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あまでうすさんのレビュー一覧

投稿者:あまでうす

390 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

何を言いたいのかさっぱり分からなかった。

4人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



クラシックに狂気を聴け、という副題が付いているのだが、全体をつうじてこの人がいったい何を言いたいのかさっぱり分からなかった。

この人がライブやCDを聴くと演奏を聴くと、欧州人の音楽はアフタービートで、日本人は前拍なので邦人演奏家のものはすぐに分かると豪語するのであるが、ほんまかいな。

楽聖ベートーヴェンはほとんどの作品をアフタービートで書いたが第9交響曲の終楽章だけはオン・ザ・ビートで書いたとか、同曲の同楽章の冒頭で「おお友よ、このような音ではなく」とバスが歌い出す直前のオーケストラの強奏で不協和音が鳴り響くのは、「このような非整数の倍音によるノイズ音楽を諸君は受け入れるのか? いやそうじゃないだろ?」と語りかけているのだという著者の推論は、どちらかというと誇大妄想の類ではないだろうか。

しかし「君が代」は世界で唯一戦争を放棄している国家にふさわしく、ヨーロッパの旋律で作られていない(右翼的ではなく)右脳的な国歌であり、いくら軍隊に強いてもこの行進曲では歩けない反戦的な国歌であるという指摘はなかなか興味深いものがあった。


「君が代」は右翼的にあらず右脳的国歌とはつゆ知らざりき 蝶人

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紙の本

紙の本KAGEROU

2011/01/25 17:41

プロットはともかく、作家の文章ではない

16人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



生活に窮し、未来に絶望して死にたくなった若者ヤスオが、デパートの屋上庭園から飛び降り自殺を試みたが、たまたま居合わせた医療法人全日本ドナー・レシピエント協会の特別コーディネーター京谷に一命を救われる。

そして京谷は、どうせ死ぬならわが協会に全部の臓器を寄付してから死ねば、死後に大金が振り込まれるといってヤスオを説得する。

さまざまな紆余曲折を経てその契約が実際に遂行されるわけだが、その短かった生涯の最後の日に、若者は恋を知り、人を愛することの素晴らしさのめざめ、命の大切さに改めて気付き、……。

というプロット自体は、かなり平凡だとしても、それほど悪いものではない。しかし問題は、この物語を演奏する奏者と楽器の凡庸さと無個性に尽きるということになるだろう。

いやしくも一篇の中間小説を物語ろうとするなら、他の作者と鋭く一線を画するそれなりに個性的な演奏法、つまり文体の独自性というものが必要だろうが、それらは236頁の全文のどこにも、かけらすらない。

これは私の勘で言うのだが、この小説はプロット自体は著者自身のものだとしても、それを実際に文章化したのは複数の手練れのライターではないだろうか。そうでなければたった一時間で読了できる、まるで漫画かテレビドラマのシナリオのように超フラットな文章が、こうも延々と続くわけがない。

かてて加えて、驚いたことには232頁の3行目に致命的な誤植があり、その活字の上から正しい固有名詞を記した白いシールが平然と張り付けてある。卑しくもれっきとした名のある出版社なら、即刻全本回収して刷り直した新本を提供すべきものではないだろうか。



7年間細々続きし仕事なれど絶えてしまえばいと寂し 茫洋

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紙の本

紙の本橋下主義を許すな!

2012/01/23 16:16

ハシズムなどと慌てず騒がず放置しておけばよい

11人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。




大阪市民の絶大な支持を受けて市長に就任した橋下氏の政治手法について内田樹、香山リカ、山口二郎氏などがこもごも批判しています。

私は橋下氏が府と市の経費の重複を無くしようとしていることには反対しませんが、教育に偏屈な政治的イデオロギーを持ちこんだり、旧軍隊的規律と上意下達の中央集権的介入を強行したり、市場競争や経済効率論理を導入して大阪府・市の教育基本条例を改訂しようとするような独裁的で夜郎自大な手法には反対です。

我々がこよなく愛するこの自由な国家ではいつでもどこでも誰でも自由な見解の表明を妨げられず、時の権力者に反対したりげんざいの国歌や国旗に異議を唱えたり起立を強制されても罰せられるはずがなく、気に喰わなければ黙って座っていることも許されますし、それを非国民だと罵る人こそが本来の意味の非国民なのです。

橋下氏がしようとしていることについて内田氏は、宇沢弘文氏の「教育=社会的共通資本論」を引き合いに出し、共同体の存立にかかわる自然環境、社会的インフラ、教育、医療、司法、行政に対する政治の中央集権的介入を強く戒めていますが、これはイデオロギーの左右を超えた常識というべきで、政権が交代する度に学校のカリキュラムや医療システムがころころ変わっては国民はたまったものではありません。

政権が交代しても物事が劇的に改革改善されないために、早くも民主党に幻滅してとっくの昔に政治生命が終焉したアホ馬鹿自民党への回帰を妄想したり橋下氏一派を軸とした新政治勢力に過大な期待を寄せたりするドンキホーテな人たちがいるようですが、民主政治というのは多数派少数派賛成反対棄権逃亡の紆余曲折を経て膨大な討議と時間と経費を蕩尽してやっとこさっとことおちつくところに落ち着く超不完全なシステムだということがまだ理解されていないようですね。

これに激怒したり愛想を尽かしておのれの主体的な思考を放棄して、ヒトラーもどきのチンピラに下駄を預けたくなる気持ちも分かりますが、なに2年もすれば化けの皮がはがれるはず。ハシズムなどと慌てず騒がず放置しておけばよいのです。


不満あり無力なりされどわが荷物を橋の下に投棄せず 蝶人

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紙の本

紙の本流跡

2011/02/02 05:20

HOWはあってもWHATはひとかけらもない。

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


ここに綴られている日本語表現がきわめて精妙でニュアンスに富み、これまで日本文学が蓄積してきた数多くの文化遺産の自由自在な引用から成り立っていることは間違いない。
また著者の文学的教養とその大脳前頭葉へのくりこみの錬度の高さは、本書の任意の頁のわずか一行の表現ひとつとっても明らかで、それが凡百のぼんくら作家どもの通常の文章を、粗野で洗練されない文飾と映るほどの出来栄えであることも否めない。
しかしそうであればあるほど、この人は、この無類の名文という武器を用いて、いったいなにごとを表白したいのかが、読めば読むほど分からなくなる。冒頭の一句から終止符までたしかに希代の美しくも繊細な詩文が羅列されているものの、行く川の水の流れの主体が誰であるのかを水に問うても返事が返ってこないように、著者本人をつかまえて
「いったいあなたはいかなる意図でこのような文章をまるで自動表記の機織りロボットのように垂れ流しているの?」
と尋ねても明確な返答はできないだろう。
無自覚で無意識のうちに書き下ろされた文章は、それが水のように透明で清冽であっても、いつまでも終わることにない文章表現の御稽古であり文学ごっこであり、あえていうなら修辞による自慰に類した行為にすぎない。
つまりこの文章にはHOWはあってもWHATはひとかけらもない。もっと正確に評せば、この小説のようなものは、なにをどう描いていいのかかがまだつかめていない未熟な文学少女の一習作に過ぎない。誰に何かを伝える意思もなく、ただただ蚕が白い糸を吐き出して己の裸身を繭の内部に閉じ込めようとしているだけのことで、このような文学以前の作文を珍重して、やれ新しい文学や文学者が誕生したなどと笛や太鼓で囃すのは、本人のためにも、世の中のためにもならないであろう。

30%オフですよと朝8時から連呼させられている新宿の女 茫洋

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紙の本

紙の本メイスン&ディクスン 上

2010/09/07 13:17

抱腹絶倒の奇書のはずだったが

12人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



この万年ノーベル文学賞候補作家の作品について、格別面白いとか内容が深いとか文学史的な意義があるとか思うたことは一度もない。

ないのになぜこうやってつらつら紙面に眼をさらし続け、唐人いな米人の寝言に耳を傾けているかというと、このいかにも面妖でけったいかつ思わせぶりな作者の悟り澄ましたような面持ちについつい吸引せられて、太平洋の大波のごとく繰り出される話題と思藻と逸話と笑話と小話の数々にあだかも人参に目移りするポニーのごとく広い地球のあちらこちらに引きずりまわされているうちに、とうとうさしたる事件もカタストロフも世界革命も、ありそでなさそで黄色いサクランボの1粒も転がることなく、唐突な巻頭とおんなじ調子でこの世紀の長編大小説が忽然と終了してしまうからである。

全体の構図としては、英国から漂流してきた2人の天文学者兼測量技師メイスンとディクスンが、独立戦争以前の植民地アメリカを舞台に繰り広げる抱腹絶倒のはずの弥次喜多道中膝栗毛であるが、十返舎一九の道中小噺は読んでいて時折くすりと笑えるほどには面白いが、亜米利加版の弥次さんも喜多さんも作者が♪ペペンペンペエンと自分で囃すほどに面白いものではなく、読めば読み進むほどに小澤征爾の指揮と小沢一郎の御託と同様、退屈とあくびの山がそびえたつばかり。

滑稽喜劇小説であるはずなのに巻末では主人公たちのあまり幸福でもない最期にいささかのいたましさを覚える始末でありやんすが、なんといっても致命的なのは、雄大なピラミッドを支えるほどにあまたの岩石で構築されたアネクドートや小噺がそれこそ無機物で無味乾燥で、教養の気付け薬にはなるかもしれないが、吉本興業の下らぬお笑いほどにもくすりとも笑わせてくれないことだ。

上下巻合わせて1094ページの超くだらん放漫脳味噌全開大小説をば、英語フランス語スペイン語の蘊蓄やら西洋史やら天文学やら測量学の専門知識を随所にふりまくペダンチックな作者の驥尾に付して懸命に邦訳された柴田元幸さんご苦労さん。あなたこんな小説必死で翻訳してほんとに面白かったの。

なに、面白そうで面白くないところが面白い。うむ、天下の大小説はみなそうかもしれんて。しかし唯一面白がっているのは作者だけだろう。見上げた根性だ。私には徹頭徹尾つまらんかった。キンチョールのCMで大滝秀治が言う通りだ。

やい、トマス・ピンチョン。お前の話はつまらん。まったくつまらん!


♪どうしようもなくつまらないのにつまるようにもてはやす世間の痴れ者たちよ 茫洋

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紙の本

おお、なんと勇気凛々の超楽天主義者であることよ!

7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



南アフリカのケープタウンに住む元ラテン語教師の70歳の女性がアメリカに住む娘に宛てた長い遺書である。彼女はガンに冒されていて余命いくばくもないが、アパルトヘイトのただなかにあるこの極南の地にあって、いっけん自由な、そして孤独な生活を強いられている。

トランジットしては通過して行く者たちのように彼女の家を訪れるこれも孤独で心を固く閉ざした男や通りすがりの女、そして彼女の子供たちがいる。
誘蛾灯にさそわれて飛んできた蛾のようにいつの間にか老女の周りに集まってくる見知らぬ赤の他人たち。その醜悪で悪臭を放つ気味の悪い連中を、われらが老いたるヒロインはあたたかく迎え入れ、非道な国家権力や警察の暴力によって日常生活の平安を徹底的に脅かされながらも、容易に他人の善意を信じようとしない彼らと誠実に向かい合う。

残された日が短い彼女にとって、この世におけるゆいいつの救いとは、たまさかに彼女の懐に落ち込んだ任意の男、限りなく胡散臭く、薄情で誠実さのかけらもない1人の中年男をひたすら信じきること、その1点に賭けることなのだ。

彼女にとってこの悲惨で絶望的な争闘の「鉄の時代」のあとに来るべきは、人類が友愛でゆるやかに結ばれるはずの「青銅の時代」であり、それに続く「銀と金の時代」なのである。おお、なんと勇気凛々の超楽天主義者であることよ!

それゆえ、小説の掉尾をあえかに彩る2人の抱擁は、少しく感動的ですらある。


♪遥かなるエルドラドの輝きは幻かわれら冷え行く鉄の時代に生きる者 茫洋

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紙の本

搦め手から売り込む就活マニュアル本

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。




企業の公共性&社会正義感の欠如と悪徳人材派遣会社の終わりなき強欲陰謀が主因となって、そこに大学と学生の思惑が入り乱れ、史上最悪最凶の末期的症状を呈している現在の就職戦線ですが、この本はそのいっぽうの当事者である企業の人事担当責任者へのインタビューを敢行し、彼らが行っている求人活動の内幕を聞き出しています。やれやれご苦労なこった。

そして著者はこれらの企業が求めている理想の人材の基軸とは、1)グローバル2)多様性3)ストレスに対する耐性4)ビジネス感性5)自分と向き合う能力であると総括し、「これらの要件に着目しながら就活しなさい」、ともっともらしくアドバイスしているようですが、多くのあほばか学生は、「そんなごたくを並べたって、じゃあおらっちはいますぐにどうしたらいいんだ」と喚くのが関の山でしょう。

で、この本のタイトルである「就活って何だ?」という大仰な自問については、最後の最後にあっさり自答されていて「就職とは本来自分の一生を左右する一大事だ。そこでつきつけられるのは自分の人生をどう考えるかという真摯な問いだ。細かなテクニックや瑣末な情報に溺れていては、その一番重要な部分を深く考察しないまま就職活動に臨んでしまう危険性がある」と格調高い警句?を吐いて一巻の終わりなのですが、そんな当たり前田のクラッカーが、もしかしてなにか「答えのようなもの」になってでもいるのでしょうか!?

思うに、これこそは羊頭狗肉の類です。本来ならば、著者はこの結語からああ堂々の「著者独自のシュウカツ哲学ないし人世論」を一点突破全面展開すべきなのに、その本体内容なぞ影も形もなく、あるのは人事担当者の華麗な独白ととっておきの苦労話ばかり。

しかも登場するのは電通、フジテレビ、バンダイ、資生堂、サントリー、全日空、NTTドコモなどの大企業ばかり。彼らこそは就職協定を顧みず積極的に青田買いに狂奔し、前代未聞の就活地獄を招来している元凶なのに、そういう事実とそれが惹起する悲劇を直視し、それを克服しようとか、少しでも解決しようとする視点などほんのこれっぽっちもないのです。

それにそもそも日本の企業の98%以上は中小企業であり、大企業なぞは超少数派の異端児に過ぎません。こんな企業にはいずれも1万から5万人のエントリーが殺到し、それを4次、5次の面接でふるいにかけて、よりどり好みの最適人材?を採用するだけの話ですから、ここで披露されている「耳寄りな情報」なんて日本全国の学友諸君にとってはまるで縁もゆかりもない唐人の寝言でありましょう。

今回、大企業の人事部がこのインタビューに応じて「就活秘話」を特別に漏らしてくれたのは、別に著者のお手柄などではなく、これ自体が大企業の新手のパブリシティ活動であるということに、著者はどこまで気づいているのでしょうか。「森健って何だ?」と言わずにはおれません。

♪待ち兼ねた春が蝶よ花よとやってくるというのに 茫洋

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紙の本

やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。




メアリー・マッカーシーといえば「グループ」を書いたことで知られるアメリカの美人女流作家ですが、「アクセルの城」で有名な批評家エドマンド・ウイルソンの伴侶でもあったとは知りませんでした。別に知らなくても全然構いませんが、問題は彼女のこの作品です。

ちょうどアメリカのジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃した頃にパリで学生生活を送っていたアメリカ人の若者ピーター君の留学中のあれやこれやの小事件が、まるで牛の反芻のように延々と垂れ流されていて、この文章のどこが偉大な20世紀の小説なのかといぶかしく思わないわけにはいきません。

たとえばソルボンヌの外国人のための初級文明クラスの授業がつまらないそうですが、それがいったいどうした、こうした。つまらなければやめればいいじゃないか。それをつまらないと書けば小説になるとでも思っているのでしょうか。

サルトルがルフェーブルに接近したからなんだというのだ。さらにはお決まりの失恋話や交友関係や放浪者やローマ旅行やアパルトマンの家主とのトラブルやオートバイを船で持ち込もうとするときに持ち上がった事件やらアリストテレスやカントの感想だのを聞きたくもないや。もうもう勘弁しとくれ。それはお前さんのミクシィにでも乗っけといてくれ、と言いたくもなるのです。

だいたい「アメリカの鳥」というタイトルと本文はどういう関係になっているのかさえ最後まで読んでもさっぱりわからぬ。ピーターの母親がランドフスカに師事したピアニストであることと、パリではトイレの事情がひどく悪いということだけがわずかに脳裏に残された近来まれに見る後味の悪い読書でした。

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紙の本

栄華を誇った英雄の晩年は孤独で悲しい

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表題のように性急に二者択一を迫られると困ってしまう。

私の答えはもちろんフルトヴェングラーに決まっているのだが、だからといってカラヤンの演奏も特にオペラには素晴らしいものが目白押しである。クラシックの演奏家のリストからこの才人を抜かせばそのあとはかなりさびしい姿になるに違いない。特にかつて吉田秀和氏が推薦していたカ氏の晩年のモーツアルトのセレナードの演奏は老鶴万骨枯れたしみじみとした、当世はやりの言葉でいうと泣かせる演奏だった。

この本の面白さは、ベルリンを五回訪れた著者がまだかろうじて存命中の延べ一一人のベルリンフィルの演奏家たちに数度のインタビューを敢行し、かつての統領の人柄や力量について遠慮なく尋ね歩き、予想外の率直な回答を引き出したことにある。クラシックファンにとって面白くないわけがない好企画である。

インタビュー直後に急死した名物ティンパニー奏者のテーリヒンは有名なカラヤン嫌いであるが、カラヤン好みの正確無比の太鼓叩きフォーグラーの登場によって一九七九年六月以降の全ライブと録音から外された彼が怒り狂ったのは当然だとしても、その背景には情動の一撃か精巧の打刻かというこの世界最高のオーケストラに君臨した双頭の鷹の演奏哲学の違いが生んだ不可避の悲劇ではなかっただろうか。

しかし、栄華を誇った英雄の晩年はいずれも孤独で悲しい。

フルベンはその晩年に聴力を失うという現実に直面して完全に生きる気力をなくし、そのあとの衰弱は極めて急速で、死ぬ前に夫人に「死ぬことがこんなに簡単とは知らなかったよ」といいながらまるで自殺のように息を引き取ったらしい。

またカラヤンは一九八四年の大阪公演では、曲を振り間違え、スカラ座ではアンコールをバッハの「アリア」に決めていたのにマスカーニの「友人フリッツ」のつもりで振り始め、一九八八年の最期の日本公演における「展覧会の絵」は誰の耳にも無残な演奏であった。その極めつけはザビーネ・マイヤー事件にはじまる手兵ベルリンフィルとの対立と永訣であったが、それは誰あろう帝王カラヤン自身が招いた悲劇であった。(第一三章フィンケ氏との対話)


慨嘆しつつこの本を読み終わった私は、気を取り直して元楽員の多くが激賞しているフルベンのシューマンの四番とラベルを聴きなおしてみたいと思ったことだった。


♪フルベン王は死せり後は洪水垂れ流すのみとカラヤン嗤う 茫洋

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紙の本

徳川幕府の揺らぎを精密に描く

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小学館の「日本の歴史」シリーズはいずれも近来の力作ぞろいだが、とうとう11巻まできた。今号で徳川幕府が揺らいだら、まもなく明治維新がやってくるのだろう。

本書によれば、江戸時代には多くの穢多非人が存在した。

非人は穢多と違って平民身分に戻ることができたが穢多はできなかった。元和・寛永ごろに非人の組織化が行われ、江戸では非人頭、大坂では長吏が統率したが、その江戸の非人頭は穢多頭によって統率されていたので、穢多は非人よりも偉かった?ことになる。


彼らの組織には「乞食の法度」と称される独自の規律があった。4か所で集団生活していた江戸の非人小屋には、ボスの非人頭の下に非人手下(「てか」と呼ぶ。やくざ映画などのテカはここから来たのだろう)がおり、さらにそのまわりには野非人からくりこまれたばかりの非人小屋居候がいた。

その非人居候には、元浪人や僧侶、職人、芸能者やライ病者、障碍者、さまざまな犯罪者たちがいた。17世紀にはキリシタンが流入し、文化11年1814年には岡山乞食(当地の非人組織名)の中から禁教の日蓮宗不受不施派の信者が多数摘発されている。

このような縦型の身分制度は、ひとり穢多非人集団のみならず、政党、官僚、私企業、町内会、軍隊、教職、宗教団体、監獄からホームレス集団にまで時代を超えて散見される。


♪おやびんのためなら滅私奉公 お国も王も喜んで裏切りますぜ 茫洋

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紙の本

ねえニザン、20歳がもっとも醜いときだなんて誰でも知ってるさ

10人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



ポール・ニザンは1905年トゥールに生まれ、独ソ不可侵条約に衝撃を受けて共産党を脱党した39年に召集され、翌40年にダンケルクから撤退の途中、不幸にも敵弾に当たって戦死した。享年35歳は奇しくもモーツアルト、正岡子規と同年である。

ニザンはサルトルと同様超エリート校、高等師範学校に進学したが、1926年、パリの腐敗堕落したブルジョワ生活に絶望して(あのアルチュール・ランボオも訪れた)イエメンの不毛の地アデンに逃走し、およそ1年間の滞在の後に本書を書きあげた。
出発の前年の20歳の時にはファシスズム運動に参加していたのに、アデンから帰還するとフランス共産党に入党するのだから、その間の思想的な振幅はかなり大きかったに違いない。

 「僕は20歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」
という冒頭の一句は昔から人口に膾炙する名文句として知られ、(私には「けっ、なんてキザであほなやつ!」としか思えなかったが)、なかにはそのロマネスクとリリシズムに感動してアデン、アラビアならぬアジア、アメリカ、ヨーロッパに旅して故国に帰らぬ若者までいたようだ。

しかしそれに続く文章はそれほど華麗なものではなく、むしろ苦渋に満ちたものだ。内容も若々しく真摯ではあっても独創的な思藻はほとんどなく、知識人によくある青春の悩みという程度の代物にすぎない。
しかし当時極度に消耗し、思想的大混乱のさなかで自己崩壊寸前に立ち至った著者が、旧世界の中で居場所を失なった己を立て直すために、思い切って遠いはるかな地平に投げ入れることを決意し、その空間移動と異郷体験によって己の心身がこうむった変化について沈着冷静に観察、報告していることだけは高く評価できよう。

遠い旅から帰還した若者の感想は、次のようなものだった。
「結局、僕のヨーロッパに対する考え方は出発前とちがうものになっていた。ヨーロッパは死んでなどいない。ベンガルボダイジュのようにあちこちに副次的な根を伸ばしているのだ。まずはこの株を攻撃しよう。この木の葉陰で、誰もが死ぬ」

 ♪ねえニザン20歳がもっとも醜いときだなんて誰でも知ってるさ 茫洋


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紙の本

紙の本帰郷者

2009/05/04 19:58

君はいったい何のためにこの数百ページを書いたの?

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



この小説には多くの人物が登場するが、そのうちの多くの者は長い旅行や召集されて出かけた戦争から帰国して懐かしい自宅の戸を叩くと、出迎えた妻の背後に見知らぬ男が怪訝な顔をして突っ立っているのだった。

すべては「帰郷者」という言葉に内在するイメージから発想されている。

トロイア戦争から帰郷したイタカの王オデュッセウスを迎えてくれた従順な妻ペネロペの傍らには、夫に代わる新しい男性はいなかったが、多くの求婚者たちを皆殺しにしたあと、オデュッセウスはいずこへともなく姿を消してしまう。

余儀なくされた放浪にせよ、自発的に選んだ逃避にせよ、男にはたえず所与の現実から離脱してどこかここではないどこかへと離脱したい希求に駆られるのではないだろうか。そして男がそうであればなおさら女も。

考えてみれば、漱石も鴎外も帰郷者の仲間であった。帰郷してみるとそこに冷酷無比な現実が待機していてその悲惨な現実を凝視しながらあたかも死体を埋葬するがごとく傷だらけの痩身を地中に生きながら葬ることが、彼らにとってのその後の生であった。

しかしそのような我が国における帰郷者の末路を察知していたがゆえに、かの四迷は放浪者としての運命を受け入れて勇躍北の国に旅立ち、その身は儚く南海の露と消えたが、その魂魄は未完の帰郷者として世界の海を永遠に彷徨っている。

この小説では、縦糸横糸実にいろいろな因果の物語が縫いこまれていて暇な読者をあの手この手で楽しませてくれるのだが、戦前はナチの伝道者、戦後はアメリカの構造主義的心理学者にして稀代のペテン師を父に持った主人公の帰郷は、幸いにも温かな抱擁で迎えられる。なかなかにおめでたき結末というべきであろう。

もとより渾身の力作と賞賛するにやぶさかではないが、しかし君はいったい何のためにこの数百ページを書いたの? 大汗かいての猿回しを終えて、ちっとは虚しくないのかい? ドイツ文学なのだから、もそっと高雅な趣があってもいいだろうに。

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紙の本

紙の本わりなき恋

2013/06/05 11:33

小説でも私事報告書でもないヌエのような得体のしれない迷文章

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

才色兼備の俳優でありエッセイストでもある著者が70歳を超えて年下の男性と大恋愛をして、その顛末を小説に書いたというふれこみの広告にだまされたふりをして早速読んでみましたが、まあこれはなんと申しましょうかあ、半分は小説で半分は驚きのプライバシイ、しかしてその実態は小説でも私事報告書でもないというヌエのような得体のしれない迷文章が出来あがってしまいやしたあ。

小説の中での主人公と私との区別がずぶずぶだし、ヒロインが恋に落ちた相手の男性の小説世界での存在感が最後まで不明確で、いったい彼のどこにどんな魅力があるのか恋に理なき私にはさっぱり分かりませんでした。

しかしこういう小説を書けば世間の話題にはなるでしょう。有名無名の若いタレントや芸能人が毎日のようにくっついたり離れたりしていますが、それはそれが彼らの商売であり営業政策だからやっているだけのことで、少し知恵のある映画俳優、まして多少まともな物書きなら、色恋沙汰は世間に隠れて楽しむのが筋ってえもんでしょう。

まして“老いらくの恋”ってえもんは多少はこっぱずかしいことでもあるからして、普通は黙って墓場の中までお持ち帰りになって、「おほほ、もう老い先短い人生なにもないかと思っていたら、思いもかけずにこんな素敵な人に巡り合えてよかったわね」なぞと思い出し笑いしながら成仏するてえのが世間の常識、女の嗜みとでもいうべきもんではないかと超保守派のわたくしなんぞはかたくなに愚考するわけなんでありやすが、どこでどうとち狂ったのかこの岸さん、顰蹙は買ってでもゼニにしたい?という料簡の編集者の口車に乗せられて、一流作家になったつもりでこんな本を書いちまった。やれやれ。

蛇足ながらこの題名は清少納言の祖父の清原深養父という歌人が詠んだ「心をぞわりなきものとおもひぬる 見るものから恋しかるべき」からとられたようで、こういうのはサスガ岸さん!と思わされたりもするのでした。

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紙の本

期待はずれの情けない一冊

7人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



河出書房新社から出ている池澤夏樹個人編集にかかる文学全集の短編集を読んでみましたが、その大半が私にはつまらないものばかりなので、池澤という人はこれらの作品のどこがどのように面白くてピックアップされたのか尋ねてみたいと思ったほどでした。

 しかし、全部駄目なぞという乱暴を言おうとしているのではありませぬ。

ノーベル賞作家、高行健の「母」は、功成り名をあげた作家が、海よりも深く、山よりも高い母親の恩義にいささかも報いることのなかったおのれの非道振りを鋭くえぐります。

作家はみずからの親不孝を、血涙を流しながら物語ります。

母親は遠い田舎で身罷り、息子はとうとうその死に目にも会えませんでした。しかしその冷酷で自己中な息子の態度は、私のそれの生き写しであり、他人事とは思えず読みながら亡き母を懐いて滂沱たりでした。

あとの19編から採るとすれば、金達寿の「朴達の裁判」、リチャード・ブローティガンの「サン・フランシスコYMCA讃歌」とお馴染みレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役に立つこと」くらいのものでしょうか。

まことに期待はずれの情けない一巻でありました。


読めども読めども滓ばかりこれがほんとの一巻の終わり 茫洋

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紙の本

「けして」「けして」と連発するのは、あまり趣味が良いとは言えませんね。

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著者は私のように粗放な脳味噌の持ち主と違って、おそらく非常に頭のいい人なのでしょう。華麗なレトリックを凝らした超絶的美文と該博な知識と教養を、これでもか、これでもか、とみせびらかすように駆使して、それでなくとも分かりにくい論旨を頭の悪い読者のために懇切丁寧に噛み砕くのではなく、もっともっと難解にして、さあどうだ。これでも食らえ。と投げてよこします。

―江藤淳と江國香織を対置した時、江國の方がはるかに森鴎外に近い。それは、意識された「ごっこ」が、欺瞞が、「現実」を作り出す、社会を、国家を、家族を仮構する事を知っているからに他ならない。(396p)

繰り返し読んでも理解できないのは私が無知蒙昧だからでしょうが、大げさなタイトルと内容もぴったり合致しているとはお世辞にも言えません。なんだか自分の才に酔いながら、人が分かろうが分かるまいが夜郎事大に書き飛ばしたのではないでしょうか。

才人才に溺れるとはよく言ったもので、普通に「決して」と書けばいいのに、変な恰好をつけて「けして」「けして」と連発するのも、あまり趣味が良いとは言えません。

ところでこの本の最後は、村上春樹の「1Q84」を巡る考察になっています。

いとけない娘をレイプしている教団の大幹部を葬るために青豆を駆使する謎の老婦人は、はたして正義の味方か、それとも悪事が生んだ新たな悪事の張本人なのか? 

「眼には眼を、歯には歯を」。
国家権力による法と秩序を無視して、あるいは自覚的に逸脱して、私憤を疑似的な公憤に擦り変えた彼女は、共同体からの処罰と自裁を覚悟の上で個人テロルの「暴挙」に訴えます。

しかしテロルはテロルを生み、復讐は復讐、殺戮は殺戮の果てしない連鎖を生みだすことでしょう。かつての米ソ、アラブとイスラエル、そしてちょうどいま尖閣諸島をめぐって日中両国が報復のいたちごっこ合戦に突入したように。

「眼には眼を、歯には歯を」の論理をうべなう限り、この連鎖のひと組には合法的な必然性があるので、それらの鎖を任意の1点で切断することはおそらく当事者同士には不可能です。この連関を断ち切るためには、双方が矛を収めて放恣な自己主張を取り下げ、双方が承認する権威ある公的機関の裁決に身をゆだねる決意とある種の自己放棄が必要です。

さもなければ双方の共同体の命運を賭けた対決、戦争あるのみ。その勝敗が善悪を超越した、超法規的な解決をもたらすことでしょう。


戦争か平和か。
しかしそうは簡単に問屋は卸さない。個人も国家も相変わらず「眼には眼を、歯には歯を」と呼号し、その通りを実行しているのです。

ひとつの悪は復讐を生み、その復讐がまた別の悪を呼んでいる。
己が信じる正義を貫徹しようとしたはずなのに、貫徹の最後の瞬間に、正義が不正に、善が悪に転化する。おそらく人はこの究極のパラドクスに突き当たった時に、あえておのれを放擲し、犠牲にして、人知を超えた大いなる意思に殉じようとするのではないでしょうか。



太郎病んで尖閣諸島に月が出る 茫洋

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