「環世界説」を提唱したドイツの生物学者ユクスキュルの晩年の名著です!
2020/03/26 10:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、エストニア出身のドイツの生物学者であり、また哲学者でもあったユクスキュルが晩年に著した書の邦訳版です。彼は、それぞれの動物が知覚し作用する世界の総体が、その動物にとっての環境であるとして、「環世界説」を提唱した人物で、動物主体と環世界との意味を持った相互交渉を自然の「生命計画」と名付けて、これらの研究の深化を呼びかけました。また生物行動においては目的追求性を強調し、機械論的な説明を排除したことでも有名です。同書では、彼のこの考え方、思考が明確に描かれています。
生き物の普遍的な見方と、主観的見方。
2012/07/10 10:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の作品としては生き物それぞれに「主観的世界」があることを提唱した「生物の世界」が有名だが、本書はその著者の遺作である。もう少し正確に言えば、著者がほとんど書き上げていた原稿を近親者がまとめたものである。
プラトンの対話篇のような形式で、登場人物が機械論と著者の主張を戦わせる議論を展開する。演劇や音楽を隠喩として使用し、「同じシナリオが場所・時だけでなく、出演者も変えて繰り返される。」などとの説明は彼の主張をわかりやすくするものであったろうが、そういった芸術に疎い読み手にはかえってわかりにくいという印象になるかもしれない。
ともあれ、機械論が席巻していく時代にあって、自らの主張をしっかりとまとめて伝えたい、という著者の思いは伝わってくる。いや、強固に主張したいという思いが、少し行き過ぎた「自己弁護」的にかたまったと感じられる部分もないとは言えない。
「物質をただ組み合わせただけで生命は理解できるのだろうか」という問いは、遺伝子や酵素などの「メカニズム」がわかってくる段階で何度も繰り返される。それは機械論に走りすぎないための反省でもあるが、強固に反論をし、自らを主張するあまりに行き過ぎた走り方をすることもまた繰り返されることなのだろうか。
新しい考えに突き進むうち、行き過ぎに反省し、今度は反対方向に行き過ぎることもある。そんな動きの繰り返し、揺らぎながら方向が決まっていくのは科学も他の社会現象と変わりないものだと思わせられる、そんな一冊でもある。
投稿元:
レビューを見る
昨年読んで衝撃を受けた『生物から見た世界』( http://booklog.jp/users/ntsignes/archives/1/4003394313 )の著者、ユクスキュルの最晩年の著書。最後の方は本人が仕上げられず、メモをもとに家族が完成させたようだ。
「環世界」というユクスキュル独特の概念をシンプルに表現した前掲書に比べ、こちらは生物学や諸科学の多方面にわたって視野を広げ、対話形式を借りて、「環世界」論と対立する「機械論」と徹底的に批判しあうディスカッションを展開する。
「環世界」とは、要するに、主体としての生命は、外界の事物のうち自己にとって意味ある物のみに反応し、逆に言うと自己から外界を「意味づけ」ていくことによって、「環世界」という主観的環境のなかで生活する、というようなこと。つまり「主体」なるものを強調し、そこから出発することに、自然科学者としてのユクスキュルの異端性がある。
この本の中でユクスキュルと対立していく「機械論」は、こんにちで言うといわば物質的反応への還元主義者である。動物の感覚や行動の原因も、機械的な器官が化学的な反応をともなって自動的に動作しているにすぎない、という考えで、ユクスキュルによるとこの機械論に、ダーウィンの進化論も結びつけられる。
現在の一般人の常識的な見方を見る限り、むしろ「機械論」の延長上にあるような還元主義が大勢となっているように思えるから、ユクスキュルはいまだに異端なのかもしれない。
進化論について言うとダーウィンが考えたような「無方向な変異が、適者生存の過程をとおして淘汰されてきた」といった「進化の仕方」はたしか既に否定されているようだけれども、修正された形で進化論の諸説が出現しつつ、「進化論」のベースそのものは受け入れられている。
この本は1940年代に書かれたもので、まだ染色体の特質もよくわかっていなかったようで、DNAなどというものはまだ全然知られていない。
DNAを知っていたら、ユクスキュルの言説はどうなっていたろうか? 彼なら、その「意味の設計図」を自説の中に見事に取り入れたであろう。
主体にとっての「意味」を追究するユクスキュルの思想は、その「意味」なるものがちょっと曖昧だったが、しまいにはプラトンのイデア論にまで結合してしまう離れ業。どうやらユクスキュルはカントなどもよく読んでいるし、もともと哲学好きであるようだ。
「主体」「意味」という、やや曖昧な危険性を伴う用語を中心にしたユクスキュルの思想は、こんにち、そして未来においていかなる地位を占めることになるだろうか?
投稿元:
レビューを見る
実は読んでなかった本。この年まで読まなくてよかった。全体論の話はウイルスが発見される前だなあとか、いろいろあるにしても。
対話態なのが却って早くは読めないのが結構いい。
それにしてもよくこの時期にこういうものがかかれていたのだなあ。宮沢賢治の直後に読むと、効く。
投稿元:
レビューを見る
★科学道100 / 未来のはじまり
【所在・貸出状況を見る】
http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=11130475
投稿元:
レビューを見る
五十嵐大介経由でずっと心にひっかかっていた環世界の話をようやく読めた
生の舞台と意味の統一というキーワードを軸に、機能と構成の対立が語られるのだけれど、この2つは必ずしも対立しないのでは、、、とも思いつつ、まぁ思考が至っていないところがあるのだろうなぁ、、、
現在の生物学の視点でどう評価されるのが正しいのか、というのは気になりつつ
対話式なのでサクサク読めた
投稿元:
レビューを見る
対話形式でユクスキュルの哲学や思想が展開されるが、ダーウィンの考えがとにかく気に入らないということがわかった。環世界そのものはアプローチとして悪くないと思うが、あくまで方法的に過ぎないアプローチである機械論的な視点を棄却するのは結構めちゃくちゃなのではと思った。
投稿元:
レビューを見る
話を展開させるために登場させられた動物学者が、読み進めるほどに可哀想になってくる。それはともかく、ドラマという考え方は共生とか依存とかにはストンと嵌る気がする。
投稿元:
レビューを見る
何故その人と出会い好きになっていくのかを問うた。環世界。まるで派生理由。
パラクラインは音で終わる。エンドクランは振動で。動物機械なエーテルやプリズムでサーチ。ゲシュタルトは幾何学的?そして遠くても。
それだけでも。そして自分も。誰かにはオーディエンス。動物たちも。みんな特別なエーテル。一生懸命ないのち。死んで風になってスピリッツ彷徨って、出逢って、決めていく。
生まれる。生まれないかも決断かも知れないな。
窒素みたいなとこで見えなくて生きてようかなとか。死に対する不安が無くなっていく様な。
進化系体に対しては23の選択肢な。私的には進化は無いって思う。2つ分の。
地球環境をが一朝一夕と云うのがきっと。忘れちゃいけない痛みって。本当の生きる意味な気がする。