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タイトルからもっと音楽に特化したものかと思っていたけど、そんなことなくて日本社会の様々なことに触れていた。
養老さんの白熱具合に久石さんが少し引いてる感じがおもしろかった。
脳化の箇所で自分もほんとに「ああなれば、こうなる」って考えてばっかで、そら色々つまらんわと思った。
田舎と自然との触れ合いの重要性は十分にわかった。それでも、僕は田舎に参勤交代はしたくないけど。
にしても、音楽だけじゃなくて普遍的な所からとても示唆に富んでいて目から鱗やったなー
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こういう対談ものは結構好きです。
文明批判みたいな内容もありますが、全体的にエピソードが面白かった。
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売れる、売れないの話、興味深かったです。
売れる音楽というのは、共感性というものが強いから売れるのだといいます。それで、共感性ばかりが強ければいいのかといえば、それは作り手としても、芸術作品という観点からしても、そうではないんじゃないかと、久石さんも養老さんも疑問を持っています。僕もこの意見には賛成で、共感性だけではなしに先見性や説明的なものや新しい概念が含まれているほうが、たとえ売れなくたって価値は高いと思いますし、大体、売れるものだから価値が高いかと言えばそうじゃないでしょう。よく売れる安いハンバーガーがあったとして、その価値は否定しませんが、それに至高(あるいはその近辺)の価値があるとはいえないのに近いような気がしました。
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図書館をふらついていて、養老孟司×久石譲という異色?の組み合わせに惹かれて手に取った本。なんとなく好きだった久石譲の音楽をもっとよく知りたいと思わせてくれた。
目次をたどるだけでも、お二人がご自身の専門を軸としながら、色んな話題を結合している(特に養老さん)ことが伺える。
(まえがき 養老孟司)
「音楽は論理性が高い。一部の音楽は強く情緒に訴えるから、そう思わない人も多いであろう。でもとくにクラシックは論理性に傾いている。数学と音楽、なかでも作曲の才能が、個人のなかでしばしば重なることは、西欧でも古くから知られたことである。筋の通った久石さんの話を聞いていると、よい音楽を聴いているような気持ちになる。音楽と言葉が深いところで連結しているということを、話しながら実感させてもらった。」
→長年音楽してきたのに音楽の論理を知らないことは恥ずかしい…。音楽の論理性について知ることができた。
(p.69- どこにも顔がない音楽)
プロツールス(リズム、音程もデジタル修正できる)
→売れる歌手って歌の巧さより顔、個性なのでは。私自身の好みしかり。
(p.72- 空気が変われば感性も変わる)
日本とロンドンとのレコーディングの違い。
「久石:環境がこちらの感性を変えているんですね。」
「養老:アートといわれるものには、その風土の総合的なものが表れる。(中略)パイプオルガンなんか典型的で、そもそもが西洋の石でできた教会のホールみたいなところで発達しているわけですから、日本に持ってきても合わない。湿度の高い日本ではあっという間に音が変わってしまいますよね」
(p.80- 作曲の胆も閃きにあらず)
「久石:作曲とは限られた音の中での構築作業であって、何かパッと閃いたものを次々出していけばいいというものではない。」
「トゥランガリーラ・シンフォニー」まさに巨大建築物を造る
(p.85- 創作の二面性)
意識的な志向性、情緒的、エモーショナル、メッセージ性/機能性、論理性、運動性
対談形式。だから、お二人も一言一句に気を配っている訳でもないだろうし、ぱっぱっと読み飛ばしました。自分の経験からか、対談を書き起こした人がどんな方なのか。何に気をつけているのかが気になるところ。実際にお二人が話しているところを是非お聞きしてみたい。
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解剖学と音楽界の権威の対談である。異なるジャンルの2人が、目や耳といった感覚器のしくみや理論を展開していく流れはひきつけられるものがたくさんあった。(まとめれてませんが・・・)
・ 視覚と聴覚では処理時間がずれる。映像よりも音楽が先にとびこむ。 視覚にないものは時間。聴覚にないものは空間。よって「時空」という概念が生まれる。
・ 人間は本能的に行動しないで、脳で行動する。脳のルールが「言葉」によって作られる。それは自然には意味のないものである。よって作られた「都市」は「脳化」社会と言える。
・ 言葉で表現できない感覚「クオリア」。しかし現代人の感覚は落ちている。知識として残らない、覚えてもアウトプットできないは排除されがち。言葉で説明できない物を表現するために芸術がある
・ 耳はものを聴く以前に、自分の体の動きを把握する運動系の要素が強い。感覚器は二重構造になっているが、松果体もヤコプソンの器官も退化傾向にある。しかし、三半規管は退化できない。古い感覚器が耳だけは非常に強く残っている。脳から聴覚は古いところに直接届いているので、情動に強く影響する
・ 「ハーモニー」は響き、空間的把握。時間軸上のリズム。「メロディー」は時間と空間の中の記憶装置である。
・ 聴覚系が本来持っているのが、論理性である。そして脳は視覚に騙されやすい。疑問文は論理の基本。個性はからだにあり。
・ 日本人には構築性がない。 空気が変われば、感性が変わる
・ 情報化(ものを書く、ものを作る)と情報処理(言ってること、書いていることを上手にまとめる)ことである。言葉で動くのは人間の気持ちだけ。互いの関係をもっと豊かなものにするために言葉を使うべきだ。
・ オリジナリティとは、新しい共感を発見すること。独創性を過ぎると理解されないし、手前に転ぶと大衆性になってしまう。その綱渡りがアート。
・ 現代人に欠けているのは自分の利益にならないことを受容するという考え方。与えられた素材がどんなものであれ、それで我々は作品を書かなきゃならない。自分の一生は、自分で描ける最大限の作品である。
・ 現代人は生きているという感じが見えていない。自然に入っていくことが感覚のバランスを取り戻すこととなる。
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耳に聞える音と目に見える景色は別物だということは、映像や音楽に係わる世界に身を置いたことのある者なら誰もが痛い目に逢わされて、痛切に思い知らされたことが何度となくあるだろう。
ところが、目からの情報と耳からの情報、この二つの異質な感覚を連合させたところにつくられたのが「言葉」であり、人間は「言葉」を持つことでこの二つの異なった「世界」を同じにしてしまうのだと言われると、思わずウーンと唸りたくなる。
なるほどという思いと、どこかおかしい、騙されているのではなかろうかという思いがないまぜになってくるのである。これは養老先生の話を聞いた時にしばしば起こる感慨であるが、それだけ刺激的であるということなのだろう。
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脳で考えることと、からだで感じることは別。そして個性というのは後者にある。
聴覚系が本来もつ性質は、論理性である。つまり、音楽も論理的。
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音楽とは?とか、クラシックと歌謡曲とは一体何がどう違うのか?という、取り付くしまもなさそうな疑問を持ち続けてきた。本書のような対談式の音楽論本を読み漁っているが、今だ満足のいく納得感が得られない状況。音楽家と解剖学者の対談、というちょっと変わった取り組みでの話の進行は非常に面白いものがあった。養老先生のずばり言い切るところは小気味いいくらい。
しかし、読後、まだまだもやっとした感覚が頭から抜けずにいる。いましらばくこの道は続くのか、というところか(猛烈な解決要求があるわけではないが、興味がつきないので、類書は今後もあたっていこうと。本書はその意味で、また別の音楽への視点を得るきっかけをくれる内容ではある)。
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久石さんのことはジブリの映画音楽を作曲されている方というところからスタートしています。さらに、最近では「坂の上の雲」のドラマの曲も作曲されていて、とてもいい曲だなあと感心していました。ところが、本書を読むと、どうもそういう方面の曲だけではなく、現代音楽も作曲されているとのこと。11拍子だとか、17拍子だとか、いったいそれがどんなものなのか見当もつかないのですが、一度ぜひ聞いてみたいものです。さて本書は養老先生がいつも通り言いたい放題言っているわけですが、それを常に久石さんが感心して聞いているというかっこうになっています。(多分にいい加減な話も混ざっていると思いますが。)さて、視覚に比して聴覚の方は脳の古い部分(大脳辺縁系)で処理をしているということ、それから見ることより聞くことの方に早く反応するということ、そのあたりにおもしろい話題がありました。音楽を作るのに感性でいくのか論理から入っていくのかその辺もおもしろい。ブラームスが最も論理と感性の間で引き裂かれた作曲家であるという話も。ところで、最後の方でレヴィ=ストロースの「神話論理」の話をされているが久石さんはあの大著を読まれたのだろうか。
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非常にインテリジェンス溢れる二人の対談。どちらかというと養老先生の方のウエイトが大きい。
対談だけに、もうちょっと説明が欲しいかなーってところが、さらりと流されていたりして理解がしにくい部分がある。
やや年寄りの説教じみた所が目につくが
、普段教授として学生に接していることで感じている憤りが根底にあるのだろう。まぁ、自分は納得いくことばかりだったけど。
それにしても、知的な人の話は面白い。
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「バカの壁」の作者 養老孟司さんと、
ご存知、宮崎アニメや「おくりびと」の作曲をした 久石譲さんが
耳、音、聴覚をキーワードに、語り合う対談です。
考えただけで、わくわくする方同士の対談!
いや~、一気に読んでしまいました。
「なぜ人は音楽で感動するのか」など
人間が音楽を美しいと感じるメカニズムについて徹底的に語り合っています。
久石さんが音楽について感じていることを語ると、それは人間の脳がこんな風に働くから
音に対してそう感じるんだね~と養老さんがメカニズムを解説する。
そして、最終的には聴覚の持つ神秘の力を問い正す。
面白くないわけがない!というのが感想です(笑)
例えば、映画音楽の第一人者、久石さんが素朴な疑問としてあげているのが、
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映画に音楽をのせる際、厳密に映像に合わせて音楽をつけると、映像より音楽の方が先に聞こえてくるという現象が起きるということ。
映像は光だから、普通に考えると音速より早いはずなのになぜ??
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それに対し、養老さんが
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ある見たもの、聞いたものに対して
脳の神経細胞が伝達して意識が発生するまでの時間が、視覚系と聴覚系では違う。
だからズレて聞こえる。
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という説明をします。
そして、
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その2つの神経は元来別々のものだから、根本的にはそれは当然こと。
それを一緒に組み合わせて考えているのは人間だけだ。
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などと、脳のメカニズムを解説するのです。
他には、久石さんが
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今の時代、目から入ってくる情報にものすごく依存度が高くなっている気がする。
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と言えば、
養老さんが
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意識を失った人が意識を取り戻す時も、最初に耳が回復し、次に目が開くのを考えると、
生きていくときに基本となるのは、目よりもむしろ耳ではないか。
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という意見を述べる。
音好きとしては、音についての対話というだけで興味わくものですが、
それプラス「へ~~、そうなのか~」ということも多い。
音への感覚(それも久石さんの研ぎ澄まされた感覚)に養老さんのメスが入るという感じでしょうか。
音好きな方に(特に理系の方 笑)
オススメな本です。
ちなみに、養老さんは音楽は基本「ながら聞き」らしいです。
仕事の邪魔にならないものが名曲らしいですよ(笑)
本当に集中しているときは聞こえない。
それでも思考の途中で、ふっと気持ちがよそへ行く、そういう時に聞こえてくる音楽が気持ちのいいものだといい。
「聴きなさい!」とばかりに何かを強く訴えかけてくるようなものだと
具合が悪い。
なーんて書いてありました。
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2015/12/27図書館から借りた。
人間と動物の大きな違いは、相手に合わせることができるところだと聞いたことがあります。
自分の一生は作品である!の言葉には非常に共感します。
自分の一生というのは、たとえ汚い安いキャンバスと絵の具しかなかったとしても、それで描ける最大限の作品なんです。そういう課題を自分が与えられているという感覚が、昔の人は暗黙のうちにあったような気がする。それが、修行のようなところに出ていたんだと思います。
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音楽について…というより人生についてっていう感じがします。
養老孟司さんの「情報化」と「情報処理」のお話が面白かったです。内容の薄い考えにならないためにはどうすればいいかということがわかりました。あとはどう実行&継続していくか…
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物事の真理というものは、言葉だけでは説明しきれない。
芸術も言葉にできないものがあるからこそ、芸術として表現する。
オリジナルティとは、新しい共感を発見すること。
そして、良い音楽とは長く聴かれ、色褪せない。
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脳に関する多数の著作を持つ解剖学者、養老氏と宮崎アニメなどの映画音楽を中心として知られる作曲家、久石氏の対談。
音楽が人々をとらえる仕組みを、人類や生物の起源までさかのぼる。視覚や触覚と比較しながら聴覚が脳に対して優位に働く様子が説明される。
お互いの立場で「いい音楽とは何か」に言及される。バッハやモーツァルトが多作だった理由。「意識」を取り巻く情報化と情報処理に、言葉の働き。
作曲にはオリジナリティだけでなく、根本に共感性が必要だという。多々あるロックやジャズの名演即興はそうなのかと、フッと理解したような気になるのである。