普遍的な仏教思想である「唯識」について解説した書です!
2019/02/01 16:35
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「唯識」という思想について解説した書です。ただし、「唯識」といってもほとんどの方には馴染みはないと思います。唯識とは科学、哲学、宗教の三面を併せ持った仏教思想であり、「すべては心の中の出来事に過ぎない」と考える思想のことを指します。この唯識について、本書は丁寧に解説してくれており、その全貌が理解できるようになっています。ぜひ、ご興味のある方は読んでみてください。
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
大乗仏教の唯識について例えや図を用いてわかりやすく解説されている。少々、昔はよかったのに比べて今はという物言いが鼻につくがそれ以外は良い本
「和顔愛語」の境地に至るには…
2022/02/22 17:45
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投稿者:あごおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「唯識」とは、すべての事象は我々の認識という「心の働き」があるから存在しているのであって、心の外にはいかなる事象も存在しない、とする仏教の宗派です。三島由紀夫の大作「豊饒の海」は、この唯識を主題としたものだと言われています。本書は、その唯識の教理を図解も用いながら、丁寧に説明しています。
「織」とは「心」であるので、「唯識とは『唯だ心しか存在しない』という唯心論の立場」をとりますが、現象世界の背後に神を抱く(したがって最終的には神の実在の証明を企てる)ヨーロッパの唯心論とは異なる、とされます。仏教らしく「いかに他者と自己とが迷いの世界から悟りの世界に至ることができるか」という観点から、悟りの彼岸に至る「筏」としての心が、あくまでも「仮」にあるものだ、とします。
仏教は、そもそも人は「もの」を設定してそれに執着するから苦しむことになる、とするものですが、唯識ではその「もの」など存在しない、と一刀両断します。「もの」をその名で(名詞で)呼ぶと、あたかもその名詞が示すものがあると思い込んでしまう。したがって、事象は名詞で捉えるのではなく、心の「識る」という作用、すなわち動詞で捉えるべきものだ、とします。このあたり、ニーチェの「実体はない。あるのは解釈だけ」や、ソシュールの言語学(シニフィアン、シニフィエ)に通ずるところがあるのでしょうか。
唯識では、この「識る」という意識の働きを八つの「織」に分類します。そして、いわゆる五感に相当する六つの表層心とは別に、深層心としての「末那識(まなしき)」と「阿頼耶識(あらやしき)」という精神作用があるとします。このうち阿頼耶識は、過去からの情報が蓄積されている生命の核のようなもの、「一切を生み出す可能力を有した根本の心」であり、「過去の業の貯蔵庫」として様々な影響が「種子」として植え付けられている、とされますが、これは何やら人間のDNA(遺伝子)のようなものを指しているようにも思えます。
本書の解説は詳細に渡り、なかなか唯識の全体像を簡単に理解するのは難しいのですが、著者は「この思想(唯識)は少なくとも人間の独断を強く戒めていることだけは確かです」と言います。「仏教は常にそれのみで実体として存在するようなものを否定し、ものごとは常に関係的に存在するという縁起的見方をとります」「実体概念ではなく、関係概念でものごとを観察しましょう。すると、私たちは今よりもっと自由に、柔らかく人々の中で生きていくことができます」…確かに、独断の戒めですね。
さらに、「他者と共々に生きるありようが、ひとつは他者へよい影響を与えると同時に、自己の心を浄めることになるという二重の働きをしていることに気づくとき、私たちの生き方は大きく変わってきます」「でも、他人の中でなにか積極的な行為をする必要もありません」「いつも静かにほほえんで座っている。唯だそれだけで人々に安らぎの気持ちを引き起こします」として、著者は「和顔愛語」(わげんあいご;穏やかな顔つきとやさしい言葉遣い)を勧めています。この境地に至るには、本書が示す壮大な唯識の世界を理解することが必要なのでしょうね。
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三島由紀夫の『豊饒の海』を読んだ後、唯識思想を理解するために読みました。入門として知るべきことはすべてわかった気になれました。あとは、「暁の寺」の中の三島による唯識を読み直せば良いのではないか。真に理解できているのかはまったくわからないが、認識によって世界を把握するということがわかりやすく解説されている。良書。
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著者は仏教学が専門の大学教授で、唯識思想の泰斗であり、実際に座禅の指導などもされている。本書は元々NHKの番組用テキストだった。難解な唯識思想を知るとっかかりとしては、悪くない一冊だと思う。しかし、同じたとえ話の繰り返しがいくつかあるところと、中途半端な個人主義批判やキリスト教批判が繰り返されているところが不快だった。また唯識思想と道徳を結び付けようとする試みに論理の飛躍や強引さが見られるように思えた。
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玄奘が命をかけて学んだ思想ということで、勉強のために手に取ってみた。
文章は易しいが、解説書兼説教書と言った感じ。また、まさに説教のように冗長なので、読んでいて既視感を感じる。
唯識論自体はなんとなく、どんなものかという概要はつかめた気がするが、解説書としては少し物足りない。
本書で得た知見は、唯識論も含め、仏教の教えというのは、半分は学問、半分は方便(人を救うための手段)であるということ。だから、直接は書かれていないが、仏というのはあえて永久に到達できない理念的な存在として設定されていて、それでもそこに到達できるかもしれない(仏性がある)と信じて悟りを目指すこと自体に意味があるのだろう。
唯識も、一旦そういうふうに捉えてみる、ということが肝心で、それが正しいと思えるかどうかにはあまり意味がないのかな。
本文への批判として、これは認識論なので、量子論などの近代自然科学の成果と無理に紐づけるのは帰って蛇足に感じる。通じる部分があっておもしろいというのはわかるが、量子論は「対象(の状態)に影響を与えずに観察(観測)はできない」と言ってはいるが、「対象が観察者のこころもちに左右される」などとは言っていないと思う。ただ、おそらく西洋の哲学と相互に影響しあいつつも独自に発達した思想だと思うので、類似点や相違点に注目するのは興味深い。
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今ハマっているコテンラジオという番組で紹介された本書。
三蔵法師(玄奘三蔵)を理解する上で、必要な唯識論を「わかりやすく」解説したという本という紹介内容であった。
ただ、本書の冒頭で、唯識論の理解は、「1人1宇宙」という事実を認めることから始まる、とあり、トンデモ論的な印象を受けた。
また、最終的にも、今の自分の考えとかけ離れすぎてて、難しすぎる笑
簡単に腹落ちできない…。
根本は、「ただ身体、ただ心があるだけ」という考え方のようで、言ってることはわかるけど、なかなか難しい。
ただ、その中でも、
・私たちが認識している世界は「ある」のではなく、「なる」のです。
・なるというよりも自分が作り出して、そのように「ならしめる」
という記載はすごくわかりやすく、すごく仏教っぽいなと、そしてこの考え方を上手く取り入れることは生きていく上で必要だなと思えた。
冒頭の1人1宇宙という考え方も、他人の宇宙にも思いをはせることで、他人への思いやりを持てる考え方のようで、一つの考え方として身に付けていきたい。
またタイミングを見て読み返してみたい。
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自分を見つめる為に読んだが、そもそも自分はないという考えの内容であった。静かな心であるがままに捉える。すぐには体得できるようなものではないので、日々意識してみるしかない。
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前章までに説明済みの言葉や観念についても繰り返し説明してくれるので、安心して読み進める事ができ、唯識のほんの入り口を知る事ができた。
仏教は、信者が共通認識を持って神を崇めるキリスト教やイスラム教とは違い、宗教というよりは哲学というイメージがあったが、「すべての宗教は「苦からの解脱」を共通の目的とする」という一文にハッとさせられた。
何度も再読したくなる本です。
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宗教と先端科学が実は繋がっているということが体系的にわかり、とても脳が刺激された一冊。しかも難しい言葉には何度も解説をつけてくれており、理解を助けてくれる。
仏教の唯識と物理学の量子力学は実は近い、それが現代の社会問題の解決にもつながるかもしれない、というあたりは興味深い。
もともと仏教は宗教性と同時に哲学性もあると言われていたが、末那識と阿頼耶識を理解すると、西洋の哲学や心理学とは異なる地平が広がってくる。
社会や組織で行き詰まった、閉塞感を感じた際、この本でものの見方を変えてみるよいきっかけになる。もちろん平時でも。心を落ち着かせて宇宙と社会と人間の関係を考えるヒントがたくさんある。
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唯識思想について書かれた入門書と言われて読みました。
わかりやすかった。
この本を読んでから末那識と阿頼耶識という言葉が聖闘士星矢のハーデス編にも出てくると聞いてすぐに聖闘士星矢を全巻買ってしまった。
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Spotifyでコテンラジオにハマり、
玄奘三蔵の回を聴いてこの本に辿り着いた。
唯識論という言葉だけなら聞いたことはあったけど、仏教の思想だとは知らなくて、ガチガチの哲学だと思っていた。
この本には唯識という言葉の意味から、
これにまつわる用語や考え方、
実践法などを、普段馴染みのない単語ならば語源からまでをも詳しく書かれている。
ラジオでも紹介されていたけど、わたしが漠然と思い描く宗教のイメージにはあまりなかった、とてもロジカルな思考法で読んでいて面白いと感じる部分も多かった。
読みながら唯識論の理解が少し進んでくると、京極堂シリーズをもう一度読み返したくなってくる。(姑獲鳥の夏と鉄鼠の檻、また読もうかな)
さて、コテンラジオでは唯識論が書かれた本の中では1番わかりやすかったと紹介されていたけど、わたしにとっては難解だなぁと思う部分もまた多く、未だに末那識と阿頼耶識を掴み損ねている。
さらに著者の方の必要以上に啓蒙的な記述に少しアレルギーが出てしまった。
仏教思想を実践して教えている立場の方なので、その部分は仕方ないのだろうが、特に不幸も不自由も感じていないthe凡夫中の凡夫のわたしにとってはいちいち引っかかってしまうところがだいぶ多かった。
(現代人のなんと〇〇なことか…とかね)
ともあれ、世の中を知るために、人生の解像度をあげるために、知識として必要な宗教について、概要に留まらず教義を中からダイレクトに、しかもわりとやさしく書いてある本はとても貴重だと思う。
何度読んだところでたぶんアレルギーは出るとは思うけど、一読だけでは全然理解が足りていないのでそのうち再読してみたい。
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唯識論を理解したくて手に取った。まだ理解できない箇所も多くあったが、初めて触れた唯識の世界の奥深さに心打たれた。自分の意識とは何かを考えるきっかけとなった。
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難解であったけど面白かったです。自分がみているもの、聞いているもの、嗅いでいるものなどはみんな心から生み出されている。感じさせられていると。自分や他者は実は存在しないと。
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腑に落ちたとはとても言えないけど、唯識が実践的、科学的な思考体系だといわれる所は何となく感じる事ができた。
・見えているものは自分の心が作り出す鏡像世界
・一人一宇宙(ヒトだけに限らない)
・心の深層(末那識、阿頼耶識)
西遊記レベルしか知らなかった玄奘をもう少し知る事ができ、故郷の奈良との繋がりも知れて感慨深かった。(このあたりはコテンラジオの玄奘回と併せて)