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  3. 緑龍館さんのレビュー一覧

緑龍館さんのレビュー一覧

投稿者:緑龍館

56 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

割引しながら読めば結構面白いけれど。。。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

リチャード・ドーキンスの『利己的遺伝子(セルフィッシュ・ジーン)』説に対するくだけた解説本です。J.B.S.ホールデンやW.D.ハミルトン、フランシス・クリック、ジェーン・グドール、ジョン・メイナード=スミスにエドワード・O・ウィルソンなど、現代進化論や動物行動学の大御所たちの人となりに対する面白いエピソードや、色々な生物に例を取った興味深い学説の分かりやすい紹介など、入門書としてはよいのかも知れないけれど、ちょっとふざけすぎてるのが気になります。著者は、京大大学院で動物行動学の専門教育を受けた人で、今は専門の研究者ではありませんが、基礎的な素養はちゃんとしているはずです。地図を読めないナントカみたいなメチャクチャな論理展開はしていませんが、この分野の専門の研究者による(普通の人には)奇想天外な学説の紹介とともに、自分の説もいろいろ紹介していますが(男の繁殖戦略による分類学や、ゼンソクの進化論的意味 等々)、そのほとんどが興味本位のザル説で、読者の歓心を買うためというのが見え見えで鼻につきます(中には面白いかなというのもあるけれど)。
例えば、最後の「美人論」-男がみんな美人を追い掛け回すのに、なぜそれだけ生存価のある「美人遺伝子」が、自然淘汰の結果世に増えていかないのか-に対する考察。これはまず、「美形」と「普通顔」の定義・考察が抜け落ちているので、考察全体が全く意味を成しません。ぼくの知る限り、心理学者や人類学者、生物学者によるこの分野のちゃんとした研究によると、最近では、「美人」とは究極の「普通顔(平均顔)」である、と言うのが定説(多数説?)になっているみたいだから、まともな学問研究学説のほうがよっぽど面白い。
この本で紹介しているような著者の考えは、もっともらしく進化論と絡げて、まともな学説の間に紛れ込ませるような姑息なことはしないで、それだけで独立のエッセイとして書いたほうが面白いと思うんですけどね。
まあ、この本はこの本で軽く読めて結構面白いので、割り引きしながら読めれば問題はありません。しかし、「利己的遺伝子」に関して興味がある人は、紀伊国屋書店から出ている原書の訳本を直接読むことをお勧めします。非常にスリリングな内容の名著です。

→ 緑龍館 Book of Days

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紙の本

紙の本食卓の文化誌

2008/05/15 17:15

読むのがとても楽しい「食文化人類学」の本

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文化人類学者による「食文化人類学」の本。専門書ではなく、味の素の広報誌に連載されたエッセイをまとめたものです。料理や食事の器具・道具類からはじまり、調理方法、香辛料や食材、レストランに至るまで、「食」のすべてをテーマに様々な文化的、歴史的、民俗学的な薀蓄が語られます。話題が身近で、全ての人が興味を持っている事柄であるため、読むのがとても楽しい本です。トリビアが山盛り。ちょっと紹介しときます。

●欧米語ではスープは「飲む」といわず、「食べる」という。中世までスープはスプーンですくわず、パンを浸して食べていた。スープそのものも具が多くて汁が少なく、飲むものではなく食べるものであった。
●朝鮮の箸やスプーンは、2000年来このかた形がほとんど変わっていない。飯をスプーンですくって食べる習慣は、もともとキビ、アワ、コウリャンなどの雑穀が主食で、ボロボロなため箸で飯をすくうことができなかったことから。
●世界にはまな板が存在しない食文化も多い。箸とまな板は、セットになっている食文化。箸で食べるためには、調理段階で箸でつまんで口入れられる大きさに材料を切り刻んでおかなければいけない。つまり、まな板が必要になる。
●ソバのセイロが上げ底なのは、江戸時代にそばや一同がお上にソバ代値上げの陳情をしたところ、値上げはダメだが、「上げ底にして苦しからず」と実質値上げの許可が出たため。
●ハマグリの澄まし汁の吸い口にコショウを用いるとよろしい(江戸時代の料理書)。― ホントにうまい。
●ダシは、日本固有のもの。肉食をしないため、料理に油を使うことができず(植物油は高価で一般的に使うことができなかった)、野菜のなどのうまみを引き出すために、塩と一緒にアミノ酸などのうまみを含んだ「ダシ」を用いる必要があった。脂肪分無しで塩だけではなかなかおいしい味が出ない。肉食文化では、肉そのものから出る蛋白質と脂肪の味があるため、塩だけでも割りとおいしくダシは必要ない。日本で味の素が発明された背景にもこれがある。

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紙の本

人間の学習行動に関するエソロジカルな考察

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  「学ぶ」ということを、日常的認知研究の立場から一般向けに述べた本です。著者のおふたりは、発達心理学の研究者。「認知科学」といえば、最近では脳生理学方面からのアプローチが大きな進展を見せていますが、この本は1989年の刊行なので、その側面からの知見にはまったく触れていません。それ以前の、伝統的な、スキナーに代表される行動科学的な学習行動研究アプローチへのアンチテーゼとして、いわばエソロジカル(動物行動学的)な視点から、実生活における人間の学習行動に絞って考察しています。その方面では、一般向けとして、すでに評価が定着している本のようです。
スキナーに代表される学習心理学者は、ネズミやハトを対象とした実験の積み重ねにより、学び手はもともと受動的であり有能な存在ではないという前提の下に、ヒトの学習理論をも構築ししてしまいました。しかし、これがいかに間違った仮定であるかを、本書では痛烈に批判しながら、人間が現実の生活においてはいかに有能で積極的に学んでいく存在であるかを、いろいろな例を引き合いに述べていきます(もちろん、その有能さや有効性に関しては、様々な限界があるわけですが)。
人間が何故これだけの学習能力をもち、世界に対する理解を追い求める存在であるのか?-この点に関しては、人間の生活環境が一定ではなく、様々な自然環境への適応が要求される生活様式を取っているため、環境の変化への適応性を高めるために、そのような能力が進化したのだろうという仮説を提示しています。つまり人間の好奇心や知性というものは、生活環境の変化が産み出したものだという説ですね。ということは、一定の、極端に変化が乏しい環境の下では、知性というものが進化しない可能性があるということだな。

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紙の本

こころに残るいくつかのお話

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  自称、素人哲学者ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』に続く第二エッセイ集。
彼の住む町のそばで一番小高い丘の上の最も見晴らしのいい場所には、次の文句が刻まれた大きな石のベンチが据えられています。

西にはピュージット湾が水をたたえ―
東には雄大なカスケードの山なみがつらなり―
北には大学があり―
南には一本の大木。
どれもみな、わたしが愛したものだ。

そこには、日付も名前も彫られていませんが、「ベンチの形をした墓石、その片隅に刻まれた先の文句、見晴らしの配慮―すべては誰かが死んでなお人の役に立とうとしたことを物語っている。黙って太っ腹なところを見せて死んでいったのだ。」 この文句は、墓碑銘だったのですね。

なかなかいい話です。もうひとつの話 ― ギリシアのクレタ島にある、ドイツとクレタの友好親善施設(ナチスの最精鋭部隊であった落下傘部隊によるクレタ侵攻の血塗られた歴史の地)における二週間のギリシア文化に関するサマーセミナーの最後に日に、主催者であるギリシアの哲学博士兼、教師兼、政治家であるアレキサンダー・パパデロス(Alexander Papaderos)の挨拶、「それでは最後に、何かご質問はありませんか?」に対して、フルガムがしたひとつの質問、
「パパデロス博士、人生の意味とは何でしょう?」 他の受講者たちの間からひとしきり起こる笑いをパパデロスは手で制した後、フルガムの目を覗き込み、彼が本気で問うたのであることを確認してから、彼は口を開きます、「それではお答えしましょう」 ―
この話も非常にこころに残るお話でした。パパデロスとは、一体どういう人物なのか、ネットで調べてみたら、驚いたことにこのエッセイの原文が、いくつかのサイトでそのまま紹介されています。やはり多くの人がこころ打たれたのですね。

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紙の本

紙の本新しい太陽系

2008/04/18 13:33

冥王星はなぜ惑星から外されたのか? -太陽系天文学の現状

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  2006年の8月に冥王星が惑星の仲間から外され、太陽系の惑星は、水金地火木土天海と八つになりました。著者は、国際天文連合の「惑星定義委員会」のメンバーのひとりとして、このときの最終案の策定に関わった天文学者です。本書はその決定の背景となる近年の惑星天文学の発展とその成果を、水星から始まる各惑星と、今日では冥王星がその一員となった太陽系外縁天体に至るまで概観し、紹介しています。
読む前は、退屈なカタログ的内容の本じゃないかなと、あまり期待していなかったのですが、予想外にけっこう面白かった。著者は専門の研究以外に、長らく天文学の広報普及活動に携わってきたそうで、人の興味を惹き、飽きさせないつぼを心得た語り口で、とても読み易い本です。太陽系天文学の現状に関して、ダイジェストで概要的な理解を得たいというアマチュアには、うってつけだと思います。

著者の勤務している国立天文台では、三鷹キャンパスで毎月2回、一般向けに星空観望会を行なっているそうです。今度、是非行って、自分の目で土星の輪を眺めてみたいもんだな。

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紙の本

紙の本聖書物語

2008/01/25 17:14

全能ではなく、この世をよりよいものにしようと努力することしか出来ない神の存在

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ノーマン・メイラーによる、キリスト自身が語る新約聖書の物語。全能ではなく、この世をよりよいものにしようと努力することしか出来ない神の存在 -こういう解釈は、キリスト教徒から見たらすごく不埒なものなんでしょうね。しかし、新約聖書の原典でも、たしかイエス自身相当悩み苦しんだよなあ。十字架上では、父なる神を疑いもしたし。イエス自身がパーフェクトではなく、何とかしようと必死に頑張っていた存在だったわけです。神の子でありながらも、この不完全さと、それでも頑張る姿、それに究極の誠実さが、キリスト教がこれだけ人を惹きつける魅力なんでしょうね。


緑龍館 Book of Days

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紙の本

紙の本地上から消えた動物

2008/01/25 17:06

人間が地上から消してしまった動物たちの物語

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここ2、300年の間に地球上から消えてなくなってしまった動物たち ‐哺乳類と鳥類‐ のリストの中から、代表的ないくつかの種を紹介した本です。ドードーやステラーカイギュウ、オオウミガラス、モアにリョコウバト、オオナマケモノなど、その絶滅の背後にいたのは常に人間たち。延々と続く凄まじい殺戮とジェノサイドの歴史書。その胸糞の悪さは、筒井康隆の『虚航船団』を思い出させます。非常に憂鬱になる本なのですが、幸いなことに最後の4分の1ほどのページが、絶滅させられたと思われていたが、再発見された動物たちや、なんとか今のところ絶滅を免れた動物たちの紹介に充てられているので、少しは胸のつかえが取れる感じがします。作者のロバート・シルヴァーバーグは、多作で知られるSF作家ですが、良質のノンフィクションやジュブナイルも残しています。
本書の原本は、1967年の初版。この中で、まだ辛うじて生き残っているとして取り上げられた動物たちのその後が気になったので、ネットでちょっと調べてみました。

○ モウコノウマ(プルツエワルスキーウマ): 現存する唯一の野生種の馬。モンゴル平原に生息していた最後の野生の個体が1980年に死亡。しかし、その前に世界各国の動物園で1000頭以上が繁殖に成功しており、現在は野生への復帰が試みられている。
○ ハシジロキツツキ : アメリカでは1971年、キューバでは1986年の目撃が最後となり、1996年には絶滅種に名前が加えられる。しかし、2005年に再び目撃され、大きな反響を呼び起こしたが、その生存の決定的な証拠は見つかっておらず、疑問視する向きも多いようです。
○ シフゾウ : 唯一の生き残りであるイギリスで飼育されていた個体群が比較的順調に繁殖し、1985年には原産地の中国で野生に戻されるものもでてきた。しかし、レッド・リストでは依然として絶滅寸前種。
○ ナキハクチョウ : 北米産ですが、最近では日本の北海道や東北にも、少数が迷い鳥で飛来するまでに個体数が増えたようです。
○ ハワイガン : ウィキペディアには、現在の個体数が500羽くらいとありますが、実際にはこれよりはもう少し多く、2~3000羽には達しているようです。人工的な繁殖は成功していますが、自然状態での個体群を維持できるぐらいの繁殖は、まだうまく行っていないようです。
○ ジャワトラ : 1980年代に絶滅。バリトラも既に絶滅。
○ アラビアオリックス : 野生の固体は1972年に絶滅したが、動物園で繁殖させた固体を野性に戻す試みが1980年代から行なわれている。
○ アメリカシロヅル : 人工孵化にも何とか成功し、現在の個体数は2、300羽。数千キロを旅する渡り鳥であるため、人工飼育したひな鳥たちに渡りを教えるため、超軽量飛行機が先導して飛来の道筋を教える試みも行なわれている。
○ ジャワサイ : かろうじて数十頭がまだ生き残っているみたい

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紙の本

自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などのひとたちのこころの世界を知りたいひとに

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、2007年に読んだノン・フィクション本の中ではベストかな。小浜逸郎と佐藤幹夫が呼びかけて開催している「人間学アカデミー」第一期講座のひとつを新書化したものとのこと。これは連続講座で、現在もまだ続いているそうです。この本を読んで私も受けてみたくなりました。
本書の著者は、臨床精神科医。佐藤幹夫との対談本である『「こころ」はどこで壊れるか - 精神医療の虚像と実像』と『「こころ」はだれが壊すのか』の二冊を以前読んだことがありますが、どちらも精神医療の現状や現代社会における子どものこころの病の問題を、現場から考察した本として非常にすぐれていると思います。
「人間学アカデミー」の講座ということもあり、著者の志向する精神医療が、たとえば「人間学的精神病理学」と呼べるようなものであるとするならば、それはどのような考え方、基本的スタンスに立ったものであるのか、ということを、著者の過去の学究時代の追想や精神医学の発達史紹介をまじえて紹介するところから、本書は始まります。精神障害というものを、現在の精神医学の主流では生物学的な障害、脳の中枢神経系の物質過程に起因する目に見える異常な症状として捉えるのに対して、著者は心の病の発現というものを、現代社会における人間の本来の(自然な)あり方のひとつの形態として捉えようとしているようです。これを著者自身の言葉で言うと、
「ここでは精神障害を必ずしも「異常性」としてはとらえません。すなわち精神障害とは、たしかにある特殊性をもったこころのあり方ではあっても、本来あるべきこころのはたらきが壊れて欠損した状態とか、逆に本来ありえない異質なこころのはたらきが出現した状態とは考えないのです。(省略)むしろ、人間のこころのはたらきが本来的にはらんでいるなんらかの要素や側面が強く現われると申しますか、ある鋭い現われ方をするのが「こころ」の病ではないか。」ということになります。

続いて本論では、著者がキャリアの中でぶつかった三つの問題 - 統合失調症、不登校、自閉症(と知的障害)というテーマに沿って、ここでもそれぞれの問題に対しての精神医学界における学説の発展と変遷史の紹介などもまじえながら、人間とはなにか、「こころ」とはなにかに対する著者自身の考察が述べられていきます。その中でも特に、このような障害を持った当事者がこの世界をどうとらえているのか、自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などの当事者の直接的な内的経験のありさまやこころの世界を、具体的に想像・類推させてくれる著者の分析には、目を開かせられる思いがしました。
また、「精神の発達」というものを、「認識」の発達(「まわりの世界をより深くより広く知ってゆくこと」)と「関係」の発達(「まわりの世界とより深くより広くかかわってゆくこと」)というふたつの要素を、x軸とy軸におく成長過程としてとらえ、このふたつが、お互い独立したものではなく、相互に支えあい促しあう構造をもっているため、精神発達は両者のベクトルとなるという観点から、知的障害と自閉症を解釈する考察は、今まで私の中でもやもやとふっ切れず、よく理解できなかったいくつかの事柄に、ある程度明瞭な形・視点を提供してくれたようです。
著者の考察や学説は、よくは分かりませんが、おそらく学会では定説や通説の評価を受けていないものが多いのではないでしょうか。しかし、自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などの「こころの病」と呼ばれるものが、脳や身体の生物学的な障害や異常に起因するものというよりは、より根本的には、「個」と「共生」という人間存在自体がもつ両側面からの矛盾・葛藤が現代社会の状況の中で個別に発現したものと見るべきであり、「発達障害」自体、もともとは自然の相対的な個体差に過ぎないものであるにも拘らず、人為的な線引きをしてレッテル貼りをしたものが病名とされているのではないだろうか、という著者の問題提起は、非常に考えさせられるものがあります。

最終章では、不登校の問題に対する考察が述べられています。高校進学率が90%を越え当たり前となってしまった1975年前後を境に、「不登校」という現象が現代の社会問題として浮上してきたという点に着目し、その原因に対する従来の説 -子どものパーソナリティー特性や家庭環境に起因するという見解、あるいは受験戦争や学歴偏重社会という歪んだ教育環境に原因を求める説- 両方に疑問を提起しながら、近代社会の幕開けとともに当初設定されていた「学校制度」自体の目的がこの時点ですでに達成されてしまい、そのレゾン・デートルが見失われた結果、学校の聖性や絶対性が失われ、学校システムが本来もっていた矛盾が顕在化せざるを得ない状況に陥ったため、不可避的に現われてきた現象が不登校である、というような見方を提示しています。
著者の学校制度に対する見解には、考えさせらる言及も多いのですが、しかしこの結論に対しては、私としては少々視点がずれているような感じがします。例えば、既にある程度の豊かな生活が実現して高校・大学進学が当たり前になり、より先鋭化された教育のひずみが問題となっているお隣の国、韓国において、なぜ「不登校」が社会問題として発生していないのでしょう?他の欧米先進国においても、「不登校」や「ひきこもり」は、社会一般的な問題とはなっていないようです。この問題を考えるにあたっては、例えば同じく臨床精神科医である関口 宏が『ひきこもりと不登校』の中で指摘している通り、戦後日本における社会状況と社会構造の変化の相の中で生じた日本独自の問題、ある意味ひとつの「社会病理現象」として捉える視点が不可欠であるように思えます。日本において学校の聖性や絶対性が、なぜ喪失されてしまったのか?それは当初の目的が達成されたためではなく、著者の滝川自身もその一面を指摘していますが、日本社会の変相がそれを打ち壊してしまったのだと思います。(もちろん、「学校」というものが「聖性」や「絶対性」を保持するべき存在なのか?という議論もあるかと思いますが、それはまた別の問題。)

→<a href="http://www11.ocn.ne.jp/~grdragon/books_2007_02.html target="_blank">緑龍館 Book of Days

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紙の本

紙の本ダーウィンのミミズの研究

2007/05/15 15:59

この本は絵本です。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ダーウィンが『種の起源』を出版した後、数十年かけて打ち込んだのがミミズの研究であり、彼は進化論を産み出したあと、生物が地質学的な時間をかけて進化するように、ミミズは膨大な時間をかけてこの地球の山野を覆う肥沃な「土」を作り出し、地形さえ変えてしまう大きな地質学的な力を持つ生き物であることを発見した、というのは昔、スティーヴン・グールドのエッセイを読んで知っていたのですが、著者の新妻さんも同じエッセイを読んで本書のテーマとなっている探求を思い立ったみたいですね。
 ダーウィンは裏庭の牧草地にチョークの粉を撒き、 ミミズの土を作る働きを証明しようとしました。29年後に同じ場所をスコップで掘り返したところ(29年間、その場所にミミズ以外に土を撒いたり持ってきたりした生き物や人間がいない、ということを毎日確認しながら)、黒いしっとりした肥沃土 17.5cm下の地層から白いチョークの層が出てきました。1年に約6㎜の土をミミズは作っていたわけです。生物学者である新妻教授は、この話を知ったとき、それでは150年後の現在、同じ場所を掘ったら約1m下の地層からこのときのチョークの層が出てくるのではないか?確かめてみたい!と思い立ちます。というわけで実際イギリスまで行って、ダーウィンの家の裏庭をスコップで掘って確かめてみるわけですが、残念ながらその場所を発見することは出来ませんでした。しかし、その代わりに見つけたその当時の地層は、地表からわずか13〜17cm下の位置にありました。なぜなんだろう?この本は、はてな?で終わっているので、いまだにそれは生物学上の謎のひとつなのかな。
 ミミズが土を作り出すといっても無から有を産み出すわけではないから、土地を均すことはできても、一方的に隆起させることはできないわけですよね。ミミズの活動範囲もあるでしょうし(ミミズは地下何10センチくらいまで生息するのか分からないけど)、いったん肥沃土を形成するとそのあとはミミズはそのリサイクルしかやらないために、土壌の厚みは変化しないんじゃないだろうか?よく分からないけど。
 ところでイギリスのミミズはみんな、巣穴に落ち葉の葉っぱを引っ張り込む習性を持っているみたいですね。日本のミミズはそんなことないのに。面白いですね。
 それと、この本は絵本です。杉田比呂美さんの絵がかわいい。Bk1でよく確かめないで買ってしまった。いくら福音館とはいえ、こんな題名の本が、まさか絵本だとは思わなかった。小学校の高学年向けですな。久しぶりに絵本を読んだぞ。
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紙の本

紙の本蟬しぐれ

2007/05/15 15:49

日本の時代小説中ベストワンという、とある評価にも納得

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 何年か前、誰だか忘れたけれど、とある評者が本書を一巻ものとしては日本の時代小説のベスト・ワンに挙げていたのを見てメモしておいたのですが、今回ようやく読むことが出来ました。こんな広いジャンルのベスト・ワンを挙げるなんて、乱暴すぎやしないかと当初は思ったのですが、読んでみると納得しますね。そのこともあって、否応無しに期待して読んだのですが、決して裏切られはしませんでした。ちょっとお話を面白く作りすぎているきらいはありますが、誰にでも自信を持ってお勧め出来る本です。
 ストーリーを知らなかったもので、読み始めてまず意外だったのは、これは前半かなりの部分までが青春小説。藤沢周平ファンにはお馴染みの海坂藩(うなさかはん。山形の庄内藩がモデルだと言われています)の美しく簡素な描写の風景を舞台に、下級武士の一子、15歳の牧文四郎の成長を、悲運と度重なる試練を絡めて、友情や淡い恋を丁寧に追いながら描いていきます。それぞれひとつの事件ごとに分かれた各章は20ページ内外で、短編の体をなしていますので、読むのも非常に楽、且つ次々と先に読み進めたくなる構成と間に挟まれた剣の立会いで、460ページを越える最後まで全く飽きさせません。
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紙の本

自動車史の黎明期に興味ある人には、絶対お勧め。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歴史上初めての自動車速度競争レースである『パリ=ボルドー都市間レース』は、1895年に開催されました(史上初めてのガソリン自動車であるベンツ・パテント・カーが作られたのはこの10年前の1885年のことです)。
 モーター・スポーツ・イベントとしてはその前年に『パリ・ルーアン信頼性実証走行会』がありますが、これは速さを競うレースではありませんでした(それでもみんな、先頭を争って自車を跳ばすことになったのですが)。『パリ=ボルドー』はこの二つの都市の間を往復するレースで、走行距離はなんと1180キロ。第一回目のレースであるにも拘わらずこのような超長距離となったのは、当時自動車産業を興そうとしていた人々がこのレースを主催しながら、一般大衆に自動車の信頼性を積極的にアピールしようと考えたためです。しかも昼夜兼行で(ドライバーの交代は勿論オーケー)制限時間が100時間以内と定められていたので(つまり平均時速11キロ以上が想定されていました)、最後尾につく車は四昼夜兼行となります。本書はこのパリ=ボルドー・レースの顛末を小説の形式で著したドキュメンタリー読み物です。
 この『パリ=ボルドー・レース』において圧倒的な速さで一位となった『パナール・ルヴァソール』の車は、二座であったため優勝が認められなかったということは以前から知っていたのですが、なぜレギュレーションが四座であったことを知りながら敢えて二座の車で出走したのか、どうも納得が行かなかったのですが、それも本書を読んでよく理解できました。このレースのスターとなったのは、何といっても一位の『パナール・ルヴァソール』を48時間48分の間、二昼夜ぶっ続け不眠不休でたったひとり運転しきったこの車の開発者、エミール・ルヴァソール。平均速度は時速24キロに過ぎませんが、これが当時いかにキチガイじみて危険な企てだったのか、なぜこのようなハメにおちいったのか、本書を読むとよく分かります。しかもルヴァソールは当時、52歳の年齢に達していたのです(ルヴァソールは、翌年の『パリ=ルーアン=パリ都市間レース』にまたしても自ら出走しますが、このとき走行中にティラー・ハンドルに振り落とされたときの怪我がもとで亡くなります)。
 ルヴァソールやこのレースを主催したド・ディオン伯爵、ミシュラン兄弟にボレー父子など、フランス自動車産業黎明期の伝説的人物たちの人となりが活写されているのも、古い車好きには堪りません。ド・ディオン伯は当時蒸気自動車の推進者であり、自社の車の優勝を確信してこのレースの開催を企画しましたが(前年の『パリ=ルーアン』ではド・ディオンの車が1位になっている。蒸気自動車は、信頼性や速度の面でガソリン自動車より優れていると見る見解が当時は多かった)、蓋を開けてみたところ完走車9台のうち上位8台はすべてガソリン車。このレースは、自動車産業をリードするのは蒸気自動車かガソリン燃料車か、という天下分け目の対決の場でもあったわけですが、その結果はあっけなくガソリン車の一方的な勝利に終わり、時代の舵は大きく決定的に切られることになります。
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紙の本

紙の本自閉症とアスペルガー症候群

2007/05/15 15:34

アスペルガー症候群をより深く理解するための格好な概論書です。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アスペルガー症候群の位置づけに関しては、自閉症とは別途のカテゴリーのものとして見たり、あるいは自閉症の一種であるとはしても高機能自閉症の一種としてみるか、それとは別の実体として捉えるか、など研究者の間ではいろいろ異論があるようですが、本書はアスペルガー症候群を自閉症スペクトルの一形態として捉えている研究者たちによる論文集です。
 全7章で各々別々の研究者が執筆する構成となっていますが、それぞれの章がアスペルガー症候群の簡略な概要、カナーの古典的自閉症との比較、家族研究による遺伝性の考察、成人期の症例、アスペルガー症候群であるかの判断基準となるテストの実例や社会生活を営むための対処法、アスペルガー症候群の成人による自伝作品の分析を通したコミュニケーション障害の分析など、主要なテーマに関して論じているため、アスペルガー症候群に関して興味のあるひとがこれをより深く理解するための格好な概論書となっています。編著者であるウタ・フリスをはじめ、ローナ・ウィングやクリストファー・ギンズバーグ、ディグビー・タンタム、マーガレット・デューイなど各章の著者は、第一線の研究者だそうですが、特に『アスペルガー症候群』発見の端緒となったハンス・アスペルガー自身による原論文(1944年)の貴重な全訳が第二章として紹介されています。既に60年以上前、第二次世界大戦中に書かれたこの論文は、門外漢の私にとっても非常に興味深いものでした。専門の研究者による論文集ではありますが、アスペルガー症候群に関する基本的な初歩知識さえあれば、素人にとっても読み通すのが難しい本ではありません。各章ともに色々な具体症例が紹介されているのも、それを助けてくれます。各々の研究者により個々の部分で見解の相違があるのは当然のことですが、そのため読み進めながら若干の注意を傾ける必要があります。従って本書はひとつの立場からの通論や個々の見解を比較紹介した概論ではありませんが、却ってこの症候群の実態把握や研究が直面している処々の問題をヴィヴィッドに感じさせてくれます。
 第7章では、現代において最も社会的に成功したアスペルガー症候群のひとりとして知られているテンプル・グランディンの自伝を題材として、コミュニケーション障害の分析が試みられていますが、これは非常に興味深く読みました。この章で簡単に紹介されているスペルベルとウィルソンによるコミュニケーションの『関わりあい理論』(関係性理論)に関しては、近いうちに他の本でもっと調べてみようと思っています。
 映画『レインマン』の影響もあってか、日本ではアスペルガー症候群やサヴァン症に関する好意的な興味が一般的であったような気もしますが、最近ではなぜかアスペルガーと社会的犯罪との係わりがマスコミなどでクローズアップされることが多いようです。これは非常に歪められた報道の一例であり、注意しなければいけません。アスペルガー症候群と犯罪性は全く何の関係も無く、アスペルガーの人たちは一般的に通常人以上に非常に順法精神に富んでいる(というよりも何が何でも決められた規則を守る傾向がある)ということは、研究者の意見が一致するところです。
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紙の本

まずは、「まえがき」からしてかなり心惹かれる本です。

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 まずは、「まえがき」からしてかなり惹かれる本です。著者は吃音の臨床精神科医だそうで(何と魅力的な設定!)、セラピーのほうもかなりやっているようですが(現在は大学でも教えているとか)行間に現われる人柄がまことに魅力的です。本書はこの著者に対するインタヴューをまとめたもの、という形式になっていますが、インタヴューアーを務めている佐藤幹夫という人も中々侮れません。養護学校の先生兼 社会批評家とのことですが、アクティブで切れのいい進行ぶりで、単純なインタヴューというよりも(対談ではありませんが)積極的に自分の考えをぶつけている部分も多く、本書の魅力となっています(また、本人も認めている通り、所々先走るところもあり、そこも却って面白い)。
 内容は、主にこどもの「こころ」の問題を中心に、昨今の話題となった青少年犯罪事件なども絡めながら、実際の精神医療の考え方や現場を紹介したものですが、精神分析の根本的なアプローチの方法、理論的な問題から、現実の医療制度や日常の治療行為、話題のトピックに至るまで、扱う分野がかなり幅広いものであるにも拘らず、著者の視点がそこに一本はっきりと通っており、含蓄のある内容も多く、色々と考えさせられます。机上の論理ではなく、あくまでも「現場」からの視点を元に、考え語られてるためでしょう。
 最近、何か事件の度ごとに新聞にも出てくるいろいろな「人格障害」や「行為障害」、 ADHD(注意欠陥多動性障害)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などは、アメリカで作られたDSMという分類マニュアルによる単なる外見上(症状面で)の分類であり、病理による「病名」ではないこと。現代社会において、青少年の犯罪、特に年少者による極悪・猟奇事件が増えているような印象が一般にあるが、事実はその逆 −少年殺人の発生率は戦後を通じて現在が最も低く(年齢層別に見ると、実は50代による殺人率が一番増加している)、その不条理な動機や犯行行為も、最近とりわけ著しいものになっている訳では全く無い(もともと昔からそれが青少年犯罪の特徴である)ということ。青少年犯罪がマスコミで騒がれるのは、そのような事件が増えているためではなく、却ってそれが希少な現象になってきたから、という認識。精神鑑定と診断とはどう違うのかなどなど、「なるほど」という話も多いです。精神医療や青少年の犯罪問題などに興味を持っている人には、格好の筋の通った入門書だと思います。最後のほうでは、現代社会における「家族論」に一章が充てられていますが、この章も中々面白い視点で興味深く読むことができました。暫らくしたら、もう一度再読したいと思わせる本です。
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紙の本

ぼくの目に映る真っ赤な夕焼けは、何でこんなにも綺麗に見えて、心を揺さぶるのだろう?という謎。

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 「クオリア」という言葉があります。柔らかく手触りのいいヴェルヴェットの深い赤、天高く抜けるような秋のまぶしい青空、− 客観化して他の人と共有できない、「私」が心の中で感じているユニークな「質感」を意味する、心理学や認知科学の用語ですが、人間の意識する思考や感覚は、全てこのクオリアから成り立っていると言えるそうです。脳科学や認知科学は、現在最も大きな注目を集め、また最も大きく動いている科学分野のひとつですが、このクオリアの正体、「意識」の正体という肝心かなめのものに対しては、その成り立ちからメカニズムなど、何ひとつ分かってはいません。なぜ、りんごの赤はりんごの赤なのか、なぜ、砂糖の甘さは砂糖の甘さとしてこのように感じられるのか?これはどのように私の脳の中で形成されて、それに何の意味があるのか?これら全てを感じる「私」という存在はどのようにして生じたのか?
 脳科学の研究者である著者は、この本の中でこのクオリアの謎、<あるもの>が<あるもの>であるということは、どのように成り立っているのか、このクオリアを感じ、これによって動いている「こころ」、「意識」とは何なのか、という大きすぎる疑問に対して正面から相対しています。内容は分野で言えば、大脳生理学から、発達心理学、コミュニケーション理論、それに哲学まで様々なフィールドを網羅していますが、主題自体が(ある意味で)非常に身近なものであるため論法もかなり親しみ易く、幅広い分野の専門知識を駆使した綿密な論理構成、とかでは全然無く、方法論も何もかも全然確立されていない分野である為、とにかく何か手がかりはないかと各分野を渉猟している、という感じで、その意味でも中々面白い本です。<あるもの>を<あるもの>として認識し感じることができると言う謎(ぼくの目に映る真っ赤な夕焼けは、何でこんなにも綺麗に見えて、心を揺さぶるのだろう?)、そしてこの謎は考えれば考えるほど切りが無い「むずかしい問題」であるにも拘わらず、日常生活の中でぼくたちは、考える必要も無い「やさしい問題」として扱い、易々と処理が出来てしまっているということ。生物としての行動の原理が、「刺激」と「反応」にあるのなら、意識やクオリアというものがなぜ必要なのか。日常の中ですべてを「やさしい問題」として処理できるのに、なぜぼくたちはこれを「むずかしい問題」として捉える能力を有しているのか。加えて、この主体としての自意識自体がひとつの連続的な統合されたものではなく、状況や関係に応じてそのときごとに異なる、あるいは新たなパーソナリティーが生み出されるものである、という人間の本質に対する認識。
 最後に著者は、このような脈絡から「自意識」とクオリアの生成に対して、中々面白いひとつの「仮説」を提示しています。
 神経細胞の活動パターンによって惹起される「こころ」というシステムにとっては(コンピュータのアルゴリズムとは根本的に異なるシステムである為)、「あるもの」が「あるもの」を保証する概念である「記号」のようなものを安定して存在させることは、本来無理があるのではないだろうか。あらゆるものが絶えず変化するこの世界において、同じく絶えず変化し生成され続ける「私」というシステムが、対象たる存在や「私自身」の同一性を維持するための手段が、「自意識」であり「私が感じるクオリア」であるのではないだろうか。
 この説でいくと、人間以外のある程度複雑な神経系をもつ生物も、「自意識」や「クオリア」を感じているのかも知れません。
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紙の本

紙の本言語を生みだす本能 下

2007/02/24 17:37

進化論的側面からみた「本能としての言語」

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 上巻では言語自体の本質や仕組み、チョムスキーの生成文法理論の考え方が述べられていましたが、下巻ではいよいよ生物学的・進化論的側面から見た、本能としての言語について焦点を当てて語られます。チョムスキー自身は言語本能の進化論的発生・発達という側面に、確信を持ててはいないようですが(最近は分からないけど)、本書で著者であるピンカーはその考え方を強力に擁護しており、また彼の論は説得力があるように思えます。
 人間の言語に関してはその千変万化の多様性のみが強調されるきらいがありますが、「普遍文法」というものがもし存在するならば、その存在を担保出来るような「共通性」が全ての言語にあると言えるのか、そのような共通性が存在するならば、膨大な数の多様な言語が実際に存在している進化論的 意義とは何なのか、チョムスキー理論から見た赤ん坊の言語習得過程や、第二言語(外国語)の習得の困難性に対する進化論的解釈など、興味深い話を読めば、「進化により習得された本能としての人間の言語」という本書の主張に納得がいくでしょう。
 また、チンパンジーや類人猿の言語能力に関して、特に「手話」ではかなりの言語能力を類人猿でも発揮できる、というのが生物学上の常識だと思っていたのですが、その研究の虚構性が実証的に、かなり痛烈に批判されているのにはびっくりしました。ぼくにとっては新しい知見です。チンパンジーの言語能力を否定することが、人間の言語能力の進化論的発達に関する否定的な論拠とはまったくなりえない、ということもここでは強調されています。
 言語学というのは、一般にかなり誤解されている学問分野だと思います。多国語言語を勉強するのが言語学者ではありませんし、「正しい文法」や「正しいことばづかい」を研究するのが言語学でもありません。言語学が対象としているのは、「今、みんなが話していることば・言語」です。そのような言語学者の立場から、最近の若者の乱れたことばを嘆き、正しいことばづかいの指導を買って出ているマスコミの「言語指南役」を痛烈に皮肉り、彼らの言語学的な間違いを指摘するのに一章を割いていますが、これはなかなか痛快でした。また、普遍文法にならい、人間の普遍的特徴を研究した人類学者による、全ての人間、人間文化における共通点のリストが紹介されていますが、これも非常に面白く、スペースのため紹介できないのが残念。
 言語能力をひとつの生得的な「心的モジュール」として捉えるのが、チョムスキー理論の基本的考え方ですが、最後に著者の仮説として、人間のこころ、心的機能を構成する心的モジュールには、「言語」や「知覚」以外にどのようなものがありうるのか、というリストを挙げています。これも現代心理学の常識とは全く相反する内容となっており、興味深く読めました。
 言語心理学について全く事前の知識がない方は、この本の前に日本の研究者による一般向け解説書である『言語の脳科学』(中公新書)のほうを先に読んでおくと、かなり理解がしやすいと思います。
 本書を読みながら、ちょっと思い浮かんだこと。
「言語」が進化論的に発生し、遺伝により受け継がれる本能だとすれば、それは偶然の産物として発生し環境への適応の結果たまたま生き残ってきた能力ということになる訳ですが、それならば、進化論上の“if”として、「普遍文法」に沿わない枠組みを持つ「自然言語」というものの存在(もうひとつ別途の普遍文法)がありうるのでしょうかね?
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