千年前の価値ある自筆日記・・・実は愛すべきオモシロ日記だった!
2011/05/30 16:03
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:辰巳屋カルダモン - この投稿者のレビュー一覧を見る
2011年5月、藤原道長の『御堂関白記』がユネスコの「記憶遺産」に推薦されると、新聞で目にした。2013年の登録を目指すとのことだ。
「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
広く知られたこの和歌は、今から約千年前、平安王朝の最高権力者に上り詰めた藤原道長が詠んだとされる。道長の33歳から55歳までの23年間にわたる日記が『御堂関白記』である。現存する日本最古の、しかも自筆日記である点が評価され、今回の推薦に至ったようだ。
藤原道長はもちろん知っている。でも『御堂関白記』となると?さっそく、読んでみることにした。古典初心者向けの本書は、現代訳、解説とも、ほどよく今風にアレンジされている。聞き慣れない言葉や習慣が登場すると、解説コラムがあり「痒いところに手が届く」親切ぶりがありがたい。
おごそかな気分で読み始めたが・・・すぐに衝撃の事実が判明!
道長は、漢文の読み書きが大の苦手だったのだ。日記は誤字脱字、勝手な当て字だらけ。内容も単なる出来事の羅列が多く、文章が上手いとはお世辞にも言えない。
「巳時萌給。(略)」訳;巳時に一条天皇が亡くなった。(1011.06.22より)
正しくは崩御の「崩」で「巳時崩給」と書くべきところ。それを「萌」とは・・・千年前にすでに萌えていた道長、この時46歳。
道長は三男坊で、若い頃は勉強そっちのけで遊びに精を出していた。気楽さと跡継ぎになれないやるせなさが同居していたのだろう。兄が次々と亡くなり、棚からぼた餅で政権が転がり込んできたのである。
漢文で日記を書くのは、その頃の上級男性貴族の「たしなみ」であった。そのため、イヤイヤながらも仕方なく日記をつけていたらしい。しかも、サボりがち・・・。
何だかホッとして、肩のあたりの緊張が緩んだ。千年前の中年貴族男性がぐっと身近に感じられる。
一条天皇が漢詩好きなので、できないのに無理して漢詩の会を開いたり(1000.03.02より)、まだ幼い孫に博打の手ほどきをしたり(1018.閏04.01より)、自分が苦労しているから末息子には家庭教師をつけてばっちり漢文教育をしたり(1018.02.16より)など面白エピソードには事欠かない。実は、望月の歌も自分で作ったものか、あやしいそうで・・・。
もちろん「笑い」だけではなく、政権維持のために涙ぐましい努力もしている。他の公卿たちが日常的に仕事をサボる中、毎日せっせと働き、ひとり遅くまで残業。療養中の病人には見舞品、遠方に赴任する知人には餞別を、もれなく贈る気配りを発揮する。そして日記に「馬・二人乗り用鞍・笠・馬具二組」と、しっかり内容を記録。ライバルを悪辣な手口で失脚させるダークな一面もあり・・・。漢文の読み書きは苦手でも、さすが道長、仕事はできる男だった。
娘の彰子が二人の皇子を産む前後は人生の絶頂期。嫌いな日記を書く筆もなめらかに、ノリノリで裏書までいっぱいに書いているのが、笑いを誘う。このあたりは彰子付きの女房であった紫式部の日記にも記載があり、両方を読み比べてみると面白いだろう。少しだけ読んでみたが、紫式部の才能が並みはずれていることがよくわかった。
意外にも!たいへん、楽しい日記だった。思いがけない贈り物をもらった気分。何せ、光源氏のモデルとも言われる道長である。華麗で雅やかな王朝絵巻を期待して、ページを開き始めたのだが・・・。でも、そんな日記だったら、かえって退屈で最後まで読み通せなかったかもしれない。
当の道長はユネスコ記憶遺産への推薦をどう思っているのやら。シマッタ、漢文の堪能な学者に写本を依頼して、そちらを残せばヨカッタ!(恥)と悔いているだろうか・・・。
ユネスコ記憶遺産へ無事に登録されるよう、心から祈りたい。
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤原道長が主人公の永井路子「この世をば」が大好きなので読んでみました。「この世をば」でも書かれていたように、誤字脱字だらけでそれを気にしないところが面白いです。
誤字当て字だらけ。
2017/05/13 10:31
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投稿者:うりゃ。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
源氏物語の中で、紫式部が光源氏の口を借りて「勉強しなきゃならん」というのは、当時の貴族の実態を見てもっともなことなんだろうなと改めて感じさせる。
抄録だが、現代語訳、書き下し、原文とそろっているのでよみやすい。
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道長の字の間違いとか、このあたりから新しい漢字を覚えたらしいとかの指摘が面白かった。
行成や実資の日記も引き合いに出しつつの補足もあり分かりやすい。
「他ならない」を多用しすぎ。やっぱり読みづらい文章。
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日記を記した道長だけでなく、数多の摂関家の人間を評する編者が言は、いちいち辛辣で笑える。各日付にある副題も愉快。
「バカ貴公子の代表のような~などに比べれば、かなり優秀な方であった」はずの道長に、漢文の駄目出しが凄い。まるで漢文の出来ない兄に対する紫式部と同じ立ち位置である。確かに出鱈目には違いないがwww
日記自体について述べるのなら、いつの時代も高級官僚って奴はこうなのかもしれない、と一種の諦めに似た気持ちにさせられる。
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春に京都博物館で陽明文庫名宝展へ行ったので、
その繋がりで今更ながら読んで見ようと思いました。
読みながら博物館へ行く前に読めば良かったなぁと思いました。
面白すぎです。
解説に助けられてなのですが、
行間にある背景を知ると思わず吹き出してしまう事柄が続きます。
ライバル達の動向や、頼りない親戚、苦手な漢文、
そしてとうとう後世の一族子孫のために書き残しているはずの『日記』を
読まれたくないと言い出す始末。
現代との価値観は異なることもあり、自分で何を理解できているか分かりませんが、
人間らしい喜怒哀楽が垣間見えて道長という人が好きになりました。
日記に書いたこと、書かなかったことと思いを馳せると楽しいです。
一息に読み進めるというよりは、ゆっくり、ゆっくりと味わいながら読みました。
もっと読みたかったです。
でもまさか、自分の日記が国宝になっているなんて、道長もびっくりでしょうね。
(追記:そしてついにユネスコの世界記憶遺産に登録されましたよ、道長さん
2013/09/15)
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御堂関白日記からピックアップして現代語訳、読み下し文、解説、白文を並べたもの。3巻からなる現代語訳版は持っているのだが、多くが無味乾燥であまり面白くなかった。もちろん、ここでピックアップされたものは、現代語訳版でも分量があって興味深かったのだが。という訳である程度背景もわかるこの本は題名どおりビギナーズの入門版。やはり他の平安貴族の日記ものも読んでみたい、、、かも。
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重田信一先生の解説が、簡潔で時々シニカルでおもしろい。
道長、漢文が苦手だったとは。確かに五男坊だし、お兄さん達がいればあんまり勉強しなくてもいけたような…
野心バリバリの恐ろしいひとというイメージだったけど、そればかりではないみたい。
「崩じ給う」を「萌え給う」って書きまちがえちゃってるって…笑
紫式部日記と並べて読むと立体的になって面白い。彰子の出産の場面とか。
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華麗なる貴族の日常を想像していたが、日記を読む限り全然楽しそうではなかった(笑)
権力はあるが、しがらみも多く、気苦労は絶えず、常に忙しそうだった。
結局最後は仏にすがるようだった。
普通の人間だった。
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すごく好き
道長も人間だったのだなぁと感じる
注釈でちょいちょい道長のこと漢文かけないだのなんだのdis ってるのも面白い
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解説で背景がわかり、わかりやすくおもしろかった。単に道長の日記だけでは無味乾燥、おもしろくなかっただろう。入門書としてのビギナーズ・クラシックスの利点だ。
今まで、定子、清少納言、枕草子側からの道長像を見ることが多かったので、弱点もある道長も知れて親近感がわいた。
また当然のことながら枕草子などにも登場する人物がたくさん出てきて、それらの人々の当時の立場も知ることができた。
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漢文が得意でない道長さん…
時々漢字を忘れる道長さん…
そして後半の日記でも進歩がない道長さん。
こういうのが権力の座にいるのは今も同じか。
穢れがどうしたとか禊がどうとか、その辺にすごい労力を割いている。他にやることあんだろ…って思うのは時代が違うから。でも良くこれでやっていけたな。1000年後くらいに今の時代もそのように思われるのかも。
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現代人のサラリーマンも共感できることが多くて面白かった。
平安貴族も深夜まで仕事してたんだな〜とか思いながら読みました。
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興味の深い記事を拾い出して収録。
日にちごとに、
現代語訳、原文(読み下し文)、原文(白文)、解説がつく。
とりあえずこういうものか、という雰囲気をみた。
コラムが13
・二人の妻を持つ男のけじめ、として倫子、明子の産んだ順に名前のある表がついている。
彰子(倫子) 永延2年(998)
頼道(倫子) 正暦3年(992)
頼宗(明子) 正暦4年(993)
顕信(明子) 正暦5年(994)
妍子(倫子) 正暦5年(994)
能信(明子) 長徳元年(995)
教通(倫子) 長徳2年(996)
威子(倫子) 長保元年(999)
寛子(明子) 長保元年(999)?
長家(明子) 寛弘2年(1005)
尊子(明子) 寛弘3年(1006)?
嬉子(倫子) 寛弘4年(1007)
・御堂関白の温泉旅行として、有馬温泉に行ったことが「小右記」に載っている。万寿元年(1024)11月9日、道長は左衛門尉宮道式光(みやじのりみつ)を付き合わせて有馬温泉での湯治を試みた、と伝えている。
系図で道長の取り巻きたち/政敵たち としての図
〇追従派:公任、行成、正光、兼隆(道兼の子)、公季、斉信
△反道長:懐平、実資、伊周、隆家、通任
国際日本文化研究センター 摂関期古記録データベースに「御堂関白記」あり
日にち順の読み下し文だった。
https://www.nichibun.ac.jp/ja/db/category/heian-diaries/
2009.6.25初版 図書館
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最高権力者の日常をかいまみる。
藤原道長の自筆の日記は後世に残っている。自分の日記が他の人に広く読まれると思ったら今すぐに日記帳を破り捨てたいが、平安時代の貴族は記録として他の人に読まれるのを前提で日記を書いていたとのこと。
解説がついていることがありがたい。それにしても道長は漢文があやふやだったり漢字が書けなかったりする。これを読んで道長像がちょっと変わった。墨塗りの部分など、ちょうど大河ドラマで観た部分もあり、ドラマの演出になるほどと思う。ほかの貴族の日記や、関連する『紫式部日記』『栄花物語』も読んでみたい。