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山月記と李陵は期待どおり。
西遊記シリーズも文章が面白かった。
しかし、他の作品はいまいちというか、読み直しはしないだろうな。
・李陵
・弟子
・名人伝
・山月記
・文学禍
・悟浄出世
・悟浄歎異
・環礁
・牛人
・狼疾記
・斗南先生
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国語の教科書の山月記でおなじみ、中島敦の著作集。
注目すべきは短編「文字禍」。
古代メソポタミアのある博士が王から「文字の霊」について調べるよう命令を受ける。しかしそんなものは聞いたことがない。文字とは何か、文字が人間に与えた影響とは何か、書かれたものや歴史記述とは一体何か。そして最後に博士を襲う「文字」の「禍」とは。
メソポタミア研究から見てもかなり正確な時代考証に基づく、唯一無二の短編を含む著作集。 (DUB.SAR)
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大学生になって読むと高校の教科書ではなんの感想も抱かなかった山月記にこんなにも心が動かされるのか。
ー己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。ー
そう、虎というのはあくまで比喩であり、伝えるための手段として使われているのだ。言われてみれば自分の身の回りにもすでに虎になりかけていたり、あるいは他の動物になっていたりする人はいるのかも。
いやー、実に簡潔明瞭な文。素晴らしい。
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短編集。「悟浄歎異」が面白い。西遊記に外枠を借りた作品で、沙悟浄(河童)目線で悟空と三蔵法師を分析する。
高校時代、現代文の模試でこの作品の抜粋が出題された。それは悟浄が三蔵法師について分析している部分だったが、当時はまったく意味が分からなかった。しかし、30歳を過ぎた頃、偶然青空文庫で拝見し衝撃を受けた。
悟空と三蔵法師の決定的な違い。そしてそれを語る沙悟浄(=中島敦)の人物像も透けて見える傑作である。
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高校生の教科書でお馴染みの山月記を始め、著者の代表作が並ぶ。特におすすめなのは、「悟浄歎異」。西遊記の沙悟浄の目線から、法師や悟空の人物像を客観的に観察している奇作。
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再度この本を手にしたのは表題作ではなく、西遊記の沙悟浄が出家するまでを描いた作品「悟浄出生」「悟浄歎異」のため。中島敦はトラの話だけでなく、このような少し力を抜いた作品も合わせて読むと横浜育ちの本来の姿が見えるようである。
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思いっきり泣くと、ストレス解消や健康にいいそうです。
それも、玉ねぎで涙を出すなどではだめで、感動して心から涙するのがいいそうです。
「山月記」はわずか十数ページの作品ですが、すごく泣けました。
最初の2ページでもう泣けて、最後の3ページくらいはもう止まりません。
あまりの素晴らしさに(そして作品も短いので)知人に全編朗読して聞かせてみました。
読みながら何度も涙をこらえたことは言うまでもありません。
読み終えた後の知人の感想は
「泣き所、あった?」
でした。
感動のポイントは人それぞれです。
なお、その知人は今はだんなさんになりました。
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教科書に載っていた「山月記」を、何度も読み返したことが、今も思い出される。以来、著者の作品、文章を折にふれて読み返してきた。
その漢文調の文章にミーハー心で接していただけかもしれないが、しかし、登場人物の心理描写どれにも、身につまされる思いを感じたことは間違いない。
収載されている作品では「悟浄歎異」をお薦めしたい。また、著者をよく知る友人氷上氏の解説も、著者の育った環境から近代日本の一風景をとても興味深く知ることができた。
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☆西遊記を題材にした
「悟浄出世」「悟浄嘆異 」を
もっと読んで見たかったです。
悟浄の人間くささが好きです。
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図書館で借りて読みはじめたけれど、冒頭の李陵の漢文調の美しさに、どうしても手元に欲しくなって購入することに。
李陵、山月記、悟浄出世はもちろんのこと、山月記(そして中島敦)を理解するにあたり、斗南先生や狼疾記が収録されているのが良かった。文字禍も、可笑しな設定の中に、存在と意義という深いテーマが綺麗に織り込まれていて鳥肌が。
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難しい。著者の育った環境のせいもあるが、文体が漢文調で慣れるまでに時間がかかった。李陵はそれでも面白く引き込まれたが、最後がこれで終わるのかという感じ。山月記も最後が・・・。ハッピーエンド好きの自分には合わないかな。なのでほかの作品は読みませんでした。
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『文字禍』
「君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼ら文字の精霊にこき使われる下僕じゃ」 文字には、確かに魔力がある。「文字にならないもの、文字にできないものは存在しない」と人に思わせてしまうのだ。逆に言えば、この世のものは文字によって名付けられて初めて、人に「それがある」と認識されるのだ。主人公に言わせれば、PC、スマートフォンは文字の精霊の悪知恵の精髄だろう。画面に表示される文字にあることのみが世界の全てだ、と人を盲目にしてしまう。日本にも言霊信仰があったが、日本人は主人公とは逆に、文字の精霊を尊んでいた。この違いはどこから生じたのだろう。
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久しぶりに山月記を読みたくなったので、
そこだけ読んだ。
もっと長い話かと思ってたけど、
教科書に載っている長さのままだった。
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院生だったときに友だちにすすめられていたけど、読んだことがなくて。
でも、今このとき読んだからこそ、これあたしのこと書いてるのか?ってくらい、自分の物語だった。
とくに「山月記」「悟浄出世」「狼疾記」耳が痛く、我が身を振り返らせること。
中島敦はこんな小説を書いている間も、ここに描かれていることを我が身のこととして考えていたのだろうか。
この想いを抱えている人が、こうして小説を完成させていることが、私には謎。
どんな心境だったんだろう、なぜこれを書いたのだろう。
解せない。
知りたい。
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中島敦の短編集。
多くの人は"山月記"でその名前を知っていると思いますが、氏は中国古典に関する造詣が深く、"山月記"を代表に中国古典を題材にした名作をたくさん書いています。
中国古典を題材にした作品は、文体が硬く、本短編集収録作品も読みづらさを感じるものが多いです。
また、"山月記"のように物語の筋がはっきりした作品は少なく、哲学や思想が文章を占める割合が意外に多いです。
"山月記"のイメージでページを捲ると、意外なとっつきにくさに驚くかもしれません。
中島敦には喘息の持病があり、33歳で若くして亡くなりました。
文学活動時期は太平洋戦争真っ只中で、そういった不穏な環境と病魔に侵されゆく肉体から、自我の不安、人生哲学の答えを中国古典の中の物語の中に認めたのかもしれないです。
本書収録の各作品の感想は以下です。
・李陵 ...
中島敦の死後に発表された作品。
氏の作品の内、最も優れた作品として名高い名作であり、本書収録作の中では最も後に書かれた作品です。
複数の中国古典を元にして書かれていて、中国古典に造形の深い中島敦ならではの作品と言えると思います。
漢の武帝の時代の軍人"李陵"を中心として書かれていて、勇猛果敢に匈奴と戦うも捕虜となってしまった李陵が、匈奴達から奇妙な礼遇を受けたことで、見方を変えて自分のポジションを見直す内容となります。
また、李陵を弁護したような態度が武帝に穿った受け止められ方をされてしまい、不名誉にも腐刑に処された司馬遷と、同じく匈奴に捕らえられるも異なる選択をし続けた蘇武もまた、主要人物として登場します。
本作に限らずですが、中島敦の作品は漢文的な硬質な文体が特徴で、慣れないと非常に難解な印象があり、とっつきにくいです。
ただ、小説としてのおもしろさがあり、読み出すと不思議とスルスル読みすすめる作風だと思います。
本作もまさしくそういう作品で、氏の代表作ということもあり、本作を目的として手にとってもいい名作だと思いました。
・弟子 ...
本作も中島敦の代表作として著名な一作。孔子の弟子・子路を中心とした作品です。
李陵同様、漢文調のとっつきにくい文体で書かれています。
また、内容の大部分は孔子に教えを請う子路のエピソードで、頷ける部分もあるものの、起伏に乏しく、個人的にはあまり楽しんで読めなかったです。
ただ、粗暴で無邪気な子路が、まっすぐに孔子に問いかけを投げ、教えを受ける様は軽快な感じを受けました。
・名人伝 ...
本作、名人伝と李陵、弟子は、死後に発表された作品です。
特に本作は、李陵と執筆時期が重なっていたため、最後に書き上げられたという可能性がある作品ですね。
都に住む「紀昌」が師匠の元で厳しい修行の末、弓の奥義を極めますが、さらなる精進を求めて深山に隠棲する老師「甘蠅」を訪ねます。
老師は"不射の射"という、矢を射ること無く飛ぶ鳥を落とす技を持っており、それを見せられた紀昌はその山に留まるが、という展開です。
ミステリーのような作品で、謎の残る終わり方になりま���。
紀昌は真に弓の名人となったのかは意見の分かれるところで、とても奇妙な作品に感じました。
・山月記 ...
中島敦といえば本作を上げる人が多いと思います。
話が短く、ストーリーがわかりやすいので、多くの国語に教科書に採用されているため、あらすじは中学生でも知っているような有名作です。
若くして科挙に合格する秀才だった「李徴」は、官職に就いて大官に傅くことが耐えられず、詩人として名声を得ようとする。
そのうち年を取り、焦りを覚えてきて、そのまま山に消え行方知らずになる。
李徴の旧友「袁傪」は、旅の途中、トラに襲われるが、そのトラが急に襲うことをやめると、「あぶないところだった」と李陵の声でつぶやくのを聞くという話。
とても短い話ですが、中島敦らしい硬い文章で書かれています。
既に内容を知っているので、懐かしさもありスラスラ読めましたが、教科書で習いでもしないと、所見で読むのはなかなか難解と思います。
・文字禍 ...
アッシリアの博士を中心に置いた作品で、本作は中国古典を題材にしていないです。
山月記"とともに『文學界』に掲載された氏のデビュー作の一つですね。
"文字"に宿る霊を探す「ナブ・アヘ・エリバ博士」が、その魔力、文字を知ってしまったことによる弊害に気づいてしまうという内容です。
現代日本に置いて、文字を知る人と文字を知らない人の比較は難しいですが、そういうところもあるのかもしれないと恐ろしさを感じました。
文字を見つめることでゲシュタルト崩壊を起こし、文字に引きずられて様々な物質が正常に認識できなくなる恐怖が描かれています。
・悟浄出世 / 悟浄歎異...
"悟浄出世"と"悟浄歎異"は、中島敦の連作『わが西遊記』の一遍として書かれたと言われています。
両作品とも『西遊記』の登場キャラクター「沙悟浄」を主役に置いて、中島敦の独自解釈が加えられています。
本作では沙悟浄は中国の妖怪なのですが、常に「自分とは何か?」という問いの答えを探し求める存在として書かれています。
悟浄は答えを探すべく、いろいろな賢人の元を渡り歩くのですが、結論はついに出ず、疲れ切って倒れてしまいます。
そんな悟浄の元に、観世音菩薩とその弟子が舞い降りで、悟浄に「ここを通りかかる玄奘法師と弟子たちについていく」よう啓示を与えます。
かくして、悟浄は三蔵法師玄奘の弟子になることになるまでが悟浄出世のあらすじ。
三蔵の弟子になった悟浄が、悟空、八戒、三蔵と、それぞれの関係性について分析した内容が書かれるのが悟浄歎異です。
"悟浄出世"は、答えを求めて方方を訪ねて回る悟浄と、賢人たちの持論がメインとなるため、物語としてのおもしろさはそれほどではないです。
ですが、三蔵に出会っても答えは出ないのに、気持ちだけが楽になるという結末は、疑問に対する答えではなくが一つの対処法に思いました。
"悟浄歎異"は"悟浄出世"とは違い、キャラクター同士の掛け合いが楽しいい作品でした。
ページ数がそれほど多くないですが、物語として楽しんで読めました。
・環礁
中島敦は喘息の療養を兼ねて、パラオで現地の教科書作成業務に携わっていました。
本作はそこでの自然や人々の暮らし、日々の生活を綴ったものとなります。
何作かの短編の連作となっていて、他の作品と違い文体は漢文調ではなく、特に筋というものもない徒然としたものとなっています。
硬い文体で文学初心者をふるいにかける他作品に比較するととっつきやすいように思います。
明光風靡な自然の描写は美しく、こういう文章もかけるんだという驚きがありました。
ただ、一方で、小説としてのおもしろさには今ひとつ欠けるところがあり、最後もぷっつりと終了します。
中島敦はパラオ行きを嫌がっていたフシがあり、療養のために来たのに病状はかえって悪化して、最後は希望して東京に帰ってきたそうなので、そういった思いが出ているのかもしれないと思いました。
・牛人 ...
魯国の歴史書内の記事を元に書かれたと思われる作品です。
中島敦らしい、中国古典を下敷きにして硬い文体で書かれています。
魯の大夫「叔孫豹」は、ある晩、夢の中で天井に押しつぶされそうになる悪夢を見る。
その夢の中で、近くに立っていた牛のような黒い男に助けられるのだが、その後のある朝に、若い頃に路傍で一夜限りの契りを交わした女が叔孫の元を訪れる。
彼女が叔孫の子として連れてきた子供は、夢で見た牛の風体の男そっくりだった、という展開です。
数ページほどの短い話ですが、ゾッとする展開が続きます。
正直なところ、私にはその子供「豎牛」の思考がわからず、不気味な作品でした。
・狼疾記 ...
"かめれおん日記"と共に"過去帳"の中の一遍として書かれた小説で、"文字禍"や"山月記"よりさらに前に書かれた作品です。
漢文調ではない通常の文体で書かれているためとっつきやすいですが、内容は難しく、また、小説というには起承転結もないです。
何かと感じやすい青年が、思うところをつれづれ述べるだけの文章で、面白みというものも特に感じませんでした。
一万年とか後には太陽も死に絶えて人類は滅びるんだけど、それを思うと怖いんだけどみんな平気なのが信じられないとか、愚鈍に見える男には彼なりの思考プロセスがあり、愚鈍に見えるが我々よりもっと崇高なことに気づいているがそれに周囲も気づいていないだけなのかもしれないなあとか、そういう哲学的な思考が書かれてた文章で、好きな人は好きなんだろうなあと思いました。
・斗南先生 ...
"狼疾記"よりもさらに前、中島敦の最初期に書かれた作品です。
主人公の名前は狼疾記と同じく、「三造」となっていて、三造は中島敦本人がモデルです。
本作も漢文調ではなく、実在の人物をモデルにした作品ですね。
斗南先生は、中島敦の伯父・中島端蔵氏で、彼は頑固で偏屈、わがままですぐに人を叱責する、いわゆる『カミナリオヤジ』です。
高齢で体が弱ってきた伯父に渋々ながら付き合う三造の話で、傍若無人っぷりな振る舞いにいらつくところがありながらも、単純に"憎悪"のみと言い切れない難しい思いが感じられる名著でした。
"環礁"、"狼疾記"は微妙でしたが、本作は楽しく読めました。