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開眼 未来の全ての日本人に読んでほしい
2015/01/21 23:43
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本はただの読み物ではない。著者が真剣に侘び寂び(ここでは然びとしている。)の体現を願っているのが伝わってくる。
自分には、恥ずかしながら、侘びと然びの明瞭な区別がついていないことが分かった。この本には、きちんとそれが説明がされており、尚且つ、歴史の人物の性格や心情をスバリと言い当ている感がある。中でも、利休と秀吉の確執や一休禅師、そして近年では鈴木大拙禅師の話は驚嘆するものだった。もしかすると、日本の精神文化を変えるものになると予感するのは私だけであろうか。自分のアイデンティティーを探し求めているすべての人に薦めたい。
美しい情景描写に心が震えた
2015/01/21 01:37
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野の花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の前半では、著者が体験した数々の情景描写を通して
「侘び然び幽玄」とは何かが説かれる。
「透き通る陽性の幽玄」として、次のような情景が描かれていた。
「日常の通学路を月夜に通るとき、ある一角に来ると目の前の湾に、
その月が映りその光が水面に乱反射する様がこの世のものとは
思えない美しさで、穏やかな漣に揺れるその光は幻想そのもので、
その澄んだ空気感はわが心を捉えて離さなかった」
その美しさに息をのんだ。
一方、老子の言葉を通して、「哲学としての幽玄」が紹介されている。
なんと豊かな感性だ。なんと深く奥行きのある本だろう。
柳は緑、花は紅、真面目
2015/01/20 19:50
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:silver spoon - この投稿者のレビュー一覧を見る
侘び寂びは、さして区別されること無く使われてきた。
侘び寂びは言葉を弄ぶ文化人のものではなく、むしろ詩歌、茶の湯とは縁がない、自然と一体化していた百姓のものであったのか。
しかも、なんの苦労もない文化人には本当のところが理解できないと云う。
私の侘び然び幽玄感は完全に崩壊した。
私の好きな言葉である。「銀椀に雪を盛る」『碧巌録』十三則、その景色は、然びでいいのだろうか?
日本人のこころ
2015/01/21 00:02
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:勉強中 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょっとしたきっかけから手にした本ですが、自分自身の事を考えさせる幅広い内容でした。
わび、さびというジャンルは、日本人なら誰でも知っているものですが、きちんと説明される機会もないし、なんとなく根付いているものかなと感じてはいました。
ここまではっきりした形でわび、さびを紐解いている本は初めてです。
深くずっしり考えさせられる一書
2020/01/26 11:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「侘び」と「然び」と「幽玄」は、異なるものだということを徹底的に教えてくれます。「侘び」とは質素で孤絶の相であり、「然び」は孤高でクールで渋みのある相であり、「幽玄」は黄泉を背景とした思いに基づく状態をや空間そのものをさしている、とのこと。特に私たちは「侘び」と「然び」をセット語にしている気がします。
本書は一休や利休、また鈴木大拙氏などにも話を及ばし、広いエリアから諦観や哲学を見出だしています。この点に読み応えが非常にあります。と同時にじっくりと考えさせられます。
平家物語にある無常、この世においては人における愛別離苦など、相対的な観念で物事を見ていくという事を具に感じ入りました。
小気味良い侘び然び論
2015/08/17 09:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代日本人で侘び然び幽玄とはこれだと説明できる人にはまずお目にかかれないない、なぜこのようになってしまったんだろうかという疑問は誰でもふと思うだろう、そしてソクラテスに始まりアリストテレスによって体系化された西洋哲学ようには、侘びや然びから、体系化がなりえなかったのはなぜと、さらなる疑問へとつながる人もいるだろう
そういう疑問に著者は文献を読み漁り、侘び然び幽玄が西洋の哲学のように体系化がなされなかったのは土に根差した自然と生きる農民の暮らしににある侘び然びをとらえないひとびと、つまり貴族・特権階級によって担われてしまったからだと所見を披露されている。大胆である。
ふと、この展開は鈴木大拙師の「日本的霊性」を思い出してしまった。確かに著者は仏教を学ばれて「禅」の影響下にあり、仏教からの通例的な神道批判の論旨も感じたことを付記したい。
それでも、装丁の美しさだけでなく、文学史での捉え方をパッシングしている是非よりこのようにずばりと自分はこう思うと文章にして展開する書物はあまりお目にかかれなくなってしまった。、その小気味よさを味わってほしい一冊。
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