サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 祐樹一依さんのレビュー一覧

祐樹一依さんのレビュー一覧

投稿者:祐樹一依

54 件中 1 件~ 15 件を表示

これは「アユの物語」なんですよ?

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 あまりに彼方此方で賛否両論、しかも意見が両極に分かれているので、流石に興味本位で読みたくなってしまった一冊です。僕ははっきり言って、全く面白さに期待はしていなかったことを付け加えておきます。以下は「まず、『飛びっきり面白い』ということはないだろう」と確信して読み始めた上での、読了後の感想になります。

 読めない話ではないな、というのが、正直な印象。感情の起伏に乏しく、生きることの意味を見つけられない、売春を繰り返し、「タルイ」が口癖の少女。現代においては、ある意味では何処にいてもおかしくない「冷めた」生き方をしている少女が、一人のおばあさんに出会うことで命の大切さを知り、人と触れ合うことの温かさを知り、やがては愛に目覚めていく…、というのが大筋の流れ。
 ネタバレになるので詳しくは控えますが、内容は、そして展開は悲劇的ですらあります。本当に愛した人のために我が身を犠牲にする。それは殆ど、物語の上での絵空事でしかないように我々は思っている。しかし同時に、そうまでしたくなる、するのが当然であると思わせる人が誰に対しても存在する可能性を、この本は肯定しています。汚れてしまったこの世から、未だ愛は消え去ってはいない。誰の心にも、愛が存在し、或いは生まれる可能性が秘められている。そんな希望を見出す人は多いでしょう、きっと。

 しかし…、ああ、物語は決して悪くないと思えるのに、それを書く著者の視点が冷めているように思えてならないのです。冒頭のページを開いたところで、次のページを開くまでに、作者の稚拙さが見えてしまうようでは、本として駄目でしょう。出版する以上、素人じゃないんだから。
 また、愛を描くために、作中人物ではなく、こうまであからさまに作者本人が「愛」を主張してはいけないと思うのですけれど、どうでしょう。「ああ、これが愛なんだ」と描くことは少なくとも純粋に近づこうとする「綺麗」なものであります。けれど、それを「作者の言葉」として作中に脚注のように紛れ込まれることは、そのたびに物語を寸断することに等しい。
 同じく、物語の中には「時代」という言葉が繰り返し出てきます。時代の流れに巻き込まれてしまったことで、ある者は不幸になり、ある者は彼らを黙殺して生きている。綺麗事が通用しない現代の痛切さを語っているのだろうけれど、それを「時代」の責任にして目をそらすことはしてならないのではないかと思われてなりません。それでは人間を描き切ることなど出来ない。折角、現代の人間らしい者たちが語る物語なのに、「時代」の重圧でのみ迫り、物語を終わらせていることで、「結局のところ、今という時に生きているからこそ、生きる希望など失われるのだ」という結論に至りかねない。

 本書は「Deep Love」シリーズの第1部であり、3作完結であるようなので、或いは3冊を読むと全ての願いに救いが訪れるのかもしれないけれど、僕は残りを読むつもりになれませんでした。しかし、元が携帯サイトから発信されたものだということを思えば、この作品はよく売れました。そういう意味では…、成功していると言えそう。

 というわけで、様々に考察を迫られる物語ではあるのに、それを形にする過程で多くが失われているのは確かです。ところで…、この本の表紙、どう見ても涙が合成なのはどうしてなのでしょう。タイトルコールの時点で、既に「作られた涙」というのは、本当に頂けません。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

境界の外から

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 巻末で笠井潔氏が解説しているように、本書は「日常と非日常の間で交差する、日常的な人物と非日常的な人物による『境界』を巡る物語」なのであります。それゆえ、心理学、哲学的な要素が多く(それは「物語」の中に巧く埋め込むことが出来ている、という意味では、作者の思惑を打ち出すことに成功しているのだろうと思う)、会話文の中にも観念めいた物言いが多くて、この物語と本質を同時に理解しつつ読み進めるのは難しいだろうなあと思いました。

 時間軸が何度も前後したり(章立てがそもそもそうであるが)、主観人物がめまぐるしく入れ替わったり、それでいて物語の始点の位置が不安定であったりと、物語の内容に触れる前に、同人誌からの出版であるという本書の特徴が悪い意味で目立つのですが、その実の物語に関しては、早々に興味深いものであることが窺えます。

 例えば「生と死」をテーマに据えて描かれる物語は数知れずありますよね。本書に際して言えば、そこに内包されるのは「死と死」であるのではないかと思われます。いわゆる現代劇ファンタジーであることを差し引いても、そこに「生身らしさ」を感じることは薄く、主人公の両義式の人の死を見る能力を始め、魔術を用いる者たちの言動を察するのは、上記のように簡単ではないです。

 けれども、我々「日常」的世界に存在する視点から物語を見ることは、「非日常」的なこの物語を完璧に俯瞰した視点で見ることが出来るという特権を有し、おおよその記述を客観視することが出来る。作中にある殺人鬼と殺人鬼を己の内に住まわせる人物、という存在の不安定さにどう気付くかによって、結末に明かされる真実の捉え方も多少変わってこようというもの。「日常」と「非日常」は、どちらが日常の中で優先的に捉えられるものであるのか、普遍と異端は、どちらが突出して存在を主張するものなのか。

 そもそも、ファンタジーの世界であるという前提の中で、それらの静かな主張がどれほど我々に響いてくるのか…、それは、実際に読んで、各々が感じることでしょう。それゆえ、僕としては評価を保留します。

 しかし…、ああ、やっと読み終わったよー、というのが正直な感想。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本愚者のエンドロール

2004/08/26 17:48

スタッフロールは後回し

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『廃屋の劇場密室で、少年が腕を切り落とされ死んでいた。誰が、そしてその方法は…?』

 文化祭に出展するクラス製作の自主映画は、真相が明らかにならぬまま、中途で製作が中断されていた。映画の「真相」究明のために古典部に持ち込まれた映画から、少年たちは解決へと乗り出すことになるが…。

 「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」。省エネ行動主義の主人公が消極的な探偵役。数少ない手掛かりから関係者が打ち立てる推論は、しかし一つ一つ否定されていく。誰が真の真相を得るか? アントニィ・バークリーの「毒入りチョコレート事件」をオマージュに書かれた本作は、小さな「解決」の積み重ねから、最後には思い掛けない「真相」が導かれるのです。これはミステリが探偵小説である、というルールすら逆手に取った試みであるとも言えるでしょうね。

 実際、僕も読み進めるうちに、一度は真相を看破したと思ったのですが(それは既存のトリックだったので)、とても大きな逆転の発想が仕込まれているのに気付いたときには破顔してしまいました。ちょっとひねくれた、ビターな学園ミステリ、主人公の意識と共に、次第次第に「事件」に引き込まれていくことでしょう。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本山伏地蔵坊の放浪

2007/01/27 13:40

「探偵」を揶揄する本格ミステリ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 院号、地蔵坊。その名が表すとおり、山伏が探偵役を務める、珍しい短編集。彼が旅先で出会った数々の事件を、場末のスナックで恒例の客たちに語ってみせる、という趣向。もうそれだけでオリジナリティ溢れる設定が炸裂しているようにも思うのですが、スナックの面々は、最初から彼の話の存在自体を半信半疑で聞いている。ある意味では「与太話に付き合う飲み屋の面々」という以上の意味合いを持たないものなので、決して場の雰囲気は盛り上がらないのです(幾らかは推理の饗宴もあるとはいえ、それは程度が緩い)。ここに独特の味が発生していると読むか、それとも多少の上滑りが発生していると読むかは、読者の印象にゆだねられることになるのでしょうけれど。
 本書の巻末に、戸川安宣氏の解説で詳しく述べられているのですが(この一編は評論として読む価値があるかも)、本書…、山伏地蔵坊は、安楽椅子探偵として端を発する「隅の老人」の直系に当たるようです。人々の前にふらりと現れ、事件の瑣末を語るだけり、またふらりと去っていく。それを聞く側にとっては、様々な事件が実際に起きたかどうかは関係がない。その事件と真相が面白ければいいのです。少々メタミステリ的な意味合いをも含んでおり、本書の結末などは、さりげなく「探偵の存在」を揶揄する皮肉を見せ付けてくれます。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本呪文字

2004/11/08 19:56

文字に呪われる者たち

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自らの限られた命を知った作家の守渡季里は、遺作の執筆を進めると同時に、ある同人誌にエッセイを書き始める。まるで残り少ない命を搾り出すかのように綴られる彼の筆は、大いなる罠に絡め取られようとしていた…。

 怪奇小説家、倉阪鬼一郎…、彼にはそんなイメージがありますが、ホラー仕立ての小説を数く発表する一方で、本書の如く、小説を読む読者、という立場にある僕たちに対して見事な「トリック」を披露してくれます。袋とじの中に隠された、前代未聞、驚天動地の大仕掛け。読み進めるに連れてじわじわと表出する違和感は、このために存在するもので、真相が明かされたときに、これを素直に楽しめるかどうかで、本書の評価も人それぞれなのでは。
 ラストに至り、急速に視点人物の世界が崩壊していく様は、いつもの倉阪ホラーとしてのやり方に通じるものがあって、つまりは視点人物が「語る」世界が崩壊していく様を地の文が表現していく…、文章そのものが壊れていく、というこの表現の仕方も好き嫌いが分かれそうですね。
 しかし、本書の「トリック」に打ちのめされたときに思うのは、凄い労力を掛けているなあ、と倉阪氏がこの仕掛けのために固執、というか…、取り付かれたように執筆する様が目に浮かぶようで、溜め息をついてしまいました。僕はこの手の技巧派トリックは大好きなので楽しんでしまいました。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本本格推理委員会

2004/08/26 17:42

キャラクタがミステリします

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小中高一貫のマンモス校、木ノ花学園を舞台に、「本格推理委員会」のメンバーが、古い校舎で起きた幽霊事件の謎に挑む。普通の高校生を主張する主人公と、やたら勘がいいその幼馴染。学園位置の才女や空手部の筆頭主。ちぐはぐでデコボコなメンバーは、けれどいつしか意外な真相を描き出そうとしていく…。第1回ボイルドエッグズ新人賞受賞作。タイトルからして、ミステリフリークの疑惑の目が注がれそうな「注目作」ではありますが、中身だって一癖も二癖もある代物でした。

 いかんせんキャラクター小説であることを中途半端に押し出してしまっているのが惜しい。主要人物は兎も角、殆どが「事件に関わる人物」であることを絡めて描かれているので、「本格推理委員会」であるゆえの魅力を描くことに関してはどっちつかずになってしまってるような気がするのです。折角、ミステリとキャラクターの看板を同時に掲げようという意欲で書かれた小説であるのだから、それぞれをもっと書き込んでいけば、もっと深みを出せたのではと、贅沢な欲をかいてしまいました。

 主人公が「探偵」を志すために振り返る過去のエピソードは、もっと書き込んでも良かった。現在の事件の真相にも絡んでいる事実があったためだとはいえ、過去の事件の真相があるところで唐突に現れたのは、とても勿体無いと思う。しかしそうすると現実の「音楽室の少女の霊」の事件の存在感が薄れてしまうだろう感が否めないのがジレンマですね。

 とはいえ、ミステリとしての意外な真相はバッチリ用意されています。終盤明かされるある事実に関しては、僕は全く気付けませんでした。ミステリとキャラクター、融合とまではいかずとも、巧くマッチされた小説だと呼べるのではなかろうかと思います。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本蛇にピアス

2004/08/08 12:18

人は純愛から逃れたがるか

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第130回芥川賞受賞作。しかし純文学賞の受賞作である、という先入観は禁物です。耳ピアス、脱色なんて当たり前、舌ピアスやタトゥーすらも当たり前の世界に生きる少女が主人公。スプリットタン…、つまり蛇のように先が割れた舌を持ちたい、という衝動が、「身体改造」を臨む語り手のルイを突き動かしていく…。可愛さに惹かれる男と、格好良さに憧れる男との三角関係までも繰り広げられて、精神的にも肉体的にもプラトニックな心情から離れよう離れようとしている作者の意図が窺えます。

 求める思いだけでなく、求められる思いまでもを描いたところがジレンマティックな要素を増すことに成功していますね。誰もが間違いなくアブノーマル、しかしその根底には真っ直ぐ過ぎるくらいに真っ直ぐな「想い」が秘められているのは明らかで…、しかし、本質的なところは、実はシンプルではないかと思います。冒頭1ページ目から読者を惹き込むのは、他者と同じであることを拒むが故に、己を表から「改造」してしまおうとする「普遍」から逃れようと願う思い(或いは欲求)。でもそれは、好意を向ける人がもたらした切っ掛けによる、「この人と同じでありたい」という思いが正体であるのではなかろうか、と僕は思うのです。

 そういう意味では、恋愛文学の新しい形だと言えなくもないと思うのですが、どうでしょうか。ただ惜しむらくは、ここまで徹底してダークネスな雰囲気を維持し続けていたのに、読後感は決して悪くないのです。いい意味で読者を突き放すのではと期待してしまいました。本書を誰かに読ませようとするときに心残りであるのは、ピアスとタトゥーの良き悪しを個々人がどう思うかを除けば、この点に尽きるように思います。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本明日晴れても

2004/05/09 12:46

彼は、彼らしく

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「毎日晴天!」シリーズ10作目にして、レギュラー人の話から半歩ずれて、その友人郡のウオタツの話なのです(笑)。しかしシリーズ節は炸裂。菅野節は正直ちょっとだけ読みにくい書き方をされてるのだけれど、そのちょっとぶっきらぼうなようなところが、逆に人間描写に即しているように思えるのは贔屓目だろうなあ。

 そしてメインのお二人がいるのですけれど…(ウオタツは儚く散るのだ、それはもう決定事項なのでネタバレにならず)、これがまた痛い身の上を晒してくださいます。その辺り、ボーイズラブ、というジャンルを書く人にとっては鬼門に違いないと僕は思う。BLって、基本的にキレイなものだと思われてないですか? 色々な描写について。お約束な流れの恋愛物、ただし倒錯、みたいな(苦笑)。でも、そういう妙な正当性から異端を発してみることこそに、何か凄さを感じずにはいられないのです、たまにはね。

 明確にはされていない二人の結末も、この場合はアリだと思う。誰もが幸せにならなきゃいけない、という意見に反対しているわけではないし、かといって万事が巧く行くはずもないと思う二律背反。そういうもどかしさも、感じることは悪くはないと思うので。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本各務原氏の逆説

2004/06/01 09:15

パラドックスは放課後に

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ロジック主体で本格ミステリを書く、論理主義な氷川氏の、学園ミステリであります。チェスタトンへの敬愛の書でもあるということで、全編にちりばめられたパラドックス…、つまりは逆説が見所。事件の中心にあるのは軽音楽部の高校生メンバーであり、今までの氏の作品に比べて、口当たりは軽い感じですが、きっちり論理で攻めてくるところはこれまでの諸作品と同じ。

 あくまでその正体にヴェールを被せ続ける用務員の各務原氏と、彼の助言を得て事件解決に乗り出す、軽音楽部のリョー。高校生にしてはさばさばし過ぎじゃないか、と思わせる描写もありつつ、しかし事件の全体像を読者が各人で描く必要性はその辺りからも生まれそうです。事件が一応の解決を見せつつも、明らかに表沙汰になってこない部分が意図的に存在するのも確かなのです。

 物語の冒頭から僕は騙された、ある仕掛けに関しては、多少メタフィクションな要素も含み、物語上必要あるべきものなのかどうかについて疑問がないわけではないのですが、それでも作者が作者であるだけに、実は慣例である「こういうこと」も有り得るのだろうな、と思いました。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本きみとぼくの壊れた世界

2004/05/09 12:52

壊れた世界の外から

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 新鮮な読書体験…、もとい、新感覚の読書体験が出来る作家の一人でしょう、西尾維新。講談社ノベルスの現時点主シリーズの戯言シリーズでも様々にやってくれてますが、それとは別にまたキャラが立ちまくった登場人物たちの、世界なんて実はどーでもいーんだ、へっ、的な(何)ミステリなのです。ミステリなんですよ! ミステリである必要なんてないのに、どういった宿命か確信犯なのか、どうしてもミステリになってしまっている諸々の作品ですが(褒めてます)、本作もミステリなのです。「ああっ、お兄ちゃーん(笑)」な小説ですが、ミステリなのです。

 読み進めていくと誰もが思うことだろうけれど、あれ…、殺人事件が起こっているのか。しかも密室殺人なのか。なんとも魅力的な文言がちりばめられているようでいて、そのくせミステリっぽくない物語の進行状況の下、西尾節(なのかな)が縦横無尽に発揮されております(しかして、改行が滅茶苦茶少ないので、読みづらいのが難点か)。

 でもでも、唐突にしてじっくりと詰めるように思考され与えられる本格ミステリとしての事件の解決には正直ビックリでした(その奥にあった真意にもね)。そして何も考えずに読み終えると感じる違和感。なんだかすんなりと終わってるなあ…、と感じたその正体、実は物語の枠組みである「世界」の在り方を問うているものだと気付かなきゃいけません。

 個人的に、もうちょっと読みやすかったら★追加、といったところ。しかし、それも確信的っぽいんだよなあ、と、なんとなく思う。「壊れた世界」と題打っておいて、世界を壊してたまるかちくしょお、と誰も彼もが思っているに違いないのだ、きっと。それは己が認識して初めて現れるからに他なりません。はてさて…。

(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本さまよう刃

2007/01/27 13:50

「反社会」は全てが悪か?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 少年犯罪と、その犯罪被害者である者との対立の構図。殺人犯人への被害者家族の復讐は許されるものなのか、仇討ち行為は正当なものなのか、その者の苦渋と愚劣な犯人の生態と社会復帰、更正の不可能性を鑑みて過剰保護であることを認め、逆襲の殺人もまた赦さざるを得ないものなのか、どんな事情があっても、絶対的に、どうあっても、殺人は反社会行為としてあってはならないことなのか。では人道的なスタンスを取ろうとするのならば、甘っちょろい倫理観に縛られることなく、関係者の心の苦しみを解放し、救うことは、果たして出来るのだろうか。
 テーマは物凄く重く、本書に限らず、どんな媒体で「殺人への復讐」を扱ったところでも、それが赦されるか否か、という問いに関しては、「他人事」でしか捉えられないのが人情なのです。本書においても、被害者の父親である長峰の心情に同情すればするほど、読者は彼の行為を安易に批判出来なくなる。けれども賛成すれば「法律の異議がなくなる」となり、否定すれば「綺麗事」となるのが社会論なのです。マスメディアの報道のように、どうしても中間寄りにならざるを得ない意見が幅を占めてくる。理想論だけでは事実に対処しきれないし、感情論だけでは多くの人を割り切ることが出来ない。必ず、ジレンマは発生するものであるだけに、殺人と少年法が同時に絡んでいる本書は気軽な思いで読み切れるものではない。
 本書の趣旨は、誰かの行為が許されるか、というのではなく、その状況がそのまま自分に当てはまったときに、自分はどのようなことを思い、どのような行動を取るだろうか、ということを訴えることにあるのだと思います。報復行為を行おうとするときに、人は、殺されてしまった人のためではなくて、残された自分のために、何らかの理由をつけて(それが自己満足だと分かっていてもなお)、極北の行為に自らを駆り立てていこうとする。小説としての完成度を高めるために、やはりこうなるしかなかったのだろうか、と思わせる結末は、読者としては物足りないところもあるのですが、大筋のところで鬼気に迫る(胸の悪くなるような)リアリティがあって、東野氏が現代の「犯罪とそれを取り巻く状況の在り方」を、犯罪小説の在り方を模索することによって追求しているようにも思えたのでした。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本パプリカ

2007/01/27 13:30

夢と幻想の間のトリップ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 現実と夢の融合、という素材は、割とそこかしこに溢れているものだったりします。夢は現実の象徴、現実は夢の延長戦、そんな描かれ方をする物語の一端は、人間の深層心理を描こうとする試みと共に、意外に誤謬を伴わない想像の産物として、物語の中に組み込もうとするときには、書きにくいものではない。けれども本作のように、全くもって、現実と夢が言葉通り「融合」してしまう様を描いた物語は、そうそう見つからないのでは、と思われます。今まさに進行している「物語」が、夢の中での出来事なのか、それとも夢を抜け出した現実でのことなのか、それとも「これは現実なのだ」と自覚している明晰夢の中での夢想に過ぎないのか…、一種のトリップ感は物凄いものがあって、その世界観はファンタジーに限りなく近いSF。
 無論、そう表現してみたものの、本作がSFであるのかファンタジーであるのか、という境界線は、非常に曖昧であると言えます。この物語での主要アイテム「DCミニ」は、精神治療を施そうとする患者の夢の中に治療者が潜り込み、患者の内面から直に治癒を試みる、というもので、如何にもな精神物理学に則った科学的機器の登場により、読者は現実感を損なうギリギリの位置で物語を読み進めることが出来る。しかしその機器の効力が使用者の意識を媒介して増大し、夢が現実に作用するに至り、読者は混乱を排除しきれなくなる。現実には存在しないはずの物質、人物、動物、といったものが無意識の夢から抜け出して現実を侵し始めるとき、それは果たして「現実に存在するもの」であると呼んでいいものかどうか、途惑わずにはいられないのです。そもそも混沌が基本的なスタイルである「夢」を、カオスのまま描き切る手腕は見事としか言いようがありません。トリップ、と称したくなる本作の感覚は、そういったところからくるもの。筒井氏の無駄な間を持たせない文章と絡み合い、冒頭から終盤まで間の読めぬ展開(「先の読めぬ」ではなく)が繰り広げられます。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

「ハードボイルド」なエッセイ集

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エッセイ集「ミステリオーソ」を文庫化に際し増強二分刷されたうちの一冊。自伝的エッセイやジャズ、映画についての文章がふんだんに盛り込まれた本作は、唯諾々とはせず決して他者に媚びない、様々なものの考え方やその大元となる氏の「生き方」(生き様、とは言わないほうがいいでしょうね)が訥々と書かれています。ハードボイルド作家としてとても「らしい」と読者に頷かせるでしょう。真面目な性格で、でも不器用で、多少堅物で、自分の信じる観念は他者には譲らない。けれども、これを「如何にもハードボイルド作家らしい、男らしいな」などと安易に呼んでは氏に失礼に当たるでしょう。原氏の文章だけを読んで「ハードボイルド作家らしい」と言うのも間違いだし、そこに「男らしさ」を見出そうとするのもまたおかしい。そういう安っぽい形容でない、けれども氏の著作を読んだ者が「彼らしいな」と思うに当然たる文章が数多く、それはつまり、そこには「嘘がない」ということが読み取れる事実があり、「彼だからこそ」の数々の和製ハードボイルドの存在があるのだという感慨が一読、湧いてくるのです。
 彼の語るジャズや映画は、決して万人に共感出来る「通念」ではないでしょう。それらは氏の多少「お堅い」性格による個人の「好きなものに対する姿勢」であって、何が良い、良くない、という考えを「意見」以上のものとして読者が信じてはならない。けれども原氏が現在となっては「古典」である数々の小説や音楽に心酔したように、それを後から知った読者が興味を持ち、やがて共感を得るようになっても、それはまた悪くはないと思います。文学や音楽が芸術であるという事実は、(本物の「芸術」がその中のどれくらいを占めるのかはさておいたとしても)真実であることは確かだから。
 実際のところ、読了後、どうしてもとにかく「ジャズ」が聞きたくなって、手近なところでインディーズの音楽サイトを漁っている本日の僕。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本町長選挙

2007/01/27 13:54

「こんな選挙、見たことない!」だけじゃ、ありません

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 天然すっとぼけ滅茶苦茶トンデモ神経科医、伊良部一郎シリーズ、三冊目。誰が見ても幼児が変態を気取ったような単細胞な言動を繰り返し、彼を訪ねた患者は勿論、その周囲の人間を困らせることしかしないくせに、時折、唐突、心理を突いた発言をして彼らを驚かせ、頷かせるところも併せ持つ。これが伊良部の「天然」たる所以ですね。実のところ彼は何も考えていないのでしょう。近くにいると忌々しいことこの上ないのに憎めない、という「困ったさん」。それが(口にするのもおこがましいのですが)彼の一番の魅力、なのでしょう。…いや、やはり作中でも言及されているように現代では「珍しいもの」なのかな。常識の枠には到底収まりきれない、それも能天気な原動力があるから、敵を作らない。
 先頭から三作ある短編は、実在の人物が即座に脳裏に浮かぶ、ある意味ではこの上ないイロニィに満ちたものなのですが、伊良部が絡むと途端に面白くなるから不思議。誰もが所詮は「現代に生きる人」なのだな、と思わせられます。このシリーズの各々の物語の主人公…、つまり伊良部の患者となる者たちは、医学的な症例に照らし合わせると強迫神経症に当てはまるものが多いようです。現代社会の病理は肉体的なところよりも精神的なところを重きに見ることによって、「病は気から」という格言を根底から見直す逆算的な部分があって、こういうエンタメ系の本にも、実は奥深く観察され得る病魔の在り方が見えてくるようで面白いですね。
 表題作「町長選挙」は「いつもの」伊良部シリーズで、島の勢力を二分化して行われる町長選挙に伊良部が思わぬ形で参入する話で、はらはらしつつも最後には微笑ましく読み終えることが出来て、ついつい安堵してしまいました。切羽詰った状況で右往左往する人物の描写を書かせたら、奥田氏は凄く巧いと思うのです。読んでいるこっちも動悸がしてきそうな嫌な緊張感がたまりませんね(笑)。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

国から国へ、本から本へ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 10作目に達したシリーズ作。国から国へと放浪する旅人、キノの話。そして、また別の世界、別の舞台で放浪する人々の話。ほんの数ページの短編や、口絵を用いて語られる掌編(併せて9話)も、如何にもなお約束を孕んだ国や、読者が想定するお約束を見事に裏切ってくれる時雨沢氏の手腕が見事な話しも幾つかあって楽しいのですが、やはり久しぶりの長編サイズの物語、「歌姫のいる国」がいい出来。これ単体だけで一冊の本にしても成立しそうなくらいに、意外なサスペンスとトリッキィなイロニーが収められていて、「キノの旅」らしいのにらしくない、という性質すらも楽しい。
 世界の中で、数多く存在する国々は、その多くが世界の中で独立して、孤立して存在する。これが現代社会における我々、人間の所有する小宇宙に無理矢理例えられなくもないのだけれど、そんな格好のいいことは、本書には似合わない。本書の主人公、キノは勿論、多くの旅人は、己が住まう国を離れ、未知の世界へと、未知の国へと自分の行き場を変えて動き、離れていく。そんな中で彼らが出会うのは、ただ「そこにあるだけ」の多くの国なのだ。多くの旅人が恐らく驚嘆し、驚愕し、または無反応を見せる国々の特色は、それらがそうであることが当たり前であるものでしかない。旅人たちが多くの性質に関わることをしないのは、自分たちには「それが当たり前である」ことに干渉することの無意味さを知っているからで、もしも旅人たちが「旅人」である以上の動きを見せようとするときは、最早平生の状態から移ろうというとき。何らかの形で国の性質が変わる…、変わらなければならないというときなのだ。
 一冊の本を読んで、読者が感想を抱く。
 とある国を訪れた旅人が、感想を抱く。
 似たようなものかもしれない。
(初出:CANARYCAGE)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

54 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。