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  3. 春都さんのレビュー一覧

春都さんのレビュー一覧

投稿者:春都

77 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本星の王子さま オリジナル版

2001/05/29 05:40

1冊の奇跡

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 飛行機乗りの私は、ある日不時着した砂漠の真ん中で1人のきれいな坊ちゃんと出会う。彼は、とてもちっぽけな星から来たのだという。

 いまさら僕があれこれ言うのもどうか、というほど有名な作品。だから、なにも言わない。言葉を費やせば費やすほど、この物語から受け取ったものが薄れてしまうような気がする。

 もし、あらゆる人がその一生に1冊の本を書けるとしたら、いや1冊しか書けないとしたら、テグジュペリのそれは間違いなく『星の王子さま』だったのだろうと思った。「こども」であり続けるのは、とても難しいことですね。

 なんてな。こんな気持ちになれるから、僕は本を読むのかもしれません。

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紙の本九マイルは遠すぎる

2001/05/29 05:36

言葉によって生まれる現実

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 一文だけを頼りに推理を働かせ、殺人事件が起きていたことを突きとめてしまうという、まぁなんと無謀な企みを思いついたものよと呆れてしまいそうな表題作。
 しかもこの言葉は、作者が教鞭を執っていたとき、かたわらにあった新聞記事の見出しそのままであり、よくあるような「答えを先に決めてから、問題を作っていく」ものではないという。

 この事実を序文でバラしてしまうのが、また作者の上手いやり方。どれどれお手並み拝見、ってな気分にもなろうものである。ちなみに探偵役はニッキィ、よく出てくるなこの名前。

 で、感想は「……なんか騙されてるような気がするぞ、おい」。釈然としないとでも言おうか。
 表題作の「九マイルの道を〜」の言葉、もちろんこれだけでは想像するにも限界があるし、仮定としての舞台設定を決めていかなければならないのは承知していたが、予想以上にそれが多かった。これだけ周りに「作って」しまえば殺人も起こるわな、というような。作品外、つまり作者・読者レベルで見ると、だけども。

 いくつかの平凡な作品はさておき、表題作ぐらいのわりと上質の編もあるのだが、どれも推理(想像)に説得力を欠いている。おそらく相方の頭が悪くて、反論がゆるすぎというのも原因のひとつだろう。

 そのストレートな想像でホントにあってんのかよ、と思っていると、「ニッキィさん、あなたのおっしゃった通りの事件でしたよ!」などと刑事が駆けつけ、あっさりご名答ぉ〜となってしまう印象が、ほぼすべての作品に残った。作者の頭にはもとより、ロジックを「魅せる」ことはなかったのかもしれないが。

 狙いはこの上なくおもしろい。でも出来は、「本格推理のエッセンス」なる謳い文句ほどのものではないかな。といったところでどうでしょうか?(誰に聞いてんだ)

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紙の本生ける屍の死

2001/05/29 05:18

これぞ王道、これぞ究極

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近では西澤保彦などの登場により、さほど珍しくなくなった「特殊な舞台・環境設定」ものと言えようが、ただミステリのパズル的要素で遊ぶだけで終わらないのが、この作品のすごいところ。

 「死と生」という最も大きなテーマに真っ向から挑み、ミステリというある意味「児戯」が許された世界でしか問うことのできない「比喩でなく、言葉通りの死者から見た死生観」をも含めて考察している。葬儀屋(関係者)だけに、人それぞれ死に対する自分なりの想いが多々あるのだ。
 しかし、だからといってミステリの形態を借りた「死学書」だと思ったら大間違いで、この作品はまごうかたなき極上の「本格ミステリ」なのである。

 物語中にくりかえし語られる様々な死生観。これらが考察のための考察、衒学趣味で終わることなく真相に密接に絡んでくる。

 本来のミステリであれば生者の思考形態だけ類推すればいいのだが、「生ける屍」が関わってくる殺人では、死者がどう感じどう行動するのかまで読まなければいけない。つまり従来の思考では解を導きだすことのできない動機=ホワイダニットなのである。

 また、屍とはいえ生きているわけで、見た目には他の生者と変わらない。つまりここにもまたひとつ「誰が死んでいるのか」という馬鹿げた謎が読者の前に現れてくる。とんでもないフーダニットを用意したものだ。

 作品をつらぬく一番の謎は「死者の甦る世界で殺人を犯す意味はあるのか?」であろう。人はなぜ殺人をするのか、それは被害者の息の根を止めることで安心感や優越感などを得るためであり、その前提(死)が崩れたときには全く意味をなさない。逆に自らに危険さえ及ぶだろう。
 しかし山口雅也はこの大いなるパラドックス(矛盾)に着地点を与え(しかも2つの方向から)、論理によって見事なまでに腑に落ちる解決を用意するのである。もちろん伏線は充分すぎるほど張られている。

 最後に僕も、文庫解説での法月倫太郎氏にならい、この作品に以下の賛辞を送りたい。
 「これぞミステリの王道だ!」

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紙の本エイジ

2001/05/29 03:48

あったよ、こんな時期

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小野不由美の『屍鬼』他を退けて、山本周五郎賞を受賞した作品。

 膝の痛みのためバスケ部を休部し、なんとなく毎日を過ごしているエイジの住む街で、連続通り魔事件が起こる。漠然とした恐さを感じていながらもやっぱり他人事だと思っていたエイジたちに、犯人はクラスメートだという話が伝わってきた。
 世間の「中学生は……」という視線のなかで、エイジはなにを感じ、思い、過ごすのか。

 「等身大」と言っていいのかわからないけど、中学生のときってこんなだったかなあ、なんて。宗田理なんかが書く「型どおりのいい子」とは大違いの、不安定で、不器用で、カッコイイことがなんとなく嫌な中2の男子を、みずみずしい文体で描いていく。
 個性的でありながら「いたいた、こんなやつ」というキャラを随所に配し、そこに思い悩む(ぜんぜん陰鬱じゃないんだ、これが)エイジを重ねていくのが上手い。不自然に「大人から見たこども」的なものがでてこないのもいい。

 まあ、当の中学生が読んだらどう思うかは別なんだけど。面白かったっす。

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読者にも作者にも、発見がある

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 期待通り、『夏目房之介の漫画学』よりもつっこんだ批評になっていて、僕はこちらのほうがずっとおもしろく、楽しい勉強になった。あちらは作品を元にしてマンガ評を語るものだったのに対し、こちらは著者のマンガ学とでもいったものの具体例として作品をあげる形式だったからだろう。
 「線」と「コマ」を中心に、さらには「言葉」も含めた批評スタイルは、やはり自らもマンガを描いているという経験からくるものだけに説得力がある。しかもおもしろい。

 ペン(線)の違いによる絵の印象の変化、コマによる時間的/空間的な操作、文字であり絵でもあるオノマトペ(擬音語/擬態語。ドアが閉まるときのバタンッとかいうやつ)、他にもここには書ききれないほど多くの「マンガ表現」が列挙、というより「抽出」され、わかりやすく解説されていく。

 普段、僕らが読んでいるものは、実は驚くほど複雑な構造をもっている。とくに少女漫画は、欧米などではどう読み進めばいいのかもわからないらしい。
 日本の読者にそれが可能なのは、小さな頃から慣れ親しみ、複雑な構造を無意識のうちに理解してしまっているからだ。身に染みついている。
 だからマンガはいかに面白いことをやっているのか、効果は感じていたとしてもなぜそう感じるのか、そこになかなか気づけないしわからない。
 夏目房之介はそれをひとつひとつ解きほぐし、僕らにわかるように平易な説明で、気づかせてくれる。おそらくは実作者でさえ、慣習と経験により無意識に使っているかもしれないそれら、マンガ表現とはどれほど奥が深いものであるかを教える。

 マンガ好きであればもちろん、マンガのことはよく知らんという人でも、同じように発見があるに違いない。僕みたいにあまりマンガを読まない人間にとっても、これはマンガ評論として優れていて、かつ面白いということはわかる。

 マンガはなぜ面白いのか。面白くするために、これだけの技法を開発し、発展をめざし、洗練させていこうとしているのだから、そりゃあ面白くもなるはずだわ。
 数多の先人と、現在もなお試行錯誤をくりかえしている創作者たちに、感謝。

 しかしゴルゴ13が泣きべそかいてる顔はものすごく変だった。

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紙の本星を継ぐもの

2001/05/29 05:44

SFで遊ぶ大人たち

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 地球人とまったく同じ姿形をしたチャーリー(発見された死体)。彼は何のためにどこから来て死んだのか、そして何者なのか。
 「未知という謎」を探るべく集った超一流の科学者たちがそこに覚えた感情、僕は間違いなく「哀れみ」だったのだろうと想像する。違う言語を使い、得体の知れない科学を用い、しかも自らは語ることのできないチャーリーの想いを知ることは、好奇心ももちろんあったのだろうけども、それ以上に「隣人の言葉」を聞いてあげたいという意識もあったのではないか。
 この広大すぎる宇宙にちっぽけな船でこぎ出した我々の、やっと見つけた最初の隣人こそが、チャーリーだったのだから。

 まぁ何とも楽しい。僕はその道の専門家、特に「天才」と呼ばれる人たちが活躍する話が大好きらしいのだけど、この物語はそれのみで創られていると言っても過言ではない。
 くり返される議論、積み重ねられては崩される思索。「知の饗宴」とも呼びたい天才たちの挑戦には、たしかに本格ミステリと同種のおもしろさを感じた。

 SFの印象として「作品内に限られた理論で終始する」というのがあったのだけど、どうやらそう簡単に言い切れるものではなく、率直に言えばバカげた偏見だったようだ。
 そういった側面は多少あるかもしれないが、僕はもっと「閉じた、窮屈な世界」と想像していたのである。考えてみれば、僕のようなものでさえ嫌だと感じる理由が本当にあるのだとしたら、あらゆるジャンルで最も熱狂的な愛読者がいる(と僕は感じている)SFなんてものは、とっくの昔に滅びているはず。お見それしました。

 でも、主人公たちが開発した「トライマグニスコープ」は、もっと物語にからんでくるのかと思った。謎の死体問題に関わりを持たせるためだけに、都合のいい道具をひょいと出してくるのはどうだろう。ストーリーが冗長になるのを防ぐべく作ったのはわかるのだけど、SF初心者としては期待してしまうじゃないか。

 冗長になるのを防ぐといえば、いわゆる「説明」にすぎない文章がほぼ半分を占めている。登場人物を軸に話を進めていこうとしたら、おそらくとんでもない長さになるだろうと、作者は考えたのだろう。
 その部分は小説を読んでいる気がしなくて、科学本か歴史本か、とにかく味気ない感じを受けたのだけど、当然のことながら重要な箇所というわけでもないので、意味のある省略として捉えることにした。この人は説明のほうが上手いというのもあるが。

 何はともあれ、SFにはまりそうである。

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紙の本幻の女

2001/05/29 05:31

真っ向からのサスペンス

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 無実ではとの疑いを持った刑事と、ヘンダーソンの親友が動き始めたころには、すでに事件から数ヶ月が経っており、手がかりも消え失せてしまっている。
 そんな状況で、一緒にいた当人すらも憶えていないような女を見つけようなどとは、まさに幻を追い、煙をつかもうとするような馬鹿げた行動である。

 しかし彼らは、はなから勝ち目はなく、希望の光も見えない謎の闇を手探りで進んでいく。すべては監房のなかで自らの死の足音を聞きつづける者のために。

 真相にいたる道は、推理でも、警察組織を使った捜査でもない。一人の人間の足による、目撃者・証言者への徹底した探訪であり、彼らの脳裏にかすかに残る記憶の残滓だけだ。そして彼のたどる途上にも、いくつもの死体が転がり、せっかく得た証言者がその言葉を失っていく。

 友に迫る死への緊張感と、幻の女を見つけることができるのかという不安、接近したものたちが次々と不可解な死を遂げていく恐怖。「サスペンス」にいだくイメージそのままの、いや最上級の興奮がこの作品にはある。

 行き当たりばったりといえば聞こえは悪いが、しかし彼らのとれる手段はそれだけ、頭を使った推理などしているヒマはないのだ。
 だから物語は停滞することなく、スピード感に満ちた展開を見せる。章のタイトルとなっている「死刑執行?日前」の記述とは、登場人物と同様、読者にもつきつけられる残り時間である。本を置く余裕などない。

 紹介文に「サスペンスの詩人」とあるように、文章にもこだわりを見せている。最初の一行、「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」が、この作品そのものであるといってもいいだろう。訳文でも充分魅力あるが、これはぜひ原文で読み、舌の上で転がしてみたい文章である。

 僕はいわゆる「古典」をあまり読んだことがない。それゆえに、良いイメージ、というか現代のものと比べて特に優れているところがあるとは思えなかったのだが、少しだけその認識をあらためる必要があると思った。

 なぜ「古典」と呼ばれるまでに、多くの読者によって読み継がれているのか。ミステリファンの目は、昔も今も、同じ輝きを持っているのだろう。興奮のメカニズムは100年経とうが1000年経とうが変わりはしないのかもしれない。

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紙の本黄金色の祈り

2001/05/29 04:37

ふりかえることができますか

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最初に言っておきたいのだが、これはミステリとしては特別優れている作品ではないと思う。いや、「謎の部分」と言った方がいいか。
 とにかく、西澤保彦は奇抜な設定とロジックを評価されがちだが、彼の持つもうひとつの作風にして、実は全作品に流れていると言える「人間の奥深くにある心理」を描いたものとして、これは僕の読んだなかでベストなのである。その心理が、いつもいつも僕のことを書いてるようで、身につまされるのはなんでだろう。

 取り壊す予定の旧校舎から、白骨死体が発見された。僕の、かつての親友だった。かたわらに置いてあったフルートは、高校時代に入っていた部活で、何者かによって部員の一人から盗まれたものだった。
 親友はあの時の犯人だったのか、それとも犯人はべつにいて、そいつによって彼は殺されたのだろうか。

 つらい作品だった。ここに書かれてあること、それは僕がこれまで意識の外に追いやり、目を逸らしてきた「現実」と重なってしまうからだ。そう、主人公と同じく、僕だって分かっていたはず。自分で自分をだまし、自己欺瞞という目かくしによって、いかに現実から救われてきたのか。

 都合のいいように解釈することで解決したと思いこみ、あるいは折り合いをつけ、それによって傷ついた人がいたとしても、それさえもいつの間にか、僕ではない「誰か」のせいにしてしまう。これまでの人生で、どれだけくり返してきたのだろう。

 しかし心の奥では、自分がどう目を逸らしたのか、自己欺瞞をかけたのか、そしてあの人たちを誰が傷つけたのか、すべて分かっているのだ。それによって、どれだけ後悔することになるかも、そうだ、僕は分かっている。それなのに、何故。

 名作というわけではない。しかし、何年か経ってから再び読んでみたい作品である。いまの年齢の僕がこの作品から感じたことを、25歳の、30歳の、そして執筆時の著者と同じ年齢になった僕はどう感じるのか、とても気になるから。

 主人公は過去の自分を振り返ることで、自らの罪(そう呼びたい)に気づいた。いま現在だましつづけているであろう僕は、もしかしたらこれからも自分をだましていくのかもしれないけれど、この作品を読むことで、その時、はたと気づいてくれることを願いたい。キミの「本当」はそこにあるのだ、ということを。

 最後まで主人公の名前は出てこない。つまり、読者ひとりひとりなのだ。

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紙の本名探偵に薔薇を

2001/05/29 04:03

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 「探偵は神たり得るのか」、エラリィ・クイーンや法月綸太郎など「名探偵」と呼ばれる者たちが、悩み葛藤し続けた問いである。
 推理などしょせんは想像の域を脱しない、それが導きだす真相など「真実」と言えるのだろうか。いや、そもそも真実など存在するのか。

 数多の探偵たち、つまりはミステリ作家が必ずぶちあたる大きな壁であり、袋小路である。器用な連中は巧みに抜け出し、あるいは見えないフリをすることで呪縛から逃れることが出来るのであるが、城平京は違った。自らその罠に飛び込んだのである。

 構成の妙と言えるだろう。
 第1部「メルヘン小人地獄」において、名探偵・瀬川みゆきの土台を確固たるものとし、その揺るぎない才能を読者の意識に植えつける。視点人物(語り手)を探偵にしないことで、まさに「神」のような人物であることを印象づけるのだ。
 とてつもなく蠱惑的な魅力をもつ「完璧に近い毒薬」の来歴、それが引き起こした連続見立て殺人事件という、ミステリ好きにはたまらない物語を、あっけなく後の伏線に利用してしまうのである。

 そして第2部で行われること。今度は視点人物を瀬川みゆきにすることで「名探偵の崩壊」を描いてみせる。当然彼女が導きだす「真実」もまた拠りどころを失い、虚構の霧の中に溶けていってしまう。
 再びあらわれたそれは、探偵自身の存在基盤をも破壊してしまう「メルヘン(小人)地獄」へと変貌している。探偵が活躍する「メルヘン」が、一瞬にして「地獄」へと姿を変えるのだ。
 瀬川みゆきが最終的にどう受け止めたのかは読者の楽しみにとっておくことにするが、そのラストはあまりにも哀しく切ない。

 賞の選考時、作品のラストに前例が2,3あることが問題にされたという。たしかに僕にも思い至る作品がいくつかあった。もちろんそれが決定的な欠点であったとは言わないだろうし、1つの賞を与えるという行為がかかえる「過剰な危険回避」の頭があったのかもしれないが、やはりテーマを見誤ったと言わざるを得ない。その深遠さを。

 構成、トリック、どんでん返し、その他『名探偵に薔薇を』に使われている手法は、すべて「名探偵」と呼ばれる者の抱える葛藤や苦悩、弱さから人間性に至るまで描き出すための、一道具にしか過ぎないのだ。舞台とまるで合わない大げさで古風な文章も頻繁に使われるが、それも「探偵小説」を表現するために利用されているだけである。ただ下手なだけだろう、などとうがった見方をしてはいけない。そう、いけないのである。

 残念ながら、おそらくシリーズものにはしないだろう。いくら名探偵とはいえ、また作中で多くの「解決した事件」を匂わせているとはいえ、この作品の性質から続編・番外編は生まれようがない。というよりも、書いてしまったらこれが台無しになる。作者がよほど「器用な人間」でない限り……。

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紙の本天使の囀り

2001/05/19 12:24

私が私でないものに変わり果てる

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 僕の見たところ『黒い家』では「外部からの恐怖」を中心にあつかっていたようだが、『天使』は明らかに「内部からの恐怖」をも取りあげた作品である。

 自分を動かしているもの、行動原理となっているものが「あるもの」をきっかけにして容易に変貌してしまい、しかも自分では気づかない。
 客観視可能な「正常な」登場人物や読者こそがその歪みを知ることができ、恐怖する。

 ただの「ウィルス浸食系」ホラーでは外的な恐怖に終わってしまうが、そこに「自己の変貌」が伴うだけに内的な恐怖も加わり、作品の重厚感あるいは恐怖の多層性を増しているのである。

 小説・ミステリの書き方がうまい。いくつもの伏線がストーリーに違和感なく盛り込まれているし、参考文献からの情報も読みやすいよう配慮している。
 それで気づいたのだけど「専門的な説明」に適しているのは、やはり会話文なのではないかと感じた。登場人物によって語られるそれは作中の人物に対してのもので、多くの場合「素人相手」に話される。つまり作中の「素人」に理解されるよう話す=同じく「素人」の読者にも理解されやすい、ということ。

 前作『黒い家』はしばらく前に読んだから印象が薄れているのだろうが、『天使』の方が面白かった気がする。ただ「追いつめられる恐怖」という点では『黒い』が上かもしれない。『天使』は題材が題材だけにわりと客観的に読めたからだろうか。
 それはともかく、次作にも期待がつながる作品であった。

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紙の本りら荘事件

2001/05/19 11:41

わたしの好きなもの

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 WEB上にある他の人の感想を読んでも、なかなか踏み込んだ意見が見られない。というより、どれも似たり寄ったりの意見のように思え、たとえば「いま読んでも古くさくない」とか、「これぞ本格!」などのような、内容を語っていないものが多いようだ。

 本格推理小説の歴史上に燦然と輝く一作であり、決して少なくない読者がありながら、不特定多数、つまり未読の人も見るかもしれない感想には、あまり恵まれていないのである。なぜか。

 それは計算しつくされた、きわめて余剰の少ない「本格」だからだろう。大がかりなトリックひとつで構築されたのではなく、いくつもの考え抜かれたトリックをふんだんに盛り込み、しかもそれらはすべて強い結びつきを持っている。
 伏線もミスリードも、本格の根底にある「フェアプレイ」の意識に準じながら、いたるところに散りばめられているのだ。

 僕は『りら荘事件』を読みながら、最高の純度を持った「本格の結晶」という言葉が何度も頭をよぎった。僕も含め、この作品を語る人たちは、ひとつの分子のみを取りだすことで、その美しい形を壊してしまうのを恐れているのである。

 偉大な先駆者であり、先導者であり、求道者である鮎川哲也が、数十年にわたって発しつづけてきたメッセージ。それが全編に満ち満ちている。
 ページをめくるたびに聞こえてくる、「どうです、本格っておもしろいでしょう?」の言葉に、子供のように微笑む「鮎哲」の顔が重なった。
 あなたほどではないかもしれないけど……僕も好きです、本格が。

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紙の本赤い額縁

2001/05/29 03:38

境界とは

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 あとがきによれば「本格ミステリと本格ホラーの融合」を目指して著した作品だという。自身も述べているように正反対のベクトルの形式であるこの2つを、どう料理したのか。

 読んだら必ず死ぬと言われる『THE RED FRAME——THE MOST HORRIBLE TALE IN THE WORLD』(赤い額縁、世界で最も怖い本)。ジョーグ・N・ドゥームという無名の作家が書いたその本を手にしたものは、みな作者の「悪意」に侵されてしまうという。

 現実と虚構、そのあいだに引かれるべき境界線というものが物語が進むにつれ曖昧に、いや無くなっていく。作中作である「赤い額縁」によって構築されているこの『赤い額縁』とは、虚構を現実に、現実を虚構の内にいつしか取り込んでしまうのだ。

 解決されることを前提として書かれる本格ミステリと、腑に落ちることを許さない本格ホラーを融合させるために倉阪鬼一郎が試みたのは、対立する2つの要素をリンクさせ、次第に混じり合わせることだった。それは一応の結果を見せているといえるだろう。

 しかし、そのことが作品にとって功を奏しているとは思えなかった。難しい企みだというのは分かるが、完成度としてはまだまだ低いのではないだろうか。不格好に「歪んだ形」のまま終わってしまったような感じだったのである。

 多用されるアナグラムにそれなりの意味を持たせたことは面白い。たんに「本格ミステリ」を表すためだけでなく「なぜアナグラムを作るのか」ということにまで言及し実践したのは、他作家の作品にときおり見られる「オマケ的」な素材で終わってはいないということで、評価できよう。
 ただ、僕としてはいつも「あ、そう。よく考えたね」程度の感想しか持てないのがこのアナグラムというやつなので、それ自体が優れているのか、面白いかどうかは判断できないのだが。

「本格ミステリ」と「本格ホラー」の融合。それがこの作品によって成し得たとは思えないのだが、少なくとも可能性は見出せたような気がする。倉阪氏は今後もこのテーマに挑戦するということだし、新たな、より完成された姿を見せてくれることをしばし待とう。

 最後に、作中人物のある言葉を引用したい。

「一度でいいから読者が発狂するようなものを書いてみたい——それは作家に共通する願いでしょう」

 倉阪鬼一郎の視線はおそらくここに向いている。

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紙の本アルジャーノンに花束を

2001/05/19 11:17

語るまでもない

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 32歳になっても、幼児の知能しかないチャーリイ・ゴードン。人生が罵詈雑言と嘲笑に満ちていた彼に、革新的な脳外科手術の話が持ち上がった。
 やがて高い知能を得たチャーリイの前には新しい世界が開かれるが、それは何も知らなかった以前の状態より、決してすばらしいとは言えなかった。

 ある種の純粋性を備えていた「白痴」から、知能を誇るがゆえの傲慢さを持った「天才」へ。周囲の反応と自分自身の変化におびえ、悩み、葛藤する主人公。
 白ネズミのアルジャーノンとともに実験動物として扱われる日々、また子供時代から受けつづけた嘲笑と罵倒の生活、その毎日を克明に記した彼自身の「けいかほうこく」からは、ひとりの人間としての声が聞こえてくる。
 理論を証明し名声を得たい科学者と、普通の子供になりなさいと叱る母親、そしてみんなのねがいにこたえたいチャーリイの、それらすべての思いは果たされたのか。
 声はいつしか叫びとなり、やがて祈りと変わっていく。アルジャーノンに花束を。

 今回僕が読んだのは、もともと中編であったものを長編化したものだという。心理をより深く細密に描くためにしたことであり、改良と言っていいのだろうが、少しばかりそれがうっとうしく感じられる部分もあった。長編化の犠牲になったらしき切れ味を味わうために、中編版も読んでみたくなる。

 人物配置が上手い。あとは天才に惚れる人物がいれば完璧にできあがったのだけど(隣人は違うし)、そのときの主人公(のようなタイプ)を作者はお嫌いらしく、というか純粋=善の図式がこびりついているため、悪影響ばかりが描かれている。それが現代の読者からするとちょっと物足りない。
 その関連で言えば、天才がぜんぜん魅力的に描けてなくて、僕は不満である。でもこれは設定上、仕方がない。

 あとどうでもいいことだが、世間でいうほど感動しなかった。ラスト二行についても、「泣けるよねー」という評判ほどの効果は出てない。とは思うものの、シンプルかつオーソドックスなこのラストは、無理なく終われる方法ではある。でも一番目の追伸は語りすぎでいらない。

 すごく分かりやすい小説。こういう、誰が読んでもほとんど同じ理解ができるように書かれた、懇切丁寧かつ親切な作品は、わざわざ語ったところで全部なかに書いてあるから、はっきり言って語りがいがなかったりする。だからこそベストセラーにもなるのだろうが。

 単純だとか説明が多いと批判してるわけじゃない、分かりやすく書くのも上手くなければできないのだ。そういうのが好みかどうかはまた別として。

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技術はわかった

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 もともとはこの著者の別の本を一冊読むだけのつもりだったのだが、目についたので購入してしまった。
 古今のマンガを例に出して、主として「コマ」と「線」という観点からマンガを批評するのだが、驚くなかれ、この本で描かれる絵はオリジナルも含めてみんな夏目房之介が描いている。他の作家の絵は模写なのだ。
 誰がつけたのか、マンガコラムニストの肩書きに恥じず、これがどれも(素人目には)そっくり。作家に似せて絵を描き、線を描くことで、その作家がどういう意識で描いていたのか、伝わってくるのだという。
 これはマンガを描けない批評家にはできない芸当で、夏目房之介がマンガ批評で名を成しているのもこれが大きいらしい。

 しかし内容的には、著者とそのマンガ(家)の関係性、簡単にいえば「どこが好きで、どこをすごいと思ってるか」の羅列にすぎなくて、全編通して見えてくる「漫画学」はない。
 線やコマの話も、実作者ではない僕のような人間にも、わかりやすく説明されているとは言いがたい。BSマンガ夜話での「夏目の目」のような、知らない読者にも楽しめる批評ではなかった。

 いっしょに購入した、そして当初の目当てであった『マンガはなぜ面白いのか』をさっきパラパラとめくってみたら、こちらのほうがよっぽど「漫画学」のようだ。やはり一冊だけにしておけば良かったかもしれない。
 実はあと2冊買っている。

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紙の本ラザロ・ラザロ

2001/05/29 04:09

サスペンスではあるけれど

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 遺伝子治療の斬新な方法を完成させたあと失踪してしまった倉石という学者を追い、世界中の製薬会社が争っていた。
 そんな折、一度は倉石によってガンを治癒した患者の遺体が盗まれてしまう。その患者は回復と同時に「若返っていた」ようだという。

 ガン細胞の持つ特殊な性質を反映させながら、「生きること」を問うている。それには否応なく人間の欲望がむきだしにされ、本来手段であるべきものが目的と化してしまう。
 大昔から取りあげられる「それ」だが、果たして技術が完成されたとき、福音書に書かれた甦った死者・ラザロのように「帰る」ことができるのだろうか。

 たしかに上手い。この本を読むきっかけになった、『このミス』での千街晶之さんのコメント「真相の驚きなら、ここ数年間のベストだ」のとおり、トリックも伏線も巧妙でよく考えられている。
 なのに、いまいち僕を捉えるものがないのは何でだろう。文章も読みやすいし、ストーリーも無味乾燥ではない。いってみれば「良質のサスペンスドラマ」を観ているような感じだったのかもしれない。最後までのめり込むことができず、惰性でページを繰りつづけた。

 でもそれはたぶん、僕の読み方が悪いのか、期待したものと多少違っていたからであって、作品自体は優れている。ただ、半年後くらいには間違いなく記憶から抜け落ちている作品だろうとも思う。

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