投稿元:
レビューを見る
大変に、重く興味深い案件について、一方で峻厳にハードボイルドな一方で。
その範囲内では、実はすこぶるロマンチックな小説だったなあ、という感想。
「チャップリンの殺人狂時代」という映画があって、最高傑作じゃないかというくらいに上物です。
初老のチャップリンは、おなじみの「放浪紳士チャーリー」ではなく、実におしゃれな紳士。
そして、初老の女性たちを手玉にとっては金目当てに殺していきます。淡々と無感情に。(お金がどうしても必要な事情があるんですが)
裁判でチャップリンが。
「戦場で100万人を殺したら英雄だ。日常で1人や2人を殺したら犯罪者だ」
つまり、チャップリン版の「罪と罰」なんです。
ことほどさように、「殺人」という究極な出来事をネタに、「罪とは?罰とは?」という味わいの人間ドラマは、玉石混交多数あります。
恐らく、そういったことの原初が「罪と罰」なのではないでしょうか。
(ま、実は聖書とかが先行している訳ですが、近代的にそれを表現したのは、「罪と罰」が嚆矢では。)
(松本清張さんを筆頭に、「社会派ミステリー」みたいなものは古今東西、その味わいがあります。
最近だとテレビドラマでも「それでも生きていく」とか「ナオミとカナコ」などもありましたね)
と言う訳で、言ってみれば極上のミステリ、「罪と罰」。最終第三巻。
第3巻は、本当に読ませどころ、名場面が目白押し。
ほとんどがラスコリ君、一部、スメルジャコフに密着した、ドキドキの最終巻。
ほんとうに、息遣いが聞こえてきそうな緊迫感は、「人が文字を紙に書くだけで、それも、150年前のロシア人が書いているのに、これだけ面白いんだなあ」と感服。
本当に、ミステリーなんですよね。極上のミステリーっていうのは、当然ながら人間ドラマであり、社会を映している、という言葉を改めてかみしめました。
まあただ、けっこうロマンチックなんですよね。
そのあたりが、カフカさんとかとは一線を画するか。
その分、ドストさんの持ち味は、なんていうか、鉄槌として、重量級ですね。
フットワークは重いかもだけど、一発でもまともにくらうと、もうKO寸前までいっちゃうような、重量パンチ。
それから翻訳の亀山さんですが、バカ売れしている分だけ、翻訳業界?からは誤訳の指摘などあるそうですね。
ただ、「とにかく読み易くはしている」という評価はあるそうです。
だとすれば、僕としては「読み易くしているのであれば、最大ミッションクリアなんだし、上出来なのでは?」と思ってしまいます。
読みぬけば、そりゃオモシロイに決まってるんです。面白いんだから。
ただ、外国語だし昔の話しだし、読みぬくのが苦痛になることが多い。そこを助けれくれれば、いちばんだと思います。
さて、今年は、「カラマーゾフの兄弟」まで一気に駆け抜けるかどうか。
楽しみです。
以下、物語段取りの備忘録。
###############
ラスコリ君=青春の殺人者。インテリの元大学生。金貸しの老婆と、その妹を殺害した。
ソーニャ=ラスコリ君の運命のソウルメイト。貧乏な家族の為に売春婦。
ラスコリ妹=美人で聡明で貧乏で知的な女性。
金持ち嫌味君=ラスコリ妹に言い寄ったが、ふられた。
暑苦しい正義感君=ラスコリ君の大親友。ラスコリ妹を愛している。
ポル刑事=ラスコリ君を追い詰める刑事。物的証拠はないが、状況証拠と尋問で迫る、なかなか深いことを言う。
スメルジャコフ=金持ちで、かつてラスコリ妹に迫った。妻を含め複数の殺人の疑惑がかかる、謎めいた男。
まあこの辺の登場人物で話は追えます。
序盤まず。
ラスコリ妹に、けんもほろろにふられた「金持ち嫌味君」。
プライド高いのでどうにも憤懣やるかたなく、復讐に及びます。
たまたま、ソーニャの父の葬儀食事会があり、その場で、巧みにしかけて、ソーニャが金を盗んだかのように言いがかりを付けます。
この場面が、すごいなあ。
最終的に、「金持ち嫌味君」の陰謀は暴かれ、却って大恥をかかされることになります。
そこまでの、ソーニャにかかるストレス。悲劇性。
そこからどんでんになっての、スカッと溜飲の下がる痛快さ。
実にハラハラとドキドキとスカッとが、素晴らしい!夢中で読めました。
一方で、ラスコリ君は。
ソーニャに「俺が老婆を殺した」と告白。
それをなんとなんと、スメルジャコフが立ち聞きしてました!
さあ、今度はスメルジャコフが、それをネタにラスコリ君に迫ります。
ただ、ここんところは、いまいち目的はよくわかりませんが。
ここのところのスメルジャコフのいやらしさ、ラスコリ君へのプレッシャー、これもなかなか読みごたえがすごい。
そして、スメルジャコフは、「お兄ちゃんを助けたければ」と、ラスコリ妹に迫るんですね。
これは目的がはっきりしていまして、カラダと、そして愛情をよこせ、ということですね。
このスメルジャコフとラスコリ妹の場面。これまた名場面。
迫る男、脅す男。弱る女、悩む女。
とうとう、女が折れます。抱かれるか...だが、そこでやっぱり拒絶!
ここのところ、スメルジャコフの何とも魅力的な悪漢ぶり。悪とはなんと魅力的な物でしょう。
悪いんだけど、なんだか心の半分で応援してしまうような...。
そして、スメルジャコフの魅力がすごいんですが、この悪漢、ラスコリ妹に拒絶されて、「絶望」しちゃうんですね。
この後、雨のペテルブルクを彷徨って、自殺する。
このスメルジャコフのラスト・ダンスの道行きが、たまらない味わいですね。
さあ、ラスコリ君は、ソーニャと妹に見守られるように、警察に自首します。
この自首シーンも絶品...
自首しに来た局面で、「スメルジャコフが死んだ」と知ってしまうラスコリ君。
「え?じゃあ自首しなくても、あいつが密告するってことはもうない?」と動揺するラスコリ君。
思わず、自首せずに警察署から出て来ちゃうラスコリ君...。
ここから、やっぱり自首~シベリア送り。でも、最終的に納得は行ってないラスコリ君。
つまり、本当に悪いことをしたと思えないラスコリ君���
それが最終的にシベリアの地で、唐突にソーニャの膝に泣き崩れるラスコリ君...。
この最期の大きな見せ場は、ちょいと読み手によって好みが分かれるところかもしれませんが。
1巻、2巻と読みぬいてきたら、もう本当に3巻は止まりませんね。怒涛に読み切りました。そして、読み終える直前には、「ああ、読み終わっちゃうんだな。ちょっと哀しいな」と思えたっていうことは、とっても素敵な読書だったなあ、と思います。
さすが、ドストさん。
投稿元:
レビューを見る
殺す前後でラスコーリニコフの行った善行で、マルメラードフが選ばれたが、少女でストーカーされていたのを助けた方はそのまま流されていて、ずっと気になるところ。少女のその後を託した警官のような人も、ラスコーリニコフから馬車などのためにとお金をもらっておいてそのままというのも気になる。この捨てられる線のおかげで、ソーニャと出会わせるためのような唐突なかんじがするマルメラードフの一件も自然さが出ているのかもしれない。
シベリアまで行こうとする(ドゥーニャと結婚して後に行ったはず)大親友のラズミーヒン、ドゥーニャを愛してペテルブルクまで追って出てきて「盗み聞き」という重要な役割を果たして金をばら撒いて自殺するスヴィドリガイロフ、この二つはファンタジーであろう。しかし、ドゥーニャが導線ということか。また、ルージンを悪者にしすぎている気もする。
スヴィドリガイロフが端から盗み見ていたというラスコーリニコフの描写[p267-268]から、ラスコーリニコフの精神的な窮地が最もよくわかる。エピローグの裁判で、ラスコーリニコフが施した善行が物語の始まる以前にもあったことがわかる(この物語は1865年7月7日から14日間のことである)。ひとりよがりの独善的な思想で人殺しをする人間が、一方では無償で人助けをするということにリアリティを感じるか感じないかはひとそれぞれであろう。
個人的には、ラスコーリニコフが雑誌には掲載されたものの、ひとりよがりで独善的な(傲慢な)思想にとらわれて人まで殺してしまい、自首する直前になっても、服役中もそれを「罪」とはみとめていなかったことが、リアリティがあって怖い。最後にはソーニャとの愛でスヴィドリガイロフの二の舞を免れるわけだが(スヴィドリガイロフが死んだことも助けにはなっただろう)、この話はもう、ここしか落としどころがないだろうとおもう。
ポルフィーリーの言うように、ラスコーリニコフはたまたまあの二人を殺しただけで済んだがそれは稀なケースで、大抵は現代にはびこるテロのような行為に至るのだろう。現代において、この物語は小説として優れているだけの都合が良いファンタジー、つくり話、おとぎ話(童話)の域を出るかどうかは疑問だ。
投稿元:
レビューを見る
40代半ばにして初めて読みました。
主人公はもちろん、登場人物の内面の葛藤、逡巡、自分の中でのやりきれなさと、他者との尋常ない(と私には思える)やりとり。
通勤時間に読むのではなく、寝る前に少しずつ読むのに良いと思いました。
やはり、こういった「名作」は若いうちに読んでおきたいものですね。
投稿元:
レビューを見る
巷間に云う難読書の代表格。でも一端の大人になった今なら読めるのではと思い挑戦。
いささかクセのある文体で、時々セリフの語り手を見失うことがある(あと、指示語でも本名と愛称が混在するからわかりづらい)ものの、狂熱に浮かされるラスコーリニコフと周りの登場人物の機微がいきいきと描かれて、ついのめり込んでしまう。
いささか支離滅裂なきらいはあるものの、あれだけの事件を起こして平静ではいられい心理(交通事故を起こした直後、パニックで判断力が著しく低下している状況を想像するとわかりやすい)を慮れば、それも妙なリアリティを持って迫ってくる(もっともラスコーリニコフに云わせれば、そういう心理状態に陥る時点で凡俗に過ぎず、英雄には成り得ないということだろうけど)。
「百の善行は一の悪事に勝る」「英雄の資質がある人間は、人の法の先を征く」
いかにも若く充実した才能にありがちな先鋭的思想。でも現代社会に引き写してみても、法では裁けない悪、救えない善は枚挙に暇がない。世直しの旗手が型破りであることは古今東西の真理。
その意味で、本作は古典文学でありながら現代社会の矛盾をも衝くアンチテーゼとして今でも我々の日常に潜んで牙を研いでいるのだろう。
最後の「愛が世界を救う」といった風情の終わり方はやや唐突な気がしたが、後味よく未来への希望に満ちた読後感を与えてくれる結末だった。
やはり名作は名作たる理由があると再認識。機会があれば他者の訳本も読んでみよう。
投稿元:
レビューを見る
この長い小説がたった2週間(14日間)の出来事であることに驚きつつ。
まぁ、こんだけ内面綴ればそうなるか、と納得もしつつ。
ここで語られる、人を殺すのが悪いことなのか?という問いかけには、ある意味賛同するものがあります。
私は、「権利がある」とラスコーリニコフが考えるような選民思想的な考え方は一切ないけれども、結局、殺人=罪というのも、今のこの瞬間の社会が決めたルールに過ぎないよな、とは、実際思います。
常にその思いは消えない。
このルールは誰がつくった?っていう話ですね。
大部分の人にとって気持ちが良いし、楽に生きるために必要だから維持されるルールだけど、それを納得できない人にとっては、別に殺人が「いい」とか「悪い」とかいう話ではないんですよね~。
単に、行為と社会的罰則が存在するのみ。
そうぃう意味では、一部、共有します。
投稿元:
レビューを見る
構成、スケール、テーマ、どれもとても大きい。世界的な文学作品といわれることはある。キリスト教的な愛を描いているが、もっと不変的な愛について考えさせられる作品である。 これを読んだあとに、筋肉少女帯のこれでいいのだも聞いて欲しい。
投稿元:
レビューを見る
殺人を犯した罪もその罰の意味も分かっていなかったラスコーリニコフがエピローグでようやっとその意味を理解する、そこに至るまで本当に長かったですが読んで良かったと思えました。
投稿元:
レビューを見る
言うまでもないが、人類史上最高の小説のひとつ。
新訳なので人名がごっちゃにならず読みやすかった。海外文学が苦手な自分でも読みだすと止まらなかった。
「ひとをなぜ殺してはいけないか」という答えがここに示されている。人間の良心に訴える名作。人生に迷ったときにもういちど読み直してみたい。
投稿元:
レビューを見る
【由来】
・
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・思ったほどのインパクトを感じなかったというのが正直なところ。ところどころ、のめり込む部分はあったけど。
期待値が高すぎたかも。例えば殺害の現場はもっと葛藤や描写に割かれるかと思ってたし、ラスコーリニコフの救済の過程というのはもっと劇的かと思っていた。
・スヴィドリガイロフは面白い登場人物だった。もっとひどい役回りかと思ったが。
・これから、ふと読み返したくなる時が来るのだろうか。
【目次】
投稿元:
レビューを見る
いやあ良かった。余韻が残る。書物は異界への入り口だと内田樹先生が言っていたけれど、本当にその通りだった。150年前のロシアへあっという間に連れて行かれる。ときにはもどって来られずに、ホームのベンチにしばらく座り込むこともあった。どうしてだろう、殺人犯の主人公に感情移入することができる。後半、かなり大きな存在となるスヴィドリガイロフ。ドゥーニャと2人になったシーンは、ちょうど並行して「痴漢外来」を読んでいたこともあり、それぞれの心理的状況を深く感じ取ることができた。そして、ピストル自殺。次第に近づいていく感じはしていたが、それでも最後まで、いや本当にアメリカに向かうのではと思ったり、最終的にはそっちが死ぬのかあ、というのが正直な感想。主人公ラスコーリニコフは結局、死を選ばなかった。エピローグ、入院する場面ではもう一波乱あるのかと思ったが、持ち直してくれた。ソーニャとの人生を受け入れ、明るく、前向きに終われたのではないか。清々しい気分である。ところで、「カラマーゾフの兄弟」を10年ほど前に読んで、次は・・・と思っていたのがいまになってしまった。また、10年後? 今度は「悪霊」か、「白痴」か・・・
投稿元:
レビューを見る
今年の6冊目。今月の1冊目。
ついに読み終わりました。多分本を買ってから7、8年で全部読み終えました。やっと読み終わった感じがすごくて、達成感はありました。まあ、純文学は物語というより内面の変化をどういう風に感じるかが、楽しみだと思うので、物語的には今の感覚からすると普通だと思います。
投稿元:
レビューを見る
数十年ぶりの『罪と罰』、読了しました。
やはり、良いですね。あらすじは言わずもがなですが、最後のシーンはジーンときます。
この『罪と罰』は犯罪小説なのですが、人間性の喪失と再生の物語であり、そして純粋なラブストーリーでもあるのです。そして大団円とまではいかないものの希望に満ちたエンディング。心が洗われます。
僕が1巻のレビューで書いた、高校生の時に読んだ時に一番心に残っている娼婦のソーニャに主人公のラスコーリニコフが罪の告白をするシーン。その場面を今回再読した際『罪と罰』を読んだ高校生だった自分の状況がありありと蘇りました。
ラスコーリニコフからの罪の告白を受けたソーニャは、ラスコーリニコフからどうすればよいかを問われた際、目に涙をいっぱいに浮かべ、ラスコーリニコフの肩をつかんで、こう言うのです。この時、ソーニャの心は大きくラスコーリニコフへと傾きつつあり、もう愛し始めていた状況でもあります。その彼女が「自分が愛そうとしている男」に向かって言う言葉です。
「さあ、立って!いますぐ、いますぐ、十字路に行って、そこに立つの。
そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。
それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀をして、
みんなに聞こえるように、
『わたしは人殺しです!』って、こう言うの。
そうすれば、神さまがもういちどあなたに命を授けてくださる。
行くわね?行くわね?」
このセリフ。数十年前にも読んだこのセリフ。完全に覚えていました。というか『罪と罰』の数あるセリフのなかで、このセリフしか覚えていません。
高校生だった僕の心に深く刻み込まれ、数十年経ても今でも鮮明に覚えていたのです。
どうして、このシーンだけを強烈に覚えているのだろう。
今にして思えば、当時の僕の価値観が完全に打ち壊された瞬間だったからだと思います。
日本人的に普通に考えれば、ここでソーニャの言うべきセリフは、
「警察に行って自首しなさい」
だと思います。もちろん『罪と罰』のソーニャも最終的には自首を勧めるのですが、まずは何を差し置いても、このセリフにあるとおり、
自分の犯した罪を、自分が汚してしまった大地(神)に許しを請い、全世界に向かって懺悔をせよ
と言うのです。
この時、僕は雷に打たれたように、世界を理解しました。この時初めて「これが宗教を持っている人間とそうでない人間の違いなのだ」と、自分以外の世界がこの世にあるのだということを現実に「知った」のです。
「人を二人も殺しておいて、許されるはずないじゃないか」
当時の僕はそう思っていました。
しかし、この小説の世界(僕の知らない宗教のある世界)では、「罪を悔い改めて、神に許しを請えば、神に許される」のです。
愕然としました。
「人を殺せば、警察に逮捕され、裁判を受けて有罪判決となり、刑務所に行って懲役刑を受ける、あるいは死刑になるまで、自分の罪は消えることはない」と当時の僕は信じて疑っていませんでした。しかし、それでも許される世界がある、ということを知り、そして「人間の罪を許すことができる『神』という存在があるのだ」ということを本当に知ったのが、この時だったのだと思います。
『カルチャーショック』などという生やさしい言葉では言い表せません。自分にとっては天地がひっくり返るくらい驚いた経験だったのです。
「キリスト教の教えとは、そういうものですよ」と簡単に言われるのかもしれませんが、キリスト教の本質など全く知らない当時の高校生の僕(今もキリスト教徒ではないですが・・・)にとっては「なんと神というものは寛大なのだ」とその偉大さに恐れおののいた瞬間でもあったのです。
人間は罪を犯す、愚かな小さき存在です。
それでも、人は精一杯、日々を生き、過ちを繰り返しながら、生活します。そしてこのラスコーリニコフのように絶対に許されない罪を犯してしまうこともあるでしょう。
しかし、人は、真にそれを悔い改めて反省すれば、許されることがあるのです。
本書のラスコーリニコフは、ソーニャにこうまで言われながらも、すぐには反省しません。自分は上手くできず失敗しただけだとうそぶくことすらあります。
さらに予審判事のポルフィーリィーとの最終ラウンドでもラスコーリニコフは完全に敗北します。
「あなたが殺したんですよ、ラスコーリニコフさん!あなたが殺したんです・・・」
まるで、刑事コロンボの映画のラストシーンのようにラスコーリニコフはポルフィーリィーに鮮やかに殺人の罪を指摘されます。しかし、ポルフィーリィーはそこでラスコーリニコフを逮捕せず、何事も知らなかったかのように自首を勧めます。ここは、ポルフィーリィーの心意気に打たれる場面です。
そして最終的に自首したラスコーリニコフはシベリアへ送られ厳しい労働を課せられます。ソーニャもラスコーリニコフのいるシベリアの受刑地の近くに住み、ラスコーリニコフを含めた受刑地の人達の面倒をみます。
そのようなソーニャの無上の愛を感じ、ラスコーリニコフは本当の自分の罪深さを知り、そこで初めて本当に悔い改めるのです。
数十年ぶりに読んだこの『罪と罰』、まるでタイムマシーンに乗って過去に戻ったかのように、いろいろと過去の自分を思い返すことができましたし、新たな発見もたくさんありました。
やはり、このような百年以上も前に書かれた古典名作には、人類の英知が宿っているのですね。
この『罪と罰』、10年後、20年後に再読した時には、また今と違った感情がわき上がるのかもしれません。
本当に濃密で、意味のある読書体験でした。ありがとうございました。
投稿元:
レビューを見る
あぁ 終ってしまった…
42.195㎞のフルマラソンを走り終わったあとは
きっと こんな感じを持つのでしょうね
(残念ながら、私はその経験を持ちません)
人が生きていくこと
人が罪を犯してしまうこと
人が人を裁こうとすること
人がもう一度 生き延びてみようとすること
人が人を支えていくこと
何か独特の 読み終えた後の余韻が
続きます
投稿元:
レビューを見る
第3巻。ラスコーリニコフは神を信じたのではなく、ソーニャを信じたのだ。その一点だけを胸に生き、人生への希望は持っていなかった。だから、ただ生きた。
投稿元:
レビューを見る
ルージンとスヴィドリガイロフのお下劣な人格に比べれば、まだ、主人公ラスコーリニコフの方が(殺人者ではあるけれど)共感出来るような。。
娼婦ソーニャが最も高潔な感じに書かれているのが、何とも逆説的。貧しさが罪なだけで、いつの時代も、人は全力で身悶えしながら平然と生きているんだなあ、と思う。マルメラードフの駄目親父ぶり、現実逃避ぶり、を見ると、人間って150年経っても基本進歩してないなあ、とも思った。