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アルテミスさんのレビュー一覧

投稿者:アルテミス

66 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本第六大陸 2

2003/09/06 00:53

わくわくして、あこがれて。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 月面に、居住地を作る。
 すれたSFファンなら古すぎるテーマだ、と失笑するかもしれない。白状してしまえば、たいしたSF読みでない私も、そう思った。
 しかし、読み始めたら、止まらなくなってしまった。読み終えたら、思い出してしまった。
 人類が初めて月に立ったのは30年以上前の話で、私や私と同世代の人たちは子供の頃、君たちが大人になる頃には誰でも宇宙旅行ができる時代になっている、と本で読んで胸をときめかせていたものだ。
 だが、21世紀になれば当然できていると思っていた月面都市はまだないし、そもそも人類が月に立つことさえなくなってしまった。その現実に対する失望が、月へ行くと言うテーマを古いものとして忘れようとさせたのかもしれない。
 だから私は、本書を巨大建築プロジェクトの達成物語として読み始めたのだ。
 私企業が、桁は大きいとはいえ限られた予算内で何かをしようと思えば、常にコストとの戦いになる。事故も、地球上での建築現場でだって珍しくないのだから、宇宙だの月だのでは起こらないほうが不思議だ。技術的な問題はもちろん、法的な問題もある。競争相手の横槍も、反対運動も。
 そういったことごとへの、立案者でありリーダーである少女や技術者たちの苦闘を愉しんでいたのだが、読み終わったときには、「重さ、六分の一なんだなあ」という主人公のつぶやきや、靴底に比べてドレスの裾の摩擦係数が大きすぎて、歩こうとしても前へ進まないといった月ならではの描写の数々に、かつてのときめきを揺り起こされてしまっていた。たとえば。
 空気のない月面では、風景はどのように見えるのだろう。
 こんな疑問に、幼い頃は単純に、地平線(月平線?)が丸くて、その上に地球が浮かんでるんだろうなあ、と考えていたものだ。今なら、空気がなく遠くの景色がかすんでしまうことがないから、たとえば空気遠近法を巧みに用いて背景を書いたレオナルド・ダ・ヴィンチだったら、どうやって遠近感を出したらいいんだと悩むんだろうなあ、いや大天才のことだから別の方法を考え出すんだろうか、などとずいぶん違うほうに連想が行く。しかし、わくわくする、と言う1点においては全く変わることがない。
 NASAに、スタートレックにあこがれて宇宙飛行士になった女性がいるという。宇宙からの帰還後に、スタートレックに特別ゲストとして出演したそうだ。
 日本にも、失礼ながらお名前を忘れてしまったが宇宙飛行士として訓練を受けている女性で、宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長にあこがれたのがきっかけとインタビューをうけて話している方がいた。
 本書のような優れた作品がもっとたくさん出て、宇宙へ行きたいなあ、いや、宇宙へ行こうと思う人がたくさん出たらいいな、と思う。
 わくわくして、あこがれて。そんな人々が。

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紙の本

紙の本アベラシオン

2004/03/12 07:31

著者の集大成。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 堪能した。
 箱入り、2段組、本文の厚さ3cm、しかも活字が小さい。
 これは手ごわそうだと思ったが、読み始めたら麻薬のごとくにやめられなくなり、とうとうまる一日かけて読破してしまった。

 帯にもあるが、本書はまさしく篠田真由美氏の集大成であり、渾身の力作であろう。
 篠田氏のこれまでの著作で書かれてきたありとあらゆるモチーフがこれでもかと注ぎ込まれ、その目眩を誘うような絢爛たる世界の濃密さに、まるで水を呼吸してでもいるかのような息苦しささえ覚える。

 独立独歩を誇った中世都市国家時代から、他国に翻弄され蹂躙され忍従させられる近代までのイタリアの歴史。それによって生み出されたルネサンスからマニエリスムを経てバロックに至る美術と建築。
 薬であり毒でもある植物を集めた、閉じた庭園。地獄への道にも似た螺旋状の路を持つ、深く暗い井戸。
 貴族という華やかな響きの裏に絡みつく、血の桎梏。掛け違う愛情。
 推理小説であるからには許されぬはずの、超自然の存在である天使までもが、登場人物の名前に、店の名に、館の名に繰り返し現れ、ついには作品の主題のひとつにまでなっている。

 あらすじは、読んだばかりの興奮状態で書くと、うっかりネタ晴らしをしてしまいそうなので止めておく。
 が、私だけ惑わされるのは癪なので、イタリア語の知識のない向きには、館の当主であり貴族である兄弟の「兄」アベーレの名が、旧約聖書で「兄」カインに殺された「弟」アベルの、イタリア語読みである、という余計な情報を披露しておこう。


 篠田真由美氏の代表作としてよく挙げられるのは、建築探偵桜井京介シリーズである。篠田氏のシリーズとしてはもっとも多い12冊(2004年3月時点。含番外編)が刊行されていて、また、もっとも売れているようでもあるから、まあ、あながち誤りではない。
 しかし、以前から私は、篠田氏の著作としては建築探偵は本流から外れており、これを代表作とするのは違うのではないかと思っていた(作品として劣っているという意味ではない、念為。私は建築探偵も好きである)。

 篠田氏の著作を並べて、そこから建築探偵を抜いてみれば、一目瞭然である。
 『琥珀の城の殺人』『ルチフェロ』『天使の血脈』『ドラキュラ公』『彼方より』ほか多数。
 ジュニア向けに書かれたいくつかを除けば、推理小説の形をとるものであっても、そのほとんどはヨーロッパの歴史に題を採り、その脈々たる流れに想像力を刺激されて書かれた、欧州歴史幻想小説ばかり。
 こちらこそが篠田氏の本領であろう。

 はたして、本書のあとがきで、建築探偵は作家として立ち行くための苦肉の策であったことが明かされている。
 建築探偵のファンは怒るかもしれない。が、苦肉の策であろうと無理やりひねり出した口を糊する手段であろうと、12冊も書いており今後も続く予定があるからには、書くに必要なだけの愛情は持っていよう。
 でなくば、著者がその持てるもののすべてを注ぎ込んで書いた作品の語り手に、建築探偵の登場人物の姪を持ってきたりはしないと思う。
 (売らんかなの手段であるとのみ見るのは下衆のかんぐり。そうすることによってもっと売れるようにしようという計算が全くないとは言わないが、全力を投入した作品に、商売っ気のみで愛情をもてない作品を持ち込める作家がいるとは、私は思いたくない。)

 その著作の嫡流と傍流とが合流した本書は、やはり篠田真由美氏の集大成なのである。

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紙の本

紙の本復活の朝

2003/10/10 23:35

友人には、グインの新刊が出るたびに…

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いやー、やっと終わりました、パロ内乱編。
 まだいろいろと問題は残っているけれど、とりあえず区切りはつきました。お祝いに評価は五つ星をあげてしまおう。

 それにしても、登場人物がこれだけ多い小説なのに、どうしてどの国の王家も王族の数が少ないんでしょうね。今回の内乱で王族の数が減ってしまった、困ったと言っているパロでもまだ多い方で、平和を享受してきたはずのケイロニアでも、アキレウス帝と、シルヴィア、オクタヴィア、マリニアのほかには婿二人(グインとマリウス)しかいない。ユラニア公家やサウル皇帝家は全滅してしまったし。何代も続いた王家なら、傍流ってものがいくらでもあるはずじゃないかと思うんですが。歴史の浅いモンゴールは外すとしても、ねえ。

 話の区切りがついたところであらためて振り返ってみると、初めの頃に比べて、登場人物たちがどうも小粒になってしまったような。
 イシュトヴァーンってこんなに内向きな性格でしたっけ? 辺境編の頃は、もっと陽気でタフだったような気がするのですが。今回出番のなかったリンダも、巫女姫としてもっとカリスマ的な働きをするものと思ってたのに。
 変わらないのはグインとレムスだけ。
 グインは始めっから王者の風格ある人物だったし、レムスは姉と自分を引き比べていじいじしてたし。
 それとも、読んでいるこちらが変わったんでしょうか。何しろ、読み始めた頃は10代だったのに、今では40の声を聞いてるんですから。

 前の巻から、新刊時の帯に100巻までのカウントダウンが載っていますが、今のペースでは、到底100巻では終わりそうにありません。願わくは、完結するまで栗本さんと私の寿命が続きますように。友人には、私が死んだら香典は要らないから、私の墓にグインの新刊が出るたびに供えてくれと頼んではありますが。

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紙の本

紙の本此一戦 日本海海戦記

2023/02/26 09:02

手に取りやすい文庫版の刊行は慶事。しかし難点も。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私がhontoに『此一戦』のレビューを書くのは3度目になる。
1度目は、2004年の明元社で初めて水野の文章に触れた時。
2度目は、2008年、明治44年の博文館の版に、水野について多少知識を蓄えた後。

今読み返すと青臭くてこっぱずかしいのだが本編に対する評価は基本的に変わらないので、今回初めてhontoに書くとしたら、大筋において同じ文章になる。

であるので、今回は内容ではなく、この版について書く。

手に取りやすい文庫版の刊行は喜ばしい。
これまで新本を入手できるのは上記明元社の版と、2010年国書刊行会の現代文に改変したものの二種だが、いずれも2000円以上する。こちらは1000円でおつりが来るし、出先で読むなら文庫の方が荷物にならない。

昭和4年の改造社版に書かれた「著者の言葉」「年譜」を収録しているのも良い。
明治の版から付いている自序は文章が硬い。現代人にはこちらの方が文体がなじみやすい。あとがきから読む習慣のある人には、水野の文章に入りやすくていいだろう。本編にもだいぶ砕けた章があることだし。

しかしながら、難点もいくつか。

まず、カバーイラスト。
巻末に収録の写真を参照したのであろうが、煙突の三本線は平時のもので、戦時は視認性を低めるため濃灰色に塗りつぶされていた。日本海海戦時の三笠としては間違いである。14ページ掲載の絵画を参照されたい。

おそらく底本をスキャンしてテキストデータを作成したのであろうが、「暇なきによるものあらん」「そのよってきたるゆえんを」の「よ」に当たる文字が、「因」でなく「困」になっている。
スキャンの性能が低いか、あるいは逆に優秀すぎるOCRが、現代ではこの場合の「よ」を漢字で書くことはほぼないので、勝手に「困る(こまる)」と判断したか。いずれにせよ校閲で気づくべきであろう。

長山靖生氏の解説の末尾に「水野の墓がある松山市の正宗寺には水野の歌碑が建っている」とある。
確かに正宗寺の境内、子規堂の前に歌碑は建っている。しかし、墓があるのはそこから徒歩で数分離れた蓮福寺である。日露戦争の翌年に水野自身が水野家累代の墓として建て、後に自分も入ったもので、墓のそばには『水野広徳著作集』を編纂した南海放送による刊行記念碑も建っている。
おそらく、『著作集』の編纂に参加した前坂俊之氏がなぜか墓の場所を正宗寺と思い込んで何度もそう書いているので、その影響であろう。

カバー折り返しに「著書に『次の一戦』『海と空』『秋山真之』『秋山好古』『水野広徳著作集』(全八巻)など」とあるが、『海と空』よりもそれを倍以上に膨らませ、刊行直後に発禁処分を受けた『打開か破滅か 興亡の此一戦』を挙げるべきであろう。また、『秋山真之』は立案監修のみ、『秋山好古』は、水野の友人であり後に彼の伝記を書いた松下芳男との共著、『著作集』は没後の編纂である。

個人的には、『戦影』を加えたい。
巻末に収録の「年譜」にも水野自身が「著者もっとも会心の作」と書いているが、実際読み物としては『此一戦』よりこちらの方が面白い。初版時に売れなかったのがよほど心外であったと見え、後に再刊したものへの読者からの手紙が松山市の子規記念博物館に残っている。東京の自宅が空襲で全焼したのにファンレターが残っているのは、大変喜んで疎開先にも持って行ったからであろう。

最後に、おまけの豆知識。
181ページに「朋友飯とかいってシンのあるやつ」とあるが、炊き方が下手で芯があるとなぜ「朋友」なのだろうと思っていたら、1944年、終戦の1年前に刊行の『少年版 此一戦』に「(朋友に信あり)」とあって理由が判明した。

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紙の本

体力のある初心者向け。設定されているコース通りに歩くのであれば、余程の方向音痴でない限り迷わずにすみます。

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「詳しい地図で迷わず歩く!」のサブタイトル通りです。

たいていのA5サイズのガイドブックでは、地図は大きくても1ページですが、本書では一部を除いて見開き2ページです。
しかも、分かりにくい分岐などには拡大図が挿入されています。

人気コースでは道標が整備されているので、山中よりむしろ駅やバス停から登山口までが分からなくて困ってしまったりするのですが、この本はそういう所も懇切丁寧です。

ですので、設定されているコース通りに歩くのであれば、余程の方向音痴でない限り迷わずにすみます。

しかし、途中まではこのコースでいいけれど、ここからはこちらに回りたい……という時、とたんにこの地図は不親切となります。サブコースがごく細い線でししか記されておらず、しかも、場合によっては挿入された拡大図で隠れてしまっているのです。
予定よりも時間がかかったのでエスケープルートを取りたいとなった時、まして日が陰り始めていたら、この地図で歩くのは厳しいと思います。

しかも、コース設定がやや長めです。
たとえば、最初に載っている入門コース。
飯能駅から天覧山と多峯主山まで行ったら、他の多くのガイドブックでは飯能駅へ戻るか最寄りのバス停に降りるかですが、本書では高麗峠や巾着田を経て高麗駅まで足をのばします。
最近のロングトレイルの流行を反映しているのでしょうか。

その一方で、「地形図の読み方」「コンパスの使い方」等の解説は基本中の基本で、この距離を歩ける人に必要だろうかという気がします。

かように、解説のレベルとコース設定のレベルに、若干のちぐはぐを感じないでもありません。
従いまして、本書は、体力のある初心者向け、ということになります。

私はあまり体力のない初心者なので(苦笑)、本書のコースのままでは難しいかなと思ったら、他のガイドブックを併用しています。

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紙の本

紙の本創出の航跡 日露海戦の研究

2004/12/11 08:57

100年前、明治の男達の「プロジェクトX」。かかっているのは、日本の存亡。

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「本田技研って、あのクルマやバイクのホンダだよねェ。それが何で、日露海戦?」
 しかも、研究執筆したのはエンジニア。
 「はて、何で?」
 疑問は湧いたが、文科系の研究者が多い中、技術者の研究というのは切り込む角度が異なっていて面白そうである。
 で、読んでみた。

 長い平成不況、現在はようやく一筋の光明が見えてきたが、それさえ見られなかった時期に、本田技研もまた打開策を求めていたのだろう、「創造性」とはどんなものであるのかを探っていたのである。その題材に日露戦争の海戦を選んだのは、たまたま相談役とエンジニアとが、ともに関心を持っていたからということであるらしい。

 日露戦争における海軍の戦闘のうち代表的なものは、旅順口閉塞作戦という特殊なものを除けば、黄海海戦と日本海海戦である。
 このうち日本海海戦は、文句なしの日本の圧倒的勝利。国運のかかる規模の大海戦で、しかもほぼ同等の戦力で戦われながらのこれほどのワンサイドゲームは、類例を見出しえないと言われている。
 しかし、それに先立つ黄海海戦は、結果として「勝利」を得はしたもののそれは多分に僥倖と、ロシア側の戦意不足によるものである。内容としては、失敗続きであった。

 予定していた兵力の集中が実現できず、敵を発見したときは劣勢になってしまった。練りに練ったはずの丁字戦法はかわされて不発。
 戦闘開始となり、いざ大砲を撃とうとしても、砲弾に不良品が多くて装填もできないものがある。使える砲弾を選んで撃っても、命中率は想定より著しく低い。当たったとしても、装甲を貫くはずの徹甲弾が貫徹しない。そもそも暴発が多くて大砲を撃つこと自体が命がけ。
 数少ない命中弾のうち、たまたま2発が敵司令部とその艦の操舵手とを倒したため敵側が大混乱に陥って勝機は見えたものの、駆逐艦や水雷艇による掃討は戦果なし。

 日本側には、バルチック艦隊の来航前に旅順艦隊を撃滅しなくてはならず、バルチック艦隊との戦闘を考慮すればただの一隻も失ってはならないという重大な足枷があった。そのため初期の砲戦が慎重にならざるを得なかったという事情はある。
 それにしても、あらかじめ立てておいた戦策と、実際とのこの格差はどういうことか。その結果、旅順艦隊の残存艦が旅順に逃げ込んだため、乃木希典率いる陸軍第3軍が多大な犠牲を出して旅順要塞を攻略しなくてはならなくなったのである。
 日本海軍は、深刻な反省と改善を迫られたのであった。

 砲をはじめとする各種ハードウェアの改善、それを有効に使うためのシステムの構築、システムを有効ならしめるための技能を総員が身につけるための猛訓練、戦術の全面的な見直し。そのそれぞれが相互にフィードバックを要求するのである。
 しかも、日本海軍が実現したのは、単なる改善、改良だけではない。従来の考え方を覆しての、新たな思想の創出にまで到るのである。よくぞ9ヶ月で成し得たものだ。
 すべてが完璧に成せたわけではなかったにせよ、この9ヶ月があればこその日本海海戦の大勝利なのである。

 古きを温めて新しきを知る。
 ホンダがこの研究でやろうとしたのは、それであった。
 「新しきを知る」部分、本書にまとめられた「創造性」というものについての仮説が妥当なものであるのかどうかは、また別の意見もあるかもしれない。
 しかし、「古きを温める」部分については、充分に読み応えのある著作である。


 蛇足ながら、付け加えておく。
 本書の内容をわかりやすく表現するため、書評タイトルに「プロジェクトX」と入れたが、本書の初版発行はあのNHKの人気番組の第1回放送とほぼ同時である。模倣企画ではない。

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紙の本

イタリアをじっくり丁寧に旅したい人、必携。

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 このガイドブックのシリーズは、観光つきのパックツアーで各地を転々とする人には、向かない。ブランドショップ&アウトレットめぐりが目的の買出し組には、全く役に立たない。

 しかし、イタリアが好きで好きで、前回の旅行から1年以上経ってしまった日には要求不満で体調を崩してしまうほどで、また、行った時には何でもかんでも見てしまわなくては気がすまないような、つまり私のような人には必携のガイドブックである。
 (体調を崩すというのは私の場合、言葉の綾ではない。寝込むほどの頭痛が頻発するようになるのである。イタリア行きの予定が立ったとたんにおさまるのだから、我ながら現金というかなんというか。)

 私がイタリア旅行の際にこのシリーズを手放せなくなった理由はふたつ。

 1.観光スポットの紹介が詳細である。

 観光スポットをくまなく網羅しているというだけでなく、そのそれぞれの、少しでも関心を引きうる部分は、必ずリストアップされている。

 2.有名な観光地だけでなく、かなり小さな街まで記載がある。

 以前、チェーザレ・ボルジアが征服した地方をまわる旅というのをしたことがあるが、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リミニ、サン・レオ、ウルビーノのすべての街を紹介していたのは、このシリーズだけであった。
 私はまだ訪れていないが、今やスローフード運動発祥の地として日本でも有名になりつつあるブラの街をその運動がらみでなく紹介しているガイドブックは、日本語で読めるものの中ではこれの1巻だけだろう。

 もっとも、詳細すぎて人に薦めにくい、というのはある。
 パックツアーで行く人は自由時間がそんなにないので、主要スポットだけ、またそのそれぞれの必見の部分だけを紹介してある方が使いやすいだろう。
 また、イタリアの歴史美術建築の最低限の知識がないと読んでいてわからない、という事も言っておかねばなるまい。


 ところで、このシリーズの原題は『Guida rapida d’Italia』なのであるが、私は長らく「rapida」に引っかかっていた。rapidaは速いという意味で、鉄道やバスなどで使われているときは「快速」と訳す。
 「『イタリア「快速」ガイド』? こんなに詳しいのに?」と思っていたら、先日石鍋真澄氏の『サン・ピエトロが立つかぎり』(吉川弘文館)を読み返していて理由が判明した。

 本シリーズは簡略版だったのである! 日本人より頻繁に行けるはずのイタリア人にさえ詳しすぎて使いにくい、オリジナル版『Guida d’Italia』があったのだ。

 どこかに翻訳出版してくれる、奇特な出版社はないだろうか。


 最後にお断り。
 この書評は『イタリア旅行協会公式ガイド』全5巻共通のもので、2巻に書いた理由は、ヴェネツィア好きの私にはこの巻が一番使用頻度が高いから、という以外には何もない。

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紙の本

ローマへ行くならこの本を読んでから。

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 副題のとおり、ローマの案内書である。
 ただし、いわゆるガイドブックを想像してはいけない。本書にはホテルリストも交通案内も、ましてやブランドショップの紹介もない。それどころか、美術館さえ載ってはいない。

 本書の目指したものは、ローマという都市そのもののガイドである。
 遺跡、広場、教会、噴水、建築そのほかローマをローマたらしめている、さまざまなモニュメントの歴史やエピソードを書き綴ったものだ。
 この本を読む前と後とでは、ローマを歩く楽しさが断然違う。

 たとえばスペイン階段とその前のスペイン広場。『ローマの休日』で、アン王女がアイスクリームを食べていた所だが、ここに立って思い浮かべるものがオードリー・ヘップバーンしかないというのはもったいない。

 最初に出来たモニュメントは階段の上のトリニタ・デイ・モンティ教会だが、このフランス・ゴシック様式の教会はフランス国王がローマにいるフランス人のために建てたもの。ローマには、各国がそれぞれの国民ののための教会を立てていて、この教会は、そのひとつなのだ。

 次に出来たのは、ローマ法王がベルニーニに作らせた『老いぼれ船』という名の噴水。水圧が低くて水が高く吹き上がるような噴水を作れないという難問に、沈みかかった船というアイデアを思いついたときのバロックの巨匠の喜びを想像すると、顔がほころんでしまう。

 この噴水に供給している水は、郊外から地下水道で引かれている、アックワ・ヴェルジネ(処女の泉)と呼ばれるもの。古代ローマ時代に、のどの渇いた兵士に乙女が教えた湧き水が水源、という伝承のためこの名があるのだ。
 スペイン階段にすわると正面にまっすぐに伸びる通りがあり、これをコンドッティ通りというが、コンドッティとは導管すなわちパイプのこと。古代ローマの水道をバロック期に再建するとき、水道管をこの通りの下に埋めたからである。


 スペイン階段は、スペイン大使館が広場の一隅にあったのでこう呼ばれるのだが、費用を出して建設させたのはフランスである。フランスが少々気の毒だ。
 最後に教会の前に古代エジプトの(?どこから持ってきたか書いてないので模造品かも)オベリスクを立てて、現在の景観は完成する。

 出来た空間の心地よさに、18世紀になるとこの界隈はグランド・ツアーのブームでやってきたイギリス人の溜まり場になる。スペイン階段の脇の建物には、英国詩人のキーツ・シェリー記念館が入っている。

 本書を読んでいれば、スペイン広場だけでフランス・ローマ法王庁・古代ローマ・スペイン・古代エジプト・イギリスと、さまざまな国や時代に思いをはせることができるのだ。
 『ローマの休日』は私も大好きな映画だが、それだけではやっぱりもったいないのである。

 さて本書を読んで知識を得たら、実際に行くときは『イタリア旅行協会公式ガイド』(NTT出版)の4巻を携帯しよう。巻末の参考文献に挙げられているガイドブック『Guida rapida d’Italia』の邦訳である。本書の刊行時には邦訳がまだなかったのだ。


 余談だが、献辞を読むと著者は三人のお子さんをお持ちで、長男は羅馬君とおっしゃるそうだ。前著『聖母の都市シエナ』に長女を志江奈さんと名づけたと書いてあったので、もう一人のお子さんの名前はなんというのだろうと、ずっと気になっている。

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紙の本

日本画的画風とギリシア神話との融合を御堪能あれ。

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 日本画的な構成に日本的モチーフを用いてギリシア神話を描くのが千葉政助氏である。

 日本画的な絵でギリシア神話? と思われる向きもあるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。
 ギリシアといえば、地中海の強烈な日差しに照らされる白い岩山というイメージがあるが、ギリシアの山々が岩山となったのは、人間が長期にわたって木を伐採し続けたせいである。神話が形作られた時代には、深い森林に守られた四季の豊かな土地だったのだ。その意味で、日本的湿度のある絵柄でギリシア神話を描くのは少しもおかしなことではない。

 実際、線はシンプルなのに、描かれる自然は豊饒である。
 逆に、ギリシア神話というのは猥雑であったり殺伐としていたりするのに(近親相姦ありレイプあり、親殺し子殺しあり)、生々しさが消え抽象化されて優美である。さらに逆に、優美であるが日本画的画面構成のもつ「間」、何も描かれていないか単純な背景だけの空間が、神話の悲劇を雄弁に語っている。

 千葉政助作品を解説しようとすると反語的接続詞が多くなるのは、単純な絵柄に反して魅力が豊かにあふれてくる矛盾(?)のせいか。
 ともあれ、千葉作品を鑑賞するには画面全体を見る必要がある。現に、既刊の画集はすべて全体図だけで部分拡大図はない。例外は表紙と見返しだけである。

 それから、千葉政助氏の画集は絵に対応する神話が必ず併記されていて、絵本として読むこともできる。また、巻末には神話の登場人物(神物?)の系図がついていて、ギリシア神話の好きな人には便利かもしれない。

 なお、この書評は「千葉政助ギリシア神話作品集」の既刊すべてについてのものであって、特に第3巻についてのものではない。ではなぜ1巻でも最新刊でもなく3巻なのかというのは、ニックネームを見てもらえばお分かりになると思う。

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紙の本

イタリア滞在記が読みたいなら、この本をお勧めします。

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 イタリア滞在記に分類される本は数多い。
 私もイタリア滞在を考えていた時期があったので、片端から読んだ。滞在するのは活字中毒体質を考えてやめたのだが(イタリア旅行中に何度か書店へ行ったが、観光ガイドぐらいしか判読できないのでさびしかったのだ)今でも時折その手の本を読む。その数は両手足の指の数をはるかに超えているのだが、それらの中で最も楽しかったのがこの本だ。

 出発の日空港で、イタリア行きの飛行機の搭乗案内を聞きながら突然怖気づいて幼なじみに電話をし、「行くの、やめる〜」と泣き出したあたり、ものすごく納得できる。30代に入ってそれまでのキャリアを中断するのは不安であろう。
 ともあれ気を取り直して飛行機に乗ったら乗ったで、降りたとたんにストライキで右往左往することになる。
 こうして始まった滞在中に、著者が日本的思考法にイタリア的思考法をプラスしていく過程が、さまざまなエピソードを積み上げてゆくことで語られていく。中でも、バール(喫茶店)を経営するミーナとその家族との交流は著者にとって宝物のような思い出であろう。

 語られるいくつものエピソード自体も楽しい。が、その他に類書と比べて本書が楽しめる理由のひとつに、類書にありがちなイタリア礼賛および日本批判がほとんどないという事がある。これは、著者が、自分の経験がイタリアのすべてではない事がちゃんとわかっているからだろう。これは著者がジャーナリスト(モータージャーナリスト)であるからだろうか。
 ひところ垂れ流しのように発行された類書は、イタリア人は人生を愉しんでる、日本人みたいに悲観的じゃないと、判で押したように書かれていたものだ(イタリアがアメリカのようじゃないという理由でこき下ろしている、どうしようもない見当違いな本もあったが)。私は、他国のいいところだけを見てきた人間がそれをすべてと思い込んで、だから日本はだめなのだ、式の論法を繰り広げるのは好きではない。
 また、これは明確に著者がジャーナリストだからだろうが、著者は文章の書き方がわかっている。何を当たり前のことをと思うかもしれないが、類書を出している人の中には、人にお金を出して買ってもらう本を書こうというのに、それに必要な文章力のない著者が本当に多いのだ。ある本などは「起承転結」の「転」しかなかった。編集者の責任もあるのだろうが。

 低レベルな本と比較しても本書に失礼なのだが、うっかりそういう本を読んでしまってもうこの手の本は読まない、と思っている人に、ぜひ読んで欲しい一冊である。

 追記。
 読了後、ボローニャへ行く機会があったので、本書に何度も登場するバールへ行ってみた。本書を読んだことを告げると、店中で大喜びしてくれた。このときは、本気で著者がうらやましくなったものだ。

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紙の本

紙の本がんばっていきまっしょい

2005/09/10 01:22

嬉しい贈り物

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日本でボートはマイナースポーツである。
 日本の選手がオリンピック2大会連続で6位入賞を果たしたことや、今夏W杯で金メダルをとったこと、つい先日日本で世界選手権大会をやっていたことなどをひとつでも知っている人は、ボート経験者を除けば、私のまわりには一人もいない。
 なので、ボート競技を描いた小説は珍しい。女子高校生が主人公となれば、皆無に近い。
 その例外が、本書である。

 数年の違いはあるが、著者とほぼ同年代に高校でボートをやっていた私には、描かれているあれこれが懐かしい。
初めての練習で、オールを水から抜き損なって「腹切り」をしたり、マイナースポーツの宿命・部員不足に悩んだり。
著者がこの作品を書いたのは卒業後十数年経ってからだそうなので記憶違いをしている部分もあるが(オールがピンク色なのは日体大ではなく日大である)、高校時代をナックルフォアの上で過ごしたことのある女性なら、本書は当時を思い出させてくれる嬉しい贈り物だ。

 ただ、小説として成立させるためではあろうが、一年目の主人公たちをいささか「お嬢さん」に描きすぎには思う。
「私らだけじゃ、こんな重いもん、運べんしねェ」などと言って艇を出すのを当たり前のように男子部員に手伝わせているが、自分達の艇は自分達で運ぶのが当然である。この辺は、読んでいてちょっといらついた。

 もっとも、この「お嬢さん」ぶりを成立させるために設定に配慮はしてある。
男子部員をボートに対して真剣な連中には描いていないのだ。もし真剣という設定であったら、拒否させなくてはならない。先輩達は、他校の女子が自分達で艇を運ぶのを試合の際に見ているはずである。
 真剣に練習している隣の高校の部員達も手伝っているが、彼らは男子校の生徒にしてある。女子と近づきになる機会が嬉しいからという解釈をさせるためだろう。
 (ボート経験のない方へ一言。ナックル艇は重さ130kg前後である。これを4人の漕ぎ屋が持ち上げ、コックスが押して移動する。)

 かくて甘やかされた主人公達は、新人戦で惨敗する。
 しかし、同じ女子高校生のはずの対戦相手に「お嬢さんクルー」と言われて、初めて発奮する。
 OB・OGの先輩夫妻にコーチを頼み込み、「こりゃ大変だ」という練習メニューに必死で打ち込んでいくのである。
 きつい練習に「この一本が終わったらボートなんか辞めてやる」と思っても、「イージー・オール」の声とともにそれを綺麗に忘れるようになったら、もう立派な競技者だ。

 いただけないのは、カバーイラストである。
 茂本ヒデキチ氏の画風は嫌いではない。だが、オールのブレードはチームの顔であるし、割れやすい。これを地面についてもつなど、まっとうなボート競技者にはあり得ない。
 オールの向きを逆にして、描き直して欲しいものだ。

 余談をひとつ。
 冒頭に述べた、オリンピックで入賞したり、W杯で金メダルをとったりした武田大作選手は、主人公達と同じ梅津寺海岸で練習しているそうである。

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紙の本

2006年ドイツ・ワールドカップ、日本は3位入賞を果たした。

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事実である。

今年5月に開催されたボート競技のワールドカップ第一戦、ドイツはミュンヘンの大会で、武田大作選手と須田貴浩選手が軽量級ダブルスカルで3位に入賞したのである。

無論、4年に一度きりのサッカーのそれと、毎年転戦するボートのものとは同列に論じられないのは承知である。
特に武田選手は以前に金も銀も経験済みなのだから、銅メダルなんぞを書評タイトルに使われてはご迷惑かもしれない。

とまァこんなタイトル&書き出しにしてしまったのは、サッカーのW杯ばかりが話題になっている事への私のひがみ根性の表れなのであるが、この話題が本書と全く無関係というわけではない。

本書に登場する滝大輔というのが、武田選手をモデルにしているのである。

武田大作選手は愛媛出身、ダイキ所属、主な練習場が松山の梅津寺海岸で、全日本選手権シングルスカルV8。
滝大輔が愛媛出身、タイキ所属、主な練習場が松山の梅津寺海岸で、全日本選手権シングルスカル5連覇。
雑誌連載中に滝が初めて登場したのは武田選手の連覇が5回目か6回目の頃であろうから、少なくとも設定だけはもろにそのままである。

私は武田選手についてはその戦績結果以外ほとんど存じ上げないので(何しろ報道の絶対量がない)、滝のキャラクターが武田選手に似ているのかいないのかは分からない。
しかし、それにしても、設定がそのまますぎる。

たとえばである。
シリアスな野球マンガで、プロ野球入りを希望していた清川君がぜひとも入りたかった球団がドラフト会議で指名したのは、進学を表明していた親友の桑原君の方だった、などという設定があったら、おそらく読者の失笑を買うのではなかろうか。

キャラクターをオリジナルにしたいのだったら設定をもうひとひねり、いやふたひねりはすべきだし、逆に武田選手を登場させたいと思うのだったら、もっと本格的に取材して、実名で描いて欲しかったと思う。

先日行われた全日本選手権で、武田選手は大差をつけてV8を果たした。
本作の大沢のような、武田選手と競り合ってくれるような選手が現れてくれれば、本作と同じ結末も夢でなくなるのだが。

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紙の本

イ〜イ顔をするねェ、二人とも。

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1巻で早くも「バケモノ」ぶりを発揮し、復帰してたったの一週間で、現役の後輩に勝ってしまった主人公、大沢。

2巻ではコーチの命で、その後輩、八木とダブルスカルでインカレに出場することとなる。
漕ぎ方も性格もただ力任せで雑なように見える大沢は、ここで意外な先輩ぶりを発揮する。もっとも、リーダーシップと言うよりは、パワーで八木を引きずりまわしているようではあるが。
一方、1巻では憎まれ役だった八木は、大沢のバケモノぶりに触れるにつれ、態度を少しづつ変えていく。

そして、3巻である。

インカレ決勝戦。
ついていけない、終わった、ダメ、と何度もくじけそうになる八木を、大沢はそのつど励まし、引っ張っていく。それに応えて、八木も最後の最後まで力を振り絞る。

ゴール後の八木を、性格豹変などとけなしてはいけない。
もう限界だ、まだゴールじゃないのか、と投げたくなる気持ちを堪えて漕いで、ついにゴールしたときの気持ちを知っている者なら、あんなに憎たらしかった八木が実にかわいくなってしまっても、微笑をもらしつつも納得してしまうのである。

駆け引きで勝つことばかりを知っていて、全力を出し切ることを知らないなにわ大の二人の漕ぎを見て腹がたつ大沢は、とても正しい。(まァ、それを露骨に態度に出すのはおとなげないが。)

だから、「あー、つっかれたア……」と空を仰ぐ大沢の顔も、ぶっ倒れて崩れまくった八木の顔も、どちらもとてもイ〜イ顔なのである。

ツッコミどころはこまごまとあるが、ボートの魅力の肝心要の部分をちゃんと描いている本書は、ボートマンガとしておすすめである。

ただし、評価を星五つにできなかった理由が一つある。
この巻ではないが、オールのブレードで人を殴るシーンが何度か出てくるのである。コメディタッチのシーンばかりとはいえ、これだけはどうしても許せない。

これさえなければ満点だったのだが。

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紙の本

著者が未経験者だから描けた無茶な設定と読むべきか、それらを踏まえた上で、主人公は「バケモノ」なのだと感心して読むべきか。

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タイトルのレガッタとはボートレースのこと。つまり、本書はボートマンガである。

 20年以上も前、高校時代に部活でボートをやっていたというだけの私でも、この著者はボート経験者ではない、というのは読めば分かる。

 しかし、日本でボート競技は一般にはなじみがなく、普通はテレビで見たことがある、という程度。それも、競技会の中継などではなく、映画やドラマのワンシーンぐらいであるのがおおかただろう。
 こういうマイナー競技を題材に使ったスポーツマンガというのは競技の解説から始めなければならないので、未経験者にわかりやすく説明しつつストーリーを運ぶには、未経験の著者の方がいいかもしれない。無論、事前に充分な取材が必要ではあるが。

 実際、著者は非常に熱心に取材しているといえる。
 細かいツッコミどころはたくさんあるものの、戸田の風景などは現実にあるものほぼそのままで、懐かしさに涙が出るほどだ。

 とはいえ。
 140ページでキャプテンに言わせているように、
 「一年も休んでてたった一か月でレースなんて……フォーム固めるのがやっと……それ以前に2000mなんて持つはずがないです……」
 というのがボート経験者の常識というもの。それを、ボートではなくても何らかの形で筋力体力を維持していた、という設定もなしに「一週間でいいです」とは。
 ボートを漕ぐ動作というのは斜め懸垂と腹筋運動と背筋運動、ヒンズースクワットをいっぺんにやるようなものである。しかも無酸素運動でありながら持久力が必要という、体力勝負のところがあるスポーツである。いくらなんでも無茶である。
 (あ、こんなこと書いたらボートをやってみたいという人がいなくなっちゃうかしらん。そのしんどさを忘れさせるほどの爽快さもあるんですよ〜。)

 著者が未経験者だから描けた無茶な設定と読むべきか、それらを踏まえた上で、主人公は「バケモノ」なのだと感心して読むべきか。
 まあ、後者だと解釈して読むのが楽しいし、正しいのだろうねぇ。

 なお、この作品は今夏テレビドラマ化されるそうである。
 主演俳優がバケモノになれるかどうかが、ドラマの成否を決めるだろう。がんばって欲しいものである。

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紙の本

紙の本肉弾

2004/07/18 17:08

なじみにくくはあるが、現代人には持ち得ない輝きも。

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 書名の「肉弾」とは、著者によって造語されたこの書の固有名詞であると同時に、本書の普及によって普通名詞ともなった語である。その意味は、肉体をもって弾丸となす、つまり生身で敵陣に突入することである。

 本書は、日露戦争開戦100年周年を記念して『此一戦』と共に復刊された。
 『此一戦』を読んだからには本書も読まねばなるまいと思ったが、この2作、性格が大きく異なる。

 『肉弾』は、著者にして主人公の陸軍少尉(途中で中尉に昇進)が出征し、遼東半島でのいくつかの戦いを経て、第一回の旅順総攻撃で重症を負って野戦病院へ送られるまでの体験を克明に綴った従軍記である。
 言い換えると、著者や著者の身近な人が実見したこと以外は、少数の伝聞を挿入する以外には書かれていない。旅順を陥とすことが戦略的にどう重要なのかすら、本書のみでは理解できないのである。

 一方、『此一戦』の著者はのちに海軍の公式戦史の編纂にたずさわっただけに、日本海海戦の戦略上の意味や彼我の戦力比較など、大局的な記述を多く含み、また主力艦同士の戦闘では艦隊運動の推移を多数の図を用いて解説する。
 士官水兵個々の戦いぶりや、著者自身の参加した水雷艇の戦闘も描かれているのだが、それは作品全体の一部分に過ぎない。

 また、著者それぞれの個人的資質によるものか、陸軍海軍の体質の違いが著者に影響を及ぼしたものか、おそらく両方であろうが、『肉弾』は、『此一戦』に比べて思想に幅がない。
 『肉弾』の士官や兵士はみなひたすら邁進し、少しでも国の役に立って戦死することを切望する。その覚悟は壮烈であり、無私を極めていて賞賛に値するのだが、徹頭徹尾それで通されると、太平洋戦争後の平和教育を受けてきた現代人にはなじめない。

 本書を読む際には、次のことを常に頭におく必要がある。
 当時の日本人にとって日露戦争は防衛戦争以外の何物でもなく、もし敗れれば日本人はすべてロシアによって奴隷にされるという恐怖が共通認識としてあり、この認識はポーランドなどの例に証明されるように、決して的外れでなかった。
 専制国家であるロシアに敗れれば、仮に戦場から生還したところで明日はなかったのである。

 しかし、上記のようななじみにくい部分を除外して考えると。

 戦場という異常な状況下では、人としての感情はより強く表れて、感動的である。
 友の安否を気遣い、部下の誠実に感動して弟とも思い、上官の厚情に触れて親とも慕う。
 「戦友」とは、このようにして結ばれる絆であるのかと思う。

 また、当時の軍隊の戦場における日常や激戦の様子が、眼前で展開されるかのごとく描写されていて、資料的価値も高い。
 (死傷者続出の場面まで克明に描写されているので、うっかり食後にその部分を読んだら気持ちが悪くなってしまったが。)

 戦後教育を受けて育った私は戦争など真っ平だと思うし、銃後である日本本土の生活も戦費調達のため重税にあえいでいたのだから、明治に生まれたかったとは思わない。

 しかし、1点だけ、明治の人をうらやましいと思う。
 個人の幸福と、社会の幸福と、国家の幸福とがひとつであり、方法論において悩むことがあっても目的において悩むことがなかったことだ。

 100年前と比べようのない豊かな生活を営みながら、幸福というものが何なのか分からなくなっている現代人には、当時の人々の志の純粋さを、まぶしいくらいに思う向きもあるのではなかろうか。

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