、死を覚悟して明朗闊達に生きていく。
死を与えてくれるかも知れぬ“殿”に対してさえ決して卑屈でない。堂々と藩を守り殿を守るための術を行使する。これが“忠誠”と言うものだ。誇り高き武士の“忠”である。
武士の本質、術を弄し武器を取って自分の”土地”自分の“家”を守る事。
何故に死人になってまで守り抜こうとするのか。
“忍ぶ恋”。妻への夫への藩主への一族への“公”への“忍ぶ恋”、死人であるから もとより“片思い”である。無償の恋“片思い”に生きる究極の武士。
藩主・勝茂にしてもそうである。跡継ぎである愚かな孫に寄せる“忍ぶ恋”
“悲しみの風が勝茂の顔を吹き抜けていった。悔恨ではなかった。人として一人の男としてどうにも仕方のない成行だった”
降氏の“死ぬことと見つけたり”は彼の急逝により中断された未完の作品です。
遺されたシノプシスによれば杢之助は藩主没後補陀落渡海で殉死を果たす事になる。
求馬に到っては藩主死後の大いなる混乱を起死回生、身を捨てての奇計で解決 藩を救う。杢之助・勝茂に遅れる事20年 藩を救った奇計故の大罪の責めを一身に負って切腹、従容として殉死を果たすのである。
未完部分でもあり “殉死”などと言うと 私には到底解りませんが、“忍ぶ恋”なら左様な事も有りそうな気も致します。人間には“愚かさ”も似つかわしい。

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紙の本バカの壁

2003/07/16 13:48

親の気持ちがわかるか?ホームレスの気持ちがわかるか?

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一昔前一世を風靡した“唯脳論”等でマスコミでも著名な 脳生理学者 養老孟司先生が又また ベストセラーを出しました。
現代人(都会人)の思考停止状況、あべこべ状況を 現代人が張り巡らす“バカの壁”から説明しておられます。
五感から入力して運動系から出力する間 脳は何をしているか?
入力をX、出力をYとして Y=aX と言う簡単な1次方程式を導きます。
脳の中で a と言う係数をかける訳です.
a の値がゼロの例として オヤジの説教や上司の注意を聞き流すバカ息子、a の無限大の例としてオウムかぶれのバカ青年や原理主義者が上げられます。
平たく言えば a は適応性、賢い脳とは適応性ある脳の事のようです。バカな脳とは外界から切り離された自給自足型の脳のようです。

バカの壁の起因とも言える一元論的物の見方に警鐘を与えます。
都会人の脆弱性、自然発生的多神教に対する都市宗教として発達した一神教等を例示して、一元論的見方の限界に迫ります。神様を引っ張り出し一元論で割り切るほうが楽です、思考停止状況は気持ちの良いものです。
しかし 今 必要とされるのは“人間ならこうだろう”と考える極めて常識的な考え方だと主張されます。思考停止に変えて 崖を1歩登って見晴らしを少しでも良くしようじゃないか、それが生きている事の意味だと言われます。

大分前になりますが 新聞の小さなコラムに養老先生が“企業にとって必要なのは競争心豊かな個性的人間だろうか、それより相手の事を思いやる協調的人間じゃなかろうか”と言う風な事を書かれていて 成るほどと思った事があります。
企業の本質に迫るものです。極論すると金太郎飴やマニュアル人間が欲しくなりますが、そんな没個性ではなく 一言で言えば“人の気持ちが解る”人間を欲し養成するのが企業であり社会です。
だから 養老先生の言う思考は 思考の堂々巡りではありません、身体運動を通して学習する 開かれた思考です。バーチャルな思考の無毛性、弊害を排します。

“若い人への教育現場において お前の個性を伸ばせなんてバカな事を言わないほうがいい、それより親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかという風に話を持っていくほうが余程まともな教育じゃないか”と言っておられます。そして分かるという事の意味を 身体運動との関係として極めて実践的に捉えられています。企業で言えばあくまで現場密着型の開かれた脳こそ要求されます。

脳は社会生活を普通に営むため“個性”ではなく“共通性”を追求します。
まさに そのように人間は作られています。
そして 個性はもともと誰の身体にもあるものとして イチローや松井、中田選手等天才の脳と身体運動の興味ある話が語られます。

外界に適応して人は変わります。今日の私は昨日の私ではありません。
変わらないのは生み出された情報です。其処のところを現代人は勘違いしている。
脳化社会になって脳が一人歩き、頑固に情報から自分の独自性を守ろうと思考のぐるぐる回し、観念論の袋小路に自ら追い込んでいる。欺瞞に満ちたクソ個性が横行する社会への科学者としての根源的怒りを感じました。
その他 科学論、共同体論、身体論、無意識論等 さすが面白いお話が展開されています。

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紙の本弱い日本の強い円

2012/01/28 15:50

構造的に不可抗力とも言える”円高”に立ち向かうには?

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大震災直後の最高値更新、日本は景気が悪いと円高になる、財政赤字拡大が円安に繋がらない、為替相場をめぐる私たちの疑問に、元日銀・JPモルガン・チェース銀行第一線の金融プロが解りやすく解説してくれました

*長期的為替相場変動要因は購買力平価である
各国の製品価格の変動を考慮に入れた実質為替レートを、またグローバル市場全体での競争関係をみるためには、単一通貨だけではなく、複数通貨の動きをおさえた実効為替レートを用いる必要がある
この両点を勘案した“実質実効為替レート”は購買力平価から見た長期的均衡為替レートと言える
実質実効為替レートを見れば、物価安状態にある日本にとって現在の円レートは円相場が急伸80円割れを記録した95年4月頃に比べ、むしろ割安だ
だから今時の円高現象は恐れるに足らずとでも言う訳だろうか?
実質実効為替レートを見ることで現在の円高がむしろ割安だと言う事は理解できる
その事で私たちは60円50円まで円高が進む事も覚悟しなければいけないかも知れない
しかし だからと言って私には現在の為替レートが日本の経済、なかでも輸出企業への影響が軽微であるとは思えない、楽観は許されない
その時その時の為替レートで日本の経済構造が形成されている事を考えれば、為替レート変動のショックはその時点の為替水準が購買力平価から見た均衡為替水準と比べ割高かどうかより、変動の幅こそが問題では無かろうか?

*インフレはデフレより怖い
上記の観点から、著者は現在市中で心配されている円高に関しては差ほど重要視していない様に思える、むしろ今後予想されるインフレそして円安を危惧されている
“インフレ率が大きく上昇するリスクを冒すくらいなら、年間1%程度のデフレが続いていたほうが一般の国民にとっては幸せだ”、“デフレ=悪と言う考え方は強者の論理”だと言い切る
インフレ・ターゲッターに対する元日銀マンらしい反論である
しかし適正なインフレが投資・消費意欲を向上させる必要条件だとするほぼ常識化した経済理論に対してはどうお答えになるのだろうか?(著者自身、政策論としては後述の如く低インフレからの脱出を主張されている)

*中期的為替相場変動要因は貿易収支、更に資本収支である
“スポット取引の80%は投機筋の取引だが、これらはポジションの手仕舞いで相殺されるので相場への影響は中期的にニュートラル、中期的相場変動には貿易収支、証券投資、直接投資のように基本的には片道切符となるフローが重要である”
中期的為替相場を判断する上で資金の出し手か受け手か、経常黒字国か赤字国か、債権国か債務国かが重要になる、腑に落ちる説明である
さて日本の経常黒字は17.1兆円(貿易収支8.0兆円、所得収支11.6兆円)、そして世界最大級の対外純債権国である(後に触れるように2011年すでに貿易収支は赤字となってしまったが、中期的に見て著者の立論を修正する必要は無かろう)
貿易黒字は一義的に円買い要因だ(基本的に円高基調、だから円に買われる理由など要らない)
世界や日本の景気が好調なとき、リスクテイク嗜好を強めた日本の投資家が円を売り海外に投資する
対外投資が貿易黒字に絡む円買いを上回った時に円は弱くなる(好景気時の円安)
逆にグローバル経済が不調の時は、日本の投資家はリスクの手仕舞い、円の買い戻しを行う(不況時の円高)
一方米国は世界最大の貿易赤字国である
世界中の輸出業者が米国への輸出で得た米ドルを毎日淡々と売っている(基本的にドル安基調、だから米ドルに売られる理由など要らない)
ドルが買われる場合は世界の投資家が米国に(ヘッジなしで)投資するとき、或いは海外投資を行っていた米国の投資家が国内に資金を回避させるためドルを買い戻した場合、それらが貿易赤字に絡むドル売りを上回る場合である(不況時のドル高)
円もドルも資本の出し手であり、その通貨が資本調達通貨であるが為、世界景気不調時には共に高くなる
但しこの場合、経常収支・対外債権債務で円はドルより圧倒的に有利なため、円/米ドル相場は基本的に円高になる

*短期的為替相場変動要因は投機筋の手仕舞い“ポジション調整”が絡むためマクロ経済の要因で説明するのは無理である
そのため短期的為替相場の変動は複雑な要因が絡み合い、著者の解説もいきおい具体的例示に止まる
“殆どの人の「相場観」が「米ドル上昇」であるなら、おそらく米ドルは下落する。逆に殆どの人の「相場観」が「米ドル下落」であるなら、おそらく米ドルは上昇する”
いささか鼻につく物言いでは有るが、素人が玄人筋の後追いしてもはじまらぬと言う事だろう

*金利と為替相場の関係
アセット・アプローチの観点から前述の中期的為替相場変動要因に高金利国=通貨上昇、低金利国=通貨下落を加えるべきだったかも知れないが、金利動向と為替相場の動きは投機筋の短期的な思惑も絡み複雑である
“金利が上昇しても、同時にインフレ率が上昇している場合は、その国の通貨は上昇しない”
“ある国の短期金利と長期金利の差が大きい場合、長期金利が高くてもおそらくその国の通貨は余り買われない”
(米国の長期金利が上昇、米国債投資が増加しても、その多くは為替ヘッジ付の投資となる結果米ドル上昇に繋がらない)
“量的緩和政策は金利を通じてはじめて為替相場に影響を与える、ゼロ金利下では為替相場に影響しない”

*著者は結論的に次のように主張される
“今や日本経済にとって米ドル/円相場はドル安方向に下落した方が企業収益にプラスになると考えられるが、日本は貿易黒字国なので全体としては円安(対米ドル以外)となるほうが企業収益にとってプラスである”
そして“円高傾向が長期的に続いてしまう理由、つまり低インフレが続く状態を何とか変える事”
その手段として“日本企業が海外で稼いだ利益を国内に環流したくなるような仕組み、税制を整備すべき”と主張される
著者は“国力が為替相場を決めるわけではない”とされ、表題も“弱い日本・・・”とされている
しかし日本は生産性の高さで交易条件を高め外貨を稼ぎ、膨大な財政赤字でさえ国内で消化する事で円の信認を維持してきた国である
何をもって“国力”と言うかは別として、少なくとも“円高”は“強い日本”を象徴していないか、昨今の“ユーロ危機”にその感を強くする
但しである、“強者の強み”でいつまでも外需や米国債など海外投資に甘えていると、“弱い日本”に転落する、“円高”はその事への“警告”で無かろうか
ここまで書いてきて早くも“日本の経常収支31年ぶり赤字転落、国債の国内消化に懸念”のニュースが飛び込んできた、大震災の影響もあるが円高の影響が大きい
不可抗力の円高をどのように吸収するか、日本の経済構造の改革、“内需振興”が喫緊の課題である

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日本人は”あいまいさ”で生き抜いてきた

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

井沢さんの本は本当に解りやすくて面白い
古代・天皇が日本全土の支配者である時代から、平安時代・藤原関白他有力貴族が土地を私有し支配する時代
(公地公民制から三世一身法・墾田永世私財法、不輸の地となった“荘園”が国家財政を破綻させる事になる)
院政時代は天皇家(上皇)が藤原氏から支配権を奪い返そうとした時代だった(武力や法でなく権威でもって)
しかし天皇家は常にケガレを嫌い、武力を持つことを拒否していた
(勿論創始天皇の支配権は武力によって獲得された、権力がその頂点に立ったとき武力を否定したくなるのは日本に限らないと思いますが)
自らは文化にいそしみ武力は他から借りるべし(それが王道と言う事でしょうか)
武力行使のプロフェッショナル、初期の“武士階級”が天皇家や高級貴族に“侍う”事になる
しかし高級貴族や寺院は土地を私有できても、武装した開拓農民である武士は支配者の“用心棒”なるが故に土地の私有が許されなかった
こうした武士の抱える“差別に対する不満”に最初に目を付けたのが源義朝だった
頼朝は武士階級の頭目として中央権力に迫り、武士の土地私有権を勝ち取る事になる
自分の部下を日本国公職である地頭に任命する権利を獲得、自らは日本国惣地頭の地位を得る
土地の支配は人民の支配に通ずる、やがて頼朝は日本国惣追捕使として各国に守護を置く権利も得、公の警察権を獲得する
頼朝が権力奪取の最終段階として望んだ“征夷大将軍”を後白河は終生認めようとしなかった
後白河没後、後鳥羽によって1192年、ついに頼朝は“征夷大将軍”に任命された
頼朝の鎌倉幕府は完全に自由な徴兵権・徴税権を得、その支配下の独立統治を可能にしたのである
さて ここが日本歴史の妙な所であるが、藤原関白以来、日本の権力者は決して天皇に成り代わろうとはしなかった。逆に天皇の権威を傘に権力を維持しようとした。
何故なら、日本人にとっての“権威”は“王権神授説”ならぬ、あくまで“天皇=神そのものだったから。
権力と権威の分離、この矛盾を頼朝及び三代将軍・実朝は“公武合体路線”で解決せんとした
その路線にあきたらぬ土着・草の根の武士によって頼朝、実朝が暗殺されたとするのが井沢説である
(最高権力者と土着武士の思惑の差、トップの現実重視と現場の求心性は常に歴史を動かしてきた)
そして鎌倉幕府を継承した執権・北条政権も自ら擁立する天皇の名で後鳥羽配流まで強行したが、天皇家の権威でもって自らの権力を保証するシステムを否定する事はなかった(戦国時代から徳川幕府まで、その権力と権威の分業体制は代わる事がなかった)
鎌倉幕府が制定した“御成敗式目”も朝廷と幕府の関係は敢えて語らず、単なるトラブル対処マニュアル(憲法ではなく刑事訴訟法・民事訴訟法)だった
かくて井沢氏は日本人を動かしている原理(宗教)は法でも神でもなく、“和”と“ケガレ”だとの信条を述べられる(最高権威としての天皇さえ、ある時は“神”ある時は“人間”、自在に使い分けられる)
よく日本精神は武士の精神とも言われるが、“武士の原理は日本人の原理ではない”
悪く言えば、絶対的決着を避ける“あいまいさ”で巧妙に現実運営するのが日本人の特性という事だろうか
よく言えば、この“あいまいさ”が現実重視、変わり身の早さとなって日本の庶民はしぶとく生きてきた
無能とさえ思える現代日本の政治家・官僚、有るような無いような憲法9条なども、逆に日本の安全弁であったような気もする(井沢先生の日頃の主張とは相反する“平和惚けジジイ”の感想だが)

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組織活性に最も大切なことは、明確なミッション、中心になり風を起こすリーダーの存在、即実行するスピード

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

外資系企業からユニクロに転身、経理部マネージャーに配属された著者に柳井社長から与えられたミッションは
V字回復、グローバル化、グループ化でした
社長自身から与えられたヒントは 
1.“チームで仕事をして下さい”
2.“自分の部署だけの問題ではありません”
3.“プロジェクト的に仕事をして下さい”
4.“評論家は必要有りません”(解決法を明示し実行せよ)
結果、著者を中心とするメンバーは“ダイバーシティ(多様化)・プロジェクト”の立ち上げ、“ウイメンズ商品の強化”、ヒット商品“ヒートテック”“ブラトップ”などを生みました
改革の方法は“巻き込み術”でした

筆者が述べられている事は“動機付け”を最重視する近代“人間関係論”から導かれる極めて常識的なことかも知れない
しかし相も変わらず“組織”は硬直的組織、自己防衛組織、“仲良しクラブ”に陥るマイナス面を露呈しがちです
近頃、最も優秀な方々が集まるであろう官僚巨大組織に対する批判も喧しい
では官僚が無能なのか、会社の中間管理職が横暴なのか、それぞれ優秀な人材の筈である
大切なことは“組織に明確なミッションが浸透しているか、
組織員を自らの夢に“巻き込む”強力なリーダーが存在しているか“だと思います
組織員の自主性を育てるには、むしろリーダーの強力な指導性こそが必要です
(自主性を育てるための放任主義を是とする風潮が家庭・学校教育現場でも軟弱で利己的な人間、
もたれ合いの人間関係を生み出しています)
ユニクロの社長・柳井氏はむしろ独裁的経営者として有名である
柳井社長が筆者に突きつけた質問“それで、私は何をすべきなのか?”が象徴的である
社長自身“歩きながら考える”実践・結果を最重視される方である
まず何を実行すべきか、誰と実行すべきか?“巻き込み”はそこから始まる
筆者は単に“経理部”と言う組織の肩書きを背負った人ではなかった、
社長から明確に命じられた3つのミッションを達成すべく放たれた“プロジェクト・リーダー”だったのだ
筆者は“巻き込み仕掛け人”として中心に身を置き、一から組織横断的に説得、同志を集め使命達成に邁進する
筆者のリーダーとしての行動力に感動しました
だから懇切に書かれた“巻き込み術”も実に実践的・具体的な方策だったのです
バブル崩壊時、小泉首相の命により“構造改革”に獅子奮迅の活躍をされた竹中平蔵元国務相を彷彿させました
行動から発せられる実践的な言葉は力強く美しい

著者は“マネージャーに求められるのは部下の成績を厳密に管理することでも、細かく指示を出してコマのように動かすことでもなく、周りを巻き込みながら、チームとして、組織として成果を出していくこと”と言います
一人では無理だから、人に頼るべし、そのため人を巻き込み、同志・共犯者に仕上げ、“自分の仕事”として取り組んで貰うべし
仕事は根本的に“人と人とのコミュニケーション”で成り立っています
マネージメントは“人と人との関係”を構築する事(平たく言えば同志を増やして行く事)であり、
“巻き込み”とはチームメンバーのモチベーションに火を付けること
さて“巻き込み”の具体的過程は
1.マネージャーの立ち位置は“中間管理職”ではなく“中心管理職”(上下関係ではなく“巻き込み術”の仕掛人)
2.メンバーの強み、出来ることを的確に見抜き“巻き込み術”に向けたデーターベースを整備する(常に更新する)
3.くどく相手を分析、戦略戦術を練る(キーパーソンは上から攻める、中でも社長を巻き込む難関突破が重要)
4.口説き(プレゼンスは3分勝負、選択肢を明示した資料を持参、助力を願い相手を立てる事で自ら動いて貰う)
5.コミット&期限の取り付け(いつまでに誰が何をする)・念押し・確認(メールの活用)
6.成果を出させて、本人に喜んで貰う
更に部下のテンションを高める具体的方法が言葉の使い方に至るまで懇切に述べられています
1.プロフェッショナル・マネージャー5つの条件
2,コミュニケーション6つのポイント
3.巻き込みフレーズ19

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