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くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

投稿者:くにたち蟄居日記

315 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

日本軍から今なお僕らが学べる事

33人中、31人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今年の正月にたまたま手に取ったが 読み始めるや置くあたわずという経験をするほどに一気に読みきった。


 内容的には第二次世界大戦における日本軍の敗北を 組織論で分析したものである。当然ながら著者達が それを1980年代半ばに世に問うたのは 戦争の分析ではなく 戦争という壮大なケーススタディーを実社会にどのように応用するかという点にある。


 結果として出来上がった本書の出来栄えには実に感銘を受けた。著者達が指摘・分析する日本軍は 2000年代の企業に勤務する我々にして全く笑えない。というか 日本軍が犯したミスは そのまま我々の日常勤務の中にも 同じような形で発生していることが強烈に感じられ 笑うどころか 少々青ざめる位である。


 日本において 第二次世界大戦とは 戦争責任をどう考えるかという文脈で語られることが多い。それは当たり前だ。今なお周辺国との間に発生し続ける戦争責任を巡る問題は 日本が戦争責任を曖昧にしている面はあると思う。


 一方 全く違う視点で第二次世界大戦から「学ぶ」という試みもあってしかるべきだと思う。その意味で 本書は企業の組織論に落とし込む方向で 日本軍を分析している。これは 小生にとっては大変新鮮な視点である。しかも 大変有効なものであると思う。


 非常に抽象化した言い方をすると「ある物事から何を学ぶか」という点で本書は際立っている。そんな風に感じた次第。

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紙の本

紙の本老子

2009/01/11 14:40

老子を 素読 すること

31人中、27人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 老子はいくつか持っているが この岩波文庫の厚さが気になって 更に購入したところだ。

 「素読」という言葉がある。
 
 昔は 四書五経を とにかく声に出して読み上げるという「素読」と名付けられた教育方法があったという。読まされている子供は とにかく音読するだけであり 意味も内容も 教師からは何の解説もないというスタイルである。音読しているうちに 段々と その内容を分からしめるという時間のかかる ある意味では贅沢な教育方法だ。

 本書は その「素読」にぴったりだというのが 僕の第一印象である。

 本書において 著者は 白文、読み下し文、現代語訳を載せているだけであり 解説は一切ない。もちろん現代語訳部分に「解釈」と「解説」が表れているわけだが それ以上の「言葉」は付け加えていない。これは ある意味では 大変すがすがしい作りになっていると正直感心した。確かに 「老子」を目の前にして 種々解説を聞くのも ある意味で「老子」らしくない話だ。

 こういう「老子」が2008年に発行された点は注目されて良いと思う。ひるがえって2008年を考えると 激動の年であったことは誰しも同意されると思う。そんな混乱の中でこそ「老子」の言葉が 光輝くのだと思う。2000年を超えて 老子が 現代人を嗤っている姿が見えてくるようではないか。

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紙の本

紙の本君たちはどう生きるか

2008/05/20 22:12

個人的にはつらい本であること

35人中、27人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本には辛い思い出がある。

 高校時代の友人が 三年生の時に血液の病気で倒れた。かなりの日数を休みながらも なんとか卒業には漕ぎ着けた。卒業したものの 具合は一進一退で 自宅で養生しながら 大学受験を目指す日々が続いていた。

 そんな彼に 送った本が 本書である。

 彼は結局卒業した年の9月にこの世を去った。

 お葬式の際に 彼の母親と話をする機会があった。彼は最後は目を動かすと眼底出血をするので 本を読む際にも 本を動かして読んでいたという。そんな 最後の読書の一冊に本書があったという。

 目に負担をかけるようなものを贈ったことに自責の念が駆られたし また この本の題名の残酷さに気がついたのも その時だった。
 彼が最後に「生きたいけれど 辛いからもういいや」と母親に話したという。そんな彼の傍らに かような題名の本があったとしたら そんな皮肉は無いのではないか。

 それが25年経った今でも僕には辛いのだ。それ以来 この本を読む機会は無い。読む気がしない。面白い本だったのだが。

 いつか もう一度読む日は来ると思っている。彼と再会する日がいつか来たとしたら その時に この本の話になるかもしれないから。

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紙の本

紙の本読書について 他二篇 改版

2010/02/07 11:18

情報過多の現代に異彩を放つ一冊であるということ

26人中、26人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 高校時代に読んだ本だ。30年ぶりに再読して驚愕した次第である。本書で著者は読書の害を説いている。理由としては二点だ

 一点目。著者は 悪書の多さを嘆いている。売文家が 金が名誉の為に 愚にもつかない本を書き散らかしていると断言している。この状況は そのまま情報過多の現在に通じる。著者の時代と違い、本以外にもTVやネットというマスメディアを手に入れた僕らは 更に情報の海に溺れている。その中で 正しい情報にどうやってアクセスすれば良いのか。それが死活的に重要な時代になった。情報の選別をきちんとできないでいると 結局 どこにも行けなくなる。著者が嘆いたのは160年前の話だが その嘆きに共感できるということには驚きを感じた。


 二点目。情報を選別し 正しい情報に辿り着いたとしても そこに第二の罠が有ると著者は言う。「読書は他人にものを考えてもらうことである」であるとか「まる一日を多読に費やす勤勉な人間は しだいに自分でものを考える力を失っていく」という警句は現代にしても新鮮だ。本を読むことで 何かを考えてしまった気になることを否定できる人は少ないと思う。


 本書はネット時代の現代になって 本当に精彩を放っている一冊だ。例えば 検索エンジンであるグーグル一つを上記にあてはめても十分考えるヒントがある。
 「検索」とは 良い情報を探すと定義すると 上記の一点目への解決策がグーグルの検索である。
 グーグルの検索結果が「良書」なのかどうかは分からないことは言うまでもない。但し仮に その「検索」が正しいと仮定して グーグルが紹介した情報をどうやって消化するのかが次の課題としてのしかかって来る。この段階では既にグーグルが僕らにできることは無いのだ。考えるのは自分でしかないからである。

 著者は そこで僕らに「それでは皆さんは どのように考えるのですか」と問いかけて来ている。「それにこたえられないなら そもそもグーグルで検索などするな」とすら言っているような気がしてならない。何故なら 考える力が無い人が下手に情報を持つことはしばしば危険だからである。食べ過ぎて消化不良を起こしておなかを壊すくらいなら 食べない方が まだ体に良い場合もある。食べ過ぎで起きる病気の数々を考えても良く分かるはずだ。

 情報過多の海を泳ぐ際に 本書を読む意義は大きい。薄い一冊だが 山椒のようにピリリと辛い。僕は気に入ったことが書いてある頁は折って後で読み返す際の印とすることが多いが 本書に対してはあきらめた。すべての頁を折る事には意味がないからである。

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紙の本

紙の本荘子 第1冊 内篇

2006/10/07 11:39

人類の知恵

21人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中国の古典というと それだけで読むことを敬遠される方も多いと思う。それでも 名高い「論語」や「孫子」は読まれている。但し この「荘子」は 一般的には知名度は低いと思う。
 もったいない話だ。この本くらい面白い本も少ないからである。
 荘子は 上空はるかから世の中を見下ろしている。上空から見ると僕らのやっていることが いかに小さくて愛らしいかと彼は語っている。
 勿論地上で日々苦労しているのも僕らだ。「傍目八目」であるとか「一歩引いて物を見よう」であるとか 良いことばを僕らはもっているのだが 自分でそれを実践するのは難しい。自分のことには一生懸命になり 結果としてストレスに病む。赤ちゃんの自家中毒と同じだ。
 そんな僕らに荘子は語りかけてくる。
「出来なくたって気にするな。役に立たない木ほど 長生きする」
「どんな美人だって 池に近づいたら 魚は逃げる。魚にとっては人間の美醜など関係ないのだ」
「昨晩蝶になった夢を見た。しかし 若しかしたら 本当は蝶が人間になった夢を見ているのかもしれない」
 こんな言葉を2000年以上前に書いた人がいる事には驚愕するし そんな文化を有した中国も尊敬する。2000年以上前から現代を撃つ。そんな言葉が似合うではないか。
 僕は正直この荘子こそが 人類の生んだ知恵の一つだと思っている。ストレスフルな現在には得がたい一冊だ。

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紙の本

紙の本ティファニーで朝食を

2008/03/30 20:59

村上春樹が 救い出した 有名作品

18人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 村上春樹は 本作が 映画「ティファニーで朝食を」によって もっと言うと主演のオードリーヘップパーンによって かなりの「誤解」を受けている点を あとがきで書いている。

 映画は僕も一回しか見ていないが 今でも非常に印象が残っている。オードリーの美しさ、格好よさは折り紙付きであるし 主題曲の「ムーンリバー」も誰もが知っている曲である。

 「そんな映画化」が本作にとって どれだけ幸せなことであり 一方 どれだけ不幸なことであったか。それを村上は 冷静に見極めている。
 おそらく映画だけを観て原作を読まない人が多かったろう。そうして結果として このカポーティの優れた中篇は ある意味で読まれず 「埋葬」されてきたのではないか。
 今回 村上は 自分が訳す事で ある程度の人数が本作を手に取る機会を与え、結果として本作を「墓」から救助したかったに違いない。そういう村上の本作への「愛情」が この度の翻訳の原動力になったと僕は確信している。

 読んで見ると ホリーの「破綻したイノセント」をひしひしと感じる。ここまで極端ではなくても こういう人は 確かに会ったことがあるような既視感を絶えず感じた。何かが「壊れる」ことは 時として とても美しいものがある。硝子細工は それが正しく いつ壊れるかわからないというカタルシスを帯びている点で 美しいのだ。本作に漂う稀有の「美」は きっと そんな 硝子細工のホリーという人物造形から来ていると強く思った。

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紙の本

正義、平等、自由というものの定義の難しさに耐えていくこと

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読後感は三点である。
 
 一点目。改めて、「正義」「平等」「自由」というものの定義の難しさを感じた。

 本書で繰り広げられる各種の事例に対して、何が正義で、何が平等で、何が自由なのかを一つに決めることは不可能だ。その「不可能さ」ぶりに、真実があると考えるしかない。つまり「正義」はいくつもあり、そのどれもが、誰かにとっては絶対に正しく、かつ全員にとって正しいわけではない ということだ。ここから学ぶべきは 更に「一つの正義」を追求することではなく、自分にとっての「正義」「平等」「自由」とは、他者にとってはそうではないと理解するという謙虚な姿勢を持つということだと僕は考える。僕らは自分の考える「正義」を誇ったり、強制したりする権利を持っているわけではない。



 二点目。本書がベストセラーになっているということに驚く。

 どう読んでも本書は決して易しい本ではない。いや、かなり難しい本である。その本がかように話題となり売れているという現象をどう考えるのかは興味深い。
 リーマンショックが齎したものは金融危機だけではない。本質的には新自由主義への重大な疑念の発生であり、それの反動としての社会民主主義の再興だ。
これは僕らの日常レベルでの問題である。日本の格差社会問題や貧困問題も、基本的には同じ地平線にある。その状況を踏まえて、多くの人たちがもう一度考え始めているということが、本書のブームの背景だと僕は信じる。



 三点目。本書は、結論を出しているわけではない。まず僕らに反省を促している本だ。その反省に立った上で、僕らが新しい哲学を作っていくしかない。それが、地球という星の、今後百年程度といった比較的短い将来に大きな影響を与えていくはずだ。僕らがそういう知的作業に耐えられるかどうかが試されているのではと最後に考えた。

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紙の本

紙の本エセー 1

2006/09/20 12:22

象の散歩

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エセーが新訳になったので購入して読み返している。
 高校時代に岩波文庫のエセーを読んだ。エセーという本は読者に人生経験を要求することに最近気が付いた。親のすねをかじっている高校生がエセーを読み 理解することはどだい不可能である。但し 難しい本を読んで分かった気がするのも青春時代の特権だが。
 モンテーニュはゆっくりとした口調で語る。その様子は象の散歩のようだ。ゆっくりと ゆったりと歩く。それがエセーの基調である。
 新訳は今後配本されていくらしい。全巻出るまでには時間も掛かろう。但し 配本を待っている間に更に人生経験が増して 読み込む「深度」が深くなれたら それも読書の醍醐味だ。

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紙の本

設定された読者と 設定されていない読者

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 数時間で楽しく読み切った。

 この本を読むに際しては、自分の立ち位置を良く考えないと行けないと感じる。もっと言うと、著者が本書の読者として設定しているのは副題の「学ばない子どもたち 働かない若者たち」本人ではなく、彼らの親や上司であると僕は理解した。従い、本書の読者が、著者の設定した立場にいるか、いないかで本書の読み方も多分全く変わってくるはずだ。


 僕自身は幸か不幸か著者の設定した読者の範疇にいると思う。中年を迎えて、子供の勉強が気になったり、会社においても部下のモチベーションを考えることが多くなっている。その立場から本書を読むと、誠に快刀乱麻であり非常に説得された。但し、「学ばない子どもたち 働かない若者たち」が本書を読んだ場合にどのような反応を示すのだろうか?


 「設定されていない読者」として、彼らが本書をどのように読むのかを考えることは中々難しい。そもそも、彼らが本書を手に取るかどうかすら分からない。「学ばない子どもたち 働かない若者たち」という表現には、著者が彼らとの間に取っている一種の「距離感」が有る。その「距離感」に彼らが耐えつつ、本書を読破することが出来るかどうかということは僕の疑問だ。


 それにしても内田という方の論にはいつも感嘆する。内田の本の魅力は、読んでいて その全く新しい独創的な論に魅了されるという点にあるわけではない。むしろ「そうそう、僕もそう思っていた」という、一種の既視感に囚われることが多い。自分で考えていたことをすらりと纏めてくれる味方のような印象を受けてしまう。
 勿論、そこに内田という方のたぐいまれな話術がある。内田の論を「前からそう僕も思っていた」と思わされてしまった段階で、強烈な説得力になる。なぜなら、その段階で内田の論を「自分の意見」と勘違いしてしまっているからだ。人間は常に「自分の意見」だと思っていることに固執することも確かだ。

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紙の本

紙の本寝ながら学べる構造主義

2009/08/30 18:24

勉強は まだ 始まったばかりなのだ

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 噂にたがわぬ 平易な本で 正直感動した。

 「平易な本」を書く難しさというものがある。世にある古典の数々は実に難しい。ましてや哲学関係の本の難しさにはしばしばお手上げである。

 難しくなってしまう理由は色々とあるのであろう。そもそも 考えていることを平易に語るというだけで一つの天才が要求されるに違いない。天才的な哲学者が 天才的な書き手かどうかは また別の話である。ましてや 更に翻訳が必要になる場合は 何をかいわんやと言えよう。

 かつ 本書で内田が冒頭に喝破している通り、わざわざ難しい用語を使う風潮もあるのではないか。思うに 哲学の一つのステータスとして「難解」であることが必要とされているのではないかとすら思ってしまう。そうやって ハードルを上げておいて それを超えられた人のみが入れる「クラブ」のような雰囲気がどこかないだろうか。


 それに挑戦している著者の意気込みが行間からばしばしと伝わってくる。蛮勇と言われかねないくらい 噛み砕いて語る著者の話し振りは圧巻だ。


 本書を読んで勉強になった。もちろん 著者の説明が全て正しいかどうかは分からない。平易に語る際に 著者が「捨てなくてならなかったもの」も必ずあったろう。従い この本を読んで 次にどうするのかという事が 正しく著者が読者に迫っているメッセージなのだろうと僕は考える。勉強はまだ始まったばかりなのだ。

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紙の本

紙の本日本という国

2006/11/11 07:49

蛮勇なるもの

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は二部構成である。「日中戦争前の日本」と「戦後の日本の米国・アジアとの係わり合い」である。主眼が後者にあり 前者に関しては「福沢諭吉」に代表させる思い切った構成となっている。勿論 日中戦争前の日本を 全て江戸時代に生まれた福沢に背負わせるという事は相当の蛮勇であると直感的に思う。しかし 時として 片手で事態をわしづかみする荒業も必要だ。その蛮勇のお陰で この本は非常に解り易くなったと思う。


 とにかく 著者は 明快に語っている。この「明快さ」が「正確さ」を どれだけ帯びているのかは 不勉強の僕には残念ながら 解らない。この本は 賛否両論が渦巻くような気がする。


 ここで 僕として 感じるのは そんな「賛否両論」をむしろ待っている著者の「確信犯」である。従来の靖国問題、戦後賠償問題等を 中学生に向けるかのような語り口で 涼しい顔で語ってしまう姿には 颯爽としたものも感じる次第だ。


 議論を広げるためには 議論の参加者を増やすべきだというように語っているような気がしてならない。そう思った僕にして 既に著者に絡め取られているような気がしてきた。

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紙の本

紙の本フェルマーの最終定理

2006/10/29 11:07

山登りに似た数学の本

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 数学から離れて幾歳月という状態だが 本書には感動した。一日で読んでしまったほどだ。皆さんの言われている通り 数学が分からなくても十分堪能できる。

 この本は何の本に似ているかというと 登山の話に似ている。ふもとから部隊を組んで 一歩一歩キャンプや基地を設営していく。キャンプを作っていった人たちは 各時代の数学者達だ。彼らなくして とてもこの最終定理は解決できなかったはずだ。各数学者は自分のキャンプを立てて そうして死んでいく。そう 正しく亡くなって行くのだ。本書はそんな数学者達の群像をきちんと捕らえている。ガロアの決闘前夜の姿は感動的だ。キャンプを作った中に日本人がいるのも嬉しい。特に頂上にアタックする最後のキャンプは大部分が日本人が作ったことがわかって嬉しかった。

 そうして 最後の一人が頂上にアタックする。今までのキャンプに育てられてきた若者だ。最終定理はアイガーの北壁並みながら 若者が登っていく。最後の壁が本当に厚かった点は数学の分からない小生でもひしひしと感じる。そして来る頂上征服の瞬間。

 本書は正しく「登山」の本だと思う。我々も自分の「頂上」がどこかにあるはずだ。それは数学ではなくても 何かがあるのではないか。

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紙の本

20-40年前に胚胎された問題の顕在化ということ

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 会社での友人に借りて読んだ。感想は三点だ。

 一点目。本書の主張は「生産年齢人口=現役世代の数の減少こそが、日本経済の問題である」という点に尽きる。消費する人が物理的に減少したことで内需縮小になったという話だ。
 この指摘は従来漫然と「経済成長」「GDP拡大」「内需拡大」と考えていた僕にとって明快な話だった。現役世代の減少とは20-40年前に胚胎された問題の顕在化であり、タイムマシンが無い僕らには処方箋が極めて限られているという点は良く分かった。

 二点目。では「内需」や「消費」とは何なのだろうか。
 「モッタイナイ」という考え方が、日本には伝統的にある。近年も見直されている。「浪費を慎む」という美徳と、内需拡大とはどのように折り合いがつけられるのか。著者は食糧問題に関して「現在の膨大な食品廃棄も見直されていくでしょう」(186頁)と言うが、その廃棄こそが食品業界にとっては「内需」だ。
人間の「浪費」に関しては、文化人類学の「贈与」という観点で見るなら、極めて人間らしい行為ということになるのかもしれないが、いずれにせよ、本書での著者は、この点に関しては明快な意見は無く、僕自身は尚更答えが出せない。

 三点目。著者は愛国者であることを強く感じた。
 企業が多国籍化していくなか、日本がこの状況であるなら、本社を移転してしまう可能性は常にあるのではないか。そう思いながら、読み続けた
 著者は地域振興を専門にしている。日本の市町村の99.9%を概ね私費で廻ったという。そんな著者の日本に対する偏愛が見て取れる。それは本書の後書きで著者が言う「美しい田園が織りなす日本」に集約されている。
著者は251頁で、日本人は日本を出ていけないと言いきっている。その思いが「日本の内需をなんとかしなくてはならない」という熱さとなっている一方、実際の企業等が、同じ熱を共有するかどうかは、僕には定かではない。

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紙の本

紙の本そうか、もう君はいないのか

2008/03/30 20:57

本書が湛える底光りのありかとは?

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 休日に2時間程度で読みおえた。最後は泣いてしまって困りながら。

 この本は二部構成である。第一部は 城山三郎が書いた 奥様との出会いと死別であり 第二部は 城山三郎の娘さんが書いた 城山三郎の死だ。

 第一部を読んでいて 強く思い出したのは アラーキーの写真集「センチメンタルな旅、冬の旅」である。アラーキーの写真集は 奥様の陽子さんとの新婚旅行と 陽子さんの癌との闘病と其の死を扱った作品だ。
 その写真集と この「そうか もう君はいないのか」は 驚くほど似ている。アラーキーの白黒の写真集が小説のようでもあるし 一方 城山が極めて抑制した文章で書き上げた本書が白黒の写真集のようでもあるのかもしれない。

 泣いてしまったのは 第二部の娘さんの井上紀子さんが書かれた部分だ。ここで見えてくる城山三郎は 彼自身が描いた淡々とした男ではない。最愛の妻を亡くして嗚咽しつづけた夫である。
 そんな第二部を読んだ上で 改めて 第一部を読んでみると 淡々とした文章の底にかすかに見える激情が浮かび上がってくるかのような思いがする。
 この二部の構成が 本書を比類の無い作品に仕上げている。

 死を哀しむのは 動物でも人間だけなのかもしれない。そんな「哀しみ」は時として耐えがたく その人を滅ぼしてしまうこともあろう。但し そんな「哀しみ」という感情を得たことで 僕らだけが感じうるものもあるのではないかと思う。本書が湛える一種の「底光り」は そんな「哀しみ」を感じうるものだけにしか見えないのではないか。
 そんな事も思いながら 読了した。

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紙の本

紙の本老人と海 改版

2008/01/06 20:13

単純な話と簡単な話とは 似ていて非なること

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この作品の筋は実に単純だ。老漁師が一人でカジキを釣り上げるが 帰港の間に魚をサメに食べられてしまう。それだけだ。

 「単純」な話と「簡単」な話は似ていて非なるものだ。この作品が その良い例だと思う。

 この話は漁師の「敗北」を描いているのか、「勝利」を描いているのか。それすらはっきりと断言できない。それほど 難しい話なのである。

 カジキを持って帰れなかったという筋だけを見ると「敗北」の話だ。但し 老人はカジキを釣り上げた点を見ると これは紛れも無く「勝利」と言える。特に 老人は 既に漁師としての盛りを過ぎたと言われていた環境を考えると「大勝利」であると言ってよいと思う。

 但し、と思う。

 但し この話は やはり「敗北」の話なのではないか。そう読む方が 味わいにぐっとコクが出てくるような気がしてならない。

 「敗北」には ある種の甘美さがつきまとう。負けっぷりの良さ という言葉もあるが 僕らは どこか敗北の中に美を見る部分があると思う。「老人と海」という シンプルな話が美しく煌くとしたら その漁師の敗北の美学ではないだろうか。

 繰り返すが この話は単純で 難しい話なのだ。色々な読み方が出来る。そんな本は余り多くない。

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