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明治維新直後の不安定な時代を描いている。
征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。
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西郷という巨人を中心に日本が歴史を転がっていく。
数多い明治の偉人を巻き込む西郷という人は本当にでかい。
やれやれ、スケールが大きすぎる。
現代にいれば良いのに。。
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後半、にわかに征台論がクローズアップされ、西郷従道により強引に実行される。西郷どんは鹿児島に篭もり、政府に無言の脅威をあたえつづける。大久保利通とは征韓論で袂を分かち下野したのだった。この西郷兄弟について、長州人は全く理解できないとあきれ果てるばかりなのだ。薩摩人にも理由はある。江戸幕府が無血開場したことにより、江戸を焦土にすると振り上げたこぶしの下げ場所が無くなってしまった。この有り余るエネルギーのはけ口にされる隣国はたまらない。
行動があまりにもストレートすぎはしないだろうか。思考では理解できても感情が抑えきれないという場面は確かにある。確かにあるのだが、それでいいのかと苦笑せざるおえない。彼らの不満が政府に降りかかることを恐れ、大久保もこの案を了承するのだった。
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2回目
やっぱりおもしろい。
筋の通ったシンプルでわかりやすい人ほど世間的な行動はややこしいもんやなあと。
文字で読むとかっちょいい人たちも現実に接するとややこしいんちゃうかなあ?とおもいました。
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征韓論から征台論へ移り変わる間のストーリー。多くは江藤新平が加わった佐賀の乱が中心だが、最終敵には、大久保利通が権力を握ってゆくこととなる。
この混迷ぶりを見るにつけ、幕末から明治維新にかけて起こった獅子の時代がウソのように感じられる。新しいものを創ることと、新しい物を積み上げてゆくための仕組みづくりでは、物事質の違いを感じさせたられる。ある意味現在は、民主党に賛成し、裏切られた気持ちになっているが、大久保利通ができるまでの過程なのかもしれない。
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【本82】佐賀ノ乱から始まる大久保の対応は冷徹だが、西南戦争に向けた準備なのだろう。注目すべきは「勅許」という魔法が通用し始めたこと。
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江藤新平による佐賀の乱、それに対峙する大久保利通の独裁的強権が書かれている第4巻。
独立国家として存在する鹿児島、台湾出兵をめぐる迷走等、近代国家日本の道はまだまだ遠い。
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西郷隆盛、拗ねる
江藤新平、散る
木戸孝允、諦観する
大久保利通、翔けて空回る
三条・岩倉、狼狽える
話、余り進まず。
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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。
坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。
明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。
ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。
薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。
日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。
日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。
でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。
古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)
私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!
1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。
いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。
「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人���の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。
新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。
本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。
[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。
しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。
[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。
当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。
一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。
両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・
古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。
いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。
仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。
この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。
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西郷の隠棲と佐賀の乱、征台論の行方
「葉隠」で有名な佐賀藩が実戦に弱かった、というのはいかにも。
佐賀の乱も、もっとページ数裂くのかと思ったらあっけなく終了
薩摩の私学校、行政の区長や警察官もやった
学校というより政党というべきもの
それにしても長いなぁ
以下はメモ
10 西郷、ナポレオンとワシントンの絵
18 鰻丼、犬にやる。店主立腹
25 江藤も大隈も西郷を甘く見た。理解できない
29 慶喜、薩摩藩はにくい。長州は憎くない
33 板垣、新国家構想も行政技術もない。後藤象二郎は装飾物
37 佐賀藩、理屈多く実戦弱い
51 西郷、足はやい
55 久光、政治家というより精神美愛好者
66 「一蔵に聞け」
82 肥後、議論多く実行に容易にいたらない
85 江藤の惨刑、明治政府=弾圧者の最初
91 江藤の裁判、東京で開かれると皆思っていた
112 薩摩の私学校、漢学・兵書主体。孟子や大学中庸は排除
122 薩摩藩の火力重視、機械力重視。長州は田舎藩で火力軽視→陸軍?
123 西南戦争、死者の脇に英語やフランス語の単語帳散乱
126 西郷、斉彬が目指した資本主義理解できず
128 経綸の才乏しき西郷、板垣、と大隈
130 西郷の保守性。武士は百姓になっても商人になるな
133 下肥、自分で運んだ西郷
135 巡査が咎めることも。顔知られていない
145 横山正太郎、割腹して意見書、森有礼の実兄
147 太政官官員の虚飾好きと出世欲>旗本衆
153 村田新八、留学組みで西郷と呼応
171 西郷、太政官に弁当喰いにきていただけ←大隈。あと板垣と昔話
192 廃藩置県、長州の極秘作戦
199 村田、音楽好き。アコーディオン弾く
222 勅命で台湾外征。奇妙な癖を対外活動にまで拡大
233 米国の公使館関係者、能力・活動低い。グラント、無能大統領、軍人あがり
244 占領後の維持を考えない日本
253 従道が征台策を主導
255 木戸、人民のための政治
261 長州藩、補佐政治。官僚組織も洗練
263 大久保、徒道、ともに事務的な実務苦手
264 事務局長は大隈、財政家で楽観論者。井上馨は悲観論者
268 明治初期政府をまともな政府のように扱っていない、各国外交団
278 木戸、上申書と辞表
286 近衛仕官=上士、軍人に。郷士=警官に。雑居させると摩擦
292 対外政策、無配慮&粗暴
295 薩摩者、思いこんだら直線的行動
296 後藤象二郎、後進を引き立てない。一見壮大だが法螺話
314 マラリア、人夫500人中128人病死
315 当時の日本陸軍、輜重を出入り商人に任せる
317 徒道が正装で水番に立つ
324 大隈の対外政策、思想性に乏しく粗雑。でも利にさとい
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大久保の宿敵、江藤の起こした佐賀の乱は簡潔に終了。力の入れどころは作者の裁量だから文句もないが展開がクソ遅い。
余談に翔ぶが如くと化している。
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第3巻は3週間ほどかかってしまったが、本巻はトータル4時間ほどで一気に読み切ってしまった。いや、普通は小説というものはこうして一気に読むべきものなのだろう。
本巻では、西郷隆盛の動きに特段の進展はない。ずっと薩摩にいて狩りに明け暮れている。せいぜい、私学校のボスに据えられたくらいである。その代わりに、時間潰しをするかのように征台論が急浮上。あれだけ西郷隆盛の征韓論を否定していた大久保利通と西郷従道が、旧士族の不満を発散させるため、として台湾への攻撃を思いつくのである。もちろん2人とも西郷隆盛を意識してと行動なのだが、非常に矛盾だらけの行動である。この辺りが政治史の面白さか…。
興味深く感じた点を幾つか…。二つとも藩に関するもの。どうも私は藩のカラーなどを論じた文章に興味を示すらしい。現代でいう、県民性に共通するものなのだろう。
・島津家は日本で最も古い大名だったが、江戸末期から人材登用が活発になっていた。この点、大名家として古い仙台の伊達家が牢固とした門閥主義をとって幕末には鈍重な動きしかみせなかったのと対照的。
→人材登用の大切さが分かる一文である。これは現代では企業に相当するのだろう。実力主義を採用する企業と年功序列を頑なに固執しようとする企業、どちらに軍配が上がるかは自明の理。
・どういう訳か、長州藩は代々凡庸揃いで一度も英気溌剌とした藩主を出さず、また自分に個人的忠誠心を強いる自我の強い藩主も出さなかった。これらの事情がこの長州藩を独自なものにした。
→なるほど、確かに毛利の殿様って、中世の毛利元就や輝元くらいしか思い当たらない。幕末の毛利敬親は名前こそ知っているものの、印象に残らない。しかし、そのお陰で下級藩士たちの伸びしろが出来たのだろう。
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四巻はやや進行が淀む。
淀まざるえないほどに、明治日本にいろんなことが起き混乱する。
西郷下野、佐賀の乱、鹿児島私学校設立、台湾出兵…。
明治維新により一夜にして近代国家としての日本ができたのではない。
混乱を解決することにより少しずつ作られていく。
大久保利通の冷酷さが恐ろしい。
日本人必読の書だと私は思う。
どうして人気がないのだろう?
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読了。レビューは最終巻で。
西郷隆盛から離れ、私もあまり認識無い台湾渡航の話になり、物語の中に入り込めない感。
興味深い流れ
当初は脆弱だった政府の軍力も、佐賀ノ乱、前原一誠の萩ノ乱、神風連を経て強くなり、西南戦争を戦えるくらいに強力になった。
征韓論反対の大久保等が、戦争をするためではないにしろ、西郷隆盛、薩摩の気分を静める為に、征台を進めていく
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グダグダの台湾出兵。第二次大戦の軍部の暴走はこの時に倣っているようだ。歴史に学ばないとこうなるのだ。
台湾出兵は秀吉の頃とあまり変わらない海外遠征で、つくづく征韓論は時期尚早だったとわかる。
学校の教科書だと、台湾出兵なんて2行程度で、薩摩士族への申し訳程度の出兵だとしか書いてない。もちろん興味もわかない。こんなにもグダグダだったなんて、この本を読まなければ一生知ることはなかっただろう。サンクス。
______
p28 佐賀の乱は大久保の餌食になった
江藤新平の起こした佐賀の乱は、政府の根幹を揺るがすどころか、却って政府の結束を強めることになった。この乱のために、臨時的に明治政府の権力が集中し、来る西南戦争へ予行演習になった。
p35 独裁官だな
佐賀の乱において、大久保は独裁のごとくになった。軍事統帥権のほか、行政権・司法権の一部を委任された。その結果、佐賀の乱の戦犯の裁判は大久保のために厳粛に行われ、明治新政府の独裁性が強まった。
p38 大久保の戦略
大久保は佐賀の乱に対して驚くほど迅速な対応をした。その結果、佐賀の乱を挑発して導くことができた。実質、大久保の掌の上で踊らされた形になった。
p53 庭役
西郷は斉彬のもとで、藩士としてではなく、庭役として雇われた。それは、当時の封建制のしきたりで藩士は格式ばった形でしか面と向かって話すことができなかったからである。庭役だからこそ自由に話し合いができ、斉彬の教育を受けられるというわけである。
当時の庭役は庭の手入れだけでなく、密偵などの役も仰せつかったある種特別な存在だった。
p68 実話
佐賀の乱で配送した江藤新平が西郷のもとに救援を求めにやってきた。しかし、西郷はこれを拒否する。
この密談は西郷が宿泊していた宿で行われたが、そこのおかみさんが長命で、当時の西郷の声を聴いている。
「わたしのいうようになさらぬと、当てが違いますよ。」と西郷が怒号をあげたらしい。西郷はあくまで反乱を起こす気はなかった。なのに勝手に佐賀では反乱を起こし、それが破れたら私を担ぎに来るなんて、当てが違うということである。
p102 私学校を作ったわけ
佐賀で沸き立っている壮士たちの怒気を抑えるために、収容所のようなものか?
p125 集成館
薩摩の最新式工場。当時すでに薩摩は小規模な産業国家を形成するだけの力があった。ガラス工場や反射炉による製鉄工場もあった。が、斉彬の死後、これらは廃止された。藩財政の圧迫ということだったが、斉彬ほどの人物がいなければ運営できない代物だった。
p130 兵農不分離
西郷は商業志向を嫌い、あくまで農業志向の国家観を持っていた。「武士は百姓になっても商人にはなるな」
武士の源流は平安時代の農民である。商業は武士の精神を失わせるという。
p138 ビスマルクの器
西郷曰く「西洋人と言っても何も違ったことはあるわけではありません。聞くところによると、ドイツのビスマルクなる者���豪傑で、何の技能もない男であると申します。」西郷は君子器ならずという。君子は道具ではない。道具のような技能はない方が良い。君子は偉大なる徳だけがあればいい。そういう意味でビスマルクを喩えている。
p140 小人は…
小人ほど才芸があって便利なものである。これは大いに用いなければいけない。しかし、長官に据えて重職を授ければ、必ず邦家を覆す。これは薩摩藩の斉彬の後継者争いで感じたことだろう。
p142 斉彬の家督騒動
斉彬は42歳まで藩主でなかったのは、父である斉興が家督を譲らなかったからである。それは斉興のブレーンであった調所笑左衛門の手回しによる。笑左衛門は茶坊主あがりで、藩財政の立て直しのため家老に大抜擢された男である。彼は大阪の借金凍結やサトウキビ貿易と中国密貿易など無理をして財政を立て直した有名な男である。
西郷に言わせれば、調所に家老という役職の褒美を与えたのがいけなかったという。褒美は物の褒美を与えればよかったのだ。
調所は財政力という技能を持っていたため、政治にそれを用いて失敗したという。調所は斉彬の開明的政策を財政ひっ迫になるとして強く反対した。それゆえ斉彬はなかなか藩主に慣れなかった。しかし、時勢を見れば斉彬が正しかったはずである。技能があると小手先に囚われ、対局が見れなくなる。そのため、政治には不向きなのである。
これが西郷の理論。斉彬が藩主になれなかった理由。
p156 沖永良部
おきのえらぶ島は西郷が二回目の島流しにあった場所。1862年に西郷は久光に「浪士を煽って武士社会の転覆を腹に含んでいる」という嫌疑で島流しにされた。
p171 空っぽの西郷、春日潜奄を訪ねる
大隈重信は西郷や板垣を馬鹿と思っていた。実際西郷は維新後の世の中で路頭に迷っていただろう。
西郷の新時代観は「堯舜のようなもの…」ていどのふわふわしたものだった。だから、勉強のために部下の村田新八を遣わした。
p173 横井小楠
この時代の新国家観の持ち主は、横井小楠、勝海舟、福沢諭吉、この程度だった。横井小楠は有名でないから調べたい。
p178 薩長の対比
長州は江戸時代から藩主を端に機関として扱い、君臨すれども統治せずを実施していた。
対して薩摩は、藩主がすべてを仕切っていた。「島津に暗君なし」といわれる奇跡の国家だった。
ゆえに西郷には天皇の存在がうまくつかめなかったようだ。
p191 西郷VS大久保 対立の原点
廃藩置県がその原点。大久保は廃藩置県を推奨したもののそれを決して表には出さないようにした。薩摩藩士でそれを唱えれば、殺されることは必至であった。木戸孝允ら長州人たちにこれを推進させ、島津久光の怒りはほとんど西郷にかぶってもらった。
このやり方から、二人の決別は始まった。
p222 台湾出兵
「薩摩の沸き立つ壮士たちが喜ぶであろう」という子供だましのために起こした対外戦争。
沖縄の漁船2隻が難破して台湾南部に漂着した。漂着者たちは高砂族に襲撃され66人中54人が虐殺され。残りの12人は中国の福州に逃れた。これに対する報復戦争である。
p224���尚氏は源氏、対馬氏は平氏
日本の武家らしく、源流を名乗っていた。
p229 鄭成功
鄭成功は日本の平戸藩の藩士の娘を母とする混血児で、明が清(ヌルハチら遊牧民族)に滅ぼされそうになった時に抵抗を続けた武将である。その対清の拠点としたのが台湾である。この当時の台湾はオランダの東インド会社に占拠されていた。鄭成功はゼーランディア城を奪取し、拠点を得た。
鄭氏の台湾は21年間続いたが、清の追討軍により破れ、清の植民地になった。
p233 グラント大統領はだめだった
アメリカ南北戦争の北軍の将軍グラントはアメリカ大統領になった。しかし、グラントは史上もっとも無能と言われるほどだった。
p243 客家
中国でも不思議な存在である客家。唐末の黄巣の乱の際に華北から南下した連中を祖先に持ち、そのうち全土に散った。常に反政府的気分を持っており、太平天国の乱なんかも彼らの仕業で、洪秀全なども客家だった。
p252 革命のエネルギー
革命のエネルギーは正義とか人権擁護とかキレイごとは並べていても、結局は殺意と反逆心のエネルギーでしかない。このエネルギーは革命が収束したら消えるというものではない。歴史ではしばしばそのエネルギーは外国に向けられる。
中国がいい例である。中国で国号が変わる革命が起きたのち、その強大な軍隊を解散させるわけにもいかず、北方遊牧民族などの外征や防衛などに用いられ、中央から遠ざけられることも多かった。ナポレオンの対外戦争もフランス革命のエネルギー発散だったということもできよう。
p254 台湾へぶつける
台湾出兵の理由。①出兵の兵を募れば、薩摩藩士の気も紛れるだろう ②台湾に出兵することで政府が外国に対して弱腰ではないということを示すため
結局、台湾はとばっちりを受けただけなのである。
p257 清ならまぁいっか
征韓論はダメで、征台論が良い理由。挑戦を打倒した後に出てくるのはロシアである。しかし台湾ならその後に出てくるのは清である。この時期、日本はロシア帝国に勝てる軍事力はない。しかし、清ならまだ何とかなるという希望があった。
p261 毛利元就から始まる長州の気質
元就は輔佐政治という家憲を残した。元就亡き後、輝元を支えるため、二人の叔父である吉川元春と小早川隆景が「毛利の両川」として本家を護るために補佐官に徹した。
この精神が長州藩の法人的国家観を生んだ。
p285 西郷の台湾出兵の反応
木戸孝允は「政府は征韓論を押した江藤新平を処した。それなのに、台湾出兵をするという。これは理に合わない。本来ならば、江藤をして台湾出兵の総大将にすべきである。」といって矛盾をついた。
しかし西郷は、「それはよろしい」と従道に言った。
p317 当時の明治政府軍の程度
台湾出兵と言っても猪狩りのようなものだった。日本の持つ銃器は火縄銃で、高砂族の者たちは日本軍が追えば山林に逃げ、それを追い落とす程度のものだった。
日本軍はマラリアでひどい被害を出し、それを含めれば日本人の方が被害が大きかった。
p319 台湾出兵の異常さ
台湾出兵は日本史上の珍事件と言える。兵三千以上の軍隊を国民に開示することなく、夜盗のようにこっそりと出兵するという近代国家にあるまじき一大事であった。そして、それは現代に至っても日本人に馴染むことのない不思議な事件である。
この台征に際する大久保の所業は詐欺まがいと言っていい。太政大臣の三条実美と岩倉具視の勅命だけで出兵の許可を得て、早々に西郷従道に出発させて既成事実として作戦を進行させた。ゴリ押しにもほどがある。
このやり方はのちの軍部のクセになる。このせいで昭和の大失敗が起きた。その起源とも言えそうである。
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この巻の中心は台湾出兵であるが、ここにも昭和の軍人の思考を絡めてくるところがさすが司馬遼太郎だ。
しかし、まだ4巻。半分いかない。スゴイ読みごたえを実感している。