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凛珠さんのレビュー一覧

投稿者:凛珠

441 件中 46 件~ 60 件を表示

紙の本この闇と光

2002/04/28 00:27

闇と光──二つを完璧に描き分けた傑作小説。

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 この本は「小説」である。当たり前ではあるが。この本は、小説という形態でしか出来ないことを行っている。それに気づいたとき、私は夢から醒めるような感動を覚えた。ストーリーは耽美的なので少女が好みそうだが、勿論、子供騙しではない。服部まゆみ氏は寡作だが、質の好い作品を生み出してくれる。もっと沢山書いてくれれば嬉しいのだが……。

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紙の本ビルマの竪琴 改版

2002/04/26 19:04

美しいこころ。

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 竪琴を携えた好青年・水島上等兵は何故、日本に帰還しようとせずにビルマに留まることを選んだのか?
 戦争に走った近代政府は悪だったが、かといって近世がより良かったわけでもない。常に弱者の立場に立ち、互いを同じ人間として思いやることが大切なのだろう。実際は難しいとはいえ……。
 戦争にかり出された日本兵士たちは、敗戦直後は悪し様に言われたという。私も、彼らが「偉かった」とは思わない。「哀れ」なのだ。好きでやっていたわけではないのだから。
 よく考えたら、私が感動する作品は童話ばかりだ。説経臭いと敬遠されるかもしれないが、私はそういう作品が好きなのだ。

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紙の本写真で見る幕末・明治 新版

2002/03/24 20:58

「幻想」ではなく「現実」を見よ

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 最近自分の中で、江戸時代に関する本の読み方選び方が変わってきた。以前は「江戸幻想」に騙されていたのだが、その手の本における吉原遊郭の扱い方の酷さで目が覚め、今後は江戸幻想とは袂を分かつことを決意した。
 そういうわけだから、自分にとって本の中で遊郭がどのように描かれているかというのはかなり重要な位置を占めている。都合よく美化されて暗部が書かれていない場合は、本の内容だけでなく作者の人間性すら疑うこととした。遊郭礼讃者も、相手によっては自分が外道扱いされるのだということを肝に銘じておくべきだろう。
 
 本書はタイトル通り幕末・明治初期の写真集である。人々も沢山写っている。分かったことは「本当に普通の人間だ」ということだ。時代劇のように小奇麗な着物を着ているわけでもないし、浮世絵とも全然違う。派手さは無く小柄である。

 「女性たち」の中での一枚「供応」が目に付く。遊郭で役人を接待している町人と花魁、芸者たちだ。花魁は浮世絵のようにお高く留まっているのではなく、人形のように座って俯き無感動な表情をしている。そうするように言い付けられているのだろう。花魁は一般に思われているように誇り高くふんぞり返っていたのではなく、店の者から人間性を取り去られてしまったのである。この写真以外の花魁も儚げで現実的だ。現実なのだから当たり前だが。遊女という「人間」は差別されずとも、遊女という職業、売春をすることは、当時でも悪いことと思われていた。何より当人が嫌だったろう。あまりに哀れだ。
 位の高い花魁が店から「丁重に扱われている」のは、客の自尊心をくすぐる為だろう。高級娼婦を買うような客は、丁重に扱われている女・売春婦らしくない売春婦を己の自由にすることに満悦するのだ。ここは現在でも誤解されているようだが。
 過去の悪しき点は反省せねばならないし、当時の人の立場になって考える際には「弱者の立場」に立たねばならない。どうして現代人が当時の人間と同じレベルになって過去の恥部を礼讃する必要があるのか。現代で企業の人間が役人を下半身接待すれば大問題だろう。現代でも悪いことをどうして現代人が江戸時代だというだけで褒め称え「吉原は高級社交場だった」などという妄想を肯定してしまうのか。尤も「性に大らか」な日本人は、現代でも海外で少女買春をしたりするのだが。
 
 吉原の写真の説明には「娼妓たちは自由を奪われ、悲惨だった」と、ちゃんと真実を書いている。写真の前に幻想は通用しないだろう。江戸幻想派たちは、実際の江戸を知らないから夢を見ることが出来るのだ。借金でしばられた遊女を買うことに抵抗の無かった連中が残した浮世絵・春画や戯作で江戸を知った気持ちになるのは、AVや少年漫画の世界が現実の世界で日常茶飯事として起こっていると思うようなものである。現実を見れば幻想は消え去るだろう。そして江戸時代を「ヴァーチャル」ではなく「リアル」として見ることが出来る筈だ。その分、時代劇や浮世絵などは、作り物臭くて見ていられなくなるかもしれないが。浮世絵や戯作の内容を妄信し、特に「江戸時代には春画のような性愛の世界が実際にあったのだ!!」などと吹聴する連中のことが、ますます阿呆らしく思えるようになるだろう。こうした連中は肝心の江戸人を蚊帳の外において、自分たちだけで盛り上がっているような気がする。江戸人が知ったら唖然とするのではないのか。
 
 どんな憶測も、現実の前には適わない。主人親子を殺害して磔刑に処せられた青年の遺体は、血みどろで首ももげかけている。これも現実だ。
 断っておくが、決して本書は陰惨な写真集ではない。実際に生きていた「普通」の人々と、町並みが撮られている。そこには悦びも哀しみもある。真に江戸を感じたい人には、是非お勧めしたい。

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紙の本遊女

2002/03/04 01:26

遊郭礼賛者たちよ、史実に目を向け幻想を捨てよ。哀れな遊女たちの身になって考えてみよ。

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 吉原遊女は日夜酷使され、病気になった場合は借金を増やされ、足抜けをしようとすれば残虐な折檻・拷問を受け、性病に罹ったり、肉体を酷使されることによって身体を壊すことが多かった。死ねば寺へ投げ込まれた。平均寿命は23歳であった。遊女が手練手管を駆使し積極的に客を取ったのは、客がつかなければ年季が明ける日が遠のき、下手をすれば折檻されるという悲劇があったからだ。そうでなければ余程の男好きでない限り、誰が好んで好きでもない男に身を任せるものか。他の客の部屋へ行って嫌な客へなかなか顔を出さないということが出来たのも、妓楼が金を儲ける為に、遊女に一晩に何人もの客を取らせていたからなのである。このことを分かっていない男が、遊女は好きで売春をしていたなどと思ってしまうのだろうか。手練手管は格好良いものではなく哀しいものだったのである。

 これらの明確な事実がありながら、今なお吉原遊郭の「文化」を賛美する人間がいる。確かに最高級の娼婦である太夫は、大名と渡り合えるほどの教養を持っていた。花魁を買う為には、芸者を呼んで酒宴を開き、店の者にも心付けを渡さねばならなかった。花魁と馴染みになって同衾するには、3回も通う必要があった。金と手間がかかり、遊女といえども手軽に買春することは出来なかったのである。

 しかしこれらのしきたりは、遊女の地位が高かったからではない。金を使わずに下心を見せることが野暮であるというしきたりが成立したのは、他でもない妓楼側の作戦だったのである。その証拠に明暦年間、客層が大名から町人に変わり、煩雑なしきたりが敬遠されるようになると、太夫制度は廃止され、それにつれて揚屋も消滅、吉原の遊女は下層娼婦がメインとなったのである。いくらしきたりがあろうとも、男の性欲のはけぐちであることに変わりはない。

 「明るく華やかな吉原遊郭」というイメージは、男たちへ向けての妓楼側の宣伝文句である。だからそのイメージに騙されてしまうのも無理は無いかもしれない。しかし売買春が悪いことだという認識が薄かった江戸時代人ならともかく、現代人ならば冷静な視点を持てて当然である。贅沢の為に喜んで売春をしているような現代日本の売春婦と違い、昔の売春婦は生活の為にそれ以外方法が無く、仕方が無く身を売っていたというのが事実だ。時と共に身を売ることに慣れてしまったとしても、それは苦痛から逃れる為におこった悲劇で、売春を肯定することにはならない。

 野暮男のように高級娼婦に向かって「売春婦風情が」などと言ったり、近代のように、哀れな売春婦を差別する必要は無いが、表側の明るい部分だけを見て江戸時代の遊女が明るく身を売っていたような間違った認識を持ってはいけない。差別をしない為に遊女たちの価値を認め、吉原文化を持ち上げるのだというのは、単なる詭弁に過ぎない。強姦された女性に「少しは気持ちよかったんだろうから、開き直りなさい」と言うようなものである。

 私は女だが、女からすれば男に搾取されている遊女像よりも、自らの意思で売春を行っている遊女像の方が口当たりが良いだろう。偶像の遊女はフェミニズムの女性からも支持されているようだ。しかし残念ながら偶像は偶像である。また吉原の売春は非衛生的で、洗練されてなどいない。このことに気付けば、哀れな遊女を犠牲にして成立した「吉原文化」とやらを持ち上げることが、いかに非人間的なことかが分かるだろう。

 少し前の歴史の本ではちゃんと書かれていた事実が、最近では歪曲されてしまっている。過去の良いところを取り入れるのは良いが、悪いところまで弁護する必要は無い。江戸の真実を紹介するのならともかく、証拠も無しに都合の良い解釈だけで幻想の江戸を創り上げるのでは仕方が無い。虚構を実像と取り違えてしまう。正しい歴史を学ぶ為には、本書のような中立の本を読むべきだ。

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漫画ゆえの素晴らしさ

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 一般的に、漫画は小説よりも低く見られがちだ。曰く、小説は文章を読んで情景を想像するのに対し、始めから絵で描写されている漫画は、読者の想像力を奪うというのである。これは偏見だということは、この「夜叉御前」のような漫画を読めばすぐに分かる。「夜叉御前」の252ページ目。小説ならダラダラと文章を重ねて説明せねばならないだろうが、漫画では何の説明も無しに、たった一つの絵で全ての真実を明らかにすることが出来るのである。そして読者は、その絵から真実を想像するのである。「鬼来迎」の136・7ページ目や、「海底より」のラストも良い。勿論ストーリーも秀逸で、小説と比べてひけを取るなどということはない。もともと両者は異なった表現形態なのだから、比較する必要自体無いのか。
 

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紙の本百日紅 上

2002/02/24 13:36

浮世絵→漫画

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 物語を表す表現形態は、映画、小説、漫画、戯曲……等々がある。一般に、漫画は小説よりも低く見られがちだ。しかし、優れた漫画は小説を凌ぐことが出来ると自分は思う。漫画では、小説ほど綿密な物語を表現することが、容量などの都合で非常に困難である。その為、必然的に軽いものが多くなり、そのせいで漫画という表現形態そのものが軽く見られてしまうのは残念だ。思うに優れた作品とは、漫画なら漫画、小説なら小説でしか表現できないような傑作のことを言うのではないだろうか。本書「百日紅」を始めとした杉浦日向子氏の作品は、どれをとっても「漫画ゆえの傑作」ばかりである。これが小説では、魅力は半減してしまうかもしれない。
 葛飾北斎とお栄の物語は、小説家の山本昌代氏も書かれている。山本氏もまた、淡々とした味わいのある物語を書かれる方で、ある意味、杉浦氏と共通した魅力が感じられるのが面白い。山本昌代氏なら、杉浦漫画の魅力を損なわずに、本書を小説化出来るかもしれない。 

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赤、白、黒、青、黄、……

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 色を取り上げた民俗学の本である。
 今日の喪服は黒だが、本来、日本人の喪服は白であった。これは東アジア民族に共通した慣習であったという。しかし江戸時代の元文三年(1738)、盆の月の吉原の灯篭が、それまでは赤と青だったのに対し、その年からは青・黒・赤の三色に変化した。黒が新たに加わったのである。また、やはり江戸後期に、それまでは赤飯だった葬式の香典が、黒豆入りのおこわに変化する。これらのことから、この時期に、江戸の人々の間に、黒と喪の関係を示す知識が生まれたのではないかと作者は言う。
 死体は時間を経ると、次第に黒く変色する。それを嫌った人々は白い服を着、穢れを払った。塩も同じ意味だと言う。また、白には再生の意味もあった。そうなると、喪服は白でも黒でも良いのではないかと思えてくる。全く逆の色なのに、そう思えるだけの根拠があるのが面白い。
 

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紙の本江戸服飾史談 大槻如電講義録

2002/02/20 22:32

江戸の服飾と反骨精神

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 江戸時代の服飾の歴史は、幕府の倹約令と密接なつながりを持っている。江戸時代も初期の頃は、金ぴかなど派手な着物が普通だった。しかし、幕府の倹約令で華美なものが禁止されると、人々は地味なものに魅力を見出してゆく。また、一見地味な着物でありながら、見えない裏地に金をかけたり等、いわゆる「粋」が生まれる。江戸人は、ただ唯々諾々とお上に従っていたわけではないのだ。上から押さえつけられれば、そこからまた新たなものを生み出す。そう考えると、幕府の倹約令もなかなか好いものであったかのようにまで思えてくる(自分は華やかな着物が苦手で、地味で粋な着物が大好きなのだ……)。また、禁止されたものも、「咽喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉通り、そのうち復活する。本書では、そうした江戸人の反骨精神の他に、着物や髪型の変化に、大火も関連付けて説明している点が面白い。他の本を読んでも分からなかった様々な疑問が、本書のおかげで氷解した。
 大槻如電は元仙台藩士で、明治時代においては敗者である。その為、明治の藩閥政府には猛烈に反発したという。作者自身も反骨の人であったのだ。自分はそういう人物に弱い。

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紙の本百物語

2002/02/16 16:26

ふしぎな怪談

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 「怪談」とはいっても、「恐怖」よりは「幻想」の趣が強い。江戸人にとって怪談とは、「怖いはなし」というよりも、「不思議なはなし」という思いが強かったのだろうか。
 杉浦氏のどの作品にも言えることだが、リアル過ぎないシンプルな絵が、逆にリアルな世界を描き出している。ゆっくり、淡々と語られる物語たちは、読者の感性に直に呼びかける。科白もコマも少なめな為、速く読んでしまうことは可能だ。しかし、それで速く読んでしまうような人には、この作品の良さは分からないだろう。

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紙の本女神

2002/01/28 21:42

美神。

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 表題作「女神」は、女の美に異常なまでの執着を燃やす男・周伍と、彼の娘・朝子を中心に描いた中篇小説である。最初、周伍は己の欲望の対象を、妻の依子にのみ向けていた。しかし依子は、空襲で顔に醜い火傷を負い、二目と見られぬ容貌となる。絶望した周伍は、やがて、娘の朝子に邪悪な光明を見出す──。美を追求して、ある種の聖性まで感じさせる作品である。他の10篇は短い作品が中心だが、それぞれに三島らしい魅力がある。

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紙の本笑い姫

2002/01/28 21:16

絢爛痛快時代絵巻。

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 自分は中学生の頃から皆川博子のファンで、著作も大分読んでいる。皆川作品は、ミステリー、幻想小説、時代小説、ホラー……等々、非常に幅広い。しかし、自分は時代小説ファンであり、皆川作品ファンでありながらも、皆川博子の時代小説は少々苦手であった。これは個人の好みの問題で、作品の優劣とは全く無関係なのだが、自分は歌舞伎のような絢爛なものは苦手であり、皆川博子の時代小説はこれに当たるからである。そこが魅力なのだということは分かっていても、どうにも仕方がない。が、そこで読んでみたのが本書「笑い姫」である。いつものように絢爛豪華な雰囲気は満載だが、設定はしっかりしており、割と硬派である。引き込まれるように読み進み、いつしか物語は二転三転、舞台は江戸から蝦夷地へと移る。自分は北海道在住なので、親近感が沸き、それこそむさぼるように読み進めた。終わり方も、皆川作品にしては珍しく大団円だ。主人公・蘭之助と小ぎんも良いが、作次郎とお眉寿の哀しい純愛にも心を打たれた。取り立てて皆川博子ファンというわけではない人にも、是非読んで欲しい一冊だ。

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切なく奥深い童話たち。

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 本書には、童話が22編、詩が3編、小説が2編収録されている。
 「赤いろうそくと人魚」を読み始めた時、何故か懐かしい気がした。その疑問は、やがて解けた。大分昔──子供の頃に、どこかで読んだことがあったのだ。その頃には、恐らく小川未明という作者の名前は知らなかっただろう。しかし、物語の印象は心の底に残っていたのだ。人魚の娘の哀しげな眸と、赤いろうそくのゆらめき──物語の光景が目に浮かぶようであり、残酷な終わり方ではあるが、静かに哀しい美しさがある。
 童話という形を取りながらも、作者は奇麗事を書いてはいない。その視線は、時には冷酷でさえある。が、それゆえに、大人が読むに値するものとなっているのだ。
 小説「戦争」の主人公は、人々は戦争のことを口にしながらも、全く平気で笑っている。そんなことは信じられないから、戦争が起こっているというのは嘘に違いないのだと、婉曲的に無責任な人間を非難している。それに対してFは冷ややかに、自分は初めから人間を高尚なものとは見ていない、善くも、美しくも、また貴いものだとも考えていないのだと言い切る。
 現代でも充分通じる、傑作集である。

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乱灯を操る者たち。

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 本書は、「名将軍」徳川吉宗と、「名奉行」大岡越前を取り上げ、吉宗の子・家重の出生の秘密を巡る抗争を描いたものである。
 娯楽性の強い内容でありながら、作者の力量と事物を鋭く見つめる視点は、作品を単なる娯楽小説にはしていない。作中で活躍するのは、主に下っ端の人間である。そして無情な仕打ちに会うのも……。「大の虫を助ける為に小の虫を殺す」という姿勢が、吉宗を「名将軍」とし、大岡越前を「名奉行」としたのだと、作者は痛烈に批判している。事実上の悪役である大久保伊勢守や佐野外記よりも、読者には、この両「偉人」に、より強い憤りを感じさせたかったのだろう。「お偉い方々は常に灯篭の中心部で、力の無い者は、いつもそれに振り回される運命にある」のだと……。読後に一抹の苦さが残るが、それこそが、この作品の真意であるのに違いない。

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紙の本時代風俗考証事典 新装版

2002/01/20 13:08

史実と脚色の狭間で。

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 作者の林美一氏が、春画の世界での権威だということは知っていたが、時代考証の仕事もされていたのだということは、若輩者にして、本書を読むまで知らなかった。
 時代考証とは言っても、あくまでもドラマを面白くする為に考証を大切にしたいという氏の姿勢には、大きく共感させられた。また、その並々ならぬ努力には、大いに感動させられた。わかっていてあえて間違えるのなら、それは物語を面白くする為の工夫と言えるだろうが、知らないで間違えることを良しとするのは、勉強不足の言い訳にしか過ぎないのだろう。また、娯楽時代劇なら許される間違いでも、大河ドラマでは許されない場合もある。
 時代考証の知識だけでなく、当時の映画やTVドラマの撮影所の息遣いを知ることも出来る、まさにお勧めの一冊である。

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紙の本狼奉行

2002/01/18 14:13

東北の冬の力強さ、美しさ、清冽さ。

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 表題作「狼奉行」は、第106回直木賞受賞作である。こうした肩書きを抜きにしても、この作品の出来は素晴らしいの一言に尽きる。素晴らしいとは平易な文句だが、本当に素晴らしいものは、素晴らしいとしか言いようが無い。
 時は江戸時代後期・天明年間。羽州土山の若き藩士・祝靱負は、山代官の下役という、家格にそぐわぬ役職に任じられる。鬱屈した彼に、自然の脅威と藩の政争が襲い掛かる。時の流れと共に、青年は成長を遂げてゆく──ストーリーもさることながら、文章にも力強さと張りがあり、それでいて軽快である。特に東北の冬景色の描写は、作者がそれを知り抜いているからこそ、あそこまでリアルに書くことが出来たのだろう。まるで写真を見るように、本文中の風景を、ありありと眼前に見ることが出来た。この作品一本だけでも、本書を買う意義は充分にある。
 あとの2編は、資料の文章がやや堅く、少々読みずらかった。とはいえ、内容自体は、悲恋もの風味で淋しげな味があり、とても良い。表題作のように、資料よりもストーリーの進行を重視して欲しかったのだが、これは歴史小説と時代小説の違いで、個人の好みも入るかもしれない。
 とにかくお勧めの一冊である。

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