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あまでうすさんのレビュー一覧

投稿者:あまでうす

390 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本ふしぎなキリスト教

2012/01/04 13:47

西洋文明の中核を貫くキリスト教の本質について考察する

26人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



私の家はなぜかプロテスタントであったから、幼いころから教会に通わされて牧師の説教を聞いたり讃美歌を歌わせられたりしたものだ。それで長じてからも大略キリスト教についてはわかったような気がしていたのだが、本書を読んでんなものは一知半解の胡乱な代物であったとはじめてわかった。

新約聖書ではマタイ・マコ・ルカの共観福音書がメインであると勝手にかんがえていたのだが、その中ではマルコ伝の記述がいっとう古くて、それをもとにマタイ伝とルカ伝が書かれたとか、それに先立って決定的に重要なのはパウロによるローマ人やコロント人などへの書簡で、有名な十二人の使徒でもなく、生前のイエスに会ったこともなく、キリスト教徒を弾圧していたこのローマ在住トルコ生まれのごりごりのユダヤ教徒徒が突如イエスは救世主であったと称してその要点をレポートしたのがこの新興宗教のはじまりであり、その後であわててイエスの思い出話をかき集めたのが福音書だった、とは知らなんだ。いくつになっても恥はかくものです。

私自身はげんざいは汎神論的な無神論者であり、とりわけイスラム教やユダヤ教やキリスト教などの一神教にたいしてまったく好意を抱けないのだが、それにしても古代オリエントの砂漠地帯に出没した教義すらない超ローカルな宗教が、いつのまにやら巨大な世界宗教になりあがったことが不思議でならない。

人だか神だかよく分からないイエス・キリストという人物には興味があるが、神とキリストと精霊が3にして1であるという不可解な「三位一体」説だとか、聖書にはでてこないのに市民権をえた「煉獄」の世界、教祖パウロの後継者と称する抜け穴だらけのローマ法王庁だとか、多くの反対者を異端として弾圧する公会議というのも不条理な存在ではある。

しかしいかに怪しい宗教団体であろうとも、それが西欧世界の社会的文化的中心にあって人類の発展と進歩に絶対的な影響をもたらしてきたことも事実であるから、その正体を追及するこころみもあながち無駄ではない。
というわけで、そもそもキリスト教とは何か? イエス・キリストとは何者か? について二人の論客が縦横に質疑応答しながら論じた後で、西洋文明の中核を貫くキリスト教の本質について考察する本書は、きわめて時議を時宜を得たハンドブックといえるだろう。

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紙の本

どんな拍手と喝采にも満足することができなかった不幸で孤独な男の実像と虚像

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。




 クライバーといえば、私はすぐに80年代の渋谷の坂上のシスコというCD屋さんを思い出します。ある日のこと、一人のサラリーマンの男性が「クラーバーのCDありませんか?」と店長に尋ねていました。

なんでも出張先のミュンヘンで、生まれてはじめてクラシックのコンサートに行ったらそれがあまりにも素晴らしかったので、「クラーバーとかいう指揮者のCD」を買いに来たというのです。
私と店長は思わずためいきをついて、その男性の幸運と、クラシックの門外漢をたちまち虜にしてしまうこの音楽家の真価を、改めて確認したことでした。

かくいう私は、残念ながらカルロス・クライバーのライブを見聞きしたことはありません。けれども、彼が遺した2種類のシュトラウスの「薔薇の騎士」、もう一人のシュトラウスの喜歌劇「こうもり」、ロイヤル・コンセルトヘボウと入れたベートーヴェンの交響曲の4番と7番、バイエルン国立の「椿姫」、モーツアルトとブラームスの交響曲、シュターツカペレ・ドレスデンと入れたウエバーの「魔弾の射手」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、スカラ座の「オテロ」などのCDやビデオから受けた驚きと感動は、凡庸な凡百の指揮者のそれとはまったく次元の異なる種類のものでした。

また彼が、若き日に南西ドイツ放送交響楽団と作った「こうもり」と「魔弾の射手」の2つの序曲の公開練習のビデオのすごかったこと! ここには彼の光彩陸離とした指揮術の魔法の秘密のすべてが、をものの見事に記録されています。

彼の音楽の素晴らしさは、「こうもり」の序曲の最初の終楽章を聞けば、どんなロバの耳にも明らかでしょう。指揮棒を一閃するや否や、シャンパンがはじけたように一気に解き放たれる恐るべき昂揚と爆発的な推進力。私たちの心臓は音楽の神様にわしづかみされ、魂魄は宇宙の彼方にぶっ飛ばされてしまいます。

「これが音楽なんだ。これが生きるよろこびなのだ。神様仏様、どうかこの音楽と共にある自分が永久に続くように!」
と私たちが祈らずにはいられない種類の音楽を、この男は、いなこの男だけが、ものの見事にやってのけたのです。もちろんその命を賭した大胆な跳躍が、あえなく潰えた無惨な夜も、いくたびかはあったとはいえ。

げにカルロス・クライバーこそは、音楽に霊感を吹き込み、私たちの人生を震撼させるほとんど唯一無二の音楽家でした。

♪エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」 茫洋


さて、その渋谷で思い出しましたが、カルロス・クライバーはよくお忍びで日本に来ていました。東京では渋谷のタワーレコードがお気に入りで、店員さんの話では、アメリカのBEL CANTO SOCIETYから発売されていた、彼がスカラ座のオケを振ってドミンゴ、フレーニが歌った「オテロ」の海賊盤のライブビデオを、なんと3本も買っていったそうです。

この公演は、私などはじつに素晴らしい演奏だと思うのですが、1976年12月7日の夜のミラノの聴衆は、そうは思わなかったとみえて猛烈な「ブー!」を浴びせかけ、2幕の冒頭では、さすがのクライバーも指揮棒を振りおろすのをためらうシーンもあります。

しかし4幕が終わってオテロが死ぬと、スカラ座の屋台骨を揺るがすような大歓声が沸き起こり、全盛時代のクライバーは、悪意ある3階立ち見席の敵対者を完膚無きまでにねじり伏せるのです。

その天才指揮者の微に入り細にわたる伝記が、半分だけですが、ついに公刊されました。
著者のヴェルナーさんがどういう方かは存じませんが、ともかく資料と取材源の豊富さには圧倒されます。

そして、いつもは誰にも優しく、しかしいったん指揮台に上るや別人に変身し、ある時は神のごとく地上を支配し、またある時は悪魔のように怒り狂い、再現芸術の演奏に求められる最高の知性と教養と技術と霊感をそなえながら、音楽に対する理想が誰よりも高すぎたために、どんな拍手と喝采にも満足することができなかった、この不幸で、孤独な男の実像と虚像が赤裸々に描かれています。

本書が扱うのは彼の無名時代から、1976年ついにスターダムの頂点に達しながらバイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」から突然降りところまで。偉大なる指揮者であった父エーリヒや母ルースとの葛藤はじつに興味深いものがあります。

聞けば彼は、その長い下積み時代に、オペレッタ「ジプシー男爵」や「美しいエレーヌ」「メリーウイドー」、「ダフネ」「売られた花嫁」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「リゴレット」「ドンジョバンニ」などの膨大なオペラ、「ウンディーネ」「コッペリア」「三角帽子」「くるみ割り人形」などのバレエ音楽を、すでに自家薬籠中のものとしていたそうです。

これらのレパートリーと合わせて、アルベン・バルクの「ヴォツエック」、ミケランジェリと共演したベートーヴェンの「皇帝」などの録音も、とうとうゆめ幻と消え去り、ついに音源化されることのなかったことを思うと、私たちが失ったものの大きさに今更ながら深いため息が出るのです。


♪よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ! 茫洋

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紙の本

若き学徒のたゆまぬ精進が豊かに報われた記念碑的な鎌倉史

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



 まったくなんの期待もなく読み始めた本なのに、これはびっくり驚いた。「吾妻鏡の舞台と主役たち」という副題がついた本書で、著者は、鎌倉とそこに生きた人々の生活と歴史を根本的に見直し、いくつもの目覚ましい成果を上げています。

 例えば当時の御家人たちがどこに居住していたかという問題。私は三浦、北条、小山、安達、宇都宮、千葉、和田など頼朝恩顧の宿老や一族の大半がずーっと「在鎌倉」であったとなんとなく考えていたのですが、本書によればそれはとんでもないことで、彼らの多くがその本貫地と鎌倉をその必要に応じて行き来しており、「いざ鎌倉」以外の時は年中無人の宿舎や館を他人に貸したりしていたそうです。また御家人に3人兄弟がいる場合には、在国と在京と在鎌倉で住み分けたりしていたというので驚かされました。

 もっと驚いたことは、長年にわたって私が市内をうろつきながらてんで解明できなかった北条一族の邸宅や御所の位置が、これまで私が鼻歌をうたいながら読み飛ばしてきた「吾妻鏡」の深読みを手掛かりに、まるでクロスワードパズルを解くようにものの見事に特定されていることでした。

 現在の宝戒寺一帯が北条氏最後の執権高時の邸宅であるばかりか、北条義時、時房、時頼邸でもあったこと、また小町大路をはさんだその西隣が北条泰時、経時、重時邸および御所であった(現在の吉田秀和邸!)とは露知らぬことでありました。
 
 義時、政子を相次いで喪った泰時は未曾有の政治的危機のさなかにあったわけですが、そのとき泰時は、電光石火の早業で「掌中の玉」である三寅を自邸近くに引っ越しさせると同時に、四大将軍に就任させ、次の段階では突貫工事で宇都宮辻子の新御所を完成、将軍と執権の一体化を果たしておのが権力をはじめて不動のものとしたわけですが、著者はこの薄氷を踏むような一連のプロセスを、これまた「吾妻鏡」の精読と鋭い考証によって見事に跡付けしています。

 さらに「鎌倉にはどうして寺院が多いのか?」と自らに問うた著者は、1)北条氏が先祖が住んでいた邸宅をその死後次々にお寺にしていった(建長寺、浄智寺、東慶寺など)、2)「東六浦、南小坪、西稲村、北山内」の鎌倉の四つの境界にそれぞれ巨大なランドマークを築こうとした。(大佛、極楽寺、大慈寺など)3)敵味方なく鎮魂する平和思想のあらわれ(円覚寺、勝長寿院、永福寺、宝戒寺など)とみて、まことに説得力のある回答をみずから引き出しているのです。

 この本は、1994年以来16年間にわたって鎌倉の遺跡発掘作業に従事し、「汗と土と泥と時折のビールにまみれた」若き学徒のたゆまぬ精進が、豊かに報われた記念碑的な鎌倉研究書といえるでしょう。



横山のフクちゃん宅の桜の宴プールに飛び込みしは赤塚不二夫 茫洋

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紙の本

紙の本天狗争乱

2009/09/30 17:45

当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まだあと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。

徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。

激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。

しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。



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紙の本

紙の本いまも、君を想う

2010/07/13 21:42

心打つ亡き妻への思慕

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


57歳で逝った妻を悼む鎮魂の書です。

著者の7歳年下の川本恵子さんは服飾評論家として知られていましたが、突然食道がんを患い、大手術の甲斐もなく次第に弱ってしまいとうとうラーメンを食べることすらできなくなります。

「再々入院の日 帰って来れるかなという妻を抱く」(p143)

文芸・映画評論の売れっ子の著者は、ほとんどの仕事を断って、病院と自宅を行き来しながら3年間にわたって最愛の妻を看護するのですが、万策尽き果て2008年の梅雨の日に、お茶の水の順天堂医大で早すぎる死を迎えることになってしまうのです。

思いもかけない災厄に動揺しながらも、著者は本書の中で、美しく、怜悧で、快活で、いつも自分を励ましてくれた生涯唯一無二の伴侶との30余年の思い出を、淡々と書き連ねていくのですが、その日々の思い出が楽しく、その筆致が冷静であればあるほど、著者の悲しみと痛手の大きさと重さがうかがい知られ、読者の心を鋭くえぐるのです。

著者の不遇の時に「真昼の決闘」の新妻グレイス・ケリーのように夫を助けてくれた妻、「匿名で人の悪口を書くなんて丸腰の相手を撃つのと同じことよ」と非難した妻。(その結果、著者は気に入った映画のことしか書かなくなる。私とは大違いだと反省反省)

そんな妻の意を汲んで、著者は「静かな葬儀」を行うことを決意します。一日にひとつだけの葬儀を行う小さな斎場を選び、通夜の酒を出さず、香典と弔電の披露を辞退し、2人の親しい先輩と友人の弔辞とお経と焼香だけの簡素な葬式を、実行したそうですが、私たちはそこにも著者の亡き人への大いなる愛を実感することができるでしょう。

この感動的な思い出の記を読んで、私などには及びもつかない故人への献身と真心に打たれましたが、できれば愛する人よりも先に姿を消したいとも思ったことでした。


なにゆえによきひとさきにゆくならむむらさきいろのあじさいさくひに 茫洋

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紙の本

紙の本日本文藝史 別巻 2巻セット

2009/11/09 17:59

西洋・東洋の歴史的伝統に立って独自の世界文学観を初めて構築

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



理数系の学問と違って、私たちが日本文学を研究する際に、「何を対象にして、どのようにその研究を進めるのか」という問題はなかなかに難しく、明治以来幾星霜を経たわが国の国文学界においても、いまだに明確にされていないといっても過言ではないようです。

顧みれば我が国では文学の実証的・文献学的考証は盛んに行われてきて一定の評価をあげてはきたものの、歴史や社会的要因と区別された「文学自体の内在的な価値の研究」はなおざりにされてきました。

この880頁に及ぶ書物は、物理や数学の世界では古くから採用されている科学的な理論と手法を用いた文芸、文学の研究というものが、どうしてこれほど我が国では遅れてしまったのか、またそれを早急に確立するためにはどうしたらよいか、という課題をめぐって、「雅」と「俗」と「雅俗」の3つのカテゴリーで鮮やかに我が国の文学史をぶった斬ってみせた大著「日本文藝史」を著した国文学の泰斗が、最晩年に取り組み、ついに未完に終わった壮大な知的営為の総決算であると申せましょう。

著者は国文学のみならず広く古今東西の哲学や人文諸科学、物理、化学、数学などの歴史的文献や欧米諸科学を主導した研究者の代表的な管見を自由自在に引用、敷衍、解釈しながらあちこち道草を楽しみ、悠揚迫らずこの大きな課題に挑んでいます。

たとえば著者は、なぜ優れた芸術作品が私たちを深く感動させるのかという問いについてドイツの哲学者ハイデガーの1934年から36年頃の学説を縷々紐解いたあとで次のように解説しています。

1)日常的な次元では「隠れ」でしかない存在自体が、本来的な次元では、「隠れなさ」としての「真」であること。2)その「真」を正確に表現ないし理会するのが芸術的な「美」となること、3)そうした「真」や「美」に至るために日常次元からいっての「手荒さ」が不可欠なこと。(ハイデガーの講演「ヘルダーリンと詩の本質」参照)
つまり「隠れなさ」としての「真」を形象の中に確立することが芸術の本質で、それが達成されていないものが非芸術であり、その確率の度合いが低いものが浅薄な大衆文芸であるということになります。

しかし本書に登場するのは、ハイデガーだけではありません。プラトン、デカルト、カント、デユルタイ、フッサール、フロイト、ニュートン、リルケ、ゲーテ、世阿弥、芭蕉、西田幾太郎、朝永振一郎、シュライアマハー、インガルンデン、ガダマー、フライ、バシュラール、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、ゲーデルなどの思索とその達成が次々に呼び出され、たとえば物理学における相対性原理や量子力学論、数学における不完全性定理の登場とニュー・クリティシズムにおける多元性・不確定性の創案が共時的に論じられるくだりではなにがなしに(こんな時こそ「ナニゲニ」というのでしょうか?)知的興奮を禁じ得ません。

英米仏独などの重厚な西欧思想に加えて江戸期以前の本邦固有の文化思想および中国、インドなど東洋の歴史的伝統を広く渉猟しながら独自の世界文学観を手中に収めたかにみえる著者がもっとも高く評価した思想家、それはほかならぬ「意識と本質」の著者井筒俊彦でした。

東洋的伝統の最高最良の理解者・継承者である2人の偉大な思想家が並び立つ本書の掉尾に、静かな感動をおぼえない読者はいないでしょう。



♪束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一 茫洋

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紙の本

かつて日本語で書かれたもっとも魅力的なロマンのひとつ

14人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本を読み終わったあと、自転車に乗って涼しい風の吹く外に出てみました。梅雨に入ったばかりの夜空はとっぷりと暮れ深い藍色に染まっています。私は小説に何度も出てくる2つの月、大きな黄色い月と小さな緑の月を探しましたが見つかりませんでした。

白い道だけがほのかに浮かぶ真っ暗な森の道に乗り入れると、今夜もホタルが舞っていました。雌雄2匹が2個所で対になって、銀色の光を点滅させながらお互いに追尾しあって、ふわりふわりと円弧を描きます。私は思わずこの4匹は、小説の主人公ふかえりと天吾、青豆と天吾の2つのカップルの生まれ変わりではないかと思いました。

一瞬行方をくらませたホタルが黒い木陰を抜け出して空の高みに駆け上ると、そこで待ち受けていたのは鈍い銀色の光に輝く北斗七星の7つの星々でした。ホタルは空の星と混ざり合って、「あ、見えなくなった」と思ったら、もうどれがどれだか分らなくなってしまいました。無限大ほどのギャップがあるのに、同じ平面に鏤められた銀色の輝きがフラットに均一化されてしまう。そんな視覚的経験は初めてでしたが、ホタルと星は、この小説で繰り返し説かれている実際の1984年と幻視の中に実在している1Q84年の関係にとてもよく似ているような気がしました。

実際の1984年はすでに私たちが通過してきたはずの歴史的年度ですが、あますところなく経験され、生きつくされたはずの1984年には、しかし同時代の誰も知らなかった時空を超越した異次元の世界1Q84年に通じる幾つもの裂け目があり、そこには人類の平和や心の平安を脅かそうと企んでいる悪意の主リトル・ピープルたちが潜んでいます。

リトル・ピープルが支配する新興宗教団体の魔手から逃げ出してきた17歳の美少女ふかえりの体験をリライトした小説家の卵、天吾は、自らが描いた小説「空気さなぎ」の世界の内部にいつのまにか取り込まれ、天語の永遠の恋人である青豆と同様、「反世界」の地獄の底へと転落してゆきます。

スリルとサスペンス、ホラーとファンタジー、オペレッタとフィルム・ノワールを混淆させた作者の円熟した語り口は、それ自体が音楽性と朗読性に富み、この小説で引用されるヤナーチエックの「シンフォニエッタ」の譜面に勝るとも劣らぬ音楽的な演奏そのものであるといってもよいでしょう。よしやバッハの「マタイ受難曲」の深い思想性に欠けるとしても、この小説がかつて日本語で書かれたもっとも魅力的なロマンのひとつであることは間違いないでしょう。久しぶりに読書の快楽、物語の醍醐味を堪能できた1冊、いや2冊でした。


今宵また新たな呪文をわれに告げ北斗の星と輝く蛍 茫洋

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紙の本

紙の本中学生の満州敗戦日記

2009/03/03 22:26

「これだけは次の世代に伝えたい」という熱い思いがたぎる入魂の一冊

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

異様な妄想に駆られたわが国の軍人たちが、赤の他人の国にでっちあげた奇妙な植民地、満州。1931年生まれの著者は、国民中学生として家族とともに敗戦1年後までの9年間をこの奇妙な植民地第3の都市ハルビンで過ごした。

総面積およそ130万平方キロで現在の日本の3.4倍、仏独伊を合わせた面積よりも広いこの王道楽土の大帝国は、関東軍の陰謀によってわずか半年間で誕生し、たった13年で崩壊した。

人口3000万の満州を、たった20数万人の日本人が支配できたのは、ひとえに関東軍の武力があったからだ。満州事変(宣戦布告すると中立国からの軍需資材の輸入がのぞめなくなるから、戦争ではなく事変と命名した)における死傷者は1199人だったから、日露戦争のわずか100分の1の犠牲者で、日本は満州全土を手に入れたことになる。

敗戦2か月前、学徒勤労令によって満洲の奥地にある王栄開拓団に派遣されていた中学3年生の著者は、1945年8月9日、ソ連侵攻の急報を受けて命からがらハルビンに帰還する。そこで見たものは中国人の白昼堂々の略奪と、われらが精鋭関東軍の鮮やかな遁走という悪夢だった。

ソ連の満州侵攻は寝耳に水だったが、じつは関東軍は、開拓団や一般市民を「棄民」して満州防衛から朝鮮防衛に作戦を切り替えることは敗戦の3か月も前から決めていたのだった。

やがてソ連軍がハルビンに進駐してくると、著者の周囲では暴行、襲撃、略奪、集団自決が相次ぎ、父は「いざという時のために」家族全員に青酸カリを渡す。そして次々に襲いかかる生命の危機と苦難に満ちた屈辱の日々がはじまる……

病気で寝ていた父は中国人の警官に連行され、ハルビンから約200キロ東南にある牡丹江の収容所に入れられ、九死に一生を得たものの、この時の無理がたたって舞鶴に引き揚げて三年後に五〇歳で世を去る。

また髪の毛を切って少年を装っていた姉は、突然侵入してきたソ連兵にマンドリン銃を突きつけられる。
「その時だった。母が飛び出して銃口の前に立ちふさがり、『まだ子供だから何もしないで!』とロシア語で叫んだ。小柄な母が仁王になった」……

我々の優秀な先輩たち、私やあなたの賢明にして愚かな祖父や父親たちが引き起こした未曾有の国家的災厄が、植民地に生きる平凡な一家族の身の上に突如嵐のように襲いかかり、日々の平安が根底から根こぎにされていくありさまが、一人の少年の汚れなき瞳にくっきりと映じる。

その描写はあくまでも冷静に抑制され、歴史的な事実が淡々と述べられていることが、かえって私たちの胸を打つのだが、同時に、「それらの惨劇がそもそもなぜ、どのようにして引き起こされたのか?」という鋭い問いかけも忘れられてはいない。「これだけは後世に語り遺しておきたい」という著者の熱い想いがひたひたと伝わってくるのである。

「一度目のあやまち」を故意に忘却しようとし、「二度目のあやまち」を犯そうとする日が急速に近づきつつある今日この頃、平成の大瓦壊期に棲息するすべての国民にとっての必読の書であろう。

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紙の本

つつがなく全14巻の大尾を全うすることができますように!

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



岩波文庫からプルーストの「失われた時を求めて」の全訳が出始めたので読んでみた。第1編「スワン家のほうへ」の第1部「コンブレー」が収められたその第1分冊である。

私は以前井上究一郎氏の旧訳でこれを読み、とても面白かった。眠れないままにかつて横たわったすべてのベッドやそこをよぎったすべての想念を思い出そうとする主人公はまことに親しい存在と感じられたし、マドレーヌに浸された紅茶の味から心中に湧きおこる過去の思い出、思いがけない場所から様々な姿を見せる教会の鐘楼、むせぶような薔薇色のサンザシの芳香、カシスの葉に放たれ生まれて初めての一筋の精液、そして一瞥しただけで美しい少女ジルベルトへの恋に陥る少年の感じやすい心が我がことのように思われたからである。

多くの読者がプルースト特有の長すぎるセンテンスに辟易して読書を放棄するようだが、それはじつにもったいないことだ。なぜなら「失われた時を求めて」は読めば読むほど下世話な意味でもおもしろくなり、失われた時も空間も当初の茫漠なありようから一転してリアルな像を結ぶようになり、最終巻を閉じる際には誰しも異様なぶんがく的感銘に圧倒されること請け合いだからだ。

吉川氏の訳は井上訳の文学的曖昧模糊とした香気には多少欠けるが、その代わりに語学的・史実的な正確さと現代感覚が読む者の理解を大いに助けてくれる。願わくばこの平成の大事業がつつがなく全14巻の大尾を全うすることができますように。

森既に黒けれど空まだ青しわれら日のあるうちに遠く歩まん

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紙の本

紙の本彰義隊

2009/10/04 19:15

天皇になるか天下のお尋ね者になるかは紙一重

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



徳川幕府に最後まで忠誠を誓い、上野の森に立てこもって薩長の朝廷軍と戦った彰義隊は新撰組と並んで江戸が最期に咲かせたささやかな玉砕の2輪の華でしょう。

しかし著者がこの本で精細に描いているのは、その彰義隊本体ではなくて、彼らの精神的支柱と仰がれ、後に奥羽列藩同盟の盟主に担ぎあげられた寛永寺門主の輪王寺宮の波乱に満ちた生涯の軌跡です。

輪王寺宮は名は能久、法名を公現と称し、弘化4年1847年伏見宮邦家親王の第9子として生まれ、12歳で勅命により輪王寺宮を襲名し、元治元年1864年には親王の位の第1位をさずけられて天台宗の最高責任者として比叡山、東叡山、日光の3山を管領するようになりました。

輪王寺宮は慶応4年1867年1月の戊辰戦争で敗北した一橋慶喜の一命を救助しようとして箱根を下り、朝廷軍の東征大総督であった有栖川宮の慈悲を乞うたのですが、にべもなく拒否されてしまいます。有栖川宮は自分の婚約者であった和宮を奪った徳川家を憎み、その一族である慶喜に味方する輪王寺宮に冷酷に対応したのです。

同じ皇族のよしみを心頼みとし、交渉に楽観的であった輪王寺宮の自負と矜持はむざんに打ち砕かれ、あまつさえ有栖川宮率いる官軍は彰義隊を討伐すると称してなんの断りもなく輪王寺宮が居住する寛永寺を砲撃します。

この時のトラウマが彼の運命を一変させてしまいました。朝廷を代表する一員であり、明治天皇の伯父でありながら、輪王寺宮は有栖川宮への敵意と対抗意識から官軍に反旗を翻し、賊軍である幕府の側に立つのです。

しかし東北雄藩の奮戦むなしく奥羽列藩同盟はあっという間に崩壊し、輪王寺宮はまたしても一敗地にまみれてしまいます。朝廷軍に降伏して京に呼び戻された輪王寺宮は、東征のみならず佐賀の乱や西南戦争の鎮圧にも勲功をあげた有栖川宮に激しいライバル意識をいだき、兄の小松宮の力を借りてドイツに留学して軍事技術を修得し、勃発したばかりの日清戦争に従軍して国恩に報いようと望んだのですが、その切なる願いを握りつぶしたまま宿敵の有栖川宮は61歳で逝去してしまいます。

けれども明治23年5月、ついに宿願が果たされる日が到来しました。兄の小松宮によって近衛師団長に任じられた輪王寺宮は、清国と通じた台湾の不穏な動きを鎮圧することを命じられたのです。かつての朝敵としての汚名をそそごうと勇躍した輪王寺宮は、兵士の先頭に立って清国軍と激戦を繰り広げたのですが、ちょうどその頃台湾で大流行していたマラリアに感染し、同年10月28日48歳で病没しました。

もしかすると明治天皇に代わって天皇になっていたかもしれない一人の男が高僧となり、反乱軍の長となり、天下の朝敵となり、ついには大日本帝国の軍人として異国の地に斃れる。著者はその波乱万丈の生涯と彼を最後まで突き動かした強烈な心的機制を慈愛の目で丁寧に描きつくしています。

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紙の本

紙の本小説作法ABC

2009/05/02 17:17

もしかすると本書を読んで作家になる人が出てくるかもしれない

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島田雅彦著「小説作法ABC」を読んで


法政大学における著者の講義を録音・加筆・編集して誕生したのが本書だそうです。じつは私は、最初こいつは世間によくある中身の薄い即席マニュアル本か、とたかをくくって読みはじめたのですが、最後の「私が小説を書く理由」のところに差し掛かると、珍しくもきちんと正座して「島田よくも書いたり!」と感嘆しながら拝読させていただいた次第です。

読み終えての感想は、これは最近新聞連載が終わった彼の大作「徒然王子」に勝るとも劣らぬ本気の作品ではなかろうか、ということでした。この本は、これまで作家が営々と蓄積してきた豊かな経験と該博な知識と教養、そして知情意のすべてを投入した見事な現代文学論であり、著者は、「風変わりな人生論」という側面をあわせ持つ本格的な小説制作の技術書兼プロ作家養成用の教科書を堂々と完成させたのです。

「小説家は死ぬまでおのが脳と肉体を実験台にして、愚行を重ね、本能や感情や論理の分析を行うアスリートである」と語る著者は、本書を全国の大学、高校、カルチャーセンターなどでテキストにしてほしいと「あとがき」で書いていますが、谷崎潤一郎の「春琴抄」の恐怖の失明シーンをはじめ、随所に続々登場する古今東西の文芸作品の引用文を味読するだけでも十分に私たちの文学趣味を満足させてくれる内容をもっています。

著者はまず第一講でいきなり文学を、神話、叙事詩、ロマンス、小説、百科全書的作品、風刺、告白の七種類に分類し、それらの代表選手としてそれぞれ「スターウオーズ」、「家なき子」、「ドラクエ」、「ドン・キホーテ」、「白鯨」、「ガリヴァ旅行記」「私小説」を挙げて私たちに軽いジャブを浴びせます。

それからおもむろに第二講で「小説の構成法」を論じ、以下「小説でなにを書くのか」「語り手の設定」「対話の技法」「小説におけるトポロジー」「描写/速度/比喩」「小説内を流れる時間」「日本語で書くということ」「創作意欲が由来するところ」までの全一〇講をよどみなく語り来たり、語り去るのです。

私はこれまで文学や小説作法を学校で教えることなど到底不可能だと決めてかかっていたのですが、もしかすると本書を読んで作家になる人が出てくるかもしれない、と思うようになりました。

そして最後の最後に著者が、
「作家は(村上春樹のように)幸福の追及に向かうか、(笙野頼子のように)夢の荒唐無稽と向き合うか、それが問題です。前者は妥協の反復を、後者は戦いの反復を強いられます」と述べ、
「しかし優れた作家たちは果敢に夢の荒唐無稽に向き合い、自分を縛る象徴システムを壊すような作品を書き続けるでしょう。その覚悟ができたら、果敢に自分の無意識の底まで下りていきましょう。そして、おのが欲望、本能を解放するのです」
と、自分自身を激しくアジテーションするとき、私は久しぶりに文学者の真骨頂に接したという熱い充足感を覚え、叶うことなら著者と共に私たちの文学の未来を信じたいと思ったことでした。

余談ながら、かつて私はたった一回だけですが、著者に仕事でインタビューしたことがあります。そのとき彼は、私が最初の質問を発する前にビールを注文し、そいつをいかにもうまそうに喉を鳴らしてごくりと一口飲んでから、「すみません、いつもインタビューを受けるときは必ずビールを飲むことにしているんです」と言いましたので、私はボードレールの「巴里の憂欝」の中に出てくるあの有名な詩を思い出しました。

『君はつねに酔っていなければならぬ。それが君のゆいいつの大事な問題だ。酔い給え。酒に、詩に、美徳に、その他何にでも。時の重さにくたばらないために……。』(拙訳)

島田雅彦は、その人生の重大事をよく心得えつつ、最長不倒距離を目指して疾駆しているあの指揮者ロリン・マゼールを想起させる超クレバーな作家と言えるでしょう。そのクレバーさが彼の芸術のゆいいつの欠点であるとはいえ。


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紙の本

紙の本「悪」と戦う

2010/07/24 14:05

普遍的な人倫小説の平成新装版

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どうやら作者にはいわゆる「発達障碍」の子どもが身内に居るようで、その切実な個人的な体験が、偉大な「ドンキホーテ」を想起させるこの気宇壮大な哲学的ファンタジー小説を生みだしたことは間違いないようです。

作者自身を思わせる父親には3歳のランちゃんと1歳半のキイちゃんという2人の男の子がいるのですが、このキイちゃんの言葉の発達が遅れているので父親はとうぜん心配するわけですが、母親はおおように構えている。

しかし不思議なことに、ろくに言葉を発しないキイちゃんの意思を、ランちゃんだけは的確に読み取り、いわば「親をしのぐ介護者」として叡智に満ちた大人のようにふるまうのですが、ある日彼らの前に超絶的な魅力を持った少女が登場するところからこの小説の発熱と激動がはじまります。

じつはこの少女は顔容のみ奇形ですが、他の部位はまるでモデルのように非の打ちどころのない完璧な美形なのです。生まれながらに天から授かったこの悲劇に耐えてきたミアちゃんの母親は、公演の片隅で「わたしは「悪」と戦っているのです」と父親に囁く。ここまでが本作の見事なプロローグです。

ここで彼女がターゲットにしている「悪」とは、障碍という不公平を地上にばらまいた天とその障碍をネタに迫害する世間の双方です。彼女と娘のミアちゃんには彼らがこうむった不当な悪に対して抗議し、反抗し、もしかするとその正当な復讐を要求し実行する権利があるのかもしれません。

しかし彼女は、天と世間への怨嗟や異議申し立てを健気にも押し隠し、正体不明の巨悪にやむを得ず立ち向かわざるを得ない自分の孤立無援の思想を、あたかもチャイコフスキーの6番目の交響曲の最終楽章のように奏しているようです。

物語はさらに進み、作者は世界中のいたるところに、この世界とこの世界に住む人間たちの「悪」を発見します。世界も世界の創造者も、それ自体が善悪を超越した存在であるために、ミアちゃんのような犠牲者は次々に生まれ、世界の住人たちも負けじと数知れぬ犯罪を引き起こし、その悪の連鎖が、またしても無数の悪と敵意と復讐の数々を生みだしているのです。

これらの諸悪を必罰懲戒せんとする正義の味方・善玉ボスから強いられて、なぜか悪玉暗殺者になってしまったランちゃんのところには、これまで人類のせいで惨殺されたシロクマやゾウたちまでもが、「千人一殺」(責任者全員ではなく任意の誰かだけを殺害すること)の復讐を要求して詰めかけます。

たった3歳の男の子が、世界を破壊しようとする悪意の持ち主を、みずからの判断で見ぬき、サイレンサーでプシュッと消さなければ、これまで世界中の善意の人たちがかろうじて守ってきた平和と秩序が決定的に破壊されるという極限状態は、どこかカフカの「世界と君との戦では、君はどちらを支援するか?」という名高い設問を想起させます。

いまや悪の象徴と化した最愛のミアちゃんを、わが幼いヒーローは果たして自分の手で消せるのか? それにしても、いったいなにが悪でなにが善なのか? 悪にも正義があるように、善にも不正があるのではないだろうか? ほんとうの幸せはどこにあるのだろうか? 

かつてドストエフスキーが問い、宮沢賢治が問うたこの難問に、今一度われらが高橋源ちゃんも鋭く問いかける。これは古くて新しい普遍的な人倫小説の平成新装版と言えましょう。


世界と私との戦いではおそらく私は息子の側に立つだろう 茫洋

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紙の本

紙の本水死

2010/02/20 16:31

「遅れてきた老年」大江健三郎の最高傑作

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久しぶりにノーベル賞作家の最新作を読みましたら、これが案に相違してとても面白く読み応えがあったのでびっくりしました。

はじめは例によって下世話な私小説風なので、やれやれまたですかとあくびなどをしていたのですが、次第に作者の巧みなストーリーテリングと推理小説のように緻密に考え抜かれた重層的なプロットの罠にはまり、終盤の息が詰まるような展開と思いがけないラストに大きな衝撃を受け、ああこれが小説を読む醍醐味なのだ、という深いカタルシスを味わうことができました。

この小説は3つの位相が組み合わさって構築されています。

まずいちばん下の平面では、迫りくる老いを迎えて急速に衰える体力と突然の眩暈、加えて妻の病気や障碍を持つ息子との軋轢、人気の下落と経済的不如意など、われらが主人公を襲う暗い日常がまずはドラマの下ごしらえとして描かれています。

その上のプレートには、父の水死体が乗せられています。彼が取り組もうとする作家としての最後の仕事は、60年前に郷里松山の洪水の川にあえて短艇を乗り入れて50歳で死んだ父にまつわる「水死小説」を書くことなのですが、その願いは彼が郷里で当てにしていた資料が見つからず放棄する羽目に陥ってしまいます。
しかしそれは見かけだけのこと、それを含めてあれやこれやの一連の顛末を縷々つづったこの小説全体が「水死小説」であり、つまりはこれが小説の最上部を形成するプレートなのです。

やがて「水死小説」をあきらめた主人公の前に、若い男女の演劇集団が現れ、彼の参画を得て彼の旧作や彼の父の水死事件、彼の郷里の民衆蜂起事件をテーマにした新作を上演しようとするのですが、この若い世代の運動に随伴することが彼を過去の自分に直面させ、彼を再び政治的人間、性的人間へと急接近させ、現代の政治的・性的カタストロフィーの最先端部分にみずからを突き出す推力となるのです。

そして驚いたことに、主人公の「戦後民主主義の旗手」という仮面の下には、牢固とした国家主義者の顔容が潜み、さらにその表皮をべろりとはぐれば、森と川の精霊、聖なる土地のゲニウス・ロキ、先祖代々の霊たちに守られ、かの大いなる黄金の枝にまたがったひとりの無垢な少年の姿があったのでした。

土と血に根差した父のモラリストとしての処世を知り、その血族の一員であることをついに理会した主人公は、その来歴をつぶさに綴ることによって、彼の作家的生命を賦活させるに至ります。老残の肉体に降り注いだ深紅の血潮が、さながら三島の浪漫的な精神が降臨したように、いまにも滅び去ろうとしていた大江の実存をよみがえらせるのです。王が新たな王によって殺され、王国の不滅の伝統が維持されるように――。

藝術は人生を救う、とはまさにこのことではないでしょうか。大江のケンチャン、さすがにあなたは当代一の作家です。


♪遅れてきた老人がついに書きたり最高傑作 茫洋

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紙の本

ああ、権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂よ

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太平洋戦争中に戦死した日本人兵士の日記を読んで、「どんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたという気がした」と語る著者は、このたびはわが国を代表する作家や学者、知識人、たとえば永井荷風や山田風太郎、高見順、大仏次郎、内田百聞、伊藤整、徳川夢声、渡辺一夫、海野十三、清沢洌などの戦時中の日記をふんだんに引用しながら、彼らがどのようにこの未曽有の非常事態を受け止めたかを記録し、時折抑制の利いた感想を付け加えています。

数多くのテキストが登場する中で、著者が特に頻繁に取り上げているのは、永井荷風、山田風太郎、高見順の三名の日記です。

戦時中の荷風の主な文学活動は、大正六年一九一七年からつけている日記でした。その文章は「その蒼枯、その艶麗、哀愁を含める小説といわんより詩に近き芸術愈々至境に入れり」と山田風太郎が評したようにじつに見事なものでしたが、その内容は愚かな戦争に自分と国民を巻き込んだ軍部に対する恨みと憎しみが随所に顔をのぞかせています。

当時もしもこのような危険な言及が外部に漏れたなら、ただでは済まされなかったでしょう。渡辺一夫のように官憲の検閲を恐れてフランス語で日記を書いていた人もいたわけですから、これは文字通り命がけの表現活動でした。

かの一九四五年三月の東京大空襲によって偏奇館が炎上した際にも預金通帳とこの日記だけは必死で持ち出したところに荷風という人の人柄がありありとしのばれます。

ちなみに著者によれば、岩波版の荷風日記は後世になってから荷風あるいは校訂者の手によって書き換えられた個所もあるので、オリジナルに近い東都書房版を参照するべきだとしています。

荷風と違って山田風太郎の日記の特徴は、米国に対する憎悪です。彼らの美点に無知ではなかった山田ですが、本土に対する無差別爆撃を繰り返す米軍に対して一人一殺ならぬ三殺を唱え、「全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ」と記しています。

聖戦の大義に突き動かされていた彼は、アングロサクソンに対する憎しみを懐き続け、聖戦継続の思想と意思をもろくも投げ捨てて占領体制にいそいそと身をすりよせた知識人の無節操を、戦後になってもながく許すことはありませんでした。

古い日本の灰の中から新しい日本が誕生するなどと喜々として口走るような人々を唾棄した山田は、「僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならねばならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以って、その惨憺たる敗因を追及し、噛みしめなければならぬ」と書いています。

永井荷風と山田風太郎の二人が、私などには及びがたい剛毅な知性と勇気を備えていたように映るのに対して、特高の拷問に遭ってマルクス主義からあっさりと転向し、大多数の作家と同様に文学者報国会に加盟した高見順の日記は、その時々の「時流」や「いきおい」にずるずると順応する人間の弱さをたっぷりと見せつけてくれるために、それほど引け目を感じることなく共感を持って読むことができます。

もしもあの時代に遭遇していれば、私もまたご立派な主義主張などあっさりと投げ打って軍部や戦争に協力し、卑怯未練な態度で生き延びようと悪あがきを図ったに違いないからです。

しかし中国大陸で日本軍の残虐行為を嫌というほど見せつけられた高見は、日本人の本質を鋭く見抜いてもいます。

「東条首相を逆さにつるさないからといって、日本人はイタリ―人のように穏和な民とすることはできない。日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊の如く従順、卑屈。ああなんという卑怯さだ。」

私はこのような日本人の素敵なキャラが、戦後六〇年を経て一新されたとはどうも思えないのです。

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紙の本

「ああでもない、こうでもない」とまるでソクラテスのように考えることの素晴らしさ!

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これは著者が毎週木曜日の4時限に明治学院大学国際学部で行った「言語表現法」の13回の講義の実録ライブ収録です。軽薄な実用書のようなタイトルで損をしていますが、内容的にはその正反対の著作であると断言してもいいでしょう。

よしんば誰がどんな名講義を13日間どころか13年間行ったとしても、受講した学生に名文など書けるわけもないのですが、そんなことは百も承知の上で高橋の源チャンはユニークな授業を行っています。

ではそれはどんな講義だったのでしょう?

著者はまず学生に著者が好きな文章(ソンタグの遺書、斎藤茂吉の恋文、日本国憲法前文、カフカの「変身」、バラク・オバマやハーヴェイ・ミルクの演説など)を読んでもらい、それから何か課題(自己紹介、ラブレター、「憲法」や「演説」を書くなど)を出して学生に文章を書いてもらい、その文章について学生とともに話し合いながら、お互いにああでもない、こうでもないと考えはじめます。

それらの素材やこれらの講義自体をダシにして、「書くこと」や「話すこと」にとどまらず「生きること」をめぐって、「ああでもない、こうでもない」とまるでソクラテスのように「考えること」自体が、この授業の狙いなのでしょう。

言葉という重宝な道具を上手に使いこなして「考えるすべを見出すこと」、そうして本人未踏の知られざるどこか遠い世界の果ての果てまで思惟の旅を続けることが、この「言語表現法」講義の遠大な目標となっているようです。

そうしてこのユニークな講義の実況中継を読む私たち読者は、著者が設定したその簡単な仕組みからもたらされる、もぎたての果実を味わうような思考のみずみずしさとおいしさを追体験することができるのです。

それからこの本(講義)のもうひとつの楽しさは、行き当たりばったりの即興的な自由さです。くだらないシラバスにとらわれない、ジャズの演奏に見られるような奔放な思索のインプロビゼーションです。

たとえば源チャンの第9回目の授業は、思いがけないトラブルに見舞われ、休講を余儀なくされます。彼の2歳9か月になる次男が急性脳炎の疑いで救急車で病院に担ぎ込まれたからです。

医師から「小脳性無言症」と診断されたキイちゃんは、小脳に大きな損傷をこうむり、それまで自由にしゃべっていた言葉が突然出なくなってしまいます。

そして、息子の「発語機能」が損なわれたのは、著者が文芸雑誌に連載したキイちゃんを主人公とする小説の物語の中で、キイちゃんの言葉を奪ったからだ、となじる妻の詰問が、なんと10回目の授業で源チャンの口から淡々と紹介されるのです。

「あなたがあんな小説を書くからよ! いますぐ小説をハッピーエンドにして! キイちゃんに言葉を取り戻させて!」

しかしまるで小説を地でいくこの実話は、あるささやかな奇跡が起こることによって、その絶望的な悲惨さがいくらか明るい方へと向かいます。それは源チャンが次男の大好きな童話を読み聞かせているときに起こりました。

「ちんぷく まんぷく あっペらの きんぴらこ じょんがら ぴこたこ めっきらもっきら どおんどん」

源チャンが魔法の言葉をささやくと次男は、「けたけた、げらげら」と笑いだしたのです!

この長谷川摂子の童話「めっきらもっきらどおんどん」が、いったんは失われた言葉の力を取り戻す光景は劇的で、その昔、同じ脳に障碍を持つ私の長男が一度は失われていた発語を取り戻した折の無上の感激をはしなくも思い出しました。

源チャンは「ふつうに」生きていくことができなくなるかもしれない息子の将来を思って戦慄するのですが、「彼がどんな風になっても支えていこう。これからはずっと彼をわたしたちの家の中心にして暮らしていこう。彼の生涯を支えられるだけのものを、わたしはなにがなんでも作り出していこう」とけなげにも決意します。

そしてこのとき、不思議なことに将来への恐怖とともに、「大きな喜びのようなものを」感じるのです。

源チャンは、その喜びとは、これまでこの世の中の主流を歩んできたいわば「右まきの人」が、世の中の主流をはずれた「弱い人」や「少数派の人」「左まきの人」の「横に立つ喜び」であると定義するのですが、この尋常ならざる喜びこそは、不幸のどん底で呻吟しているはずのわれら地底人が、はるか地上を仰ぎ見るような斬新な視角をあたえ、この世にあって一身にして二生を経るような複合的な生きがいを与えてくれる得難い特権に他ならないのです。

我田引水して急遽同病を憐れむわけでは毛頭ないのですが、このたびの高橋源チャンの原体験は、彼の今後の作家活動にとって大きな飛躍の源泉となるに違いありません。

ぐあんばれ源チャン!


ありがとう君こそはわが聖なる愚者わが生きるよろこび 茫洋

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