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日本の思想史を真摯にたどる、丸山への建設的な批判
2021/07/11 15:49
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投稿者:y0a - この投稿者のレビュー一覧を見る
英語タイトルが「丸山眞男と山本七平」なのだが、全体に丸山の仕事を批判的に後世(というか今の我々)につなぐ作品。対比される相手は山本だ。
本書の結論としては、山本七平の指摘したことの方が包括的には正しいけれど、丸山の仕事もそれはそれで重要だったということ。丸山がなぜ、学問的に偏りを持ってしまったのか、その状況と理由も説明されているので、非常に納得が行く。
そして、こちらが本題なのだけれど、江戸時代の思想的営みがどのように行われ、それが後々、皇国史観や天皇主義にどんな影響を与えたのか、きちんと見据えるための振り返りなのであった。
物知りでないと書けない本だと思うけど、一章一章読んでいけば分かるように構成されていて、とても親切な気がした。漢文はつらいけど。
明治維新と大東亜戦争敗北で、あたかも日本の思想史がブツリとちぎれ、単に新しい思想が上書きされたような印象をどこかで自分も持っていたような気がするけれど、そうではないと橋爪氏は言いたいのだろう。
そして、そのミッシングリンク(に見えるもの)を探して、きちんと振り返らないと何度でも同じ過ちをたどってしまう、そういうメッセージとして、自分としてはとりあえずは読み、納得することができた。
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荻生徂徠に近代性の萌芽を見出した丸山真男の研究を中途半端とし、そこからさらに一段進めた山本七平を評価する。しかし山本七平も、意図的にか中途でやめているとしている。
結局のところ、日本のナショナリズムは朱子学を日本に強引に当てはめた闇斎学と国学が合わさったところで成立したというのが著者の主張のようで、最後は、著者の次の仕事として小林秀雄の「本居宣長」を取り上げるという。
ここまでくると、本居宣長の問題性が顕著になってくる。偉大な学者であり、かつ問題をはらんだ思想家ということになる。これを乗り越えるとはどういうことであろうか?
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丸山眞男の『日本政治思想史研究』と「闇斎学と闇斎学派」の内容について批判的検討をくわえるとともに、山本七平の『現人神の創作者たち』と対比することで、丸山の残した問題を超えて議論を前へと進めていくための道筋を示そうとする試みです。
著者は、丸山が『日本政治思想史研究』において、荻生徂徠の「作為」の思想に「近代」の萌芽を見いだそうとしたことに触れて、とくに「自然」の概念に関して丸山の議論に混乱があったことを指摘します。また「闇斎学と闇斎学派」では、丸山が埼門学派の「リゴリズム」に両義的な評価を与えていることについても検討をおこない、リゴリズムの背景をなしているものが何であったのかを明らかにしていないと批判します。
他方で著者は、山本が『現人神の創作者たち』のなかで、湯武放伐論や赤穂事件に関して、闇斎やその弟子の浅見絅斎、佐藤直方らの議論についておこなっている議論を紹介し、日本の政治システムに適合しない朱子学を受容する彼らの試みが日本の「近代」にどのようにつながっているのかということが明瞭にされていることを評価しています。
著者の議論は丸山に比して明快であり、たしかに丸山の思想史学が孕んでいた問題点をクリアに示しているように見えるのですが、もう少し丸山の議論のもつ緊張を肯定的にとらえることができるのではないかという気がしています。また、山本のとらえた日本の政治システムの特質も、近代以降のわれわれのまなざしによって規定されているということも、忘れられてはならないようにも思います。
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山本七平のあの『現人神の創作者たち』の文意が初めて分かった。朱子学の本丸(クーデーター肯定)を否定することが尊皇の肝であったとは。忠孝一致は日本で起きた。中国では起きえない。
「道がないのが道である」(本居宣長)に象徴される天皇制のすごみ。
丸山眞男をどう読むべきか、どう乗り越えるべきかの示唆も得た。今も続く「権力=悪」論、線引き論につながるとは驚きだ。
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山崎闇斎に関するの丸山真男の論考の混乱に驚かされた著者(丸山ゼミの孫弟子にあたる橋爪大三郎)が、山本七平と小室直樹が語る、浅見絅斎の靖献遺言という本に辿り着いた所から始まる、様々な論考であります。赤穂浪士をどう評価するか、という所から説き起こし、丸山が体験した戦前の超国家主義(超越的な天皇を崇拝する前近代性等)のよって来る所以を論考する本であります。難しいけれど、なるほど、であります。★四つです。