サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. あおいさんのレビュー一覧

あおいさんのレビュー一覧

投稿者:あおい

148 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本マゴット

2002/07/10 07:34

英国風奇想の軽やかな楽しみ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いかにもイギリス的な癖のある長編小説。ミステリ的な趣向が強くエロ小説的な意匠を扱っているが、内容は青臭い感じがするほどに哲学的なものだ。英語圏らしい本質的なデタラメさというか、技法の扱いのあっけらかんとした大胆さが気持ちよい。たとえばエーコのような小説がどうも空疎に感じられるのは何故だろうか。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本1ダースの殺意

2002/06/30 09:45

六本木心中

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このアンソロジーに収録されている笹沢左保の「六本木心中」はとても好きな作品だ。
『木枯らし紋次郎』で知られる著者だが、その初期の叙情的なミステリには傑作が多い。まったく救いがないような、暗くてじめじめした筋立てだというのに、絶望が一種の透明な意識を語り手にもたらしていることが大きいのだと思う。これはミステリとも股旅小説とも関係のない風俗小説だが、ある意味で心理小説はいっそう透徹な視点を必要とするジャンルの小説であり、当然のように独特の寂寥感が滲む好篇となっている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本デッドエンド・スカイ

2002/07/12 01:37

そりゃないぜBABY

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

装幀の現代的なのに目をひかれ、プロローグ的な冒頭の一編がカッコよかったので購入して読んでみたら、本当の物語がはじまると思しい表題となっている章はひたすら貧乏くさく古くさく、どんどんみじめったらしい展開になっていってがっかりだった。
著者はDJでもあり、セリーヌやバロウズを愛好しているらしいのだが、確かに、彼らの作品には意趣のセンチメンタリズムがあって、苦笑させられるようなあどけなさすらその規定には存在しているようにも思われるけれど、だからといって、何の方法的意識もなく単に退行としか思えないような素直なエモーションの吐露にしてしまったら、作品の緊張感も何もあったものではないだろうと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本アシッド・カジュアルズ

2002/06/24 02:44

雨。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ずっと降り続ける雨の描写が雨の存在感を読み手に伝えてこないのが小説として痛い。キャラクターの魅力がそのせいで大幅に損なわれていて、ストーリーの拡散性がむしろ印象の散漫さになってしまう。物語はキャラクターの関係によって距離を得るものだが、その距離は、温度や光の濃度、その変化、動作による空気の流れ、色彩の移動などの諸要素が的確に配列されることによって奥行きが生まれるのであって、時間的配分としては叙述の複雑さが必要になるのだが、ある種のハードボイルド小説の技法ではこの叙述を時間の遅延を齎す描写技法によって「第一印象(プルースト)」の連鎖として構造化するように進められる。したがってそこで必要とされるのは「雨」のような情景の具体的な身体感覚に訴える繊細で綿密な、そして徹底的に計算された技法的配慮なのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

絶望の痛み

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鈴木いずみの小説は、いつでもとても切なくて、そしてとても痛い。代表作とも云えるこの長編小説は、「虚無」に恋いこがれながら「絶望」に生きた当時の感受性鋭い若者たちを、その真っ直中で生きた著者の感覚そのままに描かれた陰惨な青春小説だが、松浦理英子が正しく指摘するように、その風俗的な側面の抽象化がふじゅうぶんで、心理描写があまりにも客観視されていない思い入れの強さによって、小説になり損ねてしまったように思えるのだが、しかし、それゆえにこそ当時の絶望感の深さが、ラスト・シーンに横溢する「静寂」への激しい渇望として胸に迫る。
その意味で、この小説はむしろ鈴木いずみの作品としては「文学」として読むことも出来るように思う。僕としては彼女が最盛期に書いた(書き散らしたとも云える)ポルノ小説やSF小説の復刊を希望したい。それらの作品のビニール袋につつまれたような「軽薄さ」にこそ、本当の絶望の「痛さ」が隠されているからだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本バカなヤツらは皆殺し

2002/06/24 02:56

明るい夜の少女たち

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これはアメリカの「ノワール」の枠組みを利用した少女小説であると思う。精神分析では、少女にとって《母親》とは最初に出会う《他人(の女)》であり、マルグリット・デュラスが「たいてい娘は母親のことを気が狂っているのだと思うものです」というように、鏡像関係の《無根拠さ》の象徴として現れる。この作品の中で、ナディーヌとマニュという二人のヒロインの関係が、レズビアニズムとはまったく無関係だと強調されるのは、関係に《家族》の表象を拒絶する水平さとなってスピード感のある物語の進行に力を与えている。
ヒロインたちが出会う前と出会った後で、それぞれのキャラクターが異様に変質してしまう部分が、とてもご都合主義的で、ひっきりなしに流れるナディーヌの聴くウォークマンの音楽とマニュの食べるジャンク・フードのコントラストなど、面白いようでもあり何処か「騙されている」「見ないようにしている」ような弱さがある。それがラストの、アメリカン・ニューシネマのような凡庸な挫折感に浸されるのは、どうにもやりきれない。もっと違う《終わり》がないものなのだろうか。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

俳文の世界

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

俳句についてはともかく俳文というのはあるいは聞き慣れないジャンルかもしれない。いうまでもなく創始は芭蕉で、俗にあって雅を重んじる散文の一形式である。『鶉衣』はその代表的名編。作者横井也有の筆づかいはのびやかだが、これはしかし極めて慎重な自由さでもある。ここらへんが狂歌師と俳人の違いかもしれない。俳諧はその趣味によってどこか血を嫌うホモソーシャリティーがある。むろん狂歌にもそれは受け継がれているけれど、俳句の描写が額縁の向こうに結晶化したものであるとすれば狂歌・戯作のそれは額縁の淵ににじみだす暗い情念がふと垣間みえるのだ。
入門書で小手調べして、それから原著を読もう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ちいさなマフィアの話

2002/06/30 10:37

とても簡単なこと?

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「現実」というか、「時世」と向き合う作家は、どこか寓話作家としての面を有している。それゆえ、たとえばこのイタリアの「先生」と呼ばれた知識人作家の本を読むと、ある情況が、ひとつの単純でまさにそれだけに複雑な「人間の条件」を開陳し、なにやらこれだけでわかったような気になり、また「世の中というのはなかなか難しいものだ」という、「わからない」ということで何かを納得してしまうもっともたちの悪いわかりかたをもたらしてくれたりするものなのである。そんな簡単に行くと思ったら大きな間違いなのだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ユリイカ

2002/06/30 08:36

世代の問題

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『Helpless』はいい映画だった。この本はカンヌで絶賛された同名映画の監督本人によるノヴェライズ。中上健次の影響の濃い文体がある世代の文学体験というものが教養となっていることを知らしめてくれる。映画の人は模倣を恐れないのに蒙が開かれる思いがする。
単行本として上梓されたこの作品が三島由紀夫賞を獲得したことにはある種の居心地の悪さを感じたものだけれど、その後も著者は小説の執筆を続けており、そこでは「小説」というジャンルのある種のフットワークの「軽さ」を再認識させてもくれる内容が綴られている。膠着した(ようにも見える)現代文学(文壇?)に、ひとつの波紋を投げ出すという「問題性」を、「世代の問題」として、同じように中上健次にとりつかれた僕などは受けとめてしまう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本浪費バカ一代

2002/06/30 07:57

引力

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ヤングアダルト作家というよりもほとんど現代の奇人として知られているようになってしまったのではないかと思われる著者の代表的連載エッセー。第一エッセー集「だって買っちゃったんだもん!」の連載中から折につけて何度も何度も立ち読みし、この単行本に収録されている文章もおよそ購入するまでに4回は読み返しているのではないかと思う。考えてみれば変なつきあいだ。もっとも、情報系のエッセイスト、あるいはコラムニストならそういう人も結構いるのだが、一読すれば明らかなように本書はそういう類の本ではない。文章が取り立てて巧いわけでもなく、リズム的に僕と相性がいいと言うわけでもない。単にこの切羽詰まっているのか、それとも巫山戯ているのかわからない内容と文体に異様な迫力を感じてついつい引き込まれて読んでしまうのである。であるからといってじゃあこの内容について何か書けるのかというとはっきり言って「一言もない」としか言いようがなかったりするわけで、なんのこっちゃわからんわ、と思う人がいれば是非本屋さんへ行ってこの本のページを繰ってみよう。わけがわからんが僕はこういう文章に凄く反応してしまうところがあるらしい。うーむ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ゴヂラ

2002/06/24 02:39

言葉など憶えなければよかった

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

冒頭から最初の三章くらいまではとても面白いのに、言葉が持続せずに、不意に失速して最後にはとてもつまらなくなってしまう。ロマンティストは未来を愛し、センチメンタリストは過去を愛し、リアリストは現在を愛する、という有島武郎の規定を思えば、ずっと以前から自身でもそう語るように、高橋源一郎はとても感傷的な作家だ。その愛する過去が、同時期に書かれた『官能小説家』(朝日新聞社)で登場人物の一葉樋口夏子が漏らす、「言葉など憶えなければよかった」というつぶやきの、そのやりきれないようなスキャンダリズムを洗い落として不思議な抒情を生んでいる。さまざまな思想のいわば「意味のなさ」と、文学を愛することのいやらしさ、卑しさをはっきりと意志しながら同時にそのやりきれなさに疲労する作品群はしかし、こうまで素直に——自堕落に——感傷にひたされていて、いいものなのだろうか。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本センチメンタルな殺し屋

2002/06/24 02:17

トボけた軽さ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

チリに生まれドイツに在住する作家の中篇集。ハードボイルドタッチのミステリで、ひたすらテンポ良くトントン拍子で進んでいく文章の軽さは普通凡庸さにつながりそうなものだけれど、ラテンアメリカ文学の伝統の力なのかエンターテイメントの軽さとは少し違うちょっとばかりウェットな不思議な魅力がある。
分身の主題の慎ましさや気取った台詞回しのスタイルまで、とても懐かしいような雰囲気の小品。そう、ちょうどヘンリー・ジェイムズの国際モノとか、コンラッドやグリーン、そしてナボコフの短中篇を想起したりする。著者はジャーナリストとしても活躍中とのこと。成程。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本構造と力 記号論を超えて

2002/07/10 07:17

時代

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いま読むと、この本ってものすごくわかりにくい本ではないだろうか。一種の名文であるし、爽快だし、実に見事に見取り図を描いているように見えるが、結局この本は読書案内としては鋭すぎるし、これだけを読んで何かを納得することはかなり難しいし、結局自分で考えて本を読めということになってしまうように思う。実際、ここで参照されている著作や思想は僕には馴染みの深いものばかりではあるが、ん? とか、「ちょっと待ちたまえ」というところが頻出する。巧い言い方だなあと感心しつつ、また言葉が置かれる位置について再考させられつつ、それでもなおモヤモヤしたものが残ってちゃぶ台をひっくり返すようにこの本を捨てラカンなりドゥルーズなりに戻らざるを得なくなる。何でこれがベストセラーになったのか? うーん謎だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ジーザス・サン

2010/01/12 11:42

人間、この度し難いもの。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この92年刊行の短編集は、某所でちょっと触れられていて、興味を持って原書を最初の二篇ばかり読んで放置してあったのだが、いつのまにか翻訳が出て、たぶん翻訳だと面白さの三分の一は消えるなあと思いながらついつい面倒なので翻訳で読んでしまった。傑作と評判だが、どうも私は読みながらずっとクスクス笑ってしまってとても愛すべき作品だとは思うけどそんなに傑作だとは思えない、まあケッサクってカタカナで書くんならオッケーだけど。いわゆるまっとうな人生からこぼれ落ちてヤクや酒に嵌り、そこで肉体も精神もボロボロにして神懸かりになって、でもばんばん軽く死んでいく殺していくあっちにいっちまう奴らを尻目に何故か生き残り無罪になり、とりのこされて施設に入って安心してみたりもする、本当にダメな連中のたぶん一人らしい「俺」は、しかしむしろいろんな人間を重ねてこねあげた象徴みたいなもんと思った方がいいんじゃないかと思うんだけど、でもヤクについて書くにはヤクを抜かないといけないんだよね、とかいうのは本当にリアルなオチで、最後に救われたみたいなことが書いてあって陳腐じゃんとか思うかもしれないが人生ってのは陳腐な方がいい。引用。

《奴は(略)俺と同じく過量摂取した。深い眠りに落ちて、はた目にはまるっきり死んで見えた。一緒にいた連中は、みんな俺たちの仲間だったが、時おりポケットミラーを奴の鼻の下にあてては、鏡にちゃんと細かいもやが浮かぶことを確かめた。ところが、そのうちに奴らは彼のことを忘れてしまい、誰も気づかないうちに呼吸が止まった。奴はあっさり息絶えた。奴は死んだ。俺はまだ生きている。》

こういう記述はとてもリアルで、というか、まああんまりご立派な人生は生きてこなかった私などは、ああ、こういうのは知ってるな、と思ってしまうのだが、けれども私にはそこで神秘の縁に触ってしまうこの語り手の感じは、ああそういう奴いるね、という意味でよくわかるんだが、どっちかといえば、まあ死体は汚いからいやだけども、ああなんで俺はこっちに残っちまったんだろうって思うことが多かったしいまでも度々思うので、それがいいかわるいかもわからない、というのは、どうなんだろうねと思ったりもする。まあ人間というのは、どんな苦痛も脳味噌で快楽に変換しちまう度し難い生きものなんだなということだけは確かだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本アルチュセール

2002/07/10 07:24

わかりにくい人

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アルチュセールはわかりにくい。これほど後代に影響を与えながら、ある意味で独立した「主著」と言われるものが存在せず、その影響がつねに批判的文脈において語られるだけであった人も珍しい。ソシュールやラカンのように教祖的に祭り上げられることもなく、おそらくはその晩年の狂気のせいもあって同世代の思想家の中でもっとも早く「死んで」しまったようなのだ。近年は再評価の渦中にあるが、やはりそれでもいまのところアルチュセールの全貌をスケッチするようなまとまった論述で、「古典」となりうるような本は見あたらない。本書はおそらく世界的にもっとも早い時期に書かれたアルチュセール論の書き手である著者の書いた薄い本で、とりあえずこれを手引きとしてアルチュセールの著作に入ってみたいと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

148 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。