NHKのドラマから、本を探した。
2016/09/23 17:54
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投稿者:オカメ八目 - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHKの、同名ドラマを見て、こりゃ、本で読んだら、もう少し詳しく、面白く読めそうだと感じたのでネットで探しまわって読んで見ました。
主人公は、大体、私とほぼ同じ世代の人だったので、時代背景の空気は判りました。 しかし、住んでた場所が、相当違ってました。 そして、「家族」って何? また「他人」て何?と思わず考えさせられました。 そしにしても、この主人公の人は、タフだったんだなぁーと、強く感じました。
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投稿者:ほっかいじんくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
43年間、定住しないで、生活していたという話に驚きました。
洞窟で、へびやかえる、イノシシなどを食べていきるなんて信じられませんでした。
本当は放浪生活にもどりたいんじゃなかろうか?
2019/09/11 13:01
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投稿者:姫路ねこ研究所 - この投稿者のレビュー一覧を見る
“洞窟おじさん”と言いながら、実際の洞窟生活は最初の数年だけだったようだ。
家と学校。小学生の世界って、基本はこの2つ。両方からはじかれた主人公が向かった先は、小学校に入る前の世界。それは山と川。主人公はそこで飼い犬シロとともに自由を手にする。でもその自由も、シロの死で価値がなくなり、手放す。
その後はあちこちの山や川を行ったり来たりして、いろいろな人と出会う。徐々に人間社会に入って行き、成長を遂げる。自殺を図ったこともあったが、貨幣経済との出会い、そして商売を始めたり、読み書きを覚えたり、酒やタバコ。釣りを通じて友人もでき、シロの死以降感じたことのなかった寂しさも感じるようになる。
「いい人」に出会って幸運であったことが大きな要因だろう。蘭の花のバイヤー、トラックの運転手、釣りをみとめてくれた漁協組合長、そしていろいろと一緒に遊んだ釣り仲間。読み書きを教えてくれたこれまたホームレス元社長。
でも、まともに読み書きもでき無かった主人公、かつまともに入浴もしていなかった主人公。騙されて金を巻き上げられたこともあったんじゃないか?会う人会う人、いい人ばかりじゃなかったんではないか?
おそらく、そんな人のこと、気にしていなかったのでは?
「そうやって魚を取って行ったら、多い日には1日1万円くらいになった」
「最初に釣れた魚を掌に載せて魚の体温を見ると、その日どれくらい捕れるかがわかるんだ」
主人公の、自然との共生力を認めてくれる人が、沢山いる、それが自分の自信の根幹にあったからではないだろうか?そして、自分自身が成長している。その毎日がたまらなく楽しかったのではなかろうか?
逮捕後、社会復帰からの主人公の生活は、どうも人とコミニュケーションが苦手なようだ。精神障碍者施設の理事長と、何人かの職員、そして特に面倒を見てくれた女性、そして本の出版社くらいにしか心を開ききれなかったようだ。
ひょっとしたら、施設自体も、実は本当は居心地のよいところではなくて、施設の関係者への恩義、面倒を見てくれた女性への恋心が今の主人公を支えているのでは?とも思う。
そして、最初の洞窟で死に別れた飼い犬、シロへの愛情につながるのかもしれない。
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ご参考までに。
“本書のプロフィール
本書は、2004年5月に小学館より刊行された『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス驚愕の全サバイバルを語る』に加筆・改稿したものです。”
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昔、洞窟だかどこだかで自力で何十年も生活した人の本がある、と何かで見たか読んだかで興味を持ったことはあったんです。
でもその当時それはハードカバーで、大好きな作家以外の本は文庫派の私には手が出ないもので、いつの間にか忘れてしまってました。
今日、お気に入りの本屋をウロウロしていたときにこの本が目に入り、「なんか聞いたことある……」と手に取り、買ってきました。
すごい。
この人すごい。
13歳で家出して、犬と共にヘビとかネズミとかカタツムリ、コウモリ、その他たくさんのものを自分でとって食べて生活していたなんて。
何年も山の中にいたから、字も読めず、お金の使い方もわからなかったなんて。
今現在も、お元気でいらっしゃる人の話ですよ?
この人はもう、どこでだって生きていけるなあ、でも信頼できる人たちに出会えてよかったなあとあたたかい気持ちになる反面、切なくもなります。
両親から虐待さえされてなければ、貧しいながらも明るく楽しく暮らせていたかもしれないのに……。
8人兄弟で、なぜ加村さんだけ虐待されていたのか、本当にご両親に聞いてみたい。
その虐待していた父親がいたからこそ、加村さんも山の中で生きる術を身に付けていたんだと思うと、複雑な気持ちになります。
どんなにあたたかい人たちに出会っても、今までで一番の思い出は愛犬シロと暮らした洞窟生活、という加村さん。
きっとそうなんだろうなあ、とジーンとします。
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ドラマになったという話は知らず、
ネットで話題になっていたので読んでみた。
読む前は、勝手に「ずっと洞窟で暮らしていた」
のかと思っていたが、さにあらず(^ ^;
洞窟暮らしは最初の数年で、あとは普通の(?)
浮浪社暮らしの期間が長い。
小野田さんとかと違い、何らかの形で
他の人との接点を持ち続けていたので、
文明の進化もリアルタイムに感じてはいたようが。
巻末の解説を読むとよく分かるが、
この本は「人とのつながり」を通じて、
人間の「根源的な感情・考え・欲求」などを
浮き彫りにするという点が秀逸。
「怖さは克服できても寂しさには勝てない」
旨の発言が、先日見たネズミと麻薬の実験を彷彿とさせる。
http://whats.be/126929
加村氏のように、野生の暮らしをしていた人も、
文明に浸ると「戻りたくない」気持ちになる。
が、常に「これでいいのか」という危機感を
胸の奥にくすぶらせている。
この感覚を全く無くして、文明に「浸かってる」人は、
いざという時に何もできずに滅びていくのだろうな...
などと考えさせられる、不思議な魅力のある一冊(^ ^
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昭和35年、両親の虐待から逃れるため、13歳の加村少年は愛犬シロと家出。そこからはじまったホームレス生活。足尾銅山の洞窟を住処とし、ヘビやトリ、イノシシを食べる。食べ物がなければ、3、4日は食べずに過ごす。富士樹海で死体を見たこともある。人のいることろで山菜や魚を売って現金を手にすることもある。老夫婦に我が子のように可愛がられたこともあった。
しかし、結局、彼は人のいない山奥へ戻っていく。彼が求めるのは愛じゃなくて、洞窟。暗くて孤独でサバイバルな場所こそが彼の安らぎだった。
・・・という「洞窟オジさん」も年をとった。やはり、 老いて人は最後に人とのふれあいを望むのだろう。洞窟オジさんは洞窟を離れ、障害者支援施設で働きはじめる。家族のような仲間もできたし、子供にアウドドア術を教えることも生きがいになった。
人間は自分一人だけでは生きられない。彼の人生はそんなことを語るためにあったのかな。
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「洞窟オジさん」というタイトルのこの本を友人から勧められた時、いわゆる「ゆるい系」の話なのかと思った。
ところが、あらすじを見ると43年もの間世俗を離れ、洞窟でヘビやカエルや猪を獲って暮らしてたという。
しかも実話だという。
いわゆるドキュメンタリーなのだろうか…。
などと思いながら読みだし、読む前のあれこれを裏切られ、人間の抱える矛盾、弱さ、強さ、愛情、つまりは人間というものを加村さんの人生から感じないわけにはいかなかった。
サバイバルものというのは通常文明から放り出されて、それまでと違う価値観を突き付けられ、最後には当たり前の幸せを再認識するという話が多い。
しかし、加村さんの場合は違った。戦後の時代、両親からの虐待から逃れるため13歳で家を飛び出した彼は、文明どころか当たり前の幸せすら知らなかった。
彼が持っていたのは、山で暮らす術と、シロという愛犬の存在のみ。
語り口が加村さんの一人称によるためか、獲物を解体するシーンなどもエグさを感じない。それどころか朴訥な人柄を感じるくらい。
それだけに、エピソードの一つ一つが胸に迫るものがある。大げさな表現もなく、淡々と語りかけてくる。
山や川でのサバイバル生活も、そこが主題なのではなく、その生き方の中で彼が感じたものすべてを描いているだけにすぎないのだ。
そんな生き方を見ていると、人生というものの矛盾、偶然、理不尽さを感じる。
山で暮らす術は、山で暮らすきっかけを作った父親から見て盗んだ。
愛犬シロのお墓に供えた花が、実は高価な花であり、高く売れることが分かった。
お金が手元にあり、食うことに困ることがなくなると、生きていることの意味が分からなくなり、自殺を試みる…等。
一人の男の人生を描いているのだから、そこには割り切れるものとか、綺麗に約束されたハッピーエンドは存在しない。
虚構でもなく、ドキュメンタリーならではの「リアリティ」でもない。
淡々としたリアルを感じる。
「怖いことは耐えられる。でも、寂しさだけは耐えられない。」
小説でも映画でもない、自身の経験から吐き出された言葉の重みが、読み終わった後の今も離れない。
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「洞窟ばか」という洞窟探検家の本を探そうとして、何故か洞窟オジさんと検索したのがこの本を知った切欠です。
似ているようで全く別。洞窟ばかは現代人らしく未知の洞窟の探検に血道を上げていますが、洞窟オジさんと来たら、親の虐待に耐えかねて愛犬シロと家出をした13才の少年が、足尾銅山の洞窟に住み、蛇や虫や猪を食べて生き延びていく話です。
本当に望んで山奥で自給自足するようになったのかといえば、人並みに生きていける環境になかったので結果的に野人になって生きていくしかなかったので、何とも切なくて切なくて。
字も読めないし計算も出来ない、白米も殆ど食べていなかったからおにぎりを貰ってもなんだか分からない。現代人が全部当たり前だと思って生きている事を、何一つ知らず、高度経済成長の恩恵も受けることなかった。そんな人間が居たなんて信じられないです。
読むまでは自給自足生活を楽しんでいた話なんだろうとワクワクしていましたが、読み始めたら可哀想で可哀想で。中学校1年生換算の男の子が一人で自給自足なんてほんと居たたまれない。何しろそれを自分で道を切り開いて生活していってしまう彼の精神力の強さが半端じゃないです。
でもね、シロも犬ですから先に死ぬんですよ。長かれ短かれ避けられない事です、彼の唯一の家族であるシロの死の悲しい事と言ったら・・・。
自分の力で生きていくわけですから自信満々でも良さそうなものですが、人間としてのアイデンティティはやはり教養に根差すところが多いので、彼のように否応なしに普通の社会生活からドロップアウトすると、コンプレックスからプライドを持つ事が難しいです。
恥ずかしいという意識も有りますよね、分かります。しかもシロが居なくなって孤独に苛まれ、自殺を試みる所まで追い込まれます。人間って完全に単独で生きていくのは難しいです。原野であえて一人で生きていく「マウンテンマン」と言われる人は、自分のアイデンティティの為に全てを捨てて自然に飛び込んで行くので,
全く意味が違うんです。
次第に人と交流しながら文明に触れていく姿は面白いのですが、なんだか胸も痛みます。色々な事におびえながら、威嚇しながら薄皮を剥がすように社会に溶け込んでいく姿は、安堵と共に少しの寂しさがあります。もしかしたら僕は彼が山に帰っていくのを期待していたのかな?僕も勝手なもんですね。
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昔は折檻(せっかん)と言って親の虐待が罷(まか)り通っていた。雪が積もる外へ裸で投げ出されたり、物置に閉じ込められたりということが珍しくなかった。物置の中から外を覗いていた子供が慌てて扉を占めたために首を挟んで死亡した事故もあった。江戸時代の日本では子供が大切にされた。野放し状態の子供を避けるため往来では馬から人が降りたという。戦争や工業化の影響か。巨大な集団は多くの人々に様々なストレスを与える。
https://sessendo.blogspot.com/2018/10/43.html
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久々にワクワクする本に出会った。
主人公は13歳の時に家出して、
約40年間、人を避けながら
洞窟や山で愛犬シロとサバイバルな生活をした。
現代のネット社会では実現できない生活。
そんな事を体験できて、最後は人の温かさに触れる
人生をおくった『洞窟オジさん』。
最高に面白かった。
最後に今後の夢を書いているが、
洞窟探検をしたいというのにはビックリした。
まだまだ、元気な69歳だ!(文庫発売当時)
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本にも出会いがある。たまたま見つけた。タイトルに惹かれた。面白かった。サバイバルに生きる人の強さ。こんな人がいたなんて、驚き。人間は強い。逆に現代の生活はまったくゆるい。NHKでドラマ化されたそうだ。観てみたい。
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“洞窟おじさん”と言いながら、実際の洞窟生活は最初の数年だけだったようだ。
家と学校。小学生の世界って、基本はこの2つ。両方からはじかれた主人公が向かった先は、小学校に入る前の世界。それは山と川。主人公はそこで飼い犬シロとともに自由を手にする。でもその自由も、シロの死で価値がなくなり、手放す。
その後はあちこちの山や川を行ったり来たりして、いろいろな人と出会う。徐々に人間社会に入って行き、成長を遂げる。自殺を図ったこともあったが、貨幣経済との出会い、そして商売を始めたり、読み書きを覚えたり、酒やタバコ。釣りを通じて友人もでき、シロの死以降感じたことのなかった寂しさも感じるようになる。
「いい人」に出会って幸運であったことが大きな要因だろう。蘭の花のバイヤー、トラックの運転手、釣りをみとめてくれた漁協組合長、そしていろいろと一緒に遊んだ釣り仲間。読み書きを教えてくれたこれまたホームレス元社長。
でも、まともに読み書きもでき無かった主人公、かつまともに入浴もしていなかった主人公。騙されて金を巻き上げられたこともあったんじゃないか?会う人会う人、いい人ばかりじゃなかったんではないか?
おそらく、そんな人のこと、気にしていなかったのでは?
「そうやって魚を取って行ったら、多い日には1日1万円くらいになった」
「最初に釣れた魚を掌に載せて魚の体温を見ると、その日どれくらい捕れるかがわかるんだ」
主人公の、自然との共生力を認めてくれる人が、沢山いる、それが自分の自信の根幹にあったからではないだろうか?そして、自分自身が成長している。その毎日がたまらなく楽しかったのではなかろうか?
逮捕後、社会復帰からの主人公の生活は、どうも人とコミニュケーションが苦手なようだ。精神障碍者施設の理事長と、何人かの職員、そして特に面倒を見てくれた女性、そして本の出版社くらいにしか心を開ききれなかったようだ。
ひょっとしたら、施設自体も、実は本当は居心地のよいところではなくて、施設の関係者への恩義、面倒を見てくれた女性への恋心が今の主人公を支えているのでは?とも思う。
そして、最初の洞窟で死に別れた飼い犬、シロへの愛情につながるのかもしれない。
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いざとなったら人間なんとかなるだろうという安心感と、それにしても壮絶な人生だったんだなぁと楽しく読めた。
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体験者が語る本には、時々凄いものがあって、これもそうだと思う。思う、というのは、凄いんだけど、多分ライターが書いたせいもあり、本人の性格もあり、どこかひょうひょうとして、あっけらかんとしたところがあるせい。
もし小説家が書いたらもっと劇的に書いただろうが、これはこれで良い。
著者(本人は学校もほとんど行かず、読み書きもあまりできないので、もちろん書いてはいないだろうが、書いた人の名前があるわけではないので、とりあえず「著者」にする)は兄弟の中でも自分だけ親から虐待を受け続けることが我慢ならず、13歳の時に家を出て、追いかけてきた犬のシロとともに足尾銅山の洞窟で数年暮らす。シロが死んだあと、山中や川べりで暮らすが、獲物がなく所持金もないためバールで自販機をこじ開けようとしたところを見つかり、逮捕される。その後建設会社や福祉施設で住み込みで働く。
シロと著者が飼い主とペットではなく、対等な生き物として協力しながら、互いを思いやりながら暮らすところが心に残る。どちらかが具合が悪くなれば看病し、食べ物を調達してやる。これが愛とか家族の基本で、これができないなら、一緒にいても意味無いってことだな、と。そこに戸籍の縛りや血の繋がりは必要ではない。互いを思いやる心のみで結ばれている。怖さや飢えは耐えられるが、寂しさは耐えられないという言葉も忘れられない。
シロが死んで、自分も死のうとしたり、クマに襲われたり、ホームレスの元社長に字を教わったり、確かに映画にしたくなる話だ。『レヴェナント』みたい。
しかし、一番刺さったのは、一人で狩猟をし、誇りを持って生きてきた著者が、人間社会に入った途端、学歴も職歴もなく、字も読めず、機械も扱えない最底辺の人間として扱われ、尊厳を失っていくところ。世話をしてくれる周りの人たちは「我慢しなくちゃいけないよ」と言うが、対等な人間として扱われないことがいかに辛いか、これは孤独や寒さや飢えより辛いのだ。著者は山中で一人で生きるノウハウがあるから、山へ帰ろうとするが、どこにも帰る場所がない人はどうしたらいいのか。これは、現代社会の大きな問題だと思う。
戦後から平成という、世の中が大きく変わる時代に著者が生きたということが、面白さ(と言ったら失礼だけど)を更に増している。電話もほとんどなかった幼少期から、電話が普及し、公衆電話ができ、携帯になるなんて、なかなか経験できるものではない。
読んで損は無い本だった。