紙の本
歴史の一頁を刻む歴史書
2010/10/17 21:44
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投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近はあまり聞くことのなくなった名前である。第二次大戦中その名を世界にとどろかせた海軍の零式艦上戦闘機、略してゼロ戦である。文庫本の厚さから見て短い話だと思いきや、中を見てびっくりした。字が小さいのである。これは大したボリュームである。
戦時中旧日本軍の陸海軍両方とも航空機部隊を擁していた。海軍がゼロ戦、97艦攻、99艦爆などが主力であり、陸軍は隼、飛燕、鐘起などが主力であった。本書ではゼロ戦の生い立ちから活躍までのストーリーである。
96戦闘機はすでにあったが、これが中国戦線で活躍していた。評判もよかったが、海軍の航空関係者は、それをはるかに上回る性能の航空機を求めていた。三菱重工の名古屋航空機製作所の設計者グループは、無理だと海軍に抵抗したが、所詮無駄である。その頃の軍はイコール国家だったので、逆らうことはできない。
至る所に工夫を凝らし、試作をし、実験を行いながらとうとう出来上がってしまうのである。実際にパイロットに試乗してもらうと彼らの評判も上々であった。出来上がった戦闘機は実際に中国へ送りこまれた。中国の奥地、重慶への爆撃機の護衛である。ここでソ連製中国軍戦闘機を圧倒的な強さで撃墜し、戦果をあげたのである。
欧米諸国は日本の航空機技術を軽く見ていた。欧米の真似をしているだけで、技術的には到底追いつかないと見ていたのである。ところが、これを契機にゼロ戦に対する認識と日本の航空機技術に関する評価が変わり始めた。
ここからは、第二次大戦史を追いながら、その中でゼロ戦がどのように活躍していったかを詳しく描いている。上記のとおり、認識が変わり始めて、欧米諸国もゼロ戦に負けない戦闘機の開発に力を入れてきた。それでもゼロ戦の戦闘能力にはとうとうかなわなかったのである。
もちろん、ゼロ戦にも弱点があったのだが、空中での身軽さや小回りなどの性能、そしてパイロットの腕がゼロ戦の活躍を支えたと吉村は書いている。設計者だけでなく、搭乗員の悲哀、製作所での苦労など、描かれている範囲はきわめて広範に及んでいる。
それにしても軍の要求に当初は無理だと訴えていた設計者が、何とかして要求にこたえようと努力する姿、遂に達成してしまう能力には驚かされる。詳細を設計者に任せたことが結果を生んだのかもしれないが、搭乗員と航空機の目的をよく把握して、それ以外を犠牲にした末のゼロ戦誕生と言えよう。
本書は昭和43年に出版されたものであるが、これだけの詳しい内容が書かれた書物は貴重な歴史の一頁を刻む歴史書となりうる。平成22年の現在では情報もこれほどは集まらなかったであろう。
紙の本
零戦が日本軍を象徴している
2019/12/14 10:00
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
零式戦闘機、呼び名はゼロ戦。
ほんとうは、英語由来の「ゼロ」ではなく
漢字のよみは「れい」のはずだが。
零戦が日本軍を象徴している、というのは言えてる。
「攻撃が最大の防御」を唱えて、海外に進出していった。
だが防御力がないから、長続きしない。
長続きしないのが分かっているのに、進出する暴挙。
たしかにすぐれた戦闘機であったろう。
戦果も挙げた。
だが、その設計・生産にあたった思想は、けっしてすぐれていない。
搭乗者の人命を軽視し、周囲に犠牲を強いてなけなしの資源を集中して、
なんとかその高性能を保ったに過ぎない。
それだけの技術力を、武器生産ではなく、民需に向けていたら、
というのは戦後の繰り言。
そうさせなかった為政者に責任があるのであって、技術者にはない。
それにしても吉村昭。
膨大な資料を駆使して、多方面から綿密に描く。
だが、この人の作品が資料性だけに終わらないのは、本書で言えば、
牛と馬の話を描いているところにある。
最新鋭の戦闘機を運ぶ、牛や馬。
その喜劇性に気づかずに、
日本の精神がどうの技術がどうの、
と議論することのおろかさを如実に表している。
紙の本
美化や批判に弄せずに時代の熱気と戦争の狂気を描く
2019/09/08 16:28
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投稿者:ニック - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界最高水準の性能で軍の期待を背負うゼロ戦の誕生から終戦までを詳細に淡々とした筆致で描く。改良や量産に奮闘する技術者や工場の様子、戦況の悪化に伴う特攻などを、美化や批判もムダに挟むことをせずに、時代の熱気と戦争の狂気を感じさせる。
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無敵だが
2013/08/16 01:48
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投稿者:まゆげ - この投稿者のレビュー一覧を見る
デビュー当時は、無敵の戦闘機として大活躍。
しかし、当時の敵国米国は、零戦の弱点を徹底して分析。
軽量に作られているため急降下時に強度が不足しているなどが判明。
米軍はまともに零戦と空中戦を行わないことを米軍戦闘機に指示し日本の航空機部隊の消耗・疲弊を待つ作戦に出る。
時間稼ぎの間に、米国は零戦を上回る性能の戦闘機を開発し、大量生産。
零戦が如何に優秀でも、日本のパイロットが如何に優秀でも、米国のち密な戦術と豊富な物量補給作戦の前には、敗北は時間の問題であった。
零戦の誕生から、その性能の凄さ、闘いの歴史を詳しく記述。
今、話題の映画「風立ちぬ」の前に読んでおいて良いかも。
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綿密な取材を基づく圧倒的な資料を基に、歴史的事実、業績を緻密な描写で描くことで定評がある吉村昭氏の作品。本家プロジェクトXとでもいおうか、ものづくり大国日本を支えた、業績は一流だが知名度はさしてないような男たちを取り上げた小説が多い。もちろん、NHKのようなずさんな取材や、恣意的なフィクションはない。
内容は詳しくは書かないが、著者本人のあとがきは紹介しよう。
「零式戦闘機の誕生から末路までの経過をたどることは、日本の行った戦争の姿そのものをたどることになるという確信が私に筆をとらせた」
この小説は、まさに零戦というひとつの兵器を通してかの戦争を描いた小説である。
このような、先の戦争に関する小説を読むとき、単に、戦争は悪い、日本軍は無謀だったのだ、などという感想で終わっては小学生以下である。
戦争は単純に「悪いもの」以外何ものでもないのか、また、なぜあのような悲惨な戦争をしなければならなかったのか、なぜ若者たちは自ら進んで特攻の露として散っていったのか、といったことをよく考える必要がある。それを考えるときに必要なのは、現在の価値観ではなく、その当時の価値観をもって考えることであるし、さらにいえば、当時に至る近代の世界史の流れをふまえた上で、当時の日本を取り巻く世界情勢について正しく知ることも必要である。
戦後の日本人が顔をそむけ続けてきた、先の大戦の功罪について、あらためて考えるきっかけとなってほしい、そのような小説である。
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苦労の末開発された高性能の戦闘機。
神風特攻隊もこれに爆弾をつけて敵陣に突っ込んでいたとは・・・
戦争は無意味以外の何物でもないが、
人々の情熱があのような世情で、無から
これほどのものを作り上げてしまうことに驚きを感じた。
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(2008.12.17読了)(2008.09.13購入)
人には、潜在的にコレクターの癖があるようです。9月に「戦艦武蔵」を読んだら、姉妹編的な「零式戦闘機」があることがわかったので、探して購入しました。
飛行機や戦闘機の知識はないので、どのような飛行機なのかはわかりませんが、太平洋戦争において、活躍した戦闘機であったことは聞いています。
この本は、零戦の開発の様子、実戦での活躍の様子、そして、ほとんど無傷の零戦がアメリカの手に渡り、対抗手段が考案されることにより、戦果が上がらなくなり、特攻へと変わっていく過程が描かれています。
「戦艦武蔵」において、棕櫚の果たした役割は、「零式戦闘機」では、牛車というところでしょうか?
名古屋市港区大江町の海岸埋立地区にある三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所で戦闘機が主翼と胴体前部、水平尾翼の付いた胴体後部とエンジン部の二つに分けられた形で2台の牛車に積み込まれ24時間かけて48キロ離れた岐阜県各務原飛行場に運ばれる。
飛行機を組み立てる工場に隣接して飛行場がないためにやらないといけない作業なのだけれど、生産量が増えるとネックになる。トラックや馬車での運搬を試してみたが道が悪く激しい震動で、機体が傷ついてしまう。途中の道幅が狭く軒や看板に接触して傷つけてしまう、ということで、ゆっくり移動する牛車になったということです。(7頁)
●1937年の飛行記録(28頁)
1937年4月6日、朝日新聞社の「神風」号が、立川飛行場を出発、イギリスのロンドンに向かった。(試験飛行では、高度4千メートルで時速480キロを記録。)
立川ロンドン間15,357キロを94時間17分56秒で翔破、世界新記録を樹立した。
●新機種が生まれるまで(32頁)
飛行機の新機種が生まれるまでには、設計から試作までにかなりの月日を要し、さらに試験飛行を頻繁に行って改良に改良を重ね実用機として使用できるまでには、3年以上の歳月を必要とするのである。
●十二試艦上戦闘機
1937年(昭和12年)5月下旬に十二試艦上戦闘機計画要求書案が届いた。(29頁)
十二試は、昭和12年度試作という意味です。
1937年10月5日、正式の十二試艦上戦闘機計画要求書が、海軍航空本部から三菱重工株式会社、中島飛行機株式会社に交付された。(37頁)
1938年4月6日、実際の機と同じ大きさの木型が完成した。(51頁)
4月27日、海軍航空関係者による第一次木型審査が行われ、修正個所の指摘が100近くに達した頃、審査は一段落した。7月11日、第二次木型審査が行われ、第一次審査の折に修正を指示された部分の確認が行われた。(60頁)
12月26日から三日間にわたって第一次実物構造審査が海軍技術関係者立会いのもとに行われた。1939年2月下旬、第二次実物構造審査が行われた。
1939年3月16日、十二試艦上戦闘機第一号機は名古屋航空機製作所試作工場において完成した。(78頁)翌日、第一号機の完成検査が実施された。機体の外形寸度の測定、重量の測定が行われた。機の重量は、1,565.9キロであった。
4月1日、各務原飛行場でテスト飛行が行われた。(83頁)地上滑走とジャンプ飛行まで。
4月6日、数百メートルの高度を32分間飛行し続けて無事着陸した。
4月14日、脚の引込め飛行を、初めて実施。約2時間30分上空を飛び続け脚を引き出し無事滑走路に着陸した。(90頁)
4月25日からは、2,331キロの正規満載状態ににし、性能および操縦性テストを開始した。最高時速約490キロを記録した。要求時速500キロにあと10キロに接近した。
7月6日、官試乗が行われた。8月23日、第二回目の官試乗が実施された。
9月14日、第一号機の領収が行われた。要求書を受けてから約二カ年で、第一号機は完成、領収された。
1940年3月11日、第二号機が急降下テスト中、空中分解をおこし、パイロットは落下傘で脱出したかにみえたが、空中で体が落下傘から離れ、墜落死を遂げた。(103頁)
7月末、十二試艦上戦闘機は、すべての問題点が解決したと認められ、海軍の制式戦闘機として採用された。そして、その年の紀元2600年を記念して、その末尾の〇をとって、零式艦上戦闘機11型と命名された。(120頁)
(2008年12月23日・記)
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8/27
8月に読了した。終戦から65年も経った。
技術者たちのの活躍ぶりがすばらしい!
軍首脳のものたちのアナクロぶりが悲しい。
太平洋戦争の犠牲者は300万人、、、!悲壮。
ゼロ戦の活躍と変遷は太平洋戦争の象徴だ。
若い人たちに読んでほしい。
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前半は、ものづくりのプロセス(顧客要求、基本設計、詳細設計、製作、試験、納入、アフタフォローなど)が淡々と記されていて面白い。基本は変わらないんだな。ゼロ戦完成とともに、次第に話題は戦争に移り、太平洋戦争勃発から終戦までの道のりが語られていく。読んでいてだんだんつらくなっていくが、淡々とした記述なのでテンポよく読める。ゼロ戦を通して戦争の全体像が見えてくる。ところで、工場で製作されたゼロ戦を飛行場まで輸送する必要があるわけだが、輸送にはなんと牛車が使用されていた。初めて知った。その後、輸送が改善されたわけだが、改善方法は馬車であった。これらのエピソードは、冒頭から最後まで、随所に登場するのだが、象徴的である。
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優秀な戦闘機零戦を作った日本が、その優秀さゆえに戦争の深みにはまっていき、そしてカミカゼ特攻や自爆まがいの終焉を迎える。最終部分(沖縄戦)は読み進むほどに気持ちがダークになってくる。
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日本人の巧の技術を集め、不可能ともいえる厳しい要望を満たし、完成したゼロ戦。かつてない機動性と長距離飛行能力を備え、日中戦争への投入初期は敵無し状態。
しかし、あまりにも高性能だったため、日本軍の過信を招く。大型戦闘機が空中戦の主役になる時代にも、日本軍はゼロ戦に頼ろうとする。
結局、敗戦濃厚となった頃、性能を充分に引き出せるパイロットがいなくなりゼロ戦は特攻機として使われる。
最高の技術に与えられた最低の戦術。稚拙な日本軍の犠牲となった不運な戦闘機だ。
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20年ぶりくらいに再読。吉村昭さんにはまっていた高校時代に初読。今年の暑い夏、実家の本箱に当時の文庫を発見し、茶色く変色したページをぱらぱらめくっているうちに、読破してしまいました。牛に曳かれた「零戦」は、印象的です。目的を達成させるための道具は、その機能を極限まで高めていくと、なぜだかとても美しく見えます。その目的がどんなものであっても。できることならば、目的が後世から非難されないものであることを願わずにはおられません。
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零式戦闘機。「ゼロ戦」という愛称は聞いたことがあったけれど、そんなに優秀な戦闘機だとは思いもよりませんでした。
いきなり、名古屋市港区という地名が出て、岐阜県各務原市、小牧、金山、鶴舞、矢田川といった親しみのある地名が・・・。思わず読みながら、おっ、この辺わかる!とプチ興奮。
そう、零式戦闘機は名古屋で開発されていたのです。感動。
零式戦闘機が24時間かけて牛車に牽かれて各務原の飛行場に運ばれたというのは、いくら戦前とはいえ、驚きました。あまりに非効率な運び方。その事情は本書を読めばわかりますが、零式戦闘機というすぐれた戦闘機には似つかわしくない運び方・・・。
零式戦闘機は大変優れた戦闘機で、相手の方が圧倒的に数が多くても、空中戦ではことごとく勝ち、半ば伝説として恐れられていたと言います。
そんな優れた戦闘機を持ちながら、日本が敗戦したのは、色々な事情があったと思いますが、物資不足というか、経済力が本当に大きかったんだなーって思います。戦争は戦闘力よりも、経済力と経済力の戦いですから。
もし経済力のあるアメリカが最初から零式戦闘機のようなすぐれた戦闘機を持っていたら、あっという間にアメリカが勝っていただろうと思います。
「それでも日本人は戦争を選んだ」という本に、アメリカの戦闘機の生産能力と日本の生産能力の比較グラフが載っていたんですが、その差は歴然で、戦争が進めば進むほど、つまり1945年に近づくほどに差が開いていきました。
零式戦闘機の大きなターニングポイントとして、乗組員死亡で不時着した零式戦闘機が米軍に発見され、研究されてしまったことがありますが、結局のところ戦争自体は経済力の戦いなので、そこで発見されなかったとしても、戦争が長引いただけであったと思います。こんな優秀な戦闘機を持ちながら、それが実に皮肉です。
もっとも、日本の優秀なエンジニアは戦後復興時に多いに活躍して、今の日本のものづくりがあるのだと思いますが。
個人的には戦艦武蔵のほうが面白かったです。そしていまさら知ったんですが、空も海軍の管轄だったんですねー。日本には空軍がない。
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零戦零戦と言葉では有名だが、実際に詳しく読んだことも調べたこともなかったので、この本を読んでみて本当によかったと思う。
いろんな方もコメントに書かれているが、当時の最新鋭の戦闘機を牛車で運んでいたというのは、衝撃を通り越してむしろ笑い話ですらある。こういう点からも、日本が全体を見通せず目先だけを追究していた様子がうかがえると思う(考えすぎ?)。
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少なくとも開戦時点では世界トップレベルの性能を誇った零戦。一方で工場から飛行場までの運搬は牛車に頼らざるを得なかったところに当時の国内状況が象徴される。
もしドイツ空軍が零戦並みに航続力のある戦闘機を保有していたら、世界の歴史は変わっていたかもしれない。