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少し難しいところがあるが、現代日本の起源について深く考察されている。
何度も読みたいと思った。
文藝春秋に連載されてただなんて、毎月読めたらどれだけ楽しみになったことか・・・。
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(1996.03.15読了)(1996.03.12購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起し、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。
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本書はある特定の年代の出来事を語るようなものではなく,司馬氏が文藝春秋の随筆欄に連載してきたものをまとめたものである。
日本の原形はどこから起こったのか。日本の古代というのは実にわかりにくい。どうして大和政権が古代日本の代表的な勢力になったかについてもハッキリしない。六世紀ごろまでは,大和政権があったとしても,日本を統治していたとは言いがたく,というか,統治していたか明らかではない。しかし,なぜか七世紀になって様相が一変する。あっという間に,大和政権による統一性の高い国家が出来上がってしまうのである。この間に,戦国時代のような乱世や大規模な攻伐があったとは思えず,突然現れたという感をぬぐえない。もっとも,この怪奇現象は近代においても経験している。一八六九年の版籍奉還である。一夜にして統一国家が出来てしまった。思い返すに,七世紀の奇怪さについては,”外圧”という補助線を引いてみるとわかりやすいかもしれない。中国大陸はそれまで四分五裂していたが,六世紀以来,隋という統一国家が勃興することによって,衝撃波が広がった。日本の場合,この衝撃波が,大小の古墳を築造する族長たちに対外恐怖心を共有させ,これによって,俄かに群小が大を(大和政権を)盟主にして,これに従うという,ほとんど力学的な現象を引き起こさせることになったのではないか。ただ,この外圧は,隋の煬帝が高句麗を攻めたような直接的な圧力ではなく,日本にやってきたのは,多分に情報としてのものだった。情報による想像が,恐怖になり,共有の感情を作らせた。この点,十九世紀の帝国主義的な列強についての情報と,それによって侵略されるという想像と恐怖の共有が明治維新を起こさせたということと極めて似ている。
司馬氏が日本文化を語るとき,非常に異質に感じ,また,そこのみを捕らえて日本を語って欲しくない時代に,日露戦争の時代がある。過剰になった商品とカネのはけ口を他に得るべく,つまり,企業の私的動機から,公的な政府や軍隊を使うというのが,英国が中国に対して行ったことであり,それを日本人が,列強に追いつけということで,見た目だけ真似しようとしたのが,非常に大雑把に言えば,朝鮮侵略の動機となったと言えなくもないが,その当時,日本は朝鮮を奪ったところで,日本の産業界にはその当時,過剰な商品などは存在せず,朝鮮に売ったのは,タオルとか日本酒とかその他の日用雑貨品が主なものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるのだろうか。要するに,日露戦争の勝利が,日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない。日露戦争の講和において,形上は買ったと言うように見えたが,実は日本はボロボロであり,ロシア側からしてみれば,内部に革命という最大の敵を抱えていたために,講和に乗ったものの,戦争を長期化させ,日本軍を自滅させることも不可能ではなかったというのが実情である。それを小村寿太郎はギリギリの条件で講和を結んだ。これに対し,何も実情を知らない大群衆が,講和条件がぬる過ぎる,講和条件を破棄せよと叫んだのである。むろん,戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある。また,煽るのみで,真実をつきとめようとしなかった新聞にも責任はあった。この大群衆の熱気が多量に後の参謀本部に蓄積され,暴発し,太平洋戦争へと突っ走っていく。参謀と言う,得体の知れぬ超越的な(天皇より権限があったという)権限を持った者たちが,愛国的に自己肥大し,謀略をたくらんでは国家に追認させてきたのが昭和前期国家の大きな特徴であった。例えば,昭和三年には,関東軍高級参謀の河本大作が,幕末の志士気取りになって,1個人でもって国家行為を起こすべく企図し,奉天軍閥の首領張作霖を爆殺した。また,昭和六年には,同軍参謀石原莞爾らが満州の独立をひそかに議し,満鉄の一部を爆破し,この爆破を中国側がやったとして満州事変を起こしたのである。このように,昭和前期の日本と言うのは,統一的な意志決定能力を持った国家とは言いがたい。日本の戦争責任を回避するわけではないが,この時期をもって,日本人の特質だと言われるのはどうしても避けたいところである。
識字率について,江戸中期以降の日本の識字率は世界一だったと言われているが,なぜそうだったのか。子弟に文字を習わせるのは,士族を除き,聖賢の書を読むためではなく,農村や町方の子供が奉公したときに帳簿付けが出来るようにと願ってのことであった。無学なら,船に乗っても船頭にはなれず,商家につとめても手代・番頭にはなれず,大工に弟子入りしても棟梁にはなれなかった。また,日本語を磨く教材として,武士は謡曲をならい,町人階級は浄瑠璃を習った。曽根崎心中では,在所から都市に出てきて1人前になるには個人の倫理的な修行が必要で,信用される人間を目指さねばならない。浄瑠璃を呼んでは江戸町人も男を磨いていたのである。
その他,15ページぐらいの短編で日本文化についての様々な洞察が寄稿されている。せっかく,この国のかたちとして,何巻も文庫化し,発刊するのだから,出来れば年代順に進めて行けば,頼山陽の日本外史のごとく司馬版日本外史が出来ていたかもしれない。時代順がばらばらなので,少し残念だ。2巻を読もうと言う気がいまいち起こらないのはその為かもしれない。
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章により面白さに差があるためつまみ読みで良い。
統帥権や参謀本部の項目は面白かった。
「昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年はながい日本史のなかでも特に非連続の時代だった」に同意。
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江戸室町明治など様々な時代の事象、さらに中国との対比から現代の日本を立体的にしてゆく随筆。読みやすいので1日2日でサクッと読める。
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「文藝春秋」の巻頭随筆欄に連載されたものが編纂された一冊である。司馬遼太郎氏と言えば「竜馬がゆく」「坂の上の雲」等で誰もが知っているいわゆる歴史小説作家であるが、本著はその名の通り、この国(つまり日本)について様々な角度から徒然なるままに司馬遼太郎氏の見解が述べられている。
読むと、文は淡々としていながらも著者の強烈な感情が流れこんでくるのがわかる。司馬遼太郎氏は23になるまで兵役に服しており、終戦を迎えた時に「自分はなんと愚かな国に生まれたのだ」と思ったという。昔からそうだったのか、この無益な戦争を繰り返す(1905年日露戦争の勝利から1945年の太平洋戦争に至るまでなど特に)以前はどうであったのか。それを確かめるべく、歴史を遡り始めた結果生まれてきたのが誰もが知る名著の数々である。
コンパクトで読みやすく、歴史に造詣の深い司馬遼太郎氏ならではの知見が豊富に盛り込まれた話ばかりが詰まっているため、隙間時間に読みやすい。時間をかけて味わいたい一冊である。
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10年位前に全巻読み終わっていたのを再読。
タイトルの通り、”この国”はどこから起こり、どのようにして”かたち”を成していったのか?を基軸に司馬史観を凝縮した良書と改めて認識した。
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数多くの歴史小説を手掛けてきた著者が、これまで得た知識と培った歴史観でもって、日本という東アジアの小国と日本人という民族について、考察をしている。
筆者の気の向くままにテーマが選ばれ、考察をされているため、巻を通しての統一性は全くない。織田信長、高田屋嘉兵衛などの筆者の書いた小説の主人公をテーマにした章もあるが、第一巻で印象的なのは日露戦争の勝利から第二次世界大戦の敗戦に至る「歴史」について、筆者の本音が漏れ聞こえてくるところだった。
歴史上の一大事件(例えば明治維新など)について、これまで筆者は小説という媒体を通じ、どのような事件だったのかを読者に伝えるだけでなく、その事件が起こった背景について考察し、その事件が起こるべくして起こったという結論でもって読者に訴えかけてきた。そこには起こった事件の意義が存在したのであり、筆者はその意義を小説で描いてきたのである。しかし、筆者にとって日中戦争、太平洋戦争の意義を全く見出すことができなかった。日露戦争以後の40年間を、参謀本部の統帥権の独走だけで築かれた時代と捉えている。戦争の意義を見出せなかったが故に、昭和時代をテーマとした小説も書けなかったのである。筆者がいかに我が国のその40年間を嫌悪していたのかが伝わってくる。
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日本のことをもっともっと知りたい。最近そう思うようになってきた。歴史の教科書や、歴史小説などを読んできたが、何か物足りなさを感じていた。
この本は、司馬さんがざっくばらんに歴史について語っている感じだけど、このざっくばらんな語り口が、自分に新しい視点をくれた。事実を客観的に伝えるのではなく、主観的に語る。そうすると歴史に温かみ(人間味)が感じられる気がした。
足りなかったものはこれなのかな、と感じさせてくれた本でした。
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歴史作家の司馬遼太郎が日本という、特異な「国のかたち」についてその持てる知識を駆使して語り尽くす。「日本人は思想はいつも外からやってくる」というエッセイに始まり、日本人を戦争へと導いた参謀本部についてや、日本特有の若衆宿について、「日本」を特徴づけるものについて述べている。
戦争の責任の多くを参謀本部のせいにしているのは少し偏った見方に見えるが、日露戦争後の民衆の暴動がその後の日本を破滅に導いた遠因の1つだとしている点は評価できる。現代社会にも大きな問題を投げかける民衆の問題はもっと追究
されるべき。
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全6巻読了。歴史から導く日本国家論、というか日本人論。昭和初期の「統帥権」についての考察が興味深い。目先の利益 ばかりを追い求めると国家は破滅に向かう。原発推進か脱原発か。司馬がもし生きていたらどっちだったろう。そんなことを考えながら読んだ。
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日本史の好きな人はたまらないと思う。
日本史の苦手な人も、もしかしたら引き込まれるかもしれない。
学校で習ったことだけではゼッタイに見えてこなかった、
だけど知ればとても面白い話ばかり。
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「独裁は日本人の気質にむかない」という見解はスッと入ってくる。
「君臨すれども統治(実際に政治を執行すること)せず」が日本人にとっての理想的リーダ像となっている。ただし、そのリーダには「人格に光がなければならない」。納得。
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私がはじめて読んだ日本人論。難しい部分もあるけど、何度も繰り返し読みたい本。東アジアの歴史も興味深い。
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司馬遼太郎は、
日本が今あるのは、どのような歴史的な形成として
成り立ったのかを 考察する。
国のかたちとは、権力のあり方、歴史、それを支える思想を
読み解こうとする。
思想は 外からやってきた。
仏教、儒教、カトリシズム、回教、マルキシズム、
実存主義など。
そもそも 思想は どのようにできるのか?
古代中国における家族主義が、孔子によって発展した。
大和政権は、古代日本の代表的な勢力となぜなったのか?
その国家のしんとして、『律・令・格・式』と考えた。
日本は、書物を輸入するために 命がけだった。
奈良から平安時代の遣唐使船。
平安末期は、宋学をとりいれた。
室町時代の倭寇貿易も 宋学を取り入れるためだった。
本で、中国の文化を学ぼうとした。
明治維新のスローガンが 尊皇攘夷だけ成り立つことに、
日本の革命のそこの浅さがあった。
攘夷思想は ナショナリズムを高揚させる意味があった。
尊皇攘夷の思想は 宋時代に形成され、日本に13世紀に入ってきたが、
光圀の想いが連綿とつながった。
その13世紀は 日本的な仏教が生まれ、彫刻のリアリズムがうまれた。
開拓農民の政権 鎌倉幕府が成立した。
中国の宋学は 朱子学として大成し、精密化された。
朱子学の理屈っぽさ、現実より名文を重んじる。
それが官学化された。徳川幕府は朱子学を官学とした。
荻生徂徠、伊藤仁斎が、朱子学の空論性を攻撃した。
明治政府が すんなりと決まったのはなぜだろうか?
その思想は 光圀の朱子学的な尊皇攘夷の影響を受けた。
日露戦争勝利から 太平洋戦争敗戦までの 40年は
日本史としては 異質な時代といえる。
司馬遼太郎は異胎の時代という。
海軍の増強。それが 自己増殖して 朝鮮を併合した。
なぜ 朝鮮を併合したのか?
なぜ 満州国を作ったのか?
その理由を、きちんと説明できるものはいない。
日露戦争がおわり、明治41年に、参謀部が 統帥権を持つようになる。
その参謀部が 満州で独自の動きをはじめる。
統帥権の無限性が 続いていく。
張作霖爆殺事件、ノモンハン事変 バカな暴走が続く。
日本であって、日本でない日本がなぜできたのか?
自らの体験と思索を通じて、明らかにしようとする。