紙の本
台湾の激動の100年史が籠められた小説
2019/09/17 15:41
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投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一九九三年、中華商場が取り壊されたあと、「幸福」印の自転車に乗って失踪してしまった父親。ライターであり、小説も書いている「ぼく」に、二十年後その自転車が戻って来る。二十年の間の、その自転車の持ち主を辿っていくうちに「ぼく」は一つまた一つと様々な物語に関わり、巻き込まれていく。
日本統治時代に受けた空襲、中華商場での庶民の生活、古物コレクターのライフストーリー、原住民青年カメラマンの兵役中の不可思議な異界経験、台湾の蝶の貼り絵の工芸史とそれに携わる女子工員の半生、台湾人も日本軍に徴兵された東南アジア戦線における銀輪部隊、ビルマのジャングルで起こった過酷な戦い、動物園で戦争を迎えた生きものたちの悲しい顛末、終戦間際輸送部隊に徴用されたビルマのゾウたち、戦後台湾の二・二八事件と白色テロ………そして、何よりも、自転車各部や部品の呼称と機能、ブランドの歴史など、自転車そのものに対する「ぼく」の熱い思い。
一台の自転車の行方を追う物語が、こんなにも遠くて広くて深いところにまで読者を連れていってしまう。いわば、台湾の激動の百年史が一台の自転車の記憶を辿る旅に凝縮されているのである。そして、何と台湾の文化に旧宗主国「帝国日本」の影が潜んでいることかと、今更ながら驚く。
この作家の力量は、並々ならぬものがある。ただ、単にtechniqueがすぐれているだけでなく、この作者には「時間への敬意」がある。それが根底にあるからこそ、著者が経験した時代と経験し得なかった時代の情景が一つ一つ丁寧に描き出されているのだと思う。
本書の訳者 天野健太郎氏は、既に昨年11月に逝去されたという。
村上春樹を思わせる文体は、翻訳文学であることを全く感じさせないほどの流麗さであり、日本の読者が呉明益氏の作品を受入れるに際し、大きく貢献したものと思う。名翻訳者を失った痛手は非常に大きい。
呉氏も自身のFacebookの中で「天野さんは自分の訳に絶対の自信を持っている人でもあった(それは彼が大変な手間を惜しまなかったからだ)。翻訳者は作家の黒子に過ぎず、どんなにいい訳をつけようが、読者はそれを作家自身の腕によるものとしか思わないと、彼はこぼした。」「僕は君が間違っていたと証明する。人々は、翻訳者を忘れはしない。」と追悼している。
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自転車泥棒
2024/03/16 20:42
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦の戦前から戦中、戦後にかけて、自転車を中心に人々の物語が語られる。台湾文学を読むのは初めてだったのだが、やはりこの国の近代には日本の植民地化が大きく関わっているということを感じた。
ちなみに本作とは関係ないのだが、主人公の父親が戦時中に働いた神奈川の高座海軍工廠は三島由紀夫も戦時中に徴用され、『仮面の告白』にも描かれた場所。
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壮大でいて寄り添うような個人の物語
2019/06/21 17:16
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
盗まれた父の自転車の行方を探る物語。自転車を起点にして記憶の断片を拾い集めるように、第2次世界大戦史・台湾史・チョウの工芸史・人とゾウの歴史を縦断する壮大なストーリー展開を見せてくれる。にも関わらず、大河ドラマのような雰囲気にならず、あくまでもモノと人と動物の関係に寄り添った極めて個人的な物語に収束させている。こういうところは前作の「歩道橋の魔術師」の良さを引き継ぎつつも、堀江敏幸さんのようなモノと人のつながりの演出の魅力を感じる。
ラストシーンで自転車を空漕ぎする場面では紐解かれた歴史を走馬灯のように描いていてあたかも映画のラストシーンのような感動があった。呉明益さんのマジックリアリズムは確実に進化しているし、亡くなった天野さんの温かい訳文も台湾文化への理解あってこそ。
天野さんが亡くなった直後に著者のFacebookにて「日本で出版された『歩道橋の魔術師』と『自転車泥棒』は、どちらも僕と君の合作だ」とまで言わしめた翻訳者がいたことは、海外文学の一読者としてとても嬉しい。と同時に寂しくもある。いずれにしても台湾文学に触れたことがない人はぜひとも読んでほしい。
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すばらしい紹介者の喪失が悲しい
2019/02/19 13:24
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
虚実入り乱れるおもしろさ。盗まれた自転車を軸に語られる台湾の近現代に生きる人々の営み。とても愛おしい。そして、すばらしい翻訳者の天野さんの最後の作品になってしまったことの悲しさ。
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『歩道橋の魔術師』もよかったが、こちらも素晴らしい。
1台の自転車が背負う時間、歴史。
動物園や象のくだりでは、ちょっと小川洋子を連想したりした。
写真を撮ることのくだりでは、『スモーク』を連想した。
ノスタルジックなのだけれど、そこに留まらないところがとてもよい。
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「鐡馬」と呼ばれる自転車と共に父が消え、成人した主人公の元に再び自転車が現れた。そこから広がるのは、自転車に関わった人々や生き物が生きた、20世紀初頭からの台湾の歴史。断章として挿入されるノートも絶妙に繋がり、自転車の復元により表に現れる事実の、複雑にしてなんともドラマティックなこと。
同時代小説にしてミステリーとしても読める多様さ、そしてパブリックイメージとは違う台湾の姿が浮かび上がるすごさ。この本を翻訳しきって逝ってしまった訳者の天野さんの力量にも舌を巻く。これから邦訳される呉さんの新作は、また違うように読めるのだろうか。
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【台湾からの新風、二〇一八年ブッカー国際賞候補作!】父の失踪とともに消えた自転車は何処へ――。行方を追い、台湾から戦時下の東南アジアをさまよう。壮大なスケールで描かれる大長編。
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『歩道橋の魔術師』が話題になった呉明益の長編。
ブッカー国際賞の候補にもなったようだ。
自転車をモチーフに、過去と現在、様々な場所を行き来する中で、現実と幻想が徐々に曖昧になる。これは一級の幻想小説ではないだろうか。
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面白かった。この作者は物語の上手い人だ。父とともに失踪した自転車。数十年後、作家である「ぼく」はその自転車に出会う。果たしてこの自転車はどんな歴史を辿ってきたのか、そして父は…。主人公のファミリーヒストリーが、第二次世界大戦史、台湾史、台湾の自転車史、動物園史、チョウの工芸史…などスケールの大きい世界の内に語られて、読み応えあり。時空をこえて響きあい、自分の家族の歴史を思い起こした。翻訳家の力量に負うところも大きそうだ。
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かなり複雑なので一読しただけでは理解が難しいですが
台湾の空気感がよく表れてると思います。
著者の言葉を借りるなら
10本の柱のうち3本が実で7本が虚
3本の実の方が少ないじゃないかとか
割合がおかしいじゃないかとか
そういうのはどうでもよくて
何が実で何が虚かの
割り振りの方が面白い。
そっちが虚かーいと。
そういう事が台湾では起こりうる。
(ラオゾウじいさんにつれてかれてシュノーケリングしたら人魚姫?竜宮城を見た)など
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作家自身を思わせる男が台湾の中華商場界隈に生きる日常を描くリアリズム部分と、訳者が「三丁目のマジック・リアリズム」と呼んだ非日常的で不思議な出来事が起きる物語部分とが違和感なく融けあって一つの小説世界を作っている点が呉明益という作家の特長だ。たしかに『歩道橋の魔術師』では、その物語は限定なしでマジック・リアリズムといえるほどのものではなかった。
それが今回はかなりレベル・アップしている。単なる古道具やがらくたを積み上げた倉庫の通路が洞窟となり、廃屋の地下室にたまった水は異世界と通じる地下の通路となる。松代大本営と同じく空襲を恐れ、地下に設けられた空間に殺処分を命じられた象が隠れて飼育される。土の下に隠された自転車がガジュマルの枝に抱かれて中空に上るなど、どれもこれもマジック部分の規模が大きくなっている。
落語に三題噺というのがある。客からお題を三つ頂戴し、その場で一つの話に纏め上げるという噺家の腕の見せ所を示す芸の一つだが、その伝で行けば『自転車泥棒』は差し詰め「父の失踪」、「自転車」、「象」の三つの題で語られた三題噺といえるかもしれない。あまりにも三つの主題のからまり具合の造作が目について、リアリズム小説の部分がやや後ろに引っ込んで感じられるくらいだ。
軸となるのは、盗まれた自転車をめぐる「ぼく」の捜索譚である。「ぼく」の父は中華商場が崩壊した翌日、自転車で出かけてそのまま消えた。働き手である父を失った家族は苦労して今に至る。ところが、ある日失踪当時父が乗っていた自転車が「ぼく」の目の前に現れる。部品は変えられていたが車体番号が同じだった。「ぼく」は、時間をかけて関係者に近づき、自転車の来歴を探る。おそらくその果てに父にたどり着けるにちがいないと考えて。
呉明益自身がかなりの自転車マニアらしい。それも、古い自転車を「レスキュー」し制作当時の姿にする自転車コレクターなのだ。作家は小説における虚と実の割合は七対三くらいがいいと考えているという。その三の一つに今回は自転車が使われている。以前に発表した作品の中で中山堂で自転車を乗り捨てる話を書いたところ、読者から「あの自転車はその後どうなったのか」というメールが届く。
小説は小説であり、その中で終わっていると答えてもいいのだが、作家は読者と同じ世界に入って考えてみた。その解答が、この盗まれた自転車をめぐる小説である。台湾のエスニック・グループをめぐる小説であり、日本に支配されていた時代と現在の因果を巡る小説である。それは必然的に、日本によって統治されていた時代、日本や台湾その他の民族がどのような目にあわされたかという話に及ぶ。
「ぼく」は狂言回しの役に徹し、多くの登場人物が過去の物語を伝える。それは直接語られることは稀で、カセット・テープに残された音源のテープ起こしされた原稿であったり、小説であったり、時には象を話者として語られたりもする。手紙やメール、小説という形式の昔語り、と多彩な表現形式が駆使されているのも特徴だ。ある意味で、これは失踪した父の手がかりを求める「ぼく」という探偵の捜査を綴ったミステリとも読める。
ただし、そこに明らかにされているのは父の個人情報ではない。大量死を遂げた日本兵の成仏できない魂が、傷を負った半ばヒト、半ばは魚となって水の中で群れる姿。その賢さと強さのせいで、荷駄を背負って戦場を行く道具として使役される象と象使いの心のつながり。自転車に乗ってジャングルを疾駆する「銀輪部隊」等々、戦時中の台湾やビルマに生きた人々のあまり知られることのなかった生の記録である。
過去を語る物語だけがこの小説の主役ではない。「ぼく」が自転車について調べ始めるにつれて芋づる式に巡り会う個性的な人々のことを忘れてはいけない。インターネットを通じて古物商を営むアブーがそもそものはじまりだ。アブーから自転車のダイナモを買った「ぼく」は直接会うことになり「洞窟」のような倉庫に足を踏み入れる。それから交友が始まり「ぼく」の探してる「幸福」印自転車の情報がアブーからもたらされる。
コレクターのナツさんが喫茶店に貸し出した自転車の持主は別にいた。「ぼく」は喫茶店に何度も出かけアッバスという戦場カメラマンと出会う。自転車はアッバスは昔の恋人アニーが見つけてきたものだという。カセットテープの声はアッバスの父のものだ。この小説は主人公も舞台も異なる十の短篇を自転車という主題でつないだ連作短編集としても読める。それぞれの篇と篇は「ノート」という、自転車に関する歴史や「ぼく」の家族の歴史を語る部分でつながれている。
単なる短篇集ではなく連作短篇集だというのは、一つ一つの章が巧妙に関係づけられ、過去と現在を自在に往還し、見知らぬ同士を手紙やメールを通じて結びつけ、果てはビルマの森で敵同士であった象を扱う兵士をすれちがいさせ、長い時間をかけて音信のなかった父との出会いを経験させるという、上出来のドラマを見ているような気にさせるからだ。なお、訳者の天野健太郎氏は昨年十一月、四十七歳の若さで病没された。ご冥福をお祈りする。
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ジョンアーヴィングの初期の作品を彷彿とさせる衝撃
迫力満点のすばらしいものを読ませてもらった
2018年わたしのベストテン入り
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個人的に最近読んだ小説の中で一番のヒットでした。台湾の歴史を骨子としたリアリティある話の上に、魔法のような描写が乗ってくるので、ガルシアマルケスや莫言あたりのマジックレアリズム好きには堪らないのではないかと思います。
自転車のディティールの描写も良いですね。時代に応じた自転車の仕様の変化も描かれており、世の中がどう変化してきたのかと、それに伴い自転車の役割や位置付けがどう変化してきたのかが分かるのが楽しいです。
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父が乗っていた自転車を巡って、台湾の自転車史、日本統治時代の戦争史、動物園の歴史、蝶収集及びそれを用いた工芸品、台湾少数民族、家族史を描いている。
所々幻想的な描写があり、その点は感嘆したが、全体的に間延び感があったように思う。話もあちこちへ分散し、最後に収斂していくが、何か物足りなさを感じた。
また同作者の他作品を読んでみたい。
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自転車の他、象とか蝶とか、台湾の歴史とか…もっと知りたくなることがたくさん出てくる。天野さん訳の台湾に関する本、全部読もう。