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作戦立案者による沖縄戦手記
2024/10/24 16:37
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投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は沖縄戦の作戦立案者である八原博通第32軍高級参謀による手記であり、民間人の立場から語られる沖縄戦について、現地軍の立場から回想する内容となっている。
八原高級参謀は陸軍大学に最年少で入学し、卒業時には成績優秀者(5位)として恩賜の軍刀を拝領している極めて優秀な軍人だった。 通常は陸大を恩賜の軍刀で卒業すれば参謀本部作戦課等のエリート部署に配属されるのだが、八原氏の場合にはお世辞にもエリート部署とは縁の無いコースを経た末に軍高級参謀となっており、優秀でありながら評価されなかったと言え、第32軍司令部においても正論を述べながら孤立していく様が読み取れる。
また、米国留学経験を評価されて第32軍高級参謀就任でも無いのは、本人がこの人事を「左遷」と受け取っており、かつ赴任時点で沖縄戦は想定外だったことからも分かる。 太平洋戦争においては、米国と戦うというのに帝国陸軍は米国軍を余り研究せず、米国通の優秀な将校を活用もせずに前線に送り込んでいる(八原高級参謀以外にも、山内正文中将、寺本熊市中将等)。
沖縄戦における第32軍の経過を見ると、大本営に足を引っ張られる場面にしばしば遭遇する。 制空権も失い、戦闘機生産能力も無いのに、航空重視で飛行場の建設と確保を強要し(頭が悪いとしか言いようが無い)、フィリピンへの台湾の第10方面軍からの師団引き抜きの結果として最精鋭の第9師団の台湾転用、穴埋めの師団の派遣を決定しながら派遣中止する朝令暮改ぶり等である。
八原氏は本書後書きで、米軍への攻勢を主張した長勇第32軍参謀長が最後に「誰がやっても負ける戦だった。」と語っていたと回想しているが、日米の兵力と装備の差を考えれば狂気の沙汰であり、昭和20年4月1日の米軍上陸に始まった戦線が3か月持ち応えたのは首里戦線において複数の防衛ラインを設け、沖縄の固い珊瑚礁を利用した洞窟陣地の構築による持久戦の賜物と言える。 それまでの日本軍の島嶼防衛が水際作戦で艦隊砲火の餌食となり、少ない火力を使い果たした後は万歳突撃による玉砕で終わったのに対し、ペリリュー島、硫黄島と沖縄戦では様変わりしている。
それ故に、大本営からの再三の督戦に反応した長参謀長指揮下の昭和20年5月4~5日の攻勢であり、八原高級参謀の予想通り攻勢に出た部隊は位置が掴めないまま米軍の砲撃の餌食となり、米軍に比べて少ない砲弾の無駄遣いに終わっているは不本意だったろう。
攻勢失敗後持久戦に戻ったが、5月末には首里戦線を維持できなくなり、島尻南部に撤退したものの6月23日に摩文仁での牛島司令官、長参謀長の自害で第32軍の組織的戦闘は終結している(追い詰められ断末魔を迎える軍司令部の様子も克明に書かれている)。
撤退自体は米軍の虚を突いた形で成功し、本土決戦の時間稼ぎの目的は果たしたものの、既に大勢の県民が避難していた島尻南部への撤退が地獄の釜の蓋を開ける結果となり、民間人を巻き込んだ悲劇につながった点において、この撤退作戦自体評価が分かれるのであるが(首里戦線で玉砕した方が民間人の被害は少なかった筈)、八原高級参謀が参謀長命令により、摩文仁を脱出後捕虜となり生還したことにより、数少ない司令部の生き残り(他に神直道航空参謀)として本手記を残した結果、沖縄戦史研究の第一級資料となっている。
勇猛果敢を良しとした昭和の日本陸軍において、八原高級参謀の戦略的持久作戦は評価されず、かつ捕虜となったことが批判されているのに対して、敵であった米軍からは「優れた戦術家」として評価されているのは皮肉な話である。
沖縄戦争
2021/02/20 05:30
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
軍幹部からの視点の沖縄戦。市民ではなく軍視点の基本書となる。著者の主張を含めて評価も批判も読者に委ねられることになる。実像を知るには欠かせないものともいえる。
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