故郷のムラへの愛と、画一化を強いる権力への反発をコテコテに描く
2008/09/30 14:28
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
時制がばらばらで、読みにくいこと極まりないが、がまんして字面を追っているうちにひきこまれ、時間をかけて読んでしまった。
メキシコの大学で教える「僕」の今からはじまるかと思えば、故郷の「村=国家=小宇宙」が何百年か前に成立する神話に飛び、「僕」の子供のころの体験に移り、「村=国家=小宇宙」が長らくの鎖国が破られて藩に吸収される場面にかわり、第2次大戦前夜「50日戦争」によって大日本帝国に徹底抗戦する場面に飛ぶ。
「村=国家=小宇宙」の現場は大江の故郷の大瀬村(現内子町)であり、彼が描く神話の世界は実際に先祖代々伝わってきたものを素材にしており、その神話世界をつぶす巨大な力として大日本帝国があり、天皇がある。
あるいは文化大革命を暗喩するような記述もある。柳田国男の影響か、民俗学的な逸話もふんだんにもりこまれている。
たしかなのは、故郷の村と森への限りない愛情と、画一化という形でそれを踏みにじる力への反発であろう。それが天皇権力だろうと高度成長だろうと。
文学も宗教も民俗学も哲学も歴史も、何もかもをコテコテに詰めこんで、混ぜ合わせてつくったような作品であり、大江自身の思想の遍歴と混乱と成長を時制を無視して詰めこんだような印象を覚える。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
大江健三郎『同時代ゲーム』を読み終わった。
「大きな仕事」だった。
内容としては、主人公が、双子の妹に向けて、自らが生まれた「村=国家=小宇宙」の神話と歴史について書き送る、という内容だ。
全てが手紙の文面である。
最初は、いささかとっつきづらく感じたが、語り(ナラティブ)の巧みさによって、次第に没入して読んでいくようになった。
主人公の書く「村=国家=小宇宙」の神話と歴史は、「壊す人」に導かれた「創建期」から「自由時代」をへて、「自由時代の終わり」、そして、藩権力への反抗、大日本帝国への反抗、戦後の主人公の兄弟たちの人生にまで及んでいる。
つまり、「村=国家=小宇宙」のはじまりから「現在」まで語られていることになる。
しかし、それが一直線に順序だてて描かれているわけではない。そうだとしたら、この作品はもっと退屈なものになっただろう。そうではなく、「村=国家=小宇宙」の神話と歴史が語られていると思うと、次には主人公のメキシコでの性体験が語られたりする。そして、兄である主人公と双子の妹との過去の話も語られる。そして、そういうもの全てを含めたものが、「村=国家=小宇宙」の神話と歴史なのだ。
この作品に対して、「文化人類学を文学に持ち込んだだけの退屈な作品」という評価があるようだが、まったくの的外れだろう。以下に書き記すのは僕が『同時代ゲーム』を読んでいる間に取ったメモである。あまり長いものではなく、またそれぞれが有機的につながっているものでもない。ただ、この「大きな作品」に対しては、真正面から論じるだけの力が僕にはなく、ただ、「感想の断片」のような小文を載せることで書評としたい。
メモ1
…語られるのは、双子の兄から妹への手紙の内容であり、それは全て、村=国家=小宇宙に関することだ。その意味では極めて限定された小説と見えるかもしれない。狭い範囲しか扱っていないという意味合いにおいて。しかし実際には違う。あたかも人間の細胞を電子顕微鏡で見るように、そこには、無限の〈小宇宙〉が広がっている…
メモ2
…おそらく僕が非フィクションの文章を書くという欲求を刺激されたのは、本書の、村=国家=小宇宙の神話と歴史を書く者としての主人公に影響されてのことだと思う。そしてこの作品においては、兄から妹への手紙という形で、その「村=国家=小宇宙」の神話と歴史そのものが語られるのだから…
メモ3
「兄」は主に伝承にもとづいて、村=国家=小宇宙の神話と歴史を描く。伝承というのは、人々の口から口に伝えられた話という意味で、フィクションか非フィクションかカテゴリー分けが単純にはできないものだ。そこには、フィクションも非フィクションも含まれているだろう。だからこそゆえに、『同時代ゲーム』は豊潤な内容を持ちえている…
特異な想像力による壮大な神話
2002/03/13 14:22
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投稿者:めのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
約600ページかけて語られるのは、四国の山奥を舞台にした神話である。「壊す人」を中心にした村=国家=小宇宙の創建と自由時代、大日本帝国との五十日戦争…。物語は、父=神主に土地の神話を語る者として教育された主人公の、双子の妹への手紙として展開される。
民話や文化人類学に興味のある人なら深読みできるだろうし、壊す人、アポ爺、ぺり爺、オシコメ、シリメ、巨人化した人々、無名大尉など、不思議で魅力ある登場人物は、単純に物語としても楽しませてくれるだろう。
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難物です。本人が全部書いてまた第一章を書き直したというくらいなので、最初から生真面目に読むとそこでもう挫折しそうです(笑)。けれどこれは、全部読み終えたときのその独創性、重量感たるや類をみないものです。初期大江作品が必ずといっていいほど書評にあがるのに対して、この頃以後はあまり語られませんが、万延元年と折り返して向い側にあるような作品ではないかと。大江作品の中では傑作の1つだと信じております。この不可思議で民俗的な世界は、作品の通り、まるで遡行していく旅でもあります。脳髄に。全部読むと第一章に戻りたくなるんですが、ほんっとに最初でかなりの人が挫折するかと思う手強さなもんで(笑)
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わっけわっからん♪
これは読むのしんどかったなぁ・・・。
なんかあるんじゃないかと期待して読みきったけど。
恐らく著者の故郷の歴史や言い伝えなんかが題材になってそうだけど、俺は全然しらないことだし・・・。
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浦野所有。
途中、2カ月の長期中断を含め、何度も中断と再開をくり返し、5か月かかってようやく読了しました。
「やっと読み終わったぞ」という達成感はあるのですが、果たして何を主張したかったのか、よくわからん…。
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22年ぶりに再読。
初読時は全く意味不明な言葉の羅列に思われたけど、氏の著作を読み重ね、ほとんど同じテーマながら本書よりも整理された語りの『M/T…』を読んでからの再読で少しは何が書かれているか、くらいは読めるようになった。
メキシコでの暮らしがダイレクトに故郷の村の神話と歴史に接続される第一章から物語に引き込まれた。一般的には第一章が読みにくいと言われてるらしいのだが、個人的には一番面白い。
今回は、五十年戦争が一番読み進めるのが辛かった。時代が進んだために神話感に乏しく、やたらと解説的な語り口に思えたからかも。ただ、「いかに木を殺すか」など、その後に繰り返し語られたり、重要な挿話ではあるけど。
話者の家族が語られる第五章はそれぞれ独立して短編になりそうな面白い話ではあるんだけど、彼らもまた「他所者の子」という出自を考えると、第六章への接続的な語りとしても、ちょっと神話と歴史に接続されるべきものかがこの本の中では違和感があった。ただ、これがきっと衰退する種族へのエレジーのような「揚げソーセージの食べ方」などの語りに繋がったんだろうなとは思う。
後の「M/T」と大きな違いになってるのは締めくくりの章の内容になるのだけど、死者の道が示す宇宙などより大きなものへの接続や過去・現在・未来が同時に存在することなどは明確にヴォネガットの「タイタンの妖女」と重なるものだ。初読時には分からないながらも読了できたことと壮大な物語が円環を描きながら話者の体験に接続されたことにいたく感動したものだけど、2回目は、そういう構造ね、と若干冷めた感想を持った。というのも、過去に遡って過去から見た未来という描き方のラストだったものが、「M/T」では母(祖母)から光さんへの語り、今から未来への語りになっていてそれがとても素晴らしかったからなのだ。
ともあれ、こんなに語りがいのある小説、小説家はいないよ、ホントに。是非二読、三読すべき作品ばかりだと改めて思った。
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おおえー。
冒頭からメキシコ、なんでやねん、というのは、これはすっごく大雑把に、南米への、つまり南米文学へのオマージュと、僕は取ったのだけれど、おそらく全体的にも、深層を探らせるように曲がりくねった文体を用いながらも、面白さを表層にとどめ続ける、何か、そのような得意な手法を著者は採用しているような、そんな印象をまずは持った。
小説世界の神話化。ブームの火付け役となったマルケスの『百年の孤独』がどういう小説なのかということを、端的に言い表すなら、池澤夏樹の「フラクタル構造」というのが一番わかりやすく、しかも的確だと僕は思うんですが、神話というのは、「神話」という容れ物の中に、無数のエピソードがたくさん詰まっている。それは、全体の連関のうちにおいて存在感を発すると同時に、ただ一つのエピソードを抜き出しても、それぞれに別個の面白さが存在するものとして書かれている。「フラクタル構造」なわけです。フラクタル図形っていうのはどこを拡大してもそこに同じ図形が見出せる、あれですね。つまり「神話」というのはそのようなものとして書かれるものであって、完結した物語とエピソードの関わり方が単線的じゃない。ネットワーク的に、ウェブ的に、物語とエピソードが関わっていく。マルケスはそれを小説に導入し、迷宮のような語り口を獲得した、そういう意味で斬新な作家であったわけだけれど、それに触発される形で小説世界の神話化というものが、世界的に試みられるようになった。今超適当に考え付いた話ですが、そう遠くはないんじゃないかと勝手に思ってます。まあいいや。
物語構成素の、並列的連関。フラクタル化。
長ったらしくこんなことを持ち出してきたのは当然この『同時代ゲーム』もそうした手法で書かれていると僕は想像したからなんですが、それというのもこの小説の一番の醍醐味はどこかというと、わざとらしい大仰な口調での語りが、ありえない想像力の爆発を生んでいるところにある、と思ったからです。
壊す人を中心に、描き出される村=国家=小宇宙の歴史。それは常人には覗き得ない異形の世界であり、SF的なまでに荒唐無稽なキャラクタが次々に現れては、地殻変動でも起こすかのように物語がごりごりと動いていく様は、正直言ってばかばかしい。ばかばかしいまでに、呆れるまでに、やりきってる。ここまでやるか、という感じがある。そしてその「ここまでやるか」感がこの作品の肝である、というように僕は思う。深層を探らせるように曲がりくねった文体を用いながらも、面白さを表層にとどめ続ける、というのはそういうこと。「いったい何が起きるんだ」とわくわくさせつつ、起きることのあまりのばかばかしさにずるっとずっこける感覚。決して悪い意味で言ってるわけじゃないので勘違いしないでほしいですが。その爆発的な笑いがこの作品の独創的なところであって、また一番面白いところだと思うのです。
日本という国家と地方との関係において、パロディ的にグロテスクに統一幻想を暴き立てる、みたいな、僕も自分で何言ってるかよくわかってないですが、そういう話も、あるでしょうし、それも主題的な位置を占めているとは思いますが。しかしこの面���さはそこにとどまるものではないでしょう。
再びメキシコ、第一章。
読みにくい、といわれるけれど、ここにこれから展開される内容は、すべて開陳されているから、結局これ以外なかったはずだし、そうやって読めば、とても面白い章だと思う。ドタバタコメディ的な描写も多いけれど、それが後の爆発的想像力に直結される語りだったと思わされた時は、結構びりびりきましたよ。
妹よ。
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大江健三郎の持つ創造性と民族の土地への執着、そして寓意的神話の結晶。20世紀日本文学の収穫とだけあって読み応え抜群です。
メタ文学としては国内最高峰。
と、ここまでベタ褒めですが、星4つの理由としては万人向けでなさ過ぎるという点。
村上春樹、伊坂幸太郎などを好む人にとっては『難解』という幻想に苛立ちを覚える可能性が非常に高いです。
こんな言い方したくはないですが、上級者向けです。
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純文学を大きな声で好きだといえる人でないかぎり読みきれないでしょう。それくらい難解で、ストーリーの流れなどから簡単に面白いと感じるところはない作品です。ですがノーベル文学賞作品ですから純文学好きには避けられないところなんですね。実際に読んでみるとあまりの文の巧みさに驚き、慣れないうちは1ページに10分ほどかかることもあるでしょう。読んでて暗記してしまうフレーズを例として「大岩塊、あるいは黒くて硬い土の塊」、なんてのが頻繁にでてきます。何がおかしい、とか思われるかもしれませんが、あまりに何回も出てきます。この岩の話は最初から最後まで出てくるのですが、そのたびに毎回「大岩塊、あるいは黒くて硬い土の塊」って出るんですから、こっちはお腹いっぱいになってしまいますよ。まぁ、逆にこういうフレーズが暗に純文学っぽく感じられて自己満足でなんとか読みすすめられるのですがね・・・。そんなわけですので、作者の天才的な文体を楽しむくらいがちょうど良いのではないですかね(汗
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物語として内容を読み取ろうとすると、難解で冗長とも感じられるこの作品、最後まで読んでみると、その文脈を楽しんでいけばいいのだなと気づきます。
その世界観は、のちの宮崎駿や村上春樹にも影響を与えたのではというところがあります。
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世界が「何コ」かあるのか?それとも世界の記述方法が「何コ」かあるのか?そのどちらかであると思わざるを得ないなあ。あるいはその両方。
挑戦的だなあという気もする。実験なのかもしれない。
いわゆる「文学」を冠する著者・著書はどれも…その客体は読者だったり、社会だったり、テキストそのものだったり、そして著者自身だったりします。
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狭く深く掘り下げるほどに、世界が広く濃く大きくなっていく。語り手、村=国家=小宇宙の世代を超えた歴史、語り手の家族たちの数奇な人生。さまざまな時間が「同時代」のことのように語られ、その中でも否応なく「時間」のにおいを感じざるを得ない。そして、最後の最後で本当に同時代のこととして解体された。閉じ方の完璧さ。
解説もよかった。解説に書かれなきゃたぶん一生気づかなかったと思うけど、確かにこの小説はどこの章から読んでも問題ない。
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これを生の日本語で読めることはとてつもない贅沢だ。「押し込め」→「お醜女」と解読して行く言葉の閃きのセンスなんかは必ずしも日本語にのみに適用される訳ではないけれど、大江健三郎の言葉の選択を直に見ることが出来る愉悦。よく言われる冒頭の読みにくさにもそれこそアハハと大笑いさせられた。彼の言葉の逸脱ぶりはいつも心地いい。テングの陰間と呼ばれるに至る事件の間での「小宇宙」を見る神秘的体験に、大江健三郎の学部時代から『個人的体験』あたりのサルトルしばりな実存主義からの飛躍が始まる。後の作品の為にも必読な「聖書」。
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昭和54年発行の初版本らしきハードカバーを図書館で借りました。しおりが使われた形跡がなく、加賀乙彦との対談の冊子も挟んでありました。30年以上、読まれてなかったのかな。バーコードが付いていない本は、久しぶりでした。