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もちろん、映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』を観たために再読しようと思って買い求めた本です。
王子の語るエピソードの1つひとつが何かの象徴のように感じられるし、また読者にとっては気付きを得るような内容になっています。
ただ、これがあまりにも、明示的で不条理だという印象を受けました。つまり、メッセージは直接的で分かりやすいのだけれど、ストーリーとして釈然としない。
そういう読み方は、あるいは王子に言わせると、忌むべきなにかに分類されてしまうのかもしれませんが。
決して、好きでない、ということはありません。挿絵も含めて、とても優しくて素敵な小説世界だと思います。けれども、この本で強調される(ようにみえる)教訓めいたものを切り出して、それを額縁に入れて壁に飾るような読み方は、私にとって心地よいものではない、ということです。
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この夏、ジェラール・フィリップの朗読CDを買って、真夜中にひとりで何度も聴いた。映画「リトルプリンス 星の王子様と私」を観る前にもう一度活字で読み返したかったので、特にお気に入りの野崎歓先生の新訳を選んだ。ちいさな王子さまが広大な砂漠に立ち尽くしている光景を何度も想像してしまい、何度読んでも胸が締め付けられて涙が出る。それも大人になるにつれて益々… 日常の些末なことを大切に生きようと思う。
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僕はまだこの本をどう評価してよいのかわかりません。ただ、読むたびに新しい発見があります。それが価値あることなのかはこれからの人生で明らかになると思っています。そんな本です。
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おとなになってしまった人が忘れてしまっている、こどもだった頃の気持ちを思い出せる物語でした。全体を通して、美しい、けれどもの哀しい雰囲気がありました。心に残る言葉がたくさんありました。
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有名な「星の王子さま」の新訳。
この作品ははじめて読んだ。
けれども、あまりピンとくるところがなかった。
少年少女はこの作品を読んでどう感じるのだろうか。
そういう部分がとっくに鈍麻してしまっている自分にはわからない。
私にとっては、サン=テグジュベリといえば、やはり「夜間飛行」や「人間の土地」のサン=テグジュベリだ。
たとえばこういう文章。
「リヴィエールには、自分が、長いあいだ、重い物体を差上げ続けてきたような気がする。いわば、休む間もなければ、果てる希望とてもないこれは努力なのだ。「僕は老いてきた……」行動自体のうちにかれが自分の糧を見いださないということは老いた証拠のように思われた。いまだかって、ただの一度も思ったこともないような、こんな問題に心を労している自分にふと気づいて、彼は驚いた。それにもかかわらず、彼がこれまで絶えず押し退けてきた、やさしいものの集まりが、目に見えない大洋のように、憂欝な響きを立てて、彼に向かって押寄せて来るのであった。「それらのものが、かくまでに身近に迫っているのか?……」彼は、今思い知った、自分が、すべて人間の生活を優しくしてくれるものを、老後の方へ、「やがて自分に余暇のできるとき」へと、少しずつ押しやってきていたのだと。なにか、実際に、やがていつの日か、自分に余暇ができ、一生の終りに近く、自分が想像しているような幸福な平和が得られでもするかのように。ところが、平和はいつになってもこないはずだった。勝利もないかもしれないのだ。なぜかというに、あらゆる郵便物が、ことごとく到着し尽くすということは絶対にないはずだから。」
(「夜間飛行」堀口大學=訳 新潮文庫p22)
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野崎歓による『星の王子さま』(原題『Le Petit Prince』)の新訳。『ちいさな王子』と直訳されたタイトルが示すように、原著に忠実な訳文であるよう。
内藤訳との大きな違いは、本文が敬体(ですます調)でなく、常体(だ・である調)で訳されていること。理由として訳者が、あとがきにて「『できるならぼくは、この話を、おとぎ話みたいにはじめてみたかった』と、語り手自身が述べているではないか。つまり、実際には彼はそういう語り方を採らなかったのである」と指摘しているのは説得力がある。
(その他はたとえば、主人公から王子への呼びかけが、「坊っちゃん」や「あんた」から、「坊や」「きみ」とされていたり、「けんのん」「寄せ算」「かんじん」といった言葉は「とってもあぶない」「足し算」「大切」といった現代風の言葉に置き換えられている)
内藤訳に慣れていると読み始めは戸惑うけれど、淡々とした野崎訳だからこそ、本書の端々に溢れる純粋さが際立って感じられる。内藤訳は名文だけれど、野崎訳もまた違った味わいがあって良い。
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初めて読んだ。
こういうのは、やはり小さいときに読んでおくべきなのだろうか。
でも、これはやはり大人が読むべきものなのだろうか。
「夜間飛行」「人間の土地」「戦う操縦士」ときて、どうしてここに辿り着いたのか、その飛躍にとても心動かされる。
噂に違わぬ素晴らしい傑作だった。
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非常に示唆に富む面白い童話。
誰もいないのに王様のいる星
のんべえのいる星
数を数えて所有した気になるおじさんのいる星
一日中ライトを点けたり消したりする点灯係のいる星
地理学者のいゆ星
この星をめぐる部分が非常に面白い。
変なことをいう星の王子さまの発言もまた面白い。
さすがOJTの先輩が一番面白いと言っていた本。
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心の内を分かち合う相手のいない人びとが孤立したまま宇宙にちらばり、あるいは砂漠を彷徨っている。
可愛らしい王子さまの冒険だけど孤独なお話。
だからこそ、なついた薔薇やきつねは特別な存在。
だらかにとっての特別ってだれかにとってのなんでもない存在。
ボアが猛獣をのみこもうとしている絵。
ボアが象を消化している絵。
想像力って生きるうえで糧になるなぁ。
大切なことは目に見えない。
有名すぎる本の光文社古典新訳ちいさな王子。
知ってるようで知らない忘れてるおはなし。
人生に大切なことがつまってる。
わたしたち大人は、赤ら顔さんというおじさんだなぁ。いつもやってるのは足し算ばっかり。目の前のことばっかりで反省。
今読んだきっかけは、この作品を題材にした哲学対話に参加するためです。発言はむずかしいけど世界観には浸れれば嬉しいなぁ。
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大人になってから読んでみると、王子やキツネの言葉にハッとさせられる。どこかに不時着してみてわかることもあるのだな。
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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1419998486049681415?s=21
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「星の王子さま」を含めて、初読。
聖書と資本論に次いで多くの翻訳がなされた本、とのことで、納得の名作。
数多い印象的な場面の中で、お気に入りは、
冒頭の、ヒツジの絵を書く場面で、なかなか王子のOKが出ないので、(一休さんのように)、箱の絵を描いて、「きみのほしがっているヒツジはこのなかに入ってる」と、やったら、王子が顔を輝かせて喜ぶ場面。
あとは、(以下、抜粋)
23
「こんにちは」と小さな王子がいった。
「こんにちは」と商人がいった。
それはのどの渇きをしずめるという、あたらしい薬を売る商人だった。週に一粒、その薬を飲めば、それでもう何も飲みたくなくなるのだそうだ。
「どうしてそんな薬を売ってるの?」小さな王子はたずねた。
「ずいぶん、時間のせつやくになるんだよ。専門家が計算してみたんだ。そしたら、毎週五十三分のけんやくになるらしい」
「その五十三分をどうするの?」
「好きなように使えばいいさ・・・」
小さな王子はつぶやいた。(ぼくだったら、もし五十三分つかえるなら、どこかの泉まで、ゆっくり歩いていくだろうなあ・・・)
26
「きみが夜、空をながめるとき、どれかの星にぼくが住んでいて、そこでぼくが笑っていると思えば、きみにとっては全部の星が笑っているようなものでしょう。きみがもてるのは笑うことのできる星なんだよ!」
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これは大人のための本だ。子供のときに見えてた、考えてたことが、大人になって見えなくなっている、忘れていることに気付かされる。
最後のやりとりは十分に理解できていないけれど、肉体的な苦痛と精神的な苦痛を経た別れだったのだろうか。
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砂漠に不時着した飛行士の「ぼく」は、小さな星からやってきた王子と友達になる……。
いわゆる『星の王子様』です。原題はこちらのタイトルの方が近いそう。
児童文学というカテゴリではありますが、どちらかと言うと「かつて子供だったすべての大人へ」というメッセージが強い気がします。
小さい時も読んだことがあるのですが、その時は正直よく分からなかった。
優しく柔らかい語り口なのに、孤独を感じる不思議な話。
私は幼少期、子供同士で遊ぶというよりは大人に囲まれて育ったので、言葉は伝わっているはずなのに意図が通じない、子供だけが感じ取れるような半空想の世界を伝えられないもどかしさと常に隣り合わせにいたのですが、その感覚を思い出しました。
特に、冒頭の「ぼく」が描いた絵を見せる場面が特にその印象が強かったです。
本当に大切なものは目に見えない。有名なセリフですが良い言葉です。
反物質主義思想とでもいうのか。物や金や数字、目に見えるものしか信じられない、ノルマや時間に追われ、金銭で簡単に手に入る贅沢に溺れている大人になった「わたし」へ、かつて子供だった「わたし」からの言葉のようにも感じます。
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SL 2023.2.24
何年振りに読んだだろう。
野崎歓先生の新訳。
作者自身のことや時代の背景を知って読むと、ほとんど何も知らないで読んだ時とは全く違う景色が見える。
ハッとさせられる言葉がそこかしこに。
子どものためのファンタジーでありながらこの孤独感はすごいな。