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PATAさんのレビュー一覧

投稿者:PATA

28 件中 16 件~ 28 件を表示

紙の本純愛時代

2002/11/07 13:58

「愛」を通した自分さがし

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は『豊かさの精神病理』『ゆたかさの精神病理』(ともに岩波新書)とともに、大平氏がが精神科医としてのキャリアの中から現代社会を考察した論考の1つです。評者は前2作の書評も書かせて頂いたので、ここでは本書に絞って書評を書かせて頂きます。
 本書は「いくつかの症例を通じて、この『純愛』というちょっと厄介なものの正体を少しずつ調べてみようと思う(25頁)」という目的のもと、著者が診断した患者たちが「純愛」というものをどのように感じているのかが非常に読みやすいかたちでまとめられています。結論を先取りして言うと、「“愛”の場合においても、現に生活し恋愛する[自分]と、それを見つめ、いや、それを小うるさく監督し指示するもう一つの〈自分〉とがいて、その葛藤が今風の恋愛を生むのだし、また、恋愛自体を難しくしている、と思われる(218頁)」という洞察にいたっています。この結論にいたるまでの数々の症例の紹介は非常に簡潔かつ明瞭で、精神分析や心理学に疎い評者でも納得させられるものがあります。
 また、本書は対象としている事象が恋愛という「厄介な」ものであるがために、非常に苦労して書かれたのだと思いました。それは、『豊かさ〜』や『やさしさ〜』がその背景にある現代社会のあり方をも示唆して書かれていたのに比べ、本書は「純愛」というテーマから抜け出すことができていないと思ったからです。この点が本書に対する評者の不満といえば言えなくもないですが、恋愛という「厄介な」テーマをこれほどまでに判りやすく論じていく手腕には唸らされるばかりです。 

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紙の本やさしさの精神病理

2002/11/01 20:24

当たり前を問い直す書

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の内容をたった一言で表わすなら、「やさしさという誰しもが一意的に思う言葉ですら、人によってその意味は異なる」ということでしょうか。バスで老人に席を譲ることは「やさしいこと」、親から小遣いを貰うことは「やさしくないこと」、など、誰が正しいと言えるでしょうか。本書に登場する人々は、バスで老人に席を譲らない「やさしさ」があり、親に小遣いをねだる「やさしさ」があると言います。そして、それが非常に納得的に思えました。
 評者が本書を読んで感じたことは、たとえば「便利さ」といった場合でも、その意味するところは評価する人の価値観や視点に応じて相対的なのではないかということでした。大阪−東京間に要する時間が短くなった新幹線が、本当に便利になったと言えるのか? コンビニエンス・ストアの登場で24時間お弁当が買えるのは本当に便利になったのか? インターネットでいつでもどんな情報でも入手できることが本当に便利だと言えるのか? 携帯電話の普及でいつでも友人と連絡がとれることが本当に便利だと言えるのか? …当たり前と感じていることをもう1度考え直してみる必要があるのではないかと思いました。
 評者の私見ではありますが、本書が「現時点での“当たり前”を問い直す書」であるとするならば、井上章一『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫)や同『美人論』(リブロポート)、あるいは吉見俊哉他『メディアとしての電話』(弘文堂)や吉見俊哉『「声」の資本主義』(講談社選書メチエ)などは、「“当たり前”を過去に遡って問い直す書」であるような気がします。

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紙の本豊かさの精神病理

2002/11/01 20:10

「自分とは違う」と思えない人びと

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 個性、能力、自己実現、健康、やる気など、本来であれば目に見えない、その人(あるいはその人を取り巻く人)にしか見えないヒトの内面をモノによって説明しようとする人を、筆者は〈モノ語り〉の人びとと呼びます。精神科医である筆者がこれらの人びとを診察した中で感じたことを各章にわたって紹介しているというのが、本書の大まかな内容です。
 では、この〈モノ語り〉の人びとは、(重度・軽度を問わず)精神病患者なのでしょうか? 評者は、これは筆者のもとを訪れた人びとに限らない、誰しもが心のどこかでもっている「症状」なのだと筆者が結論付けていると思いました。また、ここで扱われている現象は、リッツァ『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)で挙げられている「マクドナルド化」と同系列の現象ではないかと感じました。つまり、個性や能力といった抽象的で他者にハッキリとみえないものを、モノ(特にブランドもの)の価値(=価格)で説明しようとしていることなどは、リッツァがマクドナルド化で説明しようとしていることと同じではないかと思ったわけです。
 評者自身、自分の勉強不足を誤魔化すかのように本棚の本の数を増やそうと(無意識のうちに)したり、読んだ本の感想を人に積極的に話すということをしています。これは、ブランドものを人に見せようとしたり、自分が拘っているブランドや商品について人に積極的に語ろうとする〈モノ語り〉の人びとと同じなのかもしれません。その意味では、筆者が〈モノ語り〉の人びとの行く末を語ってくれなかったことが物足りなく感じました。

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理論、事例分析、統計分析の3本柱を巧みに絡み合せた良書

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書はイノベーションが発生するのは製造業者からであるという、一見常識的に思える前提を問いなおした書物です。本書の議論を単純化すれば、「イノベーションは複数の場所で発生する」ということが一番の主張ではないでしょうか。
 評者は本書を読み、(1)文献レビューによって問題の所在を明らかにする、(2)事例分析を行うことによって筆者の仮説を確認するとともに、後に質問票を配布するための情報源を確保する、(3)統計的な実証分析を行うことによって理論の検証を行う、という3つが巧みに絡み合っていると感じました。もちろん、本書がベースとしている情報の粘着性仮説が筆者による分析だけで十分に支持されたと考えるかどうかは議論の分かれるところだと思いますが、少なくともアカデミックな書物として読んだ時に、「これぞ研究書」と思わされることは間違いないのではないでしょうか。その意味で、少なくとも同じ土俵に立って本書を批判するという試みは非常に困難だと思いました。
 

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紙の本ナショナリズムとジェンダー

2002/10/30 19:26

「わたし」を説明するカテゴリー

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書はナショナリズムとジェンダーという、現在カルチュラル・スタディズをはじめとした学問で中心的なトピックとなっている対象を非常に判りやすく説明した書物だと思います。評者の個人的な感想ですが、「『わたし』を作り上げているのは、ジェンダーや国籍、職業、地位、人種、文化、エスニシティなど、さまざまな関係性の集合である。『わたし』はそのどれからも逃れられないが、そのどれかひとつに還元されることもない。『わたし』が拒絶するのは、単一のカテゴリーの特権化や本質化である。(197頁)」という主張にこそ、上野氏の主張が集約されているように思いました。
 すなわち、「女性だから」という理由で出世が阻まれたり、「在日だから」という理由で偏見の目で見られたり、「学生だから」という理由で半人前扱いされたり…といった、単一カテゴリーへの還元こそが問題なのだということを丁寧に説明されたのが本書だと思います。そのカテゴリーとして、ナショナリズムとジェンダーという2つの、最も還元されがちなカテゴリーを対象にしているのだろうと思いました。
 評者は日本人であり、男性であり、…どちらかといえば「マス」にみなされるカテゴリーに属している部分の方が多いのではないかと思います。そのため見失いがちな「知らず知らずの差別」を意識させてくれたという意味で、本書は非常に良書だと感じました。

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タイトルと全く違う内容に感銘を受けた書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は我々が現代社会で生きていくにあたり、意識的・無意識を問わずに用いている「他者といる技法」について社会学的に議論した書です。しかし、評者の感想では、「他者といる技法」についての議論よりもむしろ、「他者といる技法を問うスタンス」にこそ本書の意義があるのではないかと感じました。
 それは、「社会に属しながらその社会そのものを問うことの困難さ(序章)」についてや、我々が陥りがちな「答えを求めることへの性急さ(序章)」、あるいは筆者が大澤真幸氏から聞いたという「論文を書くときには、書くべきことはすでに書き手の中にある(あとがき)」という言葉。これらが筆者が本書を執筆するに際し、根底に持ち続けた「主張」なのではないかと思いました。
 本書のタイトルでもある「他者といる技法」については、いくら突き詰めても完全には分かり合えない他者と共に過ごすためには、「分かり合おうとする努力(=会話、コミュニケーション)」が重要なのだという主張は、正直一般的な啓蒙書で語られているようなチープなことのように感じました。しかしながら、その結論に至るまでのスタンスこそが、評者が本書をして良書と考えた理由です。

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アナリストらしい視点

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の筆者はアナリストです。そのことが、本書の内容に非常に影響を与えているように思います。
 本書の論点はタイトルにも示されているように、日本の百貨店が今後も魅力溢れる小売業態であるという主張に集約されているように思います。その根拠として人口の都心回帰、日本独自の消費のあり方、日本の百貨店独自の豊富な品揃えとそれを支える卸売商(問屋)の存在などが挙げられています。もちろん、これらは非常に納得的に語られており、1つ1つが頷けるものだと思います。
 しかし、評者の私見ではありますが、2つの点で本書には物足りなさを感じます。それは第1に、前述の根拠が非常に表面的なものに感じるという点です。例えば人口の都心回帰が百貨店に追い風をもたらすという議論は、一見納得いきそうな気もしますが、一旦疑いの目を向けてしまうと、何ら根拠になっていないような気もしてきます。筆者が学者であるならば、これを単なる仮説と考え、その分析を行うという作業を今後の課題として残すのでしょうが、筆者がアナリストであるがために「主張しっぱなし」になってしまっているのではないかという感が拭い消せません。
 第2に、筆者は百貨店が魅力溢れる小売業態であると主張しているにもかかわらず、その魅力が「小売業としての百貨店」に限定されている気がします。そもそも百貨店とは、山本・西沢編著『百貨店の文化史』(世界思想社)でも議論されているように、GMSやCVSなどとは異なり、小売業としての機能だけで議論できるものではないのではないでしょうか。ある人は「文化装置」、またある人は「欲望創出装置」と呼ぶ百貨店の特性まで含めた議論を期待するのは、評者の求め過ぎでしょうか。

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紙の本流通

2002/10/01 16:14

流通論はやっぱり学問だったんだと感じたい方に…

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

流通論の入門書でこれほど体系だてられたものを私は他に知りません。
流通関係の書物は好きでよく読む方だと思いますが、他の書物は章ごとに区切られて(よく言うと、興味のあるところだけを読むことができ)ますが、本書は最初から最後まで一気に読んでしまいます。
評者は先に著者である石原教授の『商業組織の内部編成』を読んでから本書を読んだので、非常に読みやすく感じましたが、他の方はどうでしょうか??
他の流通関係の入門書に比べると細々した部分が捨象されているため、非常に偏った内容であるようにも感じますが、流通論(商学でもマーケティング論でも構いませんが)を学問でないと考えておられる方には一読していただきたく思います。

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百貨店を分析した1つの到達点

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 百貨店というと、流通業だということに異論を差し挟む人は少ないでしょう。実際には、百貨店は小売業以外の活動も行っておりますが、それでも一般消費者の方々にとっての百貨店とは流通業であることに疑う余地はありません。では、流通業としての百貨店を分析する視角としてどのようなものがあるかというと、何よりも流通論や商業論といった学問領域を挙げることができます。あるいは、マーケティング論でも百貨店を対象とした研究を行うことが可能でしょう。しかしながら、これらの学問領域において、百貨店とは既に魅力溢れる研究対象とはなっていないようです。
 そこで本書の登場となるのですが、本書では歴史学、社会学、メディア論など様々な学問領域から百貨店を研究対象とした諸論文がまとめあげられています。ここで取り上げられているテーマは「百貨店史の視角から日本の消費革命の実相に迫る」という共通の目的をもっており、そのために複数の視座からの研究をまとめたようです。その試みは非常に野心的であるといえますし、所収されている諸論文の質の高さを考えても、一応の成果が挙げられたということができるでしょう。
 その上で、私は本書を読んで、2つの感想をもちました。それは第1に、百貨店が商業論や流通論でより研究されるべき対象であったのではないかということです。それらの学問領域の学者さんたちが怠慢だったというつもりはありませんが、百貨店という小売業態の魅力を再認識するには十分なのではないでしょうか。第2に、本書は消費者あるいは消費社会の実相に迫るという目的には到達しきれていないのではないかと考えます。そこに、今後の研究課題が残されているのではないでしょうか。
 本書は、我々にとって馴染み深い百貨店を研究とした書物がこれからも登場することを期待させるのに十分な一冊だと思います。

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紙の本商業組織の内部編成

2002/09/19 15:30

「流通(あるいは商業)を理論的に眺めるとは何ぞや?」を実践した書物

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 本書は商業経済論における中心原理とされている売買集中の原理を省察することによって、基礎理論と現実とを媒介することを目的に書かれています。評者は本書を読んで、「流通(あるいは商業)を理論的に語るというのは、こういうことを言うのか!」という感想を得ました。
 売買集中の原理というのは、単純にいえば商業が介在することによって取引数が減るということですが、このような一見単純に思えるような理論を深く考察することによって、より深い問題設定に繋げているように思えます。それは、「売買集中というのは無限に働くのか?」「経済学で想定されている市場は商業論にとっていかなる存在であるのか?」「商業集積はいかなる原理から成立するのか?」などといった問題です。なによりも感心したのは、これらの問題設定に対する解答が常に次の問題を生み出しているという点です。それは、「売買集中が無限に働かないのは何故か?」「商業論で想定されている市場には(1)製造業者→卸売業者、(2)卸売業者→小売業者、(3)小売業者→消費者という3段階の市場があるが、そのような段階を経ることによって、取引の性質がどのように変化していくか?」「商業集積の内には競争と協調がいかに作用するか?」などといった問題がそれです。
 個人的には2002年に出版された大阪市立大学商学部編『流通』有斐閣の第1部の方が入門書だけあって判りやすくて好きですが、本書を読むことによって、学者のみなさんが、1つの現象でも深く深く、何度も何度も繰り返し問いかけを行うんだなぁ、などと感心させられました。

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紙の本ブランド 価値の創造

2002/09/19 15:08

ブランドを見る視点の180度転換

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書を読んだ後に感じたことは、「これまでのブランド研究(あるいは、ブランドについて書かれた本)は一体なんだったのか?!」という感想でした。一般的にブランド研究では「いかに価値あるブランドを構築するか?」「いかにブランド価値を測定するか」といったビジネスの視点が中心だったように思います。それに対して、本書ではブランドの本質がどこにあるかを論理的に説明しようとしています。
 筆者の回答は「偶有的でありかつ他に代わりうるものがないのがブランドなのである。…つまりブランドの本質は、『ブランドだけがそのブランドの現実を説明できる』というこの自己言及性のうちにある(75頁)」という主張に集約されているようです。そうであるならば、これまでのブランド論が課題としてきた問題は、「ブランドの価値などといったものは事前に規定できない」ということになるのではないでしょうか。
 と、ここまで書いたことは、評者の理解が及んでいるかどうか怪しいところですが、本書で書かれている内容が一見読みやすく、また、新書ということもあって入門書のような感もしますが、読めば読むほど悩まされる奥の深い1冊ということだけは自信を持って言えます。

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コミュニティのとらえ方

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本書の主張点は、価値を共有した人が集まる場がコミュニティなのではなく、コミュニティという場によって価値(をはじめとするさまざまなもの)が生み出されていくというところにあるのではないかと思います。コミュニティに対する前者のとらえ方では、「では、価値はどのようにして高めることができるのか?」「どのように共有されている価値を測定するのか?」といった“HOW”の問題設定がなされるのに対して、本書では「何故価値(しつこいようですが、コミュニティによって生み出されるものは価値に限定されません)が生まれたのか?」「何故そのコミュニティに、それほどの人が集まったのか?」という“WHY”の問題設定がなされるようです。
タイトルに「マーケティング」という語を含んでいるわりには、ビジネスへの活用という視点が乏しいように思いますが、既存のネット・コミュニティのとらえ方とは一線を画した一冊なのは間違いないでしょう。
ちなみに、序章13頁の「いまある現実以外の現実がありうることをまずもって深く認識しなければならない」という石井教授の主張が、最も本書を特徴付けているのではないでしょうか。

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大いなる誤解から逃れるために

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若手研究者の間で、「どのような方法論を用いた研究が優れた研究なのか?」という疑問をもった人がいるようです。統計的な実証調査こそが優れた研究に必須であると考えたり、ケース分析は方法論的に容易であるので利用しやすいなどといったことを述べる人も同様です。
本書は、これらの大いなる誤解から逃れるために適した文献であるといえるでしょう。本書のタイトルは『ケース・スタディの方法』とありますが、ケース・スタディという方法論を他の科学的方法論と相対化させることによって、その方法論的特徴や限界、どのようなリサーチ・クエスチョンに適しているのか、などといったことが理解できるのではないでしょうか。

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