リーダーは韓非子についても学ぶべし
2016/05/01 22:25
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投稿者:koyolee - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人にとっては論語の方が馴染みやすいかもしれない。しかし、世界を相手に戦っているリーダーにとっては、それだけでは勝ち残れない。
人に何かを頼む場合「そこをなんとか」とねばるよりも「こうしたほうがあなたの利益にもなりますよ」とほのめかすことで説得力が大いに増すのである。
人間は利益によって動くもので、損か得かの判断が行動の基準になる。弱いものより強いものになびくのは避けがたいのである。
韓非子もひとつくらいは覚えよう
2008/01/26 11:01
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:六等星 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今をさかのぼること2500年。儒教の始祖である孔子とその弟子達の言行をまとめた「論語」。本書にも取り上げられている
-朋(とも)あり遠方より来たる
-巧言令色、鮮(すく)なし仁
-過ちては改むるに憚(はばか)るなかれ
-温故知新
-和して同ぜず
などは、一度は聞いたこともあるだろう。われわれ日本人にもなじみが深い。
一方の「韓非子」。こちらも紀元前3世紀の思想家だが、一般の日本人にはあまり馴染みが深くは無いのではないか。韓非子について書かれている本書の後半部分をひととおり読んでも、知っていた言葉が見つからない。論語に比べて難解だ。それでも一つくらいは覚えておくべきだろう。例えば「戦陣の間は詐偽をも厭わず」などは短いし、(あまり良い意味ではないが)理解はしやすい。
ところで、性善説と性悪説。論語は性善説的で韓非子は性悪説的、また日本の社会は性善説寄りで、多くの諸外国は性悪説寄り、というのが本書の主張だ。その正確性はともかく、この二つの説を比較することによって、ものの考え方がまた違ってくることだろう。そして最終的には著者も言うとおり、両方理解した上で「バランスよく生き抜く」ことが大事だということだ。
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孟子と荀子の直接対比は、既に何度も行われていることであり、今それを行っても、目新しい発見は少ないと予想されます。(勿論それは無駄なことではありませんが) それを考慮してか“はっきりと人の天性は善とは言っていないけれど、発言から判断すると性善説の立場に立っているといえる孔子”と“性悪説の荀子に学び、人間の性は悪だから法によって厳しく統制すべし、という具体例を提示した韓非子”という、少し外したところを持ってくる辺が著者の慧眼だと思います。読み比べて感じたのは、「両方を状況に応じて使い分けるのがベスト」ということ。
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所詮、古き良き時代を懐かしんでいるだけでしかない。
ただ、論語にも韓非子にも一度も触れた事ないのであれば読んでも良いのではないだろうか。
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孔子(性善説)韓非子(性悪説)
性善説のよさを確認しつつかけた点を性悪説で補っていく
孔子
論語とは修己治人の学。修己とは己をおさめる。治人とは人をおさめる。治人のためには修己が必要。
修己の最重要点は徳を身につけること。これを身につけ高い地位についたらこれを下のものに広めていく(徳治主義) 15
徳のなまで最も重視したのが仁
韓非子
人を動かしている動機は何か?仁などではなく利益。
孔子
■朋あり遠方より来る、また楽しからずや
友達を作ることにもっと熱心に!
■君子重からざれば威あらず
態度が重厚でなければいけない)
軽はずみな発言と行動をしない
■学びて思わざれば則ち暗し。思いて学ばざれば則ちあやうし
読書ばかりで思索しないと知識が身に付かない
思索ばかりで読書ばかりだと独断になる
■訥言敏動
■徳は孤ならず。必ず隣りあり。
徳があれば人々の指示をあつめられる
■老者はこれを安んぜしめ、朋友はこれを信ぜしめ、少者はこれを懐かしめん
年長者は安心、同僚は信頼、年少者はなつく
■為さざるなり、能わざるに非ざるなり(弟子の孟子)
仕事ができないのはやろうとしないからである
■その善なる者をえらびてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改めむ
誰からでも学べる。いい点は学び、悪い点は反面教師に。
■歳寒くして、然る後に松柏のしぼむに後るるを知るなり
冬に寒さになってはじめて松や柏が寒さに負けずにしぼまずにいるのを確認できる
真価は逆境のときに現れる
■その身正しければ、令せずとも行なわる。その身正からざれば、令すともいえども従わず
まず我が身をただせ
■速やかなるを欲するなかれ。小利をみるなかれ
■和して同ぜず
■君子もとより窮す。小人窮すればここに濫す
君子でも窮することがあるが小人は窮すると取り乱す。それが違い
■君子に侍するが三けんあり
そう/いん/こ(躁:さわがしい 隠:かくす こ:相手の表情をよまない)
韓非子
■明主のよってその臣を制する所のものは、二柄(にへい)のみ
賞と罰の二つの刀のさやで部下を制することができる
■上下、一日に百戦す
■禍いは本福(もとふく)あるに生ず。故に曰く、福は禍いの伏す所なり
不幸は幸福から生まれる。よって幸福の中には不幸のが芽が隠されてる
■智の目のごとくなるを患うるなり。能(よ)く百歩の外をみるも、自らその睫毛を見る能わず
人の知恵は目のようになってはいけない。目は外をみることができるが自らの睫毛をみれない。自分のことはわかりにくいものだ。
■淵中の魚を知るは不祥なり
他人の秘密を知ると、我が身のためにならない
■人を恃(たの)むは自らを恃むに如かず
他人を恃むより自分を恃め
■下君は己の能をつくし、中君は人の力を尽くし、上君は人の智を尽くす
下君は自分の能力で仕事をする。中君は人の力量(体力ややる気)を使える。���君は人の智力を引き出して使う
智力の中でも自分よりも上の智力を使いこなすのが上君
■人が吾が為に善なるを恃まず
人の善意をあてにするな
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20/7/17
刑名参同(韓非子)
小人の過つや、必ずかざる
学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし
徳は孤ならず、必ず隣あり
文質ひんぴんとして、然る後に君子
暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり
未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼に事えん
その身正しければ、令せずして行なわる。その身正しからざれば、令すれと雖も従わず。
窮すれば変ず、変ずれば通ず(易経)
(韓非子)
知の難きに非ず。知に処するは則ち難し。
禍は愛する所に在り
禍福は門なし、唯だ人の招く所なり(左伝)
衆人の功を成さんと欲して反って敗を為す所以は、道理を知らずして、あえて知に問い能に聴かざるに生ず
智の目の如くなるをうれうるなり。能く百歩の外を見るも、自らその睫を見る能わず。
遠水は近火を救わず
微を見て以って萌を知り、端を見て以って末を知る
三人言いて虎を成す
その我に叛かざるをたのまず。吾が叛くべからざるをたのむ
人をたのむは自らたのむにしかず。
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内容は面白い。けど、このまとめ方なのか!?
ストーリー性がないから、頭に入ってこない
途中で断念
(2009.01中旬)
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性善説と性悪説。ロマンとソロバン。思いと戦略。全てが同じに意味に聞こえる。どちらがかけてもいけない。両方がバランスを取れていなくてはならない。人に優しくするのは簡単であるが、韓非子の心で人に接するか難しいと思う。「人は利益で動く」と、韓非子の言葉である。我々は、自分の給料を上げるために働いている。紛れも無い事実である。当然ながら、周りのメンバーも同様に考えている。奇麗事では片付かない事実が常にあることを意識していく。
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[ 内容 ]
「人間を信頼してやっていこう」という『論語』。
これに対し「人を動かしているのは、ただ一つ利益である」と見なした『韓非子』。
これまで日本の社会は、『論語』が説く「性善説」の側に立って運営されてきた。
『韓非子』が唱える「性悪説」は、馴染みが薄くあまりの厳しさに目をむく人もいるかもしれない。
しかし社会が激変しているいま、「日本人も韓非子流を取り入れることが必要だ」と、著者は一石を投じる。
この対照的なふたつの中国古典から実践的な生き方を学ぶ。ふたりの思想家の名言それぞれ40を厳選。
[ 目次 ]
第1章 性善説か性悪説か(性善説は脇が甘くなる 『論語』の人間学 『韓非子』の統治学)
第2章 『論語』の名言(友を持ちたい 「仁」を身につけたい 重厚な人間でありたい ほか)
第3章 『韓非子』の名言(権限を手放すな 組織内部にも戦いがある 小さな忠義立てが仇になる ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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性悪説と性善説の両方の内容が、比較されながら載っているのですごくわかりやすい本だなと思います。
私自信人間は性悪説だとおもっていたので、この本を読んで共感する部分もあり、逆に性善説にも感心するところがあり面白いと思いした。
古典を勉強するにはもってこいの本の一冊だと感じました。
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中国古典なのでとっつきにくい雰囲気だと思いきや、文章が明快で読みやすい。
高齢の著者なのに意外。文章力の賜物かと。
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人を治めるためには、「徳」だけでなく、「ルール」も必要。性善説に基づく論語と、性悪説による韓非子。その対比が面白い一冊。
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性善説(孔子)か性悪説(韓非子)かを問う人間学の本。
哲学書とも言えるかもしれない。
自分はどちらかと言えば性悪説に拠って立つ人間だと思っていたが、如何に自分が、もっと言えば日本の教育が孔子の論語に影響されているかを実感。
でも、共感するのが多かったのはやはり韓非子w
そうは言っても、韓非子みたいな考え方の人ばかりでは殺伐とした世となり嫌だし、私自身、友達になれる方を選べるなら是非とも孔子となりたいw
やはり世の中大切なのはバランスと気づかせてくれる本。
著者もそう思っているからこそ、副題に答えを書いてくれていた。
この本のまとめはこの副題である。
中国古典を読みやすくまとめた良書。
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中国古典について多数の著作をもつ守屋洋氏が、性善説の代表として「論語」を、性悪説の代表として「韓非子」を取り上げ、それぞれの名言を40件ずつ引用している本。性善説と性悪説は、互いに対立するものではないし、それぞれ実生活で役に立つことを訴えている。
どうでもいいけど、著者の息子である守屋淳氏も中国古典の専門家として活躍しており、先日、講演を聴きにいく予定だったんだけど、大震災のせいで講演会が中止になってしまった。残念。
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性善説の「論語」
性悪説の「韓非子」
引用・説明がある本です。
二つを対比し読んでみると
意外に共通点が多くて面白いです。