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うーん。エピローグは裁判の結果とは全然関係ない、少年達がアリョーシャを讃える場面で終わる。解説によればこの作品はこのあと第2部で完結する予定だったらしく、未完のまま遺稿となったという。したがって次への伏線のまま終わってしまったエピソードがいくつかあるようだ。正直、なんだかモヤモヤしたまま終わってしまった感がある。それにしても長く、複雑な構成の小説だった。なんども読む事を勧める向きもあるがちょっとつらいかな。
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やっと読み終わった~
1巻を読んでた時は全く進まなかったけど、だんだん面白くなってきた!
一番引き込まれたのは4巻に入ってからだったな。
5巻に含まれる解題は、それを読んでこそ小説自体が楽しめるものであった。
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筆者の推察する「第2の小説」の構想に、こちらも興奮!アリョーシャのその後、少年たちのその後、ああ想像が膨らみます。
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この巻の大半を占めている解説がいい。 続編のことをあれこれ考えたりするのは楽しいし、話を忘れずにいられる。 面白い小説だった。
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遂にカラマーゾフの兄弟読み終わりました!やったあ\(^o^)/五巻はエピローグだけで、あとはドストエフスキーの生涯と解題だったのですが、解題は中々ハードでした。でも、「なるほど、あれはそういう意味だったのか」という発見や意味が解った部分などもありました。
まだ寒かった季節からはじまったカラマーゾフVS自分の戦いは暖かくなって、やっと終わりを告げました。最初の方は、正直読み始めたことを後悔した日もありましたが最後まで読めて本当に良かったです。
次は、何を読もうかなぁ…。
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一巻からまとめて。
悪人にも魅力的な人物はいますが、実際主人公以外に終始善良な人間がいないこの物語も、魅力的な登場人物で満ちていたように思います。
全編を通じて一番面白かったのは、大審問官のあたりです。
三兄弟の中ではイワンのようになりたいです。
コーリャは何となく昔の自分を見てるようで、もっとも彼ほど優秀ではなかったですが、心がチクチクとすることもありました。
新訳だからか、とても読みやすかったです。
最近書かれた小説と言われても特に抵抗なく読めそうなあたりが文学史に名を残すような傑作としての資質なのでしょうか?
文学的に何が言いたかったのかとかはあまり分かりませんが、単純に小説として面白かったです。
僕に言える感想はこの程度です。
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偉大な作品。間違いなく偉大な作品ではあるのだが、構成、設定、伏線を鑑みると、やはり未完である。これだけの作品が、単品としても世界有数の作品が、さらに重要な第二の小説のための前振りでしかないという事実をどう受け止めたらいいのだろう。
間違いなく人類の偉大な財産の損失ではあるのだが、同時に福音であるとも言える。エディーが遺したDevil's Wayを継いだコユキが、やっぱエディーの歌はすげーなーって思ってたら、これは君の歌だよってエディーの声が聞こえたみたいなノリで、いずれ偉大な第二の小説をも含む、もしも第二の小説が書かれていたとしてそれも含めたカラマーゾフの兄弟という作品を、トータルとして超える作品が生まれたときになって初めて、第二の小説が書かれなかったという事実が、人類の偉大な財産の損失から、福音に、より偉大な作品の登場を祝福する福音に変わるんじゃないのかな。100年か、200年、数百年先かはわかんないけど。
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とうとう最終巻。これまでカラマーゾフ世界の混沌とした濁流の中でなすがままに揉まれてきましたが、それもこれが最後。
さあ気合いを入れて読むぞ、と思ったら、60ページにも行かない段階で物語は終了したので、驚きました。
残りは訳者による作者の生涯と、この作品に関する論文が掲載されています。
これはこれで、非常に読みがいがあり、作品理解の大きな手がかりとなりましたが、4巻が5巻の倍もある分厚さだったので、予想外のことで拍子抜けしました。
これなら4巻の「誤審」の章を、5巻に入れてもよかったのではないかと思いますが、ミーチャの刑が確定する前と後で、分けたかったのでしょうか。
5巻の章は「エピローグ」。まさに最終章です。
刑が告げられたミーチャの元へと元恋人のカーチャを連れて行こうとするアリョーシャ、ミーチャの部屋での恋敵同士のカーチャとグルーシェニカのはち合わせ、前後不覚の昏睡状態となったイワン、脱獄と亡命計画など、息つく間もなく密度の濃いシーンが展開されます。
彼らの会話の中で、この事件が4日間内に起こったことだということに改めて気が付き、驚きます。
長い年月を経た物語のように思えていました。
ロシアでは、裁判は翌日開催されるものなのでしょうか?
事件後日をおかずに行われるのはいいことですが、あまり早すぎると証拠が揃わず、この話のように誤審が多い気がします。
ラストは、イリューシャの葬儀に向かい、コーリャたち少年に囲まれ、歓声を上げられるアリョーシャのシーンで幕を閉じます。
結局、脱獄計画はどうなったのか、イワンは回復するのか、など、気になる話は残ったまま。
少年たちの登場は、あまり本編と直接に関係してはいないような気がしていましたが、彼らが最後に登場するということで、やはりドストエフスキーは続編となる第2部を構想していたんだろうと思えます。
2部を読めないのは残念ですが、それでも1部だけで十分楽しめるというかもうおなかいっぱいというか。
アリョーシャがテロリストになると作者の口から語られていたそうですが、おそらくコーリャたち少年も、そういった過激的行為に走るようになるのでしょう。
アリョーシャが常に読者によりそう形だったので、この非情な煉獄絵図のような物語の中も突っ切っていけましたが、アリョーシャの心的描写が、ほかの人物に比べて極端に少ない点は、やはり最後まで気になりました。
あちこちに動いてよく人と会っていますが、常に受け身的立場で、主体性があまり見えません。
感じたり考えたりするのをやめているような感じ。
こうした彼の描写が、2部にはがらりと変わったのかもしれません。
また、作者がプロローグで、アリョーシャのことを変人だと名指しして書いていましたが、この作品を読む限りでは、特にそうは思いませんでした。
むしろ周りの人たちが変人ばかりのような。
ただ、周りから見れば、アリョーシャはやはり変わっていて一人浮いていたのでしょうけれど。
前の巻では、いろいろなことが起こって、どこか感覚がマヒしてしまったようなところもありましたが、つまりイワンとスメルジャコフは裏と表のような存在だったというわけですね。
スメルジャコフが実行犯ながら、彼はイワンの父殺しを望む深層心理を読みとって凶行に及んだわけで、つまりはあなたがそうさせたんだ、と面と向かって言われたイワンは、確かに内なる心の声を聞き、自分の欲望に気付いてしまいます。
スメルジャコフを拒絶しながらも、父殺し実行犯は自分だったという衝撃で心身病んでしまう彼。
イワンに拒絶され、絶望して自殺をするスメルジャコフ。
漱石の『虞美人草』の藤尾が、屈辱で憤死をするように、登場人物たちは感情の起伏が激しすぎるあまり、精神が肉体を傷つけていると思いました。
人格的にいくら問題があろうとも、彼らなりに自分を愛してくれた父や兄たちが、それぞれ不幸になっているのに、結果的に誰一人として助けられず、結婚を約束した自分の恋人さえも去っていったことについて、アリョーシャは何を思うのでしょう。
キリスト教の教義の限界でしょうか。
アリョーシャがもし第2部でテロリストになったとすれば、それは宗教は人の救いとならないと見限ってのことでしょう。
キリスト教についての鋭い疑問を放った兄イワンの主張(「大審問官」のくだり)に、最終的には同意したということになるのでしょうか。
社会の体制が変わらないことには、いくら宗教が存在しても、魂の平安は得られないと思ったのでしょうか。
難しい問題を提示して、物語は終わりました。彼らの今後が気になります。
当時のロシアの社会状況がわからないと、理解しづらいところもありましたが、心理ドラマとしても非常にドラマチックな作品だったので、少しずつ彼の他の著書も読み進めていきたいです。
でも今回は相当集中して全巻読みこんだので、しばらくは軽い本を読んでクールダウンさせないと、頭がもたなさそう。。。
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世界最高峰の父殺し物語、ここに終結!
エディプスコンプレックス渦巻くロシアの大陸で、三兄弟のドタバタストーリー。
ドスト氏にはいつも驚かされる、ほんとに。うん。うん。フロイト先生もびっくりだっつーの。
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全五巻にわたるカラマーゾフの兄弟、ついに読了です。
長かったですが、非常に充実した読書時間でした。
この巻での小説はエピローグのみ掲載で、60pだけです。
後の300pはドストエフスキーの生涯として100p、年譜に、解題「父」を「殺した」のはだれか、という亀山さんの解説が掲載されています。
たっぷりとページが割かれているので、解説も丁寧で分かりやすかったですね。
この小説はご存じのように、古典小説の最高峰というには、けっこう未完成な印象が残ります。
一番?と思うのは、キャラクターの書き分けにバランスが欠けていること。
これだけしか出ない子供を、何故これほど丁寧に描写するのか、なんてことですね。
それからエピローグも唐突な印象で、これをもって文学史上の最高峰とまで言われると、荒になるような完成度です。
でも書かれなかった第二の小説があったとすれば、すべて納得なんですね。
その書かれなかった第二のカラマーゾフの兄弟を、亀山さんが非常に巧みに推理してくれている。
・・・惜しかったよねえ・・・ドストエフスキー自身が言うように、この第二の小説が書かれていれば、そうとう凄い作品になったのではないか?
こっちの方がオモシロそうだものね。
そういうことを読めるだけでも、この最終巻は価値があります。
それから神話的な象徴層と物語層の間に自伝層がある、というのも、やっぱりと思う指摘です。
名前からフェードルが一致していて、病気が同じですものね。
偶然とは思えない。
年譜やら生涯の話を読んでいるとまったく瓜二つ。
この小説は、ドストエフスキーが自分の人生を全部叩きこもうとした小説だったんですね。
良く分かりました。
ミステリーとして読めば話は完全に不条理モノの範疇で、何故かセバスチャン・ジャプリゾの「シンデレラの罠」とか思いだしましたよ。
何でだろうと思ったんですが、初読の時期が一緒だったという記憶があるんで、そのせいでしょうか。
他に共通点、ないよねえ・・・
亀山訳は、簡単に訳され過ぎているという批判も一部ありますが、こうして読みとおしてみると、ドストエフスキーの小説は難解な単語に唸りながら読むより、勢いで読む作家だったのではないか、とも感じましたね。
俺が苦しんで読んだ本を簡単に読み終えるなんて許し難い、という気持ちもよく分かり(実は私にもそういう感情がありました)、また平易にすることで、深い場所に眠るエッセンスが消えるという危惧もありましたが、今はまず亀山訳でおススメと思いますがどうでしょうか。
亀山先生には、次に白痴か悪霊を、よろしくお願いしたいと思っています。
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ドストエフスキーの本は、僕の心にとってなによりもの処方箋だった。無神論的実存主義的な考えにとらわれていただけあって、『地下室の手記』の中年や『罪と罰』のラスコーリニコフから始まって、今作品のミーチャ、イワン、フョードル、スメルジャコフ、ゾシマ、コーリャあらゆる登場人物が生きていて、感情移入して相づちを打っていた。これがポリフォニーか、とその手法に驚愕していたが、たったひとり感情移入できそうでできないアリョーショがいた。そして解題を読んでようやく、ようやくウムと相づちして、誰よりも昔の自分を重ね合わせた。
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『カラマーゾフの兄弟』という小説に対しては,『スローターハウス5』の「人生について知るべきことは,すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある」という言葉で言い表されている。
大学生の頃に新潮文庫の原卓也訳で読んでから10年以上経過してしまったが,それと比べたうえでの感想を述べたい。白状すれば,覚えていたのは,イワンとアリョーシャのやりとりくらいであったが,当時「古典を読み通した」という満足感はあった。新訳は,やはりそれぞれのキャラクターがいきいきとしている。コーリャなんてほとんど記憶になかったのに,今回は鮮烈に印象を受けた。
とりわけありがたいのは解題である。もちろん色々な解釈は成り立ちうるのだろうが,一線の研究者による一定の解釈は,一読者がより世界的傑作を楽しむための絶好の補助線としての役割を果たしてくれている。
10年後にもう一度読みたい。
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裁判のその後が書かれています。
短いですが、一番感動を覚えたシーンでもあります。
解説が大半を占めていますが、4巻まで読み終えたのなら
是非読んで頂きたいですね。
アリョーシャ!
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大半がドストエフスキーの生涯と、訳者による解説。本編だけではイマイチ分かりにくいので解説を読みたくて買ったのにその解説もわからない。とゆーか、この作品未完なので、そもそもスッキリ完結!とは思えないものらしい。もう一回挑んだらも少しは解るかな…
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2012.8.22
おわったー!
3巻からは一気に読んだ
勝手にカラマーゾフ一家の人々の人生を追うようなものをイメージしていたが、衝撃的な瞬間を描いたごく短期間の物語だった。
深い意味はさておきストーリーはミステリー要素が濃い。罪と罰を思い出す。5巻の長すぎる解説を流し読みしたところ、ドストエフスキーがなかなか狂った人だったよう。ギャンブルと女と酒。カラマーゾフは自伝的な要素を含むらしい。ミステリーを自で行くか、すごい人だなあ、という感じ。トルストイのが好きだなこれは。
それにしたって、登場人物ほぼ嫌い。みんな汚くていやらしく人間的にすぎる。(でもアリョーシャはもちろん好き)
それに何ページにも及ぶ大げさで派手な台詞も嫌気が差す。
それでも読み終えて振り返ると1人1人の生の熱気みたいなのがすごかった。熱くて熱くて、でも狂気の筋が物語に通っていて、こりゃすごい作品だ~と納得。
宗教問題は勉強不足で理解できない箇所あり。聖書読もうかなやっぱ。ほんとに神の存在なんてまじめに議論したんだろうか、時代を感じる。そゆとこは楽しい。