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闘っているもの
2008/08/20 14:40
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一時期よく読まれた本だと聞いている。僕も25年ほど前に読んだ。そのころは僕自身が まだ高校生であり この本に基本的に共感しながら読んだことを憶えている。作者が自殺したという点に共感したのだろうか。高校時代とは ある意味で死が甘美に見える時期だったのかもしれない。
今振り返ると作者の高野さんの痛ましさが分かる。何が痛ましいかというと 結局彼女は「自分が闘っているもの」がよく分からなかったのだと思う。
彼女が 学生運動であるとか マルクスの本を読む事であるとか 当時の時代の風潮に素直に応じて 素直に努力している姿が浮かび上がってくる。彼女はそれに疲弊して自分で死を選んだと 自分で思っていたのに違いない。
但し 本当に彼女の上にのしかかっていたものは そんな大上段な「思想」であるとか「信条」であったのだろうか。僕には疑問だ。
彼女が闘っていたものは 僕には見えない。但し いずれにせよ それは「思想」や「革命」では無かったのだと思う。彼女自身はそうだと思っていたにせよ。
そうして 僕は そんな彼女は不毛な戦いに疲れ果てて死を選んだとしたら 本当にそれは痛ましいと思うのだ。
不毛とは自分が闘っているものが分からないことをいうとは 村上春樹の言葉だったと記憶しているが 正しくそれだ。
最後に飾る彼女の詩は美しい。彼女の詩人としての才能を伺わせるものがある。これも惜しい話だ
小さい美少女と学生運動
2010/05/21 08:34
11人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:四十空 - この投稿者のレビュー一覧を見る
Q かわいい女子学生が自己批判し続けたらどうなるでしょうか?
A 自殺します。
1960年代学生運動が盛んだった。後の世代は学生運動をしていた世代のなかの一部の種類の人たちを「理屈っぽく、批判精神ばかりあり、自分の責任は棚上げして、後輩を引きずり下ろす、困った人たち」と受け止める。
一方、その批判されている人たちは、いまだに「全共闘はすばらしい」と言ってはばからない場合も多く、私にとってこの時代の「手法」は謎なのである。どの位価値があるのか、或いは無かったのか。
あの時代の「自己批判せよ!」と教授たちの胸ぐらを掴み罵倒する学生たちの中、もし一学生として過ごしていたら一体どんな気持ちだったのだろうと考える。そのヒントとして、高野悦子さんの「二十歳の原点」はひとつの答えである。美しく、愛されて育ち、動物好きで、心優しく、スポーツ好きで活発、頭も程よくいい彼女が、なぜ自殺までするほどに追い詰められたのか。
「未熟である己を他者の前に出すことを恐れてはならない。
マルキシズムのマの字も知らないからといって、帝国主義の経済構造を知らないからといって、現在の支配階級に対する闘いができないという理屈にはならない。私の闘争は人間であること、人間を取り戻すと言う闘いである。(中略)己が己自身となるために、そして未熟であるが故に、私はその全存在をさらけ出さなければいけない」
・・・(失礼ながら)こんな面倒くさい、歯の浮いた台詞を日記に書き、彼女は自らを鼓舞しなければならなかったか。全くバカバカしい。また彼女はわざと露悪的に性の話も書く。彼女は男ではなく、かわいい弱い若い女性なのに。
恐らくこの時代はあらゆる「美徳」も自己批判の対象になっていたのだろう。彼女は自分の美貌をも「批判」されるから、伊達メガネをかける。なんという下らない時代だろう。まるで一風変った新興宗教の中の世界のようである。そして、この手の「批判」は現在の日本でもそこらじゅうで起きている。この時代の影響を考え直す時期であるかもしれない。
家を出る。
2008/07/18 19:22
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
二十歳の原点(にじゅっさい) 高野悦子(たかの) 新潮文庫
作品は自ら命を絶たれた作者の言魂(ことだま)です。17歳のときにこの本を読みました。私が家を出るきっかけになった1冊でもあります。
49歳の今、再びページをめくり始めました。日記です。1月から6月までの… 作者は6月に、通っていた大学があった京都にて、鉄道へ飛び込み自殺を図り亡くなりました。
読み進むごとに作者の死が近づいてきます。日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。
記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。
人間が生きていくうえで必要なもの。空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。本の前半、作者はカミソリで手を切ります。淋しげです。そして死の1か月前に、家族や友人と決別します。
人間は生き続けていくために、わずらわしいと思いながらも、なにがしかの人間集団に属していかざるをえないのです。
著書は他に「20歳の原点序章」「20歳の原点ノート」があります。中学・高校の頃の日記だったと思います。17歳のときに全部読みましたが、もう内容を覚えていません。
こんなにも淡く切ない青春とは何ぞや。
2002/03/22 01:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:20代 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校3年生の終わり頃、ふと目にした雑誌の図書紹介。この書名がなぜか忘れられなくて、でも、著者の名を思い出せなくて、散々探し回りました。やっと見つけたとき、私は二十歳になっていました。子どもは卒業、しかし大人の世界はわからないことだらけ。世の中の嵐にのみ込まれそうになりながら、二十歳という時間は過ぎていくのかもしれません。著者は、この時代を懸命に生き、懸命に答えを見いだそうとしてもがき苦しみます。学園闘争華やかな時代に青春を歩んできた人、また彼らの次世代にも読んで欲しい一冊です。
最初は惹き込まれながら(?)読んでいた、のだが・・・
2010/05/24 22:30
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まぎぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
‘大学に入りたての頃よくきかれたものだ。「あなたは何故大学にきたの」と。私は答えた。「なんとなく」と。勉強もできない方ではなかったし、家庭の状況もよかったから、日本史専攻に籍をおいているけれど、英語でも体育でも何でもよかった。就職するのはいやだし、大学にでも行こうかって気になり、なんとなくきた。なんとなく大学に入ったのである。[・・・]私もたまたま大学にきただけなのである。私にとって大学にくる必然性はなかった。そして私は危うくなんとなく四年間を過して、なんとなく卒業し、なんとなく就職するところだった。大教室での教授にしろ、やはりなんとなく学問をし学生の前でなんとなくしゃべっているのである。まさしく教師はなんとなく労働力商品の再生産を行なっているのである。
現在の資本が労働力を欲しているが故に、私は、そして私たちは学力という名の選別機にのせられ、なんとなく大学に入り、商品となってゆく。すべては資本の論理によって動かされ、資本を強大にしているだけである。
なんとなく学生となった自己を直視するとき資本主義社会、帝国主義社会における主体としての自己を直視せざるをえない。それを否定する中にしか主体としての自己は存在しない。外界を否定するのではない。自己をバラバラに打ちこわすことだ。なんとなく学生になった自己を粉砕し、現存の大学を解体する闘いが生れる。’
(pp. 183-184)
ここ(↑)を読んだとき、違うと思った。違う。
私の母は団塊の世代だ。学生運動も経験している。高野悦子さんとは異なる、東京の私大に通っていたけど、やはり10ヶ月間講義のない時期があったそうだ。ちょっと燃えて、というかかぶれて、学生運動に肯定的な発言をした姉(私の伯母)に向かって、父親である私の祖父は、‘学費を払いながら講義をストするなど、映画館に入って後ろ向いてるようなもんだ!’と言ったらしい(爆)。
私の母は、‘なんとなく’大学に入ったのではなかった。4年制大学に行くのは彼女の(つまり私の)家では当然のことで、その点では彼女も確かに当然のように進学したわけだが、それでも当時女の子が、しかも母のように高校で1年間オーストラリアに留学して曲がりなりにも英語が得意と言えた女の子が進む道は、英文科と決まっていた(または、仏文科とかネ)。でも母は、英語はできる方でも、文学には特に興味を持っていなかった。彼女はキリスト教を勉強したかった。彼女が志望した大学にももちろん英文科はあって、偏差値的にもそちらの方が世間体は良かったが、彼女はキリスト教学科を選んだ。‘なんとなく’ではなく、まさにキリスト教を勉強したくて、大学に入ったのだ。
そうしたら、お前もなんとなく進学しただろう、自己批判しろ、と強要されたのだそうだ。母は自己批判すべきことなど何もなかった。‘なんとなく’入った人は、勝手に自己批判すればいい。でも彼女はそういう学生ではなかった。だから家に帰ると言うと、委任状にサインするまで部屋から出さないと言われた。学生運動の問題は、思想に燃えた自己の考えを他者に強要したところにある。確かに高野さんのように‘自己をバラバラに打ちこわす’必要のあった、またその必要を痛感した学生は、多かったのだろう。でもすべての学生がそうだったわけではない。すべての学生が‘なんとなく’大学に来ていたわけではない。
上で引用した'69年5月28日の日記は、続く次の段落で結ばれる:
‘大学の存在、大学における学問の存在は、資本の論理に貫かれている。その大学を、学問を、教育を、また「なんとなく学生になったこと」を否定し、私は真の学生を、それこそ血みどろの闘いの中で永続的にさがし求めていく。大学の存在は反体制の存在でなければならない。’
(p. 184)
私の母を‘真の学生’と呼べるかはわからないが(!)、少なくとも彼女のように真剣に学問したくて入ってきた学生もいたこと、自分たちとは違う人もいたことに対する想像力が、欠けていたと言わざるをえない。
まぁ彼女は二十歳だったのだ。若かった。ある意味ホンモノだった(私の母が本当に幻滅したのは、昨日まで自己批判を強要していたヤツらが、過去を不問に付し授業再開となってみると真っ先に教室の一番前に陣取って、いそいそと善き学生になり済ましているのを見たときだそうだ)。ホンモノだったからこそ、終わりに近づくにつれ発想が極端に、百かゼロの二者択一的なものになっていくのがつらい。若かったね、いっぱい考えたね・・・ほかに、言うべき言葉が見つからない。
真摯に生きるとは
2024/01/24 14:44
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
1969年に20歳で自ら命を立った女性の日記。当時の社会状況等を知らなければわかりづらいところもあるかもしれないが、むしろ現在とも通じるところにも目が行く。真摯に生きるとはどういうことかを考えたい若い人はぜひ読んでほしい。
高野さんが生きていたら、今日の20歳の若者たちをどう見られるだろう。
2002/12/07 19:03
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投稿者:由良 博英 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学園闘争に身を投じ、現在から見れば虚妄でしかない思想に翻弄されながら、自らのレゾンデートルを模索しつづけた多感な20歳の女性の手記。恋にも破れ、拠り所を失った彼女は、1969年、鉄道自殺を遂げている。最後に添えられた遺書とも思われる詩が、深く心を打つ。彼女と同世代のひとには、過去を頬かむりして、今日、無気力な次世代を育んでいるものも多い。高野さんが生きていたら、街を歩く20歳の若者たちをどう見られるだろう。