「ハレンチ学園」は本当にハレンチだったのか
2011/01/20 08:17
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまでは「ハレンチ」という言葉もあまり聞かなくなりましたが、永井豪さんの『ハレンチ学園』(少年ジャンプ)が世に出た68年はこのマンガに誘発されるように「ハレンチ」という言葉が蔓延していました。マンガの規制ということでは、この『ハレンチ学園』も多くの「良識的な大人」から批判された一冊だったといえます。
本書のなかにも書かれていますが、最初にこのマンガの「追放」を決定したのはある地方都市の校長会でした。「有害図書」「俗悪本」と『ハレンチ学園』は非難されました。
そもそもマンガの規制が論じられる前提には、青少年に対する大人たちの過度な配慮があります。特に『ハレンチ学園』などのように性的表現が多いものに対しては「健全な育成」に反するとして過敏に反応してきました。
1968年といえば、私は13歳の少年でした。『ハレンチ学園』も読みましたが、スカートめくりは一種の遊びとして受けとめていたにすぎません。大人たちが考えるほど、子供たちは幼くもないし、分別がないわけではないのです。
あれから何十年も経ち、おそらく『ハレンチ学園』を読んで育った世代があふれ、当時の「俗悪本」という評価のおかしさが充分わかっているはずなのに、2010年の東京都の青少年条例改訂問題などがまことしやかに議論されるのは何故かしらと首を傾げざるをえません。
大人は子供が成長してできたものではなく、子供時代を忘れさるものなのでしょうか。
『ハレンチ学園』の時代と現代のマンガ表現を比較した場合、大きく進化していることも事実です。表現は過剰になり、よりリアル感をもって性的なものも描かれています。そのことをもって、規制に動くのは、文化の成長に横槍をいれることに等しい。
表現は自由な地点に立たないかぎり、進化しないでしょう。その点はもっと議論されていいと思います。
本書はそのような「マンガの規制」に関する半世紀にわたる事実を詳細に描いています。惜しむらくは、出版のタイミングで東京都の青少年条例の決着を描けなかった点でしょうか。
本というのは、そのような鮮度も充分に考慮しなければならないものです。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
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マンガが社会にどう受け入れられて、どう受け入れられなかったのかをたどったものかと思ったら、条例がどのように成立、強化されていったか経過をたどったものだった。「なぜ規制されるのか」というより「どのように規制されたのか」という内容で、期待していたものと違った。
一貫して規制は強化されていて、思っていたよりもすでに規制が進んでいることに驚いた。
よくいえば客観的に書かれた事柄が、固有名詞が多かったこともあって、煩雑で、事柄のつながりや流れが追いづらかった。
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概ね1950年代の悪書追放運動〜2010の太陽族条例(Q3まで)の動きがざっとまとまっている。特に悪書追放で親団体として活躍した「子どもを守る会」が、都青少年条例の制定に反対した事、美濃部・鈴木知事時代には抑制的に運用されていた条例が、石原都政下では懲罰的・示威的な運用に変わっっていった経過が面白い。
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過去の経緯や発言を追っているのは記録としてすごい。変化などがよくわかる。が「なぜ」の部分に迫れていないのが惜しい。
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例の東京都青少年健全育成うんたらかんたら条例を念頭に置いた本。
戦後から現代までの、マンガ規制を時系列や、それに関係した人発言や引用を挟みながら追っていく。
都条例が議論されるように至った経緯を知るには便利。
その時々の、出版社の考え、警察や行政の考え、親やいわゆるPTAの考えが手に取るように分かる。
できれば、著者の考えや、現状を打開するような案も聞いてみたかった。
結局、表現の自由、性の描き方、それが差別になるかどうか、どこまでがエロいものなのかっていう判定基準は人それぞれ。
ましてや、その情報が元で青少年の育成が阻害されるのかどうかなんて、主観と時代環境が影響して、客観的な基準なんて生まれるわけがない。
後ろ向きな規制で動くより、多様な文化に触れさせる的な、能動的な働きかけをしてくほうがいいんじゃなかろうか。
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ポルノロリコン暴力というレッテルを貼ってマンガを排除ししてきた歴史。
結果言論や表現の自由が奪われ、アウトローな表現者は消えて行かざるを得なかった。
その手法はメディアが協力して世論を誘導していった面も大きい。
この国の権力者は国民から色々なものを奪い、管理しやすくしようとしているようにこの一面を見ても感じる。
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日本における漫画などの表現規制の歴史(1950年代~現在)について述べた本。こういう本が出たのも「非実在青少年」という文言で名を挙げた東京都の青少年健全育成条例の影響だろう。
畢竟、どの時代にも共通して言えるのは、規制は風紀や道徳の遵守云々よりも、行う側の理屈で一方的に行われること。
この本の記す時代は1950年代の『太陽の季節』と「太陽族」の流行、悪書追放運動や文部省の「図書選定制度」、60年代の東京都青少年条例制定後の「サンデー」、「マガジン」などの少年漫画誌ブーム、80年代後半の宮崎勤事件と様々だが、その裏に規制する行政(東京都など)や規制を求めるPTAなどの思惑があり、注視する必要があることを確認した。
ただ、東京都の条例に影響を受けたと思われる割には、今現在の問題と直接関わる記述は少なく、機を逸している感じがした。
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(推薦者コメント)
『ドラえもん』には静香の入浴をのび太が覗くシーンが多々登場する。それはある視点から見れば子供にとって“有害”と見做されてしまう。それでは、『ドラえもん』は“有害図書”なのだろうか。これだけ多くの人に支持されているにもかかわらず――。本書は、そのようにして数々行われてきた「漫画への規制」の歴史と、今後起こりうる規制の問題点、表現の自由を巡る問題を克明に描いた労作である。
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青少年に「悪影響」と言われるカテゴリのマンガだったり作品だったりに対する日本の扱いは、しっかりしてないイメージがあります。規制にほんとに長い歴史があるっていうのはわかった。そんなにもめてここまで決めてきたのかっていうのは結構衝撃だったし。でもそれが全然おとなのなかで統一できてないと思う。青少年に対しての出版を控えたって大人が電車でおおっぴろげに読んでたりするし、ワイドショーでとりあげる殺人事件の行き過ぎ報道なんかの方がよっぽど悪影響だと思うよ。
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これは本当にマンガ有害規制に関する歴史であって、
これそのものが読みものではありません。
だから、読んで楽しくはない。
著者は徹底的にマンガ有害規制に反対ですから、
逆にマンガ有害規制を推進する方が読むとよいのではないでしょうか。
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表現規制問題について上手くまとめられており、情報量も多い
しかし反対側からの偏った意見であることも間違いなく、これを鵜呑みにするのは少々危険かもしれない
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マンガに対する規制とそれに対抗する動きを紹介する一冊。前半で昨今の状況、後半で戦後以降のマンガ規制に関する歴史を紹介している。
[マンガ規制反対派の<弱さ>を示す一冊]
読んでいてとにかく不思議でならないのは「人を楽しませるのが商売の漫画家がそのおもしろさを保つために規制と戦う。こんな面白い話をなぜここまでつまらなく紹介できるのか?」ということ。
マンガはバトルが命、という部分があります(少年向けは特に)。この本はベースに『バトル』があるにも関わらず、その命を失ってしまっている。
正直なところ、この本よりももっと「マンガへの規制との戦い」を描いている本はあると思うのです。例えば「コミックマスターJ」という本があって、そこでは『非実在のマンガアシスタント』が活躍する中で『マンガを規制しようとする人たち』とも戦う。その過程の中で「まるでマンガキャラ並みに滑稽なマンガ規制派たち」の姿も描かれる。
別に面白くなければ本じゃない、というわけではない。しかし、ある意味で「面白い」題材を面白く書けていない、というのは良い悪いは別として不思議な現象だと思う。
[マンガ規制賛成派の<強さ>を示す一冊]
この本で強く感じたのは『非実在青少年』という言葉が持つ無限の可能性。
物語で書かれた『非実在青少年』の受難が、現実に影響し「実在の青少年」に不利益を与えるのではないか?という、そんな考え方。
しかし、この『非実在○○』という概念は非常に独創的。
例えば、絵を描くのが好きで絵に貼るトーンの種類のことで頭がいっぱいの「実在する青少年」は、自身の属する学級では「存在感のない子」だったかもしれない。でも、そんな彼・彼女が書いた『非実在青少年』の物語はもしかすると「実在の青少年」に影響を及ぼし、ついには政府や各種団体をも動かした(横やり、という形ではあるがw)。
例えば、とあるサッカー漫画に出てきた『非実在サッカー少年・大空翼』の物語は、国境を越えて「実在のサッカー少年」に影響を与え、そんなサッカー少年の一部は今開催中のW杯サッカー大会にも出場している、と聞く。
「だからこそ、『非実在青少年』の活動を制限するべきだ」という考えも分かるし、「だからこそ、『非実在青少年』の活動を規制することは「実在の青少年」を縛るのと同じだ」という考えも分かる。本来、どちらが正しい、と白黒付けるような問題でもないような印象は受ける。
ただ、そんな万能の言葉『非実在青少年』という言葉を作り出したのは表現を規制しようとしていた側である、という皮肉な現実には目を向けるべきだと思う。
[総じて言えば]
「事実の列挙」のような記述が多くあり、「正しい一冊」ではあるのですが「読むことを推奨したい」とは思わせない一冊。
ただ、後半の「マンガ規制に関する歴史」は比較的よくまとまっており、一定の資料的価値はあるのではないか、と考える。
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青少年条例の問題点とその闘いの方向性、また、戦後のマンガ既成の歴史について詳しい本。そういえば昔、駅前に「悪書追放白ポスト」があったのを思い出す。
貸本マンガ、不健全雑誌のバッシングが、多くのマンガ家や読み手を傷つけていた。しかし、それ以上に今回の「規制」はおかしい。自主規制がおかしな方向に行かないようにしてほしいと思う。
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小さい子を持つ親としては、特に過激なエロの「有害」マンガは見てほしくないし、なるべく遠ざけたいと考えている。
だけどそのことと、権力が規制することはまったく別の話。いつの時代も、自分が悪とみなすものを権力・暴力で排除しようとする人は存在するんだなー、と悲しくなった次第。
著者の議論に大筋で同意するけど、もうちょっと中立的な書き方でもよかったんじゃないかなあという気がする。
本書の書き方だと、「規制派」の考えを改めさせるのは厳しいんじゃないかなあ。
蛇足ながら、「非実在青少年」の話の時に、呉智英さんが「好色一代男」の話をしていたのが笑った。呉さんの得意とする論法。なるほど、確かに。
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「有害」図書や「非実在青少年」をめぐる賛成者と反対者の攻防を時代ごとに丁寧に追っている。行政の動き、裁判の判断、賛成者/反対者の運動など幅広い。何度も参照したい1冊。