9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読んで、こんなにも大勢の人物が怨霊となり、神社に祀られていることに驚きました。中でも最強怨霊は、大河ドラマ「平清盛」にも登場した「崇徳天皇」。あのサッカーで有名な京都の「白峯神宮」に祀られているとは知りませんでした。
「怨霊の歴史」は、まさに「裏の日本史」であり、日本人の精神や日本文化を理解するためには必要不可欠だと思いました。本書は、その怨霊の歴史がコンパクトにまとめられており、新しい視点で歴史を見ることができます。
しかし、とても理解できない内容もありました。最近皇室に女子が生まれ続けているのは「南朝の呪いとは無関係ではない」とか、「北朝と南朝のわだかまりが完全に解消した時、日本は国際社会で本当に力を発揮することができる」といったことが、第6章の最後に書かれています。このようなことを竹田氏は本気で信じているのでしょうか?新興宗教でしょうか?とにかく気持ち悪いと思いました。さらに終章には、最近の話として、「祇園女将に崇徳天皇が降りてきた」という与太話が取り上げられています。怪談話としては面白いのですが、この祇園女将の売名行為としか思えず、眉唾ものです。
これらが本書の信頼性を貶めていることに、竹田氏は気づかないのでしょうか。
第6章までは「3」評価。終章は読む価値がありません。トータルでは「2」評価としました。
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憤死をした人は怨霊となって祟る。それは天皇であっても同じ。祟りを避けて鎮魂の為の神社を造営したり都を移したりしていますので国史を読み解くうえで不可欠のファクターです。最強の怨霊といわれる崇徳天皇の700回忌、800回忌のエピソードは興味深いものです。
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怨霊天皇の代表格、崇徳天皇を中心とした、歴代の恐ろしいタタり天皇のエピソードが紹介されている。
怨霊は生き残った人たちからつくられるもの。死者に縛られるのは、過去にとらわれすぎで、それが日本人特有の前例踏襲主義の側面でもある。
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ちょうど大河ドラマも保元の乱間近となり崇徳天皇の事を知りたくなったので読んでみました。主に崇徳天皇について書かれていますが仲哀天皇から孝明天皇まで書かれており、また孝明天皇が幕末の動乱期に崇徳天皇を祀っていたことには驚きました。崇徳天皇の跡を辿って四国に行ってみたくなりました。
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論理が飛躍するところが何度かあって、途中で読むのやめようかと思ったけどがんばって読みました。
「全ての天皇に最上級の敬語を使うべきである」というスタンスの著者なので、今まで使ったこともなければ読んだこともなかった敬語を知ることができて興味ぶかかった。
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崇徳院を中心に怨霊について知りたいと思って購入。色々なことを知ることができたし、内容も面白かったので大満足。
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恨みを持って憤死した人物が怨霊になる。
いかにして死者が怨霊となり、生者がいかにして陥れた人物を恐れたのか、そのメカニズムを論理的に解き明かしていて、大変興味深かった。
何より、日本最強の怨霊と恐れられる崇徳天皇が、もうその怒りを鎮めており、日本の泰平の一役を担う立場になっていると結んでいるのが、美しい。
怨霊が実在するかは分かりませんが、少なくとも自分は、崇徳天皇を怨霊だと安易に言葉にするのは控えようと思う。
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旧皇族の末裔さんが書いた本なんだけど、なんだか学研雑誌ムーの論文みたいだった(笑)
去年の大河ドラマ『平清盛』でも描かれた悲劇の帝、崇徳さんを中心に解説した論文なんだけどね。
図解もあってわかりやすいっちゃわかりやすいけど…。
なんだか頭は良いけど、すっごく視野が狭い大学生の卒業論文みたいで、あまり良い印象は受けない本でした。
でも、戦に敗れて畿外で亡くなって怨霊となった天皇さんには「徳」の字が贈られるってのは、ほぇ~って感じだったな~。
ムーと同じで、お勉強にはなりました(笑)
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いやぁ、斬新。天皇にとって怨霊は怨霊だが、怨霊にとって天皇は怨霊。大自然を神とする日本人の原点。勉強にもとってもなりました
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崇徳天皇を中心に、天皇が「怨霊」となるいきさつがぎっしりと描かれる。
私は日本史が得意でなく、「この漢字の読みはなんだっけ」とルビを見返すこと多数、系図に混乱する事も少なくなかったが、終始丁寧な解説で読み終える事ができた。
「こんな凶事があった。これは怨霊の仕業か」との語りにはオカルトの匂いを感じつつも、「怖いもの」「怖がること」がいかに日本人の礎を築いているか知ると、豊かな思索への入口に思えてくるから不思議だ。
また、本書に何度も登場する「怨霊は生者がつくりだす」の言葉通り、怨霊になりたくないと願ったのに、されてしまった後鳥羽院の話が特に興味深かった。
終盤の「日本の許す文化」「和の国」については、改めて気付かされると共に、いつまでも心に留めておきたい金言。
私にとって読み応えのある一冊でした!
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http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2014/12/blog-post_26.html
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竹田さんて、テレビのバラエティとかにもよく出てるし、スキャンダル的なものもあったし、何となく先入観で「たいしたことないヤツ」って思っていたのだけど、すみませんでした。私が間違ってました。
大変おもしろく、興味深く読ませていただきました。
あらためて、研究者なんだなぁと思いました。
日本史史上、「怨霊」となった人は数多くいる。
私はオカルト的な現象はあまり信じないタチなので、何かの偶然が重なったときに後ろめたい思いを抱えているヤツが怨霊を作り出すのだろうとは思っていたけれど、この本はそういった怨霊のメカニズムに加え、鎮魂の手法、いろんな天皇のエピソードまで入っており、全く飽きることなく最後まで読める。
しかし、竹田さんのパソコンや周辺のパソコンが立て続けに壊れたのはコワい…。
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竹田さんの本は初めて読んだ。非常に面白かった。高田崇さんのミステリーでたびたび取り上げられている『怨霊』。歴代天皇を軸に通史として整理されている。
竹田さんはメディアへの露出のイメージが先行していて、これまでは読まず嫌いだった。今後は他の本も読んでみようと思った。
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「怨霊は生者がつくるもの」
竹田さんの本は初めて読んだけど、テレビのイメージと違って(笑)落ち着いた本だった。私に歴史の知識が浅くて、当たり前に語られる歴史の話がわからなかったりして、Wikipedia片手に読まざるを得なかった。この本を入り口に、歴史について勉強したいと思う。
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職場の上司と日本三大怨霊の話をしてからこの手の本にアンテナが立ってます。。
本書は明治天皇の玄孫にあたる竹田氏の著書で、三大怨霊の話ではなく、怨霊と化した天皇家の方々のその原因や経緯、呪いの全容と同時に、海外との比較や呪いの先にある許しの力について語られた本でした。
怨霊から日本の歴史を追う作業はとても面白く、非科学的な解釈も含めそれが当時の世相であったと思うと、一つ歴史を深く知ったような気分になりました。
例えば、崇徳天皇の祟りによって平氏政権が成立し、朝廷から政治権力が離れたというのは当時の一般常識であったこと、そしてその後も平氏から源氏、北条、足利、信長、秀吉、徳川家と移り、700年経ってなお、政権が朝廷に戻ってきていないのは祟りが続いたせいだと孝明天皇は考えていて、「崇徳天皇の神霊を京都に奉還してこれを慰め奉るべし」との議があり京都に白峯社を創建した、とかね。
もっと非科学的な事例で言うと、南朝北朝の動乱は、南北朝合一を以って南朝は歴史の表舞台から姿を消しますが、それは完全に消滅したわけではなく、水面下で皇統を呪詛する存在となっているそうです。具体的な現在の取り組み(?)は皇室に女子が生まれるよう呪詛し続けているそうで、実際昭和天皇も5人目にしてやっと男子を授かり、その後平成18年に悠仁様が生まれるまで41年間は9人の皇族が生まれましたがその全員が女性だったんですよね。9名連続で女子が生まれる確率は2/1000だそうです。もちろんこれが呪詛の結果とは言い切れませんが、そういう南朝の存在があると知ったうえで事実を考えると・・・何とも言えない気持ちになりました。。
また、怨霊が神となるのには、日本人独特の許しの文化があると述べられていました。
それに異論はありませんが、本書ではなく別の本では(天皇家ではありませんが、三大怨霊の)道真などがたどった怨霊が神となる経緯などは仏教と密接にかかわっていて、それに深く納得感を得たのですが、本書では宗教と怨霊の関わりについてはほとんど触れられていなくて、著者の見解を聴きたいところでした。
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怨霊(御霊)信仰が、主に天皇家·朝廷にどのような影響を与えてきたかを知ることのできる一冊。
民間信仰における、怨霊や御霊、たたりなどは他にも様々な本が出ているのが、天皇家の流れを汲む著者ならではの視点だと思う。
祭事の一環かと思ったけど、そこまで恐れていたのか…と少し驚いた。
先に怨霊が多発した中世の寺院(京都の大部分を「境内」とした寺社勢力)について書かれた『寺社勢力の中世』を読んだが、
教義や神仏をたくましく利用し、死者をも恐れず、自分たちのコミュニティを保った寺社勢力(民間)とはやはり違う。
このあたりは、どんなに困窮しても社会の上部にいた人々と、自分の身は自分で守れの庶民の違いか。
この違いで一つ思ったのが、著者の説く「和の国」だ。
戊辰戦争で矢面に立った皇族や賊軍の頭は、その後、怨霊対策?もあって許された。
これが尊ぶべき和の精神というが…。
では、彰義隊はどうか?会津戦争の会津藩幕府軍側の死者はどうか?
賊軍であるという理由で、錦の御旗を挙げた官軍はその埋葬を認めなかった。野ざらし、ミセシメの類である。
皇族や大名藩主レベルは許される。
しかし、そこいらの庶民は許されない。天子様に楯突いた賊軍。奸臣はどこまでも民である。
「和」というのは、「怨霊」というのは、「社会的影響」に左右されるのではないだろうか。
社会的影響が大きいから、国を転覆させるほどの怨霊になれる。祀らねば、許さねば。
どれだけ恨みをもって死んでも、庶民にはそんな力はあるまい。放っておけ。
結局、社会的に価値のある存在だけが強い怨霊になり、それ以外は打ち捨てられる。
和というものにしろ、上級国民に限る!じゃないの?
……なんて、ニュースサイトのコメント欄みたいなことを思ったりもした。
天皇家朝廷から見た怨霊·御霊信仰と、民間レベルの怨霊伝承を比較してみると、やはり面白いかもしれない。
怨霊の影響範囲や被害、怨霊誕生の背景は権力闘争なのか差別や蹂躙の被害なのか、祭祀はどのようになされたのか。その違いもやんごとなき人々と庶民の考え方の違いの良い考察になると思う。