新作『零の晩夏』を描く書斎にあった書物たち

零の晩夏』の登場人物のひとりが、ドストエフスキー の『悪霊』を喩えに出す場面があります。のみならず、物語の闇の部分を描くにおいて、この古典作品を依童にしたというか、ご利益にあずかろうと思ったフシが自分の中にありました。『スタヴローギンの告白』という章は『マルドロールの歌』の殺害シーンのように呪わしくトラウマ級です。

とある架空の画家が主人公。モデルはゴーギャンだそうです。社会的地位を捨て、画家になった主人公ストリックランドの個性。発表し名声を得る欲もなく、ただ描きたくて絵を描く。最後は南の島の奥地に居を構え、無名のまま没してゆく、その生き様にはただもう圧倒されました。

現代アートの祖ともいえる異端の画家アンリ・ルソーの絵を巡るサスペンス。アンリ・ルソー、そしてパブロ・ピカソ。有名な画家たちがこのミステリーの主役たち。ピカソがルソーに出会っていなかったら、現代アートはまた少し別な姿をしていたのかも知れない。そんな歴史的邂逅の瞬間がスリリング。

犯人は今もまだ捕まっていないが、いま何処にいるかといえば、そこにいる、という戦慄のノンフィクション。読書後、縁あって清水潔さんから直接お話を伺う機会がありました。映像化の可能性については消極的だった清水さん。遺族を一番に考えておられました。今回、『零の晩夏』に登場する事件のひとつはこの実在の事件からインスパイアされました。

「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」小林秀雄の『考えるヒント』、その中のひとつ『言葉』にこの一節が出てくる。この文章に出会ったのは、大学時代。あれから数十年。作品を作る過程において、何度もこの壁に苦しめられた気がします。『零の晩夏』では先輩の座右の銘として出て来ますが、僕自身の座右の銘でもあるわけです。