紙の本
もう一章、書き加えて・・・・
2017/05/29 17:09
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投稿者:セカンドライフ - この投稿者のレビュー一覧を見る
何かと話題の「文部科学省」。時節がらぴったりなのですが、ある意味で少々早過ぎたかも知れません。画像に出る建物が「旧内務省」、その内務省との関連や、いま起きている問題等で、もう一章、書き加えた改訂版が出ることを期待します。
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【「三流官庁」と侮るなかれ! イデオロギー官庁の格闘の歴史】戦前は内務省文部局、戦中は陸軍省文部局、そして戦後は自民党文教局と揶揄されて。政治とイデオロギーに翻弄された百五十年の歴史。
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明治から現代まで、「学制」から「改正教育基本法」まで、文部省(文部科学省)の150年の歴史を「理想の日本人像」を軸に一気に通観できるという意味ですぐれた概説書である。文部省の思い描く「理想の日本人像」は普遍主義と共同体主義の間を常に揺れ動いてきた。「教育勅語」ですら常に「第二の教育勅語」が模索されてきたのであって、そうした意味で侵すべからざるものではなかった。
150年の歴史をコンパクトな新書で追っているので、やや物足りない部分もあるが、イデオロギーに偏らずバランス良く叙述されているように思う。
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意外と分かりやすい。
文部省って「理想の日本人像」を追求していたのかぁ。最近の施策からはまったく感じられないけど。
近代国民国家を支える「国民に求められる資質とは何か」ってことなんだろうけど、国家ありきで国民を規定しようとしていたわけだ。それが正しいかどうかは別として、明治の初期は開明的だったのに、日清、日露を経て、求める日本人像がリベラルから国家主義的に変わっていったのが寂しい。その過程で、そも「国体」なんてなかったこと。政府の都合に合わせて国体を定義したことが示される。
それにしても、文部省って最初から三流官庁って言われてたんだなぁ。
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文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年文部省の研究
辻田真佐憲著 文春新書
p230「ゆとり教育」の裏の顔
教育課程審議会会長(1996〜98)を務めた作家の三浦朱門
ゆとり教育について
「学力低下は(中略)覚悟しながら審議をやっとりました。
いや、逆に平均点が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。
つまり、できん者はできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。
百人に一人でいい。
やがて彼らが国を引っ張っていきます。
限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです」
「国際比較をすれば、米国は欧州の点数は低いけれど、すごいリーダーも出ている。
日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。
それが”ゆとり教育”の本当の目的。
エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
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文部省(文部科学省)とそれが追い求めた「理想の日本人像」を通じて、明治維新以来約150年の日本の教育史を明らかにすることを試みている。
教育という(著者の)価値観が入り込みやすいテーマについて、非常にバランスよく叙述されていて、客観的に日本の教育史を振り返り、今後の教育について考えるのにちょうどよい本だと感じた。
日本の近現代の「理想の日本人像」をめぐる歴史においては、普遍主義と共同体主義の相克と調和が常に問題となってきたということがよく理解できた。凡庸な結論ではあるが、著者も指摘するように、「理想の日本人像」の(とりあえずの)正解は、普遍主義と共同体主義のいずれに偏ることもなくその中庸にあるのだろう。「理想の日本人像」という概念の限界も自覚しつつ、それを安全装置として利用せよ、という著者の提言にも共感した。
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文部省の研究「理想の日本人像」を求めた百五十年。辻田真佐憲先生の著書。現代の文部科学省はモリカケ問題に収賄問題、裏口入学問題と不祥事だらけ。教育に心血を注いで大変な努力をしてきたかつての文部省の職員の人たちが現在の文部科学省の不祥事を見たらどう思うのでしょう。
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【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・文科省がどんなことを考えてるのか分かれば。
【ノート】
・結果として期待したものとは違った。「理想の日本人」を補助線として通史的に研究してるのだが、その補助線が自分の期待とは違ったということ。
・ただ、三浦朱門のゆとり教育に関しての発言は面白かった。「要はエリート教育だが、そういうわけにも行かなかった」という、底上げの議論があった。
【目次】
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理想の日本人像なんて、時の権力者が自分が御しやすい国民を作るために定めるものなのだなと思った。しかし、それはあくまで過去のものであり、今は「理想の日本人像」ではなく、「理想の世界人像と、その中の日本人像」を考えないといけないのではないかな。
しかし、1890年台の西園寺公望の考えには恐れ入った。
①科学教育を重視すべきこと
②英語を普及すべきこと
③女子教育を振興すべきこと
④修身における「理想の日本人像」を転換すべきこと
→従順な忠臣タイプではなく、逆境に功を奏する両親タイプを理想とすべき
いやぁ、すごい。今も全然できてない。この考えが普及してたら、今とは全然違った日本になっていただろうね。
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目標設定好きは、日本人の習癖かもしれないけど、
「理想の日本人像」を官僚が決めるのは違和感があるし、
それを目指して頑張ろう、なんて人が居たら気持ち悪い
と思って読んでいたら、最後に
「理想の日本人像」を安全装置として利用せよと
著者が書いていて
なるほどなぁ、そんな考え方も有るのかと納得した
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新書はタイトルで釣って中身はイマイチな事が多いのだが、本著は逆で、地味なタイトルわりには中身が非常に濃い良著。
普遍主義(グローバリズム)と共同体主義(ナショナリズム)で揺れ動いてきた日本近現代思想史を「思想官庁」である文部省を中心に教育行政の視点から概観しつつ、「日本人はどうあるべきか」を問い続けてきた歴史を知る事ができる。
戦前と言えば、教育勅語に始まり皇国史観で軍国主義に突き進んでいたというイメージがあるがそれは短絡的であり、10年毎におきる戦争とその狭間の時代で揺らぎがあった事がわかる。戦後も教育基本法に始まり、詰め込み教育だとかゆとり教育だとかキーワードによる断片的印象でなんとなくわかったつもりでいるのだが、日教組との対決や経済界からの要請に始まり、冷戦崩壊によるグローバリズムの影響を受けつつも、他方で台頭するナショナリズムとのバランスをとろうと模索してきた事がわかる。若い研究者である著者はイデオロギーに囚われる事なく、このバランスこそが重要であると説く。
昨年は大臣の「身の丈」発言(これは著者のいう「エリート主義」が背景にあるのだろう)があり、2020年度からは新しい「学習指導要綱」がスタートしたが、コロナ騒動により教育界は大激震が走っている。また、反グローバリズムやナショナリズムが台頭しつつある。これらの事が、これからの「日本人はどうあるべきか」にどのように影響していくのかを注視していきたい。
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どういう教育をするか、ってその時の政治動向や思想のトレンドとかに大きく左右されるわけね……
まさかゆとり教育にそういう意味もあったなんて
もし希望通りMETI入ったとしても教育改革なんてできそうにないですね
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P.48 教育勅語はどうとでも解釈できる
ヤヌスのような両面性
×儒教的な道徳を普及
○利用しながら近代国家の国民道徳に結びつける
啓蒙主義「学制」「自由教育令」
儒教主義「教学聖旨」福岡文政
国家主義 森文政
国体主義「教育勅語」
普遍主義(欧化主義、啓蒙主義)が共同体主義(儒学「我国固有の倫理」「国体の精華」)によって徐々に修正
→「教育勅語」は普遍的かつ絶対的でなかった。が天皇の言葉である以上、一切の批判を許さない神聖不可侵な性格を持っていた
大国化と文部省の没落
西園寺公望の世界主義
国定教科書
P.79 社会教育
国家主義的な「国民精神作興詔書」