大島なえさんのレビュー一覧
投稿者:大島なえ
紙の本やられた!猟盤日記
2006/01/29 21:07
ちんき堂店主は謎のカリスマ?
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書は、神戸のサブカルチャー的古本コレクター(猟盤)として有名な戸川昌士の猟盤日記シリーズ四冊目になる。およそ三年振りであり、平成13年3月から始まり平成17年6月までの日記で長い。しかし読み始めると、意外なほどするすると読めてしまう。一言で言うと大変面白い。
作者の戸川昌士氏は、猟盤日記をはじめた頃は現在のように、ちんき堂(古書店)をまだしておらず、客として中古レコードや古本などを独特の見つけ方で漁り、その顛末を毒舌をまじえて鋭く書いていた。かなり創作も交えてはいるものの、自由自在に今日はあちらの中古レコ屋、明日はこちらの古本屋と歩き、自らその事を「猟盤」と名付けて、サブカルチャーのカリスマとマニアの中では羨ましがられるようになっていく(本人談もあり)
しかし「やられた!猟盤日記」では、その頃よりもかなりトーンは落ち着いている。神戸で「ちんき堂」を開店してからの、今度は日々店番しながらの愚痴ともつかない「ぼやき」が満ちていて、或る日はセドリ屋にやられ、せっかく仕入れたお宝本やレコードを、あっさり買占められたりする。おまけに売れ行きは次第に悪くなるばかりで、帯には「ちんき堂はつぶれるのか?」とまであり、これでは殆ど自虐ネタ。しかし、それで終わらないのが不思議なのだが、幾ら読んでも暗くならない。
古本関係の本や日記本は多く出ているが、この日記はまた違ったモノがあり、うるさいウンチクはないが、すっと伝わる言葉がある。親友の根本敬の寄稿した日記や花輪和一の絵もよく利いている。
偶然、近所にある縁で本人とよくお話する機会があるので書き添えておくと、戸川さんは店内でよく白けた顔をして別に愛想を言うわけでもなく、座っている。どちらかと言えば口数も少なく猟盤日記で読む過激なイメージと違うように思うだろう。しかし、私は今まで会った人で明らかに異種なものを感じたのも事実で、見た目だけではわからない強烈な違和感を持っている人だろう。大体、古本屋をする人は変わった人が多いが、同じ変わっているのでも、また異種なのだ。その辺が、カリスマと呼ばれる所以なのかも知れません。本書を読んで、そのあたりの変な部分が伝わってきたら、「やられた」になるのだろう。
紙の本世界で一番美しい病気
2003/08/20 10:04
終らない恋の病い
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
『世界で一番美しい病気』は、三つの章に分かれている。
「初恋トホホ編」 「恋愛の行方」 「失恋むはは編」 に、それぞれテーマに添ったと思われるようなエッセイと小説を集めた恋の本。タイトルからもわかるように少年時代の、らも少年の恋の話から本当の恋のあれこれ、やがてもう恋なんてしたくない。と思いだす中年までに、かなり大雑把に言ってしまうとなるのだが、
その間に流れる、らも調の文は楽しいし、無茶苦茶とも見える言動も、なあんだそうなのか。と納得させてしまう文章の力があるようだ。
その中で引用している山岸涼子のマンガのセリフ?と出てくる「人に出会えば、それだけ哀しみが増えますから」の言葉は幾つも結婚後も恋の病におちた本人の本心のセリフだろう。
また、らも氏は40を過ぎてからモテるようになったと書いている。若い頃は、女の子と話していたらかならずある「このタコ」と言われるような扱いが、年をとってからなくなり、逆に若い女の子に犯されそうになったことも告白している。どうしてそれほど変わってきたのか、それは本書の中の、らも少年から青年、そして中年になる現在を読んでいると、なんだかわかってくるような気がする。
他に書かれたものだけを読んでいても、常人離れしているように見えるかも知れないが、この中のは本音で書かれたものばかりだ。世間が余りにも本音を語らないせいで、らも調の素直と言っても良いほどの本音の言葉が読む者の心の鐘を打つのだろう。
紙の本酒と家庭は読書の敵だ。
2003/03/09 21:39
本を眺めるしあわせ
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
目黒考ニは、間違いない活字中毒者だと思う。
そんなこと、いわなくとも、古い友人で作家の椎名誠も初期の小説で、そう名付けているんだが、この本を読むと、あらためてそう感じるものがある。
世の中には、読書家で書評家、評論家、小説家は沢山居るが、目黒さんには、なんというかプロなんだよ。みたいな感じがない。普通の本好きな人間が、素直に本が好きなんだ。だから本なら、無人島で流れている本を眺めているだけでもいいんだ。なんて、他のプロの偉い方々が言うだろうか。
また欲しい高価な本を、お金がなくて買えず、毎日のように通っていた古本屋の本棚を、眺めることの思い等、誰でも本を読む普通の人間なら一度や二度は必ず経験のあるものだ。そんな普通さが目黒考ニの他にはない、良さだと感じる。
とはいえ、長い間、雑誌発行人をしながら、恐ろしい数の本を読み、書評をかいているのだから、中ほどにある、書評の数々はプロのものだし、コラムとはまた違う顔を見せている。もともとが、雑誌に連載されたものを集めたものなので、いろいろな違うジャンルの話に及び、読書の敵にはならない競馬のことまで書かれている。
目黒さんは、読書の時間がない。と常に言いながら、土、日の競馬は絶対に欠かさないギャンブル好きなのだ。言いかえれば、競馬をするために平日は、本を読んで仕事していると言ってもいい(と勝手に理解する)。
大学を卒業してから、しばらく職を転転としながら、本屋通いをしていた頃があるのだが、それから椎名さんと会い、いち早く目黒さんの比のない活字中毒と書評に着目した椎名さんが、「本の雑誌」を作りささえあって来たことや、現在のようなプロとして、それぞれの世界でトップ的な位置にいるのも、いつも隣に座って本を読んでいたりする感じが共感を誘うのでは、ないだろうか。
最後に目黒さんは、亡くなった父親の伝記を、いつか書き上げたい気持ちのことに触れている。しかし、その伝記をまた、いつまでも終えられずにいる方が、父親を思い出せるような思いになるとも告白しているのは、なんだか読む方までホロリとなってしまう。
高いところではない、すぐ隣的なのが目黒さんの良さなのだ。
2007/04/29 11:43
マンガ少年だった
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
勝川克志ことカツ坊の描くマンガには、いつも時代遅れな話がある。それは現代のマンガにあえて逆をいくのかと思いたくなるほどノスタルジィな夕焼け色に染まって、読む者の心にじんわり染みこんでくる。
本書は、「ビッグコミック1(ONE)」に連載されたのを単行本になったもの。おそらく作者の少年時代(昭和30年代)を岐阜の田舎で過ごした自伝的なマンガだ。マンガ好きで、小学生の頃から「鉄人21号」を模した自作ミニコミマンガを手作りしたり、友達と納屋の二階で集まり、これも自作フィルムをひとコマづつ描きスライド上映会を中学生の時にやり、大成功するものの熱から火がついて火事になりそうになり大目玉を食ったりする。家業は電気屋で、いつもお金がないが、田舎の遊びを創作しては楽しむ今の都会では全くない自由でのんびりした遊びとマンガがある。
人物も幼く、子どもも大人もどう見ても良い人に見える。しかし、この良さが他の現代のマンガにはない希少さがある。読み終えて、しみじみ今度田舎に帰ってみようか。と思わされるのだ。
カツ坊は、読んでもわかるように少年の時代から手作りミニコミを作る、古い言葉で言うならたたきあげのミニコミ好きな作家だ。自分だけの手作業で一冊ずつ手製で本を作る楽しみも辛さも知りつくした人だと思うが、それを今も続けている事も知っていて永遠の少年カツ坊の夢のつづきを見ているような感じがした。
紙の本まぼろしの大阪
2004/11/29 11:19
なつかしくて新しい大阪
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『まぼろしの大阪』は、「ぴあ関西版」に連載しているエッセイをまとめて単行本になったもの。関西に住んでいる私は、「ぴあ」と余り縁がなく本を読むまで連載を知らずにいた。毎月読む雑誌は文芸雑誌や古本雑誌ばかりで「ぴあ」や「エルマガジン」は、本屋特集でもない限り毎月、読むことはないものなぁ。
そんなことは、さておき『まぼろしの大阪』が、どうして「まぼろし」なのだろう、それはかってあったが今は見かけない大阪(勿論そんな意味もある)というよりは、生粋の東京生まれの東京育ちで、大阪とは縁のない作者の感じが「まぼろし」なんだろう。私など、生粋の大阪じゃないが阪神に生まれて育っている関西人なので、東京の人にどこの人?と聞かれれば大阪とは言いたくない、神戸です。と必ず言うような大阪に憧れて行きたい。など正直思ったことがない。しかし、この本を読むにつれ、そんな関西人の一人として、目から鱗が落ちるような大阪があるのに驚いた。宇野浩二の『大阪』を愛読して、書かれた大阪をまるで幼児の思い出のように語っているなんて、生粋の大阪人だって希少だろう(宇野浩二の本を今、若い大阪人がどれほど知っているのか)。阪神タイガースの優勝のこと、暑い大阪の夏を嫌がらずにほめるなんて、東京人の見た素直な大阪良いなぁと感じがある。
作者は辛口な評論家としても有名で、大阪の谷沢永一氏との対談は、ともすれば何が何の本かわからなくなりそうな濃い内容である。
本書を読んでから、私は「ぴあ関西版」を毎月(隔週発行)欠かさず読むようになった。勿論、「まぼろしの大阪」を読むためだけに。坪内祐三氏の本の書評など恐れ多くて、日本の書評家で書きたい人は居ないと思うけれど、イチファンとして感想らしいものを出したくなった。
紙の本東京古本とコーヒー巡り
2003/04/26 22:01
ぜいたくな散歩
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東京と言う言葉が似合う本がある。
この本は、正に東京が似合う本だ。文中には、東京にしかない贅沢な楽しみと時間の流れがあるだろう。
古本とコーヒーとは、なんとも当たり前のような取り合せのようだが、ここに出てくる古書店から始まる個性溢れる店達のたたずまいから、まるで匂うように感じる東京の洒落気が満ちている。
私は古本収集家でもないし、古書店ばかり通うような物好きでもないが、ただ眺めているだけで楽しい古書店と言うのがあるのだなぁ。と、しみじみ感じている。
マニアックと言ってしまうのは簡単だけど、限られた者だけじゃない誰でも気楽に覗いている気分になれる。実際に、この本の中に出て来る店には行けなくとも、楽しみが伝わってくる。
古書店だけでなく、様々な店が、それこそあれもこれもと紹介されているし、それらを紹介する達人たちの小文を読むのも良い。時おり、本当にわかって紹介してるんだろうか?と思いたくなるような、ガイドブックがあるが、この東京通めぐりとでも呼びたくなる本書は、正真正銘の東京ガイドブックになるだろう。
紙の本耳のこり
2002/06/26 16:25
いたしおかし
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ナンシー関という名前を聞いて、なんだかどこかで聞いた名前だなぁと思い、訃報を知らせるテレビのコメンテーターの方のなんだか複雑気味の歯切れの悪そうな、お悔やみが、はて? と感じたのだが、この「耳のこり」を読んで、よおくわかった。
週刊誌に毎週連載していた、好き放題言いたい放題のコラムの最新版。普通なら追悼版とかいうのだろうが、なんだかこの人ほど追悼とか似合わない人も居ないだろうな。その歯に衣着せぬ辛らつで的を得た、胸がすくような文にストレスを一時忘れて、通勤電車の吊革にぶらさがりながら笑う会社員も少なくないと思う。芸能人だけでなく、そのターゲットは恐れを知らぬ。
ものすごい情報量の中から、的確にこれはイケネタ!と嗅ぎ出すのは天才的だ。早過ぎる死だが、こういう人には似合っているのかも知れない。
紙の本車谷長吉句集
2003/06/20 09:59
文士の俳句
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『車谷長吉句集』と聞いて、耳馴染みのある人は相当俳句の好きな人か限定本などを好きで集めている人か、車谷氏のファンかのどれかになるのではないだろか。
何故なら、この句集は以前に湯川書房から百部限定で一度出版されたことがあり
その句集は大変高価だったが、出版してすぐに売り切れ多数の増刷を望む声に惜しまれながら絶版となった句集の改訂版として、今回、沖積舎から出版されたものだから。私は、湯川書房へ伺った時この句集を欲しくて見本でもないかと湯川さんにお聞きしたことがあるけれど、一冊もない。との御返事に余計に読みたくなったものだったが、今、その良さを読んでみて、つくづく感じている。
俳句ひとつひとつは、余り変化のない日々の句に思えるかも知れないが、何気ないようで、なにか違う文士の目が映っている。
ガラス割れ冬の夕焼け一面に
は、文士のわびしい生活を漂わせているようだし。
あしうらであしうらなでる除夜の鐘
は、遅い結婚を高橋順子さんという妻を得た喜びが溢れている。
他にも、大袈裟ではないが、しんとくる俳句が多数収められて、車谷長吉という文士の側面を知るということでも貴重な一冊になるだろう。
紙の本贋世捨人
2002/11/05 10:31
行きつく場所がない
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『贋世捨人』は、自伝小説とも言える車谷長吉の作家になるまでの長い道のりを,ある意味告白した小説だろう。私小説作家と呼ばれるのも、これを読めば全く頷ける。
しかし、事実をただ書き連ねただけのものではない、凄さがまた、この本文の中には詰まっている。大学を出た生島が、就職して、ある美しい女に惑いふられてショックから立ち直れずに、ぐずぐずとアパートの部屋で職もなく年を明けるのは、どこにでもあるような事なのだが、その文章は、どこにでもあるものではない。ここまでもか、と自分をどん底まで追い込み、最後の最後に小説家になる決心をしてまたもや上京する様は、決して誰でもあることではないだろう。
自ら、京都の禅寺に入門したいと願いながらも、おのれの業の深さに、決心がつかず愚図愚図と時を過ごす。煩悩は、いつまでも残り、無一物になる。と思いながらも、また作家として賞が欲しいと熱望する。その矛盾を深く感じながら、贋世捨人と呼ぶ。
今年の夏に車谷氏の講演を聞きに行った。その際、自分は京都の寺に入り、出家したい。と話されているのを聞き、この人は今でも世捨てを捨てられないのだなぁ。と少しおかしな気分になったのも記憶に残っている。
紙の本パーク・ライフ
2002/09/21 15:32
不思議な読後感
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『パーク・ライフ』を和訳すると、公園生活になる。
勿論、主人公は公園で生活している訳ではないが、公園で例えば必ず遅い昼のひと時、公園で生活していると思うように感じる。そしてもう一人のスタバ女と呼ばれる女性も公園で生活をしている。また、気球をあげる事に熱中する男も。
この作品は淡々と書かれているようで、誰にも持ち得ない一貫した文体に支配されている。まるで、何もかもが吉田修一の手になると、それは別世界のものになる。
日比谷公園に暮らす、一見、変わり映えのない人々が静かに動き出す。
きっかけは突然、止まった電車の中から見た広告だった。そこから不思議な公園生活が始まって行き、また突然、終る。スタバ女は、いつまでもそのままで別れて行く。
読了すると、不思議に軽い気持ちになれた。これは新しい小説だ。
紙の本コンビニ・ララバイ
2002/08/02 13:53
切ない夜に
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『コンビニ・ララバイ』の著者、池永陽氏は遅れてきた本物だ。
どこにでもある、小さなコンビニエンスを巡る、どこにでもありそうな小さな話の連続かも知れない。それが、どうした。といわれたら返答しようがない物語が並んでいるようにも思える。しかし、その小さなコンビニの中、外を通し見えているのは、些細な人生の縮図だった。
コンビニの店長は、どことなく黄昏ているようで、作者とダブる部分も多いように思える。愛にも仕事にも何もかも、絶望の一歩手前で、そうじゃない。と自分自身に?を送りつづける人びと。様々な人が入り出て行く、コンビニは、ドラマがあって可笑しくない場所なのだ。
読み終えると、不思議な充足感が漂う。七つの作品集だが、やはり一番なのが表題作。あとも、それぞれにストーリーが微妙に違い、読み応えは充分。この夏一番の小説。
紙の本上海ビート
2002/07/21 22:27
17歳の僕の住む場所
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この『上海ビート』は、これが本当に中国なのかと、ふと錯覚に陥りそうになる。
それぐらい日本に近い17歳がいた。今まで知られなかった中国が見える、傷つきやすい
青春を生きる青年の目を通して、すこしずつ見えてくる上海は暑くまた行く場所を捜して壁にあたり、人にあたる自分が居る。
読み終わると、言い知れぬエネルギーが乗り移る。熱い魂がある。
17歳とは、思えぬ的を得た表現力に驚くと共に、中国で圧倒的な支持を得たのも、やはり現代の中国の若者の代弁者になろうとしているようだ。今までになかった中国から発信される新しい小説。
紙の本どにち放浪記
2002/05/28 15:49
エッセンスなエッセイ
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この「どにち放浪記」というタイトルを読んだとき、放浪記と作者は、つけたかったのかなぁと思った。かの名作「放浪記」や「麻雀放浪記」のように、この放浪記という題にはロマンがある。そういう意味では本書は日常の放浪記である。毎日を放浪するようにあれこれと黙っておれないささいなコトを原稿用紙にポタリとひとりごとをこぼすように、書きつづったエッセイの集まりだ。デビュー後すぐからの余り知られていない新聞のエッセイコラム等を集めている、この本は知られざる群ようこの素顔の一面をも、そこはかとなく匂わせている。
紙の本アダルト系
2003/10/14 10:21
大人じゃない人のための本
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『アダルト系』は、一見するといわゆる大人(アダルト)の、いやらしい本かな?と思われる人も多分、少なくないだろう。
たしかに中には風俗嬢の赤裸々な告白とも思えるインタビューや、
SMで尿道にカテーテル刺されて放尿とか、やっぱりそうじゃん。と突っ込みいれたくなるようなものも、あることはある。
しかし、この本は、きちんと調べ上げられた資料と情報に基づいて著者、永江朗氏の独自のアイデンテティにより、書かれた単なる、アダルト本では決してないことを明言したい。
なぁんだ、そうなのか。と股間おっぴろげた写真を期待していた方がたや、永江朗という名前をすこしは知っているという自称なんとかの方がたにも、この一冊は読んでみて良かった。と思わせる本なのではないだろうか。
内容は長期間にわたり、著者があちこちの雑誌編集者の間に記事にしたものを集めたものなので、若干時間に差があるが、面白いのはインタビューや取材の対象にしている人達だろう。みな表向きは仕事をしている大人の顔をしていても、一皮むけば、どこか欠けたものを持っている。その欠けた部分が小さい人もいれば、大半を占めている人もいる。そんな大人になれない部分に焦点をあてて広げていく手腕は、誰にでもなかなかできないものだろう。
多分、永江氏自身も十分に欠けたものを抱えた人だから、120%のひき出しができるのじゃないだろうか。
見過ごしがちになりそうだが、本書は入念な資料と調査にも裏づけされていること。お宅ともいえそうな詳しい情報は驚くものがあるが、単なるお宅ではないのは、それをベースにきちんとひとつの記事を作りあげていること。マニアであるが、それで仕事をしている視点が違う。
本の業界では、有名な著者だが、大勢いる業界人の中でポンと抜けている感じがするのは、大多数の人が持つ自意識を持たないことなのではないのだろうか? つまらない自意識は邪魔になるだけ。そんな感想を持たしてくれたのが『アダルト系』の読後感だった。