ユートピアこそディストピア
2023/10/04 12:56
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
近未来、個人情報の徹底的な管理を条件として創られた、不安を無くし経済的不自由を解消した理想郷を舞台に、それがディストピアであることをうかがわせる物語。情報管理することにより、犯罪者予備軍を抽出管理して安全な社会が生まれたかのような気になるが、視点を変えれば、倫理観に反するように見える。悩むことなく今という時を押下し、なにも意識せず暮らしを営む人には、見たいものしか見えない状況でよいのだろう。すべてを受け入れるのではなく、まずは考え、そして選択して受け入れなければならないと思う。
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ストーリーや構成ももちろんなんだけれど、
アメリカを舞台にして、
ジョークを散りばめながら進んでいく
1文1文が面白い。
今回(前回?)の直木賞の受賞で
名前を知るまで全くマークしていなかったのが悔やまれる。
いろいろな角度で面白く読める作品。
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文章が日本人ぽくない(まるで欧米人が書いたかのよう)
設定も面白く、自由や幸せが相対的な価値観であると捉えたところが、現代的な社会問題、意識の問題に共通している部分でもあり、作品にリアル感を与えていると思います。
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第3回ハヤカワSFコンテスト受賞作の文庫化。
小川一水と一緒に何となく買ったのだが、面白かった。先頃、同じく早川書房で文庫化された、『ザ・サークル』と、読んだ後のざわざわした感じが共通しているような気がする。
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2018年、第38回日本SF大賞に輝いた『ゲームの王国』の著者のデビュー作。大IT企業のマイン社がアメリカ政府と提携し、実験的に開始した超最先端都市「アガスティアリゾート」。住民は、視覚・聴覚・位置情報などありとあらゆる情報をリアルタイムで提供する引き換えに、誰もが羨む豊かな暮らしを手に入れる。しかし、理想的に思えた都市での生活にも闇はつきまといー。
広告代理店の元デジタル広告担当として、無料サービスの利用と引き換えにとっことん一般市民の顧客情報(ええ〜そこまで、と思う様な情報まで)が吸い上げられ利用される様を見てきたので、この本に書かれている世界に私達は既に片足どころか半身浸かっているのでは、と思わずにはいられない。
例えば米A社が最近試験的に導入し始めたレジなし無人スーパー。支払いの全自動化で顧客は利便性を手に入れるが、A社には、いつ・何時何分に・何を購入したかが筒抜けになる訳だ。そしてその情報が毎日の様に蓄積されていけば、彼らは顧客の生活習慣から趣味趣向まで、手に取るように分かる様になる。でも、便利な生活が手に入るのであれば、それも悪くないのでは?果たして本作の理想都市に自分も住む機会が与えられたとしたら、どうするだろう?色々夢想しながら読まずにはいられません。あなたはこちら側とあちら側、どちらを選びますか?
全体的に少々丸く収まっている印象は否めませんが、同じテーマを掘り下げているデイヴ・エガーズ著『ザ・サークル』よりは良く出来ていて好き。あと、ディストピアアニメ『PSYCHO-PASS』と一部似ている部分があるのでそちらが好きな人は本作も手に取ってみては。
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個人の行動と身体状況が、ほぼ全てAIに監視され記録される実験都市に関わる人たちを描いていて、管理社会が行くところまで行っちゃったら、人間はどうなっちゃうのかな?っていうお話。
実験都市の住人は、自分の生活の記録を提供することで、生活が保証され、あくせく働かずに自由な暮らしをしていられるんだけど、その代わり、日常の行動をほぼ全て監視・記録されているから、常に誰かに観られているっていう感覚に耐えられない人は、頭がおかしくなって療養所に隔離されるか都市から強制退去させられちゃう。
逆に監視され管理されることが平気な人たちは、AIのレコメンドに従って健康的に楽しく都市生活をエンジョイできる。
なにせAIは、その人その人にとって最適な行動を教えてくれるから、それに従っていれば何事においても自分の頭で考えるより良い結果が得られちゃうんだよね。
で、そうなるとだんだん自分の頭で考えなくなるから、人間から意識というものがなくなってしまう!それはマズい!っていう考えを持つ人たちも現れてきて、反対運動も展開されていく。そして……
人間がみんなAIのオススメどおりに動いちゃったら、AIの拠り所である大量のデータに多様性がなくなってきて、だんだんAIがバカになっていくんじゃないかなぁ、でも、やっぱり、そのあたりも優秀なAIは折り込み済みで、突拍子も無い行動を起こす人間のこともシミュレートしちゃうのかなぁ、なんて思いながら読んでたら、頭の中がぐるぐるしてきちゃった(汗)
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巨大情報企業が運営する実験都市アガスティア・リゾートでは、あらゆる個人情報を提供することで、仕事から解放され安全に平均以上の生活ができる。この都市に関わる人々の短編集。適応できる人間にとっては楽園だが、それが出来ない人間にとっては終始監視されて苦痛でしかないだろう。
情報社会が進んだ先に待つのはどんな社会なんだろうか。管理社会、監視社会…果たして自由とは。本著を読みながら、社会が徐々に変わっていく過程をシミュレーションしているように感じた。<管理社会>というとSFではディストピアを連想させるが、完全にはそうとは言い切れない。アガスティア・リゾートが善か悪か正直わからない。そういう風に二項対立でしか物事を考えられなくなるのは危険だと考えさせられた。
以下、本文から気になった部分をメモφ(..)
・もし危険性そのものが自由に裁けるようになれば、人々は危険について想像することすら避けるようになるでしょう。(中略)危険について考えることをやめた人間は、別種の、新しい次元の危険を生み出すでしょう。
・賛成か反対か、それだけが意味もなく叫ばれています。(中略)単純な図式が強調され、その奥にある複雑な問題は一切考慮されていないように感じます。
・「君はものごとを深く考えすぎだよ」恐ろしい言葉だった。「ものごとを深く考える」のが悪いことであると、「ものごとを、深く考えず」に口にしている。寒気がした。
・本当の変化は、自分たちの変化に気がつかないまま、人々の考え方やものの見方がそっと変わったときに訪れる。想像力そのものが変質するんだ。一度変わってしまえば、もう二度と元には戻れない。自分たちが元々何だったか、想像することすらできなくなる
・『人間は次第に無意識状態に回帰していて、なおかつそれは進化論的に正常だ』(中略)『いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になったとき、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる』
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超監視・プライバシー管理社会に身を委ねることのもたらす安寧と幸福。
そうできない人たち。
「君はものごとを深く考えすぎだよ」
「眼鏡をかけろ、自由を探せ」
並走する6つの物語は時折わずかに触れ合う。もっとカタルシスのあるような大団円が訪れるのかと期待もしたが、そういうのではなかった。
単にシステムに巻き込まれた人ばかりではなく、システムを作る側の人間、システムを批判する側の人間など、メタ認知をする人間がたくさん出てくるのも特徴か。
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各章、少しずつ登場人物の重なる6つの物語。おもしろくて第四章まで一気読み。
「アガスティアリゾート」はまだまだ実現には程遠そうに思えて、しかしよく考えてみれば情報銀行のようなものはすでに原型が生まれつつあるなと思う。いま現在、スマホに入れたアプリに対して個別に許可・拒否しているような個人情報が、もっと大枠の存在に吸い取られて管理される未来は突拍子もないものじゃない。
その後、この物語では街づくりに進んでいるわけだけれど・・・現実では何が起こるんだろうなぁ。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」での、監視に無頓着でいられる人とどうしても耐えられない人、というのはすごく想像できる状態だなと思う。
『鈍感さはこの街で最も尊い美徳のひとつなんです。時代は変わりました』
「死者の記念日」での、旧世代のスティーヴンソンと時代に順応したライルとのかみ合わないやり取りもどこかで交わされていそうだ。
『まるで差別が正当化されるような口ぶりだな』
『これは決して差別ではありません。契約です』
最後は宗教が出てくるところが、アメリカらしい。文体のせいもあって、翻訳ものを読んでいるような気分でおもしろかった。
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全個人情報の管理された近未来社会を描く.6つの事象を例に,そんな社会はディストピアかも,でもそうじゃない可能性だってあるよね,と囁かれるような筆致なのだが,登場人物達が人工知能のような表層的な存在に感じて,いまいちのめり込めない.
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『ゲームの王国』を購入してみようか迷っていた時に古書店で同作者のを見つけたのでポチッた。嫌いではないけど、別のも読んでみたいとまでは…
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読んだ後、レビューをすっかり忘れていた。
傑作『ゲームの王国』の小川哲のデビュー作。
『ゲームの王国』が傑作過ぎたのか、大して面白くなかった。
言いたいことというか、やりたいことは伝わるのだが、面白味はない。
印象に残らない。
星は3つ。3.3くらいか。
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友人との待ち合わせの際に最終ページまで読み終わる。どうやら彼はもう少し遅れて来るらしい。幸いなことにそこは地元の駅前で、数年前にできた新しい店舗を含めて書店が二軒ある。少し逡巡してから行きなれた古い本屋に足を向け、見慣れた書棚から著者の次作「ゲームの王国」をレジに持っていった。
大衆、自由、作られた社会システム、そこに相容れぬ者たち。僕が読みたかった物語がここにあった。こんな衝撃は「虐殺器官」以来だ。自分の脳みそでは作り上げられなかった物語がそこにあった。これだから読書はやめられない。
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個人情報を全て提供するかわりにユートピアに移住できる。みたいな仕組みがある近未来が舞台の群像劇。
最初にロボット工学の三原則から始まったから勝手に人間VS社会を管理するAI〜みたいなのを期待して読んでしまったので三章あたりからちょっと飽きてしまった。
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注:内容に触れていますけど、本を読んでないと意味がわからないと思うので、あえてネタバレ設定にしていません
というか、こんな長い感想、誰も読まないと思うw
これに出てくる「アガスティアリゾート」を否定的に見て、ぶっちゃけて内容を書くならば、映画の「銀河鉄道999」みたいな話なのかなーと思う。
「999」は、“機械の体”を貰うために主人公が行きついた所は“機械の体”ではなく、その都市(星だっけ?)を構成する“部品”にされてしまう話だったと思うが、
この本の中に出てくる、アガスティアリゾートついて書かれた本にある説、“いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になった時、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる”は、「999」の最後で明かされる“機械の体の正体”を思わせる。
ただ、それはあくまで話の中でも一人の人が言っている「説」にすぎないし。
少なくとも、この小説の中でアガスティアリゾートに住んでいる人たちは幸せに暮らしている(ようだ)。
そこで描かれている生活は「999」のように、“格差によって生存が脅かされる”という、いわゆるディストピアではない。
にもかかわらず、そこに住んでいる、あるいはそこに関わる一部の人は、日々の暮らしで自分の行動や見たり感じたりしたこと全てが「情報」として取られてしまう、アガスティアリゾートでの生活に疑問を感じて、自分でも理由がわからないストレスを受けている。
そんな人たちを描く6つのエピソード、と聞いて何かピンとくるものがある人ならば読んでみてもいいと思う。
ただし、いわゆるSF小説的なエキサイティングな展開はないし。また、読んで面白いという小説でもない。
でも、読んでいると、ついいろいろ考えてしまう。それは、ある意味エキサイティングだった。
(ゆえに感想がやたら長いw)
読み始めて、最初に感じたのは、いい意味でも、よくない意味でも、やたらと頭のいい人が書いた小説だなーと。
自分の感想は大体茶化して書く傾向があるが、これは茶化しでもなんでもなく、本当に正直な感想。
読みやすい文章だし。また、自分は(他の人が言ってるほど)人間が描かれていないとは感じなかった。
むしろ、その人の人生を過去に遡って、キャラ設定していたり、さすが巧く書いているなーと感心した(←ホントに茶化しではないw)。
これが、いい意味の方の感想。
で、よくない方はというと、なんだか、話に出てくる、設定から会話、あらゆるものが著者が読者の先回りをして“正解”を用意しているようで。そこが、読んでいて、著者がやたらと頭がいいだけにカツンとくるんだと思うw
あえて極端に書くと、『ユートロニカのこちら側』という小説自体が、著者の考え方が“正解”であるアガスティアリゾートで。『ユートロニカのこちら側』という小説を読み楽しむには、その著者の考え方が“正解”であるアガスティアリゾートに住まうことを押し付けられているような気がしてくるのだ。
で、もう一つ、これは、いい意味なのか、よくない意味なのか、自分でもよくわからないのだが。何人かの方が伊藤計劃の『ハーモニー』を思い出すと書いているのを見て、ふと思ったのが、その『ハーモニー』よりもこっちの方が小説としての出来がいいのに、物語としては、なぜか『ハーモニー』の方が面白いということ。
たぶん、いい意味で幼稚っぽいんだと思う、『ハーモニー』は(「ハーモニー」は管理社会としての未来を描いているのではなく、世間が管理し合っている今の日本の社会を著者が自分自身を賭して皮肉っているように感じる。そこに凄味があるんだと思う)。
それに対して、こっちは頭がよくて、社会的にも認められている大人が書いた小説という感じで。
書いていて、著者でなく、物語の方が動き出しちゃった、ハッチャケた感じがないっていうのかなー。
そういえば、読んでいると、時々唐突に「え、この著者も村上春樹のファンなの?」と思わせるような表現が出てくるのだが、そういったことも含めて、頭のいい人が巧みに書いている小説だなーって感じてしまって。
ゆえによくもわるくも、な~んか展開が煮え切らないんだよなぁ~(血沸き肉踊らないと言ってしまったら違うんだけど、そう、コーフンしないって言ったらいいのかな?)というのがあるんだと思う。
ただ。それは、この小説が、SF小説というよりは、著者の抱くIT社会の問題意識に沿った「寓話」だからかなーとも思う。
いや、その寓話というのは、著者がそう意図して書いたのか、それとも、たまたま寓話になってしまったのか、それはわからないのだが、著者は、いかにもSFファンが喜びそうな、類型的な「ディストピア小説」を書く気はなかった。ゆえにこういう「物語」になった。
たぶん、そういうことなんじゃないだろうか?
つまり、なにも「ディストピア小説」の伝統に沿った、いかにもな定番な展開で盛り上げなきゃならないということはないわけで。そいう意味では、著者のその心意気(アティチュード)にはとてもシンパシーを感じる。
そう考えると、解説で、選考した東浩紀という人が“管理社会をディストピアとして描くのであれば、管理に衝突する抵抗者=犯罪者の造形が重要になってくる。本作の空気はバラードの著作を思い起こさせるが、バラードは変態を書くのが巧かった”と言ったとあるが、それは明らかに見当違いな指摘なのだろう。
ていうか、どこかの隣の国じゃあるまいし。いまさら、体制による暴力を伴う監視・管理社会=ディストピアって発想は、この日本ではさすがに古くないかい?w
この本の面白さは、そんなカビが生えたディストピアではなくて。
独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスが目論む社会をテーマに持ってきたところにあると思う。
それは、決して、暴力や圧政を伴う監視・管理社会=ディストピアではない。
そういう古典的なディストピアというのは、誰しもそれを不当な抑圧を感じて、「不正義」として打倒することも出来るだけ、もしかしたら、まだマシなのかもしれないという気がしてくるのだ。
だって、「あなたの生活を『便利・効率的・お得』にしますよ」と笑顔ですり寄ってくる存在を、「不正義」と逆らう人はまずいない。
だって、実際「不正義」ではないし。何より、『便利・効率的・お得』を得られるのは間違いないことだからだ。
つまり、それは誰が見ても「ユートピア」なのだ。
現に、この小説の第一章「リップ・ヴァン・ウィンクル」の登場人物ジェシカは、そのユートピアである「アガスティアリゾート」に住むために8回応募している。
でも、その「ユートピア」は、お金儲けを目的とする「企業」が運営しているのだ。
もちろん、お金儲けが悪いのではない。
でも、企業というのはお金儲けを第一義としている以上、お金儲けこそが正義で、お金が儲からないことは不正義だ。
それが一般市民の生活や幸せと必ずしも合致するものではないというのは誰もわかるだろう。
最近の事案を見ても、『便利・効率的・お得』を謳っているはずの企業が、こっそり学生の個人情報を企業に売っていたり、市場シェア拡大のためにアカウントを作るセキュリティの設定を甘くしたり(記者会見ではそれは否定していたが)等々枚挙にいとまがない。
ただ、それは、あくまで独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスの目に見える悪しき面にすぎない。
目に見えない、一見、誰もそれを悪いことと感じない=誰もそれを「不正義」と逆らえないことによってもたらされる、“長い目で見た”悪しき面を描いてみせたところ。
その点こそが、この著者の描きたかった、“センス・オブ・ワンダー”なんじゃないだろうか?
(とはいえ。最初からアガスティア・リゾートというものを否定的に描くのではなく、読者を肯定的に錯覚させるように描いた方が「小説」としては面白かったような気はする)
AIというと、よく言われる“中立・公正なアルゴリズムで云々”という話があるが。
でも、それはあくまでAIを開発するの、お金儲けが第一義の企業にとっての“中立・公正なアルゴリズム”なのであって。
それを利用する/利用させられる一般市民にとっての“中立・公正なアルゴリズム”であるとは限らない(というか、ほぼ“企業に有利で不公正なアルゴリズム”だろう。
ただ、だからと言って、第六章で出てくる、“人間は次第に無意識状態に回帰していて、なおかつそれは進化論的に正常なこと”、“いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になった時、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる”がアガスティア・リゾートによってもたらされるかは、
自分は全くわからない。
というのは、この著者が頭がよすぎて、自分の頭ではとてもじゃないけどその論理についていけないということもあるが。でも、それより何より、この小説ではその「永遠の静寂(ユートロニカ)」に至るまでの過程が示されていないというのもある。
(そもそも、その“永遠の静寂――ユートロニカ”云々はこの本の登場人物が書いた本の中にある「説」にすぎない)
ただ、その「永遠の静寂(ユートロニカ)」って、蜂や蟻のように巣全体で一つの意識や意思を持つみたいなことなのだとしたら、それは進化論的に正常なことなのかは知らないが、それはそれで人類の進化の方向性の一つなのかなーとも思う。
進化というものをディストピアと逆らう人はいない。というか、人の進化の行先がそうなら、それをディス��ピアと思う意識すら持たないだろうから、なら、それはそれでいいんじゃない?と思ってしまう、というのもある(ていうか、それしかないよね?w)。
そうなってくると、要は、それで幸せか/不幸せか。あるいは、ストレスを感じるか/感じないか、なんだろう。
アガスティア・リゾートに住むことで、運営するマイン社にトイレと寝室以外(だったか?)の全ての知覚情報をデータとして提供する代わりに、生活の一切の不安を取り除いてくれるサービスが受けられるということを、
“その人が損と感じるか/得と感じるか”。突き詰めてしまえばそういうことなのかなーと。
損と感じれば、それはストレスだろうから、第一章のジョンのように心を病んでしまうだろうし。
得と感じれば、その奥さんのジェシカのように楽しく生き生きと暮らせる。
でも、そう考えてしまえば、ちょっと元気が出てくるというものだ。
もしかしたら、人の生活に独善的な便利・効率的・お得を押し付けてくるだけの現在のIT企業・ITサービスではない、“人や人の生活におもねる(おもねるというと言葉は悪いが)ことが出来る”ITサービスというものが、これからのITサービスの差別化の方向性として出てくるのではないか?と思うからだ。
詳しくは知らないが、デンマーク(だったか?)では、取得された個人データは本人の承諾がない限り企業は使うことが出来ない仕組みが出来ているらしい。
そんな風に、あからさまに個人が丸裸にされるように感じてしまうデータの使い方でない、IT企業である前に人としての仁義をわきまえたITサービス、あるいは悪質なITから市民を守る仕組み(システム)みたいなものがあれば、今の独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスは自然に排除されていくように思う。
ITに関しては日本/日本人は海外勢に負けっ放しだけど、そういう方向でなら、色々やりようがあるんじゃないのかな?
こういう本を読むと。誰しも、アガスティアリゾートに住んでみたいか?って話になると思うのだが。
自分は、最初のエピソードに出てくる、アガスティアリゾートの情景描写を読んだ途端、あー、俺はここに住みたくない!って思った。
いや、働かなくてもいいとか、犯罪が抑止されているとか、心が動くところはいっぱいあるw
でも、床がガラス張りで、その下にサメが泳いでるのが見えるレストランとか、そんなクソつまんない所、死んでも行きたくない!って思うのだ(爆)
ま、自分はテーマパークとかが大嫌いなこともあって、余計そう思うのかもしれないがw
そういえば、香港が中国に返還される前くらいに、香港に関する本を読んだ時。“香港は子供の自殺率が世界のトップクラスだが、大人になると自殺率は途端に低くなる。それは、香港人は仕事が嫌になるとすぐ辞めて、すぐに別の所に就職しちゃうからだ”みたいなことが書いてあった記憶があるが、実際にアガスティアリゾートが出来たとしたら、たぶんそんな風になるんじゃないのかな?
水清ければ魚棲まずじゃないけど、人間なんてものは下世話でくだらないものが、生きていく上で絶対必要なんじゃないのかなぁーw
そ���こそ、いわゆる週刊誌ネタとかワイドショーネタみたいな空気感とか。だって、みんな大好きじゃん、あれ(爆)
あと、「ステイホーム」の中、家にいることにストレスが溜まる人がいかに多かったかを見ても、アガスティアリゾートの外に出たら点数が下がる生活なんて耐えられないんじゃないのかな?
というか、人間なんてもんは、アガスティア・リゾートのような最大公約数的な幸せの中では絶対満足出来ないんじゃないのかな?
人間の欲望や幸せ(満足)への欲求というものは、そのくらい際限がないもので。データの対価として支給されるお金に最初は納得できたとしても、だんだん「それでは安い。もっとよこせ」という風になっていくと思うのだ。
安全や娯楽・レクリェーションに関してもそれは同じで、「もっと」「もっと」と際限なく、さらにあらゆる方向にエスカレートしていくはずだ。
それらの欲求を満たせる存在なんてあるわけもなく。満たせられなければ、いつか爆発する。
人というのは、そういうものだと思う。
といっても、この『ユートロニカのこちら側』は、あくまで“寓話”だと思うので。
アガスティアリゾートのそういうところに現実味がないとか、あと、マイン社は得たデータでどうやって儲けているのだろう?なんて疑問を持つのはたぶん見当違いなんだろうし。
なにより、今すぐそこにある問題点を考えれば、そんな重箱の隅をつつくようなことを言っている場合じゃないということだろう。
素直であることは、幸せに生きる上で大事なことだと思う。
なぜなら、素直に長いものに巻かれていれば疲れないわけだから。疲れないということは、自分の人生をポジティブに考えられると思うのだ。
でも、長いものに巻かれ続けていると、ストレスが溜まってくるのも事実だろう。
アガスティア・リゾートでの暮らしのように、マイン社が望む暮らしをしないと個人の点数が下がり、それに応じてマイン社から支給される収入も下がるという仕組み(考えただけでストレスが溜まるw)がなかったとしてもストレスは溜まるはずだ。
なぜなら、アガスティア・リゾートでの暮らしが良ければ良いほど、その生活を無料で提供してくれるマイン社は自分たちの生活データを使って莫大な利益を得て、その社員たちはもっと良い暮らしをしているということを、住民は想像するようになるからだ。
アガスティア・リゾートの暮らしにストレスが少ない分(というより少ないからこそ)、それは住人にとって大きなストレスになっていく。
ストレスが溜まれば、やっぱり疲れてしまう。疲れてしまえば、自分の人生をネガティブに考えるようになってしまう。
そんな風に、便利で、効率的で、お得な長いものに巻かれて疲れて生きるのか、それとも、なるべく長いものに巻かれないように疲れて生きるのか。
各自がどちらを選ぶか、選択を強いられる時代、それが21世紀なのだろう。
というか、もはや誰もが既にいつの間にか選択させられているわけだが、つまり、これからは巻かれているそれの締め付けが強くなっていくということなのだろう。
ただ、その長いものの締め付けを、ジェシカのように良いものと感じる人もいれば、ジョンのようによくないものと感じる人もいるということなのだろう。
とはいうものの、アメリカの大統領選を見ていて思うのだが、アガスティア・リゾートのような街を造ることはアメリカ人は到底容認しないだろう。
アメリカ人が大好きな例の集団ヒステリーを巧く起こせば、もしかしたら出来るかもしれないが、でもすぐに逆の集団ヒステリーが起きて、「それは間違いだった」と無くしてしまう気がする。
また、今のIT企業ならこんな露骨なやり方ではなく、もっと隠れて巧妙なやり方をする(というか、している?)と思う。
こういう街が出来るとしたら、それはまずは中国や新興国。あるいは、東アジアの国々(日本も含む)だろう。
そういう意味では、「それは間違いだった」と認められない日本なんかはヤバイかもしれないw
うろ覚えだけど、デヴィッド・ボウイが80年代の初め、(たしか)坂本龍一に「これからの抵抗は政治にではなく、情報に対してすることこそが抵抗なんだ」みたいなことを言っていたと何かで読んだことがある。
デヴィッド・ボウイとはいえ、いくらなんでも80年代の初めに今のネット社会を具体的にイメージしていたとは思えないし。
また、「情報」というよりはマスコミをイメージしていたんじゃないかって気もするのだが。
とはいえ、デヴィッド・ボウイというのは常に次は何?ということを考えなきゃなんなかった人だけに、不安というか、不穏というか、何かそんな嫌な空気を捉えていたんじゃないだろうか?
つまり、『便利・効率的・お得』という、誰もが抗えない言葉に抵抗しなきゃならない世紀、それがこの21世紀でなのだろう。
『便利・効率的・お得』というのは、そんなにも疲れることなのだけれど。
ただ、そうは言いつつ、アガスティア・リゾートに住んでいる人は『O嬢の物語』をどう読むのだろうか?なんて思う(爆)
以下、個人的なメモ。
“住民を洗脳することで自らを正当化しているが、彼らの行いは…”(P159)
そんなこと言ったって、検索した時、遥か先までスクロールしたものをわざわざ見ないよー。
面倒くさいし、検索エンジンが提示して出てきたものを素直に見ちゃうよw
“なお、マイン社はランダムニュースの取材に対し「正式に訴状を受け取ってからコメントしたい」と述べている”(P160)
「正式に訴状を受け取ってからコメントしたい」って、よく聞く言葉だけど、
でも、考えてみたら、正式に訴状を受け取ってからなされたコメントって聞いたことないなーw
“もしマイン社が頭からお尻まで間違っているのなら、リゾートがこれだけ繁栄するはずもなかった。彼らは大きな誤りの一部に、何か絶対的な正解を含んでいる”
第五章:ブリンカー(P222)
――日中戦争から太平洋戦争に突入することを選んだあの時代の日本人に、何なりかの絶対的な正解があったのだろうか?
“それって何かおかしいような気がする。悪いことをするってわかりきっている人間は(アガスティア・リゾートに)入場できて、何をするかわからない人間は入場できないってさ”
第五章:ブリンカー(P228)
――法律に違反して犯罪者になってしまえば人権が守られるのに、TVを見ている人が不快���と感じたタレントが自殺に追い込まれるまで叩かれるのとどこか通じているような……
“「物事を深く考える」のが悪いことであると、「物事を深く考えず」に口にしている。寒気がした”
第五章:ブリンカー(P241)
――ここ数年、「思考停止」という言葉をよく耳にするが、「思考停止」と言った途端、その人も考えることを止めているような?w
“「本当の変化は、自分たちの変化に気づかないまま、人の考え方やものの見方が変わった時にそっと訪れる」
(中略)だがドーフマンは、その変化が良いものなのか、悪いものなのか教えてはくれなかった。彼の興味はそこにはないようだった”
第五章:ブリンカー(P243)
そう。確かに、それは、“そっと訪れる”ものなんだろうし。また、“彼(企業)の興味はそこにはない”ものなんだろう。
“良い、悪い”(ちょっと言葉が抽象的すぎると思う)以前に、その“興味がない(興味があるのは儲かるか儲からないかだけ)”というところが一番怖いんだと思う。