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西郷と共に征韓論を唱え、大久保と敵対した江藤新平が佐賀の乱を引き起こします。これに対して大久保は、いち早く政府の権限を掌握し、江藤をさらし首にするという過酷な処置を下します。
その後、鹿児島に帰った西郷の暴発を恐れる大久保や西郷従道らは征台論に傾き、日本の国情や国際情勢に対する分析を怠ったまま、台湾に派兵するに至ります。
大山綱良や村田新八といった周辺人物への目配りがおこなわれているのですが、本筋のストーリーはなかなか進みません。西郷たちの人物像を解き明かすことに著者が情熱を注いでいるのは分かるのですが、小説としては若干退屈に感じてしまったところもあります。
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流れを抑えたい自分としては、冗長な話や、時系列が混乱する感じで、すごく読み辛く感じます。前回も、この巻あたりで挫折しているので、なんとか通して読了したいです。
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西郷隆盛という人物その物が英雄視され思想となって、どれだけ強力な渦を巻いていたかがよくわかる。しかしこれは西郷が望んでそうなったのではないだろう。自分では望まなかった強烈な吸引力は、やがて西郷の最期へと向かってゆく。
この巻では、そのようなことに焦点を絞って書かれているような気がする。
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西郷隆盛さんが明治6年の政変で下野して、鹿児島につくった私学校は、かなり政党的色彩の強いものだったみたい。
てか、この頃は本当に行政が一部の薩長土肥の元下級士族に「私」されて、本当にズブズブだったんだね。
それと、征韓論はダメなのに征台論はOKって、対外的にも対内的にも何も言わずに4千人近い「軍人」を他国へ押し込ませるってダメだと思う。
明治初期ってのは、過激派サークルのノリで全体を見れない(見る立場にもない)兄ちゃんたちが勢いで政権を倒しちゃって、それまで手にすることができなかったお金と地位と高級な女性たちに入れあげてただけの時代だったのかもね~。
長く続いた江戸時代・徳川幕府の残像でしばらくは保っていたんだろうな~。
これじゃあ、昭和の戦争も流れだったろうな~。
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西郷隆盛がいかに、明治維新の中で英雄だったかという点が事細やかに書かれている印象。この巻では、主に薩摩藩の志士の不満を解消するために、台湾に出兵する過程の話がかかれていた。幕末~明治維新の歴史の流れが頭に入っていないとちょっと文章中の事柄を理解するのは辛いかな。逆にその部分に興味を持ったりもする。こうして文章を読むといろんなことが知りたくなってくる。(そんな時間はあまり無いけれど)。感想はこんなところです。
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征韓論をめぐって西郷隆盛に続いて官を辞任した司法卿の江藤新平が突如、佐賀で叛旗を翻す。その際の西郷を恐れる大久保利通の迅速な決着とは。さらに征韓論に反対する大久保利通、西郷従道らは「台湾征伐」へと動き始める。これは・・・?
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佐賀の乱での江藤新平の暴発、晒し首から、征台に至る国内外の駆け引きまでの4巻。作者が文中に記しているとおり、西郷隆盛という存在が本人の意思とは無関係に周りに与えた影響を描いており、知識欲を満たすものと考えれば良書であるが、読み物といえば話が進まず退屈すると思われ、後者をやや重視する自分としては読後はなんだかホッとする気持ちになる。
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廃藩置県が、西郷さんに重たい十字架を背負わせ、それが西南戦争に繋がっていく要因になるんだなと感じました。西南戦争前の西郷さんは、革命を成就させるためだったとは言え、色々と辛かっただろうなと思う。
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感想は変わらず。
ただ、江藤の死と征台という二大事件が多少読む速度を上げる。
後者のお粗末ぶりは、同じ日本人として悲しくなるばかりである。大事なのは文明である。
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【感想】
「竜馬がゆく」とは大きく異なり、現世に近いドロドロとした人間関係がエグイ・・・
大久保と西郷、2人とも日本の将来を展望していると言う意味では同じ立場かつ同じ目線なのだろうが、
それぞれの立場やわだかまりがズレを生じさせつつ、それが日本全体に波及していっている。
いくら影響力がある者同士とはいえ、国家を揺るがすくらいの問題になるのが今では考えられないなぁ。
とは言え、今は爆発寸前で一点の揺らぎもない状態で物語は進んでいる。
たまに突き合いがある程度でハラハラする事もなく、少々読んでて退屈になってきた。
【あらすじ】
西郷に続いて官を辞した、もとの司法卿・江藤新平が、明治七年、突如佐賀で叛旗をひるがえした。
この乱に素早く対処した大久保は首謀者の江藤を梟首に処すという実に苛酷な措置で決着をつける。
これは、政府に背をむけて、隠然たる勢力を養い、独立国の様相を呈し始めている薩摩への、警告、あるいは挑戦であったであろうか
【内容まとめ】
1.征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突
2.大久保だから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。
その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。
西郷は気長に物事を見ていた。
3.征韓論は、所詮近衛軍人や士族たちの憤りのはけぐち
西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。その征韓論を、大久保が蹴った。
【引用】
p12
「思うて一なれば敵なし。」
若い者に、自分は何事かをしようと思うがどう心がければいいかと問われ、西郷が答えた言葉。
卵を抱いているメンドリの心境。
どんなにうまそうな餌を近づけても、また脅しても、メンドリは見向きもしなければ逃げもしない。
また猫がねずみを狙う境地も似たようなもの。
元来、猫というのは物事に過敏な動物なのだが、ひとたびねずみを狙う時は恐れもせず他を振り返ろうともしない。
p21
西郷の思惑
10年もすれば、大久保のあの専制的なやり方は行き詰まる。
そのとき東京から自分を呼びに来るだろう。
しかし一面、大久保ほどの男のことだから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。
その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。
気の長い政略計算があっただけに、佐賀士族がこぞって乱を起こした時に、「しまった」と失落感があったと思える。
p82
西郷と薩摩人という存在がなければ、江藤は死刑にもならず、まして「晒し首」されなかったに違いない。
p171
「海老原に聞けばどうか?」
と、高橋がいうと、村田は一笑に付した。
「そういう人間に聞いたところで仕方がない。」
物事というのは、人間の料簡によって見方が違うのだ。
海老原ごとき小器量の人物に聞いたところで何になろう?
「征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突である。」
p185
東京政権が��立したのは、廃藩置県のおかげである。
それを可能にしたのは薩摩系近衛軍人で、彼らは政府に騙されたとはいえ、その功績は大きかった。
しかし彼らはことごとく政府に対して激怒している。
大久保は、性格上それに対して冷然としている。
西郷はその大久保の態度に、配下の近衛軍人と同様、憤りを覚えただろう。
その西郷が、近衛軍人や士族たちの憤りを他に向ける為に征韓論を持ち出した。
西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。
その征韓論を、大久保が蹴った。
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「翔ぶが如く(4)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『結局、人はその古巣に還ってくる。その古巣の中の現実にまみれ、足をとられてゆくのが人生であるのかもしれない。』(本文より)
蓋し名言である。
しかしまあ明治政府がこんだけ迷走していたとは知らなかったよ。
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p.219
「文明が極まれば神なきに至る。開化がきわまれば、戦争なきに至る。必ずそういう日が来るであろう。」
そういう日への道のりは、まだまだ遠そうですね…。
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どこかで西郷が、若い者に問われた。その若い者が、自分は何事かをしようと思うが、どう心掛ければよいか、と質問した。
「そいは、思ウテ一ナレバ敵ナシ、ちゅう事でごわすが、そいで遣んなさればよか」
と、西郷はいった。かれは「思ウテ一」というのは、ちょうどメンドリが卵を抱いているような心境だ、という。メンドリが卵を抱いているとき、どんなにうまそうな餌を近づけても、またおどしても、メンドリは見むきもしなければまた逃げもしない、そういう意味だ、という。
西郷は倒幕運動のころにそのことを体験した。そのただ一つの目的のために思いをこらし、怖れもせず、わき見もしなかった。(p.12)
江藤は、敗れてもなお西郷を相手に議論をしていた。西郷からいえば敗れればもうしまいであって、あとはどう死ぬかでしかない。しかし江藤は自殺を考えていそうになかった。(p.61)
大久保が佐賀で江藤を殺してしまったのは、江藤の東京における論陣をおそれたからであり、さらには内閣のたれもが江藤の死刑に賛成すまいと思ったからである。
大久保の凄味は、右のような大方の動向も無視し、また常識的慣習も無視して、権力をもって江藤の首を打ち落としたことである。(p.86)
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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
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維新達成後、有り余った武士(すでに元武士)エネルギーの発散と、廃藩置県による階級廃止及び、徴兵制度への不満解消は、重要な内治問題だった。そこで西郷は征韓論を発案し、大久保は征台策を発案した252