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佐倉統さんのレビュー一覧

投稿者:佐倉統

14 件中 1 件~ 14 件を表示

紙の本『2001年宇宙の旅』講義

2001/10/16 13:36

『2001年』をダシにして自身のSF論を語る

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 今年は2001年ということで映画・小説『2001年宇宙の旅』の周辺も、何かとにぎやかだ。だが、巽孝之のこの本ほど、切れ味鋭く、奥行き深く、そして話題の多様性に富んでいる論稿は、他にない、と断言してしまおう。クラーク自身の──それはまた、ぼくたちの、でもあるわけだが──ノリス・イメージの変遷を、サイバーメディア発展史と重ね合わせて読みなおすという、それだけでも知的興奮全開のウルトラCなのだが、さらに巽は『2001年』をダシにして自身のSF論を語るという、もっとすごい離れ技までサラリと開陳する。ウェルズの『タイム・マシン』から、ほとんどトンデモ映画の『インデペンデンス・デイ』まで。あるいは小松左京の『継ぐのは誰か?』から大江健三郎の『治療塔』まで。すべてが、『2001年』との位置関係を白日の下にさらされて、スッキリと並びなおされる。しばしぼくたちは、『2001年』の掌の上で踊るしかないのかもしれないが、しかし、どうせ踊るなら、巽のように「自分の踊り」をやってしまった方が、よっぽど気持ちがいい。脱帽。(佐倉統/進化学者)

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紙の本スノーモンキー

2001/10/11 20:18

サル写真集ベスト1!

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 ぼくは、写真が下手である。それでもサルやチンパンジーの研究をしていたときは、「この貴重な瞬間をカメラに収めなければ!」と思っていたので、いつも一眼レフを携行していた。でも最近は、旅行にも小型のカメラすら持っていかない。初めて行くところでも、これから二度と来そうにないところでも、である。全然後悔しないところを見ると、判断は正解だったようだ。
 そんなぼくが写真集を書評するというのも僭越至極な話だが、そんなぼく《でも》良さが分かるぐらい、すばらしい写真が並んでいるのだ、とお考えいただきたい。雪玉を作って遊ぶ子ザル、冬の陽だまりに寝そべる若いオス、母親の胸にしっかりと抱きつくアカンボウ、日の光を透かして輝く夏毛の産毛、交尾期に真っ赤に染まる顔と尻……。信州地獄谷温泉のニホンザルの日々が、季節をおって、丹念に、活き活きと、そして何よりもサルたち自身の視線で描かれる。ページを繰りつつ、このカメラはまさしくサルの視線だと思っていたら、まさにそうなのだった(種明かしは本書の「あとがき」に)。
 わさびの利いた文章が、写真に寄り添うように、情報を補完する。出過ぎず、引っ込みすぎず、的確な内容と絶妙のバランス。ニホンザルに関する名著は多いが、写真集では文句なしにナンバー1である。サル好き、動物好きの方に強くおすすめ。(佐倉統/進化学者 2001.2.20)

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「それぞれの正しい」戦争

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 ここ20年ほどの戦争についての語り口には、常に違和感を感じていた。湾岸戦争でもユーゴ空爆でも、はたまた「国民の歴史」運動でも、なんであんなに一面的で単純な見方が大勢になってしまうのだろうか? だが、なにせ専門家ではないので、この違和感の拠ってきたるところを明確にすることもできず、居心地の悪い思いが長い間つきまとってきた。

 この気持ち悪さをスパッと解消してくれたのが、この本だ。藤原は膨大な資料を駆使し、さらに、戦争を描いた文学作品や映画を感性するどく分析して、誰がどのように戦争を描いてきたのかを解明する。つまり、戦争の「記憶」がそれぞれのイデオロギーや民族的立場に吸い上げられ、「国民の物語」として扱われていく過程を再現する。現実主義、理想主義、反核運動、ナショナリズム……。唯一の「正しい」戦争観などというものはない。「それぞれの正しい」戦争があるだけだ。市民に届く言葉を発することができなかった学者たちへの、自戒と自省の念も込められていて、すがすがしい。「国民の物語に組み込むのではなく、市民社会の夢に解消するのでもなく、戦争の残したものを捉え」る(p.194)道は、しかし、まだ遠く険しそうだ。だが、その道しか、ぼくらがとるべき選択肢がないことも、明らかなのである。(佐倉統/進化学者 2001.3.20)

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紙の本論争・学力崩壊

2001/10/01 19:01

「大論争」が、手軽に俯瞰できる必読書

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 2002〜03年度からの新学習指導要領施行を前にして、学力論争が盛り上がっている。文部省の「ゆとり」路線に、実証的なデータを提示して疑問を呈した苅谷剛彦と和田秀樹。それに応戦する文部省の寺脇研。学生たちの学力が低下している、いや、新しい能力がのびているのだ、そんなばかなことがあるか、……(以下、繰り返し)。議論は延々と続く。この本は、『中央公論』や『論座』『Voice』など、一般論壇誌などに発表された論稿を集めた、タイムリーな好企画だ。さまざまな分野のさまざまな立場の人たちによる「大論争」が、手軽に俯瞰できる。教育問題や学力低下論争に興味のある人には必読書。大学で教えていて痛感するのは、高校の先生や予備校の先生ともっと情報交換したいのだが、その場がないということ。マスコミや行政も含めて、教育に関わるさまざまな立場の人が一同に会する場が必要だ。大学だけ、中学だけ、文部科学省だけ……で教育をあれこれ考えることは、もはや不可能なのだと思う。(佐倉統/進化学者 2001.4.24)

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紙の本火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者

2001/09/11 15:21

ただちにここでクリックして買って読むべし

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 うーむ、しまった! 以前にこの欄でサックスの『片頭痛大全』を紹介してしまったのだ。星の数ほどある文庫・新書の中から、またまた同じ著者を取り上げてしまっていいのだろうか? しかも同じ文庫。しばし熟考の末、サックス再登場を決断した。それほどおもしろいのである。事故で突然すべての色覚を失った画家の苦悩と再生。突発的に身体が動いてしまうが、外科医として活躍している人。脳の腫瘍の治療が遅れたために、記憶が1960年代末に永久にとどまってしまった「最後のヒッピー」。自閉症でありながら、いや、自閉症であるが故の集中力を活かして成功した研究者。人間の心と脳と、そして人間そのものについての7つのエッセイは、とにかく掛け値なしにおもしろい。下手な紹介休むに似たり。未読の人は、ただちにここでクリックして買って読むべし。(佐倉統/進化学者 2001.5.22)

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「リケンの伝記」

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 理化学研究所の略称「リケン」は、科学技術に少しでも興味のある人にとっては、サッカーのナカタ、野球のイチローみたいに響く。先進国ならどこへ行っても「リケン」で通用するからだ。大学アカデミズムとはひと味違ったその自由で闊達な雰囲気は、仁科芳雄や長岡半太郎、鈴木梅太郎といったキラ星のようなビッグネームとともに、一種独特のオーラを理研に与えている。「科学者の自由な楽園」と評したのは、ここで成長したノーベル賞受賞者、朝永振一郎である。だが、この「楽園」を作ったのが、大河内正敏という学者・政治家・殿様であったことは、あまり知られていない。この本は、松平伊豆守信綱の末裔である大河内の人物と業績を中心に、「楽園」の栄枯盛衰を通覧する、いわば「リケンの伝記」である。やや英雄史観に偏りがちではあるが、それだけ個性豊かな面々が集まっていたということでもあろう。科学離れ・理科離れが取り沙汰される昨今の状況からしても、含蓄に富むことが書かれている。田中角栄・元首相が大河内の知遇を得ていたというのは、知らなかった。世の中せまいものだ。(佐倉統/進化学者 2001.6.19)

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紙の本種の起原をもとめて

2001/08/30 19:17

すがすがしい名著

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 誰かになりきるというのは、結構あこがれる作業だ。ときに歴史上の偉人だったり、スポーツ選手だったりしながら、本人のほうは少しずつ、そういった可能性を捨てていって大人になる。著者・新妻昭夫は、19世紀イギリスのナチュラリスト、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスに「なりき」った。生物進化の自然選択説を、チャールズ・ダーウィンと同時に発表した人だ。着想したのはダーウィンの方がはるかに早かったため、今では「ダーウィン理論」とのみ称されているが、しかしウォーレスも8年間に及ぶマレー諸島での困難な探検旅行の成果として、独自に自然選択理論に到達したのだった。著者は、そのようにやや「日陰者」扱いされているウォーレスの足跡を忠実にたどりつつ、なぜ、どのように、彼が進化理論に思い至ったのか、150年前の思考過程をひとつひとつ復元していく。冷静さを保ちながらも、ときに脱線したり感情移入がきわだったりする本文と、あくまでも客観的に資料を吟味していく注釈部分との対比が、心地よい。一読、頭の中を150年前の熱帯の風が吹き抜けていく。すがすがしい名著だ。毎日出版文化賞受賞。(佐倉統/進化学者 2001.7.14)

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スターリン時代の音楽界や芸術界を知るのに最適

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 20世紀ソ連を代表する作曲家、ドミトリー・ショスタコーヴィチの作品に始めて触れたのは、高校生のときだった。スターリンの独裁恐怖政治が続くソ連共産党の御用作曲家のようなイメージで、あまり好きになれなかった。その、ネクラで神経質な曲ばかり書いていたショスタコーヴィチが、実は反骨を内に秘めた真摯な精神の持ち主だということになったのは、この底本が1980年に邦訳出版されたときだ。スターリンだけでなく、ストライヴィンスキーやムラヴィンスキーまであからさまに批判しているこの「証言」は、ちょっとした話題になったし、今でも読み応え十分だ。当時からニセモノではないかという噂が飛び交っていたが、最近は偽書説が専門家の間では優勢なようだ(http://www.exmusica.com/labo/tegami.htm; http://develp.envi.osakafu-u.ac.jp/staff/kudo/dsch/keyword.html#test)。それはこの本の内容がウソであるということではない。ショスタコーヴィチの証言ではなくて、「編者」ヴォルコフ自身の創作になるところが多いという意味である。スターリン時代の音楽界や芸術界の、暗く圧迫された雰囲気を知るには、今もって格好の書であることに変わりはない。解説(池辺晋一郎)では、そのあたりの動向をきちんと説明しておいてほしかった。(佐倉統/進化学者 2001.7.17)

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紙の本馬の世界史

2001/08/28 14:02

「視点のカウンター性」

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 著者は、西洋古代史に新たなスポットライトを当てる技にかけては右に出る者のない研究者だが、競馬好きとしてもかなりのものらしい。この本は馬の視点から世界史を語り直すという、その趣味と実益を兼ねたユニークな試みである。馬の視点──正確に言えば「人と馬の関係の歴史」ということだが、これはともすれば勝者や強者からの視点に偏りがちになる歴史学にとって、強烈なカウンターとして機能する。だから、漢と匈奴は対等な力関係にあったとか、古代ギリシアの対ペルシア戦争はペルシアのスキタイ北伐失敗の副産物であるとか、トゥール=ポアティエの戦いはイスラム圏がとことん侵略しようと出ばっていった先の小競り合いにすぎないとか、モンゴル帝国のユーラシア支配は近代の先駆けとして真に重要であったとか……等々が、正しく評価されて「世界」史の中に位置づけられることになる。いずれも、中華思想や欧米中心主義からは正反対の評価がなされているのだが、著者の思考はこれらの「偏見」から徹底して離れ、自由である。日本の事例も少し聞かせてほしかったが、この「視点のカウンター性」を確保し続けるために身近な事例はあえて避けたのだろうか? ともあれ、世界史を縦横無尽に駆け抜けて、まだ余力のありそうな著者の健脚ぶりに、大いなる喝采を送りたい。(佐倉統/進化学者 2001.8.14)

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何が彼らをそこまでさせてしまったのか

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 ぼく(1960年生まれ)は「オウム世代」である。この、村上春樹によるオウム信者/元信者への出色のインタビュー集でも、だいたい同じ世代から少し下ぐらいの人が対象になっている。ちょうど同じ1960年生まれの人もいる。けれども、この世代的な近さにもかかわらず、今までぼくはオウム問題を自分の心に響くものとして引き受けることが、どうしてもできなかった。ほかのカルト宗教に入信してしまった友人もいるし、彼らから勧誘を受けた経験もある。でも、ぼく自身はそういったものにまるっきり興味を持てなかったし、持つ人たちの気持ちが全然理解できなかった。今でもそうである。だが、それは単にぼくが運が良かったからなのだ。たまたま「あちら」に転ばずに、「こちら」に転んできただけだったのだ。インタビュアーの発言の中には、ぼくも同じようなことを考えていたなあ、という部分がたくさんある。オウムだけが特別なのではない。読後、「何が彼らをそこまでさせてしまったのか」について、好むと好まざるとにかかわらず、これからも考えていかざるをえまい、という予兆めいたものが去来する。オウム問題を大所高所から定位するのに欠かせない本だ。(佐倉統/進化学者 2001.8.14)

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紙の本ロボット21世紀

2001/08/28 13:55

2001年現在のロボティクスを瞬間冷凍パッケージした一冊

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 今、ロボットである。ソニーやホンダは続々と新型ロボットを発表し、大学アカデミズムも絶好調、映画にアニメにと関連の文化現象も過熱気味。そんな時代の空気を凝縮して、瀬名秀明が現在のロボット・シーン最前線で取材を重ね、独特のやや醒めた視点からのレポートを展開していく。研究開発の現場の話はどれもそれだけでおもしろいが、圧巻はやはり第7章を中心とするロボット文化論である。瀬名は、ロボティクスが鉄腕アトムのイメージで語られることに否定的だ。「アトムという目に見えない呪縛を私たち自身が超えること」が、「日本のロボットの新しい物語性を生み出す」(pp.272-273)と断言する。その「新しい物語」がどのようなものなのか、それはまだ誰にもわからない。最終章などでビジネスや医療福祉がらみの考察が述べられ、ロボットを作ること自体が新しい人間理解をもたらすという展望が提示されてはいるが、現場報告の「イキのよさ」に比べると、取って付けたような感はぬぐえない。もちろんこれは瀬名の問題ではなく、現在のロボティクスの姿をありのままに映し出したがゆえと積極的に評価されるべきである。つまりこの本は、2001年現在のロボティクスを瞬間冷凍パッケージすることに成功しているのだ。瀬名さんには、5年後に、ぜひこの続編を書いてほしい。(佐倉統/進化学者 2001.8.14)

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紙の本サックス博士の片頭痛大全

2001/01/26 19:46

膨大な先行研究をレビューして生理学的メカニズムと心理学的要因について考察

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 ぼくは軽度ではあるが、よく頭痛をおこす。ちょっと疲れたときや、体調のすぐれないとき、そしてお腹が空いたとき(!)に、こめかみのあたりや頭全体がなんとなく、ズキズキと疼く。だが、この本を読んで、なんとまあ世の中にはひどい頭痛に悩まされる人が多いことかと、我と我が身の幸せをかみしめてしまった。激しい痛みだけではない。冷や汗と悪寒、発熱、鬱状態、嘔吐、下痢……などなどなど。これらに比べたら、ぼくのなんか、頭痛のうちに入らない。
 著者は、『妻を帽子とまちがえた男』などの科学エッセイで知られる脳神経科医。片頭痛のさまざまな症例を集めて分類し、膨大な先行研究をレビューして生理学的メカニズムと心理学的要因について考察をすすめていく。初版が1967年出版だから、おそらくオリヴァー・サックス(1933年生)のデビュー作ではなかろうか(日本語版の底本は1992年版)。平易な文体ながら、かなり高度な内容である。片頭痛は副交感神経優位の過程であるという。そこからサックスは、ひとつの進化史的な仮説をたてる。片頭痛は、もともとは動物の「死にまね」のような危機回避戦略のひとつであり、それが人間の中枢神経系が複雑化した副産物として多様な症状を備えるにいたったのではないか。頭痛に苦しむ人は、巨大な脳を獲得した御先祖様を恨むべきなのか……。
 翻訳は平明で秀逸。巻末の用語解説と参考文献リストが削除されていないのもうれしい。しかしこの邦題はもう少しなんとかしてほしかった。

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紙の本科学者の自由な楽園

2000/11/09 12:20

重要な問題の本質をズバリと抽出しているエッセイばかり

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 もちろん直接会ったこともないのだが、朝永振一郎には何となく漠然と好感をいだいていた。その印象の拠って来る所以が、このエッセイ集を読んでよくわかった。専門分野に限らない幅広い教養、相手のことを慮る優しさ、誠実さと謙虚さに裏打ちされた知性、心地よいユーモア。
 おさめられたエッセイは、書かれた年代も1950年代から最晩年の1970年代末にまで及び、話題も物理学者の横顔から理科教育、科学と社会の関係、さらには紀行文と幅広い。しかし、何十年も前に書かれたものであるにもかかわらず、その内容は今なお新鮮で、重要な問題の本質をズバリと抽出しているものばかりだ。たとえば、知的好奇心をのばす教育の重要性を強調したり、科学と科学者が独善に陥ることを鋭く戒めたり、科学ジャーナリズムのあり方に苦言を呈したり。そのどれもが、今日でもそのまま通用する。朝永の慧眼を讃えるべきか、問題点を指摘されながら変わることのない社会の蒙昧を責めるべきか。
 ぼくがとくにおもしろく読んだのは「ゾイデル海の水防とローレンツ」。オランダの理論物理学者ローレンツが、ダム建設の影響を測定するプロジェクトを指揮した顛末が紹介されている。基礎科学は土木事業においても必要不可欠なのであり、そのことを喝破してローレンツを起用したオランダの政治家と行政の懐の深さは称賛に値する。このプロジェクトは、なんと8年もかかって困難な計算と予測を成し遂げ、暴風雨でも破られない堤防を、予定よりはるかに低廉な費用で可能にしたのだった。科学は社会のインフラなのである。

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紙の本チンパンジーの心

2000/11/09 11:52

松沢チンパンジー学の真髄が、ここに詰まっている

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 言葉を話すチンパンジー=アイちゃんの育ての親が、著者の松沢哲郎・京大霊長類研究所教授である。だが、チンパンジーの言語能力それだけを単独で取りだしても、意味はない。色の認知や物の分類、他者との社会行動など、知能に関するさまざまな特徴と連携したうえで、はじめて言語能力とは何かが明らかになる。つまり、チンパンジーを「丸ごと」理解しないことには、言語能力だろうが何だろうが、わからないのだ。だから松沢さんは、実験室研究が本職の心理学者だが、西アフリカ・ギニアのボッソウ村まではるばる出かけて、困難なフィールドワークを定期的に継続している。本書を読むと、野外調査で得た情報(=野生の思考!)と実験室での研究とが、実にうまく相互に連関しあいながら、「チンパンジー」という存在に肉迫していく様子がよくわかる。フィールドだの実験室だの、そんな区別は百害あって一利なし。松沢チンパンジー学の真髄が、ここに詰まっている。

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