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辰巳屋カルダモンさんのレビュー一覧

投稿者:辰巳屋カルダモン

55 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本糞尿譚・河童曼陀羅〈抄〉

2011/09/26 14:31

ファンタジックな河童の世界

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『糞尿譚』とは、ちょっとビックリしてしまうタイトルだが、著者は本作で昭和13年3月芥川賞を受賞した。
徴兵されて戦地にいたため、小林秀雄が文芸春秋特派員として中国・杭州に赴き「陣中授与式」を行ったことは当時、話題になったそうだ。

 『河童曼陀羅(抄)』について書きたい。
昭和32年(1957年)刊『河童曼陀羅』全43篇から12篇を自選したもの。
著者は河童を愛し、北九州・若松の自宅を「河伯洞」と名付けていたという。

 河童は日本人にとって親しみある妖怪だ。
子供の遊び相手になる、かわいらしい河童もいれば、人間に悪さをするグロテスクな姿の河童もいる。

 著者が描く河童たちは、北九州各地の川や池、淵に住んでいる。
中国から渡ってきたという伝説がある九千坊一族、千軒岳に住む河童には空を飛ぶ能力があり、壇ノ浦で散った平家の女御が生まれ変わった高貴な河童もいる。
途中、地理関係が知りたくなり北九州の地図を広げながら読んだ。
不案内な読者のために地図がついていると便利かと思う。

 人間界に似て、勢力争いをしたり恋愛沙汰を起こしたり、全体に愚かで怠け者の河童たち。
一方で、妙に律儀で義理堅いところもある。どこかユーモラスだ。
ぬるぬるして生臭いというリアルな河童なので、出会いたくはないが、何とも憎めない存在だ。

 河童を題材にした小説というと、つい人間世界を風刺したものかと構えてしまうが、本書にはそういった意図は感じられない。
むしろ、水辺の自然描写の美しさが印象的だ。
李(すもも)や蕎麦の白い花、百日紅や曼珠沙華の紅い花が、風に吹かれて川や淵、池に花びらを散らす。それを喜び楽しむ河童たちの様子が繰り返し描かれる。水面に散った花びらを水の底から見上げたら、それはそれは美しいことだろう。
うっそうとした杉林の無数の梢は夜の闇の中で星や月に照らされて、あたかも空に梯子をかけたように見える。河童はその光線の梯子を空に向かって登って行く。
また、月夜に飛び交う河童たちの姿を、著者は蜻蛉のまたたきに例えた。
人間には見ることがかなわない自然の神秘、幻想的な美しさを、著者は河童に託して見事に表現した。
そこには生まれ育った故郷・北九州への深い愛情とひたむきな憧憬が感じられる。

 短編のひとつひとつは独立してはいるが、同じ河童が登場したり、共通するエピソードが出てきたりで、少しずつ、つながっている。
全体で一編の壮大な世界を成すのだろう。「曼陀羅」というタイトルは奥深い。

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紙の本江戸の下水道 新装版

2012/03/21 10:41

江戸っ子と下水道のステキな関係

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 上下水道がほぼ完備され、とても清潔だった江戸の街。
本書は、下水、どぶ、流し、井戸端、雨、湯、雪隠など、下水道(水)に関連することばをキーワードに川柳、古文書史料、浮世絵を多数引用。
江戸の人々が下水道と、どのようにかかわっていたのかを明らかにします。

 タイトルから、お硬めの学術書かと思いきや、とても楽しい本です!
本書の半分以上を占めるのは川柳の読み解き。
下水道に関連する川柳だけでこんなにあるとは!これでもほんの一部でしょう。
しかも、どれも膝を叩きたくなるような、うまさ。
江戸の川柳の面白さ、多様さ、奥深さに改めて感嘆しきりです。
江戸の本音を知るには、川柳と落語がもってこいのようです。

 そして川柳に添えられる著者(江戸っ子でしょうか?)の解説が味わい深いのです。
例えば……。

 生酔に どぶを教えて しかられる (柳多留一七)
落ちると危ないと思って「そこンとこィ、どぶがありますぜ」と親切に注意してあげたのに「俺ァ、そんなドジじゃねぇやいッ」とか「どぶに落ちるほど、酔っちゃァいませんよッてンだ」とかいわれたのでしょう。(42頁)

 穏やかな日和の午後、長火鉢に差し向かいで座り、番茶をすすりながら、著者の昔がたりに耳を傾けているような……。
そんなまったり、のんびりした語り口が本書の最大の魅力です。

 時折り、織り込まれる「お母様の思い出」はココロ温まります。
流しの排水口に布を取り付けて、溜まったご飯粒をざるにあけ、屋根にのせて雀にやっていたこと。
汲み取り掃除が来たときには、カモフラージュに火鉢に醤油をひとしずく垂らして、香ばしい匂いをさせていたこと。

 伝わってくるのは、江戸の下水道は人々にとって、とても身近な存在であったということです。
身近であればこそ「水を汚さないように」「いつもきれいに」という意識をみなが共有していたのでしょう。
今ではすっかり見えないところに隠れてしまい、下水道を意識する機会自体がありません。
今、流した、この水はどこに行くのか……。
立ち止まって考えてみれば、フライパンの油を古新聞で拭いてから洗う、洗剤を使いすぎない、等、水を汚さない工夫が苦にならなくなりそうです。

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伝統的な単位は「人間サイズ」の心地良さ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かつて、日本には、長さ、重さ、体積、時間の伝統的な単位がありました。
度量衡法と呼ばれる「ニッポンのサイズ」です。

手の大きさがもとになった「尺」、人ひとりが一年に食べる米の量は「石」、手ぬぐいの使いやすい幅はそのまま「幅」、一時間に歩ける距離は「里」、月の満ち欠けを見て日付を知ることができた暦、などなど。

本書は、度量衡が定められた歴史を単位ごとに丹念にたどっていきます。
中国から直輸入し、初めはそのまま使われていた単位が、支配者側の意図と使いこなす側の職人、商人の理非やプライドがせめぎあい、長い時間をかけて「ニッポンのサイズ」に決まっていった過程は波瀾万丈!です。
そして、ゆるやかな単位を見事に使いこなし、合理的かつ快適で豊かだった昔の人々の暮らしぶりには驚かされます。

一尺は30.3センチ、大人の身長ならば、ほぼ五尺(151.5センチ)から六尺(181.8センチ)の間ですから、一寸(3.03センチ刻み)から九寸までの数字を言えば通じたそうです。これは、わかりやすい!
人ひとりが横になるには一畳、手足を伸ばして一坪、これは今も欠かせない単位です。
「一刻を争う」の一刻は14分24秒だとか!……のんびり~です。
英国伝統の単位であるフィートは約2ミリ長いだけで一尺とほとんど同じ、という興味深い発見もあります。
今も定規は30センチが定番ですし、使いやすい長さは時代や国にかかわらず同じなのですね。

メートル法、グレゴリオ暦の精密さに慣れた現代人からは、一見、おおざっぱに思えますが、ひとつひとつが「使いやすさ」に根差した「人間サイズ」の単位なのです。

振り返って、現代の精密な単位をしっかり把握して、使いこなせているか?と自らに問うとはなはだ疑問です。
あの棚のスキマ、確か20センチくらいだったはず、と思って買った収納ケースがまるで入らなかったり、沸騰してから5分茹でて、半熟とろーりのはずの卵がしっかり固茹でになっていたり……。
1メートルは、地球の大きさをもとにした単位で、現在は「光が真空中で1/299,792,458秒間に進む距離」と定義されているそうです。実に科学的で壮大です……。

著者は繰り返し述べています。
「尺貫法がメートル法よりすぐれているといっているのではない。メートル法はもっとも精密な度量衡法であり、今の世の中を尺貫法で運営することはできない」(19頁)

わたし自身、最後まで冒頭の「度量衡換算表」を見ながらでないと読み通せませんでした。
残念ながら、もはや、感覚的に理解できないのです。

もう戻ることはできないと充分わかってはいますが、「ニッポンのサイズ」が生きていた時代を羨ましく思います。
今、かろうじて残っている絶滅危惧種の単位を大事にすべく、一升酒を飲んで六畳間に一刻、大の字になって寝っころがることにしましょうか……。

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ちょっとヘンテコな、でも愛すべき人々

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 奇人、と聞くとアブノーマルで、かなりアブナイ人のイメージが浮かぶ。
だが、この本に登場する江戸の奇人たちは、ちょっとヘンテコな、でも愛すべき人々、といったところの意味合いだ。

 今に残る、当時の日記や手紙類から、奇人さんの面白エピソードをご紹介、という趣旨の本書。
記録マニアの旗本や親孝行なお姫様の話題も登場するが、途中からは川路左衛門尉聖謨(かわじさえもんのじょうとしあきら)の日記の紹介がメインとなる。
著者いわく「川路の日記が面白すぎたから……」だそう。

 本書の主人公(?)川路聖謨は、幕末期の代表的な能吏幕臣として、立派な業績を残している。
努力を重ね、低い身分から華々しい出世をとげた例、としてもよく取り上げられる。
新政府軍による江戸総攻撃(予定)の前日に、ピストル自殺を遂げるという衝撃的な最後だった。

 そんな「硬派」なイメージの川路が、こんなに愉快な日記を残していたとは!
特に奈良奉行時代の日記(『寧府紀事』)は、面白い!
日記の大部分は離れて暮らす江戸の母親にあてた手紙として書かれたものだそう。
母親を楽しませようと、とりわけ面白く書いたのだということだが……確かに面白すぎる!

 その内容は、家臣やその家族とのほのぼのとした日常の風景、賢妻を悩ます「げろげろ&ごろごろ」という不思議な病、息子や娘の不出来を嘆いたり、一方では孫を溺愛したり。
最も印象的なのは、用人の幼い娘、おえいちゃんの活躍だ。著者は「抱腹絶倒少女」と表現している!

 家族の結びつきの強さ、長年連れ添った夫婦の会話の絶妙な機微、揺れ動く親ごころ、父母への感謝、等が司馬遼太郎氏も絶賛したという卓越した文章力で綴られる川路の日記。本書は、当時の風俗や幕府の事情などの解説を織り交ぜながら、わかりやすく語りかけてくれる。

 気になるのは、川路の日記の面白さで紙面がなくなり、カットされたであろう、ほかの奇人さんたちのこと。
『江戸奇人伝』続編をぜひお願いしたい。

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工夫が光る、今、イチオシの切絵図本!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 細かな文字でびっしりと書き込まれた、大名・武家屋敷、寺社、町名、通り名、坂道や橋、料理屋まで……。
赤、黄、緑、青、グレーとカラフルな色使い。有名な景勝地はイラスト入り。
江戸時代の切絵図は見ているだけで、とても楽しい。
当時、江戸住民に人気を博しただけではなく、地方への江戸土産としても喜ばれたというのも納得だ。

 切絵図を眺めていると、現在地が切絵図のどこにあたるのか、が知りたくなる。
切絵図は見やすさ重視のため縮尺や方位が正確ではない。特に画面の隅はゆがみが大きい。
そのため現代地図とそのまま重ねると、どうしてもズレが生じてしまう。

 どうやって現在地図とシンクロさせるか。
切絵図関連本はここ数年だいぶ増えたが、この点の工夫がひとつのポイントだろう。

 本書は、見開きの切絵図の上に、現代地図を印刷したトレーシングペーパーを重ねる形式をとる。
あくまで切絵図の表記が優先で、あえて大胆に現代地図を省略することで、とてもわかりやすくなっている。
地域ごとに、特色を押さえた散歩のポイントとお勧めルートが紹介される。
大名・武家屋敷跡、庭園、寺社、老舗等の紹介も簡潔で親切だ。
本を手に、実際に街歩きできるように工夫されている。
ただ、現代地図がだいぶ省略形なので、土地勘がない場合は別に詳しい地図を持っていた方がいいかもしれない。

 都心の主要道路はほとんど江戸から続いていること、もとは堀だった道路がとても多いこと。
寺社はほぼ当時のまま残っていて目印に最適なこと、侍の名前が残る坂道や橋。
町の区割りがそのまま残っているところと逆にすっかり崩れてしまったところ。
現在の繁華街に広がる緑の田畑、下の切絵図は真っ青の海で何もない東京湾岸部の驚くべき変貌……。

 現代のあちらこちらに「江戸」が残っていることがよくわかる。
街歩きはもちろん、時代小説や時代劇のお伴にオススメの一冊。

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紙の本江戸時代の老いと看取り

2011/12/12 18:11

「長生き」を、寿ぐべき幸せにするためには

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もし「長生きしたいか」と問われたら、どう答えよう?前向きな答えは、出にくいような……。不安、という漠然としたモヤに包まれて、「老い」のはっきりした形がまるで見えてこない、今の時代。先例のない超高齢化社会とも言われる、21世紀の日本。つかむべきワラは本当にないのだろうか?
 江戸時代イコール「人生50年」「リアル姥捨て山?」のイメージで本書を開いたが、早くも8頁目にして驚くべき事実を知らされる。
「飛騨国の寺院過去帳の分析によれば、江戸時代後期の21歳以上の平均死亡年齢は、男性61.4歳、女性60.3歳で、51歳以上の人びとの享年は70歳を超えている(中略)現代の平均寿命である80歳を超えて生き延びる者も、稀少とはいえない人数が存在している。(中略)高齢化社会は現代日本にはじめて生まれた人口現象ではないのである」
 不安定な幼少期をなんとか乗り切れば、寿命は今とたいして変わらないじゃないか!そして、今と大きく違うのは、長生きは「長寿」で、不安ではなく、寿ぐべき幸せだった点である。
 高齢藩士の褒賞制度が、多くの藩で実施されていたという。「隠居まで65年勤務」「82歳の高年で出精勤務」「心がけよく老年まで数十年武芸出精」等の記録がずらりと並ぶ。
名裁きで有名な、大岡越前守忠相は、古稀をすぎてから大出世をとげた。
 農民、町人も同様に褒賞を受けた。
「本所松井町2丁目長左衛門店三之丞(当104歳)、長寿につき米10俵、倅庄兵衛55歳・同妻そよ37歳、孝心の褒美として鳥目10貫文、庄兵衛地主八幡別当放生寺が老父一代のあいだ地代免除」
「本郷菊坂台町良助店久次郎・同妻きん方同居善悦(102歳)、まれなる長寿につき手当として米10俵、身寄りがなく家を焼失した善悦を引き取り世話。奇特で銀5枚」
 高齢者および介護者の褒賞は、領民の秩序の維持、身分制度の安定に有利だったという権力者の都合は確かにあったのだろう。だが、ひとつひとつの記録を目で追うと、なんとも温かい気分につつまれる。老いを支える家族、近所に加えて、介護の担い手をも、やさしく見守るぬくもりが生きていた時代だった。
 身分問わず「家長」が責任を自覚し、自ら介護を担っていた点にも注目だ。武士の子弟教育において、老親や祖父母の老いと看取りは重要な課題だったという。「看病断(かんびょうことわり)」という、今でいう「介護休暇制度」も整っていたとは驚きだ!その教えは、精神面、食事、住まいへの配慮を説き、かなり具体的な内容。今でいえば、小中学生の授業カリキュラムに「介護」を組み込み、実習(介護食調理や排せつ介助含む)を義務づけるようなものだろうか。
 幕末期には大都市や城下町、宿場町で困窮による老人の自殺が相次いだ、という悲しい事情もあったというが、おおむね理想的な老いと看取りがなされていた江戸時代。立ち止まって、学ばなければならないことは多い。

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「便りがないのはよい便り」というけれど、やっぱり手紙を出す方が親孝行だなあと思う。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 江戸時代後期、親孝行で筆まめな、ひとりの女性がいた。彼女の名は万喜(まき)。
美作国(現岡山県)の裕福な医師の家(身分は百姓)に生まれ、恵まれた環境に育ち高い教養を身に着けた。
10代後半で江戸に出て、一代で幕臣となった伯父の養女となり武家に嫁ぐ。
本書には旗本・伊東要人との再婚後、万喜が実家に送った手紙22通が紹介されている。

 そのうち、年賀状として送った手紙の写真が載っている。
漢字と仮名まじりの装飾的な書風で、内容も和歌のように雅やか。
平安時代の美術品のような、なんとも美しい手紙だ。

 当時、これほどの遠方へ、しかも身分違いの結婚は稀だったことだろう。
結婚後しばらく手紙には、頼る人もない江戸での心細さ、故郷を懐かしむ思いが率直に綴られる。両親はさぞかし娘の身を案じたのではないか。
年月を経るにともない、内容は、夫の仕事、家計のやりくり、借金の返済状況、子供たちの学業成績と就職、縁談などに変化する。
父母に心配かけまいと気丈にふるまう手紙がある一方で、寂しいから江戸まで会いに来て欲しいと無茶を請う手紙もある。
今現在、嫁いだ娘が実家の父母に電話し、愚痴ったり甘えたりするのと何ら変わらないのだ!
万喜の父母がどのような返事を送っていたのか、ぜひ見てみたいが残念ながら残っていないようだ。

 著者は、手紙の内容をただ明らかにするだけではなく、他の史料ともすり合わせて旗本家庭の日常を掘り起こして行く。万喜は当時の物価や家計の収支を、細かく几帳面に記していた。
武家の対面を保つための「身分費用」の多さに驚く。どんなに困窮していても、決められた人数の奉公人を雇わねばならず、外出する際は身なりを整えなくてはならない。今の価値観で考えればバカバカしいとも思える、身分社会ならではの構造的な費え。江戸後期の武家が身分の上下にかかわらず借金だらけだったことはよく聞く話だが、その実態が生々しく迫ってくる。
また、万喜が手紙に残した結婚祝い金や火事見舞金の記録を、親戚筋に残された別の文書と合わせて見ることにより、旗本の親戚付き合いの範囲と程度が明らかになる。たいへん面白い。

 万喜はわざわざ実家から種子を送ってもらい、庭で家庭菜園をして家計の足しにしていた。「武家の奥方は親戚以外の男性と接してはならない」というオキテをこっそり破り、田舎から手紙を届けた使者に直接会うという思い切った行動もしている(たまたま夫は留守でラッキ~!)。懐かしいお国ことばで話がはずんだことだろう。
武家の奥方として、厳しい家計を切り盛りし子供の教育に力を入れ、様々な制約に縛られながらも、自分らしくおおらかに生きた女性の姿が浮かび上がる。
手紙を書くときだけは心からくつろいで、懐かしい故郷に思いをはせたのではないだろうか。

 結局、万喜は二度と父母に会うことも帰郷することもかなわなかった。
手紙が届くまでに最短23日、最長8カ月、平均2カ月半の日数を要した。
江戸と美作は、今の東京と岡山にくらべると、はるかに遠かった。
筆まめな彼女の筆を折ったのは、子供たちの相次ぐ死だった、という。
自身も明治の世を見ることなく、1862年に66歳で亡くなった。

 江戸時代は日記や手紙がかなり多く残っているが、女性の手によるものはごく少ない。
万喜の手紙が実家で大事に保管され、時代を経て発見されて、今、本となり誰でも読むことができることは、よろずのよろこびだ。
どこぞの旧家の蔵の中に別の女性の生涯がまだ眠っているのかもしれない。
次の発見を首を長くして楽しみに待とうと思う。

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明治の数寄ものたちが始めた私立美術館

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 三溪園、五島美術館、三井記念美術館、大倉集古館、ブリヂストン美術館、出光美術館、大原美術館などなど。
国立・公立の博物館・美術館と並んで、私立美術館の果たす役割は大きい。
それぞれ特色あるコレクションでわたしたちを楽しませてくれる、私立美術館のほとんどは明治期の事業成功者たちの手になるものだ。貿易王、生糸王、鉄道王、石炭・エネルギー王……。
彼らはどのように事業に取り組み、成功をおさめ、巨万の富の使い道として美術コレクションを選んだのか。

 現在、よく知られる私立美術館・コレクションのほぼすべてを網羅しているため、ひとりひとりに割かれるページは少な目だ。本書をきっかけに「もっと知りたい」と思ったら、さらに詳しい専門書をあたれば良いだろう。

 明治期というと、外にばかり目が向き、日本の文化や美術には無関心な時代だったように思われる。
実際に、廃物希釈や武家の没落で、多くの貴重な美術品が失われ、あるいは海外流失した。
だが、留学生や使節団として訪欧・訪米した折りに、日本文化の素晴らしさに目覚めた人々もいた。
井上馨、そして三井物産の初代社長で「三井の大番頭」である益田孝がリーダー格となり日本美術コレクションの気運が高まったという。
企業メセナやフィランソロピー(社会的貢献)の意識をすでに彼らは持っていた。

 私立美術館のコレクションは、茶道具が中心であるケースが多い。
「商談策謀は茶室以外ではできない」
益田主催の茶会の招待状を手に入れるために、当時の財界人は右往左往したということだ。
意外にも、茶会と茶道具蒐集という共通項で彼らはみな、つながっていたのだ。

 蒐集以外に「芸術のパトロン」としての役割も見逃せない。
今も国立西洋美術館で重要な位置を占める松方コレクション、その松方幸次郎は草創期のロダンの最大のパトロンだと著者は指摘する。
松方が、当時、海軍の依頼を受けて美術蒐集を隠れ蓑にUボート設計図を手に入れた、というエピソードが面白い。
しかも海軍の機密費を、ちゃっかり買付に回していたとか……ナイスだ!

 本書を読んでいると「国が興るときに生まれる富」のケタはずれの莫大さ!にひたすら驚き、おののく。
対する現代、長引く不況・円高等で企業体力は落ち、私立美術館を取り巻く環境は厳しい。
バブル期には隆盛を極めた百貨店系の美術館は、ほとんど閉館してしまった。
著者は、美術品を守る方法として「個人美術館」「小さな美術館」を挙げる。
誰もがいつでも素晴らしい美術品を楽しめる環境が守られることを願って、なるべく多く美術館に足を運ぼうと思う。

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紙の本杏っ子 改版

2011/10/20 10:49

「娘を持つ父親という生き物」はときに悩ましくも、確かに神に祝福された存在。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 作家の平四郎と妻・りえ子、長女・杏子、長男・平之助の家族のものがたり。
著者の自伝的な小説である。ほぼ、事実にそった内容のようだ。

 読んでいて疑問符が渦巻く、かなり特殊な家庭である。
妻が病に臥せっていることもあり、父子の密度は非常に濃い。
それは、子供たち、そしてその友人までもが「平四郎さん」時には「平四郎」と父親を名前で呼ぶ点に集約される。
夏目漱石を「漱石」と呼ぶ感覚だ、というのだが。

 年頃になり、姉弟とも「結婚せねばならぬ」ことになる。
本人たちは他人事のようで、父親まかせ。頼みの平四郎の判断基準もかなり甘い。
少しでも顔見知りの男の方がいい、とにかく美人でなくては、など。
相手の人柄や経済状態は、たいして問題にしない。
結果、すぐに破綻がきて、ふたりそろって結婚に失敗する。
たいした騒ぎもなく、誰が反省することもない。すべてが淡々と進んで行く。

 親子で交わされる会話の不思議な面白さが、この小説の読みどころだろう。
名前で呼び合うこの家庭には、お互いを一個の女、男として尊重する習慣が根付いている。
世間体や親子の縛りから放たれた、自由な雰囲気は独特なものだ。
そこに本来の肉親の遠慮のなさが加わり、ずけずけと踏み込んだ、それなのに生臭さのないドライな会話が展開する。

 特に、終盤の父娘のやりとりには妙な凄みがある。
作家志望の杏子の夫は、プライドの高さは一人前以上だが、稼ぎのないダメ男。
自らへの暴言や貧乏生活には耐えた杏子だが、父親を侮辱する夫の行為は決して許さない。
禅問答のような、父娘だけのことばで話し合い、通じ合うふたり。
最終的に夫を捨て、父親を選ぶ形で実家に戻る。喜んで迎える平四郎。ハッピーエンド?

 嫁いだ娘を完全に支配しコントロールした、父親としては完全勝利の形だ。
「娘を持つ父親という生き物」の夢が、これ以上ない形で表現されている。
これは、世のすべての父親に贈られたファンタジー小説かも、と思い至ったが、どうだろう。

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一葉作品の理解にほどよい一冊

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 夭折した薄幸の女性。けなげで清純な優等生タイプ。
これまで、わたしがいだいていた樋口一葉像だ。五千円札の肖像はこのイメージにぴったりくる。

 だが、本書表紙の女性は知らない顔。実はお札の写真は修正が入っているそうで、こちらが実像に近いという。勝気そうな凛々しい瞳がしっかり前を見据えている。早くもわたしの一葉像は崩れ始めた。

 著者は歴史教育が専門。残された膨大な文献と史料をもとに、推論や独断を排して事実をすくい上げて見せてくれる。

 一葉の生涯をたどるには、その日記に頼るところが大きい。だが、書簡や他の史料と突き合わせたとき、事実と異なる「脚色」が多いことに驚いた。人に見られることを意識していたようなのだ。

 当初の「小ぎれいな」イメージはどんどん崩れて、明治を懸命に生きた等身大の女性の姿があらわれる。
自分の才能をかたく信じ、自信家で負けず嫌い。たくましく行動的だ。
兄も父親も亡くなり、母親と妹との生活が肩にかかってきた十代後半からは、ややダークな一面もあったらしい。知り合いから借金を引き出すために策を弄し、一方で作品を何とか世に出そうと、必死で人脈をつないだ。
 当時の若い女性の生き方としては異例だろう。気の毒なほどだが、そうした辛い経験ひとつひとつが一葉の血となり肉となり、名作の数々が生まれたのは皮肉である。

 残された作品の多くは、24歳で亡くなる直前の14カ月間に書かれた。この間、一葉宅には文学仲間が出入りしサロンのようであった、という。貧しく、寂しいだけの晩年ではなかったのだ。すでに名声の一端は得ていた。それは救いである。

 『にごりえ』を読み、迫力の筆致で女の心の闇を描き出す背景を知りたくなり本書を手にした。知らなかった一葉の素顔を垣間見ることができ満足だ。あと少し深読みしたいと願う、オトナの読書人にはほどよい加減の一冊だろう。

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紙の本小僧の神様 他十篇 改版

2011/06/28 11:55

体感湿度を下げる読書できます

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 明治45年(1912年)から大正9年(1920年)に発表された短編集だ。
ときに「小説の神様」が、まだ「新進作家」だったころである。
私小説・心境小説(自分を主人公に私生活をあからさまに描く)と客観小説(普通の創作)がほぼ半分ずつ。短編の代表作と言われるものがほぼ入っている。プロレタリア文学風あり、ユーモア時代小説ありと豊富なバラエティだ。

 他人の家の中を覗き見るようで好みではない、と思っていた私小説だが、今回読み直して案外と楽しめた。
例えば『好人物の夫婦』である。
旅行に出たがる夫とその間の女性関係を心配する妻、妊娠したらしい女中の相手が夫ではないかと疑う妻、そして、その妻の気持ちを思いやる夫。ほとんど夫婦の会話で進行する。
ひとつ間違えれば暗い悲劇に進みそうな題材だが、意外にも、ほんわりした結末になるところが面白い。

 『清兵衛と瓢箪』は三人称の客観小説だ。
著者と父親との確執がベースにあるらしいが、それは知らなくても(知らない方が?)楽しめる。
なぜか「瓢箪作り」という渋い趣味にハマった清兵衛少年は、勉学そっちのけでいくつも丹精するが父親は苦々しく見ている。授業中に瓢箪を磨いていたところを教師に見つかり、父親にもひどく叱られて、瓢箪趣味は続けられなくなる。教師は清兵衛の瓢箪を「捨てるように」学校の老小使にやるが、それを骨董屋が鑑定してみたら……。そして、清兵衛はもう瓢箪のことは忘れて、今は絵を描くのに夢中になっている……。
書かれていることは事実だけだが、行間や余白が雄弁に物語る。

 共通するのは、乾いた短文でたたみかける作風と文法上の破綻がない整然としたところだ。
教科書や問題集、入試問題によく使われたのもうなずける。(今はどうなのだろう?)
文豪には嫌われるという記号類、( )や――、?、! が頻出するのは新鮮な印象だ。

 「行間を読む」ということばがあるが、志賀直哉の作品は誰もがほぼ間違いなく行間を読めるようになっている。だが、幾通りもの解釈が可能なわけではない。想像が無限に膨らむものでもない。深読みは受け付けない、解釈はいつもただひとつ、だからこそ試験問題になリ得たのだろうが。
そこがいいのか、悪いのか、現代の読者には悩ましい。

志賀直哉、体感湿度が低いサッパリとドライな小気味よさが、梅雨時や蒸し暑い夏場の読書に向いている、と言えようか。


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紙の本武蔵野 改版

2011/06/05 22:22

ヒーリング・ガイド・ムサシノ

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 東京都心を囲むように広がる武蔵野。緑豊かで閑静な住宅地が広がる、典型的な大都市近郊エリアだ。

 明治31年(1898年)独歩27歳のときの作品である。渋谷に住んでいた当時、近隣を取材して書かれたという。そのころの武蔵野はさらに広い。渋谷はもちろん白金や目黒も、雑木林に埋もれた武蔵野エリア内だったというから驚く。

 日記とも随筆とも小説ともとれる、不思議な作品である。型にはまらず、自由なのだ。

 季節は晩秋、独歩に誘われるまま、武蔵野台地に足を踏み出してみよう。落ち葉を踏みしめる感触が心地よい。歩きながら、ツルゲーネフや二葉亭四迷を引用し、外来の新しい自然観や人間観を爽やかに語る独歩。よくわからないが、なんとなく、うなずいておこう。これまでの古い価値観を見直そうよ!君!という独歩の意気込みがじわじわと伝わってくる。常緑樹の松より落葉樹が趣があるよ、北海道より身近な武蔵野の自然がステキだよ、都会人よりは郊外で生きる農民に親しみを感じるなあ、という具合だ。

 明治の新青年に向けられたことばが、平成の疲れた現代人の心にも柔らかく響く。すがすがしさが広がる。高い空のどこかで鳥の鳴き声がかすかに聴こえた。今日は幸運だ。

 都会的な便利さと自然のなごみ感がほどよくミックスされている街っていいよね、独歩のこの感覚は卓見だ。
 「郊外の林地田圃に突入する処の、市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しいる場処を描写することが、頗る自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。」(30-31頁)
アンケートで東京の住みたい街上位に必ずランクインする、吉祥寺や自由が丘の魅力そのものである。

 難しいことは考えずに、ヒーリング・ガイド・ムサシノとして楽しみたい一冊。本書片手に武蔵野散歩、道に迷ったら、どこかで独歩と巡り合えるかもしれない。

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紙の本大相撲行司の世界

2011/12/21 20:51

ディティールに宿る、伝統と革新

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 大相撲の行司といえば、力士と共に土俵に上がり勝負の判定をつける審判員、というイメージだろう。大相撲が大好きなわたしも、詳しいことはまるで知らないでいた。行司はいったい何を行い、何を司っているのか。

 行司の仕事、作法、装束と持ち物、触れごとと掛け声、等が詳しく紹介される。場内のアナウンス、番付を書くこと、土俵祭(場所初日の前日に行われる神の加護を祈願する儀式)の祭主など、裏方の仕事が多い。行司さんは忙しいのだ!

 相撲を描いた江戸時代の錦絵を見ると「今と同じ!」と嬉しくなる。だが、著者によれば、それは正確な理解ではない。よく見れば、異なる点があるからだ。行司の持つ軍配の形、房の色や長さ、草履や足袋を履くかどうか、帯刀の有無など、実に細かい点が。
著者は、新聞記事や相撲雑誌、過去の書籍(江戸期含む)を調べ上げ、変化の時期と理由を丹念に洗い出して行く。中でも、直接、現役の行司にインタビューし、当事者以外知り得ない内容を記録している点は貴重だ。規則や内規にはなく「慣行」として継承されていることも多いという。

 立行司だけが帯刀するのは「勝負の判定を誤った場合、切腹する覚悟を表すため」だと言われる。説得力があり、わたしもずっと信じてきたが、どうも少し違うらしい。
「帯刀が職責の重大さを表すシンボルだとしても、それは現代的な意味づけである(中略)力士や行司の帯刀は、武士と同様に、身分を表すシンボルだったのである」(127頁)帯刀が先で、解釈は後からついたのだ!この解釈が一般化したのは大正10年ごろだろうと著者は提示している。

 大相撲同様、行司にも長い歴史がある。それは、伝統の維持だけではなく、時代に合わせて変化を繰り返してきた歴史だ。
ディティールに宿る、伝統と革新。ディティールを知れば、全体はもっと興味深くなる!
たくさんの問題をかかえ、変革を求められる大相撲界。これからも注目したい。

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正倉院展の季節に

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 正倉院はよくタイムカプセルに例えられる。
8世紀から大切に保管され伝えられてきた、正真正銘の「宝物」だ。
著者は宮内庁正倉院事務所長で、本書は月刊誌に連載されたエッセイをまとめたもの。
春の全宝物点検、秋の正倉院展の話題を中心に、修理・復元・模造にかかわる作業の様子が語られる。
華やかな正倉院の表舞台を支える、知られざる裏方のエピソードが満載だ。

「宝物第一、『ひと』は二の次」ということばが印象的だ。
唯一無二の宝物を扱う作業にマニュアルはなく、ひとつひとつ経験を積んで覚えていくしかない。
「繰り返されること、あるいは、繰り返し見ることで、少しずつ、少しずつ染み込んでいくもの。この積み上げが貴重なのだ。安全に宝物を扱うことができたとき、その動きは、無駄なものがそぎ落とされ、結果的に洗練されたものに見える。逆ではないよ。上手な扱いを狙うと、碌なことにはならないよ……」(98頁)

 建物自体が国宝である正倉院そのものに、宝物は保管されていない。
現在の収蔵設備は昭和30年代の建物で、かれこれ50年前のもの。
かなり古いな、という印象だが、著者によれば「千二百余年過ごした倉を離れてようやく新しい倉に慣れてきたといえる」ということになる。
「正倉院時間」とでも呼ぶべき、百年単位の時間の流れがここではリアルなのだ。

 悠久の正倉院時間と秒刻みの現実時間を行き来する著者らの苦労を思うが、そんなことをも楽しんでいるかのようだ。
語り口はユーモアにあふれ、実に軽やか。ちょっと硬い話もスイスイ読める。

 正倉院展出陳品の選定を「献立」に例えているのは面白い!
「その年その年の『旬』の素材」を意識している、と語る。
文書の場合、とくに「栄養バランス」に留意する、そうである。

 折りしも、秋、正倉院展の季節。
本書と共に、悠久の正倉院時間を体験してみてはいかがだろう。

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紙の本お江戸の結婚

2011/08/13 16:02

江戸時代と現代日本の結婚事情は不思議と似ている、そうで。

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 著者は「衣装デザイナーを経て日本画家、江戸衣装と暮らし研究家」とのこと。
結納品や嫁入り道具、衣装等のイラストは、すべて著者の手になるもので彩りを添えている。

 江戸時代の結婚は、個人の結びつきではなく「家の存続」が目的であったことは、よく知られているだろう。
身分が上がるほどに縛りはきつくなって、自由度は奪われる、という。

 さらなる出世や商売繁盛を望むというよりも、逆に「身分を下に落としたくない」という意識が大きく作用したのではないか、と著者は語る。
当時、身分の転落は簡単だが、回復のチャンスはまずなかったらしい。しかも、親類縁者にまで影響が及んだ。
たとえば武家は三代養子が続くと家禄がどんどん削られて、上級武士も長屋住まいに転落した、という。
農民は自立できる中農層を、商人や庶民も一定の収入が確保できる生活の「維持」を目指した。
その手段としての「結婚」だったのだ。個人の惚れたはれたの出る幕がないのも納得である。

 お江戸の結婚を物語る、エピソードの数々が興味深い。
顔もわかりはしない、さっと通り過ぎるだけの茶店での一瞬のお見合いや、農村の年頃の男女が交流する、おおらかな「若者組」と「娘組」の存在など。
離婚を望む女性の頼みの綱「駆け込み寺」に入るには実は多額の資金が必要で、相当に裕福でなければ無理だった、というのは、少し悲しい話だ。

 格差社会の結婚事情が現代日本と江戸時代とで共通する、との著者の指摘は鋭い。
江戸男子は、低収入と適齢女性の圧倒的な不足により、結婚できる方が稀だったらしい。
かたや現代日本、就職イコール正社員イコール終身雇用であった時代は過ぎ去り、男性が働いて妻子を養う従来の結婚パターンはもはや崩れ去った。
「したくても結婚しにくい」状況がそっくりであるというのだ。

 エネルギーの使い方やエコな生活姿勢など、現代日本は江戸時代に学ぶ点が多いと思っていたが、こと結婚に関しても、また参考になるとは意外だった。
何を、どう、歴史から学ぶのか?著者のアドバイスをぜひ読んでみて欲しい。

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