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投稿者:暴れ熊 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「なぜそうなったのか」ということに力点を置いて書かれている好著。歴史は知識の暗記ではない。筆者・本村先生がおっしゃるように歴史は現代史であり、今起こっていることはすでに世界史に中にある。
中華帝国の特異性についても書かれており、好著。
特に、最後のページには筆者の熱いメッセージが込められているような気がしてならない。曰く、退廃に向かう社会では、人は自分にも他人にも優しくなっていく、と。
優しいことそれ自体はいいことなのだろうが、厳しさをも忘れてはならない。
国史に向かう情熱と世界史に向かう情熱は…
2019/10/06 02:46
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投稿者:1ベクトル - この投稿者のレビュー一覧を見る
それらは正反対の符号を持つが、しかしその絶対値において、等しい大きさを持つものではないか。つまり-1と1、-100と100、-10000と10000の組み合わせのように。向きは逆、大きさは同じ二つの存在。日本史と世界史。
大きさは歴史というものに対する関心の大きさであり、それが自他いずれを向いているかが符号を定める。
世界史のコアイメージとは何だろう。ローマ帝国。モンゴル帝国。大発見時代。世界大戦。共通しているのは、明らかに自らとは異なる遠心性の《外部》について、語らざるを得ないルールの下にあること。ローマ史を専門とされる著者が世界史について語る設定に違和感はない。それは説得力と同義であるように思えた。
世界史の見方がわかる
2017/01/31 20:05
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校の世界史で興味を持てた私からすると、こうした本で世界史の見方を改めて整理することができる便利な本。暗記科目としての印象しかない人にとっては、この本を読むことで、世界史に対する見方を体感してもらえるのではないかと思います。本の内容自体は、著者がこれまで書かれてきた著作のダイジェスト的な内容ではありますが、本書から始める世界史、というのがあってもいいのではないでしょうか。
点と点が線でつながった!
2018/07/02 18:59
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投稿者:tolk - この投稿者のレビュー一覧を見る
センターは世界史を選択し、外大に入ってからも覚えた知識で赤点を回避してきました(笑)
読みながら知識と知識が線でつながるのを感じ、年号とか知識を丸暗記しても、意味ないんだ!と今更実感。
あー、もっと早くに読みたかったな。
古代の人は神々の声を普通に聞いていて、古代以降の人が聞けなくなったのは文字を発明したからだという話には興味津々でした!
意外に分かりやすい専門家が書いた一般向けの書
2017/04/01 16:36
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投稿者:ワタヤン - この投稿者のレビュー一覧を見る
近年一般に読まれ、売れている世界史関係の本は、すべて歴史学者以外の人、いわば素人が書いたものであった。なぜ学者が一般向けの本を書かないのか、また書いても面白くないのかの説明がこの本には書かれてある。
著者はなぜ世界史を学ぶ必要があるのか、どのように学べばよいのか(新しい歴史の読み方)を教えてくれている。
著者の専門は古代ローマなのでどうしても古代史が多くなるが、興味がある人にはとても面白いのではないか。
今を知るために、また問題を解決するために、さらに未来を予測するために歴史を学ぶと言っているが、現代の世界情勢や近未来の予測については多くを期待しない方がよい。
今ある危機にはどう対処すべきだろうか
2017/09/25 00:33
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投稿者:なお - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学の先生によって書かれた内容が難しい本かと想像しましたが、教科書とはちがう見方で世界史をよむことができた。特にいままでローマ帝国に関しては、それほど興味を感じることはなかったが、こんなにも国家として成熟していたことに関して驚いた。この一冊で帝国のすべてを理解することはできないが、この本をきっかけにして次への足掛かりにすることができる、と同時に今読むのにたいへん役に立つと感じる。昨今の世界情勢は問題が山積している中にあって、歴史に照らし合わせて、現在がどんな状況で過去にはどう対処していたかを見極めることがいかに大切かを教えてくれたからである。「すべての歴史は現代史である」という言葉が象徴していると思います。
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ここ最近、世界史に興味があり本を読んでいる。
大きく分けて2つの観点で読んでいるなあ。と一つは時代の流れを単純に理解する。もう一つはその流れが単純には理解できないから「宗教」「地政学」と言うような切り口で歴史を学ぶこと。
目的と手段になっているなと今書いていて思うのだが、この本は今後も学んでいくだろう歴史と言うものに対しての教養=ポイントみたいなものを捉えられればいいなと思い購入。養老さんが帯を書いているのも大きかったです。
著者の専門は古代ローマ史。現在本屋に並んでいる多くの本は専門家が書いているものではない。確かに専門家が書くものは取っつきにくく理解されにくい。そんな背景の中で、古代ローマ史を軸に歴史の教養本。
ローマはなぜ繁栄したのか?ということ。一言で言うと「寛容さ」と言うことです。もちろん、ずっと寛容なのではなく、独裁制や厳しい時代があった後、反政府体制などが勃興し、その時期を経て寛容になるのだと。寛容から怠慢になってしまうと滅びると言うことも言えると。ただ、寛容さがナイト短く見ても500年、広義で長く考えると1,500年。そんなに長い時代は気づけないと。
そんなローマと日本やオバマなど現代と比較した上で論じていくのは面白いです。
いくつか気になったワードを列挙。
・中国は世界初の国内植民地化政策
・ギリシャは文明の聖地であり、ヨーロッパの故郷。地政学的にも重要なので見捨てられない。そのにギリシャは甘えている。
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「四大文明」「五賢帝」「大航海時代」はすべて和製用語。
文明が発達するのに必要なのは、乾燥化だ、と著者は見る。
紀元前5000年ころから、アフリカの北部から中東、ゴビ砂漠を通って中国に至るラインで乾燥化が始まっている。
キケロは、ローマ人が他民族に勝っているのはその宗教的敬虔さであると述べている。
マルコ・ポーロのわずか二年後に、元の初代皇帝フビライの勅命により、ウイグル人のラッパーン・バール・サウマーがエルサレムに向かって旅立った。彼はネスト利うす派の信者だった。ネストリウス派の法王にバグダードで謁見した。
欧米には今でも、ローマ的理想を追い求める潜在的潮流がある。「ローム・イディ」と呼ぶ。
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まずは、紹介文から
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
経験というのは、個人の体験でしかないので、自ずとその範囲も規模も限定されてしまうが、歴史は、少なくとも過去五千年にわたる文明史の、あらゆる人々の経験の集大成なので、個人の経験より遥かに多くのことを学ぶことができる。
ということで、内容ですが
序章 「歴史に学ぶ」とは何か?
—愚者は経験に学び、賢者は学ぶ
第1章 文明はなぜ大河の畔から発祥したのか
—文明の発達から都市国家と民主政の誕生まで
第2章 ローマとの比較で見えてくる世界
—ローマはなぜ興隆し、そして滅びたのか
第3章 世界では同じことが「同時」に起こる
—漢帝国とローマ帝国、孔子と釈迦
第4章 なぜ人は大移動するのか
—ゲルマン民族、モンゴル帝国、大航海時代から難民
問題まで
第5章 宗教を抜きに歴史は語れない
—一神教ななぜ生まれたのか
第6章 共和政から日本と西洋の違いがわかる
—なぜローマは「共和政」を目指したのか
第7章 すべての歴史は「現代史」である
—「今」を知るために歴史を学ぶ
ということですが、学校で習う受験対策の歴史は、まったく無味乾燥です。
しかしながら、著者がいうように、『すべての歴史は「現代史」である』という観点で、歴史に接すれば、自らの人生も充実するし、現在、今、起こっている事象もより客観的に俯瞰できる態度が醸成できる。
自然豊かな日本列島の縄文人・弥生人、乾燥していた所謂四大文明箇所では、求められたものは、まったく必要なかったのです。
こんな稀有な日本人の歴史は、もっともっと自信をもって世界に発信すればいいのです(笑)。
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本書のまえがきにも触れているが、物理学や医学さらには哲学などの教養学では専門家が一般向けの本を数多く出版しているが、世界史に関しては専門家以外の人が執筆しているケースが目立ち、専門家は専門書に偏っている。そこで、ローマ史を専門とする著者が世界史全般を一般向けに執筆した本書は大変意義があると思う。
内容についても、各時代(西洋史に偏っているが)とローマ史を対比させるという手法で分かり易く書かれている。
敢えて言えば、各時代の出来事である点を世界史での全体の流れに沿って線として記載して欲しかった。
・文明とよく混同される言葉に「文化」があります。「文化/culture」の語源となつたのは、ラテン語のcolre。これは、「耕す」という意味なので、文化はその土地の自然や風土の影響を色濃く受けるものだということがわかります。このことから、文化が自然風土の影響下にあるものなのに対して、文明はそうしたローカルを影響から脱し、広く人々の集まるところに伝播していく可能性を持ったものだと言えます。文化は自然風土の影響下にあるので、その土地では有効ですが、ほかの土地に行くと通用しない可能性があります。でも文明は、そうした「地域性」を超越したーある意味「普遍性」を持つたものだということです。文明が土地ではなく都市と結びついているのは、都市では、人口密集地であるがゆえに、利便性が求められ、そうした利便性はほかの都市に持っていうても、それなりに使えるものになるからです。
・四大文明より古い時代から日本では土器が使用されていました。しかし、四大文明以前の日本にそれに匹敵するような高度な文明は生まれていません。それは、文明の発祥に必要不可欠な条件である「乾燥化」が日本にはなかったからです。事実、四大文明など文明が発祥したとき、世界では大規模な乾燥化が進んでいました。
・都市国家というと、多くの人が最初に思い出すのはギリシアだと思いますが、実はメソポタミアのほうが、はるかに早い時期に都市国家が成立しています。都市国家といっても、ギリシアの「ポリス」とメソポタミアの都市国家では成立の過程が違うということです。メソポタミアの場合は、乾燥化が原因で水の畔に人々が集まり、濯溜の必要が生まれたことによって、その潅溜を取り仕切るために力の強い実力者たちが玉となり、集団の中に階層分化が生じ、そこから王を中心とした都市が出来上がった。メソポタミアやエジプトの王は、民衆の上に君臨する絶対君主的存在ですが、時代的には多少隔たりはあるものの、ギリシアの場合は、王ではなく各部族のリーダーや豪族などの実力者たちが権力者となっていったため、リーダーと民衆のあいだが非常に近いものでした。そのため、次第に民衆の力のほうが強くなっていくという形で、「民主政ポリス」が誕生していくからです。しかし、ギリシア前代で民主政が行われたわけではなく、アテネなどのごく一部の都市だけが民主政を行い、多くの都市は独裁政であった。
・「ローマの歴史の中には、人類の経験のすべてが詰まっている」これはローマの歴史が、興隆、発展、安定、衰退という、いわゆる文明の起承転結の過程が非常にはっきりしているからである。
・西洋のエンぺラーも東洋の皇帝も、どちらも帝国の為政者であることに変わりはないのですが、その性格は大きく異なります。かつての日本の天皇や中国の皇帝は、ほとんど民衆の前にその姿を晒すことはありませんでした。人前に姿を見せないことで神聖性・神秘性を高め、人々に畏怖の念を抱かせたのです。そのためアジアでは、皇帝や天皇といった為政者を、民衆が批評したり批判したりすることは、絶対に許されませんでした。
・同じ「皇帝」でも、ローマでは批判も批評も可能でした。ローマの皇帝は、剣闘上の試合や戦車競走があると主賓席から観戦するのですが、そのとあまり熱心に観戦していなかったり、近くの連中とおしやべりばかりしていたりするとすぐに悪い評判がたってしまいました。民衆は、常に皇帝の姿を鵜の目鷹の目で見て、少しでも思うところがあれば、良くも悪くもずぐにグラフィティに書くのが当たり前だったからです。だからこそローマの皇帝は、民衆の目を気にし、人前では常に自分を演出していました。
・この違いが生まれる土壌として、ギリシア人とローマ人の経験がアジアとは異なるからだと思います。ギリシア人はまがりなりにも民主政を経験したことで人間が競い合ってより良きものを作り出すというシステムを肌身に感じたはずです。ローマ人は王政の独裁を嫌い、それを排除するために五百年にわたって共和政を守ってきました。そのような古代人の経験のどこかで為政者を特別な者とは見ないという感覚が生まれ、それがその後のユーラシア西部で受け継がれていったのではないでしょうか。だから血統がそれなりに守られても、それをどれだけ神聖なものと見なすかには大きな差異が生じるのだと思います。
・新渡戸稲造の著書「武士道」は、もともと英文で欧米人向けに書かれたものでした。きっかけは、日本では宗教教育は行われていないという新渡戸の発言に驚いた欧米人に「宗教がなくて、どうして道徳が授けられるのか」と質問され、答えに窮したことでした。ですから新渡戸の語る武士道は、切腹や特攻精神に直結するように荒々しいちのではなく「礼節をわきまえ、側隠の情を失わず、私心をすてる」といった武人の心構えとでも言うべき柔和なものです。対外的には柔和ですが、これは自分を律するためのものなので、厳しい自戒を要します。
・ギリシア人は敗戦という結果を不名誉と断じますが、ローマでは立派に戦った結果なら、生きて帰ってきたという時点で、すでに本人は充分な恥辱を受けていると考え、責めないということです。へギリシアの敗戦将軍は死ぬまで戦うか、敗けて生き延びた場合は他国に逃げてしまいますが、ローマの敗戦将軍は、味わった恥辱を跳ね返すために次の戦いで大変な努力をするようになるのです。
・ローマにかぎった話ではありませんが、世界の大帝国と言われる国を見ていくと、最初から寛容な国などほとんどありません。やはり最初は軍事的制圧からスタートするので、最初の何年かは、ある程度、カで抑えっけざるを得ないのです。しかし、ずっと抑えっけたままだと、不満から反政府運動へと流れるので、ある程度の期間が過ぎたら少し緩め、「これくらいのことは、おまえたちに任せよう」という形である程度の自治を認めることが必要になります。
・ローマ帝国の三世紀は皇帝が乱立する危機の時代でした。これほど皇帝が乱立すると、民衆のあいだには、もう誰がなっても変わらない、という投げゃりな空気が漂います。人々が政治に期待しなくなった中、社会的不安を抱えた民衆が心の拠り所としたのがキリスト教でした。イエスが礎になったのが紀元三〇年頃、それから五賢帝の時代まではローマのキリスト教徒はほとんど増えていません。いなかったわけではありませんが、その数は人口の僅か一%以下。それが二三〇年頃から、急激に増えているのです(これは現代にも通じるものがある。国民の投票率が低いのは政権に期待できなくなってしまった証拠)。
・イギリスで産業革命が起きたのは、作業地の近郊でエネルギー源としての石炭が手にはいったことと、植民地の拡大のお陰で巨大な市場が手に入ったこと、さらに土地による人口の制約が外れたことで、人口が激増しながらも、一人当たりの消費量も上昇するという奇跡のような状態が生まれたため。産業革命というと、何よりも蒸気機関の発明による動力の刷新が東西の明暗を分けたように言われますが、蒸気の熱を機械を動かすエネルギーに活用する技術自体は、実は古代地中海世界ですでに使われていました。しかし、ローマ帝国でも産業の近代化は起こりませんでした。そう考えると、技術よりも生態環境の違いのほうが大きかったと言えるのではないかと思います。
・イギリスを中心とする西ヨーロッパがこうした生態環境の恩恵を受けたのに対し、アジアは、産業革命を起こすだけの力を持ちながら、有利な条件に恵まれなかったために後れを取ってしまった。そして、その後れを取り戻せないまま十九世紀の帝国主義時代に突入し、さらにその差を広げられてしまうことになったのです。
・中東では、前二十世紀頃になると、今度はいわゆるインド・ヨーロッパ語族が入り込んできます。このレ一き入ってきたインド・ヨーロジパ語族の末商が、今のイラン人です。だから、同じ中東に住み、同じようにイスラム教を信仰しているのに、イランとほかの国々の間には対立が見られるのです。こうした対立は、民族に発する問題なので結構根深いものです。この対立についてよく、同じイスラム教でもシーア派とスンニ派では違うからと言われていますが、実はそれだけではないのです。もちろん宗派にまつわる対立もあるのですが、彼らの間には、インド・ヨーロッパ語族とセム語系という根本的な民族の違いがあるのです。
・民族大移動の出口側の問題として最も大きいものは食糧不足。さらに人口増加と寒冷化や乾燥化といった気候変動がある。その他いも、は、信仰の弾圧や奴隷売買のような人為的な強制移動、戦乱による難民などです。
・入口側の問題としては、受け入れ側の地域が国土的に余裕があるかどうかはもちろん、政治的に安定しているかどうか、宗教に対する寛容性を持っているかなど、環境によっても許容量は大きく違うのですが、大規模な移動が起きると、多くの場合、争いに発展します。
・民族の移動で最も大きな意味を持つのは、「異なる文化」を持つた人々が入ってくることだと思います。一気に大勢の異民族が入ってきたことでそれまでの価値観が変わっていつたとだと思います。少しずつ入ってきた場合は、ローマ���文化や価値観に異民族の方が吸収きれるのですが、ゲルマン民族の大移動のようにあまりにも多くの異民族が入ってくると、それまでのローマの価値観や基本的な行動規範が変わっていってしまうということが起きます。そこにこそ民族移動ならではの怖さがあるのだと思います。
・ローマ人というと、キリスト教を弾圧したというイメージがありますが、実はローマは信仰に対して非常に寛容で、征服地でも「おまえたちがおまえたちの神を信じるのは自由だ」と常に認めてきました。これはキリスト教に対しても同じだつたのです。寛容なローマがキリスト教を弾圧するようになった最大の理由は、キリスト教徒たちが「キリスト教以外の神々はニセモノだ。そんなものを信じてはいけない」と主張したからなのです。
・西洋では民衆の前に姿を見せることが為政者の権威につながり、逆に東洋では、民衆に姿を見せないことが権威になったのです。実際に民衆の意見が採用されるかどうかは別にして、距離感を近くすることが民衆が為政者の行う政治にロを出していいという、ある意味、民主主義的な考え方を育んだのです。そうした民主主義的土壌は、西洋が古代ギリシア・ローマの時代から培ってきたものなのですから、明治時代になって初めて民主主義を導入した日本人がまだ理解しきれなくても、無理のないことなりかもしれません。
・歴史の教科書も授業も、常に古代から現代に向かう一方通行で、今はこうだが、過去はどうだつたのかとか、今こうなったきっかけはどこにあったのか、というように、現在から古代に向かっていく思考や因果関係はまったくといっていいほどありません。
・ドイツ人は勤勉で、日本人と似たところもあると言われていますが、地政学的に言うと、日本はイギリスに、中国はドイツに匹敵すると考えると非常に分かり易い。
・現在のヨーロッパにあたる地域の人々は、もとはローマ支配のもとラテン語を使っていました。そのため、ラテン語の流れを汲むスぺイン語とイタリア語などほかなり似ている。
・ヨーロッパのルーツは都市国家です。私たちま「古代ギリシア」と一括りにして考えていますが、実際には独立したポリスの集合体であって「ギリシア」という統一国家だったわけではありません。その後ヨーロッパはローマ帝国のもとに集約されますが、ローマ帝国の崩壊後は、再びヨーロヅパは自立した覇権が多くなります。
・特にドイツでは300もの領邦国家に分かれていて、それが十九世紀、プロイセンが中心になって統一されたのです。それでもやはり自治の伝統は根強く、ドイツではいまだに都市などの地域単位で物事を決めるという伝統が生きています。こうした傾向は、イタリアもわりと強く、フランスは比較的弱いと言えます。そのため、多民族の集合体である中国とドイツは似ているのです。
・EUがギリシアを切り捨てられないのは、ギリシアはヨーロッパにとって文明の聖地であるとともに、地政学的にも非常に重要な場所です。万が一そこに敵対勢力が入ってきたら、本当に危ないことになるのをみんながわかっているのです。だから、どれほどお荷物でも切り離せないのです。ギリシアもそれをわかっているのです。
・人間社会は繁栄すると必ず退廃していく。歴史はそのことを物語っていますが、われわれ人類は、まだどうすればこの間題を解決できるのかという学びは得られていません。
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昨今の世界史&教養ブームの中で、専門家ではない人が歴史について語る本が乱発されているが、本書はローマ史の専門家による歴史書。
語り手の解釈が入る以上、「すべての歴史は現代史である」という着眼点が新鮮。読み物としても十分面白い。
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明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい ガンジー
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
ローマ帝国衰亡史 エドワード・ギボン 格調高い英語
1598 ナントの勅令 アンリ4世がプロテスタントの進行を認める
1685 ナントの勅令が廃止され、再び収容弾圧 このときユグノー(フランスのプロテスタント)がオランダ移住 オランダの隆盛のもと
SPQR Senatus Populusque Romanus ローマの元老院(貴族)と民衆
EH カー 歴史とは何か
歴史とは歴史家と事実の間の相互作用の普段の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります
韓国の研究者 真実を決めるのは世論
中国の研究者 真実を決めるのは共産党
ギリシャはもともと周囲の国々のお荷物
ギリシャは自分たちの文化のふるさとなので、切り離すことができず援助する
ディアスポラ 撒き散らされたもの ギリシャ語
国を離れてくらす民族
中国華僑、ユダヤ、アルメニア
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現代に通じる歴史を教えてくれる本。
「全ての歴史は現代史」であるとし、暗記ではない教養としての世界史が読みやすく書かれていた。世界史を学びながら教養の大切さを知り、現代を違った角度から見ることが出来る。いままで習ってきた歴史の別の側面を知ることが出来き、面白かった。ただ、ある程度世界史の知識を持っている人でないととっつきにくいかもしれないなとは思った。
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グローバルスタンダードの教養は、古典と世界史。
人間社会の普遍的な真理を教えてくれる古典、人類の経験の集大成である世界史。
文化(地域性)と文明(普遍性)の違い。
文明発祥に必要不可欠なもの、「乾燥化」。
アメリカの国家の中枢は、WASP。
ローマでは「父祖の遺風」、日本では「武士道」が精神の柱。
ローマ帝国で産業革命が起きなかったのは、奴隷がいたため。
ゲルマン民族大移動の原因は、寒冷化とフン族。また、ゲルマン民族大移動は、ローマ帝国滅亡の原因の一つ。
右脳、左脳、神の声。
ローマ史の専門家が、文明の発展から衰退までを様々な目線で分析する。縦の歴史、横の歴史、宗教、言葉、民族性など。
そうした分析を踏まえ、歴史を学ぶ意義を見つめ直し、将来の最適解を探求していくための糧とする。
テーマ内容はベビーだが、筆者の文体は軽く、時には皮肉的に上から目線や斜め目線から書かれているので、非常に読みやすかった。
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日本人をやや持ち上げるきらいはあるけども、この著者の本はどれも面白いという前評判通り、良い好奇心を抱かせる読後感だった。
専門がローマ史とのことで、そのあたりの記述が特に良かった。
タイトルが若干あれだけども、装丁デザインのとおり「世界史」がメインであって前後は飾りのようなものだろう。