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あおいさんのレビュー一覧

投稿者:あおい

148 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本なしくずしの死 上

2002/06/24 03:08

怒りとともに生きのびる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第二次世界大戦中の反ユダヤ主義言辞によって有罪判決を受け「呪われた作家」として生を終えたセリーヌの1936年に発表された第二長篇。前作の『夜の果てへの旅』(邦訳中公文庫)と比較すると伝記的な部分のリアリティーがよりいっそう複雑になっていて、狂騒的・妄想的な文体の過剰さからともすれば感じられるメルヘン風の枠組みが破壊されている傑作。
セリーヌの作品はフランス文学において大胆な口語表現の小説への導入が文体的に問題にされ正直言って初学者程度のフランス語能力の僕などには原書の過激さははとうてい理解不能なレヴェルにあるのだが、翻訳で水に薄めたような文章を読んでいると主題は「口語」なのではなくむしろ「書き言葉」というよりも《書くこと》そのものの痙攣的な営為にあると思える。貧民街で医師をする話者が執筆する『英雄伝』を同僚などに語りつつ、少年期を読者に語る入れ子構造(話者の名は作者と同じ「フェルディナン」という名前を持つ)を、しかしセリーヌはひたすら直線的に書いていく。それは、ボルヘスがもっとも複雑な迷宮とは直線であると言ったように、その直線性によってモニュメントとしての文学作品といった言葉を思い起こさせさえするものだ。
呪詛と憤怒に彩られたセリーヌの作品は、しかし意外なまでに清浄な生の謳歌も感じられる。「文学はおとしまえをつけてくれる」と言い、「死か、嘘か」という絶望的な選択を提示しながら決して死には向かわないその強靭さが、セリーヌを盆百の「過激」で「アナーキー」な作家と隔絶する。

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紙の本

紙の本構造と力 記号論を超えて

2002/07/10 07:17

時代

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いま読むと、この本ってものすごくわかりにくい本ではないだろうか。一種の名文であるし、爽快だし、実に見事に見取り図を描いているように見えるが、結局この本は読書案内としては鋭すぎるし、これだけを読んで何かを納得することはかなり難しいし、結局自分で考えて本を読めということになってしまうように思う。実際、ここで参照されている著作や思想は僕には馴染みの深いものばかりではあるが、ん? とか、「ちょっと待ちたまえ」というところが頻出する。巧い言い方だなあと感心しつつ、また言葉が置かれる位置について再考させられつつ、それでもなおモヤモヤしたものが残ってちゃぶ台をひっくり返すようにこの本を捨てラカンなりドゥルーズなりに戻らざるを得なくなる。何でこれがベストセラーになったのか? うーん謎だ。

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紙の本

年譜から見えてくる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本からはじまる「思考集成」全十巻は、フーコーが生前著作としてまとめた単行本には未収録の、エッセーや対談、序文などのすべてのテキストである(未発表の草稿は入っていない)。原題は「語られたことと書かれたこと」と言い、フーコーの生涯の伴侶だった社会学者ダニエル・ドフェールとコレージュ・ド・フランスで教鞭を執ったフーコーの助手を務めた社会学者フランソワ・エヴァルドを編集責任者とし、書誌及びテクスト校訂や編者註を担当した哲学者ジャック・ラグランジュを編集協力者に迎え、フーコーの没後十周年にあたる1994年に出版されたものを、日本向けに「思考集成」というやや堅苦しい邦題で刊行したものだ。
20世紀後半でもっともインパクトと影響を与えた哲学者であるフーコーは、きわめて厳格なアカデミズムの内部にありながら同時にもっとも<時代>に肉薄する思考と政治的な実践を書かしたことはない人物で、単行本だけではわからないそういったアクチュアリティーを知る上で欠かせない文献である。
第一巻である本書に収録されているのは若き精神医学の徒であったフーコーの問いが窺われ、後に「狂気の歴史」で全面的に展開されるだろう思索への助走的な諸論文と、モーリス・ブランショからの大きな影響を被りつつ独特のバロックな文体を鍛え上げていく文芸評論が中心となっており、ほとんどはこれまでにすでに邦訳のあるものだが、単行本がすべて翻訳された最近の日本の状況をふまえ、用語の統一などがはかられた新訳によってとても読みやすいものになっていて嬉しい。
もっとも、そういった翻訳についての問題や、年代順にテクストが並べられていることによって生じる理解しやすさは全巻を通じてのものだから、とりわけここで本書のハイライトとして取り上げたいのは、テクストの冒頭に掲載された非常に綿密な年譜である。作家の評伝というものは面白いものではあるけれどもある種の「物語化」による誇張というのか、評伝の書き手による感情移入の操作がうっとうしかったり馬鹿馬鹿しかったりするものだが、年譜はそういう意味では評伝よりも単なる事実の羅列なのでいろいろな想像が出来て面白い。
たとえば音楽家ピエール・ブーレーズやジャン・バラケとの交友、キルケゴールを通じてドイツ哲学を学んだという読書体験、「ゴドーを待ちながら」観劇の衝撃からブランショとバタイユを読んだという証言、「狂気の歴史」に寄せられたデリダの批判に対して書簡で漏らされた懐疑(「どうして歴史性はつねに忘却として思考されなければならないのだろう」)、晩年に再読されるトーマス・マン、そしていつでも不幸な結末を迎える異郷での活動。
年譜から見えてくるものは、確かにミシェル・フーコーという偉大な知識人の肖像でもあるが、しかし決してそういった物語だけではなく、ある思考の道筋のようなものこそが重要だと思う。その試行錯誤をみずからの思索に接続し、想像するのではなく抽象することが、<全集>という形式を徹底して拒み、<知の権力>を生涯かけて批判したこの人物に相応しい振る舞いであるだろう。

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紙の本

知性と教養

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1988年に雑誌「リュミエール」(蓮實重彦責任編集)の特別企画として発売されたヴィデオシリーズ「リュミエール・シネマテーク」10巻セット分売不可のブックレットとして発表され、未刊行のままであった対談を文庫化。件のヴィデオシリーズのラインナップは『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング1937)『海外特派員』(アルフレッド・ヒッチコック1940)『果てしなき船路』(ジョン・フォード1940)『砂丘の敵』(ヘンリー・ハサウェイ1941)『生きるべきか死ぬべきか』(エルンスト・ルビッチ1942)『奥様は魔女』(ルネ・クレール1942)『第九交響楽』『世界の果てに』『南の誘惑』『誘拐魔』(ダグラス・サーク1936,37,37,47)というまったくとんでもないもので、当時僕は蓮實重彦はメロドラママニアかと思った記憶がある。だってダグラス・サーク四本立ては異常ではないか。ハスミンにはいろいろな批判はあるけれども、この企画だけを見てみてもちょっと尋常な変態ぶりではないことはよく判る。そのヴィデオシリーズは僕は手にしていないので(上映された映画は観た、すべて涙なしには観られない傑作、笑いすぎて出る涙もあるけど)、このブックレットは未読だったのだが、相変わらずこの二人の対談は面白い。単なる映画マニアの戯れ言というだけではなく、ある種のフォルムが作品を歴史と拮抗させる力を見せる瞬間を極めて優雅に掬いとってみせるさまは圧巻だ。これをもって人知性と教養と呼ぶ。

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紙の本

紙の本ジーザス・サン

2010/01/12 11:42

人間、この度し難いもの。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この92年刊行の短編集は、某所でちょっと触れられていて、興味を持って原書を最初の二篇ばかり読んで放置してあったのだが、いつのまにか翻訳が出て、たぶん翻訳だと面白さの三分の一は消えるなあと思いながらついつい面倒なので翻訳で読んでしまった。傑作と評判だが、どうも私は読みながらずっとクスクス笑ってしまってとても愛すべき作品だとは思うけどそんなに傑作だとは思えない、まあケッサクってカタカナで書くんならオッケーだけど。いわゆるまっとうな人生からこぼれ落ちてヤクや酒に嵌り、そこで肉体も精神もボロボロにして神懸かりになって、でもばんばん軽く死んでいく殺していくあっちにいっちまう奴らを尻目に何故か生き残り無罪になり、とりのこされて施設に入って安心してみたりもする、本当にダメな連中のたぶん一人らしい「俺」は、しかしむしろいろんな人間を重ねてこねあげた象徴みたいなもんと思った方がいいんじゃないかと思うんだけど、でもヤクについて書くにはヤクを抜かないといけないんだよね、とかいうのは本当にリアルなオチで、最後に救われたみたいなことが書いてあって陳腐じゃんとか思うかもしれないが人生ってのは陳腐な方がいい。引用。

《奴は(略)俺と同じく過量摂取した。深い眠りに落ちて、はた目にはまるっきり死んで見えた。一緒にいた連中は、みんな俺たちの仲間だったが、時おりポケットミラーを奴の鼻の下にあてては、鏡にちゃんと細かいもやが浮かぶことを確かめた。ところが、そのうちに奴らは彼のことを忘れてしまい、誰も気づかないうちに呼吸が止まった。奴はあっさり息絶えた。奴は死んだ。俺はまだ生きている。》

こういう記述はとてもリアルで、というか、まああんまりご立派な人生は生きてこなかった私などは、ああ、こういうのは知ってるな、と思ってしまうのだが、けれども私にはそこで神秘の縁に触ってしまうこの語り手の感じは、ああそういう奴いるね、という意味でよくわかるんだが、どっちかといえば、まあ死体は汚いからいやだけども、ああなんで俺はこっちに残っちまったんだろうって思うことが多かったしいまでも度々思うので、それがいいかわるいかもわからない、というのは、どうなんだろうねと思ったりもする。まあ人間というのは、どんな苦痛も脳味噌で快楽に変換しちまう度し難い生きものなんだなということだけは確かだ。

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紙の本

紙の本アルチュセール

2002/07/10 07:24

わかりにくい人

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アルチュセールはわかりにくい。これほど後代に影響を与えながら、ある意味で独立した「主著」と言われるものが存在せず、その影響がつねに批判的文脈において語られるだけであった人も珍しい。ソシュールやラカンのように教祖的に祭り上げられることもなく、おそらくはその晩年の狂気のせいもあって同世代の思想家の中でもっとも早く「死んで」しまったようなのだ。近年は再評価の渦中にあるが、やはりそれでもいまのところアルチュセールの全貌をスケッチするようなまとまった論述で、「古典」となりうるような本は見あたらない。本書はおそらく世界的にもっとも早い時期に書かれたアルチュセール論の書き手である著者の書いた薄い本で、とりあえずこれを手引きとしてアルチュセールの著作に入ってみたいと思う。

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紙の本

紙の本バベットの晩餐会

2002/06/24 02:51

「貴族」の(として)の「文学」

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「芸術」を主題とするとても余裕のある語り口でくっきりした輪郭を持つ中編小説二篇を収録。著者がよく口にする「ゴシック物語」の上品さが味わえる作品集で、細部がないわけでもないのに暗示的な手法のさりげなさが気持ちいい。
著者「イサク・ディーネセン」の名はデンマーク人の著者が英語で作品を発表する際に用いられる筆名で、デンマーク語では「カレン・ブリクセン男爵夫人」という。平民出身である彼女はスウェーデン貴族と結婚し男爵夫人となって、その後離婚しても「男爵夫人」を名乗り続けた。離婚の大きな原因となった夫から移された梅毒の宿痾を、文学の中での「貴族」と「夫人(であること)」と重ね合わせていたかのようである。
著者にまつわる伝記的事実を小説に読み込むことは退屈だが、これらの物語にある軽やかな階調の諦観とユーモアは、まさしく精神の貴族に相応しいものだ。

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紙の本

紙の本奇談

2002/07/16 07:21

本朝幻想文学案内

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

全三巻のこのシリーズは幻想文学ファンなら絶対オススメの素晴らしいアンソロジーです。
古典文学というのはわりと初心者にとっつきにくくて、注釈の塵を払い、長い時間をかけてゆっくりと親しまなければならないわけですが、幸か不幸かわが国は文芸の歴史が滅茶苦茶長く、そして豊かすぎて、一言に「幻想」といってもほとんど富士の樹海を行くに等しいものがあります。
このシリーズは、日本の幻想文学の碩学が、何度もいろいろなところで取り上げられた名篇や異色作を選抜し、とても美しい端正な現代語に訳して三巻本にまとめた労作なのです。解説も親切で原典の書誌情報も整い、初学者には最適だと思います。装幀も綺麗で本文に注釈が括弧で埋められたかたちも、非常に読みやすいものです。少々お値段は高めですけれども、それだけの価値はきっとあると思います。

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紙の本

悪夢のカタログ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

超短篇179本を収録した傑作集。
「賭けをした男が牛の体内にもぐり込む。もぐり込んでみて、結局そこに居座ることにする」(牛乳)
「二人の娘が大きな水槽に閉じこめられている。鍵を開けてやりたいと思うが、どこをどうしたらいいのかわからない」(水族館)
「私の父が魔法の絨毯に乗ってやってくる」(魔法の絨毯)
など、冒頭を読むだけでわくわくするが、これらがすべて文庫本で一〜二頁の分量の掌編として描かれているのである。作者はパフォーマンス・アートで名を挙げた人物なんだそうで、なるほど即興性に溢れたストーリーテリングは、とても透明な音楽を感じさせ、とても短い物語であるにもかかわらず、読後感はしっかりしていて、一気に通読するよりも、年代物の洋酒のように、一篇づつゆっくり楽しみたい気分にさせる。

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紙の本

紙の本異郷から 1 花のある遠景

2002/07/07 07:03

過ぎ去れば、すべては無か思い出だ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者を文化人類学者と呼ぶのは躊躇われる。
西欧のディシプリンにおいて、学者とは何よりも世界を言語によって分節し、体系化するものである。しかし、西江氏の書く文章から受ける印象は、何よりもそのよるべのない、見たもの、聴こえたもの、触れたものにたいする感覚であり、記憶であって、それはまったく明晰に描かれていながらにしてどこか得体の知れない生き物のようだ。
かつて学者が文章家であった幸福な時代を思い起こさせる西江氏の文章の魅力は、金井美恵子氏や辺見庸氏や山下洋輔氏など、まったく関連性のない多くの人を惹きつけて止まない。とても静かで、息をのむほどに美しい文章を、是非とももっと多くの人に味わって欲しいものだと思う。
むろんすべての美しい文章がそうであるように、この味わいは、深い思索と危機の意識による緊張が全編を貫いて揺るぎないものであることも忘れてはいけない。
ここで描かれる「東アフリカ」という<異郷>をめぐる<日常>を、読むことの抽象力を鍛えてみずからに折り返すことも読者の重要な義務である。

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紙の本

紙の本妊娠小説

2002/07/10 08:10

使える本

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

着眼点の面白さだけでほとんど一冊を走り抜けてしまった、批評的文芸エセーの佳編。非常に愛らしいといえば、それはフェミニズム的に糾弾されてしまうのだろうなあ。いま構想中の「妊娠」が冒頭から登場する恋愛小説の参考のため再読。フェミニズム批評はおかしなことにマッチョな作品が多いが、本書もその例に漏れず「使える/使えない」にやけにこだわっていて面白い。もちろん小説の参考として「使える」本であることはいうまでもない。
もっとも著者の最近の活動は停滞気味であって、「文章読本さん江」とか「文壇アイドル論」などは、もう少し工夫が必要なのではないかと思うし、なにより、「新しい<読み>の地平」を提出するように向けて単なる「おじさん」たちのルサンチマンに訴える商売っ気が透けて見えてどうにもまどろっこしい。そういうアホーな読者は無視してしまっていいのではないだろうか。

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紙の本

紙の本ジョナサンと宇宙クジラ

2002/07/10 08:00

大原まり子さんのあの短篇の…

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

SFファンタジーの古典的傑作。ジャック・フィニイと並び、心温まる童話的な世界を20世紀的に構築している作品で、未読の人には超オススメ。こういう小説を書くには天賦の才がいるが、誰しもこのような情愛を理解しないではいられないだろう。

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紙の本

紙の本江戸の音

2002/07/08 09:16

音楽ではなく、音。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

前著「江戸の想像力」の補填として書かれたというこの薄い瀟洒な本は、けれども、本邦の歌舞音曲を扱った表象論の著作としてとても面白く、むしろ類似品(失礼)の多い前著よりもオリジナリティーの上でもいろいろな人に勧めたい好著である。
本書に収録された対談の中で武満徹が「日本の音楽というのは、ほとんどよそから来て長いことかかって日本化されて来たわけで、音のありようそのものが変化して、非常に象徴的な音になっている。たとえば尺八などでヒューッと、一つの音を吹くと、確固とした世界が現出する。ところが、西洋音楽でフルートが一つの音だけをヒューッと吹いても、そこには何も出てこない」と語っていて、著者の「江戸の音」に関するモチーフは、この発言をさまざまな具体的細部や言説上の手がかりを丹念に追いながら変奏していくものとなっている。おそらくこのモチーフは、何故、音楽的には非常に素朴であるロックが、これほどまでに地域を越え多くの人に共有されるイメージを創造したのか、という問いとも繋がってくるものだろうし、江戸の音が、決して懐古的なものではなくモダニズムの核心に肉薄する主題でもあるのだということを予想させる。
もっとも、この本自体は先に書いたとおり小著であって、そのような「問い」がじゅうぶんに展開されたとは云えない。けれども、さまざまな意味で刺激的な著作であり、なにより肩の凝らない「語り」の文体で、「音」の世界の入り口でいろいろ物思うのも学者ならぬ素人読者の楽しみなのである。

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紙の本

紙の本ハバナへの旅

2002/07/08 06:30

地球の上に朝が来る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者のこれまで邦訳の出た作品の中で僕はこの本が一番好きだ。
なるほど、「めくるめく世界」は荒唐無稽で抜群に面白いし、「夜になるまえに」は迫力があってじっくり考えさせられるし、「夜明け前のセレスティーノ」は、処女作ならではのほとばしるような<書く>ことの至福に充たされていて感動的なのものには違いない。けれどもそれらの大作が、どうしても大作であるがゆえに抱え込んでしまう巨大さに、どうにも疲れてしまうのも読者としての偽らざる印象なのだった。
この本は、旅の主題による三つの物語を精緻に配列して構成したこの本自体で一つの小説でもあるような体裁の小説である。起こってしまったことはもう変えようがない、とりかえしがつかない、というような絶望的な悔悟を通奏低音に、同性愛や死のモチーフが、アレナスの小説ではほとんど例外的とも思えるようなささやくような調子で浮かび上がるように綴られていく。この繊細さ、<小ささ>は、いわゆる「物語の復権」を楽天的に謳う<ラテンアメリカ文学>とはまったく異質な感動を憶えさせてくれるものだ。
多くの読者に触れてもらいたい傑作。

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紙の本

紙の本果てもない道中記 上

2002/07/04 04:27

「語り直し」としてのフィクション

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

時代小説の金字塔として知られる「大菩薩峠」について書かれた本書は、評論ともエッセーとも違うとても不思議な肌触りのある本である。
「大菩薩峠」という小説は、文庫本にして二十巻にしてなお未完という破格の大河小説だが、机龍之助というニヒルな剣士の放浪を軸に、仏教思想を背景に描かれたユートピア小説としてそのスケールの大きさと思想性の深さがこれまでも多くの評者によって指摘されているが、実際に読んでみるとそのあまりにも長い作品の文章にはどう見ても単なる稚拙さにしか思えないような部分があり、未完であることも手伝ってなかなか読了することが難しいのだが、この本は「大菩薩峠」について語りながら、ほとんど何も明快な結論を示すことなくえんえんと引用が続き、著者安岡章太郎によるメタ・フィクション的な「語り直し」の企みなのではないかとさえ思われるもので、「大菩薩峠」の読者も、「大菩薩峠」に関心を持っていながらなかなか読み出せない、また読み終えられない読者にもある種の感銘をもたらしてくれるだろう「作品」であると思う。

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