ブックキュレーター哲学読書室
眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊
哲学と映画の正面衝突が生み出した書物、ドゥルーズの『シネマ』2巻は、その奇妙な性格ゆえに、ドゥルーズ哲学の「応用編」として、あるいは映画を論じるための便利な「道具箱」として、言ってしまえば読まれずに済まされてきた。しかし本書は同時に、「見て、書く」というきわめてシンプルな、芸術学にも批評にも詩作にも欠くことのできない営為に基づき、それを突き詰めたものでもある。私たちが新たに「見て、書く」ために、『シネマ』が反射する5冊を──うち1冊が拙著で恐縮だが──選んだ。【選者:福尾匠(ふくお・たくみ:1992-:横浜国立大学博士後期課程)】
- 92
- お気に入り
- 9108
- 閲覧数
-
ドゥルーズ『シネマ』の解説書である本書は、哲学がいかにして「(映画を)見ること」、そして「(ベルクソンを)読むこと」というふたつの経験を同時にその営みのうちに内在化できるのかという問いに取り組む。一方では現代のイメージはわれわれに「たんに見る」ことを許さず、他方では哲学における思弁の前景化によって「たんに読む」ことから離れつつある私たちが新たに立ち返るべきは、「最も素朴な哲学者」であったドゥルーズではないだろうか。
-
美術史とは、イメージを見て、それについて書く学問だ。ユベルマンは美術史の営為をここまで抽象化したうえで、そのことの意味を、この学問領域の発生と同時代的なイメージをともに分析しながら思考する。見ることと書くこと、そのあいだに非−知を穿つという彼の態度は、あんがい作品への理論の「適用」を糾弾した『シネマ』の最良の後継者なのかもしれない。
-
『眼がスクリーンになるとき』では、コンピュータについても、インターネットについてもひとことも触れなかった。しかし当然、私たちにとっての現代的なイメージを考えるうえで、これらの装置が生み出すイメージを考慮に入れることは避けられないだろう。本書はそうした試みのなかでも傑出しており、『シネマ』との突き合わせによって新たに本書のポテンシャルを汲み出すこともできるだろう。
-
ドゥルーズの『差異と反復』には、「眼それ自体が拘束された光なのだ」という一文がある。カンブリア紀における生物の形態の爆発的な多様化は、まさに光が拘束されるべき刺激になったことと不可分だ(生物ははじめて「見た目を気にする」ようになる)。スクリーンとしての眼と、身体の構築という『シネマ』の主題が、本書において生物学的なレベルで展開される。
ブックキュレーター
哲学読書室知の更新へと向かう終わりなき対話のための、人文書編集者と若手研究者の連携による開放アカウント。コーディネーターは小林浩(月曜社取締役)が務めます。アイコンはエティエンヌ・ルイ・ブレ(1728-1799)による有名な「ニュートン記念堂」より。
ブックツリーとは?
ブックツリーは、本に精通したブックキュレーターが独自のテーマで集めた数千の本を、あなたの"関心・興味"や"気分"に沿って紹介するサービスです。
会員登録を行い、丸善・ジュンク堂・文教堂を含む提携書店やhontoでの購入、ほしい本・Myブックツリーに追加等を行うことで、思いがけない本が次々と提案されます。
Facebook、Twitterから人気・話題のブックツリーをチェックしませんか?
テーマ募集中!
こんなテーマでブックツリーを作ってほしいというあなたのリクエストを募集中です。あなたのリクエスト通りのブックツリーが現れるかも?
テーマ応募フォーム
こんなテーマでブックツリーを作ってほしいというあなたのリクエストを入力してください。
ご応募ありがとうございました。
このテーマにおける、あなたの”6冊目の本”は?
※投稿された内容は、このページの「みんなのコメント」に掲載されます。
コメントを入力するにはログインが必要です